michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

保育園ひょろっ

 

辻 和人

 
 

ひょろっ覗く
ひょろっ隠れる

今日は保育園見学の日
ぼくもミヤミヤもいずれ職場復帰するからね
今日見学に来た保育園はふるーいビルの1階
端が綻びたエプロンぱんぱん叩きながら
「暑いところ足をお運び下さりありがとうございます。園長のNです。
園内を歩きながら案内致しますのでご質問があればいつでもどうぞ」
ごましお髪揺らしのっしのっし歩き出す
その時だ

「こんにちは」
声、立っていた
ひょろっ4歳くらいの男の子
抱っこ紐の中で眠ってるコミヤミヤとこかずとん凝視して
ひょろっ姿消す
お客さんに挨拶できるなんてすごいね

「ここが1歳児クラスです。今はブロックで遊んでいます」
大きなバケツに入った色とりどりのブロック
細っこい手てんでに握って
てんでな物体作り上げる
細っこいガニマタ足てんでに動きてんでに新しいブロック取りに行く
へぇー1歳児ってこんなに歩けるんだ
ミヤミヤと感心しながら見ていたら
ひょろっ影が
さっきの男の子だ
窓ガラスからひょろっ覗いて
ひょろっ行っちゃった

「ここは2歳児クラスです。今塗り絵やってます」
しぃん
どの子もすっごい集中力
チューリップさん、メロンさん、トラさん
みるみる紙の上で舌を出す
「すごい、はみ出さずに塗れるんですね」とミヤミヤ
「2歳になるとびっくりする程器用になりますよ。
急にイヤイヤスイッチ入ってクレヨン投げちゃう子もいますけどね。
こちらの小部屋はトイレトレーニングに使います」
ちょこんと白い幼児便座微笑んだ
保育園ってこんなこともしてくれるのか
その時、ドアの隙間から
ひょろっ
そしてタタタッと走っていった

「園庭に出てみましょうか。丁度3歳児クラスが水遊びをやっています」
ひろーい園庭におーきいゴム製プール置かれて
水しぶき、水しぶき
手、足、頭、お尻、弾ける
細っこい手キラキラ掬いあげて
細っこい足パシャパシャ逃げる
甲高い声、声、入り乱れる
「泳ぐってとこまでいきませんが水遊びはみんな大好きですよ」
周りで4人の先生見張ってる
そこに裸足の男の子駆けてきて園長先生の背中にドン
「もう、この子いつも元気良すぎてね、ほら、お行儀良くしなさい」
頭軽く小突いて放す
あら、滑り台の脇にひょろっ
見慣れてしまった影

「ここで給食を作っています。
ウチは外注しないで自分のところで安全な食材を吟味しています。
水曜日は麺類の日で園児たちはみんな楽しみにしています」
忙しそうに野菜刻んでる白衣のお姉さん
あれはこれから茹でるうどんかな
「外から安全確認できるようにガラス窓をもうけてるんですよ」
大鍋ぐつぐつおいしそう
ホワイトボードにチェック入れて段取り確認か
さて、そろそろくるかな

くるかな、くるかな
きたっ
ひょろっ柱の陰だ
涎垂らしたコミヤミヤとこかずとんじっと眺めて
ひょろっ消えた

「丁寧なご案内ありがとうございました。
おかげで園の様子がよくわかりました」
頭を下げるミヤミヤとぼく
「ざっとした説明ですみません。後でご質問がありましたらお電話下さい」
ようやく半目を開けたコミヤミヤとこかずとん
2つの抱っこ紐の中でふわぁ2つのあくび
おうち帰ったらオムツ替えてミルクにしようね
スリッパから靴に履き替えて園を出ようとしたら
「さようなら」
ひょろっ声がする
ぼくたちの先回りをして
玄関の壁に背を凭れかけて座ってる

赤ちゃん、いる
ちっちゃいなあ
かわいいなあ
見たい、覗きたい
もう年長さんだもんね
赤ちゃんだった時代は遥か昔
もう赤ちゃんではない自分にとって
赤ちゃんは興味津々
かわいがるべき対象だ
ウチの子たちに興味を持ってくれてありがとう
建物も設備も古いけど良い保育園だったな
ひょろっ

 

 

 

The Remains of the Day

 

狩野雅之

 
 


20240116-_DSC8103-6
Nikon D810, Nikon AF-S NIKKOR 24-120mm F4G ED VR

 

Description

 

日中の気温は10℃あたりまで上がるのだが
やがてそれも氷点下へと変わる。

真正面から強風も吹き付けるこの丘で
夕暮の波涛と向き合う。

標高1700メートルの北八ヶ岳中腹。

The evening is the best part of the day.

 
Masayuki Kano
 

 

 

東名高速バスできた

 

さとう三千魚

 
 

西口に着いた
東名高速バスできた

播磨屋で珈琲を飲んでいる

これから
なにか

書くのだろう

言葉を行分けにして
なにに

なるだろう

新宿は好きな街だった
終わっていた

オワコンと
山本太郎さんが国会質問で言ってた

オワコンだろう
オワコンの詩を書こう

広瀬さんの猫写真が
ゴールデン街のこどじで展示されていると聞いた

高速バスできた

新宿も
しょんべん横丁も

岐阜屋も
ゴールデン街も

オワコンだろう

これから岐阜屋の蒸し鶏でビールを飲もう
こどじで広瀬さんの猫写真を見よう

新宿の街でノラ猫たちの歩くのを見なかった

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

白髪の人

 

工藤冬里

 

そんな世界の終わりも
LINEのスタンプで知らされるのだろうか
ひとりのままでいるのはよくない
名前を付けている間に気付いた
そのスタンプをまだ使っている
躑躅が奥に嵌め込まれ
瞳は暗く引っ込む
浅いつながりが分からないので
靱帯のない内臓は揺れている
立ち位置が分からないのに
白髪がぼおっと立っている
癌がこちらを向いている
文革のように水溜まりに輪が出来ている
いけない いけない
母音を端折っては
その名前をまだ使っている
評判が含まれている子音の靱帯
白髪の変色する悲劇
オイルのない気管の故障の音に射抜かれ
三つの石鹸の置かれた
外部にはみ出した構造
透明な幅広の草
綿花を飾って
顔を抱き締めた
ポエーシスは閉じている
窓のない外
宍色(肌色言い換え)やピンクに蜘蛛の巣は合う
フロントガラスを伝う雨
内部は開かれ外部は閉じている
きっと体に来る
詩どころではない
遠ざかる軽トラに雨が触れる
ハンドルのように三つに分かれている
コンクリの電柱は真直ぐに立っている
白や青の車は往来している
躑躅は奥まっている
裏のない躑躅が奥まっている
切られた幹から細い枝が出ているのを
絵と勘違いしている
介助のおばさんの声がする
雨は

(びゃあびゃあ)降っている
雨は激しく焼杉の壁を打つ
縫いぐるみは綿で出来ている
屑入れはない
SUZUKIのロゴがスワスティカのように見える
池はそのままであってはいけない
川は間違っている
場所が分からなくなる
雨が降っているのは分かる
白髪は立っている

 

 

 

#poetry #rock musician

日曜日

 

廿楽順治

 
 

なにもかもが過ぎてしまった
越えたものは多い

(子どもなんかいなくてよかった)

そのひとを亜麻布につつんで
引き取り
丘にむかって
われわれにおおいかぶされ

(と言ってはみたものの)

この亜麻布はなににひとしいのか
ひとしさの
包み方がわからない
「生きたひとをなぜ死人のなかに
たずねているのか」

日曜がきたので仕事はやすんだ
(わたし)というのは
丘の過去形です

ひとしさのうえにいて
ずっとはたらかない

 

 

 

さたん

 

道 ケージ

 
 

明治新政府の本質は江戸幕府と変わらず、内実は、 (個の尊重を旨とする) 近代なるものとは程遠かった。「五榜の掲示」では切支丹宗門禁制を布告。地方ではそのような中央政府を忖度し、キリシタンの摘発が始まる。長崎県五島列島では明治元年から上五島、下五島の各地で潜伏キリシタンに対し苛烈な弾圧が行われた。明治元年(一八六八年)、五島列島久賀島では潜伏キリシタン約二百人を捕縛。わずか六坪(十二畳)ほどの牢屋に乳飲み児から老人まで二百人が押し込められ、改宗を迫られ石抱きや水責めなどの拷問を受けた。この極小の糞尿まみれの牢で、四十二人が獄死(出牢後の死亡三名)。「牢屋の窄 殉教事件」(明治元年)である。

 

ささささ さささ
しのびより
外海<そとめ>
しず集落から

すーっ(姿なく)、すーっ(風?)
隣にさたん(意識なしに)
ジワンノ、ジワンナ
知らぬ名の
死後の石は重い

知らんのか
「さあね、そういうものゆえ」
さむい

足がつかない
さよなら
サンタマリア
ゼススは救わない

「生き血ば吸うげな」
咎める理由はよく知らぬ
さいていな奴

サルビアの花
こわごわ蜜を吸う
相槌にさたん
作り笑いにさたん

「踏み潰され
 煎餅のごつ平とうなったげな
 蠅たかり黒ゴマばまぶしたごたる」
 そげんね
 サタン嗟嘆

「広い狭いはわが胸にあるぞやなあ
 パライゾの寺にぞ参ろうやなあ
 あーしばた山 しばた山なあ
 涙の先にはなあ…」

生活にさたん
さたん飼いならし
誰が何するかわからんめぇも
血の聖牌にぎる

太古丸フェリーは
滑るように進む
島は明るい
さたん、笑う

 


    以下の著書等を参照した。一部引用もしている。

    1.世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」パンフレット
    2.森 禮子『五島崩れ』(主婦の友社、一九八〇)
    3.津山 千恵『日本キリシタン迫害史』(三一書房、一九九五年)