魚群も鳥の群れもクラゲのように窄んで開く *

 

小さな

旅から
帰ってきた

女と犬が迎えてくれた

旅では
生きてるうちに見られなかった夢を **

聴いた

竹田さんが
嗚咽するのをみた

それから
荒井くんと

吾妻橋藪で蕎麦を食べた

夕方
村岡由梨さんのイデアという映画をみた

ひかりがあり
そのひかりを問う映画だった

肉体の
牢獄からひかりをみたのだろう

死のレッスンはまだつづけなければならない

それから
山形訛りの男たちと会った

男は
村では

赤だと言われたのだろう

上原では
詩人たちの詩を聴いた

詩はあなたとわたしの間にある
詩はあなたとわたしの間にある

魚群も鳥の群れもクラゲのように窄んで開く *

窄んで開く *

ことばで
語れないこともある

背黒イワシの群れが
海面を真っ黒に染めるのを小舟から見たことがある

浜辺でカモメたちが空中に浮かんで停止するのを見たことがある

語れない林のなかに
紅い色の山茶花の花がひらいている

 

* 工藤冬里の詩「海抜ゼロ」からの引用
** A-Musikの曲「生きてるうちに見られなかった夢を」

 

 

 

バケツ

 

塔島ひろみ

 
 

パチンコ屋の店先で女が大きなポリバケツを洗っている
ホースで水をダイナミックに流しながら
緑のタワシでゴシゴシこする
濁った水が店横の歩道から、ドクドクと環状七号線に流れていく
歩道の汚れも一緒に押し出し、水は少しずつ透明になる
女は毎朝7時50分にそれをやる
全ての作業を無言でやる
そして雑巾でキュキュッと水を拭き
太陽に干すと 開店の10時にはピカピカになるのだ

そのバケツに向かって 昼過ぎ、私たちはスシローの階段を降りた
環七を挟んでパチンコ屋の向かいにある、回転すし屋の階段を降りる
3貫盛りフェアで膨らんだお腹を抱え マグロと一緒に、階段を降りる

信号の向うに、犬を抱えた男がいた
痩せた薄茶色の犬の足は、硬直しているのか、ピンと空を向いている
男はまるでご馳走の載った皿を持つみたいに
その固まった獣を抱えて、立っていた
大型車が轟音を立てて走り抜ける
環状七号線はたくさんの車を飲みこんで、流れ、
その上を、縦横無尽にカラスが飛び交う
信号が変わった

鮪、米、鰹、蛸、お金、ひがみ、恋、非行歴、愚かな正義・・・
ぐちゃぐちゃに体内に閉じ込められたそれらと一緒に、
私たちは巨大な、ガンジス河のような環状七号線を横断する

カラスが激しく鳴いている
犬を抱えた男はこちらに向かう
近づいてみると、
それは木製のこわれた犬の置きものだった
足をピンと立てた嘘の犬は、
男が歩くたびにカタンカタンと、どこか取れた部分が音を立て、
ご馳走のように抱えられたまま私たちと擦れ違う
そして、
どこか、私たちと別の場所へ向っていった

向う岸では青い、大きな、ピカピカの、パチンコ屋のポリバケツが待っている
私たちをタワシでこすり、環状七号線に流すために

今、そこへ向かう

 

(11月某日、スシロー付近で)

 

 

 

海抜ゼロ

 

工藤冬里

 
 

バチカンをぶっ壊す!
とフランシスコが叫んで始まる
終末
が見えた気がして
まだ生きている僕らのことを想う
僕らは復活の無い死を遂げる稀有な存在となる
死んでいた人たちが代わりに傾斜地に住む
一人一ヘクタールが割り当てられる
どちらかというと
斜面に穴を掘って住むといいと思う
復活のない死には美学が必要である
だから人文学が栄えていたのだ
何のためにフランス語を勉強したのか?
死ぬからじゃないのか?
鉛筆の芯で出来た大きな直方体を考えているんです、と言うと彼女は喘いでがたがた震えた
様々な種類の白い光が蓮華文のように放射した
異なった白はアウェー感を醸し出した
マッチ箱のような形
乗り手は言葉と呼ばれ
白かった
ホワイトハウスはどんなところですか
白いよ
小麦一リットルが八千円
セントヘレナ島以外の全ての人が
目と想像力を活用して強めてゆく
風化との闘い
鉛筆だけで光を表現している
何故そう言えると思いますか
王冠を被ったり投げたりしている
ヒゾーガンである
ビーツの葉も実も、煮出すと瑪瑙のように赤かった
目が沢山あった
バランスと生理は関係ない
沢山ある目を受け入れなければならない
壮大な場面
魚群も鳥の群れもクラゲのように窄んで開く
色とりどりの葉、丸い黄色い葉
所詮私には無理だったのだ
相手の中に何があるかを確認してもらい
第四脛骨脱臼
チャリタブル プランニング
宇宙船で視覚が奪われる
人の姿をした漢字が、立っている
形にあらわすことはとても大事
世の中わるくなっても先頭にいるのは白い馬
集合的な努力
これ以上低くならない海抜ゼロをいつも見ていたから
チベットに居ても
この最低の平面を思い出すだろう

という字には貝が二つある
右の賣は売の旧字である
一見して売り買いのことと知れる
買うと賣る
貝に貝
貝で償う黨員
Celui qui appelle du levant un oiseau de proie

 

 

 

ソノヒトカヘラズ Ⅲ

 

南 椌椌

 
 


©k.minami+k.soeda

 

ホラホラ ホラ
コレハ ぼくの骨じゃない
たぶんその年の秋深く
この公園の池に墜ちた
ゴイサギのギー君の脛骨だ
泥に白くまみれて 干からびて
やぶにからまれ 転がっている

とぼとぼ歩くな 足うらをしっかと踏み込め
緑藻で濁った池のほとり
いつかギー君が飛び立ち際に
ぶっきらぼうに こうつぶやいた
踏み込むんだ!足うらだ!

夜の公園で 空ぶらんこが揺れている
ナンテン センリョウ サネカズラ 赤い実
ヒメモモとキンモクセイ
季節外れのメキシコセージの青い花
まだ生きているカイツブリ

空0夢現・ゆめうつつにある時間が
空0僕の自然という気がする
空0ゴイサギが飛び立つ日の
空0春の門 ひと眠り夏 また秋の門

ギー君はどうして墜ちたのだろう
そっぽを向いて ぼくを諌めていた
百年の孤独の長のようだった
いつからか ざんばらの羽がこわばり
朽ちた杭の上でまんじりともせず
生きることに 永いこと飽いている
気には留めていたのだが それだけ

銀杏の実が匂う その夜
ギー君の脛骨を ひだりてのひらに
新月の尻尾に ギー君の係累を見て
公園の池のめぐりを ひとまわりした
そしてふと ギー君とどこか似ている
ソノヒトのことを思った

ソノヒトは いつも黒づくめ
そっけなく かなしみを たしなみ
カメラにぶら下がって 踊り子を
四十年撮り続けていたが
とんと稼ぎには無縁だった
寡黙の人の範疇に入るのだろう
小さな劇場の左隅に そっと席をとり
数少ないシャッター音で
無数以上の写真を遺した
闇と光のあわいを 往還して
現像液からゆらゆら立ち上がる
踊り子のかたち ソノヒトの指先
そう! それっ!

311からほどなく 津波の浜に行った
ソノヒト 子どもの頃 貝をひろいに走り
夏という夏 泳いでいたという浜
ピースライト燻らして ずっと
棒のように立って 何を見ていたのか
なぜか近寄れなかった ギー君のようだった
放縦な生き方をした というわけでもなかったが
酔うと 誰彼なしに アイラブユーだぜ!
女の家で 男の家で アイラブユーだぜ!

舞踏 風景 舞踏 風景
長身痩躯の寂寥が汗をかいている
そして そのまま風呂でゆらゆら 死んだ
風呂でとっぷり 夢みて死ぬなんて
時代の幸福を 絵に描いたよう
かも知れない さもさも ありなん
たましひなんて その時はけむりです
そう! それっ!

なつかしいギー君と
ソノヒトのことを思った

 

 

 

更年期の雪

 

正山千夏

 
 

無音の部屋にいる
今日は寒いから出たくない
時計の針の音が嫌い
二重サッシはありがたい

無言の自分がいる
正面から見据えてみる
オトナの社交辞令が嫌い
最近のインナーはあったかい

あったかインナーを脱がしてみれば
痩せ細った私の体が
冬の枝木みたいに震えてる
そうやって越冬していく

更年期の雪が降る
うっすらと雪化粧
それとも霜
もっとゆっくりと忍び寄る劣化

これまでだって
時計はそこにあったはずなのに
いつから針の音が嫌いになったのか
思い出すことができない

更年期の雪が降る
吹きっ晒しの私の脳みそが
うっすらと雪化粧
それは今日の空のような灰色だ

 

 

 

扉を開き、その世界にいること

 

ヒヨコブタ

 
 

静かな世界をもっている

どれほど周囲がけたたましくとも
静かな世界のなかに他者をいれぬこと
そのときだけ
ほんのいっしゅんだけは

いつからかざわついたこころからもはなれて
その世界にいるとき
自由であるのかわからずとも
ひとときの、ほんのひとときの

悪意に満ちている、と誰かがいう世界があるのか
善意だけを信じようと必死なのか

わたしはどちらにもなることはできないだろう
どちらもあり続けてきただろう

現実世界から去っていくことに加担するのは
なぜなのだろう
加担したひとほどそのじじつからは目を背けるのは
誰も去る必要はないのだ
去らせることに加担してはならぬのだと
自らには
自らにだけは

ことばが通じあわぬときの苦しみも
気持ちがかよいあわぬときのかなしみも
溢れすぎるとき
わたしはこの世界からいっしゅん離れる
現実からいっしゅん

痛みがあることを嗤わないで生きていきたい
そんな世界だけではないと
ひたすらここまで

小さな猫たちの
温もりだけではないことの現実と
わたしの現実世界との重なるぶぶん
そうではないぶぶん

もう少しだけ
静かな世界にいる

 

 

 

島影 13

 

白石ちえこ

 
 

紀伊長島

車一台が通れるほどの狭い路地の商店街は定休日なのか閉まっているお店が多かった。
半分開いていて、半分閉まっているような洋品店を覗くと店の奥に古いトルソーがあった。
トルソーはまわりのものに埋もれているようにも見えたが、別の次元に存在しているようでもあった。
近づいて行くと、トルソーは棚の上から私をじっと見つめかえした。