広瀬 勉
神奈川・湯河原町。
道端のドクダミにカメラを向けていたら、
反対側から声をかけられた。
《うわっ、怒られちゃうのかな。
勝手に撮らないでって》
でも、そういうことではなくて、
「珍しいの? 珍しいの?」
こっちもいい加減おじさんだけど、
こちらが子どもだったときに
すでにおばさんだったようなおばさんだ。
「ええ、八重のドクダミは珍しいですよね。
いつも探しているんですけど、
このあたりでは、ここでしか見ないんですよ」
「そうでしょう、珍しいのよ。
一本だけもらってきて植えたんだけどね、
なんだか増えちゃって。
でも珍しいから切らないでいるのよ」
「本当に珍しいですよね。
このあたりでもドクダミはいっぱい咲いてますけど、
一重のやつばっかりで、
八重はここでしか見ないんですよ」
「そうでしょう、珍しいのよ。
一本だけもらってきて植えたんだけどね、
なんだか増えちゃって。
でも珍しいから切らないでいるのよ」
同じことをきっかり二度ずつ言ったところで、
「どうもありがとうございました」
その場を離れた。
初めて会って、
ほかに話すことなんかないもんな。
《そうか、勝手に生えてきたわけじゃないんだ。
だからよそでは見つからないのかな?》
などと考えた。
おばさんも晩ごはんのときにきっとおじさんに言うだろう。
「あんたはいつもそんなもん刈っちまえって言ってるけど、
今日は珍しいですね、っつって、
写真まで撮ってった人がいるのよ」
来年も八重のドクダミを楽しめるはずだ。
生魚と肉を使わないメニューを求める私の日常は
中落ちもしめ鯖も羊肉もトリッパも愛してやまない
イナゴの佃煮やサザエの壺焼きやシャコは苦手だけれど
だからといってあまり困ることはない
刺身やつくね、ハンバーグや焼鳥が苦手なのは母
二〇一五年六月一日現在齢七十九
体脂肪率十八パーセント体重三十八キロの
母は生ものと肉に加えて鰻も好まない
ただし穴子は好む
その差異を咎められても答えられないのが
好き嫌いというものであるから
そういうものだという手本を身近にもつことは悪くない
連れ立って入る店の候補から
鰻や焼鳥、焼き肉の類いはまっ先に外れる
寿司は穴子やかんぴょうという選択肢により
候補に残らないでもないけれど
予算の点で概ね遠い存在にとどまる
(むしろいわゆる中食という形で
デパ地下で太巻や稲荷寿司を選ぶ母
穴子の押し寿司を母にと選ぶ私
目の前に運ばれてくるのではないそれは
寿司といっても生加減の少ない
別様の食べ物だ)
そんな母だからむろん親子丼は食べないし作らない
わが家ではもっぱら玉子丼だったのだけれど
その玉子丼がどんなものかといえば
母は生が苦手つまり半熟も苦手
私は生も大丈夫むしろ大好きで
半熟のうちに私の分を取り分けると母は
残る半分をさらに火にかけ
心おきなく固ゆでにした卵としんなりした玉ねぎとよく馴染んだ薄揚げを
ご飯に乗せて食べるのが流儀で
そこにつゆはかけないのが好みで
半熟の私のほうに鍋のつゆあらかたが注がれ
そんな母の中性脂肪やコレステロール値が
高いという下げなくてはという
薬には頼りたくないけれどと漢方のお医者を訪ね
卵はあまりよくないのだってとため息
魚を焼いたり煮たりするより楽だから
やっぱり卵に傾くよね
でもよくないのなら、それなら、と素人考え
作りもしないくせに私、思いつきだけはね
ほら昔から工作でも完成度はともかく
アイデアはいいねっていわれてたくらい
それなら、それなら
湯葉はどうかな
卵よりだいぶ値は張るけれど
私たちステーキも鰻も食べないし
量だってほんの少しで足りるもの
最近は近所に豆腐屋さんがなくても
京都の湯葉だって手に入りやすくなったしね
そうだねなんて相づちは打たないのもやっぱり
母の流儀
広小路の松坂屋が神戸で作ってる湯葉を置いてたよ
戦利品を見せる母の笑顔
ごめんねアイデアだけで
買ってきて作ってくれる母食べるだけの私
気がついたら亡くなった父のポジションにおさまりかえって
まかせっきりでごめんね
あたたかくふっくり香る豆の乳の
ゆわり広がる表を覆ってゆくさざなみの
いっしゅんをうつす薄様
重なり合う舌ざわりに遅れてやってくる
何ものにも紛れないしたたかな味わい
玉ねぎと薄揚げの仄甘さに湯葉は似合って
卵のように固ゆでにしなくても食べられる
それでもやはり母の丼はつゆが少なく
私の丼ばかりがつゆだくになる
そんな休日
そんな休日
なぁんて思ってたら
鈴木志郎康さんの奥さんの麻理さんが始められた
「うえはらんど3丁目15番地」に伺った週末
辻和人さんと新宿で別れ際までお喋りしていて
「それじゃ、これから買い物ですか」
「そうなんです。小田急ハルクの地下で野菜がいろいろ買えるので」
また、と手を振ってハルクの地下で和歌山の蕪に香川の菜花
沖縄の南瓜まるごと買いながら
「お弁当も買って帰るからね」とメール
ところが
蕪と南瓜で手いっぱい重たいしかさばるし
食べ物を手にするうち急激にお腹が空いてきた
たぶんこのくらいの時間の流れが自然なんだよ
流通ってどれほどくるしいおあずけの連続なんだろう
「お弁当は無理そうなので、湯葉丼お願い」
「了解! すぐ始めるね」
「お願い」
山手線の家族連れ移動中のふたり部活帰りの高校生にまじり
南瓜に蕪に菜花を提げて湯葉丼へといえわが家へと
ところがところが
あと五分の最寄り駅で着信
「たいへん! 湯葉がない!」
「湯葉と思ってたのは豆腐のパックだった」
「申し訳ないけど今から広小路まで買いに行ける?」
南瓜と蕪と菜花を抱えて空腹抱えて
広小路まで
乗り換えて階段上がってダッシュダッシュ
閉店間際の品切れ場面がちらつく頭をふりふり
「春日通り側の入り口から入ってすぐ右の下り階段下りて右へ
壁側にある 豆乳入りを なければ出汁入りでも」
指令は完璧
品切れの場面は再現されず、
豆乳入りも出汁入りも選べる幸せで空腹を紛らせながら
欲ばって三つ買う
ここまで来たら重いしかさばるから二つも三つも同じこと
そんな休日
そんな休日
全く月並みな話ですよ
全く人並みな話ですよ
夏と言えば花火大会ですよ
カップルで並んで眺めるのが定番ですよ
でも
仲間とワイワイ行ったことはあっても
カップルで、というのは人生史上例がない
ない、ない、ないなあ、ないんですよ
それが本日、人生史上の例、作っちゃうんですよ
このままだと
月並み人並み定番の輪に入っちゃうっていうんですよ
どうしよう!?
西国分寺の駅を降りて
スーパー抜けてガード潜ってパチンコ屋さんの前を通る
勝手知ったる道
最近、毎週末足を運んでるからね
この少々殺風景な道路を越えると
緑豊かな地域が広がっていてミヤコさんのマンションがある
夏の熱い風に煽られた白い蝶々に導かれるように歩いていると
頭の中もひらひらしてきて
「勝手知ったる」関係まで来た
ってことに今更ながら驚いちゃうよ
とか何とか言ってるうちに着いちゃった
「いらっしゃい。お待ちしてましたよ。」
へーっ
ナデシコの花がぽぅっと浮かんだ、紺の地の衣
きりりとコントラストを作る、黄色の帯
髪には白菊の飾り
「わぁ、すごく似合ってますよ。きれいな浴衣だなあ。」
「ありがとうございます。自分で着るのは自信がなかったので、
美容院で着つけてもらったんですよ。」
おしょうゆ顔のミヤコさんに和装は似合う
ンだろうなあと予想はしていたけど
ホント良く似合ってる
「自分で買ったんですか?」
「いいえ、昔、着物好きの友だちからもらったものなんですけど、
なかなか着る機会がなくて。
実は、浴衣で花火大会行くの、これが初めてなんですよ。」
えーっ、そうだったのー?
責任重大じゃん
ぼくで良かったんですか?
おいおい、変なこと自問するな
「記念に写真撮らせてください。」
前、横、後、アップに全身
7枚も撮らせてもらった、ヤッホー!
「わぁ、良く撮れてますね。ちょっと恥ずかしいけど嬉しいです。」
ぼくも嬉しい
ミヤコさんの初めての浴衣着用花火大会
成功させねばっ
立川駅を降りると
まだ5時前だっていうのにすごい混雑ぶり
あちゃー、ちょっと遅かったかな
歩道橋を降りるのにもひと苦労
「ミヤコさん、大丈夫ですか? もっと早く来れば良かったですね。」
「みんなが楽しみにしている花火大会なんですから当たり前ですよ。
それより、今から昭和記念公園の中に入るのは大変なので、
花火が見られる適当な場所を探しましょうよ。」
ごもっとも
のろのろ進みキョロキョロ探す
おっ、あの辺り
公園からちょっと離れてる、まあ道端なんだけど
視界は開けてるし座り心地は良さそうだしトイレも近くにあるし
「ミヤコさん、あそこどうですか?」
「いいですね。シート出します。」
首尾よく陣取り終了
さて、ビールとつまみ、買ってくるか
ひと息ついて周りを見渡すと
浴衣を自慢げに着て
「彼氏さん」に笑いかけている色とりどりの「彼女さん」たちがいる
落ち着いた色調の浴衣をしっとり着こなした、大人ぁって感じの女性もいるし
ほら、あのコなんか
いかにも付け帯ーって感じの帯を
マンガみたいなキッチュな柄の浴衣につけてケータイ握りしめてるよ
オシャレに甚平着こなしている男性、増えてきたなんだな(ぼくはジーンズだけど)
同性のカップルもいるし
歳の差カップルもいるぞ
パッパパーンッ
始まった
花火が次々にあがる
「わぁ、すごい。よく見えますね。この場所正解ですよ。」
「バッチリですね。それにしても凝った花火が多いなあ。」
シューッとあがってパンッパンッパンッ
3回くらい開く花火やら
真ん中が密で同心円状に薄く大きく広がっていく花火やら
ほわぅん、笑った顔みたいに見える花火やら
面白いアイディアの新作花火がいっぱい
やるねー
花火もすごいけれど
「ウォーッ」「ワァーッ」
周りの歓声もいい感じだ
隣にいる女のコなんか彼氏さんの甚平を掴んで
びゅんびゅん振り回しながら黄色い声張り上げてるよ
ここにはカップルの定番の姿があるんだなあ
そしてぼくたちも今まさに
その一員として行動しているってわけ
叫んだりはしないけどさ
浴衣の似合うミヤコさんの腰に手を回して
ビール片手に微笑み合ったり
40代にして2人して
定番デビューだ
「このソーセージ食べちゃいません?」
「あ、いただきます。」
ケチャップで汚れてしまった指を見てすかさずティッシュを出してくれる
ミヤコさん、こういうことにすぐ気づく人なんだ
昔はどっちかっていうと花火大会なんかバカにしてたんだよね
夏の一番暑い時に人の集まるところでベタベタしちゃって、なんて
確かに確かに
カップルで集まる場所にはそういうトコ、あるのさ
花火大会とかクリスマスイヴとか
儀式みたいに一律な定番の作法ってのがあるのさ
でもでも
俯瞰してみるとそうかもしれないけど
一人一人は結構個性的だぜ
ぼくたちがまさにそうじゃないか
「うわぁ、あのしだれ柳みたいな花火、好きですねえ。
開いてからあんなに長く空中に残るんですねえ。」
うんうん
ぼくとしてはミヤコさんの横顔も目に焼きつけとかなきゃ、だ
初々しい定番デビューの横顔
ビールでちょっと赤くなってるその頬に
隣ではしゃぐハタチくらいの女のコに負けない初々しい気持ちが
しだれ柳を模した光線のように強く、長々と、しなやかに
刻まれているんだ
フィナーレの派手な打上げの後
これで終わります、のアナウンス
ゴミを袋に収めてシートを畳んで
「楽しかったですね。さ、行きましょうか。」
腰をあげて大量の移動の列に加わる
のろのろしか進まないけど
なあに、急ぐことはない
ぼくとミヤコさんの人生史上初の例、無事終了
月並みな話は
月並みじゃなかった
人並みな話は
人並みじゃなかった
これから中央線に乗って少々殺風景な道路を越えて緑豊かな地域に入って
勝手知ったるミヤコさんの部屋で
今日見た花火のことをゆっくりゆっくり話し合おうか