長田典子
ディグ、ダグ、
駅の構内やホテルの前で
剝き出しの銃を構えた兵士に出くわすたびに
TVで見る
破壊、や、崩壊、や、悲嘆、や、凄惨な死、が、
すぐそこにあるようで
いつもかならず
恐怖を感じる
ディグ、ダグ、
冬のある日
ニール先生の宿題は
「あなたの家族の歴史を調べて書いてきなさい」だった
わたしたちはグループで調べたことを発表しあった
韓国出身の学生のふたりともが朝鮮戦争で家族が生き別れ
ノースコリアに消息不明の親戚がいると語った
二十歳そこそこのふたりには遥かに遠い昔話なのかもしれない
彼らの両親よりも年上かもしれないわたしは
破壊、や、崩壊、や、死、や、
肉体を引き裂くような、
悲嘆、が
からだにこみあげ
ふるえた
ニール先生の授業の意図を理解した
ディグ、ダグ、
わたしは自分の家に伝わる物語を披露した
破壊、も、崩壊、も、悲嘆、も、まだ、ない、
わたしの家の物語を……
「ずっとむかし、わたしの祖父の祖父の兄弟は神隠しというものに遭いました。その男は3年間、行方不明でしたが、ある日、とつぜん帰宅し、天狗様と山で修行をしていたと言ったそうです。隣家の婚礼の日、男は出された御馳走を天狗様に差し上げるのだと言って、村人たちの前で屋根の上にぴょーんと飛び上がったそうです。その男の死後、男が天狗様にもらったという短刀を山の神様として祀りました。」
授業の後
ひどく寒かったので
グリニッジビレッジのニホン街に行く
ニホン食レストランに駆け込み
好物の煮込みうどんを食べた
ふやけて千切れた
エビのてんぷらの衣をひとつひとつを箸で掬い上げ
頬張りながら
授業では言えなかったわたしの家族について
消化不良だった自分の物語について思い出していた
戦争とは関係のない我が家の
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、の物語について……
ディグ、ダグ、
「わたしは安定した生活こそがいちばん大事だと思っていました」
ディグ、ダグ、(汁にふやけた天ぷらの衣が大好き)
「わたしは吟味に吟味を重ねて公立学校の教師になりました
ニホンではプライバシーでも先生でなければならないので
どこにいても規格品のようにふるまわなければなりませんでした息苦しかった
小学校の教師の仕事は大嫌いでした
職員は優等生ばかりで規格外のことは理解されませんでした
わたしも優等生を演じました何の曇りのない家庭で生まれ育った良家の子女のように
子どもたちは可愛いいと思うことも助けられたと思うことも多かったのですが
勝手にあちこち動き回るからだんだん椅子に縛り付けておきたいと思うようになりました
毎週1時間ある道徳の時間をひどく憎んでいました
週2時間から3時間ある体育の時間を憎んでいました
算数や国語や社会や理科や音楽や図工は楽しくて好きでした
ニホンではプライバシーでも先生でなければならないので
土曜日も日曜日も外出するときは人に後ろ指を指されないように気をつけながら
規格品のようにふるまわねばなりませんでした息苦しくて仕方なかった
外国に旅行で出かけたときだけわたしはほっとできました
仕事は辞められませんでした息苦しくても身体がきつくても嫌いでも
安定した生活を優先させていたからです安定した生活こそがいちばん大事でした
世界は人間社会は恐怖に満ちていると思っていました」
ディグ、ダグ、(巨大エビはNY特産なのかしら)
「わたしは蛇行する相模川に沿った28戸だけの小さな村に生まれました
先祖はどこからやってきたのかはわかりませんがほぼ村人全員が先祖代々700年にわたって河岸段丘の底の擦り鉢状の土地に暮らし続けていた家の末裔です
7歳のとき村はダム建設のため湖に沈みました
わたしたち家族は河岸段丘の上の嘗て村の入り口だった傾いた土地に引っ越しました
河岸段丘の上で生活は一気に50年は近代化しました
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、が、ここにもありました我が家なりに
村では山の水を引いて台所の水甕にため柄杓で水を掬っていました
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、が、ここにもありました我が家なりに
新しい家には水道が完備していました
庭にはベンチや石段を配した大きな築山の中心に池があって噴水が出ていました
応接間には堂々とした応接間セットがありビクターの大きなステレオがありました
三姉妹お揃いの毛皮の襟巻をして学校に行きましたまるで大金持ちになったみたいでした
しかしその生活は一年足らずで終わってしまいました
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、が、ここにもありました我が家なりに
世界は恐怖に満ちていました」
ディグ、ダグ、(わわ、星の形のにんじん発見!)
「父が家にあまり帰らなくなりました父は多額の保証金をもとに
新しい事業を始めては失敗するということを繰り返していたようでした
そのうち父は全く家に帰らなくなりました
毎朝毎晩借金取りが家のドアを叩くのでした
役人が家に来て家の物に札をつけていきました
勉強机だけには札はつけられませんでしたランドセルも無事でした
札は外されそしてまたつけられることが繰り返されました
世界は恐怖に満ちていました」
ディグ、ダグ、(長ネギは嫌いなのになぜかうどんの汁となら食べられるの)
「築山の噴水がなくなりそのあたりは売られて新しい家が何件も建ちました
敷地の土地が少しずつ減って新しい家が次々に建ちました
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、は、ここにもあったのでした我が家なりに
母は村に住んでいた頃からの組み紐工場を父に代わって続けてきました
そうやって祖父や祖母や子どもたち家族は生きのびてきました
応接間セットは古びてぼろぼろになりましたがそのまま置いてありました
ふすまも障子もぼろぼろになりましたがそのままにしてありました
カーテンもぼろぼろでしたがそのままにしてありました
破壊、と、崩壊、と、悲嘆、は、ここにもあったのでした我が家なりに
すでに町中の噂になっていたはずですが
わたしはわたしたち姉妹はなにごとも起きていないかのようにふるまっていました
世界は恐怖に満ちていました」
ディグ、ダグ、(ぷりぷりした鶏肉が大好き)
「わたしが大学に入学する頃になって父は家に戻ってきました
わたしは父をわたしの家族だとは思えませんでした
父だけでなく家族を家族だと思えなくなりました
わたしはもう父だけでなく人間というものを実に信じられない生き物だと思うようになりましたひとりぼっちだと思いました
わたしはひとりぼっちで生きていかなければならないんだと思いました
世界は人間社会は恐怖に満ちていました」
ディグ、ダグ、(星の形のにんじん、またまた発見!)
「安定した生活こそがいちばん大事でした」
ディグ、ダグ、(渦巻きナルトはうどんの定番です)
「中学校で英語を習い始めてからずっと留学してみたいと思っていました
ビクターのステレオでサイモン&ガーファンクルを何回も聴きました
安定した生活をいちばんに望んでいました
仕事を始めてから貯金がたまるたびに海外旅行に出かけました
いつもひとり旅でした」
ディグ、ダグ、(しんみりしんみり煮込まれた椎茸を食べます大好きです)
「いろいろありましたいろいろなことがありました
結婚しました代々続く家を脱出するためでした必死でした離婚しました病気になりました
仕事を続けました結婚しました幸せになりました人間を信じられる生き物だと思えるようになりました仕事を続けました病気になりました自分の家を建てました仕事を続けました30年勤めてやっと仕事を辞められると思いました退職金で住宅ローンをすべて返せるとわかったのです安定しましたやっと安定できました必死でした必死でした必死でした
いつのまにか嘗て祖父母や両親のいた場所はすべてが無くなっていました
いろいろありましたいろいろなことがありました
退職金の残りを留学資金に充てました必死でした必死でした必死でした
ずっと留学したいと思っていました
ずっと留学したいと思っていました
ずっと留学したいと思っていました」
ディグ、ダグ、(汁に浮かぶ半熟卵が大好物なのです)
湖に沈んだ村の
冬の夕食は毎晩あったかい煮込みうどんで
野菜の具がいっぱい入っていたっけ……
NY風煮込みうどんの汁を最後の一滴まで飲み込む
芯からあったまって
わたしが構築されていく
わたしが再構築されていく
横なぐりの雪が舞い上がる通りに出る
駅の構内で
剝き出しの銃を構えた兵士を見かける
破壊、や、崩壊、や、悲嘆、や、死、のあふれる世界を
アメリカ! を、
歩く
安定って、
けっきょく、わたしの場合、
外側だけのことだったのかもしれないな……
構築されたわたしは煮込みうどんであったまったからだは
外側よりも
内側を満たしていきたい
たとえ
破壊、や、崩壊、や、悲嘆、や、悲惨な死、にあふれる世界にいたとしても
世界が恐怖に満ちていたとしても
わたしはわたしを満たしていけば
だいじょうぶ
対峙していける
雪の舞い上がる
マンハッタンで
乾燥した冬の風が吹く
ニホン
で