涅槃

 

狩野雅之

 
 

人生はいつも「生まれ来る」と「死んで行く」の間。この両項間の距離は問題では無い。時間は便宜的な精神装置にすぎない。「生きていない」も「死んでいる」もぼくらの「人生の内の出来事」ではない。「死」を体験した人間はいない。人間は「死」を知らない。
 


存在と無、そして空

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存在と無の狭間には何も無い。「何も無い」というものが「ある」わけではない。

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ただ其処に咲き其処に散る。

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記憶は寄せ来る雲海の中に消えていくのだろう。

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それは おそらく幻であることを私は知っている。いっさいは空である。

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空ないしリアン

 

狩野雅之

 
 

「無」は「対自存在」によってもたらされる。

無とは「何も無い」のではなく、存在の不在を現すにすぎない。

それは在るのだ、在ることを前提として「無い」のだ。

その一方で「対自存在」は「リアン(rien)」である。

それは在るということもなく、同時に、無いということもない。

般若心経が語るところの「空」がそれに最も近いかもしれない。

わたしたちの存在は「空」であるのだろう。

ふとそんなことを想った。

 


それはそのようにある しかしそれは本質的なものではない

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形あるものは実体がない 実体がないからこそ一時的な形あるものとしてある

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形あるものはそのままで実体なきものであり 実体がないことがそのまま形あるものとなっている

それはただ在る 形があるということも無く 形が無いということも無い 在るということも無く 無いということも無い 二重否定の連鎖によってのみ 現れる世界が在る

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生じたということもなく滅したということもなく

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汚れたものでもなく浄らかなものでもなく

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増えることもなく減ることもない

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すべてはかくのごとく在る わたしたちは現れる 実体無きものに対して現れる 実体の無い世界において 実体のないものどもに対して現れることを永遠に続ける かくして 苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もない これは絶望ではない 希望ではない わたしたちの在り様である

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Still Alive On The Eighth Day

 

狩野雅之

 
 

「過去の真のイメージは、ちらりとしかあらわれぬ。一回かぎり、さっとひらめくイメージとしてしか、過去は捉えられない。認識を可能とする一瞬をのがしたら、もうおしまいなのだ」(野村修訳「歴史哲学テーゼ」)

 


On The First Day

 


On The Second Day

 


On The Third Day

 


On The Forth Day

 


On The Fifth Day

 


On The Sixth Day

 


On The Seventh Day