親愛なる友人へ

 

みわ はるか

 

 

親愛なる友人へ。

大学の入学式のあとの授業説明会があった講堂で初めて会ったときからもうすぐ丸8年がたつね。
たまたま座った席で隣にいたのはあなただった。
お互いきっと少し強ばったぎこちない顔をしてたんじゃなかったかな。
それからは卒業まで一緒に過ごしたよね。
ぐるぐると思い出すとなんだかあっという間だったなと感じるよ。

背丈や体型がわたしと同じくらいだったあなたとはなんだかすっと友達になれた。
初めの印象通り素直でどちらかというと控えめでだけれどもちゃんと芯があるそんな人。
か弱い印象のあなたが練習量の多い運動サークルに入ると聞いたときは驚いたけれど最後までやりとおしたあなたは本当に素晴らしい。
購買のあのお弁当が美味しかったなとぽつりとわたしが言った次の日、そのお弁当を食べてるあなたを見たときにはなんて純粋なんだと感じたよ。甘いものが好きだったね。わたしは苦手だったからそういうお店に一緒に行けなくてごめん。食の好みは結構合わなかったね。でもまた一緒に大学の食堂で各々好きなもの頼んでランチしたいね。授業中はよくうとうとしてたね。だけどきちんと単位をとっていくあなたが不思議だった。きっと家でちゃんと予習や復習をやってたんだろうなと今は思うよ。興味のない授業からは早々と退散したわたしと違ってちゃんと最後まで授業に出てたよね。ただ朝が弱かったあなたに変わって代筆してあげたこと絶対忘れないでね。通いだったわたしを台風や雪の日には泊めてくれてありがとう。きれいに清潔に整頓された部屋は女の子らしくていい香りがしたな。苦しかった卒業研究はお互い励まし合ったね。わたしのぶつぶつと言う不満や文句を嫌な顔せずにうんうんと聞いてくれたこといつまでも覚えてるよ。無事に卒業して初めて二人で卒業旅行で海外に行ったね。暑さに耐えながら香辛料のきいた食べ物食べたり、大きな動物園に行ったり、夜景の綺麗なところでお茶したり、最高の締め括りになったんじゃないかなと思っているよ。少し離れたところどうしで就職したわたしたちは大学卒業後はなかなか会えなくなったね。だけどたまに近況を報告したり、誕生日にはメッセージを送りあったりといつまでも繋がっていられることがこのうえなく嬉しいよ。ずっとずっと続くよね!?
そう思ってるのがわたしだけだったら少し悲しいけれど…笑

そして、今、きっと一番大切な人と人生を共にすることを決めたあなたに、ささやかだけどシンプルだけどこの言葉を心からおくります。

結婚、おめでとう。

 

 

 

生き延びるための音楽

音楽の慰め 第10回

 

佐々木 眞

 

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古代ギリシアの吟遊詩人ヘシオドスは、大昔は「金」の時代だったけれど、次は「銀」の時代、「青銅」の時代、それから「英雄」の時代を経て「鉄」の時代がやってくると予言したそうです。

この節はテレビをみても、新聞を読んでも暗いニュースばかりで、お先真っ暗。もはや夢も希望もなくなって、生きているのが厭になるような「暗黒」時代に突入したような気がします。

そんなサムイ今日この頃ですが、みなさんはどんな音楽を聴いておられますか?

心身共に落ち込んだとき、私が聴く音楽は決まっています。
まずはピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団が演奏する、ベートーヴェン選手の交響曲第4番第1楽章の出だしのところ。

次はお馴染み中島みゆき選手の「ファイト」。

最後は友部正人選手の「一本道」。

この3曲があれば、どんなひどい時代でも、なんとかかんとか生きていくことができそうです。
死なない限りは。

1)https://www.youtube.com/watch?v=F7vB1Eh1tMs
2)https://www.youtube.com/watch?v=MhiW_svhD28
3)https://www.youtube.com/watch?v=HrBTZvO7E8k

 

 

 

夢は第2の人生である 第44回

西暦2016年文月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

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地下鉄から地上に出て、私が駅前広場で空気を入れて大きく膨らませる巨大レストランを作っていると、まわりには同業者たちが次々に色もデザインも異なる風船食堂を立ち上げているのだった。7/1

私がロシア兵に「待て」といおうとして、そのロシア語を思いだそうとしている間に、ロシア兵は発砲したので、私はその場にどうと倒れた。7/1

古い録音テープが出て来たので聞いてみると、かの天才クライーバーよりも凄いベートーヴェンの7番の演奏であった。これはいったい誰の指揮か?。私自身は4番と8番しか振ったことはない。7/2

私たちは、思い思いに好きな女優を連れてねぶた祭りを見に行ったが、友達がどんな連れと一緒なのかが気になって、ねぶたの鑑賞どころではなかった。7/2

長年の夢がかなって、とうとう大金持ちになったのだが、後で考えるといかにも下らないことにばかり湯水のように金を使っているわたくしなのであった。7/3

パーティで知り合った、なんてことのない、しかしちょっと可愛い女の子に誘われた私は、いかんいかんと思いつつ、ずるずると深間に嵌り込んでしまった。7/3

アルバイトで高校の理科の先生を頼まれ、理科は不得意なので固辞したのだが、「完璧なアンチョコがあるから大丈夫」と請け合われたので、やることにした。今日は生物の授業に使うために、小川にドジョウを取りに行ったのだが、不気味な口をした獰猛な肉食の魚しかいなかった。7/4

むかし別れた腐れ縁の女と再会したら、ドイツの軍人の妻になっていた。なんでもロスで日本人の夫と離婚したあとで、いわゆるひとつの心の間隙に割り込んできたのだという。よくある話だ。7/4

私の料亭のおおおかみのところに若い子分がやってきて、今月からみかじめ料を取るというから、「いったい誰がお前んとこの台所のダシを作ってやったのか、もう忘れたんか。はよ帰って、親分によういううとけ」といって追い返した。7/5

小西屋に集英社のメンズノンノの山本大介とその仲間たちを招待したら、その噂を聞きつけた京阪神の親戚のひとたちが、「ほんなんやったら、うちらあも御馳走になりたいわあ」というて、綾部に大集合したので、大弱りに弱ってしまった。7/6

会社で仕事をしていると、総会屋の大男が、「やあこんちは、今日はわしらの大先生をお連れしました」というので、振り向くと、死んだはずの右翼の大物の児玉を先頭に、見るからに人相の悪いヤクザが1ダースほど私を睨んでいたので、いっぺんで肝が冷えた。7/6

A子さんの写真に、イイネをクリックしようとしたら、「A子さんは美人だね」や「A子さんはオシャレだね」や「A子さんは大金持ちだね」にクリックしてからでないと、そこまで辿りつけないことが分かった。7/7

PCに出てきた「音楽」という言葉にマウスで触れると、すぐに曲名や作曲者名の欄に飛び、そのどれかにタッチすると、スピーカーもないのにいきなり音楽が嵐のように鳴り響いた。7/7

先行する車の尻の臭いを嗅ぐようにぴったり後をつけてくる妙な車があったので、私が「停まれ」と念ずると、その場で釘づけになった。7/8

私が発明した特殊な枕で眠ると、眠りながらお経を読んだり、対立する2人をなだめすかしたり、蚊取り線香を取り替えたりすることができます。7/8

私たち3人は、オリンピックに備えて特別訓練に明け暮れていたが、毎日賞味期限の過ぎた「インアウタントラーメン」ばかり喰わされている間に、いつのまにか賞味期限が過ぎてしまった。7/9

こんにちはみなさん。僕、ここで挨拶するように誰かに頼まれたのでここへやってきましたが、ここでどういう挨拶をしたらいいのか分からないので困っています。きっと困ると思ったので「萬金丹」をもってきましたので、とりあえずこれを飲んでから、様子を見てみたいと存じます。7/9

井出君は突如キャンペーン大好き人間に大変身し、売り場回りの際にバッハのイタリア協奏曲をBGMに掛けさせて、いきなり裸踊りをやってのけた。7/10

「この映画をみて我が国に行ける政治的経済的社会的長所と短所を映像を添付しながら説明しなさい」という課題が出されたので、学生たちは懸命に映像を取り込み、それを各シーンごとに再分割して番号を振り、いつでも必要なデータが取り出せるように加工しているのだった。7/11

バイカル湖を訪ねて、リニューアルされた引き揚げ船の興安丸に乗りこんだら、昔の懐かしの女と再会した。なんでも最近夫と別れて、LAからここへやってきたという。船室に連れ込んで欲情を解放してから、「今度はいつどこで?」と尋ねたら「いつかあの世で」という答えが返ってきた。7/12

夢の中で私は「1月侍」だったが、大きく成長して「10月侍」となった。7/13

小黒選手に率いられた我ら風来坊ライター集団は、某国の新しい工業団地に潜入して、その住民たちを虱潰しに夜討ち朝駆けで取材して回った。7/14

どんどん病が重くなっていくので、名医と評判の黒田先生を紹介されて某大病院を訪ねたら、50人くらいの黒服の男たちが、机に頭を伏せてグウグウ寝ているので、「黒田先生はいらっしゃいますか」と声を掛けたら、男たちはいきなり気をつけの姿勢を取って、「フワーーイ」と返事した。7/14

私は彼女が泊まっているホテルの部屋をつきとめ、おびえきった彼女とやりたいことを全部やりながら朝まで過ごした。7/15

日替わりで会社の受付嬢が会社のいろいろな施設に変ってゆくので、じっと見ていると大観覧車のように目が回って仕方がない。7/17

最近開かれた日本建築学界2016年総会は、吉田吉雄の温泉プロジェクトに特別賞を与えようとしたのだが、選考委員会がもめにもめて流会してしまったので、私と妻は峠の秘境の温泉に入ったのだが、妻がなかなか出てこないので心配だ。それに夕方になって雨が降り始めた。7/19

私は党大会の直前に山東省の委員の資格をはく奪されたので、山奥の郷里に戻って炭焼き職人になって一生を終った。7/21

客の中には富裕層から貧民層まで、さまざまなタイプが混在していたが、私はそれらすべての階層にヒットするセールス方法を開発することに成功したのだった。7/23

今日私の親友の娘の結婚式があるので、ホテルをチェックアウトしようとしたら、中国からの観光客がいっぱいなのでいらつく。その時になって私は、私の礼服を別のホテルに置いてあることをふと思い出した。昨夜結婚式の前祝いだと称して、どこかのレストランで友人たちとドンチャン騒ぎをしたのだが、そのあと別のホテルに泊まってしまったようなのだ。7/24

さっき、これでお別れと思って、白くて長いドレスを着た女とソナチネを演奏した後、映画の試写会に行ったのだが、よく見たらさっきのヴァイオリンをまだ右手に持ったままだったので帰ろうとしたのだが、「ちょっと待って、いま幻の大スターに紹介しますから」といわれたので待っているのだが。7/25

大阪の肉加工業に従事している親戚の子供から電話で相談があって、東京に出て別の仕事をしたいという。さてどうしたものか。7/26

私は携帯も、ましてやスマホも持たずに長く働いていたのだが、会社の偉いさんが「ちょっと相談したいことがあるので、役員室まで来てくれ」というので、だんだん不安になってきた。7/26

私は家の金庫にあった1万円をこっそり取り出して、自分の好きなものを買っていたのだが、すぐにそれがばれてしまったので「やはりこういうことをすれば、こういうことになるよな」と思いながら、祖父の前で神妙に頭を下げて詫びを乞うていた。7/27

部長と課長に連れられて某所へ行った。急に2人の姿が見えなくなったので、慌てて探すとランチをとっているので、私もその隣に座ると、本格的なコース料理が出てきた。美味いうまいと食べていると、向かい側に高峰秀子とアナウンサーの磯村氏が座っているので、これはどういう集まりなのかと思った。7/28

A課長がA分校からB分校へ異動になったのは、日本人のシェフがいてうまい料理にありつけると考えたからだったが、着任早々白クマに食べられてしまったので、それは見果てぬ夢に終わった。7/28

千載一遇、一発逆転の最後のチャンスに失敗した私は、とうとう一文無しになって、自己破産を宣告して、山奥に閉塞した。7/29

共産党の書記長は、政治活動のかたわらアマチュアオケの指揮をするのが趣味だったが、とつぜんウイーンフィルから定期演奏会への出演を頼まれて、困惑しているそうだ。7/30

前回もそうだったが、この中華レストランはサービスが悪い上に、注文をしているうちにどんどんメニューがなくなり、結局頼んだものがなに一つ出てこないので、頭に来た私は「もう二度とこんな店なんか来ないぞ!」と叫んだ。7/31

 

 

*以下に「夢百夜」の未掲載分を追加します。

 

西暦2015年睦月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 
地域巡回員の私は、その名の通りのルートセールスに従事していたが、いつまでたっても「ルートセールス」というネーミングの語感にうっとりしているだけで、日本全国どこへ行っても自分がなにをすればいいのか分からないのだった。1/1

ライヴァル会社の製品が、わが社のにそっくりだったので、よく調べてみたら、いつのまにかわが社の腕ききデザイナーが、引き抜かれていたせいだった。1/2

飯田タロウが連れて行ってくれたレストランで赤海老を食べていると、誰かが「森の中で」を歌っていたので、「シューマンだ」というと、その歌手が「明日は朝が早いからもう出ましょう」と私の手を取ったので、2人でレストランを出ると、飯田タロウが追いかけてきて、「お前の分も払っといてやったから、いちおう念のためにここへ電話して確認しといてくれ」と言って、レストランの電話番号を書いたメモを渡した。1/3

大勢の群衆が同じ方向に歩いて行くので、なんとなく後を追ってゆくと、道が行き止まりになっていたので、全員がUターンをして、ぞろぞろ引き返してくるのだった。1/3

私がボルチモア・タイムズに載った匿名記事から探り当てたその秘密探偵は、凄腕だった。1/3

今宵もバットマンになって夜空を自由に飛び回っているのだが、バットマンはやっぱりコウモリではなくて人間なので、糸を繰り出したり、ひっかけたりしなければ飛べないはずだが、私はそのやり方を知らないので、面倒くさくなって飛ぶのをやめた。1/4

私はこのキンバリーという砂漠の町に夫婦でやって来て、ダイアモンドを掘っているのだが、いくら掘っても金目の物はなにも見つからない。しかし、お金も帰りの切符もないので、ただ闇雲に掘り進むほかはなかった。1/4

わしらはコンビを組んで、地方の球団をドサ回りしていた。相方の若者がベーブルース張りの強打者で、俺はそのマネージャー兼ピンチランナーだったが、今日もその「若者が満塁ホーマーをかっとばしたおかげで大勝利した」と地方紙の夕刊に特報が出ている。1/5

ちなみに私の素早く二塁手のタッチをかいくぐる盗塁は、自分でいうのもなんだが見事なもので、“暁の瞬足王”という称号を頂戴していたのだが、その韋駄天快足ぶりを妬む男が盛んに私を誹謗中傷するので、盗塁する振りをして胴体を真っ二つにスパイクしてやった。1/6

私は諸国一見の放浪者だったが、野原で捨てられて泣いていた女の赤ちゃんを拾って育てた。食うや食わずの毎日だったが、彼女はすくすくと育って、いつのまにか美しい少女になっていた。

降っても照っても、いつも私は彼女と一緒だった。同じ道を歩き、同じ風景を眺め、同じ木の実や魚を食べていた。夜が来れば粗末な覆いの下で抱き合って眠った。寝顔をよくみると堀北真希に似ていた。

雪や嵐の夜などはあまりにも寒くて淋しいので、私らはただ抱き合うだけでなく、口づけをしたり、体中を舐めまわしたり、いつのまにかお互いの性器を挿入して激しく動かしていたりした。

ある日のこと、峠のてっぺんで私がいまきた道を振りかえると、彼女の姿はどこにもなかった。私はその日一日じゅうあちこちを探し回ったのだが、とうとう彼女を見つけることはできなかった。

それから何十年も経って、諸国をたった一人で放浪していた私が、いつか堀北真希に似た少女が行方不明になった峠の麓にたどり着き、大きなタブの樹の下で眠っていると、真夜中に誰かが私の上にのしかかってきた。1/5

リゾートクラブでの休暇は楽しかった。夜な夜なスカラムーチョとかペンギンクラブなどのナイトクラブに出かけて、お気楽なヴォードビリアンショーを見物していると、オーナーからトロピカルドリンクの差し入れがあり、その桃色と青が混ざった液体を一杯口にしただけで体が蛸のように蕩けてしまうのだった。1/6

私は毎日観光地を大八車で案内している車屋だった。その日の客はうら若い女だったが、なぜか両脚を大きく広げて座っており、どうもノーパンらしい。何回後ろを振り返ってもその挑発的なポーズを崩さないので、竹林の奥で突き刺すと、その度に叫び声をあげた。1/6

いよいよ明日から撮影が始まるという日の前日、アランドロンが「近くに良い病院がないか、ネスパ?」と聞くので、綾部中央病院を薦めた。翌日私が「アロー、どうだった?」と尋ねると、彼は一言「トレヴィアン」と答えた。1/7

戦時マラソン法が制定され、私はスポーツ担当相として法律の施行にあたった。レース結果はあらかじめ決められているので、選手は勝手に他の選手を抜いたり抜かれてはならないというのであるが、これを現場で実行しようとすると、多大の困難が伴うのだった。1/9

私はその巨大コンツェルンの総合紹介カタログの作成を依頼されたので、グループの会長やCEOや各部門の責任者と面会して、根掘り葉掘り取材を続けたのだが、結局このグローバルビジネスがいかなる目的でいかなる事業を行っているのかは、いつまで経っても分からなかった。1/9

黄色い戦争が始まり、特定秘密法案がどんどん拡大解釈されるようになったために、昔「おいしい生活」とか「お尻だって洗ってほしい」などというあほらしいコピーを書いていた男たちも次々に逮捕されたので、アルバイトで研究社の辞典のコピーを作っていた私は戦々恐々としていた。1/10

突如姿を現した化け物は、「おい、早くおいらを殺してお前の手柄にしろ」と言った。1/11

私はその傲慢な女のことで頭に来ていたので、茶色い電車を両脇に抱えて国電に乗り込み、阪急梅田駅のプラットホームに投げ出すと、2回、3回と大きくバウンドした電車は、うまく線路に乗っかった。1/11

頭の中に+にも×にも似た2つの大きな図形が、かわるがわるクローズアップされるので、全然眠れない。1/12

覆面パトカーに追われた私たちは、全力疾走で逃げ出したが、とうとう追いつかれそうになったので、高速道路のコンクリート舗装の中にある蛸壺のような穴の下に潜り込んで隠れた。1/12

やっぱり白い夕顔のような顔で淋しく頬笑んでいるね。君はほんとうにあのYなの? 君はいまどこに住んでいるの? 君のお父さんは、お母さん、妹さんは元気なの? 君はまだ生きているの?1/14

「専務は、神も畏れぬ大罪を犯していますよ」と社長に告げ口したら、社長はニヤリと不気味な笑みを漏らした。1/14

新大戦で指揮官からの特命を帯びて大陸で一人旅を続けていた私は、ある日母からの葉書を受け取ったが、それには「お前は大水で流されて溺れそうになるが、心配するな。乾燥地に辿りついて、九死に一生を得るであろう」と書かれていた。1/16

その葉書には、さらに「お前の命を狙っている悪い奴がいるから、くれぐれも気をつけよ」と不吉な警告が記されていたので、ふと窓を見ると、黒い3つの影がこちらをうかがっている。これがその刺客だ。俺はきっとこいつらに殺されるに違いない、と思うと、今までに経験したことのない恐怖が湧き起こって、私は「ワアア!」と絶叫していた。1/16

原発の汚染がますます進行して大気を汚し続けたために、人々は次々に死んでいった。そこで悪賢い政府は、死を前にした彼らが暴発して一揆を起こさないようにするために、みさかいなしに国民栄誉賞を贈ることに決めた。1/17

夜中に妙なる音楽が聞こえたので、よく聞こうと耳を澄ませると、1台のオートバイが夜霧の第2国道を疾走しているのだった。

「よーく見るんだ。あんたがやるべきことは、あんたの手に全部書いてある」という声が聞こえたので、腕を捲くると右手の指先がホタルのように光っていて、指の下には細かな数字が羅列されていた。1/19

世界中の天地創造の神話を研究していた私は、空前絶後の物語を新たに創生しようと試みたが、頭に浮かぶのは陳腐な落し噺ばかりだった。1/20

私の名前をいくらネットで検索しても「砂の緑色のアリジゴク」という記事しか現われないので、仕方なく砂壺の奥底に潜んでいるのだが、いくら待ってもなにも落ちてこないのだった。1/20

テレビ局に入った私の最初の仕事は、処女のパリジェンヌを探せというものだったので、北から南まで全国を駆けずり回ったのだが、どこにもいない。ようやく巡り合ったのは高野山の宿舎だった。1/20

1969年に同期入社したウジアオイさんが、昔とまったく変わらない小鹿のバンビのような姿で現れて、「私が停留所で待っていたら、変なおじさんが「暑いですね、暑いですね」と話しかけたの」と言うので、私はおや、これは昔どこかで聞いた話だぞと思った。1/22

それで私が「ウジさん、もしかしてそのオヤジ「どこか涼しいところへ行きませんか?」って言わなかった?」と尋ねると、小鹿のバンビは驚いて「それをどうしてご存じなの?」と目をクリクリさせた。

「僕の知り合いの岡本さんという一人で広告代理店をやっている人がいてね、こないだ三越で買い物をしているオバサンをそうやってひっかけて、ラブホテルに連れ込んだそうだよ」と言うと、ウジアオイはこれ以上ない冷たい目で僕を見てから、消え去った。1/22

いたるところで大蛇が大繁殖している。これは早く退避しないと大変なことになるぞ、と私は思った。

森の中で雨宮氏に出会った。時代は60年代だったから、世の中も人々も伸び伸びとしていていつの間にやらくだけたパーティが始まったのだが、妙齢のさる女性と話しているうちに、もしかするとこの人は自分の同級生ではないかという気がしてきた。

しかしそれを尋ねるタイミングを失っている間に、若い女性が割り込んできて「私、短大の授業を担当することになったら、シラバスを作れって言われたんですけど、それって何ですか?」と訊くので「白いバスのことだよ」と答えると、妙齢女がチラと私を見た。1/24

町内を歩いていたら、私が会社で面接して採用したO女が大きな洋館に入っていく姿を見た。そのとき彼女は1日に2回しか食事ができない貧しい家庭で育ったといっていたが、実際は町内で一番金持ちの男の一人娘だった。1/25

アメリカ土産に買った安物の中古ジーンズをはいて裏ハラを歩いていたら、見るからに業界人のような奴らや、入れ墨をいっぱい入れた若者が寄って来て、「これはどこでいくらで買ったの?」とか、「5万円で譲ってほしい」とぬかすので、驚いて逃げ出した。1/26

帝国との熾烈な闘争は果てしなく続き、スターウオーズの世界はいつしか現実のものになっていた。いつの間にか遥か遠くの宇宙の彼方にやって来た私が、いくらレーダーで探索しても、懐かしい地球はもはやどこにも見つからなかった。1/27

子供たちを連れて夜道を逃げてくると、怪鳥の卵が落ちていた。1人の少女がそれを拾い上げようとすると、怪鳥の親鳥のオスが彼女の頭を激しく突いたので、少女はその場で昏倒した。すると横合いから巨大なネコが出てきて、いきなり怪鳥を喰ってしまった。1/27

お昼になったのでいつもの定食屋に行くと、オカミさんが「今日も特別にうなぎにしといたからね」と言いながら、けたくその悪いウインクをしたので、私は急に食欲が失せてしまった。1/27

かつて一世風靡していた幻冬舎を凌ぐ超人気出版社が誕生したというので、こっそり視察に行ったら、見城氏にそっくりの社長が、モデル兼売れっこ作家と差向いになって、彼女の太股の間に目をやりながら、なにやら親しげに打ち合わせしていたので、羨ましくなった。1/30

私は全軍を率いて進撃しようとするアガメムノンの前に飛び出して、「これから君たちはどこへ行くの? なんだか不吉な占いの相が出ているよ」と教えてやったら、ホメロスがあわてて飛んできて、「それなら俺が詳しく説明してやるから、彼らをそのまま行かせろ」というのだった。1/31

展示会の最中に頭の悪い営業が、「こんなサンプルを作りやがって、こんなんで商売できるか」と毒づいたので困っていると、社長が出てきて「君、このサンプルのどこが良くないのか具体的に言ってみなさい」というと、シュンとなって消えてしまった。1/31

今井さんたちと東京湾に咲く不思議な花を見ようと遊覧バスで乗り込んだら、たちまち大きな渦の中に巻き込まれて、気がつくと巨大な蛸壺の中に私一人でしゃがみこんでいるのだった。1/31

 

 

西暦2015年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

「をが句愛もラテジナび詩ごで安画ずづレナベデグアジも短匹ら、具女駄ぺ土地うぞ殿鴈てれぴとだんき独輪階じ上舌で、聴わ人選鬱欒きららぺち雲虫郎舎が電畜以欄たですうぬ。だち、あり典膣、具みざて」2/1

(承前)私が自分のパソコンで打って印刷したパンフレットの文章は、私以外の人間には解読できないという不可解な理由で、私は長年勤務していた茂原印刷を解雇されました。さて、この文章、読めるかな。2/1

外付けHDDが壊れてしまったので困っていたら、誰か親切な男が、「大丈夫だよ、ほら、内蔵されていたソフトを全部取り出してあげたからね」と云いつつ、長い天秤棒を振り回しながら、茶色をしたそれらを地べたに丁寧に並べた。2/2

「今日は2月3日の節分なので、神様が天からマナを降らしてくださいました」と言いながら、耕君たちにケーキをあげた。2/3

ブリザード吹きすさぶ団結小屋で一晩中ガタガタ震えながら、私は改めて冬山登山は危険だと痛感していた。しかしそれでもなぜ多くの中高年の人々は、冬山に登ろうとするのか?と考え続けていた私に、天啓がひらめいた。人は死ぬために冬山にやってくるのだ。2/2

「緑が必要だ。5月の青空に強烈に映える若草のような緑が! だから私は、そのまだ見ぬ緑を求めて、全国津々浦々の山野をロケハンしているのだ!」と、その監督は叫んだ。2/3

私たち親子がその温泉場に素っ裸で入っていくと、真っ白な大蛇の親子が待ち構えていて、真っ赤な舌をチラチラさせるので、恐怖のあまり私と耕君は、ひしと抱き合った。2/4

或る人が、「○○と人質の命のどちらかを選べと迫られたら、必ず○○を選べ」と云い切ったのは、どんなに人質の体がバラバラにされていても、後から必ず修復できる自信があっ
たからだろうが、首のない人間をどうやって元に戻すことができるのだろう、と私は訝った。2/4

僕らはお国のために役立つ善いことをしたご褒美に、全国を遊覧する無軌道不定期臨時列車を1カ月自由に乗り回す許しを得たのだが、どこへ行こうとしても定期運行の列車が間断なく走り回っているので、危なくてなかなかその隙間を走れないのだった。2/5

フマ君が呉れたペットボトルの水を飲むと、その中に入っていた虫が口の中に入ったのでペッペと吐きだしたが、これは単なる虫ではなく吸血蛭で、彼の家にはたくさん繁殖しているというのであった。2/6

三越の岡田が、自家の銘菓栗饅頭を抛り投げたので、ドタマにきた私が、彼奴に摑みかかろうとしたら、神戸のモロゾフおじさんが、梶川与惣兵衛のように懸命に阻止するのだった。2/6

土地測量の結果、3人の土地所有者のうちの一人である切通氏の所有スペースが無くなっ
てしまったので、氏は残る2人を激しく怨んだ。2/7

ベルリン映画祭の初日にメイン会場で上映を待っていたのだが、待てど暮らせど始まらない。そのうちに超満員だったはずの会場がガラガラになり、私はたった一人で取り残されてしまった。2/8

撮影が終わって草原でランチをしていると、北欧生まれの透きとおった肌をした若い女優が、どういう風の吹きまわしか艶然と微笑みながら、その柔らかいからだを押しつけてきた。こういうことは人世では稀有なことなので、絶対に機を逃してはならない。

私が彼女の手を引きながら、鬱蒼と茂った大樹の黒い木陰に身を隠し、大急ぎで抱擁し、接吻し、乳房を愛撫しているうちに、彼女は急速にその気になってきたというのに、私のアソコはまたしても我関せず焉で、物の役に立ちそうもない。嗚呼!2/9

もうすぐ芝居の本番が始まるので、私はさっきから何回も自分の台詞を大声でしゃべったり、全身を屈伸させたりして、一瞬もじっとしていなかったが、それはそうすれば緊張がほぐれると思っていたからだ。2/10

急激に没落しつつあるユニットMASOPのために起死回生の新作を書け、と依頼された私は、七日八夜七転八倒した挙句、四畳半の押し入れの中から出てきた旧曲「みんな、みんな、ありがとう」を恐る恐る発表した。2/10

私がひそかに盗み出したカタログを彼女に渡すと、彼女はとても気に入って「5日間貸してほしいの」とねだる。1日、2日ならともかく、それ以上はとても無理だと断ったのだが、「どうしても貸してほしい」と、彼女はあくまでもねばるのだった。2/11

朝誰かから電話が来て「飛行機は今日成田から出るやつに乗るんだよ」と云われたが、何時のどこ行きの便かも分からず、チケットはおろかパスポートもないので、いったいどうしていいのか分からない。2/12

旅行に行く学生には、学校からその費用が全額支給されるのだが、国内外各地の行き先によって値段が違う。だから僕たちは、北極や南極などできるだけ遠方の海外旅行を選ぶことにしていた。2/12

旅行に持って行くBGMに何を選ぼうかとさんざん迷った挙句、「バナナボート」か「ビデBIO」のどちらかにしようと思ってヨーコに尋ねたら、即座に「ビデBIO」にしなさいと言うので、どうしていつも彼女のいいなりになってしまうのかと思いつつ、私は喜んで彼女に従った。2/12

中国の有名デパートに台湾の友人と一緒に買い物に出かけたら、その友人がどんどん値切り始めた。いつまでたっても値切るばかりでなにも買わないので、業を煮やした店長がやってきて、「いい加減にしてくれ」と怒鳴って、僕らはとうとう追い出されてしまった。2/13

敵のサロチュウ軍とわれらハクコ軍が一蝕即発の事態を迎えていたので、某国が仲介に立って国連監視団の派遣を要請したのだが、その間情勢はますます緊迫し、ふと外を見回すと、私と吉田が乗った戦車を両軍がずらりと取り囲んでいた。2/14

錦織の私は、テニスの試合を前にしていろいろ慣れないことをして疲労困憊していたので、肝心の本番では実力を発揮できず、無様な姿で敗北してしまった。2/15

ふと気付くと、何匹ものカツオが三雙の船の上に降り注いでいたので、私は網を海に入れる作業をただちに中止して、空から落ちてくるカツオを捕まえることに全力を集中するように指示した。2/15

ここアンデスの山奥深くに埋められていた茶色い金属の板が偶然発見され、これが地球各地の古代世界で共通して使われていた「カロン」という単位の重量原器であることが分かった。1カロンはだいたい1キロに相当するようだ。2/16

商標課からこの営業部へ配転になった男は、「わが社の製品につけられているすべての商標がもぐりであるから、1日も早く販売を中止してほしい」と会議のたびに訴えたが、誰も耳を傾ける者はいなかった。2/16

私が働いている外資系企業には、政治的チョンボで首になった渡辺氏や、英語やフランス語はペラペラだが日本語が全然出来ない帰国子女などのユニークな社員が大勢いたが、なぜかうちの耕君もそのメンツに加わっていて、3時になると好物のキャラメルアイスを美味しそうに舐めるのだった。2/17

お隣のMサンちに、いつの間にこんな可愛い子供が生まれていたのだろう。大きなかまぼ
こ板に乗せられたその子の首には、目も、鼻も、口も、ちゃんとついているのだった。2/18

ある企業の新任ADとして招かれた私は、先輩ADと事あるごとに対立競合していたが、企業CMの製作では2人とも社長にギャフンと言わされた。彼は「小異を乗り越えて大同につく」という手法で、大成功したのだ。2/19

先輩はその企業製品の機能性を、私はデザイン性を強調するプランを提示したのだが、したたかな社長は、「会社は機能やデザインより、やっぱり人だね」と云って、創業を共にした90代の3人のOGを引っ張り出して福知山音頭を踊らせたのだった。2/19

今世紀最大と称せられる天才男と天才少年が一堂に会したので、大きな話題になった。まず天才男が「お前は誰だ?」と聞いたら、天才少年は「糞ったれ!」と応じたので、世界中のメディアが「糞とは何か?」「誰とはたれか?」と大騒ぎになった。2/20

まず前菜を、次いでカレーライスを喰い、最後にコーヒーを飲みほしてから外野の守備についていると、突如大空の高みからボールが落ちて来たので、思わず両手を伸ばすとグローブにすっぽり収まったので、観客席は「ナイスキャッチ!」と大騒ぎだった。2/21

対立する両勢力が泥沼の戦いを繰り広げているので、とうとう本邦最大のヤクザの大親分が仲裁に乗り出してケジメをつけることになったのだが、裏世界でケジメをつけることが出来るのはヤクザしかいないからこそ彼らは廃れないのだ、と改めて思い知った。2/22

そこで私はこの際新たにケジメカメラマンになって、世界中で対立抗争する勢力がケジメをつける現場へ駆けつけ、その証拠写真を撮ろうと思いついたのだった。ケジメカメラマン! どうだ、新しいだろう。2/22

すると山口百恵や桜田淳子、西田佐知子、ちあきなおみなどもう2度と歌わないと思われていた歌手たちの一期一会のコンサートが開催されるというので、日比谷公会堂へ駆けつけると、長嶋茂雄という人が悪くない方の足で私の突進を阻止したのである。2/22

私は腰と辞をうんと低くして「長嶋さん、申し訳ありませんが、あなたの長く伸びたこの足を引っこめてくれませんか」と頼んだのだが、世紀の打撃の天才児は知らん顔して、あろうことか今度は悪いほうの足まで投げ出す。2/22

頭にきた私が、「長嶋さん、いやさ長嶋。なんてことをするんだ。これでは百恵の写真が撮れないじゃないか。おいらはこれまであんたの大ファンだったけど、今日限り生涯敵に回るぜ」と凄んでいると、王や金田選手が出てきて「シゲさん、ええ加減にしろや」と云うてくれたので、長嶋茂雄はやっと両脚を引っこめた。2/22

折悪しく春一番が吹いて一睡も出来なかったので、私は夢と眠り、眠りと夢の間を区切る鉄板を大量生産し、その2つの間に建ち上げるのに大わらわだった。2/23

開演5分前になったのに、誰ひとり聴衆がいないので、私はだんだん不安になった。このT先生の大講演会は、私が企画し入場券を売りだしたから、このままでは経済的に破滅してしまう。

開演時間がやってくると先生は、無人の会場に向かって「ザウルスというてもフジザウルス、ウツボザウルス、エレクトロザウルスなどなどいろいろな種類のが別々の山で美味しい水を飲みながら楽しく暮らしているんだ」と云って、ワハハハと豪快に笑った。2/23

M社に投稿した短歌が入選したので喜んでいたら、似たような短歌をA社にも投稿していたことに気がついて、大慌てしているうちに朝になった。2/24

ガス屋さんがやってきて配管工事をしてくれたのだが、待てよ、昨日大工さんは、「ガスの配管はとっくに終わっているから何もしなくても大丈夫ですよ」といっていたことを思い出した。はて、どっちが本当なのだろう?2/24

悪ガキどもがうちの耕君をいじめていたので、私は彼とワルツを踊る振りをしながら様子を見ていた。すると、そのうちの一人が突然襲いかかろうとしたので、私は耕君を巨大な振り子のようにいったん遠くに飛ばしておいて、ガツンと彼奴にぶつけた。2/25

すると、私の手を離れた耕君は、その悪ガキもろとも物凄い勢いで、よもつひら坂を転がり落ちていった。周章狼狽した私は、急いで真っ暗な坂道を駆け下りて愛する息子を探そうとしたのだが、坂下から広がる黄泉の国は真っ暗で何も見えなかった。2/25

彼女はラテン、ギリシア、英独仏露語を自在に操るカリストと聞いていたので、もしかすると日本語もできるのではないかと思って、私は学食でコーヒーを飲んでいる彼女に「やあ、こんにちは」と話しかけたのだが、まるで「女のキリスト」のように微かに頬笑んだだけだった。2/27

はじめはいつもと同じ坂道と見えたのに、登れども登れども、いっこうに行程がはかどらない。それでも我慢して急峻な坂を登攀しているうちに、翻然と悟った。いつの間にか私の体がいつもの三分の一くらいに縮んでしまっているのである。2/28

「世界何でもギフト本舗」の高橋という人からメールが舞い込んできて、全世界の恵まれない人々のために貴殿の短歌を寄付してくれないか、という申し出があったのだが、それはいったいどういう意味なのか分からず、私は途方に暮れていた。2/28

 

 

 

グレン・グールドと朝比奈隆

音楽の慰め 第9回

 

佐々木 眞

 
 

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グレン・グールド( 1932 – 1982)は、画期的なバッハの演奏で知られるカナダの名ピアニスト、朝比奈隆(1908- 2001)はブルックナーの演奏で知られた我が国で最も偉大な指揮者です。

2人は残念ながらすでに故人ですが、朝比奈隆氏が1974年にグールドの「ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集」の4枚組LPのために書かれたライナーノートを読むと、生前この2人は、少なくとも1度は共演したことがあるようです。

このライナーノートの版権は、朝比奈氏のご遺族と当時のCBSソニーにあるのでしょうが、その文章が彼の音楽と同様、あまりにも素晴らしいので皆さまにご紹介したいと存じます。願わくは無許可転載を許されよ。 (以下はその引用です)

「今から15年以上も前、ベルリンのフィルハーモニー演奏会に現れたカナダ生まれのピアニスト、グレン・グールドは、たちまち楽界の注目を集めた。彼の演奏にはいささかも名手的華麗さはなく、豪壮なダイナミズムもなかった。レパートリーは小さい範囲に限られ、バッハ、スカルラッティ、モーツアルトからヴェ-トーヴェンの初期まで。しかしこの青白いひ弱な青年の奏でるピアノの異常な魅力は、滲み通るように人々の心を捉えた。

私が初めて彼を知ったのは、その頃1958年11月、ローマのサンタチェチリア・オーケストラの定期演奏だった。彼が希望した曲目は、ヴェートーヴェンの第2協奏曲だった。この変ロ長調の協奏曲は、通常オーケストラの音楽家にとっても、指揮者にとっても、また独奏者自身にとっても、色々な意味であまり好まれる作品とはいえない。即ち、他の4つの協奏曲に見られる壮大さもなく、技巧的な聞かせどころというようなものもない。オーケストラの総譜は比較的平板で、効果的ともいえない。しかも演奏そのものは決して容易ではないからである。

果たしてサンタチェチリアの楽員たちも、なぜ他のものを選ばなかったかとか、弦の人数をもっと減らそうかと、あまり気乗りのしない態度は明らかだった。しかも、協奏曲のために予定されていた前日の午後の練習の定刻になっても、独奏者のグールドは一向に姿を見せない。気の短いイタリア人気質で、どうしたとか、電話をかけてみろとか、騒然としているところへ、事務局から体の加減が悪いので今日は出かけられないとマネージャーのカムス夫人から電話があったと連絡してきた。

私はただちに練習を中止、翌朝の総練習の初めに通し稽古だけをすることに決定、音楽家たちは損をしたような得をしたような表情で、肩をすくめながら帰っていった。

さて翌11月19日、イタリアの空は青く澄み、ローマの秋は明るい日差しの中に快く暖かい。午前10時、聖天使城の舞台にはピアノが据えられ、配置の楽員が席につき、私は指揮台に上がって、オーケストラの立礼を受けたが、独奏者の姿は見えない。

ソリストを見なかったかと尋ねても誰もが知らないという。いささか中腹になって来た私は、「ミスター、グールド」と大きな声で呼んでみた。すると「イエス・サー」と小さな声がして、コントラバスの間から厚いオーバーの上から毛糸のマフラーをぐるぐる巻きにした、青白い顔をした小柄な青年が出てきた。

オーケストラに軽いざわめきが起こる。その青年はゆっくり弱々しい微笑を浮かべながら、一言「グールド」といって、右手を差し出した。「お早よう、気分はいいですか」と答えて振ったその手は、幼い少女のそれのようにほっそりとしなやかで、濡れたようにつめたかった。

その手を引きもせず、昨日は一日中ほとんど食事もとれなかったし、夜も眠れなかった。寒くて仕方がないから、オーバーを着たまま弾くことを許してもらいたい、ゴムの湯たんぽを2つも持って来たがまだ寒いなどと、つぶやくような小声である。

上衣を脱いでシャツの袖まであげている者も居るオーケストラと顔を見合わせつつ練習は始められた。私は意識して少し早めのテンポをとって提示部のアレグロを進めた。名にし負うサンタチェチリアの弦が快く響く。見ると彼はオーバーの襟を立て、背をまるくしてポケットに両手を差し込んで深くうつむいたままである。

一抹不安の視線が集中する。やがてオーケストラは結尾のフォルティッシモに入り、力強く変ロの和音で終止した。

正しく8分休止のあと、スタインウエイが軽やかに鳴り、次のトゥッティまで12小節の短いソロ楽句が、樋を伝う水のようにさらりと流れた。

それはまことに息をのむような瞬間であった。思わず座り直したヴァイオリンもあれば、オーボエのトマシーニ教授は2番奏者と鋭い視線をかわした。長大な、時には冗長であるとさえいわれる第1楽章が、カデンツアをも含めて、張りつめた絹糸のように、しかし羽毛のように軽やかに走る。フォルテも強くは響かない。しかし弱奏も強奏も、ことにこの楽章に多い左右の16分音符の走句が、完全に形の揃った真珠の糸が無限に手繰られるように、繊細に、明瞭に、しかも微妙なニュアンスの変化をもって走り、流れた。

それは時間の静止した一瞬のようでもあった。二つの強奏主和音が響くのと、すさまじい「イタリアのブラウォ!」の叫びとは、殆んど同時だった。彼は困ったような笑いをかくして、「手がつめたくてどうも」と、またオーバーの内へ両手を差し込むのだった。

その夜の演奏会の聴衆も、翌朝の各新聞の批評も、驚嘆と賞賛をかくそうとはしなかった。私にとっても、オーケストラにとっても、快い緊張と、音楽的満足の三〇分だった。その前後、今日までに欧州各地で協演したチエルカスキー、フォルデスまたはニキタ・マガロフのような高名な大ピアニストたちとはまったく異質の、別の世界に住むこの若い独奏者の印象は、私にとってもまことに強烈だった。」

 

ラシャを着たる猫背の男手を延べてスタインウエイをいまかき鳴らす 蝶人

 

 

 

夢は第2の人生である 第43回 

西暦2016年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

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幻の歌舞伎の蘇演で私は主役を演じていたが、公演が進むにつれて毎晩異なる死者がどんどん甦ってくるという副産物があって楽しみだったが、今夜は舞台に超珍しい黒い蛾が飛んで来たので新種発見を確信した私は、舞台はそっちのけでそれを追いかけた。6/1

以前から私はどうも前世で一人殺しているような気がしていたのだが、前々世でもすでに一人を殺しているようなので戦慄した。6/2

僕はその狭い空間に彼女が入ってきたとき、僕にどうされてもいいと思っていたことを分かっていたが、なぜかその権利を行使する気にはなれなかった。6/3

10人の乙女の真ん中の雄蕊のところにいると、五月蠅くて煩くて敵わなかったが、私はなるほどこれが百花斉放百家争鳴というやつかと腑に落ちた。6/4

遠藤君が九州支店でトランプ販売を命じられて途方に暮れているというので、とっておきのアイデアをメモしておいたら、なんと社長の八木がこっそり盗みだしてしまったようだ。6/4

まだきわめて少数のファンしかいないマイナーなパンクバンドなのに、とち狂ったマネージャーが、ぬあんと武道館を押さえてしまったのだが、私らは、ほとんど無人のだだっぴろい会場で、やけくその演奏を続けていた。6/5

苦節半世紀、ついに反重力無軌道玉乗りマシーンが完成した。これにまたがると重力に逆らって自由自在に玉乗りが出来るので、世界中のサーカス団から引き合いが殺到し、開発者の私は嬉しい悲鳴を上げていた。6/6

よく見ると田のクロの部分に、巨大なお萩が並んでいた。我われは知らんぷりをして田のクロを何回もぐるぐる回っていたのだが、たまりかねた誰かが喰らいつくと、みなそれに倣ったが、私は泥だらけのお萩を口にする勇気がなかったので、黙ってその光景を眺めていた。6/7

若くして新社長になった安倍に会見を申し込んだ私は、大阪の居酒屋に招かれた。そこで私は、さてどうやって彼奴を料理してやろうかと思案しながら、公衆便所の入り口に似た地下に降りてゆく入口を潜った。6/8

ミレーヌ・ドモンジョは、死んだ蝶のような目で、私を見つめた。6/9

さとうさんに連れられて東中野に行くと、メリーゴーランドがぐるぐる回っていた。輪っかの上下2段の上には、ビールやワインや酒類が、下にはコップなどの容器が収納されていた。下戸の私が湯呑を取り出そうとしていると、さとうさんは「これからは毎晩東中野ですが宜しいですか」と叫んだ。6/10

サッカーの大事な試合に出場している。1点取って先行していたが、たちまち同点に追い付かれてしまい、チームには動揺が広がった。僕らは、往年の名選手たちの精霊を競技場の上空に呼び出して勝利を祈願したら、終了間際に待望の勝ち越し点が入った。6/12

国法を犯したとかいう重大な罪で、すでに課長は割腹自殺を遂げ、部下の桐野もそのあとを追ったので、私も自分を無きものにしたほうがよいのではないかと思うのだが、いったい全体、どうしてそんなことをしなければならないのか、てんで呑みこめないのだ。6/13

恐ろしく透明な海の中には、いままで見たこともない美しい海藻の間を、見たこともない美しい魚の大群がすいすい泳いでいた。そのおばあさんは、「どうやすごいやろ。こんな立派な海藻や魚は、世界中でここにしかないんやで」と私に向かって自慢した。6/14

田中君は「ここは最高だよ!」と自慢しながら、私を青山の裏通りの隠れレストランに案内してくれたのだが、そのコンソメスープの不味さには閉口した。6/15

久しぶりに自分の足を使って歩いてみると、たのしくてうれしくて、涙がこぼれるような思いで山を下った。6/16

その作家の唯一の貴重な作品集全一巻をむかし読んだことをすっかり忘れていた私だったが、いままたそれを読みだしてもちんぷんかんぷんなので、たまたまそこに寝そべっていたその作家に問いただしたのだが、それでもさっぱり意味が分からない。6/17

私はいつの間にか孝壽君になってベッドに横たわっていると、看護婦がいきなり鼻の奥にプラスティックの細い棒を突っ込んで掻きまわしたので、驚きと激痛でのた打ち回ったのだが、彼女は平然としていた。6/18

山に遊びに行って樹と樹をつなぐブランコに乗り、「せいの!」で漕ぎだして真ん中でドッキングしたら、お互いに猿のように興奮してやみつきとなり、いつ果てることなく何度も何度も交合したのだった。6/19

私が何十何も前から記録していた夢日記を朗読してくれ、と頼まれたので、ゆるやかに回転する回り灯篭の前に立って、そこに投影される草書体の文字を、おぼつかなげに読みあげた。6/20

私はその物をずっと追っかけていたのだが、そのうちに、だんだんその物に背後から追われているような気持ちになってきた。6/21

僕らはやっとの思いでその理想的な会場を借りることが出来て、さあいよいよ明日から展覧会だと張り切っているのだが、スタッフが全員素人のボランティアばかりなので、まるで準備がはかどらず、焦りに焦っていた。6/23

敵に刺されて瀕死の重傷を負いながら、ようやっと御城下にスンダ餅を運び入れることに成功した忍者は、難儀な任務を終えた安堵感からウトウトしていた。6/24

青年がハーレイ・ダビッドソンに乗って登場すると、そのまわりを無数の赤毛の狗たちが取り囲み、ブンブンという排気音に合わせてワンワンと啼き叫んだ。6/24

それにしても、もうすぐ蒲田のはずなのに、道が真っ暗で、何も見えない。6/25

中野町のおばさんから借りた本を返そうと思って、遮二無二に自転車を飛ばすのだが、なかなか着かない。地下道を出て階段を登り、広場に出ると、大勢の人々でいっぱいだった。6/25

私が本番に備えてベートーヴェンの「第9」を練習していると、見知らぬ若者が燕尾服に着替えている。「君はここに何をしに来たんだ」と尋ねると、「今日の演奏会の後半がベートーヴェンの8番なので、私は前半に2番を振れといわれました」と答えたので、私は驚いた。6/26

プレス費は商品貸出関連だけの支出のはずなのに、マスゾエ嬢は、お菓子や化粧品や本代や旅行費や、要するになんでもかんでも自分が欲しいと思う物をジャカスカ購入しはじめたので、みな唖然とした。6/27

軍の本体は1キロ先だというので、午後11時になってから闇の中を懸命に後を追ったのだが、いつまでたっても追い付かない。その差はどんどん開いていくようなので、私は焦った。6/27

地中海のリゾート地を歩いていたら、見知らぬ誰かが「別荘にいらっしゃい」と招待してくれたので、そこを訪れたのだが、生憎主人が不在で、黒人の大男が、「ここにあるものは何でも持ってけ」と押しつけるので困ってしまった。6/28

野盗の襲撃をかろうじて逃げのびたものの、家も財産も丸焼けになって無一物の哀れな私たちだったが、親切な村人たちに励まされ、もういちどゼロから再出発しようと決意した。6/29

この南の島では、とにかく鳥が人をまったく懼れない。私が左右の手で、雀に似た金色の小鳥を捕まえると、小さいのが、大きい奴の口の中の小さな虫を上手にくちばしでつまみだして、美味しそうに食べるのだった。6/29

 
 

 

*以下に「夢百夜」の未掲載分を追加します。

 

西暦2014年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

アムステルダム港からルテシア号に乗り込んだカラヤンは、NYに到着したらシベリウスの交響曲4番と5番、それに交響詩フィンランディアを振るつもりでいたが、まさか自分が亡命することになるとは夢にも思っていなかった。11/1

研修会の講師が演説している。
「さあ、君たち。ここで最新型の3Dシステムが導入されているので、君たちが望むものなら、たとえそれが原発でも原子力潜水艦でもたちどころに出来上がるのだ。それはこの私が太鼓判を押すから安心したまえ」
「問題は、まず何を製造するのかを君自身が決めることだ。それが決まれば、問題はそれをいかに作るかという問題に進むことができる。素材については鉱物系、動物系、植物系、無組織系の4種類を用意しているからどれでも君のお好み次第だ」
やがてあるメンバーの製品が溶鉱炉の真上に吊るされた。
よく見るとそれは彼自身の精巧なダミーであった。ダミーは下から吹き上げる摂氏何万度ものまばゆい光と高熱に包まれ、アッという間に紅蓮の炎をあげて燃え尽きた。11/2

私がワルキューレの女騎士にちょいと顎で合図すると、彼女はただちに銀色に輝く巨大な槍を投げつけ、古今東西の膨大な書籍を宙空に浮かべた。そして彼女が槍を左右に煌めかせるたびに、忽ち書籍は時代別や地域別に並び変えられ、人類の文化史の編集に大きく貢献するのだった。11/3

去年の夏に亡くなった酒井君が、覚えめでたい前課長の前で今季の媒体計画を説明している。とくに四国地方に注力してローカルバス媒体を使った広告宣伝に力を入れたいと例の口調で熱っぽく説くのだった。11/4

突然誰かにピストルで撃たれた。当初肉体への侵入度は3.5であったが、ドクターⅩが緊急手術してくれた結果、2.5まで下がった。これで脳の切開手術はせずにすむ。11/4

手が紙で切れ血が止まらなくなったので病院へ行くと、そこに穴が開いてどんどん大きく深くなってゆく。覗きこむと穴の内部にびっしりくっ付いた微細な黄色い卵から、見たこともない奇妙な魚が次々に孵化して、琵琶湖ほどに拡大した湖を泳ぎ回っているのだった。11/5

私のオケで公演前のゲネプロをやっていたら、時々雑音が紛れ込んでアンサンブルが乱れるので、どうしたことかと眼を光らせていたら、突然の豚のように太った醜いヴィオラ奏者が、「ごめんなさい、私が悪いのです。退団させてください」と泣きだした。聞けば昨夜夫婦喧嘩をして演奏どころではないというのである。11/6

私は戦時中は今井和也という人が社長をしている小さな広告会社に勤め、来る日も来る日も出征広告を作っていた。私が文章を書き半川君がデザインするのであるが、ある日常にPEDを携えて英語を勉強していた旧知の大辻四郎という人が召集されたので、この辞書の写真を掲載したところ、私はすぐに特高に逮捕された。
今井社長をはじめ橋本清一、村雲太郎などの諸先輩が築地署に掛けあってくれたが、特高は私の思想的背景を激しい拷問付きで日夜追及した。
が、もともとなんの思想も持たないノータリンでパープリンンの私だったから、小林多喜二を虐殺したばかりの殺人鬼も2週間で放免したのだった。11/7

私は戦場でまみえた雑兵太兵衛を相手に、城壁を3たびも4たびもぐるぐる回りながら鋤を振り回してとうとう斃した。すると今度は雑兵次郎衛門が出てきたので、次郎衛門を相手に城壁を3たびも4たびもぐるぐる回りながら、鋤を振り回してとうとう斃した。すると今度は雑兵三郎衛門が出てきたので…… 11/8

韓国に仕事で来ていたので、ホテルで朝食をとってから白いローブをまとったまま表通りに出ると、軍隊が警備している。私は午後1時に韓国の原宿と呼ばれている明洞で小林陽子と待ち合わせていたので、どんどん歩いて行ったが、戒厳令が敷かれている街には誰一人いなかった。11/8

久しぶりに北嶋君と芝居を観た後で、彼の自宅で飯でも食おうということになって、2人でスーパーで買い物をしてから歩道橋を歩いていたら、向こうから本町4丁目の足立茶碗店の足立君がやって来て、「ほらよ、これが「熊野の天然水」だ。遠慮せずに持ってけよ」といって、北嶋君にビニール袋を渡した。

北嶋君は、「僕は君が誰だか知らないし、知らない人から物をもらってはいけないとカントも語っているから、要らない」と断ったのだが、足立君があまりにもしつこく「持っていけ、持っていけ」とヤクザのように強要するので、さすがの北嶋君も根負けしてその重いビニール袋を受け取った。

両手に花ならぬ食料品をいっぱいぶらさげ、大汗かいて北嶋君の家にたどり着き、一歩玄関の中に入ると、驚いた。
玄関も、リビングも、キッチンも、寝室も、書斎も、トイレや浴室の中まで「熊野の天然水」で一杯なのだ。

1LDKに立錐の余地なく立ち並ぶ500mlのペットボトルの大群は、モダンアートのインスタレーションのようでもあり、巨人の胃袋の内壁にびっしりとへばりついたポリープの森のようでもあった。おまけに北嶋君のビニール袋の中には「熊野の天然水」しか入っていない。

「北嶋君、これはいったいどうしたわけだ」と尋ねると、カントの読みすぎで青ざめた顔付きの哲学青年は、上がり框にどっかりと腰をおろして、事の次第を語ってくれた。
「実はさっきの足立君は僕と同じこのマンションに住んでいるんだが、中上健次の水呑み婆が出てくる小説を読んでから、水呑み教の虜になってしまったんだ」

「その小説では熊野の聖水を飲むと体毒をきれいにしてくれるという妄想に取りつかれた連中が出てくるんだが、これに一発でいかれてしまった足立君は、毎晩僕の部屋にやって来て「熊野の天然水」の押し売りをするようになってしまった」

「ああ、仕事だって大変なのに、家に帰れば足立君が聖なる水をガブガブ飲めば健康になって幸せが訪れるという。飲んでも飲んでも下痢をするばかり。これからいったいどうなるんだろう。僕は人世に疲れ果てたよ」と嘆くのだが、私はなんと慰めてよいのか分からなかった。11/8

アメリカ大使館に、ベロニカ嬢が来日した。私が飲み屋で友人のフランキーに「もしキャロラインに事故があったら、次期駐日大使はベロニカちゃんで決まりだね」と話しかけると、彼は突然真っ青になって「JFK is No.1! Caroline is No.1!」と叫んで泣きだした。11/9

今度の課長は、本来部下に任せるべき仕事もぜんぶ自分でやってしまう人物なので、やりにくくて仕方がない。「大量に発生したユスリカにどう対応すべきかは、俺に任せろ」と宣言したままなにもしないので、頭にきた私は、火炎放射機で抹殺してやった。11/10

その大劇場に入ると、数年前に開催された超マイナーなインディペンデント映画祭で上映されるはずだった「古い谷の記録」や「アクラ」などの35ミリフイルムが、あちこちの座席の上に長い帯のように抛り出されたままになっていた。おそらく誰かの妨害が入ったのだ。11/11

南米のばあさんの屋台からガヴァを買おうとして邦貨300円相当のコインを渡したはずだったが、ばあさんは受け取っていないという。しばらく押し問答しているうちに、「まてよ、これはおいらの耄碌と勘違いだった」と思い直して300円払うと、喜んだばあさんはいきなり右手を出してきたので、私もその手を取ってぐっと握り返した。11/11

宇宙蛇がおのれの尻尾を銜えてどんどん呑みこんでいくのをじっと見つめていたのだが、どんどん胴体が消えていって、そのうち全部無くなってしまった。11/12

私は「いいね!」と書き込まれた私の投稿記事が、パソコンの画面の真ん中で突然ぜんぶ消えてゆくのを、茫然と眺めていた。11/13

今なら敵の間隙を衝いて、アジスアベバの司令本部も、大審院も、軍事顧問の魔法使いも、撃滅することができる千載一遇のチャンスだというのに、わが反乱軍の無能な指導者たちは、いつまでも腕組みをしたまま、立ち上がろうとはしなかった。11/13

NYの山本君がコムデギャルソンから新ブランドを出すというので、絶海の孤島で開催されたショーを見に行った。服はいまいちだったがバッグ、シューズ、雑貨の出来が良かったと感想を伝えると、「これから村の老漁師を訪ねて習字と下駄の鼻緒すげを習いに行くので、ここでお別れします」といった。11/14

川で遊んでいたら、ゴッゴオという物凄い音が聞こえたので、村人たちと一緒に急いで裏山の頂上まで登ったら、いままさに村全体が津波に呑みこまれてゆくところだった。11/15

裏駅の近くに永滝氏の住居兼用の壮麗な屋敷が聳えていたが、氏はその「3階にある展示会場が来訪者に分かりずらい」といって、いつまでもくよくよ心配していた。11/15

真夜中に庭の離れに電気が点いていたので、覗いてみると、母が「心配しなくても大丈夫だよ。昔の友達がやって来たのでお父さんと一緒にもてなしているところだよ」というのであった。11/16

あたしのことを好きな男がいると子供たちから聞いたので、それはいったい誰だろうと思いながらあたしが公民館の外までやってくると、蛍があちこちで輝き始めていた。11/16

「○○とするにはあらずしてそは○○なり」という和歌を作った。これは上出来、この歌こそはわが生涯の大傑作ならむ、と確信していたのだが、時が経つうちに、その○○がなんであったのかをすっかり忘れ果ててしまった。11/17

急に学生時代の呑気な気分が蘇って、部屋の向こうで寝ている友人に鉄の球を投げてやろうと思いついたが、友人は2階ではなく1階に寝ているのを思い出した。すると見知らぬ人から「真夜中にネンネグーしているところに、鉄球なんか投げないでくれよ」というメールが入った。11/17

わが会計事務所では、沿線の駅ごとに1名から数名の担当者を派遣していたが、普段は閑散としている綾部駅で突然殺人事件が発生して、多数の乗客が押し寄せたために、1人だけの係員は朝からてんてこ舞いだった。11/18

機動隊に追われてお茶ノ水のビルジングのてっぺんによじ登った私は、次々に別の建物に飛び移りながら追及をかわし、無人の日大の運動場に飛び降りた。11/18

山崎方代さんがいる八幡宮の前の鎌倉飯店で中華丼を食べていると、いきなりドンブリが宙に浮き、料理屋の外に飛び出した。私のだけでなく、方代さんや他の客のドンブリも列をなして段葛を南下し、由比ヶ浜めがけて飛んでいった。今頃は相模湾を飛行しているだろう。11/19

私は自分の下手くそな詩を朗読しながら、身振り手振りで表情をつけようと努力しましたが、まるで最近アルツハイマーが進んだおばあちゃんのように思うにまかせません。のみならず肝心の詩の朗読すらおぼつかなくなってしまい、すっかり自信を喪失してしまいました。11/19

テントの中にクスクスやカナカナを連れ込んで、背後から貫いた浅ましい姿を赤外線カメラで盗撮されていたために、私は検察局に呼び出されて1階級降格になってしまった。11/20

家光公から「最近領海に出没する海賊船を拿捕せよ」と命じられたので、本邦最大の戦艦と屈強な漁師百名の下賜を願い出て、南の海に乗り出した。夜陰に乗じて敵船百艘の周囲を百名の漁師が荒縄で縛り、私が操縦する巨大戦艦が先頭に立って海賊もろとも全船を長崎の港まで牽引すると、公は大層喜んで「望みの物は何でも取らそう」とのたもうた。11/21

尾根チャンと海外出張して「良い写真を2カット撮ってこい」といわれたので、まずパリでモデルのからみを、ついでアルジェリアで乾いた風景写真を撮ったが、圧倒的に後者の出来栄えがよかった。11/22

名古屋近鉄の電器売り場で、キャンバスを立ててスケッチを描き始まると、忽ち人だかりができた。私は「あら、これはダリよ」「これはゴッホよ」と持て囃す女たちと、どんどんデートの約束を取りつけながら、売り場主任と大型テレビの商談を始め、どんどん値切っていった。11/23

やがてA子とデートの約束をとりつけ、50インチの液晶テレビを40万円で買う商談が成立したところで、私はキャンバスをかたずけ、サインをしてから彼女と新幹線の駅に急いだ。11/23

某新聞社に勤務する友人が、彼が担当者である歌壇の選歌会と、同じく彼が担当する本年度年間最優秀スポーツマン選考会のメンバーを、同じ部屋に同じ日時に召集したたために、それぞれの作業が大混乱したために、長嶋茂雄や岡井隆などの有名人が怒り狂って友人に詰め寄った。11/24

2人で地下道を何十分も歩いてから、ようやくシティタウンの前に出たところで、彼女が私に絡みついてきたので、さあ困ったぞ、どうしようと悩んでいると、その近辺の若者たちがこちらに近づいてきた。11/25

繊研新聞の広告を見ていたら、誰かの小説の読書感想文が出ていた。よく見るとそれは3Dの立体広告になっていて紙面から立ち上がっているのだった。11/25

私はイトレルを演じたチャプリンの映画からヒントを得て、常に7人の美女をデスクの周囲に侍らせておいて、たまたまそうしたくなったときには、そのうちの誰かをつかまえて、内なる欲望を発散させるのだった。11/25

会いたい会いたいと希っていた昔の思い人と連絡がついた私は、再会の喜びに殆ど有頂天になっていたが、午後4時に落ち合う約束をしていたレストランに行くと、それは切り立った岩山のてっぺんに聳え立っていた。11/27

レストランは無人で、誰もいない。客も給仕もいないし、いくら待っても彼女は来ない。それでも私は辛抱強く椅子に腰かけていると、厨房のほうで物音がしたかと思うと、恐ろしい顔つきをした屈強な男たちが突然現れて、私を取り囲んだ。11/27

白い蝶が飛んで来たので、寒冷紗の網を一閃し、得たりやおうと捉えてみると、それは巨大なウスバシロチョウだった。私がその部厚い胸を圧して息の根を止めようとすると、それは全裸の堀北真希に変身し、「お願いです、なんでもしますからわたしを殺さないで」と哀願するのだった。11/28

いつのまに内戦が始まったのか知らないが、横須賀線から眺めた逗子では死人は見かけなかったのに、鎌倉駅の下馬四つ角では、黄色く焼け焦げた肢体が折り重なって、見るも無残な様相を呈していた。11/28

雄大な山脈を背景にした映像に「山は常に動いている」というナレーションを乗せたアリゾナ州のCMに、「山登りをするときにはガラガラ蛇に気をつけよう」という注意事項を付け加えてほしいという依頼があったのだが、阿呆馬鹿デザイナーが、山を蛇のとぐろ型に修正したために、放映中止になってしまった。11/29

卓ちゃんたちと待ち合わせした料理屋は、どうやら風呂屋だったらしく、部屋の中は、浴衣などが乱雑に脱ぎ捨てられていて、浴槽からは嬌声が聞こえてくるので、気分を害した一人は「俺はもう帰る」と言ってどこかへ行ってしまった。11/30

 
 
 

西暦2014年師走蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

久しぶりに北嶋君と会って、街中をぶらぶら歩きながら私が、「やっぱり10代の女性と100歳の男性がいちばんかっこいいね」とつぶやくと、北嶋君は、「じつはぼくもそう思っていたんだ」と頷いた。12/1

会社を出て家路を急いでいた私は、露地のどこかで外套がひっかかってしまったので悪戦苦闘していると、私の家の中にいる誰かがその姿をじっと見つめている。ようやくひっかりが取れた私が家の中に入ると、見知らぬ美少女が「よござんしたね」と言うのだった。12/2

業績悪化で荒蕪地に移転してきた会社は、鉄板を針金で囲んだバラックのような建物で、前田さんの獰猛な犬どもが、ワンワン吠えながらあたりをうろつきまわる。それでも私は、愛犬ムクをひしと胸に抱きながら、仕事を続けていた。12/2

私が急いで呑み下した聖句は、私の腹の中をあちこち揺れ動きながら、青白く光り輝いていたが、時々口から飛び出しそうになるので、母はハラハラしながら見守っていた。12/3

増田君のところに会社から1000万円も振り込まれていたので、大道君は非常に心配して、「これはどういう素姓の金なんだ」と、しつこく尋ねるのだった。12/3

パーティー会場に暴漢が乱入して、剣を振り回したために、何人かの若い坊さんの両手が斬り落とされてしまいました。12/5

私は緑の牧場の羊を次々に殺していったのだが、その羊はじつは凶悪な殺人犯の偽りの姿だった。12/6

東国の王も、今では相当落ちぶれてはいたが、敵に追われた私が逃亡する前夜には、最後の晩餐だといって、懐に入れて大切にしていた手作りのパスタを御馳走してくれた。12/7

私は常に2つのユニット、2つのツールから組み立てられていた。20万円と10万円の2つの札束のような。12/7

友人の発表会に出席しようと、地下街の通路を急いでいたら、いつのまにか清水トモ子が私にぴったり寄り添って「あのお課長、わたし会社を辞めますのでよろしくお願いします」と言うので、驚いて立ち止り、じっくり話をしようと思ったら「ちょっとトイレ」というなり姿を消してしまった。12/8

キャンパスの中をぶらぶら歩いていたら、死んだ酒井君が畳んだ椅子を持ってきて「これに腰かけると楽ちんですよ」という。まもなくここで「アラビアのロレンス」を野外上映するというのだが、彼と一緒に座っていると、突如にわか雨が降ってきた。12/8

清さんの会社に若い女子が5人も6人もやってきたという話を聞いて、一度覗いてみようと思っていたが、その機会がなく時が経つうちに、仕事にあぶれてしまったので、もう恥も外聞もなく泣きついたら、すぐに雇ってくれた。

しかし男性の社員は俺とサトウだけなので、どうにも照れくさくて仕事にならず、新橋へ行って陽のあるうちから酒をくらっていたら、サトウが怒り狂ってやってきたので、なだめすかして別の店で呑みなおすことにした。

ところがその飲み屋の石の階段に左足を置いたところ、足の周りに小さい赤いカニがうじゃうじゃと蠢いているので驚いた。「これは超珍しい種類のカニだから、全部捕まえよう。お前も手伝ってくれ」とサトウに頼んだら、「ダメヨ、ダメダメ」と断られてしまった。12/9

松井は、「低い球は右に押し出すように打たないと、打率が上がらないんです」と言いながらそのやり方を実演してくれたので、私はそれにヒントを得て「右斬り作戦」を決行した結果、クーデターは見事に成功したのだった。12/10

それがどういう内容だか分からないのだが、私は致命的な失敗をしてしまったらしい。私自身にも、会社にも、大勢の人々にも多大な迷惑と損害を与える失敗らしいのだが、当の本人である私はどうしていいのか全然分からないのだった。12/11

ここは僕たち孤児を収容する施設です。今日はウィーンからライナー・キュッヒルというはげ頭のおじさんがやって来て、僕らのためにヴァイオリンを演奏してくれることになったのですが、駆け足でやってきたので、椅子に躓いてひっくり返ってしまいました。12/12

「さあここからはサハラ砂漠だよ」という声が聞こえたので、頭を上げて前方を見ると、遥か彼方まで砂山が広がっているのだった。12/13

海に飛び込み、彼女の家は青の洞門の下にあったはずだと思いながらどんどん潜っていくと、岩で造られた部屋が2つあったので、左の方に進んでいくと、彼女にそっくりの女性が私を手招きするので、そのまま抱擁してベッドで事に及ぼうとした。

ところが、やはり私のあそこはぐんにゃりとしたまんまで期待にこたえられず、「どうにもこうにも」と嘆いていると、いつの間にか別の女性がやって来て、「母と私を間違えるなんて」と怒り狂っているので、私はまたしても「どうにもこうにも」と呟くのみだった。12/13

母と投票所を訪れたら、選挙管理事務所の立会人の2人が母に暴言を吐いたので、思わずカッとなって殴りかかったら、そいつらの体は、じつは鎌倉青年団が大正時代に造った鎌倉石の石碑で、眼だけがギョロギョロ動いているのだった。12/14

自慢ではないが、私のモノは素晴らしい性能を備えているらしく、ひとたび交わった女性は病みつきになるらしい。そんな噂をどこから聞きつけたのか、一面識もない女性たちが、毎朝門前市をなして、全裸で佇んでいるのだった。12/15

その可憐な美少女に密かに好意を抱いていた私だったが、彼女にどう思われているのか自信がなかった。そこへあるカメラマンが猛烈にアタックしはじめたが、彼女は徹底的に無視したので、嬉しくなった私は、カメラマンに蒸しタオルを掛けて抹殺してやった。12/16

「蜂起の時は、こうやって敵に向かって傲然と顔を上げて、戦場に突き進むんや。みんながあんたを見てるんや。討たれることを恐れてはならんのじゃ」という声がした。12/17

地下の奥深くにある迷宮の中で、私はよく締め切りを忘れた。いろんなエレベーターやエスカレーターを次々に乗り換えないと目的地にたどり着かないので、ただそれだけでいたずらに時が流れてしまうのである。12/18

やっと山登り組合のコンセンサスが統一されたらしく、「世界百名山」の広告がたくさん出るようになった。12/18

編集長から8ページもらったので、私は新橋の「新・橋」にある新聞社を舞台に活動する男女の仕事や哀歓を、枚方の菊人形のような立体模型で表現し、横浜行きの電車が停まるプラットホームで、その掉尾を飾った。12/19

私に気がある外国人の女を、彼女の希望通りに階段の上でひんむいてやると、女は泣いて喜んでいた。するとそれを見た日本人の女が、「この女、なんてザマなの」と罵ったので、私は彼女もひんむいてやった。12/21

ある日、アフリカの熱砂の町ハラルにいる私たち邦人が全員集合して、最近の国際情勢やビジネスについて論じ合っていた。突如武装した黒い兵士が乱入して銃をぶっぱなして散会を命じたので、みな蜘蛛の子を散らすように大急ぎで逃げ出したが、取り残された1人の半裸の男が倒れて口から泡を吹いている。助け起こそうと近寄ってみるとアルチュール・ランボオだった。12/23

私は一晩中自分の夢をキャンバスに描くのに忙しかったが、いちばん難しかったのは、夢の内容と表象の相関関係だった。12/24

新しいテレビ番組の企画書を書いているのだが、書いても書いてもそれが文字にならないので、私は非常に焦った。12/25

共同テーブルにつくや否や、弾丸列車に関する出席者の問題意識はただちに共有されたので、私が機関銃に銃弾をガチャリと装填するや否や、祖父小太郎が登壇して「では、ただ今から弾丸列車を発車させる」と宣言した。12/26

この前の大火の時に撮った写真を缶詰にしておいたら、いつの間にか腐ってしまっていたので、最近の火事の写真に差し替えた。12/28

波がとどろきわたる大河だったのに、一瞬にして大蛇がとぐろを巻くようにうねりながら粘土に変化し、やがて紅茶色の土になってしまった。12/28

3時半から授業が始まるので、校舎めざして野原を歩いて行くと、若き日のオードリー・ヘプバーンにちょっと似た少女が頬笑みかけたので、挨拶を交わすうちに、なんだかえもいわれぬ懐かしさを覚えて、どんどん好きになってしまった。

近くのカフェに入ってどうということもない話をしていると、ヘプバーンが入って来た客を避けるような素振りをするので、「どうかしたの?」と尋ねたが、「別になんでもないの」と答えるばかりだ。

そのうちに時が速やかに流れたので、「僕は3時半から授業があるから、そろそろ行かなきゃ」と立ち上がると、ヘプバーンは「あら、この前と同じことをおっしゃるのね」と言うので、確かにこれと同じことが以前に起こったことを思い出した。12/28

電通と博報堂に頼んで別荘を作ってもらったら、「これはあなたの家ではなく生活の党の人の家だ」といわれてしまったので、いたく当惑しているわたし。12/29

俺とナカシマが寝そべりながら仕事の話をしていると、突然人妻らしき妖艶な女性が、ナカシマのお腹の上に乗っかって来て、「ナカシマさーん、あたしと結婚してよ」と、猫撫で声で甘えた。

するとナカシマは「バカヤロ、俺は3人も嫁はんがおるんじゃ。4人目の嫁はんなんかいらん、いらん」と断ったら、妖艶女は「いやん、いやん、嫁にしてよ」と激しく身悶えしたので、ナカシマは黙りこんでしまったが、恐らくボッキしていたのだろう。12/29

それから会社に行ったが、その妖艶女がまた現れて、今度は私の作品を見せてくれとせがむので、「しょうがないなあ」といいながら一緒にエレベーターに乗って喫茶店へ行くと、狭い店内にむちゃくちゃに大勢の若者が、裸同然の恰好で座り込んでいる。

作品を見せてやろうと妖艶女を探したのだが、いつのまにか姿を消してしまったので、もう誰でもよくなって、たまたま通りかかったアオキ嬢に見せたが「よく分からないわ」という。

喫茶店にはスクリーンに映画が上映されていて、ヨコヤマリエとヨコオタダノリが新宿の紀伊国屋でからんでいるのを、口をあけて眺めていた。私が「もうじきヨコヤマリエが万引きするよ」とアオキ嬢に囁くと、いつの間にか傍に立っていた妖艶女が、「そうじゃなくてヨコオタダノリが万引きするのよ」と訂正するのだった。12/29

BSCS社の依頼で講演をして各地を巡回していたが、あるときこの会社は、衛星放送関連の業種とは無関係な金融ファンドと知って愕然とした。12/30

この歳になっても試験を受ける羽目になってしまったが、厭で厭で仕方がないので、終始投げやりな態度で面接を受けていると、昔の自分が思い出されてなおさら落ち込むのだった。12/31

 

 

 

旅日記

 

みわ はるか

 
 

先日、小学校の同級生2人とともに旅行に行った。目的地は淡路島と姫路。電車と新幹線、高速バスを乗り継いで行った。

明石海峡大橋は大きかった。想像以上に大きかった。海からの高さも高く、落ちたらきっと助からないだろうと思ったら少しだけぞっとした。淡路島は快晴だった。渦潮を見るためのフェリー乗り場にはちょっとしたお土産屋さんがあった。いたるところに玉ねぎを使ったお菓子やスープなどがたくさん並んでいた。玉ねぎが有名だとは聞いていたけれどこんなにも推しているのには驚いた。時間になったのでフェリーに乗った。潮のにおいが鼻につんときた。海は青いというより鮮やかなグリーンだった。渦潮は吸い込まれるような美しさと迫力があった。海風は気持ちよかった。

古民家を改装したような民宿に泊まった。女将さんはとても親切な人だった。隣との壁は薄かった。大学のサークルらしきメンバーが泊まっていたようだった。とても騒がしかった。お酒を飲んだ。たくさん、久しぶりに飲んだ。3人だけが知る昔話は秘密の共有のようで嬉しかった。わたしたちはもうわたしたちだけで旅行に行ける年になった。お酒を飲めるようになった年もずいぶん前に通り越した。もうこんなに楽しくゲラゲラ笑いながら過ごす、この3人の夜はきっと来ないだろう。結婚する人がいるだろう、転勤で遠方にいく人がいるだろう、色んな制約がたちはだかるだろう。お互いそれをわかっていたから、ずっとこの日が続けばいいと思ったはずだ。

翌日は生憎の雨だった。各々好きな色の傘をさした。小学生のときは黄色の傘でないとだめだったことを思い出した。あの時は後ろから見たらみんな同じに見えたっけな。
姫路城はやっぱり白かった。天守閣に登るのに1時間もかかったけれど、けっしてお城に興味があるわけではないけれど、確かな感動を味わった。だから世界遺産なんだなぁ~と感じた。

帰りの新幹線はあっけなく地元の最寄り駅に着いた。別れの時間だった。貴重なこの時間をかみしめながら手をふって別れた。また行こうねとは誰も言わなかった。それがなかなか難しいことをお互い分かっていたし、社交辞令を言うような間柄ではなかったから。それが逆に清々しかった。

雨がいつのまにかやんでいた。雨水で少し重くなった傘をぷらぷら揺らしながら帰路に着いた。

 

 

 

サトミ セキ「虹を生むひと」について

 

さとう三千魚

 
 

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サトミ セキさんの「虹を生むひと」という不思議な本を読んだ。

虹にかかわる七つの物語でできている。
しかもこれらの物語はノンフィクションであるという。

1.
カエルくんとわたし
ロドリーゴ、光の桃

2.
アルザス・地球でただ一つの結晶を探す旅
ベルリン・傷跡が虹に変わる街で

3.
花も実もあるウソを書け
ラクリメ

4.
グラストンベリーの虹

わたしにはこれらの物語は著者のサトミ セキさんが「虹」に出会うための旅の記録であると思われた。

「虹」とはなんだろうか?
わたしたちは「虹」を雨上がりの空に偶然に見掛ける。
綺麗だな、と思い、通り過ぎている。

サトミ セキさんはその「虹」を通り過ぎることのできないものとして見ているようだ。

1.
カエルくんとわたし
ロドリーゴ、光の桃

から、一部を引用してみる。

タクシーを呼び、土曜午前三時の首都高速を走る。兄は助手席に座り、わたしは後部座席を占拠して横になる。ふと起き上がると、なんという美しさだろう、と目を瞠った。

高速道路の両脇の光が濡れて滴り流れてゆく。前にも後ろにも一台も走っていない夜の高速道路を、ベルベットのような滑らかな走り心地でタクシーは進んでゆく。首都高速をわたしたちが独り占めしているのだ。

点滅するコンビナートも、夜空に無彩色の煙をもくもくと吐き続ける煙突も、海に浮かぶ船も、からだの中で見知らぬものが暴れている恐怖も、美しい悪夢のようにわたしを通り過ぎていく。おなかが捻れるように痛いが吐き気はなんとかおさまっていて、この美しさが何にもかえがたい貴重なもののように思えてくる。

もうひとつ引用してみる。

立ったまま抱かれている赤ちゃんも、午後の日射しの中で眠っていた。ソーセージのようにくびれのある丸々とした左足は母親の膝に触れていて、靴下を履いていない小さな五本の足指が、ときおり開いては「離さないでね」というように、お母さんの膝のスカートをぎゅっとつかんだ。

おそらくはこのような光景はわたしたちの日常のなかで何度もみている光景だろう。
そして、わたしたちはその光景を忘れ去る。
だが、サトミ セキさんはこれらの光景を忘れがたい光景として見ているのだ。
ここにあるのは自身の死をまじかに体験した者のみる景色だろう。

2.
アルザス・地球でただ一つの結晶を探す旅
ベルリン・傷跡が虹に変わる街で

からも、一部を引用してみる。

一見何の変哲もない平凡な石も、手に取っているうちにその石しか持たない個性や味わいが見えてきて、手から離れなくなってしまう。元素記号も同じ石でも、人間と同じく地球でただ一つしかない。結局、お金を出して手に入れるかどうかは、その石に無条件で惹かれるかどうか、手にしたときに驚きや心地よさがあるかどうかで決まってくる。

・・・・・宝石店ではクラックがある石は傷物としてはねられる。しかし、石の内部に浮かぶ傷は、時に太陽光を七色に分光する虹になって、その石を魅惑的に輝かせる。
虹が浮かんで、このカルサイトはまるで違う石となった。この七色の光は目に見えない世界へとわたしをつなぐ。光が凍りついた結晶のようなこんな美しいものが、現実に存在しているのが不思議だった。

わたしもまた海辺で小石や流木を拾ってきてしまうのだが、
つげ義春の「無能の人」のようにサトミ セキさんもまたヨーロッパの片田舎の町に石を探しにいったのだろう。

ここでもサトミ セキさんは石の中に「虹」を見ようとするわけだ。

石もそうだし、絵もそうだし、音楽もそうだ、ことばだってそうだ。
それがわたしにとってかけがえがなくただ一つのものだったらわたしはそれにお金を支払うだろう。
どこでもいつでも手にはいるものには「虹」がないだろう。

それがわたしにとってかけがえがなくただ一つのものというのは「命」ということだろう。
命というものはなかなかお金で買うことができない。
命と等価のものがかけがえのないものといえるだろう。

それはなかなかこの世ではお目にかかれないものとわたしたちは思ってしまうが、
サトミ セキさんは石の中に「虹」を見ようとするわけだし、カフェにもはいれないほどすっからかんになるまでお金を石に使ってしまうわけだ。

このままだとわたしはサトミ セキさんの本をどんどん引用してしまいそうだ。
それでは、これからの読者たちの体験を奪うことになってしまう。

最後の章、

4.
グラストンベリーの虹

から少しだけ引用してみたい。
ここでサトミ セキさんは実際の「虹」に出会うことになるのだろう。
それがサトミ セキさんが出会ったかけがえがないただ一つの「虹」だろう。

生まれてから死ぬまでを、いっときに眺めることができたとしたら、このような眺めだろうか。虹が出るためには、まず雨が降らなければならなかった。雨が降るためには雲が必要だった。雨雲は黒く、その中では雷は光り、そして、しばらくするとその土地から去ってゆく。太陽の光を浴びている時には雨の世界を想像できず、稲妻が光っている黒雲の下にいるときにはいつ虹がでるのか予想もできない。

かけがえのないものはわたしたち誰にでもあるのだろう。
この世には、かけがえのないものを見る者と見ない者がいるだけだ。

 
 

サトミ セキ
「虹を生むひと」がんと命を巡る7つの旅

株式会社 幻冬社ルネッサンス
ISBN978-4-7790-1119-1

 

 

 

フリードリッヒ・グルダ親子の思い出

音楽の慰め 第8回

 

佐々木 眞

 

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私は、昔は音楽といえばクラシック、クラシックといえばベートーヴェン 、ベートーヴェンといえばフルトベングラーの第9交響曲が大好き、という笑うべき超保守的人間で、モーツァルトなんて内容空疎な軟弱な2流の音楽家と勝手に思いこんでいました。

しかしどんどん歳をとっていろいろな音楽に接しているうちに、必ずしも「ベートーヴェンが硬派で、モーツァルトが軟派」ではないこと、2人とも天才ではあるが、どちらかといえばモーツァルトの方が神様に近いところにいるような天才的な音楽家で、ベートーヴェンは、そんなモーツァルトの音楽に迫ろうと懸命に努力を重ねた音楽家ではないかと考えるようになってきました。

極端なことをいうと、私にとってベートーヴェンの音楽は、人間的な、あまりにも人間的な音楽であり、モーツァルトのは(「神に愛されし人」という意味の“アマデウス”という名前が示す通り)天上から降って来る神様のような音楽なのです。

そんなモーツァルトの音楽は、いつどこで、誰の演奏で聴いても、私たちの心を楽しませたり、慰めたりしてくれるのですが、今宵はウイーンっ子のフリードリッヒ・グルダが演奏するピアノ・ソナタを聴いてみましょうか。

この「モーツアルト・コンプリート・テープ」6枚組は、題名通りもともとテープに録音されていたものを、CDに焼きなおしたものです。
1956年から97年にかけて、フリードリッヒさんがこっそり自宅などでテープレコーダーに録音しておいたのを、彼の死後、息子のパウル君が発見したんだそうです。

そして彼が、それを独グラモフォンから売り出すようにしてくれたお陰で、私たちはこの素晴らしいモーツァルトに接することができたのです。

それだけではありません。パウル君は偉大なお父さんが未完のままで放り出していたK.457の第3楽章を、できるだけグルダ風に追加演奏して、親子合奏完結盤を新たに制作してくれました。

私は父グルダには会ったことなどないのですが、1961年生まれの息子のパウル君には、かつて渋谷のタワーレコードでひょっこりはちあわせしたことがあります。

私が6階のクラシック売り場でCDを物色していると、すぐそばにひとりの若い外国人がやってきて、やはりウロウロしています。その顔がどうもどこかで見た顔で、よく見るとすぐ傍に張ってあった「パウル・グルダが渋谷タワーにやって来る!」というポスターの写真の顔なのでした。

あちらの国の人たちは、こちらの国の人たちと違ってべつだん知り合いでなくとも挨拶代りに笑顔を差し向けますが、このときもパウル君が私に頬笑んだので、急いで慣れない「頬笑み返し」をしながら私が、「もしかして貴君はパウルさんにあらずや?」と尋ねると、その青年ははにかみながら、小声で「イエス」と答えたので、私はそれ以来、パウル君の熱烈なファンになったのでした。

そんなパウル君が、亡き父君のために編んだ、私の大好きなモーツァルトのピアノ曲集は、これからも生涯の愛聴盤となっていくのでしょうが、どのソナタに耳を傾けても、聴衆をまったく意識しないインティメートな表情と赤裸の心に打たれます。

どうやらグルダは、モーツァルトその人に聴いてもらうために、深夜そっとベーゼンドルファーの鍵盤に触れていたように思われてなりません。

そしてその白眉は、ボーナスCDに付された「フィガロの結婚」の自由なパラフレーズ集ではないでしょうか。たった1台のピアノが、スザンナの、モーツァルトの、そしてグルダの生きる喜びと悲しみを、あますところなく表現しています。

 

ああグルダのフィガロ この演奏を耳にせず泉下の人となるなかれ 蝶人

 

参考 https://www.youtube.com/watch?v=1ssk4tfKcIM

 

 

夢は第2の人生である 第42回

西暦2016年皐月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

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私が海に身を躍らせると、目の前に広がっているのは夥しい数の墓標だった。それは私が潜っても潜っても眼下にいつまでも広がっていて、墓標のピラミッドの周りには名も知らぬ青い魚が泳いでいるのだった。5/2

私は港の沖合の小島の木陰の小舟に乗って、様々な秘密情報や音楽を敵に占領された本土の人々に向かってFMで流していた。5/3

戦後復員兵士たちでぎゅうぎゅう詰めだった大阪支店だが、半数は別の建物に移動したのでだいぶ楽になったが、5階の窓から眺める風景は荒涼たる焼け野原だった。5/4

朝も10時を過ぎたのに、会社があるその駅では、電車に乗り切れない乗客が途中下車したり、線路に降りて長蛇の列を作って歩いているので、私はいまごろ息子たちはどうしているんだろうと心配になった。5/5

大船行きの電車がもしかしたら載せてくれるのでは、という期待に胸を膨らませた人々が一斉に駆け寄ったが、電車は速度を落とさず走り去り、線路の上には切断された両足を呆然と見詰める小太りの婦人だけが取り残された。5/6

知らない人からどんどんケータイが掛かって来るので、よく見たら機種は同じだが別のものだった。しかし、いつどこで私のものとすり変ったのかいくら考えても思い当たらないのだ。5/7

外出から帰って来て、外の様子を孝壽君に報告すると、彼はそれを几帳面に記録していた。彼はその後病気で、どこかの病院に入院しているというのだが、大丈夫なのだろうか。5/7

私はあらかじめ彼に、「過去の死刑に関する判例集を渡して研究しておくように」と命じておいたので、最難関の司法試験を最高の成績で突破したときいて、とてもうれしかった。無脳人間にもそこまでは出来るのである。5/8

関東大震災で倒壊した高層マンションの西棟を、東棟の最上階から見下ろしながら、私は殺到する負傷者の治療に忙殺されていた。あの西棟の10階の部屋にいた、私の愛する妻子はどうなってしまったのかと案じながら。5/9

「私は原子炉の前で素っ裸になって全身を晒した結果、不死身になったんだ!」と宣言すると、六つ子は蒼ざめて胸に手を当て、「イヤミはシェー!」と叫びながら逃げ出した。5/10

余りにも荷物が多すぎて鎌倉駅で降りられなかったので、次の逗子で降りようと懸命に準備していたのだが、そばにいた小僧が邪魔立てするので、バッグを振り回してぶっ飛ばすと、車体の障壁ごと線路の向こうにすっ飛んでいった。5/10

美しきエトワール、オーレリー・デュポンをガルニエ座から拉致した私は、彼女を後ろ手に縛り上げ、ナイフで脅かしながらフェラチオを強いたのだが、そのめくるめく快楽にたちまち気を遣ってしまった。5/11

3万円払ったが、おつりは30円しか返ってこなかった。5/12

いきなり声がした。「ここにABCと3つの世界がある。お前らは普段Bに住んでいるのだが、時にはAやBに行く時もある。しかしその場合、お前たちは姿形がすっかり変っていることにまったく気づいていないのだ。」5/13

お城で失われた珍品の数々を、元の持主に返す催しが開かれ、我われ業者は3日間待機していたが、誰も現われなかったので、それらを全部引き取って古買に付そうと楽しみにしていたが、ふと眼を離した隙に誰かが全部引っさらっていった。5/14

誰かが私のことを社会人と紹介したので、「そうではありません、私は大学5年生です」と訂正した。5/15

わが社の新製品であるコーヒーメーカーの色をなに色にするかを巡って、何週間も大論争が続いていたが、結局これまでと同様の無難な白にすることに決まった。5/16

わが社の全社員が大講堂に集まって社長の訓示を聞いている最中に、どういうわけか見知らぬ人々が通りかかって、興味津津の面持ちで耳を傾けているので、社長も我われも驚いた。5/16

皇室から作曲を依頼されたので、できるだけ馬鹿馬鹿しい漫画的な曲をつくったら、意外なことにおおうけして、「次もぜひお願いしたい」ということになった。5/18

功なり名遂げた私は母校に招かれたので、「何でも疑ってかかれ」とか「モザールを聞けばモー君が美味しいミルクを出すという与太話は迷信だ」とか「世界一丈夫で美しいパンティはまだ誕生していない」というような話で、お茶を濁した。5/20

写真一筋の余は、「自然や人世の化生を写し取る」をモットオに、今日もシャッターを切り続けていた。5/21

親戚大集合の催しに遅刻した私は、焦っていたのか前に座っているフジイ氏に熱い味噌汁をぶっかけてしまい、謝りながら慌ててハンケチで拭いたり、大童だったが、このフジイ氏とは何者なのか、いくら考えても思い出せなかった。5/22

政府がこれまでの規定を全部反故にしたので、我われの会社でも全員が居残って、この国に残留するか否かを熱烈に討論していたのだが、山口君だけは「今日はひどく疲れたので帰ります」というて、闇の中に消えた。5/23

腹立ち紛れに、つい暴言を吐いてしまったことを、いたく後悔したが、後の祭りだった。5/24

私は長年にわたって脳裏に浮かんだ思いつきを、そのつど手元のテープに録音していたのだが、何百何千もあったカセットテープはいつの間にかすべて姿を消してしまった。5/25

正月早々出勤した私だったが、上司から幹部会に出席するよう命じられていたことをすっかり忘れていた。会議は本社ビルの2階の大会議室で行われているので、急いで駆けつけたが、あいにくそのフロアだけエレベーターが止まらないようにしてあったので、大いに焦った。5/26

誰かが「裏口から入れるよ」というので、急いでいったんビルを出て、裏側に回ろうとしたが、生憎の大雪で、行けども行けどもなかなか辿りつかない。額に汗して歩き続けているうちに、かえってビルからどんどん離れていくので、私はますます焦った。5/26

背後から私を追って来る人のように、私の家を追ってくる家があった。私が人から逃げ惑うように、私の家も逃げ惑うのだった。5/27

TYOの木村君と話していた男が、突然高価なオーディオ製品をいじりはじめたので、木村君が「駄目駄目、それを勝手にいじると、スギヤマ・コウタロが怒りますよ」と注意したので、「そうか、あの大人しいスギヤマ・コウタロウも怒ったのか」と思って、私もその男を注意した。5/27

この街で行きかう人々の顔は、みなぽっかりと穴が開いた□の形をしていた。5/28

ウッチャンはファックス機の新品をあげる、「ただだよ」と来る人ごとに言うたが、誰一人下さいとはいわなかった。5/29

大阪支店の遠藤君が、私を見知らぬ飲み屋に連れて行った。そこには同じ支店の営業部の連中が、三々五々呑んだり食ったりしていたが、いつのまにかいなくなったので、真っ暗な道をよろめきながら歩いていたが、肝心の遠藤君も行方知れずになってしまった。5/30

さっき通りかかったガソリンスタンドでは、赤いミニドレスんのおねえちゃんが誘ったので、なにしたんだが、今度のガソリンスタンドでは、白いミニドレスのおねえちゃんが誘ったので、またなにしてしまった。5/31

 

 

以下に「夢百夜」の未掲載分を追加します。

西暦2014年長月蝶人酔生夢死幾百夜

 

日払いマンションに住んでいた私。毎日会社から帰ると、お金を入り口に投入して扉を開き、2DKの部屋に入ると、奥の6畳間に居る女の処へ行って、朝まで抱いたり抱かれたりしているうちに、とうとう尻子玉を抜き取られてしまった。9/1

マンチェスターかリバプールの小さな村に、私たちは3人で住んでいたのだが、MORE OVERという歌が有名になると、「MORE OVERとつぶやくとすぐに有名になれる」という伝説が生まれて、世界中から大勢の人が押し寄せた。9/3

大部屋住まいの新米役者見習いの私は、大先輩の五味龍太郎氏の付き人として、信長に侍従する日吉丸のような謙恭な態度で、諸先輩の芸を盗みとろうとしていたが、いつまで経ってもなんの収穫もないのだった。9/4

テレビで宝くじの当選番号を放送していたので、私はそれを全部メモしてから宝くじ協会の倉庫に忍び込んで、当たりくじだけを拾って引き揚げた。これで当分生活できそうだ。9/5

久しぶりに地上に降りてきたら「テニスのなんとか選手を知ってるか」、「テング熱を知ってる蚊」などとブンブブンブとうるさいので、「んなもん知るか、要らんことを知るくらいなら、なんも知らんほうがよっぽど健康的じゃ」と答えると、そいつはアキレタボーイズになって黙ってしまった、9/5

私たちは、決死の覚悟でその城砦に立て篭もったのだが、指導者たちは、籠城の意思を固めたために、日が経つにつれて食糧が乏しくなった。これでは戦うためではなく、飢え死にするためにここへやってきたようなものだ。9/6

私の城の主はだんだん若返って、いまでは孫の代から曾孫、玄孫の代にまで及ぼうとしていた。9/7

1937年、帝国陸海軍の上海攻撃に井汲氏と参加することになったので、私らは緊張高まる日本海の荒波を乗り越えて、中国本土に到着した。9/9

私がモンブランの設計図を立体化した着ぐるみを身にまとっていると、吉田秀和翁がなぜか非常に興味を持って「とってもいいね」とほめたたえるので、私はいつのまにか大勢の人々に取り囲まれてしまった。9/10

李氏朝鮮時代に渡海した私は、素晴らしい馬を見つけたので、「これはいくら?」と尋ねたら、「5千ウオンだよ」というのだが、その時代にウオンなる通貨単位が存在しているか否かが不明だったので、さんざん迷った挙句に買わずに帰国した。9/11

最愛の耕君が、大阪道頓堀の名物カニ料理の前で行方不明になったので、旅行はそこで中止となり、警察が大捜索を開始した。9/11

イケダノブオが「佐々木さん、これからは耳たぶデザインの時代だと思うんです。それで耳たぶデザイナーの名前を考えてくれませんか」とせがむので、面倒くさくなった私は、「耳たぶデザイナーでいいじゃないか」と答えた。9/11

オバマ氏に招かれて、キッチンがついた6畳間だけの木賃アパートへ行った。煎餅布団が敷きっぱなしの狭い部屋は、ごみやがらくたでいっぱいだったが、孤独な大統領は「私が心からくつろげるのは、世界中でここだけなんですよ」と、涙目でぼそぼそと呟くのだった。9/12

スイスのチューリヒで開催されている国際ネーミング大会から招待されて、私は空港からタクシーで会場に直行したのだが、何千名も収容できる国際会議場には、人っ子ひとり、猫の子一匹いなかった。9/12

暮れなずむ巴里の街角のカフェで、西田佐知子が「♪オークレールドラリューン、メザミピエロ」と歌っていたが、「アカシアの雨に打たれて」とは勝手が違うので、ずいぶん音程が狂っていた。

インディアン、つまりアメリカ先住民の襲撃に備えて最前線で銃列を敷いていた私に、隣の男が「あんたの母校はどこだい?」と聞くので、「長岡先祖学校だよ」と答えると、「それははじめて聞く名前だな」と言うので、私もそう思った。9/13

茂原印刷が謹製した円、ドル、ユーロ、ポンドなどの紙幣の偽札は、みな溜息が出るような傑作ばかりだったが、特に素晴らしい出来栄えだったのは、キューリー夫妻やドビッシーの肖像が印刷されたフランの旧札であった。9/14

インド帰りの吉田君が「上野桜木の家に来て泊れ」というので、久しぶりに東京に出かけた。まだ旅館や下宿のある本郷西片町や母の生まれた谷中の坂道を辿っているうちに、急激に懐かしさがこみあげてきて、もう一度この地で青春を送りたいと思った。9/16

私の右の胸のあばら骨の下にいた武装兵が、私の左胸のあばら骨の下にいた無防備の人々に襲いかかって皆殺しにしたので、彼らが極右のテロリストと分かった。9/17

若い男女2人がシャドー・バスケットをはじめたので、中年男もそれに加わろうといたのだが、その動きについていけず、尻尾を巻いてすごすご逃げ出した。9/18

卒業生たちがお礼参りにやって来て、学校のすべての教室に大量のウンチをまき散らしていったので、私たち在校生は驚いたが、それがもしかすると黄金に変わるのではないかと思ってそのままにしておいた。9/20

こんなに狭い島なのに権力闘争は続けられ、細川宮はナチの応援を求めて接触しようとしていたが、荒川将軍は「そんなことは断じて許さん」と息巻いていた。9/20

宝くじが外れたというので、私は右腹を偽の息子に刺されたが、それでもなお豆腐を作る手をやめなかった。9/21

最近私のSNS友になった戸田という男が、朝から晩まで大量のメールを送りつけてくるので、私は夜も寝れずノイローゼになってしまった。9/22

大阪支店の支店長に、「「JALには商品を卸すけれど、ANAには卸さない」というのはどういう理屈かね」と、問いただしているうちに朝になった。9/22

必死に逃げ回ったけれど、ついに捕えられた私は、太陽神ラアのピラミッドのてっぺんで心臓をえぐり取られることになった。9/23

私のように才能のない醜い男が、ふぁっちょんデザイナーになれるなんて、思ってもいなかったのですが、どういう風の吹き回しか実際にそうなってしまうと、まだ子豚のように醜く肥る前の真木よう子似の美人が近寄って来て、「一夜を共にしたいわ」なぞと囁くのでした。9/25

明日から戦車隊の後部砲員に配属されることになったが、エコノミー症候群の私は、その密閉された狭い空間が恐怖で、今のうちに屋外に出て深呼吸をしておこうと思うのだが、それも出来ないのだった。9/25

その広告会社の本社兼社員用アパルトマンには、てんで仕事をせずにデスクの上で寝そべっている大勢のぐうたら社員がいたが、彼らの大方がクライアントのアホ馬鹿子息だったので、会社は首にするわけにもいかず、飼殺しにしているのだった。9/26

その会社の本社ビルジングの最上階は6畳くらいの狭い1室があって、そこには風采の上がらない無精ひげをはやした中年男がひとりで住んでいたのだが、朝な夕なに有名人やタレントたちが訪ねてきて、なにやら怪しい人世相談に乗ってやっているのだった。9/26

明田五郎の家は地下にあるというので、我われがどんどん階段を降りていくと、烏賊や蛸が切り刻まれている部屋や、血まみれの嬰児の死体が散乱している部屋が、まるで菊人形のようにあらわれたが、地底の奥底の部屋に五郎は座っていた。9/27

深夜まで残業したあとでタクシーで帰宅し、車から降りて我が家に向かっている。真っ暗な坂道を喘ぎながら登っていると、なにやら足元でもぞもぞ蠢くものがある。はじめはゲジゲジかムカデかと思ったが、良く見ると蠍の大群だった。1メートル近い巨大な奴が躍りあがって尻尾を振った。9/28

レリアンの今井社長が、「すぐにテレビCMを制作してもらってくれ」というので、市電に乗って電通の築地本社へ行き、某プランナーに依頼したのだが、「ったく、やんなっちゃうなあ、忙しくて3日も家に帰っていないんですよ」とブウブウ文句をいう。9/29

それをなだめすかして、「ともかく今晩中になんとかしてくれよ」と頼むと、彼は社内の自動販売機に1万円札を入れて「CM企画キット」を取り出し、私に向かって「ではオリエンをお願いします」という。9/29

つまり、このCMのターゲットは誰で、訴求する商品のセールスポイントはなにかを教えてくれ、と迫るのだが、私はまさかこんな展開になるとは思わなかったので、「ミ、ミ、ミッシーカジュアル」とつぶやいたまま、絶句した。9/29

 

西暦2014年神無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

日本百名山に次々に挑戦していた私は、いよいよ富士山を征服しようと、いつものようにヘリに乗り込み、頂上から縄梯子を伝って降り立ったのだが、待てよこれは「登頂」ではなく「降臨」ではないかと思い当たり、すべてをやり直すことにした。10/1

その会社の経営者が幹部に示す月次方針は、いつものように絵と文字が複雑に入り組んでいるために、解読するのに骨が折れるのだが、今月のは文字がなく、パウル・クレーのような絵しか描かれていなかったので、経営会議は紛糾した。10/2

その村の入り口にひとりの老人が座っていたが、私に「ネットのことをわしに聞くな。auに電話して聞け」と告げると、また眠りこんでしまった。10/3

ラムパル峠のてっぺんまでやって来たので、私は「きみがここまでわざわざ送ってくれたから、僕はもう寂しくなんかない。寂しくなったら、きみのことを考えるさ。もう充分だから村に引き返しなさい」というと、彼女は「でも私はどうすればいいの」と呟いた。10/4

久しぶりに授業に出ようと思って大学にやって来たのだが、友人とお喋りしている間に時が経ってしまい、いつどこの教室でどんな講義があるのかも分からないので、焦った私は校舎のはずれの鉄塔の下の夏草に潜りこんで、いつまでもキリギリスの鳴き声を聴いていた。10/5

断崖絶壁に白い中古のフォルクスワーゲンを停めた男は、白い手袋を嵌めてハッチバックを開け、(私はこんなカブトムシを初めて見た)、大量のバイブルをその後部空間に並べて販売を始めると、いつのまにやら大勢の人々がやってきて、競うようにそれを買うのだった。10/6

全国シューズ学会における彼女の発言は、出席者から拍手喝さいで迎えられたが、それは彼女の赤裸々なプライベート・フィルムの上映に対して贈られたものだった。10/7

酔っぱらった吉村氏が、ナイフを振りかざして襲いかかって来たので、私はカスバの木賃宿を飛び出し、そこに止まっていた自転車に飛び乗って、大砂漠の底に通じる坂道を猛スピードで降りながら、もう二度とカスバの女王には会えないだろうと思って、紅い涙を流した。10/8

クグツのごとき風体の正体不明の3人組を見た瞬間、脅威を直感した私は、襲われる前にやれ、とばかりに彼らを馬から引きずりおろし、奪い取ったスコップでめった打ちにして、顔面を靴で蹴り上げたが、のたうち回っている彼らを見ながら、「待てよ、これは私よりも弱い無辜の民ではないか」という後悔が頭に擡げてきた。10/9

ネットを開くと、だいぶ時間が経ってから、鮫と人間の頭と石榴が出てきた。道理で時間がかかったわけだ。10/11

「雌鶏」を「面食い」と取り違え、「大事にしてください」を「お大事にされてください」などと言う教養のない男が、親のコネで理事長に就任したので、私たちは嫌気がさして仕事を怠けるようになった。10/12

しかもその新たな経営者は、「野球の試合でホームランを打った者には、おいらのカミサンを抱かせてやる」とおふれを出したのだが、彼女の写真を見た私たちは、一層やる気を失ったのだった。10/12

台風が来るから早く寝ようと思っていると、台風が早く来るから早く寝ようと思っていると、台風が早く来るからと思っていると、台風が来るから早く寝ようと思っていると……10/14

台風がやってくる/雨か風か/トイレにいかねば/台風がやってくる/雨か風か/トイレにいかねば/台風がやってくる/雨か風か/トイレにいかねば/台風がやってくる/雨か風か/トイレにいかねば/台風がやってくる/雨か風か/トイレにいかねば10/14

真っ暗闇の道を、オートバイのうしろに彼女を乗せて疾走している。左側から張り出している樹木を避けて右にハンドルを切り、また左に戻ろうとしたら、巨大な茶色のヒグマが両手をバンザイして立ちふさがっていたが、私はそのまま突っ走った。10/16

いまでは国家警察によって、我々のすべての私生活が動画に記録されるようになってしまったのだが、私は長年にわたって鋭意研究努力を続けた結果、彼奴らによってそれが再生されないようにする特殊技術を開発することに成功した。10/18

港町の安宿で呻吟していたら、橋本氏が「Tender is the Night だよ」と囁いたので、「ダーバンの港はほのぼの明け染めて今宵限りはデボラも優し」なるアフリカ短歌和歌が生まれたのだった。10/19

商社の巴里駐在員の私は、日本の某有名企業から物見遊山にやってきた3人の女性の接待を命じられた。初日はA子をアテンドして終日市内を観光し、晩飯の後で踊りに行ってホテルまで送っていったら、そのまま朝帰り。翌日はB子、その翌日はC子の繰り返しで、私は死んだ。10/20

夜中に妻が突然頭部への激痛を訴えたので、タクシーを呼んで湘南鎌倉病院へ行くと、救急外来には多くの患者が思い思いにソファーに寝そべっていて、ほんの2,3人しかいない新米医者から名前を呼ばれるのを待っているのだった。10/21

公金を横領して会社を首になり、起訴されて有罪判決を受けた情けない男の話が新聞に出ていたので、ケケケと嘲笑っていたら、なんとそれは私のことだった。10/22

いつものように大方の反対を強引に押し切り、大人向けの製品なのに、「ユベッ子」という商標を押しつけて裁断しようとするマエ・セイゾウを、私は面と向かって「いい加減にしろ、世界はお前を中心に回っているんじゃあないぞ!」と怒鳴りつけた。10/22

久しぶりに省線電車に乗ると左に井出君が座っていて、右側にチイチイパッパと群れている若手女子デザイナーのあれやこれやについて、くわしく伝授してくれた。

会社の中で大勢のスタッフが展示会の準備をしているのを見物しながら、あちこちうろついていると、いつの間にかどこかで見たことがあるような、しかし実際は初めて見る可愛らしい女の子が頬笑みかけ、私の右腕を取って暗がりに導く。

接吻をうながされたので唇を近付けると、彼女は「そうじゃなくて猫又キスよ」と言いながら、いきなり上半身を海老反らせて一物を含もうとするので、私は大いに慌てふためいて、進退に窮したのであったあ。10/23

その商業施設には「オールウエイズ・ハッピー」という標語を掲げた店が出店していたが、その真後ろには「トゥジュー・トラバイエ・ボクウ」と書かれたショップが向こうを張っていた。10/24

おひるごはんを立食べてから、みんなで立ち新井のの道を歩いていると、ドングリの実がたくさん落ちていた。すると妹は、「私はどうしてここにドングリの実が落ちているのかを説明する本を書いた。そしてどうしてドングリが姿を消すのかについて説明する本は私の友人が書いたのです」と云うた。10/25

短歌の五七五七七をデジタルではかる測定機が開発されたというので、大勢の歌人たちが、我も我もと自分の歌を積算しようとしていた。10/27

夜遅く書斎で仕事をしていると、家の外でなにやら物音がする。恐る恐る窓を開けると誰かが逃げ出したので、「こらああ!」と怒鳴ろうと思ったが、声が出ない。そいつを見ようとしたが眼が開かない。10/28

私が小説だか論文だかを死に物狂いで書きまくっていると、だんんだん小さな石のような物になって、海の中に沈んでしまった。しばらくするとその石のような物が動き出して、私の分身のような者となり、またしても小説だか論文だかを死に物狂いで書きまくるのだった。10/29

お萩を食べても食べても、新しいお萩が出てくる。10/30

私の治めている城に、和泉式部を名乗る女が「一夜の宿を借りたい」と申し出てきたので、泊めてやった。式部とともに城内を歩いていると、恋人との別れを辛がって泣く関野や、早く子供をおろせと女を責める桐野など、兵士の心中が手に取るように分かった。10/30

鈴木正文課長は、「今日から3日間特別教習を行う。徹底的に扱くからそのつもりでおれよ」と発破をかけたが、私は「またここから坂が下るのか。そいつを固く踏みしめねばならぬ」と思っていた。10/31

 

 

 

鈴木志郎康 新詩集「化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。」を読んで、ブオーッ、ブオーッ。

 

さとう三千魚

 

 

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鈴木志郎康さんの新しい詩集「化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。」を読んだ。

それで、わたしの受けとった詩人の声は、「新しい詩が成立する場所に立ち会い新しい詩を生きるためには、何でもありだぜ。」という声です。

この八十歳を過ぎた、痛い腰や足を引きづり杖をついたり車椅子に乗ったりしている詩人は自身の詩を生きるために何度でも自身の詩を捨てて新しい詩を生きることを実践しているのだということが伝わってきます。

そして、この詩集から不思議な声が漏れ出し、沁みでてくるのをわたしは聴くのです。

ほとんどの詩が「浜風文庫」で読んでいた詩でしたが、詩集となってあらためて一連の詩を読み通してみるとこの声が不思議に思えるのです。

 

ホイチャッポ、
チャッポリ。
何が、
言葉で、
出てくるかなっす。
チャッポリ。
チャッポリ。

 

「びっくり仰天、ありがとうっす。」という詩の冒頭部分です。

この「ホイチャッポ、チャッポリ。」は何をあらわにしているのでしょうか?
擬音語でもなく、擬声語でもなく、擬態語でもなく、擬情語でもないように思われます。

いわば言葉にならないものでしょう。
言葉にならないでわたしの身体から漏れ出し、沁みでてくるもの。
かぎりなくわたしの身体に近いもの。

 

ヒィ、
ヒィ、
ヒィ、
ピーと鳴らない
口笛吹いて、
土手を歩いていたら、
川面に、
ボロ服着た人が浮かんでいたっす。
女の水死体が浮かんでたっす。
そこいらの草の花を取って、
その上に投げたら、
一つだけ、
当たったっすね。
ヒイ、
ヒイ。

 

「女の土左衛門さんにそこいらの花を投げたっす」という詩から冒頭を引用しました。
ここには鈴木志郎康さんが子どものころに見た水死体のことが書かれているでしょう。この子どもは女の水死体を見て、びっくしして可哀想に思ってか草花を投げつけたのでしょう。

そのことを思い出しているこの詩人から「ヒィ、ヒイ。」と声が漏れ出し沁みでてきたのです。

 

ぐだぐだ書いたけど、
書いてもしょうがないことですね。
身体って、
当人だけのものなんだからね。
病気のことを言葉にすると、
「お大事に」
と、言葉が返ってくる。
身体の中に
突き上げてくる鋭角があるって言ったって、
当人じゃないからどうしようもないものね。
でも、そこで、
鋭角が身体の内側を削った果てに、
身体は温かいものになるんですね。
身体が当人だけのものでもなくなってくるんだ。
つまり、その先に身体の消失ってこと。
そこに、
名前と言葉と写真とか、
身体なき存在が残ってくる。
また、記憶の中の存在になる。
温かい存在ってこと。

 

「鋭角って言葉から始まって身体を通り越してしまった」という詩から一部引用しました。

「突き上げてくる鋭角」って痛みのことでしょうか、その先に身体の消失があり、身体は他者の記憶となる、と書かれています。
人は逃れ難く誰でもそのように死を迎えるでしょう。

その近くに「温かい存在」があり、そこから声は漏れ出し沁みだすでしょう。
「温かい存在」は大切なものであり愛しいものでもありましょう。
「温かい存在」とは人を根底から支えるものでしょう。

わたしは詩は詩人自身を支えることができるものだと思います。
鈴木志郎康さんの詩は鈴木志郎康さんを支えれば良いのだと思います。
そして鈴木志郎康さんの詩が鈴木志郎康さんを支えられるのであれば、その詩は鈴木志郎康さんが大切に思っているものたちを支えることもできるのだと思います。

大切のものたちは奥さんの麻理さんだったり、猫のママニだったり、子供たちであったり、友人たちであったり、庭の草花だったり、子供のころにみた女の土左衛門さんだったり、詩の読者さんだったりするだろうと思います。

鈴木志郎康さんの新詩集「化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。」は、詩はけっこう素敵なものなんだぜ、ということを示してくれていると思います。

 

 

⬛️「化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。」

2016年8月28日初版第一刷 発行
菊変(214×140) 258ページ

※購入方法は書肆山田サイトでご確認ください。