広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
バケツにはなにも入っていない
空のバケツ
空のバケツの上に空のバケツ その上にまた空のバケツ そのまた上にもバケツ、バケツ
空っぽのバケツがうず高く天へと積み重なる
バケツはみんな黒ずんで それぞれに汚い
うんと年期の入っているのから 新しめでつやが残ってるのもありさまざまだけど
形は同じでそして空っぽ
だから、積み重なる いくらでもどこまでも永遠に、未来永劫、積み重なる
積み重なるとき バケツは バケツの役目を果たしていない
ただ並んでるだけの見世物だ
息が苦しい
ああまたどんどん積み重なる
雲を突き抜け 鳥も、神も、知らない世界に入り
それでもまだまだ積み上がり
空が黒ずむ バケツの汚れ、バケツたちが放散する煤で黒ずむ
私はどれ? 私がどれだかわからない
自分がどれだかわからない
こんなにたくさんバケツがあるから
自分はいなくていいと思った
いなくていいけど 積まれていた
上も下もぎっしりで いないことができなかった
何もしてない いるだけなのに 汚れていった
積み上がりすぎたバケツは
もう誰にもどうにもしようがない 使えないので
数だけいっぱいで何の役にも立たないバケツ
悪態をたたきながら工場では 新しいバケツを導入した
新しいバケツに 金属クズが投げ込まれる
水が張られる
工具が置かれる
「余ったバケツは重ねておけ」
その瞬間 バケツの心臓は凍りつく
カモの一団が飛んできた
同じ速度で 同じ飛形で
たくさん たくさん みんな黒くて
みんな羽があって みんな自由
なのに一斉に 同じ角度で
同じ見事な羽さばきで
着水した
真冬の朝の冷たい川に
取り残されずにここまで渡ってきたカモたち
ホッとしたように川に浮かぶ
すごい、すごい、子供が叫ぶ
写真を撮ってる人もいる
真冬の朝 冷たい川のそばの冷たい工場 冷たいシャッター
その前に冷たい外気に晒されたバケツの塔
上も下もぎっしりでみっしりなので 寒くはなかった
私は望んでここにいるのかもしれなかった
(12月某日、奥戸2丁目製作所前で)
たぷたぷりたたっぷたぷ
とそこに
湯は張られてあり
みなそこへゆきそこからかえる
まるくみちみちとしたちいさな子を抱えるわかいひととその母らしいひとや
前髪きれいなボブのひととそのままちいさくしたような切れ長の瞳の子や
杖つきながら脱衣場よこぎり椅子に腰おろすや丹念に
一枚またいちまい身につけてゆくひと人ひと
引き戸が開くたびに温気がすっと流れ込む
重ね着にも程がある
三枚四枚五枚着込んだ私はようやくすべて脱ぎきり
ぎゅぎゅうロッカーにおさめ
洗顔ジェルやシャンプー洗い髪を束ねるタオルやクリップ水入りボトルを手に
引き戸の向こうへ踏み入る
足うらが濡れる
市立薬草薬樹公園丹波の湯
漢方の生薬もろもろ栽培されてきた数百年を
観て香って歩く公園にしたアイデアってなかなかそして
温泉の代わりに薬草薬樹を活かしたお風呂を設けたという次第よきかな
移り住んで三年あまりちょくちょく来ている
朝晩冷え込む十一月下旬
使い古しの電気温水器が故障いやついに壊れてお湯が出ないわが家から
ここは
徒歩では厳しいけれどユウキの車でなら十五分あまり
ありがたや
よかったねえ駆け込みお風呂があって
「まったくなあ
じゃあ一時間半後にね」
と手を振るユウキが早くも業者さんを探しあて
交換する機種も決まったものの実物が
年内に届いて工事ができればいいけれどと
見通しはまだ立っていない
そういえば去年の今時分だったかここの脱衣場で
市内いちばん寒い町から来たという年配のひと
お風呂が壊れて交換まで三週間かかるのだと
うーんまさに今のわが家じゃないか
あれっほんの十日前のこと高松の母の部屋を訪ねたら
蛇口からお湯が出ないのでメーカーと管理会社に連絡して急き立て
翌日には修理のひとが来て直ったのだったよ
まさかまさかわが家まで
サウナとジェット風呂、ぬるめの薬湯は当帰もしくは十種ミックス
髪を洗いタオルに包んで身体を洗ったらジェット風呂へ
ほおおおっ
息がもれるのは身体のどういう仕組みなんだろう
ゆるむというのか湯気の湿り気が隠れたスイッチを押すのか
ぼこぼこ泡に圧されて温まったら
覗いてみて小さめぬるめの薬湯へ
こちらの浴槽も窓の外は緑
当帰の湯にひとり
おばあさんとは呼びたくない短髪の
年配のひと
しずめた身体はくつろいでいる
お湯のなかだもの
ふっと目をつむっている
無粋にいうなら中肉中背の体格
皺もしみも拒まず
きっとたくさん働いて乗りきってきたひと
なのだろうな
気持ちいいお湯ですねえ
などと声かけるのもためらわれ
少し離れてじぶんの身体をしずめる
ほおおおおっ
もれる息をちいさく逃がす
目つむるひとのまとう空気を揺らしたくない
窓の外と葭簀をのせたガラス張りの天井から差し込む初冬の光が
湯気を分けて
まぶたを閉じているそのひとの
面差しと身体を明るませる
私に絵筆があるなら
湯と湯気と光につつまれたそのひとの姿を描きとめるのに
しらないそのひとの
ただそこに在るかたちの
佇まいの荘厳
と言いたくなる
絵のようです
おごそかできれい
などと声かけても
訝しいから
声をのむ
そのひとより先にあがって
薬湯のしずくを洗いながし
ビニルに包んでいた手ぬぐいでくまなく拭く
しばらく前から家でも
風呂上がりはバスタオルをやめて手ぬぐい一枚
そう
リュックの中に手ぬぐい常備三、四枚
鈴木志郎康さんの詩の手書き原稿をデザインして
さとう三千魚さんが作成なさった藍染めの手ぬぐいも
持ち歩いているのだけれど
バスタオルの代わりにするのは気恥ずかしく
色褪せかけた縞柄の一枚でぬぐう
スッとしずくも湿りも吸い取ってくれて
ありがたや
脱衣場の
次々に来るひと着て帰るひとの行き交いを縫って
ロッカーを開け
まだすぐ着て帰れない
インド綿のノースリーブワンピースをかぶり
ヘアブラシや乾いたタオルを手に洗面台へ
生乾きの髪では風邪をひく
ドライアーをつかう前に
顔をあらう
冷水で
そうだ
あの藍染めいちめんの地に
志郎康さんの文字志郎康さんの言葉が浮かぶ手ぬぐいを
おしあてる
今度こそ
あ、あぁ
やわらかい
顔いちめん
やわらかくてあたたかい
使いはじめに四度五度もみ洗い
色をおとした生地が乾いて
やわらかい、なあ、と
両の手でひろげれば
それゆけ、ポエム。 *
それゆけ、ポエム。
* 鈴木志郎康さん作品「詩」より
二〇二四年一月一日一六時一〇分頃、能登半島付近を震源とするマグニチュード七・六の大地震。続発する揺れのさなかに在る方々の安全を、切に祈りながら。
(わずか半月、家の蛇口から湯が出ず、入浴できなかった日々でさえ不自由をかこった。一月の寒空のもと、不安と緊張に晒され、倒壊現場でいのちの危険に瀕しておられる方々が、少しでも早く心身ともに安心安全な環境で過ごせますように)
越せないかと
思った
モコは年を越せないかと思ってた
いつか
雪が降るのを見ていた
日野の駅で
見ていた
ゆらゆら
ゆらゆら
雪は
降りてきた
モコ
ふらふら歩いていった
義母の仏壇の前に
歩いていった
“まんじゅっこ”と義母は呼んでいた
モコ
さがしてた
声をさがしていた
声をさがしていた
モコ
見ていた
モコ
見えないものを見ていた
語るな
語るな
この世に雪は降っていた
この世に雪が降っていた
ゆらゆら
ゆらゆら
降っていた
いつまでも見ていた
歩いていった
#poetry #no poetry,no life
無糖ストロングゼロをコンビニの裏で半分捨てて2023を終わらせたのがアル中には早過ぎるというなら何が遅過ぎたというのか世界を締め殺すのには
〇〇史という設定が崩れてきても泪のギターは残る。鋭角の残存物となった嘘は全面対決に向かう。ひとりの嘘として泣いているのだ。
最後の赤軍はリモコンで地雷の蕪を抜き、横たえる。横たわる蕪は満月の下で再び人間爆弾となり、狼狽えながら肺をやられる。股引の身体性を捨象したバルザック的な兵士として、蟹は月夜の畑に横退る。
見えるものは影にすぎず見えない方法そのものが実体である。祭壇は人が望むものではない。銅の体を着けたままその奥に入ることはできない。
咳を殺してベタ塗りの黒
Q&Aは
主題さえ分からず
不本意な年末
名誉回復のために考えついたのが国
国が先
目的が変わらないとはルートを変更するということ
名誉回復のために考えついた国には
無意味だった年始
主題さえ分からず
Q&A
咳を殺してベタ塗りの黒
国では誰が一番嬉しいだろうか
敵意が最も激しくなる時
戻れないとは思わなかった
強風に揺れる泰山木
雨混じりの明かるい日差しの中
世界にはもっと気味の悪い天候のところもあるんだろうなと思いながらも遠くの
雪山に合わない黄緑を見ている
能登の親戚は山に逃げて車中泊
#poetry #rock musician
言葉は 錆びたナイフのように
他人(ひと)ではなく
自分を 深く 傷つける
怒りは 怒りを呼び
怒りの連鎖を生む
砂糖は 体に悪い
意味の分からない言葉たち
人は 言葉によって 分かり合え
愛し合えるのだろうか
男は しばし 歌を唄い続けた
錆びたナイフを片手に
透析のクリニックの、やけに白い待合室で
一本足の、灰色の男を見かけた。
私は、全盲のおじいさんの車椅子を押して
待合室に入ったばかりだった。
人たちは皆うつむき加減で
テレビから聴こえてくる笑い声にじっと耐え、
迎えの車が来るのを待っていた。
翌々日も、同じような時間に同じ場所で
その男を見かけた。
その男も車椅子に乗っていた。
迎えが来るのを、待っていた。
私は、男の見えない足を見ていた。
見てはいけないものを、見ていた。
そして、おじいさんの車椅子にブレーキをし、
近くのソファに座ってぼんやり考え事をしていた。
娘たちのこと、夫のこと、猫たちのこと
遅かれ早かれ終わりはやってくるのに、
私たちはなぜ、出会ってしまったんだろう。
そんな悲しい詩の言葉を、
心の中で反芻していた。
やがて、その一本足の男を見かけることは無くなった。
ある日、待合室のあまりの沈黙に耐えかねて、
テレビのチャンネルを変えた。
昼のニュース番組だった。
灰色の瓦礫の山の中に、
片足を失った少女が立っていた。
片足だけでなく、親も兄弟も住む家も無くしたという。
泣き腫らした、燃え尽きたように黒い瞳が
怯む私を突き離して、遠くを見ていた。
一本の松葉杖にしか頼る術のない
不安定にグラグラ揺れる世界が、そこにはあった。
決して目を背けてはいけないものから
目を背けて逃げた私は、
真っ赤に燃える荒野にいた。
そこには、右足を失った18歳の眠がいた。
足元には猫のサクラが寄り添って
じっと前を見据えて
死にたい自分と、闘っていた。
荒野には左足を失った16歳の花もいた。
靴も履かずに、花は
割れた手鏡の破片で血を流しながら、
背筋をピンと伸ばして
昔の自分と、闘っていた。
眠は、使い古したクロッキー帳と鉛筆で、
花は、痛みと引き換えに手に入れた
スネークアイズとスネークバイツで武装して、
自分達を食い潰そうとしている世界と必死に闘っていた。
時には一方に無い右足になって、
時には一方に無い左足になって、
グラグラ グラグラ グラグラと
不安定に
沸騰する
世界
世界と少女たちは互いの肉体や精神を食い千切ろうと、
ギリギリの均衡を保って屹立している。
彼女たちの視線の先にいるのは
もはや私なんかじゃない。
彼女たちは叫び、抵抗し、暴れ回る。
彼女たちには叫び続けてほしい。
この世界が壊れるまで。