鳥をくわえたファミ

 

辻 和人

 
 

狙って
狙って
待って
待って

実家に預けた猫のファミとレドの様子を聞くために
ちょくちょく母親に電話してるんだけどね
大抵は「猫ちゃんたちは元気よ、元気元気」なのに
今日のは違った
大違い

「本当は昨日、こっちから電話しようと思ってたくらいなんだけど
ファミがね、庭に出していたら
鳥を捕まえてきたの。
それもヒヨドリ。15センチくらいもある大きいの。
くわえてきてベランダに座ってるから
気持ち悪くてどうしようかと思ったんだけど
お父さんがまあ入れてやんなさいっていうから戸を開けてやったら
得意そうに部屋の真ん中まで持ってくるのよ。
それで、もう死んでたんだけど噛みついたり、前足でいたぶったり
こんな大きな鳥を捕まえたことなんかなかったからすごく興奮してたみたい。
いったん離れて勢いつけて飛びかかったり
羽が飛び散るからまた外に出したけど
そしたらすごいの、鳥を食べてるの。
いやあねえ。
口の周りを真っ赤にしちゃって
そしたら食べ残しを今度はレドが食べるのよ。
羽、ベランダにいっぱい散らかしちゃって
ああもうびっくりした。
夜は甘えて布団の中に入ってきたりするんだけど
何だか顔つきも鋭くなって野生に戻ったような感じがして
恐い気がしてねえ。
やっぱり猫は狩りをする動物なんだねえ。」

‥‥‥う、う、
良かった
良かったなあ……
じぃーん
電話を切って、胸の底から湧いてきたのはそんな感想

狙って
狙って
待って
待って

そうなんですよ
狩りをする動物なんですよ
ファミは子猫の頃から虫を追っかけるのが大好きだった
蛾が飛んできました
プァタプァタ、プァタプァタ
ムニュウーン
ギザギザと曲線が入り混じった複雑な形の線が空中に描かれています
誘惑の線です
縦長にぴしっと並んだ子猫ファミの2つの瞳孔
線の先っぽのプァタプァタ揺れる点を
狙って
狙って
えいっ
あ、逃げられた
惜しい
タイミングが少し遅かったか
すると黙って見ていた母猫クロが
そろりそろりと獲物の下に移動
線のパターンをじっくり解析
後ろ脚を少し踏ん張ったか
ヒュヒュウッッ
おっ、お見事
蛾は一瞬でクロの鉤爪の中に
熟練の技に目を丸くして見入る子猫ファミ
クロが捕まえた獲物をつまらなそうに放り出すと
ファミは恐る恐る臭いを嗅ぎに近づく
こういうことなんだ
狩りってこういうことなんだ

いつしかファミは狩りに習熟した
獲物の気配を探り
その動静を目玉をキョロキョロさせて見極めるんですよ
身を隠す草陰を探し
息を殺して姿勢を低くし
しっぽは左右に鋭く振ってバランスを取るんですよ
待って
待って
一気に飛びかかる
獲物は驚いて逃げようと羽をバサバサ動かすけれど
逃げようとする必死な様子がますますファミの狩猟欲を刺激するんですよ
逃げようとするから追いかける
逃げようとするから押さえつける
爪は、今は定期的に切ってはいるものの
獲物の肉に食い込む分には十分鋭い
そして牙
ぼくと遊ぶ時みたいな甘噛みではなく
獲物を仕留めるための本噛みですよ
だがすぐには殺さない
そんなのもったいない
前足で叩いたり口でくわえて振り回したり
弱ってきた獲物がぴくぴく動く様を目の当たりにして
ファミの内部にぽっと炎が灯る
羽が飛び散ったりすると
もう、たまらない
わざと口から放して
よたよた逃げようとするところで
もう一度飛びかかったりするんですよ

鳥を重そうにくわえてのしのし歩くファミの姿は厳かで
古代の人々が敬い恐れていた神の似姿そのもの
“待つ”のが下手でよく獲物に逃げられてしまうレドは
ちょっと後をそろりそろりとついていく

獲物をくわえたファミは神様になった
レドはつき従う神官になった

こんなすごいの捕まえたぞ
見るが良い、見るが良い
自慢する程に威厳と神々しさが増す
おヒゲぴんぴん、黒目ぱっちりな顔の得意げなこと!
ああ、古代、神というものはこんな感じだったのかもしれないな
堂々と民の前で弱い者をいたぶって
力を誇示する
有無を言わせない
あれってさ、民に甘えてたのかもしれないな
見るが良い、見るが良い
洪水なんか起こしたりして
民に崇めてもらいたい
これ、人間だったら悲惨ですよ
許されないことですよ
でも猫だから許されるんですよ
ファミ、ファミ
良かったね
猫に生まれて良かったね

とまあ、ぼくは自分の目では見ていないんだけど
実家の問題としてはいろいろ困ることもあるんだけど
ケータイごし
まばゆい光を背負った存在に
思わず手を合わせてしまったんですよ
狙って
狙って
良かったね

 

 

 

「ために」の出番

 

辻 和人

 
 

ぐっぐっぐっ
鍋の中にあるのは
カレー
かっかっかっ
からぁーいん
ジャガイモの
かっかっかっ
皮を剥いて
ニンジンと一緒に一口大に切って
ゆっゆっゆっ
茹でるん
今日は土曜日
だけどミヤミヤ出勤の日
大学の教務課って土曜日もやってるん
交代で
しゅっしゅっしゅっ
出勤するん
かっかっかっ
カレーの出番
かずとん、かずとん、かずとんとんの
数少ないレパートリん

窓の外には桜の花びら
ピンッ、ピンッ、ピンッ
ピンクが吹雪いて
夕闇が明るい
庭に桜が植わってるマンションって良しですよ
こんなマンション見つけてくれたミヤミヤって良しですよ
よしっよしっよしっ
ミヤッミヤッミヤッ
そんなミヤミヤの帰りを待って
食事を作る
学生さんたちのために職場で頑張っているミヤミヤのために
カレーを煮る
ミヤッミヤッミヤッ

ファミ、レド、ソラ、シシのために
毎日ご飯を用意していたなあ
安売りの大袋に詰まったカリカリをお皿に移して
それだけじゃ寂しいので
猫缶も乗せてあげる
どうぞ、召し上がれ
ぼくに対して何の遠慮もないファミは真っ先にズカズカ近づいてきて
ふゅっふゅっふゅっ
鼻を細かく震わせて匂いを確かめると
前足を踏ん張って「食べるぞ」という態勢を整える
ガリッガリッガリッ
時折頭を起こして
噛んだご飯をゆっくり飲み下す
その、遠くを見るような眼差し
ぼくを貫いていってそのまま色褪せた壁に突き刺さるん
ぼくに対する感謝なんて込められていない澄んだ眼差しに
ドッキドッキドッキ
食べ終わったファミは舌なめずりしてから
ちゃぴちゃぴちゃぴ
おいしそうに水を飲んで悠々毛繕い
やがてそろりそろりとレドとソラが入ってくるん
シシは部屋に入って来ないのでベランダにお皿を出してやるん
ガリッガリッガリッ
ガリッガリッガリッ

夕闇がほんとの闇に変わってきた
そろそろミヤミヤ、帰りの時間が近いかな

ぐっぐっぐっ
ジャガイモもニンジンも柔らかくなってきました
いざ、投入の時
タマネギ刻んで
トマト切って
じゅっじゅっじゅっ
炒めて炒めて炒めて
ざぁっと一気に鍋の中へ
トマトは大きいのを1個丸々使うのがかずとん流
そろそろサイドメニューも作りますか
レタス刻んでアボガドの実掬って
スモークサーモンを添えればサラダ一丁あがりん
酢にオリーブオイルと塩・砂糖、それにお醤油を少々加え
即席の和風ドレッシングもできあがりん
お湯を沸かして
さっき炒めたタマネギの残りを入れてスープの素を加えれば
なんちゃってオニオンスープもできあがりん
おっとそろそろお肉も投入するかな
ざくっざくっざくっ
解凍した鶏肉切って
じゅっじゅっじゅっ
ワインを少々加えて炒めて炒めて
ざぁっと一気に鍋の中へ
肉も野菜も切り方が実に不均等
男の料理はお手軽だねえ
ねえっねえっねえっ

ミヤッミヤッミヤッ
自転車を走らせて家路につくミヤミヤ
真っ暗な中、細いライトをしっかり灯して
表通りは車が多いから裏通りを選んで
路地から飛び出してくる人がいるかもしれないから
交差点が近づくごとに
きゅっきゅっきゅっ
ブレーキ握って
慎重に自転車を操るミヤミヤ
一日中学生さんたちのために
忙しく書類を作ったり問い合わせの電話をかけたり
誰かの面倒を見るなんて発想が一切ないファミとは大違いだけど
夜になればお腹が空くことは同じ
さ、一旦火を止めていよいよカレー粉投入
まだ冷える4月上旬の夜にカレーライスはおいしいよ
かっかっかっ
からぁーいん
あっあっあっ
あったかーいん

ミヤッミヤッミヤッ
ミヤッミヤッミヤッ
ぼくはさ
誰かのためになんて発想はない人だったんだよん
けど
ファミ、レド、ソラ、シシが空きっ腹抱えてちゃしょうがないん
ミヤミヤがお腹空いてちゃしょうがないん
ぼくはさ
万物の霊長らしき「人間」に生まれたん
先進国らしき「日本」に生まれたん
家を継ぐらしき「長男」に生まれたん
安月給だけど安定してるらしき「正社員」になったん
亡くなったおじいちゃんは参謀本部に勤めた軍人で
戦争はいけないと言いつつ孫たちに勲章をいっぱい見せてくれたん
ギラギラ光って
怖かったん
「ために」するのはやだな
「長男」はやだな
「日本」はやだな
「人間」はやだな
でもって「正社員」もやだな
なのにどれもやめられない
困って祐天寺の六畳一間のアパートに引き籠ったん
居心地良かったん
20年そこで眠ってたん

ところが何と何と
ファミのために、レドのために、ソラのために、シシのために
ご飯作らなきゃいけなくなったん
突然「ために」が降ってきたん
カリカリに猫缶乗せ続けて
何と何と

ぐっぐっぐっ
カレー煮てるん
「異性愛者」として結婚して
名字を変えさせてしまったミヤミヤのために
カレー煮てるん
おたまで鍋を掻き回すと
疲れてお腹すいて自転車走らせてるミヤミヤの姿が
ぐっぐっぐっ
「ために」「ために」「ために」って
浮かんでくる

カチャッチャッチャッ
鍵が回る音
ミヤミヤ、帰ってきたん
よーし、最後の仕上げ
鍋にミルクをコップに4分の1程注ぐん
こうすれば味がまろやかになるん
うん、おいしい
これぞかずとん流
「お帰り、ご飯できてるよ。」
「ただいまぁ、夜桜きれいだねえ。」
コートを脱ぐん
ミヤミヤの生身が現われるん
「ために」が立ってるん
かっかっかっ
からぁーいん
あっあっあっ
あったかーいん

 

*「ミヤミヤ」「かずとん」の呼び名については
空0「かずとんとん」をご参照ください
空空0https://beachwind-lib.net/?p=2247

 

 

 

ソレソレ、演年さん

 

辻和人

 

 

ソレソレ
ソレソレ
神前での結婚の儀って奴は
ソレソレ
緊張感漲るものだったぜ
神主さん、巫女さん、迫力あったぜ
ふぅー、たまげたぜ
でももう終わりだぜ
これから披露宴始まるぜ
こっから先は人間様の世界だから気が楽だぜ
オハッ
オハッ
光線君、体を束状にしてぐにょうんぐにょうん凹ませて頷いている
お目々ぐりんぐりん
新婦の化粧直しも終わったようだ
おっと
耳の後には式の時にはつけていなかった
大きな真っ赤なお花が!
口紅の色も違うし他にもいろいろ細工がしてありそう
式からそのまんまの新郎とは大違いだぜ
それでいいんだぜ
よし、では人間様のイベントにGO
だぜだぜ
ソレソレ
ソレソレ

晴れやかな音楽とともに新郎新婦ご入場
親族一同も式の緊張が取れてにこやかなお顔
拍手で迎えられてテレくさいけど我慢我慢
ミヤコさんの高校時代のお友だちで映画監督のOさんが
ビデオ撮ってくれてる
ありがたいぜ
ふらーっふらーっ
お目々ぐりんぐりんの光線君
カメラの上を鯉のぼりみたいにふらーっふらーっ力強くたなびいて
おめでたさに花を添えてくれてるぜ

ソレソレ
披露宴はなるべく司会者に任せないで自分たちでやろうと決めたんだ
新郎新婦の紹介は互いでやるんだぜ
ソレソレ
「……ミヤコさんは、常に自分の意見を持ち、また相手の言うことをきちんと聞く、その両面がとてもすばらしいと思いました。一緒に暮らし始めて、甘えん坊なところがあることがわかり、そこもかわいいと思いました。……。」
「……和人さんは、多くの書物を読むなど知的な面を持つとともに、少年のような心を持ち続けている方だと感じております。また、大変優しく暖かい心を持っている方です……。」
ふぅーっ、2人とも用意してきた紹介文をつっかえずに読めたぜ
ふぅーっ、何事も練習だぜ
レーンシュー、レンシュッ、シュッ
お目々ぐりんぐりんさせて
ソレソレ
なぜか光線君も得意そう

ソレソレ
えーっと
この後、鏡開きをやって乾杯、それから宴会へ
お色直し後はマイクリレーで親族一人一人からひと言いただくって趣向だぜ
ミヤコさんのアイディアだぜ、手作り感が醸し出されるぜ
さっすがミヤコさん
その前に親族代表のカタシおじさんの挨拶だぜ
カタシおじさんは今年で92歳
頭は薄くなったけど足取りは確かでいつも背筋がすっと伸びてる
切手収集の趣味が昂じて切手販売の仕事に携わり
今やこの道の権威の「切手のおじさん」
「肥前国の明治時代の郵便印の研究」で大きな賞を幾つも受賞してるんだぜ
それはそれは
気が遠くなるような
お目々がぐりんぐりんしちゃいそうな
大・大・大研究
小さい頃、ぼくが吹けば飛ぶような「切手コレクション」帳を自慢げに見せたら
丁寧にチェックしてくれて
中の1枚を「これはまあまあいい切手だ」とほめてくれたりしたんだぜ
嬉しかったぜーぜー
おっと挨拶始まるぜ

「和人君、ミヤコさん、
このたびはご結婚おめでとうございます。
和人君の叔父のカタシと申します。
このようなおめでたい席で挨拶を述べさせていただくことを、
大変嬉しく思っております。」
いやー、こちらこそ今日は本当にありがとうございます
おじさん、感謝だぜ

「辻家ですが174年続いておりまして、
私が11代目になるのですが、
先祖に鍋島藩の役人の辻演年(ツジエンネン)という人がおりまして……。」
174年、そつぁ知らなかったぜ
「最近、佐賀の新聞の記事でも紹介されました。
今日はここにコピーを持ってきております。」
って
そんな小さな紙切れ振り回されたって誰も見られないぜ
おじさんの手のひらひらーっに反応した光線君
ふらふらーっ、螺旋状に体を巻いて覗きこもうとするが果たせず
への字型の眉みたいなのを作って
困った顔を演出してみせてくれてるぜ
「演年は技術者でありまして、
有明海の干拓工事を43年にもわたって手掛けたのであります。
当時の干拓と言ったらそれはもう一大事業でございました。
演年が考えだした『石積み法』という堤防の築き方が実に画期的なもので……。」
偉い人だったんだなー
ちっとも知らなかったぜー
で、それとぼくらの結婚がどういう関係が?

「また、長崎に赴いて砲台を築く仕事も請け負いました。
当時、長崎には外国の船がたびたび渡航し防衛強化の必要があったのですな。
演年は砲術家の本島藤太夫と協力しまして……。」
話は続くぜ
どこまでも
だんだん不安になってきたぜ
困惑した空気が会場に漂い始めたぜ
12時も過ぎてお腹もすいてきた頃だぜ
ちっちゃい子たちは
おじさんの気迫に押されてむずかる余裕もなく口ぽかんだぜ
ミヤコさんの眉、微かにぴくぴくしてるぜ
でも、来客の中の最長老だから誰も止められないぜ
光線君、突然関係ないよっという素振りを見せ始めて
ふらーっふらーっ、天井を右から左へ
今後は左から右へ
ふらーっふらーっ、意味もなく流れてるぜ
シラーン、シラーン、シラーン
ずるいぜ、光線君

「……演年は晩年になって、
自分の仕事を文章に書き残すということをやっております。
達筆な漢文で書かれているのですが、これが大変見事な名文でございまして、
文章家としても一流であったわけです。
ところで、新郎の和人君は詩を書いておりまして、
『真空行動』という詩集を出しております。
ここには猫ちゃんのことがとても細かく面白く書かれている。
辻家の文才はここに引き継がれていると痛感したのであります。」
おおっ、ここにつながったか!
おじさん、ぼくの詩読んでくれてたのか!
「ミヤコさん並びに鈴木のお家の皆様、
こんな辻家でありますが、どうぞ末永く仲良くおつきあいいただけたらと存じます。
最後にもう一度、和人君、ミヤコさん、ご結婚おめでとうございます。」
お、終わった
終わったぜ
どうなることかと思ったけど
オワッター、オワッター
光線君、いつのまにかおじさんの側にいて
おじさんが頭を下げるのと同じタイミングで
ふらーっふらーっ、体を折り曲げてるぜ
ほっとした空気が広がるぜ
パチパチパチパチパチ

ソレソレ
ソレソレ
しっかし、おじさん
鈴木家の皆さんに辻の家のことをわかってもらおうと
一生懸命だったんだな
誇れる先祖のことを図書館に行って一生懸命調べたんだな
それにそれに
ぼくの詩も一生懸命読んでくれたんだな
現代詩なんか読む機会もなかっただろうに
ファミちゃん、レドちゃん
君たちとの大事な思い出もちゃんと読んでくれた
さすが「切手のおじさん」
ソレソレ
ソレソレ
おじさん、おじさん
おじさんが切手のことなら何でも知ってる「切手のおじさん」になれたのは
調べる手間を決して省かなかったからなんだなあ
新宿切手センターにあるおじさんの店は
「平和スタンプ」っていうんだぜ
日本が2度と戦争をしないようにっていう願いがこめられているんだぜ
武家出身だからこそ平和のありがたみが身に染みてるって聞いたぜ
その店に90歳を超えた今でも毎日顔出してるっていうぜ
駅までは自転車を走らせて皆から危ないって言われてもやめないんだぜ
ちょっとくらい長くなっても
辻家のことをわかってもらうために先祖の話をしないわけにはいかないんだぜ
ありがとう、ありがとう
だぜだぜー!

ソレソレ
ソレソレ
よっこいしょ
大きな木槌を持って
ミヤコさんと2人、息を合わせながら樽の蓋を
バチーン
鏡開きでござーい
広がる馥郁たる清酒の香り
お、お前
酒樽の上にぽっと現われたる
裃つけた巨大な半身
お、お主
ながーい顎鬚に、きりりと結んだ口元
遠くを見つめるような澄み切った眼差し
お、お主
演年さん?
目をぐりんぐりんさせた光線君
いきなり体を平べったくして床にぺたっと這いつくばって
土下座の真似かよ?
蓋を割った後は木槌を2人で持ち上げて
皆様とカメラに向かってにこにこするのが流儀なんだけど
晴れ渡るようなミヤコさんの笑顔に比べて
ぼくの笑顔がひきつってるのは
お、お主
演年さんのせい、だぜだぜ
子孫に命じていたっていう堤防の補修、できなくてすいません
でもでも
詩は書いてるぜ、本気で書いてるぜ
この人ぼくの伴侶だぜ
ずーっと一緒に本気で暮らすんだぜ
ソレ、乾杯の時間だぜ
ソレソレ、アーソレソレ
演年さんも杯を取ってくれ
光線君がふらふらーっと体の端っこを杯の形にして切り離し
演年さんに握らせる
演年さん、不思議そうに杯を見つめていたが
「それでは、かんぱーい。」
ぐいと飲み干した!
人間様の世界も奥が深いぜ
ソレソレ
ソレソレ

 

 

 

人がいるから

 

辻 和人

 

 

ピピッ
ピピッ
予定すれば当日がやってくる
やってくる、やってくる
やってきた
ピピピッ
アラームに起こされるまでもなく
5時
「おはようございます。結婚式当日ですね。さ、気合い入れて頑張りましょう。」
オハッ
オハッ
晴天なりぃ
晴天なりぃ
光線君も大きく頷いてるよ
見よ、光線君の朝の輝き
ひたっひたっー、さすがに力強い
ファミちゃん、レドちゃん、頑張ってくるからね
気合い入れてカーテン開けて、気合い入れて顔洗って
気合い入れてトースト食べるぞ
ミヤコさんも気合い入れて足湯にGO!

神田明神に着いてまずはお参り
ここは平将門が祀られているんだっけな
将門様、本日はどうぞよろしくお願い致します
2人並んで手を合わせる
すると、シュホッ
浮かび上がった将門様の首
あーりゃりゃ、随分とデカいねえ
ほっこりほっこり微笑んでる
昔罪びと扱いされたことはすっかり忘れちゃってるんだねえ
口をしっかり結んだ光線君がひたーっひたーっと首の周りを回転していい感じ
「晴れて良かったですね。将門様も私たちに味方してくれたんですね。」
そんな様子に気づきもしないミヤコさんもいい感じだ

打ち合わせを終え、さてお着替え
更衣室に入ると羽織袴がデーン
うっへぇ、これ着るのか
ファミちゃん、レドちゃんなら必死で抵抗するだろう
引っかかりのいい素材だし爪とぎしちゃうかも
係の人に手伝ってもらって3分で変身終了
「お似合いですよ。」と言われて鏡を見ると
えーっ、これぼっくぅ?
これから仮装大会でも行くんですか?
コントにでも出るんですか?
我慢我慢、これが「式」って奴なんだ
係の人がそそくさ出て行こうとするので
「すみません、髪が乱れているみたいなので櫛、貸してもらえませんか?」と聞いたら
忙しそうに袂からぽいと櫛を出して「使い終わったらそこの棚に置いて下さい。」
やっぱ結婚式に男は添えモノなんだな
ソエモノー
ソエモノー
光線君が頭上をくるくる回りながら嬉しそうに連呼
その目は大きな黒丸で口の部分は大きく撓んだ逆への字型
よーし、今日は添えモノなんだ添えモノでいいんだ
添えモノとしての役目
気合い入れて頑張るぞ

広間でしばらく親戚とダベッているとお呼びがかかり
新婦の控室へ
そこには黒引き振袖姿のミヤコさんが!
カコワァーン、カコワァーン
鳴いている
黒々した生地の中、翼を広げた鶴が高い声で鳴いている
和モダン風にアレンジした日本髪の真っ白な花飾りが
唇の紅と眩しく衝突
晴天なりぃ
晴天なりぃ
伏し目がちだが「見てよ」と言わんばかりの強い強い表情だ
主役はやっぱり違う
主役としての自覚がある生身のど迫力
「和人さん、どうですか?」
「ああ、すごくきれいだよ。おめでとうございます。」
おめでとうは変だ、だけど思わず言ってしまった
あれ、光線君
空中で固まっちゃってる
目は×印で口の部分が消えてるぞ
華に打たれたかな
おいおい、ぼくも固まってるじゃないか
しっかりしろ

晴天なりぃ
晴天なりぃ
親族紹介の後は参道を行進ですって
雅楽の生演奏つきですって
巫子さんの先導つきですって
うわっ、もうスタート
前方でカメラを構えてる男性は海外からの観光客かな
日本の神前式結婚式が珍しいんだろう
バシャバシャ何枚も撮ってる
旅の思い出の一コマとしてブログにでもアップするんだろうか
なるようになれ!
横目で見るとミヤコさんはまっすぐ背筋伸ばして凛として歩いてる
着物の長い裾をモノともしない着実な歩きっぷりだ
見習わなくちゃな
慌てないで一歩ずつ
オハッ
オハッ
落着きを取り戻した光線君が黒目をぐりぐり動かして鼓舞してくれる
ぽかぽかした陽気で気持ちいいじゃあないの
もうすぐ桜の季節なんだなあ
へへ、ちょっと余裕も出てきちゃったりして

神殿に入りました
花嫁さんと向かい合って座りました
親族も皆着席しました
式の本番中の本番がここから始まる
しぃーん
再び緊張
ファミちゃん、レドちゃん、よろしくね、と
困った時のファミレド頼み
しゅわしゅっっしゅわしゅっ
神主さんが御幣を振りかざす音が聞こえてきた
空気を裂く音が耳に突き刺さって鼓膜と心臓が
びくっっびくっ
この雰囲気、いつだったかの説明会の時とは大違い
祝詞を唱え始めた
言ってることは全く不明だけどその抑揚の帯が
ぐねぐねぐねぐね
波打っては裏返る
裏返ってはもんどり打つ
神主さんは神殿の方を向いてるからどんな動きしてるかよくわからないけど
何だか怖い
ぴひょーっ
笛の音が聞こえて巫女舞が始まった
長い髪を後で結び
白い衣装、赤い袴の2人の少女が
榊を持って空中に半円、逆方向にまた半円
そろりそろりとした2人の動きは気味が悪い程ぴったりだ
おい、光線君、今どうしてる? と呼んでみたけど
反応がない
光線君は天井の隅っこに張り付いてしまって出てこない
巫女さんたちがこちらを向いた
無表情な顔には少女らしい闊達さの欠片も見られない
まるでお面以上にお面のような

ああ、この人たち
神様に呼びかけてるとかそんなもんじゃない
生身をぐいっと差し出して
生身をがばっと投げ出して
神様に宿っていただいている
人がいるから神様が降りるんだ
生身がそこにあるから神様が現われるんだ

シャンシャンシャン
巫女さんたちが鈴を振り終わり
下げていた頭を恐る恐る挙げると
ようやく少し空気が緩んできた
ミヤコさんもほっとしたような顔をしているよ
結婚式ってのはおめでたい行事であるより前に
まずお祓いの行事なんだろう
そのために真っ黒い災いをわざわざ予期して
生身に神様を宿らせて
エイヤッ
災いを祓ってみせる
と勝手に考えて
ねえ、そうだろ? と同意を求めると
ソーカモソーカモ
ふらっふらっと伸び縮みできるようになった光線君が小さな声で応えてくれた

晴天なりぃ
晴天なりぃ
神殿に外のぽかぽかした空気が流れ込んでくる
次はお決まりの三三九度の盃ですよ
ちょいちょいちょい
急須みたいな奴を上げ下げしながら注ぐ
注ぐたびにちっちゃな神様が現われては
盃の中に溶ける
注いでくれる巫女さんの表情、さっきに比べると随分柔らかだね
新婦と交互に神様入りのお酒を飲み干して
少し気分良くなってきちゃったかな
ミヤコさんも頬っぺにもちょこっと紅が差している
(食いしんぼのレドちゃん、幾ら興味があったとしてもお酒は絶対ダメよ)
お次は指輪の交換
キリスト教の習慣を借りるのに躊躇しない柔軟性がいいね
神職の方が三方に乗せて指輪を運んでくる
ミヤコさんの関節がガッチリ気味の薬指にすんなり指輪を嵌められてひと安心
お次は誓いの詞の奉読
ここまでの儀はみんな男性であるぼくが先に行うことになっててね
神社のしきたりって随分男尊女卑なんだなあと思ってた
奉読も男性が行うことが多いらしいけど
ぼくたちは声を合わせて一緒に読むことにしたんだよ
光線君、ここが役目とばかり
顔を真っ赤にしてふらーっふらーっ応援してくれる
「今日の善き日、私たちは神田神社の御神前に於いて、
夫婦の契りを固く結ぶことができました。」
はーあ、うまくいった
ありがとう、光線君
お次は結び石の儀
こいつは神田明神独特の風習でね
石に新郎新婦の名前を書いて奉納するのさ
筆ペン持って、赤く「寿」と書かれた字の下に
うう、平たい石とはいえ意外と書きづらい
ちょっとトホホな字になっちゃったけどまあしょうがないか
書き終わった石を神職に返す時
ぼくのトホホな「辻」の字に沿って
ピカッと神様光る
親族盃の後、再び雅楽の演奏
さあ、最後の関門、玉串拝礼ですよ
神前に供える時、玉串の向きを逆にするのがちょっとしたプレッシャーなのさ
光線君、ぼくがしくじらないかどうかお目々をまん丸黒目にして見守ってる
ふぃーいーふぃと高らかに鳴る笙の音に合わせてそろりそろり歩き
ミヤコさんと軽く顔を見合わせて
うんっしょ
やったあ、ちゃんと決められた通りの向きにお供えできたぞよ
参加者全員で二礼二拍一礼
光線君も見よう見真似で、ふらーっふらーっ、二礼二拍一礼だいっ

頭を上げた途端
天井に浮かび上がる、巨大な
お前
平将門様
応援の肩の荷が降りた光線君
口をしっかり結んでひたーっひたーっと首の周りを何度も回転していい感じ
ファミちゃん、レドちゃん、ありがとう
無事結婚の儀式は終了したよ
いやー、今回は随分勉強になったね
神様ってさ
初めからそこにおられるんじゃなくて
生身の人間の強い強い念に惹かれて
降りていらっしゃるもの、だったんだね
将門様も生身の人だったわけだしね
神主さんも生身の人
巫女さんも生身の人
ぼくもミヤコさんも生身の人
ファミちゃん、レドちゃんは人じゃないけど生身の猫
光線君は……生身の……とにかく
生身ってすごいなあ
さあさ、生身同士集まって記念撮影だぞ
晴天なりぃ
晴天なりぃ

 

 

 

ミヤコズ・ルール

 

辻 和人

 
 

コウセンッ
コウッセンッ
お、お前、光線君
斜めから、ひたひたと
オハッ
オハッ
「おはようございます。」
「おはようございます。」
6時半に目覚ましが鳴って
カーテンの隙間から
朝の光線が斜めから入って
にっこり朝のご挨拶
すんなりご挨拶
ゆったりご挨拶
ところがっ

一緒に住み始めてから3日
何これ? 暮らしのカタチって奴?
ムニュニュッと膨れ上がったかと思うといきなりガチッと固まりつつありまして

朝起きるとミヤコさんカカカッとお風呂場に直行
足湯ですと
足あっためると意識がはっきりして活動的になるんですと
そんな時間あったら1秒でも寝ていたい
なんて思いながら
はい、ぼくはその間朝食の準備です
パン焼いて紅茶いれてフルーツ盛るだけだけど
今まで朝食なんて旅行の時しか食べなかったもんなあ
自分でテーブルに並べたジャムとバターが眩しい
うっひゃー、やめてよ、光線君
そんなにひたひたしないで
あ、ミヤコさんあがってきました
血色良くなってお目々も開いてきました
いただきまーす
トーストひと口かじって、おっ、やっぱり黒田さん日銀総裁か?
「和人さん、食べてる時テレビの方ばっかり見るの禁止ね。
パンの粉、ポロポロ床に落としてますよ。ちゃんと後で床掃いて水拭きしてくださいね。
この部屋はきれいに使いたいんだから。」
ショボーン
光線君、怒られちゃったよ

食事の後はお風呂の掃除
「平日は簡単でいいですからね。髪の毛はティッシュで掬い取って。」
任して任して
力を込めてタイルごしごし
こういうのは結構得意なんだよ
恥ずかしながら独りの時は週1、2回しか風呂掃除しなかったけどな
光線君、温風に吹かれながら
ひたひたーひたひたーと応援してくれている
嬉しいね
壁もきれい、浴槽もきれい
排水口に絡まった髪の毛も丁寧に取り除きますぞよ
やっぱ女の人の髪の毛って長いよなあ
でもって、お湯に触れるとしなしなっと身をよじって
ちょっと色っぽいよなあ
不意にミヤコさん現る
「排水口はこのブラシを使って奥の方まで念入りに掃除してくれますか?
汚れが溜まったらイヤなので。」
あーそうか、失礼しました
光線君、カンペキだと思ったんだけどなあ

「おかえりなさい。ご飯もうすぐですよ。」
エプロン姿
光って、笑って
あり得ない
あり得ない
手を洗ってうがいして
あり得ない
でもそのエプロンの下にはしっかり2本の足が生えててさ
忙しく動き回ってる
あり得ないことがあり得ているんだね
テーブルの上であり得ているのは
ブリ大根にほうれん草の胡麻和え、ひじきと油揚げの煮物、シジミの味噌汁
いいね、いいね
あっさり和食のおかずは大好物なんだ
おっとっと、まだいたのか、光線君
朝生まれなのにこんな時間までつきあってくれるなんて嬉しいよ
何? まだ、心配だって?
大丈夫だってー
さて、テーブルにつくと
ん、おかしいな
明るすぎる
重量感がなさすぎる
お箸でつまもうとすると
スーッと透けて突き抜けてしまいそう
なのにあら不思議
大根は湯気を立てたままちゃんと2本のお箸の間に挟まってるじゃないか
つまりだな、光線君が心配してるのは
「帰宅するとご飯が用意されてるような現実」というあり得ない現実が現実にあってだな
その現実のヒトコマにぼくがちゃんと収まりきることがあり得るのか
つまりそういうことだな?
ちょっちょっちょっ、ミヤコさんぼくに話しかけてきてるぞ
「和人さん、またソワソワしてる。
ご飯の時は食べることに集中しないとまた食べ物落としちゃいますよ。」
はい、ごもっとも

ご飯の後はお片付け
大丈夫、食べ終わった器はぼくが洗います
学生時代に皿洗いのバイトやったことあるからな
ちょちょいのちょい
鼻歌まじりでどんどん洗っちゃいます
でも、フライパン洗っていたら
「和人さん、まずキッチンペーパーで油を拭き取ってから洗って下さいね。」
でもって鍋を洗っていたら
「和人さん、それはゴシゴシ洗うと表面がハゲちゃいますから、
この黄色いスポンジの柔らかい方の面を使って丁寧に洗って下さい。」
魚を包んでいたラップを「燃えないゴミ」のゴミ箱にポイしたら
「和人さん、それは『燃えるゴミ』。
『燃えないゴミ』の回収は週1回だけでしょ。臭いが残っちゃうじゃないですか。」
ミヤコさん、他の家事をやりながら
時々巡回してきては
ぼくの仕事ぶりを検査しに来るんだよ
わぁーん、光線君
疲れたよぉ
光線君は気の毒そうにひたひた、ひたひた
ぼくの額を優しく撫でてくれる
ありがと、もうちょい頑張るか

食器を洗い終わったら今度は洗濯
これは自動でやってくれるから気が楽だ
洗剤の量を計っていると、血相変えてミヤコさん
ズカズカズカッ
「ちょっと和人さん、何やってるんですか?
今日は『乾燥しない日』ですよ。
私の洋服、『乾燥する』モードで洗濯したら熱でみんな痛んじゃうじゃないですか。
危ないところでしたよ。もぅー。」
もぅー、しゅーん、だよ
しゅーん、しゅーん
光線君も困り顔
お手上げだねー
いくら、用心しても用心しても
いくら、ひたひた、ひたひた、しても
ズカズカズカッ、ズカズカズカッ
近づいてきては
しゅーん、しゅーん
光線君、も、いいよ
超遅くまでおつきあいいただき、本当にありがとう
後は自力で何とかするさ

ベッドの中で5分間のお喋り
「いやぁ、女の人ってのは家の中のことに関してはしっかりしてるもんだね。」
「私は細かい方かもしれませんけど、男の人は概しておおざっぱですよね。」
「ぼくも頑張ってるつもりだけど。失敗多くてごめんね。」
「うふふっ、和人さん、頑張ってると思いますよ。」
「でも、悔しいなあ。今度から家のルールはぼくが決めるとか。」
「そんなのダメに決まってるでしょ? わかってるでしょ?」
「やっぱり家のことは奥さんが仕切るのがいいのかな?」
「そうだよ。」
「やっぱり奥さんの言うことは多少異論があっても従わなきゃいけないのかな?」
「そうだよ。」
「ミヤコさん、随分“オレ様”だなあ。」
「男の人は、小さい時はお母さんの言うことを聞いて、
結婚したら奥さんの言うことを聞いて、
年を取ったら娘の言うことを聞く、それが一番なんです。さ、もう寝ましょ。」
なるほどねえ
ミヤコズ・ルール
女に支配される世界
そこでぼくは残りの全人生を過ごすんだ
それでも「支配される」のは「支配する」よりずっといいよなあ
灯りを消したら
光線君の残像がうっすら闇に浮かび上がった

コウセンッ
コウッセンッ
明日も助けてね
ぼくが君のことをまだ覚えていたら、のことだけどさ
ぼくが君を出現させてあげられたら、のことだけどさ
支配をかい潜って生き抜く道を探るために
斜めから、ひたひたと
オハッ
オハッ

 

 

 

淡々とじゃなく、タン、タン、タン

 

辻 和人

 

 

タン、タン、タン
タン、タン

来ちゃいました
お引っ越しの日
淡々と
起きてセンベイ布団をそのまま粗大ゴミに出し部屋に戻ったら
冷たい朝日が
畳の目のささくれを浮かび上がらせてる
見慣れたこいつがもうすぐ永遠に見られなくなるなんて
まだ目の前にある
まだ触れられる
座って指の先っちょでちょいちょい突く
ささ、くれ、ささ、くれ
歌ってるよ
ふふっ、お茶目な奴
知ってる?
君が今、急速に
懐かしくなりつつあるんだってこと
懐かしいよ、懐かしいよ君、ちょん、ちょん
タン、タン

ヤマト運輸のにいちゃんたち、手際いいなあ
ぼくの「仲間たち」だったものは
運ばれていくしかないもんな
淡々と
遂にトラックが出発
ご近所さんに挨拶した後
タン、タン、タン
からっぽの部屋に最後のご挨拶だ
薄手の壁と裸電球とちっちゃなキッチン
のっぺりした四角い空間
20年前、初めて来た時の姿のまま
カーテンはずすとこんな陽射しが入ってくるのか
「お世話になりましたっ。」
ぺこり
タン、タン

そこへ、だっさいTシャツ&ジーンズ姿の20代のぼくが
陽に透けながらつーっと滑り込んでくる
腕組みして周りを眺め、ポンと手を打つと
「いいんじゃない? よし、ここに決めた。」と呟いた
ほう、これが始まりのシーンか
どうせ聞こえないだろう、と思って
「この部屋探してくれてありがとう。」と小声で礼を言うと
くるっと振り向き
どうしよう目が合っちゃった!
「どう致しましてっ。」
皺のない顔をにっこりさせ
だっさいシャツを翻して昼の光線の中に溶けていった
タン、タン、タン
ありがとう
ありがとう
20年前のぼく
タン、タン

も、いいでしょ
さ、息を整えて
鍵、閉めようぜ
最後の、最後、せーの!
タン、タン、タン
タン、タン

「お疲れーっ、待ってたよーっ。」
笑顔で迎えてくれるミヤコさん
2週間前に引っ越し終わってるミヤコさんは余裕の表情
武蔵小金井の2LDK、ダンボールが記入された数字の通りに
タン、タン、タン
運びこまれていきますぞ
タン、タン
これはキッチン、これは居間、これは書斎
淡々と
区別されて運ばれていきますぞ
床を傷つけないように丁寧にシートを敷きながら作業していくんじゃなー
ぼくは缶コーヒー飲みながら時折質問に答えるだけでいいんじゃなー
20年前の引っ越しの時とは大違いじゃなー
ありゃま、もう作業終了ですか
タン、タン、タン

新居のフローリングは清潔そのもの
2階の窓から見渡せる庭には桜がたくさん植わっていて春が楽しみ
衣類や生活用品の整理は3時間弱で終わった
お次は本とCD、これはすぐには無理かな
タン、タン
タン、タン、タン
む、見てよ、これ
ダンボールから取り出された彼らの表情を
何て穏やかなんだ
まるで仏様みたいだ
きらーっきらーっきらーっ
冷たい肌の妖気はどこにも、ない
本は紙に、CDは金属に
きらーっきらーっきらーっ
うん、安らかな顔
君たちにはいつも抱きしめられてたから
今度は、棚に納める前に抱きしめてやるか
タン、タン
むむ、ミヤコさんが呼ぶ声がするぞ
ご飯できたって
それじゃ、これからも
淡々と、じゃなく
大事にするからね
タン、タン、タン

タン、タン
ミヤコさんが作ってくれたシチューを食べた
この家でとる最初の食事はあったかかった
食後に飲んだお茶はあったかかった
それからお風呂に入った
掬ったお湯がきらきらして
あったかかった
湯気の中から
閉める寸前の祐天寺のがらーんとした部屋の光景が
ふゅるるるんって立ち昇ってきて
おいって腕伸ばして立ち上がりかけたら
ゆらっと笑ってまた湯気の中に
あったかく消えた
それからそれから
お風呂からあがって髪を乾かし始めたミヤコさんの肩が
右肩も左肩も
しっとりとあったかかった
何とまあ
ジャージに着替えたぼくの
首も胸も腕も
めっちゃあったかかったよ
タン、タン、タン

タン、タン
明日は市役所で入籍の手続き
つまり、ここで過ごす初日となる今夜は
違う姓の2人としての
あったかい
最後の夜ってことさ
タン、タン、タン

タン、タン
暖房ちょっと強めにして
タン、タン、タン
名前を呼ぶと
タン、タン
呼び返してくれる
タン、タン、タン
握ると
タン、タン
握り返してくれる
タン、タン、タン
丸みを帯びた息が
タン、タン
こんなに近くで波打ってる
タン、タン、タン
よしよし
タン、タン
よしよし
タン、タン、タン
思えばファミやレドや、いなくなってしまったソラは
かわいがって欲しい時
よくしっぽをぴーんと立てながらスリスリしてきたものだけど
タン、タン
ぼくたちも同じだね
タン、タン、タン
ファミちゃんもレドちゃんもソラちゃんもぼくたちも
タン、タン
あったかさが溢れて弾んで飛び跳ねるのは
タン、タン、タン
触れ合うってことがあってこそ
タン、タン

 

 

 

冷たい肌の仲間たち

 

辻 和人

 

 

たっだい、まぁー
(おっかえ、りー)
たっだい、まぁー
(おっかえ、りー)

いっぱいいっぱい詰めて
いっぱいいっぱいいなくなってしまった
新古書店から帰って
空っぽになったバッグを放り出して

ふゅるるるん
ぱっ

迎えてくれるのは
いつもの
直立している君たち
肌が冷たい君たちだ

天上近くまでぐらぐら積まれた本
横倒しになったCD
「晴明神社」のステッカーが貼られた箪笥
小学生の時から使っている傷だらけの学習机

冷やっこくて
気持ちいいな

湯気の立つコーヒーカップを手にして
閉めっぱなしのカーテンをちょっと開くと
庭のミカンの木の枝で遊ぶスズメたち
湯気が冷気の中にひゅるひゅる溶けていって
ひゅっ
消えた
ほら、見てよ
スズメはあんなに楽しげに飛びまわっているのに
凍ってる
静止してる
熱は、どんな熱でも
ひゅっ
空中に消えてしまうのさ

さあて、のんびりしてる暇はない
あとひと月半でお引っ越し
武蔵小金井の2LDKにお引っ越し
「要る君」は、君かな?
「要らない君」は、君かな?
「売る君」は、君かな?
「業者に引き取ってもらう君」は、君かな?
段ボールとポリ袋がバカでかい口を開けて
君たちを次々飲みこんでいくんだよ

思い入れのある君たちをポイ
思い入れのない君たちもポイ
部屋がだんだん初めて訪れた時の姿に近づいてくる

祐天寺のモルタル木造アパート102号室
ここに住んで20年
入居したての頃はそれなりにきれいだったけど
さすがに安普請を隠せない
壁はところどころ変色してるし
天上から吊るされた裸電球のスイッチ紐なんか今にも切れそうだよ
もともと3年も住んだらサヨナラのつもりだった
それでもここを離れなかったのは
肌の冷たい君たち
君たちが増殖しすぎたからさ

増殖しすぎた君たち
引っ越しが頭に掠めるたびに
冷たい肌をびたっと押しつけてきて
ぼくを支配しようとしてきた
ふゅるるるん
ふゅるるるん
あはっ
ぼくはすっかり支配されてしまったよ
君たちの隙間でご飯を食べたよ
君たちの隙間で歯磨きしたよ
君たちの隙間で着替えをしたよ
本の山とCDの山と脱ぎ捨てた服の山の隙間で
20年も眠ったよ
この部屋の主人はぼくじゃなかった
部屋の主人は君たちだった
ぼくは君たちの影みたいだった
ぼくは君たちにつき従って
隙間から隙間へ
ふゅるるるん
移動していただけだったよ

20代から40代へ
大好きな熱いコーヒーを浴びるように飲み
バッチリ醒めた目で
窓の外のミカンの木を凝視しながら
ふゅるるるん
ふゅるるるん

眠り続けたよ

たっだい、まぁー
(おっかえ、りー)

君たちの冷たい肌に巻かれると
安心する
眠くなる
午前0時に借りた「カリガリ博士」のDVDを
コーヒー何杯も飲みながらギンギンに醒めた目で見て
午前2時
チェーザレと一緒に冷たい肌に巻かれて眠りにつく
といって実は映像に見入っている間も
ふゅるるるん
ふゅるるるん
眠り続けていたよ
時計の針は動き続けていたのに
時間は止まったままだったよ

ぶっちゃけ
孤独な死っていうものをさ
どう受け入れていこう、なんて考えてたんだよね
シミュレーション、シミュレーション
明るい日差しがカーテンから零れる爽やかな朝
君たちに埋まって、というより
君たちの隙間を埋める格好で
止まったきりになったぼくがいる
元気に出勤したり食器洗ったりする賑やかな音の波に洗われてる
発見されるのは何日後か
その時、目は開いているか閉じているか
あ、別に長生きしたくないわけじゃないよ
老後に備えてしっかり貯金もしてたしね
ただぼくは君たちと死ぬまで一緒にいる気でいたのさ

痺れるような眠りの快感から離れられない
これでいい
これでいいんだよ
寂しくないんだよ
肌の冷たい君たち
君たちに見守られ、看取られるなら
本望なんだよ

……だったんだよ?

それがまあ
突如としてノラ猫の一家が現われたじゃないか
あのミカンの木をツツツーッと登って
隣の家の屋根に
ひょいっ
飛び乗ったりするじゃないか

肌の冷たい君たち
君たちに看取られて息を引き取るっていうプランがさ
狂い始めちゃった
君たちの肌の感触が
少しずつ、ほんの少しずつ薄れていったのはその頃からだ
あったかいのもそう悪くはないかな
いいって程でもないけど悪いってことはないかな
ま、そんな風にね

地面から屋根へ
屋根から屋根へ
ひょいひょい飛び移る猫ちゃんの自由自在な空間の活用の仕方に
すっかり驚いてしまってね
目を見張っているうちに
熱が
少しずつ、ほんの少しずつ
ぼくの部屋に差し込むようになっていったってわけ

残業を終えて21時過ぎ
くたくたに疲れてアパートに至る細い行き止まりの道に入る
と、並んで待ちかまえていたファミ、レド、ソラ
大家さんの家の屋根の上からさーっと降りてくる
目は光りに光り
爪は尖りに尖り
あれっ、時間、動き始めた
次々部屋に侵入してくる彼らの体は熱い
抱き上げると
ドキドキドキドキドキドキ
何でこんなに鼓動が速いんだ
脇に手を入れると毛むくじゃらの両足がだらーっと開く
何でこんなに無防備なんだ
熱くてびょーんと伸び縮みする体、体、体
これが
生身
瞳は、細くなったり丸くなったり、忙しい
鼻も、ひくひく周囲の様子を鋭く探って、忙しい
一瞬たりとも静かにすることのない生身が
屋根からするする降りてぶつかってきて
肌の冷たい君たち
君たちの支配を少しずつ突き崩していった
ってことだね

「もしもし、引っ越しの準備進んでますか?」
「うん、進んでるよ。お互い荷物多いし頑張ろうね。」

猫たちがいなくなって
ガバッと起きた
ガバッとだ
そしたら
ミヤコさんが降りてきた
ミヤコさんの手はあったかい
お尻もあったかい
息もあったかい
欲張りな意志もあったかい

どっこいしょ
また一つ「不要な君たち」の山を作ることができた
今度は業者に引き取りに来てもらうことにするか
肌の冷たい君たち
君たちとの縁が薄くなっていくのは寂しいよ
冷たい肌に巻かれて眠る、これも一つの
安心の形だったから
たっだい、まぁー
(おっかえ、りー)
こんな当たり前の会話もできなくなる
あったかい肌と作り出すあったかい時間の始まりは
不安の始まりでもあるんだね
ミヤコさん
不安を踏み台に、ぼく頑張ります
ノラ猫の一家が残してくれた生身の感触が
ミヤコさんと出会ってどんどん育って
ふゅるるるん
ふゅるるるん
ぱっ
今びゅーびゅー時間が動いてるんです

 

 

 

どっしり

 

辻 和人

 

 

いつのまにか
お正月
実家でまったり迎える独身最後のお正月
丁度去年の今頃家族に婚活宣言したんだっけ
決意したことなのに
「おい自分君、正気か?」
「おい自分君、ヘンな夢でも見てんのか?」
それがまあ
3カ月後には式を控えてるってさ
不思議、不思議だなあ
宣言通りに行動したらヘンな夢を正気で実現させることになっちゃった
おい、ファミちゃん、レドちゃん
お前たちが生まれ故郷の祐天寺で過ごすお正月がもう2度と来ないように
まったり独身の正月もこれで2度と来ない
それでいいのさ
あけましてーっ、おめ!

昨日のお昼はミヤコさんのご実家に新年のご挨拶
ミヤコさんにご両親、弟さん、そして親戚の方々
駅伝を見ながら和やかにおせちを囲みましたよ
お義母さんの料理、どれもウチの母親が作ったものよりおいしい
それにしても不思議
高校生のユウタ君には
「ラグビー部の仲間と初日の出見に行ったんだって? 青春だねえ。」
中学生のマイちゃんには
「吹奏楽部でコントラバスやってるんだって? いつかジャズもやるといいよ。」
若いモンに余裕で話しかけたりして
和気藹藹の場に溶け込んでるぼくがいるのさ
あんなに社交下手&つきあい嫌いだったのに
ユウタ君もマイちゃんもかわいい
親戚の方々、最高じゃん
やっぱり横にミヤコさんがいてくれるからだ
にこやかに、そしてどっしり
細身なのにどっしり
もうすぐ花嫁さんの貫録十分って感じだ

帰ってまっすぐファミちゃん、レドちゃんのもとへ
最初はちょっとよそよそしい素振りだったけど
スキンシップを取るとやっぱり違うね
レドはしっぽのつけ根を撫でてやると
お尻をきゅーっと持ち上げて、お腹ごろっ
ファミの方は頭の上まで抱え上げてそのまま家の中を一周してやると
見慣れぬ光景キョロキョロでおヒゲをピン
でもって真夜中
ぼくが寝てる2階の部屋まで遊びに来てくれましたよ
半開きのドアを鼻ですうっと押す
真っ暗な中に目だけ光らせる
ジグザグに近づいてくる4つの光
頬っぺたに柔らかい暖かなものがぞわぞわっ
ぼくがいると夜遊びスイッチが入るのか
明日はミヤコさんに紹介するからな
よろしくね、そしてしっかりね

12時半に伊勢原駅で待ち合わせ
八幡様で結婚式の成功を祈願し畑の脇の細道を通って実家へ
はい、ミヤコさんのお着きです
妹夫婦と甥っこは初対面
はじめましてと新年の挨拶を交換して
さあさあ食卓へ
ここでもミヤコさん
どっしり
甥っ子に学生生活について細かく聞いたり
アキラさんにマメにビールをついだり
どっしり
ミヤコさん安定感抜群で
あのー、ぼくの影が薄いんですけど
もしやここは、ミヤコさんの実家なんじゃないだろうか?

そんなこんなで宴たけなわの折
冷蔵庫の上に陣取って
この様子を遠望していたもう一方の主人公がご登場
大好きなお刺身の匂い
まあ、今日はおめでたい日だもんね
マグロの赤身をひと切れずつもらい
くちゃくちゃ満足そうに噛む2匹
先に食べ終わったレドはファミの口元のマグロを狙い
ウーッと怒られてしょんぼり
母親の側にいって高い声でお代わりをねだる

その様子はかわいいんだけど
ミヤコさんが頭を撫でようとしたら
瞬時に背中をくねらせて避けた
すばしこいファミはミヤコさんが近寄るだけでサーッと逃げる
場にどっしり馴染んでるミヤコさんでも
猫の目から見ると
馴染んでない
どっしりしてない
してないよ
ってことらしいよ、どうする? ミヤコさん

ミヤコさんにはこの機会に猫たちと少しでも親しくなって欲しい
そう思って実験を提案してみました
レドちゃんを母親に抱っこしてもらい
「じゃあ、あげてみますね。」
ミヤコさんがマグロの肉片を口元に近付ける
レドはみるみる苦悩の表情を浮かべ始めた
鼻をヒクヒクさせてマグロの匂いを嗅ぐ
それからマグロから目を離しミヤコさんの顔をじいーっと見上げる
何だコイツ、じいーっ
うーん、どうしよう
ヒクヒク、じぃーっ、ヒクヒク、じぃーっ

やがてレドちゃん、暴れて母親の腕を振り払い
お気に入りの冷蔵庫の上に駆け昇りました、とさ

レド、お前あんなにマグロが好きなのに
ファミの口元から奪おうとする程好きなのに
それでもミヤコさんの手からもらうのは嫌か
冷蔵庫はどっしりしてる
両親はどっしりしてる
ぼくもまあ、どっしりしてる
でもでも
人間界ではどっしりしてるミヤコさんはファミレド界ではどっしりしてない
どっしりしてない奴から食べ物をもらうのは
人見知り猫のプライドが許さない

どっしりは
接触の堆積が作ってくってことなんだなあ
「レドちゃん、やっぱりまだ私からはもらいたくないんですねー。」
苦笑いするミヤコさんとぼく
だがレドよ、そしてファミよ
ぼくらは最初文字と文字の接触だったものを
声と声の接触に変貌させたんだぞ
更に生身の手と手の接触に育て上げて
実家への細道を一緒に歩くところまで辿り着いたんだぞ
「あ、富士山きれい。」
婚約の期間って短いけど
手と手を接触させると
晴れ間の富士山みたいに眩しかったりするんだぞ

ファミちゃん、レドちゃん
ミヤコさん、もうお帰りだけど
ぼくら2人がここに顔出す機会はこれから増えていくだろうからね
ミヤコさんのどっしりと君たちのどっしりを
うまく積み重ねれば
どっしりどっしり
どっしりどっしり
きっと安心してマグロを食べられるようになるよ

 

 

 

鶴はきりっと舞い降りる

 

辻 和人

 

 

ピィー
ピィー
ふゎー、うるさいな
電話を取ったら
「もしもし、ミヤコです。10時半待ち合わせですけど、今どこですか?
今日、結婚式のセミナーの日ですよ。」
げげっ
「すみませんっっ、今起きました!すぐそちらに向かいます!!」
とんでもないことになってしまった
布団をはねのけ、服を着て、駆けつける駆けつける

はあっ、はぁっ
11時半、神殿で新郎・新婦のモデルを立てて儀式の説明をしている最中
さささっとミヤコさんの隣の席に滑り込む
「今度は玉串の根本を神前に向けて……。」
細かい作法説明してるよ
ふゎぁー、それにしても疲れたなぁ
横目で睨まれる
すみません、すみません

「式場見学に遅刻だなんて、これで切れちゃう女の子もいると思いますよ。」
「すみませんっ、つい寝坊しましたっ、本当にすみまっせんっ。」
すみません、すみません
もーそれしかない
昨夜遅くまでyoutubeで猫ちゃん動画を見まくっていたのでつい疲れが……
言い訳になりませんね
「一人で参加するの、ちょっと辛かったですよ。
でも、儀式のことはおおよそわかりました。
もう少ししたら模擬披露宴ですから、お料理のチェックもしておきましょう。
いいですか?」
はぁーい

模擬披露宴もモデルが出演し、本番さながらに進行する
鏡開きにケーキカット
なるほど、いつでもお客様に笑顔を向けるのがコツなんだな
勉強になります
和洋折衷の献立は思っていたより豪華だ
やがてお色直しを終えた新郎・新婦役が入場
ふっと暗くなる
キャンドルサービスをやるようだ
幻想的でなかなか美しいじゃん、と思って見ていたら
「きれいですけど、これは私たち向きではないですよね。」と耳打ちされた
ごもっとも、大人な意見
同じテーブルの若いコがうっとりした目で眺めているのを横に
牛フィレステーキをモグモグ
お味は?
ゆっくり噛んで飲み込んで、軽く頷いてる
うん、まずまずみたいだ

「年配の方でも食べやすい味でしたね。今日のコースで問題ないと思います。
私としては鏡開きは是非やりたいです。」
えっ、やるの?
と思ったけれど遅刻した手前、いやとは言えず
「わかりました。ポンと軽く蓋を叩いてすぐ顔をお客様に向ける、でしたね。」
「そうそう。では、衣装合わせに行きましょうか。」
良かった、機嫌直ってるみたいだ
キャンドルサービスはNOだが鏡開きは是非、ねえ
ミヤコゴコロ、わかってきたつもりだけどまだまだだなあ

衣装室に降りて行く
ぼくの衣装も合わせてくれるらしいので係の人にトコトコついて小部屋に入る
サイズを計ってもらい袴を試着
「はい、結構です。次はタキシードをお持ちします。」
タキシードは3種類
「この中のどれかお好きな色をお選びください。」
「じゃあ、このグレーのを。」
「はい、タキシードもOKです。お疲れ様でした。」
総時間10分ちょい
こんな簡単でいい? ま、楽でいいけど
係の女性はもうぼくに背を向けてさっさと片づけをしている

戻ってみると衣装室は修羅場と化していた

ここは着物のストックがすごいとは聞いていたが……
何十もある引き出しから
ああでもないこうでもない
赤、白、黒、紫
花、山、水、鳥
あらゆる色と柄の着物が次々に広げられ
延々と議論が紡がれておりますです
「こんなのも華やかさの中に品があってよろしいのではないでしょうか。」
「良いですが、もっと絵が大きく描かれたものはありませんか?」
延、延、延、延
ぼくの衣装合わせとは
大、大、大違い

横には15歳は下と思われるジーンズ姿の男性が座っている
スマホいじくっては、時折顔を上げ、彼女の方を気にしている
いやあ君、親近感沸きますねえ
男はホント、結婚式という場では添えモノなんだな
「ねえ、これはどうかな?」
ウェディングドレスを着た若い女性が飛びこんできた
顔がちょっと強張っている
「ああ、いいんじゃないかなー。」
男が半腰あげて答えると
反応が鈍い、と思ったのか女は無言で試着室に駆け戻り、男はため息
かわいそうに、彼女は半パニック状態
ドレスを合わせてもらうなんて初めてなのかもしれないな
そこへ行くとミヤコさんは歳の甲もあってか落ち着いてる
パートナーとしては気が楽だ
いやいや、甘い
ミヤコさんがモノ選びを始めたら……
指輪の時と同じく、長丁場を覚悟しなければいけないぞ

ファミちゃんレドちゃんも身につけるものには強い拘りがある
ファミちゃんレドちゃんは生まれてこの方一張羅
その一張羅を
それはそれは大切にしてる
気がつけば舐め舐め
気がつけば舐め舐め
首をくるっと回したかなと思うと
にゅにゅっーってまあるく体を撓ませて
お腹も足の爪先も
おっと、背中だってきれいにしちゃう
日当たり良い場所を取るためのホンキの喧嘩の最中にだって
突然、啓示に打たれたかのごとく静かになり
そのまま一心不乱の舐め舐めタイムに入ったりするくらいだから
2匹はいつもピッカピカ
メス猫ファミは三色の服
オス猫レドは白い(しっぽの先は黒い)服
気がつけば舐め舐め
気がつけば舐め舐め
生きている一張羅はいつも新しく
内側に流れる血と外側に流れる光の熱い交わりを
表情豊かに物語る

対して、ミヤコさんは
ファミちゃんレドちゃんに及ばずとも肉薄せんとして
咲き乱れる着物に対し
ああでもないこうでもない
こうでもないしああでもない
落ち着いた物腰の下には自分にとって最高の1着を選ぼうという決意が
ギラ、ギラ、ギラ、ギラ

「ではこの3枚の中から選ばせていただきます。」
ここまで来るのに1時間
ふぅーっ、長い道のりでしたがようやく解放されるようです
「Aさんはどれが良いと思いますか? 個人的な印象で結構です。」
指名を受けた中年の係員の女性
「そうですね。私はこの紅の着物がお似合いではないかと思います。
牡丹の花の刺繍が鮮やかで、きっとお式で映えますよ。」
「和人さんは?」
「え、そうだなあ。」
桜の柄の奴がかわいいんじゃないかとチラと思ったけど、ここは専門家に合わせて
「ぼくも牡丹の着物が良いと思います。めでたい感じがするし。」
するとすると
「なるほど。ご意見ありがとうございました。
私ですが、こちらの黒い着物が気に入りました。
翼を広げた鶴のきりっとした佇まいが好きです。
こちらに決めさせていただきます。」
2票も入ったのにてんで無視
さすがミヤコさん
係の女性は一瞬驚いたような表情を見せたがすぐ笑顔になって
「良いものをお選びいただきましたね。
それでは着つけのリハーサルのスケジュールを相談させて下さい。」
着つけにメイクに髪のリハーサルに
これから何度も通うことになるらしい
「よろしくお願い致します。」と頭を下げるミヤコさんの顔に
ようやく微笑みがにっこりと咲いた

ファミちゃん、レドちゃん
人間の女の人は大変だろ?
血肉と一体となる一着を求めて
それはそれは苦労するんだ
天から「この一枚」を与えられた君たちとは違う
でもその苦労こそが生きている楽しみそのものなのであって
全ては生身の上で起こる
君たちとおんなじだ
黒々した静寂の生地に
鶴がきりっと舞い降り、松の葉のそよぎが渋く受け止める
その全ては
生身の上で起こるんだね

 

 

 

薄々、は、やっぱり

 

辻 和人

 

 

予想はしていたんですけどね
ああ、ミヤコさんの本質というものについて、です。
薄々、と思っていたことが、やっぱり、だった
そんなお話を
皆様に聞いていただきたいと思います(ぺこり)

銀座駅で待ち合わせ
今日は婚約指輪を買いに行く日です
そもそも婚約指輪とは何ぞや?
男性が婚約の記念に妻になる女性に贈る指輪のことで
なぜかダイヤモンドの指輪が一般的で
男性は貰えず、貰えるのは妻になる人だけだそうです
婚約指輪という名前ですが
なぜか結婚後もはめて良いそうです
そのため長くはめられる質の良いものを選ぶそうです
なぜか「給料3カ月分くらいの値段が相場」と言われていますが
「35万円から50万円まで」にまけてもらえました(ホッ)
なぜかお返しに指輪の値段の半分くらいのものを買ってもらえるそうです(ラッキー)
指輪を買う店は既にリストアップされていて(式場探しの時と同じだな)
なぜかもへちまもなく
ぼくはミヤコさんが選んだものを追認するのがお役目
ってことになりそうです

「まずはここ。前にピアスやネックレスを買ったことがあって、良いお店ですよ。」
ほおっ、シックな感じのお店
2階にあがると……高価そうなダイヤの指輪がズラリ
やっぱり婚約指輪っていうのは宝石屋さんの稼ぎ頭なんだな
みんな真剣に探してる、緊張するなぁ
来たぞ、来たぞ、来たぞ
「いらっしゃいませ。指輪をお探しですか?」と上品な感じの店員さん
あら、意外と怖くない(笑)
柔らかな口調でダイヤモンドの見方を説明してくれる
「ダイヤモンドの品質は“4C”という4つの基準で決められます
1番目は色。カラーのCで、無色に近い程良いです。
2番目は透明度。Clarityで、傷や内包物がない程上質です。
3番目は質量。カラットという単位で測ります。
4番目は研磨。カットですね。正確にカットされたものは美しさが違います。
この4Cを頭に入れてお選びいただければまず間違いはありません。」
何と、説明を聞いてからケースを覗くと
ついさっきまでみんな同じようにしか映らなかった指輪と値札との関係が
だんだんわかってくるではないか!
店員さん、ありがとう
その間、真剣な視線を何度となく気になる指輪に向けるミヤコさん
3つくらいケースから出してもらって
黙ったまま何十秒か見つめて
「ありがとうございました。また来ますね。」と戻してもらった

初めてのジュエリー体験にいささか興奮
店を出て「ねえ、どうだった? どうだった?」とミヤコさんに聞くと
「相変わらず良いお店だったですけど、今回はイメージに合うのがなかったです。」
とクールなお返事
普段に比べてなぜか言葉が少ない
なぜか
なぜか

次に行ったのはぼくらが入っていた結婚情報サービスのオススメの店
婚約指輪専門店なんてのがあるんだね
にこやかに、そしてギラリと振る舞うアイライン濃いめのお姉さんから
これでもか、とオススメを見せてもらう
さすがにダイヤモンドの質はいい
さっき教えてもらった4Cを一生懸命思い出してみても
うん、条件クリアじゃないかな
でも、ミヤコさんは「いろいろ見せてもらってありがとうございました。」と言って
そそくさ店を出てしまう
なぜか
なぜか

その次は和のデザインが人気というお店へ
どの指輪にも素敵な漢字の名前がついている
微かに波打っていたり、形もひねりがあってユニークだな
熱心に見入っていたミヤコさん
「これ見せてください。」と店員さんに頼むと
はい、と言って出してくれるが、それきり一言も喋らない
「他に同じくらいの値段でオススメのはありませんか。」と聞いたら
「すみません。私はまだ商品をお客様にオススメできる立場にないので、
担当の者を呼んできます。」
短大を出たてに見える真っ黒髪の店員はまだまだ緊張いっぱいの様子
ジュエリーの世界は厳しいんだなあ
代わりに来た中年の女性店員の接客はさすがに安定している
見せてもらった自慢の品、なかなかいいんじゃない? と思ったが
ミヤコさんは「ありがとうございました。また来させていただきます。」
なぜか
なぜか

足が疲れたので喫茶店で休憩
「いろいろ見てきたけどどう? 結構良い指輪あったような気がするけど。」
ミヤコさん、遠くを見つめるような目つきになって
「どれも悪くないですね。でも、どれもちょっとずつどこか足りなくて。
心を動かされるってところまでいかないんですよ。」
それでもって自分自身に確認を取るかのように
深く頷いたんだよね
はーっ、わかった
モノが人生において占める比重がさ
ぼくとミヤコさんとじゃ比較にならないくらい違うんだな
気に入ったモノを選び抜いて買うっていうのがさ
生き方の問題なんだよ
哲学なんだよ
人間の芯が、質が、問われてるんだよ
はははーっ
プロポーズの時に指輪を用意なんかしなくて
ほんっとに良かった
激怒されてたトコだった
ミヤコさんは自分が大切に使いたいモノはとことん吟味するんだ
ぼくなんか服でも靴でも何でもいいのに(!)
これから気をつけなくっちゃ、だ

そう言えば、ファミちゃん、レドちゃんは住処には執着するけど
モノには全然執着しないなあ
ボールとかネズミの人形とか
猫用のオモチャを買ってあげたことがあるけど
しばらく珍しそうに見て
くんくん臭いを嗅いだら、後は見向きもしない
それを使って遊んであげると喜ぶんだけどね
揺らしたり上げ下げしたりすると
姿勢を低くして
しっぽを左右に、ユラユラ、ブルブル、振って振って
それっ、ガーッ、飛びかかってくる
ファミとレドにとってはモノより「動き」が大事だってこと
ぼくもどっちかって言ったらそっち派だ
でも、ミヤコさんは違うんだ

疲れも取れて、総本山のティファニーへ
混んでる、混んでる
広いスペースがカップルで埋め尽くされてる
不況、不況と言うけれど
みんなこういうところにかけるお金は持っているんだよね
でも、これは贅沢とはちょっと違うようだ
見よ、あの眼差し
指輪に見入る女性たちの中に笑顔を浮かべてる人なんかいない
むしろ眉をしかめるような
苦悶の表情を湛えている
店員さんの説明を聞いて、重々しく頷き
ケースから出してもらった品物に、全身全霊で対峙する
それに比べて、男たちのまあ何とマヌケなことよ
彼女さんのお尻にくっついて
自信なさげに辺りをキョロキョロ見回し
ケースの中の指輪をいかにも価値がわからない風に眺め
彼女さんが移動すると慌てて小走りで後をついていく
それは取りも直さず
トホホ
ぼくの姿でもあるんだけどね
いや、ぼくは4Cについてはちょっと権威だからあいつらよりはマシだ
……なんて思っているうちに、あれれ
ミヤコさんは奥のケースに移動、追いかけなくっちゃ
「いらっしゃいませ。気になるものがあればお出し致します。」
若い男性店員がミヤコさんに話しかけている
「それでは、こちらとあちらを見せていただけますか。
あと他にもオススメのものがあれば。」
しばらく待っていると、5つの指輪を持ってきた
途端、一粒ダイヤの脇に小さなダイヤをちりばめたものに
ミヤコさんの目が釘付けになった
「この指輪はティファニーセッティングと言って、
ダイヤの美しさを最大限に際立たせるため6本の立爪で石がセットされています。
こう、斜めからでもダイヤがとても輝いて見えますね。
こちらの方は新しいデザインの指輪で……。」
ミヤコさんはその新しいタイプの指輪もちら見したけど
すぐ一粒ダイヤの脇に小さなダイヤをちりばめた指輪に向き直る
刺すようだった視線が微かに潤んでいる
どうやらこれだ、値段は?
50万! 予算上限ギリギリだな、チクショー
「和人さん、私これです。これが気に入りました。これに決めていいですか?」
はいはい、いいです
大丈夫です

ミヤコさんが見つけ出した指輪に
ミヤコさんの本質が宿っているのを感じて
薄々、は、やっぱり、だったなあ、と
しみじみ思ったのでした

お店を出るともう夕暮れ
「お疲れ様でした。満足できる指輪が見つかって良かったですね。」
「ありがとうございました。見た瞬間、これだ、と思いました。」
「それはそうと、お腹空きましたね。夕ご飯にでも行きませんか?」
「そうですね。韓国料理なんてどうでしょう。
和人さん、嫌韓デモなんてけしからんって言ってたじゃないですか。
アンチ嫌韓ってことで、韓国料理。」
というわけで
銀座から新大久保という、対照的な土地柄の場所にこれから移動します

なぜか
なぜか
なんて、これからは簡単に言っちゃダメだぞ
和人、お前にとって「なぜ」でも
ミヤコさんにとってはこの上なく「必然」なんだぞ
ミヤコさんの持ち物はミヤコさんの精神を表現してるんだぞ
和人、お前とは違うんだぞ
このことは多分、何事においてもそうだろうから
和人、よく覚えておくんだぞ
それにファミちゃん、レドちゃん
君たちもいずれミヤコさんと会うことになるだろうから
しっかり覚えておくんだぞ