辻 和人
『あなたとわたしと無数の人々』は川上亜紀さんの既刊詩集4冊を集成した彼女の全詩集である。私と川上さんは知り合いで、詩の合評会や同人誌でご一緒させていただいたことがあった。物静かで柔らかな物腰、知的で笑顔を忘れないお人柄の方だった。しかし、1968年生まれの川上さんは2018年に癌により早すぎる死を迎えることになってしまった。残念でならない。私は、川上さんは本当は小説家として成功したかったのではないかと思う。彼女は詩と並行して小説も書いており、2009年に刊行された小説集『グリーン・カルテ』の表題作は『群像』新人賞最終候補になった。没後となった2019年には『チャイナ・カシミア』も出版されている。川上さんは学生時代に難病に罹患し、病と闘い続けながら詩や小説を書き続けた。川上さんの小説は一部で高い評価を受けたものの、高度にして先鋭的な手法で書かれており、残念ながら大手出版社からは商業出版には向かないと判断されてしまったようだ。小説は詩(例外はあるが)と違い、一般読者向けの市場が開かれている。詩が高名な詩人でも自費出版中心であるのに対し、小説は額はともかくお金が入ってくるということがある。ここは大事なところで、「職業」としての認知はお金が得られるかどうかで決まってくるところがある。川上さんは健康上のハンディのため、バリバリ働いて経済的な自立を果たすことが難しかった。それだけで生活できなくとも、「注文を受けて小説を書き対価を得る」ことができれば、社会人としての自信をつけることができただろう。私たちの生きている資本主義の社会は、「働かざるもの食うべからず」を軸とし、競争原理によって人を生産性の面からランクづけする傾向がある。優秀な頭脳を持ち一流大学を卒業した川上さんは、健康という、努力ではどうにもならないことで引け目を感じなければならないことに怒りや悲しみを覚えたことだろうと思うし、文学の才能が思うように認められないことに苛立ってもいたと思う。
しかし、プライドの問題がどうであれ、命ある限り生きていかなければならない。そのことを端的に問題にしたのは、川上さんにとって小説より詩だった。理不尽を受け入れながら生きていくことの複雑な心境が、川上亜紀のどの詩のどの言葉にも溢れているように思う。
「夏に博物館に行く」は第一詩集『生姜を刻む』(1997年)に収められた詩。さしたる興味もないまま何となく博物館を訪れた話者は、裏口のドアから中に入ってしまう。
階段は全部で17段あって徐々に左へ捩じれている
だから壁に沿った右側を歩くと上り下りに時間がかかる
人々はゆっくりした動作で階段を上ったり下りたりする
人々は左の手摺側を好んで上っていき、下る時は壁際を下りてくる
人々は果てしなくそれを繰り返している
階段に敷きつめられた桃色の絨毯は長い間にすり減って
人々の足をめり込ませたりしない
私はこの階段の13段目で立ち止まるのが好きだ
こんな調子で情景が細部まで精密に描かれる。これらの情景描写は物理的な描写に終始し、何ら美的な感覚を喚起するものではないが、情景を無為に見つめる話者の孤独な心を浮かび上がらせる。話者はやることがなくて、暇つぶしのためにさして関心もない博物館に来ているのだ。だから展示物よりも博物館内の物理的環境が気になるのである。「立ち止まるのが好きだ」ということは、話者はここに何度も無為な時間を過ごしに来ているのだ。詩は次のような4行で締められる。
裏口の石段の上に若い男の人が寝そべっていて
暑いですねって声かけてみようと思ったんだけど
あの人昨日もいたのよ
と赤いスカートの娘が大きな声で笑った
話者と似たような人が他にもいたということだ。しかし、話者なその若い男に話しかけたりはしない。積極的に人間関係を作る心の余裕がない同士だから、ここに来ては閉館まで過ごし、帰るのである。そんな自分の姿を、話者は透徹した視線で冷ややかに眺めている。
笑い話のような詩もある。同じく『生姜を刻む』に収録された「卵」は、卵料理が大好きな話者が卵をだめにしてしまったエピソードを語る詩である。長いこと留守にしてもうこの卵は食べられないと判断した話者は卵の処理について「ヒトリ暮らしなんでも相談」に電話する。すると、男が来て卵の殻を割り中身だけトイレに流すという方法を教えてくれる。
私はそれを聞いたとき、新鮮な思いつきだ、と思った。私は今まで割ってみたら黄身が崩れているような信用できない卵を流しの隅の三角コーナーに捨てて、卵の白身がとろとろと流しに垂れてくるのを横目で見ていたのだった。もうそんな愚かな真似はしなくていいのだ。
まるで実用エッセイのような、さらさらと綴られる文体だ。そして話者は実際に該当の卵を割って便器の中に流してみる。ところが、卵に痛んだところはない。「色は、あまり濃くはない黄色で/形は、盛り上がりには欠けるが、/とくべつに変色したり崩れたりしているわけではないらしい」。詩は次のようなあっさりした調子で終わる。
つまりそれほど長いあいだ、留守をしていたのではなかったかもしれない、と言って男のヒトに割れた卵の殻を渡したら、男のヒトは流しの隅の三角コーナーにそれを捨てた。
どうだろう。相談コーナーの係員が家まで来る、というところは作り話っぽい感じがするが、奇談という程でもなく超現実的な要素もない。散文的な書き方で特に比喩や修辞に凝っているわけでもない。しかし、全体として途轍もなく妙なものを読んだ、という印象が残るだろう。この詩は、些細なことに対する話者の異様な拘りの形を抽象的に言語化したものだ。こんなことに拘って時間を使うこと自体が異常なのだ、ということを示している。そこに話者の孤独が色濃く影を落としている。「流しの隅の三角コーナー」を二度も登場させている。エピソード自体の中で特別重要な役を果たすわけではないが、言葉の上では重みを持たせている。どうでも良いと思える些細な事への異常な拘り。語りは事務的と言っていい程淡々とした調子に徹しているが、このさりげなさは緻密に仕組まれたものである。さりげなく、されど執念深く細部に拘る、その言葉の仕草の集積が詩全体に不条理性を帯びさせている。
時事的な問題を扱った詩も、他とはひと味違う独自のアプローチで意表を突く。「リモコンソング」(詩集『酸素スル、春』2005年所収)は、2001年のアメリカ同時多発テロ事件及び直後に起きた炭疽菌事件(メディアや政治家に炭疽菌が入った封筒が送り付けられた事件)に端を発して展開される詩。
アメリカの郵便局は白い粉末で大騒動
でも「炭疽菌」には泡! 一時間に千人を洗浄できる
「環境には問題ありません」泡
「製造法は企業秘密です」泡
USAのゲームソフトなら核だって水洗いできるんだ
エアクリーナーなんてもういらない
海水が画面を洗浄すると ほらもとどおり
核戦争後の地球上にも人類はまた誕生いたします
CM「私の祖父は痔持ちでした、痔は軍隊の鬼門でした、
したがって祖父は戦争に行きませんでした」
戦争と事件から現実の意味を取り除き、現実をナンセンスな言葉遊びに置き換えてしまう。悲惨な出来事もエンターティメントとして消費してしまうテレビ番組への皮肉であろう。「CM」が効いている。視聴率は広告料に反映されるのである。
ところでテレビがにがてなことは意外にも広さと速さだって
ニュースステーションの久米さんが言ってた
(球場って広いんです でもこっちが投手が投げてるときは球場全体を映せな
いんです とつぜんむこうで誰かが走り出したらあわててそっちを追いかけ
ます でもカメラがその人をいくら追いかけても速度を伝えることはできな
いんです だからテレビは「盗塁」がにがてなんですね)
盗塁王は走る走る 走って滑って滑ってすべって
ベースに触れたその瞬間
CM「私の祖母は巨人ファンでした」
脱線に次ぐ脱線の末に語られる、これは見事なテレビ論だ。現実の野球の複雑なゲームの進行を捉えられないテレビは、現実の戦争の複雑な様相を捉えることもまたできない。我々がテレビで見ているものはテレビが作った虚構であると言える。「CM」は直前の行で展開された内容を、野球に絡めただけで全然違う話題に転換し、流し去ってしまう。テレビの第一の役割は時間を埋めること、視聴者の注意を繋ぎ止めることであり、必ずしも現実を正確に伝えることではない。そのことを情報の消費者の立場から皮肉を込めて語っているのである。
詩集の表題作でもある「酸素スル、春」は、父親の病気について書いた詩。
ハイサンソ3Cという機械が家にきた
部屋の空気を使って酸素を作るらしい
家の中心に四角い箱が据えつけられて
箱からチューブが長く伸びている
起きてきた父が食卓に移動すると
濃い緑色のやわらかいチューブが床の上を揺れ動く
猫は器用によけて通るがひとは時々踏みつける
父親は肺をやられてかなり深刻な状態になっている。話者はその様子をアサガオの観察日記でもつけるかのように、細かく丁寧に、感情過多になることなく記していく。そしてちょっとした事件が起きる。
空になった朝食の皿から目を上げると
テーブルの向こう側でブラブラと揺れている
輪っかになったチューブの先端が椅子の背から垂れ下がって
オトーサン、酸素スルの忘れてる
私は食後の錠剤とカプセルをコップの水で呑んだ
母は新聞を読んでいた
恐らく病気が深刻化した時は、本人も家族も大騒ぎしたことだろう。しかし、大騒ぎの時期が過ぎれば、どんな出来事でも日常として受け止めざるを得ない。私たちは自ら死を選ぶ場合を除き生きていかなければならないし、生きていくことは「日常生活」を営むことであるからである。慣れてくれば、命綱である酸素チューブを本人でさえ忘れてしまう。ああ、人生ってこういうことだよね、と感じさせてくれる。
酸素スル家族、
一粒の苺を残して
窓を開けて
舞い上がるテーブルクロスのように
空へと向かう
家族というものはどんな仲良し家族でもいつかはバラバラになる。誰かが家を出ていくという時もあれば、命が尽きる時もある。それも日常の一コマなのである。緊張しきっていては日常生活を営めないから日常はどこかのんびりした顔をしている。話者は死の匂いを含んだそんなほんわかした空気を、冷静に見つめ、距離を取りながら記録しているのである。
第3詩集となる2012年刊行の『三月兎の耳をつけてほんとの詩を書くわたし』(思潮社)辺りから、川上さんの詩はそれまでのクールさを薄れさせていき、本音をぽつりぽつり漏らす温かさが滲み出るようになる。短編小説の登場人物のように、突き放した態度で描いていた話者を、現実の自分に近づけるようにしているのだ。と言ってもべったりした抒情は注意深く避けており、話はしばしば喜劇的な語りで進められる。詩集の表題作『三月兎の耳をつけてほんとの詩を書くわたし*』の書き出しはこうだ。
ちょっと待って
地震が来る前にほんとのことばかり書かなきゃいけない
ほんとのことばかり言っても誰も聞きたがらないんだ
口で言っても聞いてくれないが、書いたら読んでくれる人がいるかもしれない。個人の内心の深い部分にある問題は、親しい人でもなかなか理解してもらえない。深刻さを受け止められない時もあるし、過剰に反応される時もある。またこちらからわざわざ話題に出すのが恥ずかしかったり気が引ける時もある。詩は、話しづらいそうした微妙な話題を語るための便利なツールである。作品は複数の私的な出来事を扱っている。父親が肺癌になった話を中心に、避妊手術を施した猫を引き取ったこと、話者の片想いに近い「あなた」との交際、などについてである。それらについて、具体的な事実を交えつつ、話者はやはり核心をはぐらかすような書き方で綴る。
朝めがさめると、あなたのことを考え、
考え、るので、頭のなかのツル草がどんどん伸びてしまった
(ツル草を刈るための道具がいる)
きのう、わたしの母親だというひとを殴って
椅子を床に叩きつけて、いくつか傷をつけてしまった
(茶色のクレヨンを探して床に塗る)
そのうえ、カーテンにぶら下がって怒鳴ったので、
窓の上の壁のカケラが、ぽろんと絨毯に落っこちてきた
(壁を拾ってとりあえず物置のなかへ)
交際中の人との関係にむしゃくしゃして母親と喧嘩してしまった、と取れる部分だが、話者が伝えたい「ほんとのこと」とは、「あらいざらい喋ってせいせいした」と言えるようなまとまった意見ではなくて、整理しきらない、すっきりしない心持ちそのものなのだということがわかってくる。
ほんとの話をいくつかしたつもりになると
またそこからほんとの話が枝分かれしていって伸び放題のツル草になる
でもぜんぶほんとの話だ、これからはもうほんとのことばかり書くんだ
「枝分かれ」した「伸び放題のツル草」というすっきりしない状態こそが、「核心」であり伝えたいことなのである。川上さんは今後書いていく詩の方向を「ツル草」に定めた。それまでの川上さんの詩は小説仕立ての虚構の詩だったが、これを境に「ほんとのこと」を書く作風に転換していくのである。
その傑作の一つが「スノードロップ」である。スノードロップの鉢植えを買って窓辺に置く。そして歯医者に行って、BGMの男性歌手が歌う「アヴェマリア」を聞きながら歯の治療をしてもらう。更に「昨日の夕飯、ふきのとうのてんぷら」と誰かが言ったのを聞く。これらの互いに関連のない材料を総合し、自由奔放な夢としての「ほんとうのこと」をうたいあげていく。
(このまま天国にのぼっていってふきのとうのてんぷらを食べたい)
わたしはとうとうそう思ってしまった
たちまちしゅるしゅるっと天国行きの縄梯子が降りてきた
すぐに片足を縄梯子にかける
(ふきのとうのてんぷら)
もう片方の足をひきよせる
(でも来週の金曜は歯医者の予約だ)
一瞬迷うが金曜には戻ってくればいいのだからともう一段のぼる
(ふきのとうのてんぷら)(ふきのとうのてんぷら)……
(ふ)(き)(の)(と)(う)(の)(て)(ん)(ぷ)(ら)
というぐあいにのぼっていくと縄梯子はぜんぶでちょうど十段だった
最後の「ら」の段に片足をのせたとき私は窓辺の白い花のことを思い出した
何とも壮大な光景だ。話者はこのまま天国に行ってスノードロップのために王子様をひとり連れて帰ろうとまで考えるが、縄梯子を踏みはずして現実に帰ることになる。話者は、この馬鹿馬鹿しいと言っていい壮大なナンセンスの中を素直に生きている。話者は虚構のお話の主人公として突き放されるのでなく、作者に背中を押されて作者と一緒に虚構を生きる存在となる。虚構は生きられることによって現実となる。傍観者としての話者から行為者としての話者へ。
最後の詩集となった2018年発行の『あなたとわたしと無数の人々』(七月堂)では、作者と話者の距離が更に近くなる。この詩集については論じたことがあり([本]のメルマガ vol.692 http://back.honmaga.net/?eid=979323)、ここでは以前は取り上げなかった詩について言及することにする。
「噛む夜」は、料理し、食事する日常の光景を描いているが、その実、自意識の在処を探ることがテーマとなっている。
たぶんわたしはしんけんな顔をしているだろう
これからヒトとして有機物を摂取するのだから
生きていくための左手は握ったり持ち上げたり忙しく動き回り
時々思い出して文字を書く右手は水栓を開けたり閉めたりする
話者のアイデンティティは作家であるというところにある。しかし、作家だって人間という生き物だから食べるということをしなければならない。話者は一人で料理し食事するという局面において、その、作家であるという意識を持つ自分に微かな違和感を覚える。
箸を使い 咀嚼する
豆と米 肉と葱 味噌と茄子 胡瓜
先月、右の奥歯の詰め物がとれてしまったので穴があいていて
その穴に噛んだものがはさまってしまうので困っている
こんどの氷河期のおわりにわたしが発見されたときには
右の奥歯の穴に豆が見つかったりはしないかと気になってしまう
歯と顎の形状から何を噛んでいたかわかってしまうだろうか
自分からアイデンティティを外し、一個の物体のように眺めてみる。人類が滅亡し、次世代の人類に発見された時、作家だなどという意識が問題になるはずはない。単なるサンプルとして物理的に把握されるだけだ。その様子を想像し、おかしく感じるのだ。
「写真」は、大学教員だった母親の勤務先を訪ね、研究室で待っていたことを思い出すという詩。話者が若かった頃の話だ。机の引き出しを開けたら、モノクロの女子学生の証明写真が出てきた。
わたしはその見知らぬ人の写真をなにか恐ろしい気持ちで眺めた
コンナ写真ヲ撮ラレルナンテ
コノヒトハ捕マッテ刑務所ニイルノカモシレナイ
アルイハ死ンデシマッタノカモシレナイ
ここでは、当時の、というより現在の話者の心境が語られているのではないだろうか。証明写真は生活の場から切り離された、文字通り身元を証明するための写真なので無機的に感じられるものだ。その人の人となりが抜き取られ、物体として置かれているからだろう。現在の話者は時間がたってそのことを思い出し、より強烈な印象を作り上げていく。
無表情にまっすぐ前をみている知らない人の写真を
見なかったことにしたいと思うのだが
キットコノヒトハシンデシマッタノダ
という考えが頭から離れなくなる
そして詩は次のように締められる。
季節は秋だった
窓の外の青空は急な貧血のように薄く白くなり
椅子も机も本棚もすべてがモノクロに変わって
宛先のない封筒のようにコトンと奥深いところへ落ちていく
この時期、川上さんの病状は進んでいたはずだ。死が遠くないものとして予感されていたかもしれない。若い頃の回想にしては切迫感がありすぎる。話者は当時の自分に憑依してなり変わっている。机の引き出しを開け、無表情な女子学生の写真に衝撃を覚えているのは、「現在のわたし」なのだ。これは思い出話ではなく、現在進行中の死への恐怖を語っているもののように思える。自分を直接晒すことで生じる生々しさを避けるため、過去の自分を呼び出し、間接的に現在の心境を語ろうとしたのではないだろうか。
川上さんの詩を読む人は人生の理不尽をうたう切実さに心を打たれることと思うが、その心情がストレートな筆致で語られることはない。ユーモアに包まれ、笑いとともに綴られることもしばしばある。川上亜紀の詩の魅力の核心はここにある。心情をオープンな形で曝け出すことを拒否するのが川上さんのやり方だ。はぐらかし、肩透かしを食わせ、時にはからかうような口調で表現していく。素直でないのだ。川上さんは人生の理不尽に対し、斜に構えた態度を取っていると言える。文学の才能に恵まれながら運と健康に恵まれなかった川上さんは、プライドとコンプレックスの両方を抱え持つことになる。プライドがコンプレックスを呼び起こし、コンプレックスがプライドを刺激する。理性と教養があり、理解ある両親にも恵まれた川上さんは、やけくそになったりひねくれたりすることができない。そこで川上さんは詩の言葉でもって、斜に構える、という態度を取る作戦に出るのである。気取っていたり、拗ねたりしているのではない。そうしないと自分を保つことができないからそうしているのである。川上さんはそれを独自の語りの形式に落とし込み、読者と想いを共有することができた。想いは内に秘められることなく、明確な言葉の形を取って公開され、普遍化を達成したのである。そこに川上さんが詩を書く喜びがあった。そのことを私も心から喜びたいと思う。