光と風の中で その2

 

佐々木 眞

 
 

 

Ⅰ 夫婦の会話

妻君が階段の上から、
「2階でムカデを1匹殺したわ」
という。それで、
「そういえば僕もこないだ1匹殺したな」
と、階段の下から返事したら、
「それなら、ちょうどよかったわ。ムカデって、いつも2匹セットでいるものね」
と、妻君がまた返事したので、ふうむ、これが「平仄の合う夫婦」というものかな、と思った。

百足平安
無事是貴人
偕老同穴
平仄夫婦

 

Ⅱ 虹の彼方で

一天 俄かにかき曇り、
雨がパラパラ 降って来た
東の窓から 東を見れば
和泉橋の上に 影がある
あれはうちの コウちゃんケンちゃん
かわいい長男 次男じゃないか

雨がザンザン 降ってくるのに
ケラケラ ゲラゲラ笑ってる
笑いながら 駆けずり廻るよ
石橋の穴に 溜まった泥水
あちこっちに 撥ね飛ばしながら
二人はくるくる 輪になって
兄が弟の 弟が兄の
お尻を 追っかけ廻してる

いつのまにやら 雨上がり
東のお空に 虹が出る
赤橙黄緑青藍紫 紫藍青緑黄橙赤
7つの色が 滲んで輝く
虹の彼方で 踊っているのは
あれはうちの コウちゃんケンちゃん
かわいい長男 次男じゃないか

 

Ⅲ とんとある話

とんとある話。
あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば、無かったことも、あったにして聴かねばならぬ。
よいか?*

ある五月の晴れた日のこと。オジイチャン、オバアチャンを中心に、座敷に家族が集まりました。
庭の木を見ながら、オカアサンが、
「白い花がたくさん咲いたから、今年は夏ミカンがたくさんとれそうだわ」
とうれしそうにいうと、オジイチャンが、
「あの夏ミカンはな、昔は「夏代々」というたそうじゃ。ご一新で没落した士族がこれを稼業にして代々生き延びられるようにとその名をつけたそうじゃ」**
と、学のあるところをみせています。

突然庭の向こうから2羽のスズメの夫婦が飛んできて、
「おや、普段は雨戸を閉めた切りの家に、大勢人が集まってる。珍しいな、チチチ」
と鳴きました。
「あのスズメは、夫婦みたいだね」とケンちゃんがいうと、
「うん、オラッチもそう思う」と、オジイチャンが大きくうなずきました。

スズメ夫婦が飛んでいくと、ツバメの夫婦がやってきて、
「自動車修理屋さんの軒端に、おうちを作ろうとしたんだけど、「糞を落とすからほかを当たれ」と言われたので困っています。どこかいいとこないかしら?」と尋ねます。
オトウサンが、「そんな自動車屋はけしからん。うちのアクア***が故障しても、絶対にあそこには頼まないぞ」
と怒り狂っているので、またしてもオカアサンが、
「よかったら、うちの玄関の下はどう? 大歓迎するわ」というと、ツバメ夫婦は歓喜の歌を唄いながら、大空を飛び回るのでした。

すると今度はコジュケイが、7人家族でやってきました。
「わたしら、こないだからタイワンリスとアライグマに襲撃されて困っています。浄妙寺の交番に相談したのですが、「君たちにここに泊ってもらうと、公務に差し支えるから困るのお」と言われてしまいました。どこか安全な場所は無いでしょうか?」
するとオバアチャンが、「あら、それなら狭いけど、うちのお庭に住んでもらってもいいわね、オジイサン」
というたので、オジイサンもみんなも、朝からあの「チョットコイ」の鳴き声で起こされるのは困ると思いながらも、「いいですよ。大歓迎ですよ」と、異口同音に答えました。
大喜びのコジュケイ親子は、「チョットコイ!チョットコイ!」の大合唱です。

すると、そのけたたましい鳴き声が聞こえたのか、大きなゾウさん夫婦が小ゾウを連れて、ドシドシドシとやって来ました。
「私たちは、昨夜インドから、やっとこさっとこ横須賀の港に着いたのですが、日本に着いたら、すぐにサーカスに売られるのです。サーカスは見るのは好きなんですが、火の付いた輪をくぐり抜けるのは熱くて怖いので、3人で逃げ出してきました。お願いです。なんとか匿ってください」
と、部厚い前足を、折り曲げ、折り曲げ、長いお鼻を、ふりふり、ふりふりして訴えます。

目付きの怖いパンダさんなんかよりも、小ゾウが好きなコウちゃんとケンちゃんは、
「ね、ね、いいでしょ。コジュケイとスズメとツバメのお仲間に、ゾウさんたちも、一緒に仲良くお庭に住んでもらってもいいでしょ?」
と、懸命にアピールするので、普段は難しい顔をして、誰にも分らない詩のようなものを書いている超自由業のオトウサンも、
「それほどいうなら仕方がない。愛犬ムクは死んでしまったけど、その身代わりだと思って、ゾウさんたちもしばらくお庭で飼うことにしましょう。そのかわりに面倒は、みんなでみるんだよ」
というたので、動物好きの一家も「それがいい! それがいい!」と、全員で声を合わせました。

そこで大喜びのコウちゃんとケンちゃんは、
「♫ゾウさん、ゾウさん、お鼻が長いのね」と唄いながら、ゾウさんや、コジュケイや、ツバメや、スズメたちと一緒に、狭いお庭の中をグルグルぐるぐる楽しく踊り歩きました、とさ。

 
 


*柳田国男が蒐集した昔話を語り始める際の決まり文句。大江健三郎「M/Tと森のフシギの物語」「同時代ゲーム」より引用。
**「夏代々」の逸話は日本版「ウィキペディア」に拠る。
***没落する中産階級向きの厭らしい外装色のトヨタ製ハイブリッド車。

 

 

 

光と風の中で

上野と六本木の2つの展覧会をみながら

*1

 

佐々木 眞

 
 

 

Ⅰ 世紀末ウィーン

五月の光と風が、赤茶色の建物の中まで、差し込んでいる。
上野の都美術館に足を踏み入れると、
何を考えているのかさっぱり分からない女が、
紅い唇をポカンと開いて、
呆けたように、立ちずさんでた。

クリムトが生きた世紀末のウィーンは *2
ビーダーマイアー様式の家具とかヴァーグナーの建築物とか、
いっけん、おしゃれでシックなふぁっちょんタウン、のようだが、
しかしてその内実は、R.シュトラウスの「薔薇の騎士」のように淫靡で、
熟れきったメロンのように甘美な文化都市だった。

1898年、クリムト選手は、そんな腐れメロンに対して、
「ウィーン分離派」なる独立行動隊をざっくり立ち上げた。
彼は権門に対して、激しい分派闘争を繰り広げた、闘う画家でした。

金粉をまぶしたキンキラキンのキャンバスの中に、
その伝説の妖艶な美女は、いた。
黄金の首輪を巻いた、半眼開きの黒髪女、ユディト!

だらりと伸びた右腕の下には、
女に首を斬られる快感に酔ったままの
男の首が、ぶら下がっている。

超美貌の寡婦ユディトの、色香に惑わされ、
さんざん葡萄酒を飲んで、
ぐっすり眠り込んでいたために、
ベトリアであっさり首を掻かれた
軍最高司令官のホロフェルネスだあ。

旧約聖書の「ユディト記」に出てくるこの題材は、
カラヴァジョやクラナッハなど多くの画家が、
競うようにして描いたけれど、
クリムトのように「殺す女」と「殺される男」の性的法悦を、
ふたつながらに描いた人は、いなかった。

茫洋、茫洋、また茫洋――
クリムトは、人物をリアルな描写ではなく、
しどけない雰囲気を、がばッと大きくつかまえて、
巧みな色遣いと、エディトリアル・デザインで、仕留める
いうならば「アトモスフェールの達人」でした。

Ⅱ イトレルの臓腑

フランツ・クサーヴァー・メッサーシュミットの *3
「究極の愚か者」という名のお調子者の彫刻を眺めていると、
なぜかクリムトの27年後に、この国に生まれ、
1907年に、一旗揚げようと、この街に出てきた、
保守的で、下手くそな絵描きのことが、思い出されてならぬ。

「なにくそクリムト! くたばれエゴン・シーレ!」なぞと呟きながら、
今をときめくウィーン分離派を、見返えす思いで、
欧州のみならず、全世界を震憾させる独裁者に成り上がった
暗い男のどす黒い情念を、
会場のどこかで、あなたも感じるのでは、ないだろうか。

華麗なる芸術の街ウィーンの陰画こそ、
独裁者イトレルの臓腑なのである。 *4

Ⅲ シューベルトの眼鏡

六本木「新国立美術館」の「ウィーン・モダン」展では、意外なものと出会った。
作曲家フランツ・ペーター・シューベルトの眼鏡である。 *5
銀で出来たそれは、とても小ぶりで、
親しみやすいけれど繊細な彼の音楽に、とてもよく似合っている。

眼鏡の左に掲げられている彼の肖像画と
(これはよくレコードやCDのジャケットデザインでお目にかかった)
かの有名な「シューベルティアーデ」で演奏し終わった瞬間の夜会の絵でも、
同じ眼鏡が、彼の顔に乗っかってる。

解説文によると、シューベルトは、
朝起きたらすぐに作曲できるように、
夜寝ている間も、この眼鏡を掛けていたそうです。

「これが僕の最期だ!」とうめきながら、
たった31歳の若さで、シュバちゃんがこの世に別れを告げた時にも、
この愛らしい眼鏡が、
仰向けの童顔に、ちょこなんと、乗っかっていたにちがいない。

Ⅳ アルノルト・シェーンベルクの絵

アルノルト・シェーンベルクが、 *6
油絵を描いていたとは、知らなんだ。

アルバン・ベルクを描いたものは、わざとのように下半身を簡略に描いているが *7
その音楽と同様、只ならぬ神経質な容貌は、しっかりと捉えられている。

驚いたのは、「グスタフ・マーラーの葬儀」の絵であった。 *8
画家自身をはじめ、数少ない参列者によって取り囲まれた、
お椀を伏せたような、小さなお墓のなかで、
葬られたばかりのマーラーは、
まるでコクーンに内蔵された宇宙人のように、
生暖かい橙色の光を、周囲に放散している。

「偉大な音楽家は、永遠に生きている!」
先輩に逝かれたシェーンベルクは、そう言いたかったのでしょう。

Ⅴ エゴン・シーレvsフィンセント・ファン・ゴッホ

エゴン・シーレは、ゴッホに対抗してた。 *9&10

シーレの、あの「ひまわり」を見よ!
命の限りを燃やしつくした、ゴッホの黄色いひまわりに、
「それがなんだ。それがどうした。」
と突きつけた、死んだひまわり。
死んだあとでも、冷ややかに美しい、黒いひまわり。

シーレのあの「寝室」を見よ!
生命力の輝きをみせる、ゴッホの黄色いベッドに対して、
「ノイレングバッハの画家の部屋」のベッドは、真っ黒の黒。
死に祝祭された、漆黒のベッドで、
エゴン・シーレは、今も眠っている。

 

 

1)上野と六本木の2つの展覧会
「グスタフ・クリムト展―ウィーンと日本1900」東京都美術館2019年7月10日迄
「ウィーン・モダン展―クリムト、シーレ世紀末への道」国立新美美術館2019年8月5日迄
2)Gustav Klimt 1862年7月14日 – 1918年2月6日
3)Franz Xaver Messerschmidt 1736年 – 1783年
4)Adolf Hitler 1889年4月20日 – 1945年4月30日
5)Franz Peter Schubert 1797年1月31日 – 1828年11月19日
6)シューベルトの友人やファンに囲まれて開催された音楽の集い。
7)Alban Maria Johannes Berg 1885年2月9日 – 1935年12月24日
8)Gustav Mahler 1860年7月7日 – 1911年5月18日
9)Egon Schiele [ˈeːɡɔn ˈʃiːlə] 1890年6月12日 – 1918年10月31日
10)Vincent Willem van Gogh 1853年3月30日 – 1890年7月29日
シーレは1890年6月12日に生まれたが、ゴッホはそれを見届けるかのように同年7月29日に亡くなった。