工藤冬里
新しいプラットフォームはもう
tweet
とは言わないのであった
新しいプラットフォームは
toot(吹く)
と言うのであった
百閒先生曰く、東京から大阪までプラットフォームを 繋げれば乗り換えなくて済む、と
そんな呑気な近代もあったな、と氷雨降る品川駅で墓川は思った
同じプラットフォームでは幾ら吹いても手も声も震えて
#poetry #rock musician
新しいプラットフォームはもう
tweet
とは言わないのであった
新しいプラットフォームは
toot(吹く)
と言うのであった
百閒先生曰く、東京から大阪までプラットフォームを 繋げれば乗り換えなくて済む、と
そんな呑気な近代もあったな、と氷雨降る品川駅で墓川は思った
同じプラットフォームでは幾ら吹いても手も声も震えて
#poetry #rock musician
左と右が千切れて飛んだ構造の中で
愛国心というものを風花の軽さに浮かせて
ぼやけさせた未来の雪曇りに
ひとときの麻痺を狙うマヌーヴァー
に
愛によって絡め取られ
我方他方(アバンタバン)を 失い
凍結され永絶されて
雪曇りの中にひとり
完全な孤独の中にひとり追いやられる
#poetry #rock musician
全てをカレーにして
ステップ・ファミリーも鍋に入れて
前にも見たヴィデオも溶けるまで煮て
エアコンは強に
数の子はもう潰して
シーツは部屋で干す
降る降る言って雪は降らない
風は強い
財布はポケットに
充電器で手の甲が熱い
ナミさんが横浜でライブ中にステージで死んだ
大きな鍋に
ヒット曲を次々と投げ入れて
#poetry #rock musician
バリアフリーの手摺のために
ステンのパイプを切る
(合金で鉄が切れるんだ)
モリブデンかタングステンか
(よくそんな鋸持ってたな)
銀が金に、銅が銀に代わるように
石も鉄に底上げされる
そんな時代が来ますか
僕は石で切れます
石で髪も切ります
午後にはリハビリの人が来ます
#poetry #rock musician
教えることはひとごとのように共に考えることに変わり
それでもそのひとごとを行為の契機にする動機付けを与えるための視覚効果が工夫されていった
走ることはたのしい
と言い聞かせるアスリートのように
一度は黒焦げになった頭蓋を焼杉板にして
塩害防止の黄土を目と耳に塗り
シナプスを組み替えていった
そんなふうにして
真珠採りの筏の家族は
最後の努力を
最後まで続けていった
#poetry #rock musician
釘を踏み抜いて土方が出来なくなり、日野にあった血液検査のラボの徹夜の仕事に変わった。皆肝炎に罹って辞めていった。肝炎は勲章のようでさえあった。休憩室のMTVではレッグウォーマーのマドンナが「ライク・ア・ヴァージン」を唄っていた。そこで知り合った男からSGを借りて、週一で「unknown happiness」とか「河口湖畔にて」といった曲を練習していた。人体内部の病巣を見すぎて顔面がボコボコに腫れるので米軍基地の草刈りの仕事に変えた。朝、岩田を起こしてはキャンプ座間やキャンプ相模原に行った。その頃はよくダモのDUNKELZIFFERを聴きながら仕事していた。ライブは自分で企画しようとすると、国立公民館以外にはできそうなところはなかったので大抵はそこの地下音楽室でやっていた。貸してくれ易そうな「常磐会」という名前にして申し込んでいた。
マヘルが自分で発表したアルバムは、一九八五年の「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ 第一集」と、「pass over musings」という二つのカセットだけである。「・・第一集」のタイトルは、「サヌルリム第一集」からの借用で、以前のNYの断片や、今井次郎ベースの京都のコクシネルなども入っていて、マヘルというよりその時点までの集大成的なニュアンスが強いが、「pass over musings」は純粋にマヘルで、テレヴィジョンで言うなら二枚目である。タイトルはジョイ・ディヴィジョンから取られていて、誰もその歌詞の意味を考えてみようとはしなかった八〇年代初期に、瞑想を拒否し、黙想を黙々に伏して、中天から家々の戸口に付けられた血を確認しようとしている。ジャケットの写真は浩一郎が釜山で撮ってきたもので(当時の釜山ではメイヨ・トンプソンとデヴィッド・トーマスの絵葉書が売られていた)、赤い文字部分は当時の、一字一字シールを貼るやり方で作られている。国立の北口から恋ヶ窪の方に上った台地にほら貝のスタッフが始めた、当時は珍しいピザのテイクアウトもできるハイカラな店が出来て(ヒッピーというのはいつもハイカラなものなのだ)、そこで三谷がカセットのダビングをさせてもらって編集して作った。作れば五〇部は売れた。それが昔も今も変わらない「スマートなオーディエンス」の規模であった。園田による録音が残っていた八六年二月の国立公民館での演奏は、「pass over musings」の発売記念として企画されたものである。対バンは光束夜で、彼らのその日の演奏もレコードになっている。
#poetry #rock musician
世界電池に腐った金柑
謙遜な貧乏籤の男
違いを再び目にすることに
患難とか処刑とか
南らしい真逆のイントネーションで
両親を選ぶ時自分が入ることになる胎を
#poetry #rock musician
あのまま行ったら
どうなってたかわかったもんじゃない
三角の
斜面だけに生きて
香川の雑煮の餡は泥井戸に
もしコロナがなければ
死んでいたかもしれない
坑に下って
僕から僕を引き剥がすために
コロナが興ったと
言えなくもない
そうすると
とんだとばっちり
ということになりますか
みなさん人類には
掘れば水が出たかもしれないが
掘る前に川となり
井戸から飲む前に出発した
そんな風にして
三八年僕に付いていった
#poetry #rock musician
なんで立って歌わないんだ
いつの間にか大きくなって
これじゃ町で会っても分からないなあ
そうか辛抱するだけじゃなくて
お茶を入れてあげたり
今はそこだね
まあいいか
立って歌え
土地の境界ずらすな
ギンと罅割れ
包丁持って
蕎麦植える
高千穂と闘って
三百万の宿営を掻き分けて
山羊捨てに行く
蟹の甲羅年跨いで繋がって
コーヒーミルで蕎麦挽く
そっか辛抱するだけじゃなくて
お茶を入れてあげたり
#poetry #rock musician
ひっそりと越していった
色んなポーズで寝ていた
結局地下室は掘られないまま
常に泣き笑いの顔をしていた
よくインパクトを借りに行った
マキタだった
保護の膜が破れてから言葉は
文字型の木の玩具の剥き出しのようだった
#poetry #rock musician