野上麻衣
くらす人は
いつも記憶があいまい。
さいしょの頃は
わすれちゃった、
とばかりいうので
嘘つきなのだと思っていた
だからみるのは、からだだけ。
はじめての山の夏。
窓にクワガタやってきて
夜のみどりにつれだされる
よっつの耳がきいた
にぎやかで、
やわらかな、陽のない庭
からだにその夜をたずさえて
声をめぐり、
息をつなぎ、また次の夏。
おぼえている人がいるから
ぼくはわすれても、いい。
くらす人は
いつも記憶があいまい。
さいしょの頃は
わすれちゃった、
とばかりいうので
嘘つきなのだと思っていた
だからみるのは、からだだけ。
はじめての山の夏。
窓にクワガタやってきて
夜のみどりにつれだされる
よっつの耳がきいた
にぎやかで、
やわらかな、陽のない庭
からだにその夜をたずさえて
声をめぐり、
息をつなぎ、また次の夏。
おぼえている人がいるから
ぼくはわすれても、いい。
ある日男は、「ありのままの世界が聞こえる音楽」をつくろうと思った。
3つの休止符からなる「4分33秒」のフレームの中では、
偶然の音楽が、次々に生まれては、消えていく。
ある日彼女は、「人の心が映る服」をつくろうと思った。
構想10年、実践10年、それは本当に出来てしまった。出来ちゃったのよ!
そのとき服は、秘められた夢を映し出す透明なフレーム。
ある日わたしは、「誰にも見えない冷蔵庫」をつくろうと思った。
絶対零度-273°Cの冷蔵庫の中には、
二十歳の秋に堕した嬰児が、微笑んでいる。
*ビデオ作家の小金沢健人によれば、ジョン・ケージの「4分33秒」とは273秒であり、おそらく絶対零度の数値-273°Cに由来する数字らしい。
(神奈川近代美術館鎌倉分館「小金沢健人×佐野繁次郎ドローイング/シネマ」展会場配布資料「433 is 273 for Silent Prayer」に拠る。)
昨日
午後に
静岡駅の
北口の
地下広場の
市立美術館のポスターの
前にいた
立っていた
月の最初の日曜日に
いつも
駅前に佇ち
通る人たちの
花の名を聞き
詩を書き捧げる日だった
駅前にいた
立っていた
“戦争、やめれ!”
“すぐ、やめれ!”
“殺すな。”
そう叫んでいた
そう拡声器で叫んだ
一昨日も
東京の水道橋の駅前にいた
立っていた
叫んでいた
高橋朝さんが足元に横たわってくれた
駅前の道路に
横たわってくれた
どうだろうか
声は届くだろうか
その声は届くだろうか
ガザの人びとに届くだろうか
蝶は羽ばたくだろうか
駅前を人びとが通り過ぎていった
夕方には吐く息が眼鏡を白くした
#poetry #no poetry,no life
水を
植木鉢やプランターに撒いていたら
ちょっと
離れたところの
バラの葉や
オリーブの葉のあたりに
羽ばたきのような音をさせながら
なにかが飛んでいた
とっさに
大きめのトンボか
と思ったが
こんな冬のさなかに
トンボが?
と思い返した
晴れた
寒くない午後だったので
どこかで越冬していたトンボが
ふと目覚めて
飛んでみた
ということがあっても
おかしくはない
羽ばたきの音が
機械じみた音にも聞こえたので
ひょっとしたら
ドローンだろうか
とも思った
ともあれ
飛んでいるのに気づいたのは
一瞬のことで
トンボか
ドローンか
確かめようとしても
もう
どこにも姿はなかった
花咲く庭にいるとね
ときどき
飛んでいる妖精が見えたりするんだよ
としゃべっていた
小学校時代の友だちの
久本くんを
ふと思い出した
なんどか
久本くんの家の庭に
花を見に行った
ぼくはこの庭だけが大事で
ほかのことは
ぜんぶ
どうでもいいんだよ
と久本くんは言っていた
花がいっぱい
きれいに咲いても
花が咲かなくて
雑草や枯れ草ばかりの冬でも
この庭だけが
どきどきするほど
好きなんだよ
ただここにいて
座って草花を眺めていたり
突っ立って
からっぽの頭で
空を見たり
草花の上の空気を見ていたり
目をつぶって
きのうの雨の乾いていくにおいや
土のにおいを嗅いでいたり
そんなふうに
してみているのが
ぼく
と
久本くんは言っていた
トンボか
ドローンか
わからないけれど
久本くんよりもずいぶん遅れて
妖精が
一瞬だけでも
見えた
可能性だって
まったくないわけでは
ない
ありのまま 進んでいくと
分かるかも あなたの良さが
人生の 破片を集め
成長を 続けるんだ
ほら明日 立ち止まらない
君がいて 進もうとする
君がいて 未来への旅
続けてく 明日の天気は
晴れること 光を浴びて
颯爽と 前へ進めよ。