Claudio Parentela
「パパー、降りてきてーっ」
は、休憩時間終わったか
目ごしごし一階へ
丁度お昼寝から醒めたコミヤミヤとこかずとん
手足もにょもにょやる気満々
「ママもちょっと横になったら?」「うん、そうする」
ミヤミヤとバトンタッチのタッチタッチ
さて相手してやらなきゃ
きゃきゃきゃ
いつのまにか「ミヤミヤ」「かずとん」じゃなくなってきてるんだ
ミヤミヤママァー
かずとんパパァー
ママァー
パパァー
どうしたことだ
結婚前は子供が生まれても名前で呼び合おうと思ってたんだ
あなたは私のママではありません
あなたは私のパパではありません
個人と個人
ニックネームであっても固有の名前で呼び合わなきゃ
ところが、だ
「ミヤミヤ」「かずとん」に
「ママ」「パパ」が侵入するようになってきた
「ママ」「パパ」が「ミヤミヤ」「かずとん」を追い払うことも多い
コミヤミヤとこかずとんから見たぼくらの像を勝手に類推して
互いに投影する
これって個人の主体性の否定じゃない?
何で相手呼ぶのにわざわざ他人の視線を借りるんだよ?
寝返りできるようになってから運動量増えてきたな
それ、両足掴んで右、左、上、下、だ
ごっおろごろ、ぐぅりぐり
転がされてきゃきゃきゃ
コミヤミヤが目よじらせてきゃきゃきゃ
こかずとんが口躍らせてきゃきゃきゃ
転がしてるパパもきゃきゃきゃ
あれ、今ぼく、自分のこと
「パパ」って言ったぞ
こりゃ、つまり
きゃきゃきゃから
見てるってことだな
きゃきゃきゃきゃってのは
ぼくでもミヤミヤでも
コミヤミヤでもこかずとんでもない
きゃきゃきゃはきゃきゃきゃで
そのきゃきゃきゃの只中から
「ママ」と「パパ」が飛び出してくるんだ
「ミヤミヤ」と「かずとん」のお尻にくっついて
しまいには「ミヤミヤ」と「かずとん」を追い出したりする
飛び出してきたら
思わず
受け止めてやんなきゃきゃきゃ
それで
ママァー
パパァー
別に「ミヤミヤ」や「かずとん」がいなくなったわけでもなし
個人の主体性さんが否定されたわけでもなし
おっと
足離したら
今度はコミヤミヤが自力で
大きな寝返りごっおろごろ
きゃきゃきゃ、だ
パパァーッ、だ
この正月は
家にいたよ
去年の正月は
きみを見ていた
布団の上で
きみは荒い息をしていた
金色の毛に包まれた
きみは
胸が
上下に
揺れていた
この正月は家にいたよ
用宗の海で
初日の出を見た
浅間さんで祈り
三嶋大社で
きみのお守りを買ったよ
いないきみの
金色のお守りを買ったよ
きみはいまどこにいるの
そこにいて
待っていて
・・・
※ この詩は、
2025年1月10日に書いた詩です。
浜松「私の詩」コンクールの締め切りの日でした。
モコが逝って一年が過ぎて、書けた詩でした。
3月20日に授賞式がありましたがこの詩で賞をいただいたのです。
大人になってから初めての投稿でした。
モコの詩で賞をもらえて嬉しいです。
モコが笑っているように思えます。
同居人が泣いてくれました。
2025年3月24日.
三千魚
#poetry #no poetry,no life
引き裂かれながら進む色は
霙を降らせ
受粉しないまま墓に落ちた
陽が温暖であるほど芯は寒かった
油よりも滑らかな動きで
コンテンツは這入り込んだ
声は蒸気となって霞に溶けた
始めは何気ない浮標(Buoy Float)
蛸壺の転がる波止場(wharf)で
捕食動物は佇み
飛行機の腹を見上げ
網目から広がる小声の
あゝなんというただしい雪山
礼儀正しい象は蛸壺に入ってヒューマニスティックな動物のショート動画を見続ける
フジツボの富士山は堅く白化して浮世絵のようだ
それから
礼儀正しい象はベッドの脇の灯りを消して
12時間かけて高校に通うのを止す
それから
携帯の電源を入れ
親指を透過するひかりのmauveを記録する
https://www.facebook.com/events/581498471565540/?active_tab=discussion
#poetry #rock musician
そしてひとびとは
おのおのの家に帰っていった
(姿をすてたのだ)
じぶんをはっきりと世にあらわしなさい
文字のように
と男たちは言った
それだのに
あなたは
いつも畑の隅にいて見えない
腹から
どんな架空の水が流れているのですか
わたしの仮庵から来たのは
もうわたしの肉じゃない
この祭りのために
刈りとられてきた
たくさんの隅っこの目玉たち
どれも
でたらめな方向を見ている
どうして
わたしの話すことがわからないのか
「まだわからないのか」