さとう三千魚詩集『貨幣について』―外に出ろ

 

長尾高弘

 
 

さとう三千魚さんの『貨幣について』をまとめて読んで、叙事詩の一種のような感じがした。
「まとめて読んで」というのは、その前にバラで読んでいるからだ。彼の詩にはすごいリズムがあって、そのリズムだけで何も考えなくてもこれは詩だと思ってしまう。私はちょっとそこのところで壁にぶつかって先に入れてなかったような気がする。

彼の詩は、たぶんまずTwitterやFacebookで断片的に一部が現れ、ひとつのまとまりになったときに改めてTwitterやFacebookに発表され、ほぼ同時に彼が主宰しているネット詩誌の「浜風文庫」に掲載されるのだと思う。私はFacebookで直接かFacebookでの告知によって「浜風文庫」でかといった形で、この本のかなりの部分をすでに読んでいるはずだ(申し訳ないけど、しっかりと追いかけて全部読んでいたわけではなかった)。

そのようにバラで読んでいた『貨幣について』の諸篇(つまり、詩集で番号が付けられている2ページから4ページほどの塊)は、これからいつまでも続くんじゃないだろうかと思っていた前の詩集『浜辺にて』の諸篇が「浜風文庫」からすーっとフェードアウトしてから、当たり前のように、それまでと同じもののように登場していた。少なくとも、ぼんやりしていた私にはそう見えた。

ところが、まとめて読んでみると、『浜辺にて』と『貨幣について』はまったく違っていたのである。単純に言って、『浜辺にて』は一つひとつの塊の独立性が高かったのに対し、『貨幣について』は塊が時間とともに数珠つなぎにつながっている。実際には『浜辺にて』の諸篇もまったくバラバラだったのではなく、時間に沿って間歇的につながっていて複雑な織物をなしており、中身をランダムに並べ替えられるような本ではなかったが、『貨幣について』は、それこそ「貨幣」という言葉を芯として40篇がしっかりとつながっている。うかつにも、私はまとめて読んでみるまで、そのことに気付かなかったのである。

しかし、本当の意味でこの長篇詩の叙事性に気付いたのは、それからさらに何度か読んでからだと思う。もちろん、今でも全部に気付いているわけではないだろうが、少しずつわかるところが増えてきて面白くなってきているところだ。

最初は、「貨幣」というテーマが天から降ってきたかのような印象を与える「どこから/はじめるべきなのか//知らない//どこで終わるべきか/知らない」という5行で始まっている。01から04までは、参考書からの引用なども多く、お金についての観念的な思考で堂々巡りをしているように見える。

05からは、「わたし」が出てきて、生活のなかでのお金との関わりを記録するところから出直している。食事の代金やタクシー代の具体的な数字が生々しくて面白い。当たり前の日常のようでいて、さとう三千魚という個別性をはっきりと感じる。一方で、07、08の文化の日や12の写真展、14の猫との暮らしのエピソードなどで、お金の安定性(01、02の「すべてのものが売れるものになり/すべてのものが買えるものになる」という言明に現れているもの)にちょっとした動揺が起きる。16の休日出勤と差入れはさらに微妙な動揺である。

そして17でついに磯ヒヨドリやカモメを指して「彼らは貨幣を持たない/彼らは貨幣を持たない」という言葉を書きつける。このあたりから、話の展開が一気にスピーディになる。それまでもさんざん酒を飲んでいたさとう氏だが、18ではちょっと度を越してしまう。「新丸子に帰って/スープをあたためた//深夜に目覚めた//スープは焦げていた」というのだから、一歩間違ったら火事になっている。安定性からかなり外れてきた。

そして19では、この焦げたスープから、「貨幣も焦げるんだろう//貨幣も燃やせば燃えるんだろう//貨幣を燃やしたことがない/一度もない」という思考が生まれる。生活のなかで見たものから貨幣についての新しい思考がふつふつと湧いている。だんだん、詩の動きが激しくなっていくように感じるのは、ちょうど半分くらいたったこのあたりでそのような思考が生まれ始め、それ以降、そのような発見が次々に湧いてくるからだろう。何しろ、19の後半では、通過する貨物列車を見ながら、「貨幣は/通過するだろう//貨幣は通過する幻影だろう//消えない/幻影だ」と呟いており、矢継ぎ早に新たな思考が生まれているのだ。こういった思考は、比喩的思考、つまり詩的思考と言えるだろう。

やがて、彼はショウウィンドウの老姉妹(の人形?)を見て、「貨幣は/この老女たちを買うことができるのか?」と言い出す(21)。先ほども引用した冒頭の「すべてのものが…」とは大きな違いだ。そして、日野駅で見た雪を思い出し、「ヒトは/雪を買わないだろう」という確かな考えをつかむ(23)。さらに、ライヒの「Come Out」、つまり「外に出ろ」という曲から、「貨幣に/外はあるのか//世界は自己利益で回っている」という重要な言葉を引き出してくる。貨幣の世界は、生を捨象した堂々巡りだという認識に達したのだと思う。その「生」を「枯れた花」という死にゆくもので表すところが心憎いところだ。

彼の「貨幣」についての思考はここではっきりとした形をつかんだと言えるだろう。そしてなんと「三五年の生を売る/労働を売る」(36、37)生活から離脱し、老姉妹を見て帰った新丸子から引き上げてしまうのである。そして、熱海駅で倒れ、「ぐにゃぐにゃ揺れ」ながら、「世界」が「高速で回る」ところを見る。「脳は正常なのにエラーを起こすのだと医師はいった」(38、39)。これから本当の闘いが始まるというのだろうか。

叙事詩と言っても、これは英雄が活躍する物語ではない。確かに会社を辞めるのはひとりの人間にとって大きな事件だが、この物語はそれが中心になっているわけではない。ポイントは、『貨幣について』が決して『貨幣論』ではないところ、つまり、思考を生み出した焦げたスープや通過する貨物列車を捨象して、得られた思考だけを積み上げていくテキストではないところにあると思う(だから、貨幣についてのすべてを論じ切っていないと本書を評価するのは野暮なことだ)。時間が流れていて、ひとりの人間のなかでぼんやりとしたイメージでしかなかったものがさまざまなものを触媒として具体的な思想を生み出していく過程を描き出しているのである。たとえば、焦げたスープから燃えるお金をイメージして新たな思考をつかむのは、大げさかもしれないがひとつの事件だと思う。そのような事件の積み重ねが物語を形成している。しかも、事件の一つひとつが詩なのである。

しかし、それだけではまだ『貨幣について』の叙事性について言い足りないような気がする。
普通、叙事詩であれ、物語であれ、そういったものは、描かれる前に大体終わっているものだろう。最終的に書かれた細部までは事前に決まっていないだろうが、おおよその展開はあらかじめ作者の頭のなかに入っているはずだ。しかし、先ほども触れたように、冒頭で「どこから/はじめるべきなのか//知らない//どこで終わるべきか/知らない」と言っている本作は、ほぼノープランで始まったのではないかと思う。

ここでちょっとプライベートな話を挟むことをお許しいただきたい。この長篇詩が書かれる直前、2016年の夏にさとうさんに誘われて、西馬音内のお姉様のお宅にお邪魔して、日本三大盆踊りのひとつである西馬音内の盆踊りを見せていただいた。さとうさんとは、2015年の春に亡くなった渡辺洋さん(短かった闘病期間に生命を絞り出すような3篇の詩を「浜風文庫」に書かれた)の葬儀で初めてお会いし、棺を見送ったあとで『貨幣について』の版元である書肆山田の鈴木一民さん、詩人の樋口えみこさんと清澄白河の蕎麦屋さんで酒を酌み交わして故人を偲んだのだが、そのときにさとうさんが冥界から死者が帰ってきて踊る西馬音内盆踊りの人間臭さ(はっきり言えば猥雑性)について話してくれた。それは是非見てみたいと言っていたのが1年後には実現して、鈴木さんと私とで押しかけてしまったのだが、台風で開催が危ぶまれていた盆踊りを奇跡的に見ることができた夜、それぞれの蒲団に入って電気を消したあと、さとうさんから、定年まで会社に残らず、早期に退職するつもりだという話を聞いた。しかし、それは2、3年先にという話だったように記憶している。だから、その後彼が2017年の3月いっぱいで会社を辞めてしまうと言ったのを聞いて、正直なところちょっと驚いてしまった。

下衆の勘繰りだし、本人に否定されてしまえばそれまでだが、ひょっとして、『貨幣について』を書き始めて、「三五年の生を売る/労働を売る」生活の本質が見えてしまったために、そういう生活と早く決別しようという気持ちになったのではないだろうか。まして、熱海駅での昏倒事件は、本作を始めたときには予想もしていなかっただろう。貨幣についての思考によって昏倒するということではないのかもしれないが、あまりにもタイミングがよすぎる(友だちとしては心配だが)。『貨幣について』に書き記された言葉がさとうさんのライフを突き動かしているような気がする。ロミオとジュリエットも言葉が人生を狂わせる物語だが、本書はあらかじめ筋書きが決まっていたわけではないはずだから、言葉がヒトを動かすという意味ではロミオとジュリエットよりも迫真性が高い。ちなみに、『浜辺にて』は「浜風文庫」の初出からかなり手が入れられているが、『貨幣について』は中頃のごく一部が書き換えられているだけだ。

やっぱりこれは一種の叙事詩ではないだろうか。叙事詩だからどうということはないのだけれど。

 

 

 

虚構について

 

長尾高弘

 
 

世界のなかのできごとは
決して反復せず、
同じことが繰り返されたように見えても、
それは細かい差異を無視したから同じに見えただけなのに、
できごとを表す言葉は、
まったく同じ形で反復することができる。
寸分たがわず同じ言葉が、
何度でも出現できる。
無視された細部は、
無視されるに値する
取るに足らないものだから、
無視しても構わないと言っても
いいのかもしれない。
差異は瞬間的に無視され、
というか気付かれず、
消えていってしまう。
私たちに残されたのは、
何度でも反復できる言葉だけだ。
私たちは世界で直接考えることはできず、
反復可能な言葉でしか考えられない。
ときには意識される差異さえ無視して、
異なるものを強引に同じだと言うことによって、
何かがわかったような気になる。
いや、そうしなければわかったような気になれない。
そのような言葉が、
現実にある世界とは別の
虚であり実でもある世界を作り出してしまうのは、
当然なのかもしれない。

 

 

 

多様性

 

長尾高弘

 
 

十一月の半ば頃だったかな、
いつもの散歩コースで
徳生公園の池のところを通ったらさ、
真ん中を除いて干上がっちゃってて驚いたよ。
池を壊しちゃうのかと思った。
でも、なんか工事現場のようなプレハブが作られていて、
そこを囲む壁に貼ってあった説明によると、
外来種の駆除のために池の水を抜いたけど、
丸々抜いたら在来種までやっつけちゃうので、
ちょっと残してある、
ってなことらしい。
テレビの撮影が来たってなことも書いてあった。
この辺はよくテレビドラマの撮影が来るので、
そこのところは驚きはしなかったけど、
ドラマの撮影と外来種の駆除に何の関係があるんだろう?
なんて思ってた。
まあ、さっきの説明、ちゃんと読んでなかったんだけど。
それから数日後、
息子が「池の水ぜんぶ抜く」って番組を見てたので、
いっしょに見たんだけど、
池の水を抜くと、
逃げ場を失った魚や水生動物はつかまえやすくなるわけね。
それで外来種を駆除するんだって言ってた。
外来種だからっていうと、
何やら排外主義めいてるけど、
餌を食べつくしたり、
繁殖力がやたらと強かったりして、
ほかの種類の生き物をやっつけちゃって、
生態系の多様性が失われるんでいけないってことらしい。
なんだか徳生公園の池でやってたのと話が似てる、
って思ってたら、
番組最後の正月特番の予告編で、
見覚えのある池が出てきたので驚いた。
徳生公園に来たテレビってのは、
これのことだったのか。
確かに縁日で売ってるミドリガメが捨てられてるらしく、
よく見かけるもんな。
甲羅干ししてて、
親亀の上に子亀が乗ってるところなんか、
面白いと思って写真に撮ったことがあるよ。
ときどき餌をやってる人がいるけど、
そういうときは獰猛な感じでガツガツ食ってるから、
生態系を破壊する悪者って言われたら納得できるな。
それから一か月ちょっと、
放送されるのを楽しみにしてたんだけど、
実際に放送されたのを見たら、
けっこうあっけない感じだったなあ。
ただ、今まで見たこともないくらい
たくさんの人が集まってたのには驚いたよ。
うちはちょっと離れてるけど、
池がある南山田の町内会では、
テレビが来るからいっしょに池の掃除をしよう、
みたいな回覧が回ったのかもしれない。
あのなかにはきっと、
ミドリガメを捨てちゃった人も混ざってるに違いないね。
で、ミドリガメはもちろん、
鯉(これも外来種なんだってさ)もみんないなくなり、
ブルーギルだ、ソウギョだといった
いかにも悪そうなやつも「駆除」したらしい。
確かに、池を見ても、もう亀も鯉もいなくて、
鴨だけが自由を謳歌してるよ。
亀だけは番組のなかで伊豆の動物園に移された、
って紹介されてて、
なんかちょっとほっとしたんだけど、
鯉は食っちゃったのかな。
十一月の番組では、アメリカザリガニを調理して、
うまいうまいって食べてたもんな。
それにしてもさ、
外来種が餌を食べ尽くして生態系を破壊するって話、
アメリカの圧力で旧大店法が廃止されて、
あちこちの個人商店や商店街が姿を消したのと似てない?
港北ニュータウンでも、
商店街のエリアが作ってあるのは、
みずきが丘みたいに早い時期に開発された地域だけで、
新しく開発された地域にはコンビニしかなかったりするよね。
さらにネット通販がやってきて、
本屋なんかだと大規模なものでもリアル商店は苦しそうだよ。
動物の生態系のことも大切だけど、
こうやって餌を食べつくすような感じで
人の仕事を奪っていくものの方が、
もっと大きな問題じゃないのかなあ。

 

(2018年1月25日~30日、都筑区民文化祭で掲示。亀の写真は文化祭までに見つけられず、水を半分抜いた池の写真だけ使った)

 

 

 

「浜風文庫」詩の合宿 第二回

(鬼子母神にて)2017.12.02

 

 

浜風文庫では2017年12月2日に、
鬼子母神の蕎麦屋、鮨屋にて、小さな忘年会を行い、
その後、鬼子母神から池袋まで歩き、ファミリーレストランで「詩の合宿」を行いました。

協議の末、俳句と即興詩を制作することになりました。

俳句の兼題は「忘年会」で、
即興詩は各自がタイトルを書いた紙をくじ引きしてそのタイトルで15分以内に即興詩を書くことをルールとしました。

参加者は、以下の三名です。

尾内達也
長尾高弘
さとう三千魚

今回は、合宿の一部である俳句と即興詩を公開させていただきます。

なお、
だいぶ酩酊している状態での「詩の合宿」であることを追記しておきます。

(文責 さとう三千魚)

 

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俳句

 
 

忘れてはならぬことばかり忘年会

忘年会言われるまでもなく忘れ  ☆

天心の青に洗はれ年忘れ  ☆

忘年会犬も歩けばたたかれる

あな黒し忘年会の果てるとき

忘年会忘れていいのは何のこと

忘れても思いだすのさ忘年会

酔いまして上司の背中を叩く忘年会

参加せず夜の海を見る忘年会  ☆

 
 
 

即興詩

 
 

「社会」

 

尾内達也

 

愛の実現はむずかしい
気を抜けばたちまち
力関係の中
抑圧が嫌だと言っても、
愛するにはエネルギーが
いるわな
そこが男と女のちがいだね
女は愛されて自由になる
男は愛して自由かな?
社会の わなをくぐり
ぬける
赤インクのペンで、さ

 
 
 

「鬼子母神」

 

長尾高弘

 

他にも食べるものは
あったと思うんですけどね。
なんで自分が生み出したものを
また自分の中に戻しちゃったのか。
完璧を求めていたから?
いや、ただおくびょうだったから?
でも、
子どもを食べるのをやめたとき
ほっとしたんじゃないでしょうか。
いとしいものが見つかるなんて
とても幸せなことだから。
これで安心して死ねるから。

 
 
 

「馬鹿」

 

さとう三千魚

 

東名バスに乗って
鬼子母神までやって
来た
鬼子母神では
達磨の
湯呑みを買った
これで芋焼酎を飲むんだ
馬鹿は
馬と鹿だな
馬鹿は酒を飲んで
馬や
鹿の目玉をもらうのさ

 
 
 

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未来

 

長尾高弘

 
 

当たり前って言えば当たり前なんだけど、
歌舞伎を見てると、
役者がしゃべってる日本語は、
今の日本語とちょっと違うんだよね。
違っていても普通に意味がわかる言葉もあって、
たとえば「お前」って言葉は、
間違いなく二人称代名詞なんだけど、
親だの店の主人だのといった
いわゆる目上の相手にも使うみたいなんだよね。
初めて聞いたときにはぎょっとしたけど、
あんまりよく出てくるもんだから、
もう慣れちゃったけどね。
今の言葉で「お前」って言う相手には、
「てめえ」って言うのかな。
あとさ、今ならただ「さようなら」って言うところで、
「左様なればお暇《いとま》致します」
なんて長ったらしく言っているのも
へーって思ったな。
それが縮まってわけがわからなくなっちゃったのかってね。
この間芝居見てて面白いなあと思ったのは、
そば屋の主人が店を出て行く客に
「お帰りなさいまし」
って言ってたところだな。
今そんなこと言われたら、
え? 俺は家に帰ろうとしてるのに、
また店に入れっての? って驚いちゃうよ。
それからよく聞く言葉で、
「真っ平御免」てのがあって、
今みたいにそれだけはやめてくれ、
って意味じゃないんだよね。
素直に本当にごめんなさいって意味で、
「真っ平御免なすってくださいませ」
なんて言うんだ。
最近好きなのは、「かわいい」って言葉だなあ。
今で言う「愛してる」と同じような意味で、
男から女にも言うけど、
女から男に対してでも、
「お前がかわいい」みたいに言うんだ。
「愛してる」なんて言うよりも、
よほど好きだって気持ちが出ている感じがするよ。
全体に、今で言うカタカナ語はないし、
音読み漢字の二字熟語とか四字熟語も少ない気がする。
でもね、「未来」って言葉はなんか耳に残ったんだよね。
それがさあ、
今よりも進歩した先の時代って意味じゃないみたいなんだよ。
どうもあの世ってことらしいんだよね。
「たとえ火の中水の底、
未来までも夫婦《めおと》じゃと」
なんて言うんだもんな。
今の感覚だったら、
何言ってんの? って感じだけど、
あの世に行ってもって意味なら、
なるほどねえと思えるわけさ。
ひょっとして
江戸時代の庶民の感覚では、
何年たっても今日と同じような日がやってくるって
そんな感じだったんじゃないかな。
逆に過去に遡ったときも、
歌舞伎だと江戸時代みたいな世界が出てくるもんな。
菅原道真の時代に寺子屋が出てくるし、
義経弁慶の時代に江戸時代みたいな寿司屋が出てくるわけでさ。
だから、今言うような意味の未来みたいな言葉は
必要なかったんじゃないかな。
一方で、今は昔のような意味の未来なんて誰も信じてないしね。
そんなことを考えてたらさ、
今より進歩した未来なんて本当はないんじゃないかな、
って気がしてきたよ。
これからもずっと同じ毎日が来るわけでもないけどさ。

 

 

 

一重八重

 

長尾高弘

 
 

1

道端のドクダミにカメラを向けていたら、
反対側から声をかけられた。

《うわっ、怒られちゃうのかな。
勝手に撮らないでって》

でも、そういうことではなくて、

「珍しいの? 珍しいの?」

こっちもいい加減おじさんだけど、
こちらが子どもだったときに
すでにおばさんだったようなおばさんだ。

「ええ、八重のドクダミは珍しいですよね。
いつも探しているんですけど、
このあたりでは、ここでしか見ないんですよ」

「そうでしょう、珍しいのよ。
一本だけもらってきて植えたんだけどね、
なんだか増えちゃって。
でも珍しいから切らないでいるのよ」

「本当に珍しいですよね。
このあたりでもドクダミはいっぱい咲いてますけど、
一重のやつばっかりで、
八重はここでしか見ないんですよ」

「そうでしょう、珍しいのよ。
一本だけもらってきて植えたんだけどね、
なんだか増えちゃって。
でも珍しいから切らないでいるのよ」

同じことをきっかり二度ずつ言ったところで、

「どうもありがとうございました」

その場を離れた。
初めて会って、
ほかに話すことなんかないもんな。

《そうか、勝手に生えてきたわけじゃないんだ。
だからよそでは見つからないのかな?》

などと考えた。

おばさんも晩ごはんのときにきっとおじさんに言うだろう。

「あんたはいつもそんなもん刈っちまえって言ってるけど、
今日は珍しいですね、っつって、
写真まで撮ってった人がいるのよ」

来年も八重のドクダミを楽しめるはずだ。

 

2

確かに翌年も八重のドクダミは楽しめたよ。
おばさんとは会わなかったけどね。
でその翌年が今年なんだけど、
八重のドクダミはすっかりなくなってた。
もともと大きな家が建っていて、
その隣に「裏の畑」って感じの場所があって、
梅の木が植えてあって、
奥の方には栗の木も植えてあったかな。
八重のドクダミに気付く前から、
そこの梅の花はよく見に行ってたんだけど、
八重のドクダミはそっちの裏の畑と
道の間のちょっとしたスペースで咲いてたと思う。
今年見に行ったら、
そういった木々はすべて切られていて
道沿いのスペースも
植えられていた草、
勝手に生えていた草、
全部引っこ抜かれていて、
更地って感じになってた。
あのとき、
おばさんは裏の畑から出てきて
家のなかに入っていく途中でこっちに気付いて
声をかけてきたわけで、
裏の畑と大きな家は同じ敷地だったはずなんだけど、
今日は別の敷地って感じに見えた。
たぶん、本当に別の敷地になったんだろうな。
「裏の畑」の部分は一段高くなってたのか。
更地になってそれがよくわかった。
もう顔も忘れちゃったけど、
おばさんどうしてるんだろう。
八重のドクダミを珍しがる人は
いなくなっちゃったのかな。
母屋と道の間のスペースには、
バラやオオキンケイギクにまじって、
勝手に生えてきたらしい
一重のドクダミが咲いていた。

 

 

 

神の下僕

 

長尾高弘

 
 

ちょっと前に、
明治憲法の体制のもとでは、
天皇以外はすべて臣民、
天皇が主(あるじ)で臣民は奴隷、
ってなことを言ったら、
鈴木志郎康さんに
臣民イコール奴隷とは言えないのでは、
と批判されて、
いやいや臣民は天皇の奴隷であると言っても
大きな間違いではないだろうと思いますぅ、
って開き直っちゃったんだけど、
実はそれから臣民は奴隷なりとは
あまり言わなくなって、
考え込んでおりました。
臣民は自由民じゃないわけだから、
奴隷と言ってもいいんじゃないか。
でも、江戸時代の大名だって、
幕府に切腹しろと言われたら死ぬしかなかったわけで、
自由がないと言えばなかったわけだけど、
家来をたくさん抱えて贅沢していたのに、
奴隷って言うのは変だよなあ。
そんなときに、
今井義行さんの詩を読んでたら、
ネットのSPAMメールの引用らしきものがあった。
Dear Servant YOSHIYUKI IMAI
Greetings to you in the name of God Almighty.

親愛なる奉仕者イマイヨシユキ
全能の神の名であなたにお挨拶。

英文の後ろに日本語のようなものがついていて、
これはGoogle翻訳にちょっと手を入れたものだと、
あとで作者に教えてもらった。
それはともかく、
そのservantという英単語を見て、
ああ、臣民てのはこれかと思ったんだよね。*
Googleはservantを奉仕者って訳したけど、
servantの訳語には下僕(しもべ)とか従者とかもあるよね。
臣民てのはそういうことでしょ。
ところが、英語にはslaveっていう単語もあって、
日本語の奴隷はslaveの訳語ってことになってるわけだよね。
だから、
Googleサーチでslave servant differenceも調べてみましたよ。
どっちも他人に支配されていることは同じだけど、
slaveは誰かの所有物で金で売り買いされるのに、
servantはそうじゃないって説明があって、
日本語の奴隷と従者、下僕の違いもそんなところなのかな、
と思った。
ほかのページを見たら、
今の世のemployee(会社の従業員)も、
slave、servantと大して違いがないじゃないか、
というようなことも書かれていて、
それはそれで説得力があると思った。
ただ、もとの話は、
明治憲法の臣民と現憲法の国民の違いで、
少なくとも法的な建前として、
人がみな自由なのかそうじゃないか、
ってことだから、
servantもslaveも自由じゃないってことで、
同じくくりで考えていいんじゃないかな。
法的な建前ってのは、
政治や裁判の前提ってことだから、
あんたは天皇の下僕なんだから、
つべこべ言わずに戦争行けよ、
ってなことじゃ困るわけで、
あんたは自由なんだから
天皇のために戦争に行く必要はないよ、
ってことじゃなきゃいかんでしょ。
奴隷とかslaveといった言葉は確かに強烈で、
臣民はそこまでひどくないよね、
って思いたくなる気持ちはよくわかるけど、
奴隷よりもマシだからああよかった、
なんて思っちゃうと、
臣民が自由じゃないことを忘れちゃう。
あと、奴隷ってのはたぶんそう古い言葉じゃないよね。
それこそ、slaveの訳語でございってことで、
外国の話だって感じがあると思うんだよね。
日本には奴隷なんていないよってさ。
本当はいたんだけど、
奴隷だってことを隠すために、
奴隷って言葉を使わないからさ。
人買いが出てくる山椒大夫の時代まで遡らなくても、
戦後まで続いていた吉原ってのは、
まさにお金で売られてきた女性たちを集めていた場所で、
その女性たちは売春を強制され、
しかも逃げられないように監視されていたわけだからね。
もっとひどいのが従軍慰安婦で、
本人の意に反して連れてこられ、
ひどい環境で売春を強制され、
逃げられないように軍に監視された上に、
吉原のように年期明けで自由になるということすらなかったわけでしょう。**
政権与党になるような勢力が、
現憲法の人権条項を旧憲法のように戻しちゃおう、
なんて改憲案(壊憲案だと思うけど)を出して、
それなりに通用しちゃうのは、
そういう言葉の魔術もあるよね。
こいつら従軍慰安婦はビジネスだったなんて言っちゃうわけだし。
自分の娘にやらせられることなのかよーく考えてみろよ。
あと、改憲案が大手を振って歩いているのは、
今の自由が自分で勝ち取った自由じゃなくて、
戦争に負けたおかげで、
棚ぼたでやってきた自由だから、
まだ自由に慣れていないってこともあるのかな。
ああ、イヤダイヤダ。

ところで、
servantには主(あるじ)がいるわけだよね。
SPAMメールの英語では、
言うまでもなくGod Almighty、
全能の神が主だけどさ、
明治憲法の臣民の主は天皇、
これが現人神だったわけだね。
もともと日本の神道なるものは、
山や木や岩を崇めたアニミズムで、
キリスト教みたいな一神教じゃなかったわけだけど、
明治以降の国家神道ってやつは、
現人神である天皇を崇拝する一神教まがいなところがあるでしょ。
ひょっとして、西洋のマネしちゃった?
天皇の命令の勅語ってやつは、
神のお告げで絶対なわけよ。
教育勅語に軍人勅諭、
一字一句正確に覚えることを強制されたんだもんね。
西洋の全能の神の教えは、
偶像崇拝を厳しく禁じてたのに、
御真影という偶像崇拝に化けたところが、
いかにも浅薄なマネかただけど。
頼むからそんなアナクロに引き戻さないでくれよ。
世界から何十年遅れたら気が済むんだよ。

 
 

*ほんの2か月ほど前にNYTの記事でsubjectという単語を見て、ああこれが臣民の本当の意味かと思い、そう書いていたのにもうすっかり忘れていた。全部書いて何度か書き直したあとで、ちょっと前に書いたものをチェックして気がついた。それはともかく、いずれにしても英単語の方が「臣民」の非自由民性をよく表しているようだ。

**2015年に訪米中の安倍晋三が、従軍慰安婦の人々のことを「人身売買の犠牲者(victims of human trafficking)」と盛んに言って回ったことがニュースになっている。本文中で触れたように、slaveはservantとは異なり人身売買の対象になるという意味があるので、あたかも慰安婦はsex slave(性奴隷)だという英語圏の主張を認めたかのようになる。しかし、日本語の「人身売買の犠牲者」は「性奴隷」よりも軽い。実際、安倍晋三は、朝鮮の人々が身内を売った、人買いも朝鮮の人々である、という日本の右翼の主張に沿っているだけで、日本の国家、軍隊の責任を認めておらず、謝罪していない。だから、元従軍慰安婦とその支援者たちは、安倍の欺瞞的な動きを厳しく批判している。なお、植民地に本国の権力構造の尻尾にくっついて植民地に住む一般の人々を裏切る者が出てくるのはいつものことであって、この現代日本にもここに住む人々のためでなく、アメリカの軍産共同体の利益のために行動しているとしか思えない政治家、官僚が総理大臣を筆頭として少なからずいる。

 

 

 

さくら

 

長尾高弘

 
 

さくらはやっぱりさ、
満開だってときより
ちょっと散ってる方がいいなって感じだよね、
そんなこと言っちゃいけないんだけど。
ってそこまで言ってから、
あれ、変なこと言っちゃったなって思ったよ。
そんなこと言っちゃいけないんだけどって
言ったことだけどね。
言われた相手はスルーしちゃったけどさ。
これって、毎年さくらの時期には言ってたことなんだよ。
でも、今年に限っては、
さくらのように潔く散れって言われて、
戦争で命を落とした人のことが頭をよぎったんだ。
なんでかって?
たぶん、
学校で銃剣道を教えてもいいってことになったとか、
教育勅語を教材にしてもいいと閣議決定したとか、
そんなニュースばかり聞かされてるからさ。
銃剣てさ、単なる人殺しの道具でしょ。
戦争のときはあれで無抵抗な人をどんどん突き殺したって話じゃない。
そうやって殺された人たちの子孫はどう思うんだろうね?
それにさ、戦後になってもあんなのやってたのは、
自衛隊だけだっていうんだよね。
誰が教えるんだよってことさ。
学校の体育の先生だって教えられないでしょ?
元自衛官が臨時教員にでもなって
学校に教えに来るのかしらん?
それじゃあ戦時中の軍事教練と変わんないじゃないか!
で、教育勅語といえば、
戦争になったら天皇のために死ねっていう
絶対的権力者の臣民に対する命令だよ。
さくらのように潔く散れって言葉のもとさ。
自分の生命を大切にしないことを叩き込まれて戦場に行ったから、
手当たり次第誰でも平気で殺せたんだと思うよ。
いや、平気ってことはなかったと思いたいけど。
だからこそ、今の憲法には、
国民は、個人として尊重される
って書いてあるんじゃないの?
その憲法に真っ向から対立するものとして、
国会が排除無効を宣言した教育勅語を
なぜ政府が勝手に復活させられるんだ?
そんなこと考えてたからさ、
潔く散れって言われて殺された人や
その人に殺された人のことを考えたら、
さくらが散るのがきれいだなんて、
とても言えないよねって、
思っちゃったんだよね。
むしろ、今までそこに頭がまわらなかったのが
おかしかったんじゃないかってことだよ。
でもさ、
そんな悪い比喩にいつまでも振り回されたくないじゃん。
さくらの花はたださくらの花として愛でたいよ。
戦前日本ときっぱり決別しない限り、
それが許される日は来ないんだけど。

 

 

 

神の代理人

 

長尾高弘

 

 

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス(第1条)
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス(第3条)
明治憲法体制では、
天皇以外はすべて臣民だったわけよ。
天皇が主で臣民は奴隷、全然平等ではないのよね。
憲法にはちょっと自由を認めてやるよってことが書いてあるけど、
天皇の命令でどんな自由もいつでも奪えるようになっていたわけ。
でもさ、天皇はたったひとりで、
「臣民」は何千万人もいたわけで、
どうやってひとりが何千万を抑えつけていたんだろうね?
たぶんこういうことなんじゃないかと思うんだけど、
軍人やら政治家やら役人やら教師やらといった連中がいたでしょ。
そいつらが身近な天皇の代わりになったんじゃないかな。
最初は神の言葉を代弁していた神主が、
そのうちに神そのものに成り上がるって、
民俗学にたしかそんな説があったと思うんだけど、
まさにそういう関係よね。
天皇の代理人は、
天皇に対しては臣民かもしれないけど、
一般臣民に対してはまるで天皇のようにふるまうわけ。
すると、一般臣民に対しては主なんだよね。
一般臣民はそいつらの奴隷さ。
一段上に立って、一般臣民の批判を許さないわけ。
戦前の体制に戻したい連中って、
そうやって自分にとっての天国を作りたいんじゃないかと思うよ。
ゲスだな。

 

 

 

奴隷への命令

 

長尾高弘

 
 

昨日遊歩道を歩いていたらさ、
目の前の市立小学校から子どもたちの歌が聞こえてきたんだ。
最初は何を歌ってるのかよくわかんなかったけど、
「ちよにやちよに」という言葉が耳に入ってきたよ。
なんてことだろう。
学校でそんなものを歌わされて。
天皇の世が永遠に続くようになんて歌は憲法違反じゃないか。
象徴天皇制なんて本当は賛成できないけど、
仮に認めたとしても、
「君が代」ではないはずだよね。
あえて言うなら「民が代」じゃないの?
主権者は国民なんだから。
話のついでだから言っておくけどさ、
教育勅語を丸暗記させる幼稚園が話題になってるけど、
ネットで教育勅語の現代語訳というのを探したら、
軒並み「臣民」を「国民」と訳してるんだよね。
「臣民」は天皇の奴隷で主権者になれないんだから、
「国民」ではあり得ないはずさ。
ニューヨークタイムズは、subjectって訳してたよ。
従属する人、服従する人ってこと。
日本語訳より英訳の方が的確だなんて、
とんだ笑い話さ。
教育勅語は、天皇という支配者から
支配に服従する臣民への命令だよ。
だからさ、
「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」
親を大事にして兄弟夫婦が仲良くしてといった徳目でも、
天皇の臣民に対する命令となれば桎梏でしかないんだ。
実際、教育勅語の時代には家制度があり、
尊属殺人制度があって(これは戦後もずるずる続いたけど)、
人は個人として決して自由になれなかったんだ。
「國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」
憲法に従うのは権力者じゃなくて臣民なんだよ。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
挙句、戦争になったら私を捨てて(公ニ奉シ)、
天皇のために戦え(皇運ヲ扶翼スヘシ)ってさ。
徴兵令に危機感を抱く人々でも、
教育勅語に危機感がないのは、
教育勅語の正体が知られてないからだと思うよ。
戦前の暗黒をすべて体現しているのが教育勅語だと思うけどな。
「ウイスキーを水でわるように
言葉を意味でわるわけにはいかない」(田村隆一)
いつまで奴隷でいるつもりなんだい?