ある日の休日

 

みわ はるか

 
 

久しぶりにテニスラケットカバーのチャックを開けた。
中には中学時代部活で使用していたテニスラケットが収まっている。
しかし、もうあれから10年もたっていたせいかグリップが死んでいた。
ところどころ破れていて、そこに手をやるとあっという間に黒くなった。
これでは満足にラリーが続けられない。
知人とのテニスの約束は明日の午前9時。
今はその前日の午後10時。
お店は空いていない。
絶望的だ。
そこでいそいそとわたしは携帯を手繰り寄せメールを打った。
宛先はその知人だ。
「こんばんは。明日すごく楽しみ。ところで新しいグリップ持ってませんか?持っていたらわたしのグリップ巻いてほしいです。グリップが死んでいます。」
人に何か頼むときなぜか敬語になってしまうのはわたしだけだろうか。
それが数年来の知人だったとしても。
すぐに返信は来た。
「おけ」
知人らしい返信だった。
出会った当初から知人の鞄には何かとその時々に必要なものが用意されていた。
不思議な鞄だなといつも思っていた。
まるでドラえもんみたいだなと。
その夜わたしは早めに眠りについた。

「オムニコートでいいかね?」
そのスポーツ施設を運営する60代後半と思われるおじいちゃんはわたしたちにコートの種類を確認してきた。
それも何度も。
この施設にはテニスコートのほかに野球場、バレーボールや剣道ができる体育館、大きな芝生、ちょっとした公園があった。
木々もたくさんあり自然に満ち溢れていた。
わたしたちが到着したときにはすでに少年野球が始まっていたし、中学生がコーチとともにテニスをしていた。
体育館は今日は剣道場として使われているらしく威勢のいい声と音が聞こえてきた。
わたしが大学時代借りていたアパートのすぐ横はスポーツに力をいれていた高校が建っており、休日の朝は体育館から聞こえてくる竹刀の触れ合う音で起こされたことを思い出した。
無性に懐かしくなり体育館をのぞいてみたくなった。
知人にも一緒に行こうと誘ったが答えはNOだった。
仕方なく一人で見に行った。
予想通りの迫力で朝から元気をもらった。
と同時に、そういえば知人は長い間剣道をやっていたと聞いたことがあることを思い出した。
戻ってそのことを伝えるとただ一言
「剣道は嫌いなんだ。」
と返ってきた
どうしてかと尋ねてもそれ以上言葉を発することはなかった。
わたしもそれ以上追及することは辞めた。
自分にとっていい印象の事象が、必ずしも他人にとって同じ印象だとは限らない。
真逆のことだって往々にしてある。
わたしたちはコートに入るための鍵を借りてそこをあとにした。
去り際、そのおじいちゃんはまたも
「オムニコートだけどよかったかね?」
と尋ねてきた。

人工芝だった。
わたしたちが借りたAコートの種類は人工芝だった。
あのおじいちゃんのことを思い出してわたしたちは顔を見合わせて笑った。
他の場所のコートときっと勘違いしているに違いないとまた笑った。
人工芝でもなんの問題のなかったわたしたちは用意を始めた。
知人はごそごそと鞄の中に手をいれて、そこから新しいグリップがはいった袋を出してくれた。
おもむろにわたしのラケットを手繰り寄せ、丁寧に丁寧に巻き直し始めた。
知人はたいていなことをそつなくこなすタイプだった。

あっという間にわたしのグリップは生き返った。
グリップを新しくしただけでこんなにもよく見えるのには少し驚いた。
透き通った青空のもと気の置けない知人とお互い好きなテニスをしている時間は幸せだった。
趣味が同じなのはいいなと思った。
テニスに飽きると、近くの芝生に2人して寝転がった。
芝が服の下からちくちくとあたったがすぐに慣れた。
野球場ではコーチに怒鳴られながらちびっこが一生懸命白球を追っていた。
小さな小さな体だった。
近くにそびえたつ山の輪郭が今日ははっきりと見えた。
山の頂上にいる人がこっちに手を振っているのが見えるとか、そこの売店で売っているソフトクリームが今日は大繁盛だとか、見えもしないことをお互い面白おかしく言い合った。
ただただそんな時間がものすごく楽しかった。
久しぶりに心が透き通る感覚に浸っていた。
何ににも代えがたい時間だった。
ずっとずっとこの瞬間が続けばいいのにと。
雲はゆっくりゆっくりと移動していた。
目をこらして見ていないとわからないぐらいのゆるやかなスピードで。

鍵を返す時間になった。
せっかくだから他のテニスコートも見てから帰ろうということになった。
どこのコートも人がいっぱいだった。
それぞれの時間がそこにはあった。
知人とまた来たいね、絶対に来ようと約束してそこをあとにした。
スポーツを楽しむこともそうだが、もっともっと知人のことを知りたいと思ったから。
一緒にいたいと思ったから。
できれば死ぬまでこうやっていい関係を続けていきたい。
テニスができなくなったらまた違う形で時間をともにできればいい。
どんなくだらないことでもその知人とならきっとものすごく面白いことに転換できるはずだ。
お互いのおかれる環境が変わっても会う手段はたくさんあるはず。
バスだって、電車だって、新幹線だって・・・・。
便利なものが周りにはたくさんあるから。

最後に、わりと重要なことが1つわかった。
ここの施設にはオムニコートは存在しないということが。

 

 

 

日常

 

みわ はるか

 
 

新しいシャンプーを使った。
ダークグリーンのチューブタイプの入れ物。
白いジェル状のものが中には入っている。。
黒くて長い髪の先まで丁寧に洗った。
何度も何度も指をとおす。
少し熱いと感じるお湯で流す。
つやつや、きらきら、つるつる。
髪が生き返るように潤いをもつようになる。
ぱんぱんと軽くたたきながらパスタオルでふく。
柔軟剤でふわっふわになっている布。
風量が強すぎるほどのドライヤーで髪を靡かせて乾かす。
水分がだんだんなくなって軽くなる。
少し持ち上げるとなんの抵抗もなくすとんと落ちるようになる。
分け目をいつもの場所と変えてみる。
でもやっぱり気に入らないからもとのようにセンターに戻す。
いつまでもいつまでも鼻をくすぐるようないい香り。
自分の鼻に近付けていい気分になる。
そのいい気持ちのままするんとベッドに入る。
眠る。
いい夢を見られるはずだ。

自分専用の急須を戸棚から出す。
お湯を沸かす。
通販で取り寄せた京都で有名な茶葉を用意する。
陶芸教室で自分で焼いた湯呑をテーブルの上におく。
沸いたお湯で湯呑を温める。
茶葉を急須に入れてお湯を注ぐ。
数分してから湯呑に投入する。
きれいな淡い緑色の液体。
じっと見る。
上から覗き込むようにじっと見る。
口にふくんでみる。
苦味成分のカテキンがいい仕事をしているなと感じる。
美味い。
心が不思議と落ち着く。
昔住んでいた田舎町の茶畑をふと思い出す。
あの時汗を流して茶摘みをしていたおばあさんは元気だろうか。

歩く。
ひたすら歩く。
川沿いまで着てみると高架下で若者たちが楽しそうにバーベキューをしている。
黒いタンクトップ、花柄のロングスカート、厚底のサンダル、蛍光グリーンの小さめの鞄、肉肉肉肉肉野菜。
あのクーラーボックスにはよーく冷えたコーラが入っているに違いない。
さらに歩く。
新しい建売の住宅が並んでいる。
広い庭がついた洋風の家が目立つ。
よそものの集まりなんだろうけれど、そこからきっと新しい組織ができていくにちがいない。
どの家も日当たりはよさそうだ。
雪が多くて寒い地域だからだろうか。
窓が厚くできているような気がする。
近い将来この辺一帯の家々には色んな名字の表札がかかるのだろう。
それぞれの人生がそこにはある。

普段のなんともないことや想像の世界をを文字にしてみる。
それをつなげて文章にしてみる。
ただそれだけのことがものすごく楽しい。
さらに幸せなのはそれを多くの人が見てくれるところ。

御縁に感謝。

 

 

 

 

みわ はるか

 
 

青銅色の風鈴がベランダの物干しざおに吊らされていい音色を届けてくれる。
少し重い響きがいい。
ゆらゆらとゆれるかんじがいい。
風がない中じっと暑さに耐えるかのような姿もまたいい。

からんころん、からんころん、からんころ~ん。
いくつもの下駄が楽しそうにアスファルトの道を行き交う。
浴衣姿の女性はやはり美しい。
まっすぐな道に隙間がないくらいにたたずむ屋台。
中身よりも包んでいる袋のキャラクターにつられて買ってしまう綿あめ、食卓によくあるのにチョコレートでコーティングしただけで魅力を感じてしまうチョコバナナ、金魚すくい、水風船、その日の夜だけ光るアクセサリー・・・・・・・。
フィナーレの打ち上げ花火。
水面に映る反射した花火はよりいい。
見ているだけでもうきうきするそんな夏祭り。

すっと伸びた茎のてっぺんに大きな花弁を何枚もつけて元気よく咲くひまわり。
太陽の光を存分に浴びてのびのびと育った最終産物。
本当に濃い黄色はこのことなんだろうなと思う。
みつばちがとまる。
みつばちが立ち去る。
また他のみつばちが遊びに来る。
みんなから愛されるそんな花。

これでもかというくらいの金切り声で鳴き続ける。
その命は1週間しかないという。
土の中には何年もいるというのに。
なんだか切ない。
生きるということを身をもって教えてくれているような気がする。
蝉。

じりじりと照りつける太陽。
それを遮る麦わら帽子。
ぽたぽたと落ちる汗。
それをふきとる手。
薄着になる季節。
小麦色の肌。

そんな夏はもう目の前だ

 

 

 

金木犀の香り

 

みわ はるか

 
 

その香りが金木犀だと知ったのは随分あとのことだ。

向かいのお姉さんの家の庭は常にきちんと剪定されていて、いい香りがするその植物はその庭の端にちょこんと植えられていた。
隅のほうにあったけれど存在感は抜群だった。
そんな香りのベールにつつまれてお姉さんは毎日決まった時間に大きな玄関から出勤していた。
黒く長い髪をひとつに束ね、赤い小さめの鞄を肩からさげていた。
洋服は職場で決められているのだろう。
白いブラウスの上にチェックのチョッキのようなものを着ていた。
紺色のスカートはひざ下まであり、それにあわせて黒いヒールを履いていた。
当時部活の練習で日に焼けた肌をしていた中学生のわたしにとって、憧れの存在でとてつもなくまぶしくうつった。
いつかわたしもあんなふうに颯爽と歩くオフィスレディにでもなるのかなと勝手に夢をふくらませていた。
こんなわたしにもニコニコした笑顔をむけ挨拶をしてくれた。
お姉さんに会うときはなぜか少しどきどきして恥ずかしかった。
特別親しく遊んでもらった記憶はないけれど、長女のわたしにとっては本当の姉ができたようで嬉しかった。

そんなお姉さんもいつもいつも明るかったわけではなかった。
少し伏し目がちで大きなため息をついて家から出てくることもあった。
きっと人に言えない辛いことや苦しいことがあったのだろう。
そんな日が続くとものすごく心配になったけれど、またあの笑顔ですれちがえたときは心底ほっとしした。
やっぱりお姉さんの笑っている時の姿が一番好きだった。

それから月日は流れた。
お姉さんはその家から居なくなった。
遠いところにお嫁にいってしまったらしい。
遠いところってどこだろう~、元気にやっているのだろうか~。
想像することしかわたしにはできなかった。
そして、少しずつお姉さんのことを忘れていった。

わたしも大事な高校受験や大学受験を経験し、少しずつ大人の階段をのぼっていた。
前はお肉を好んで食べていたけれど、今は有機野菜や消化にいい食べ物に興味をもつようになった。
夏は紫外線なんか気にせずさんさんとふりそそぐ太陽の下部活のテニスに精をだしていたけれど、今はいかにしみやしわを防ぐ化粧品を見つけられるか
に時間を使うようになった。
キャラクターがプリントされているTシャツよりも、少し品がある無地の洋服を好んで着るようになった。
お菓子はあまり食べなくなった。
マンガや恋愛もののドラマよりニュースを見るようになった。
多少のことではわたわたと怖がることがなくなった。
遠足の前日のようにうきうきやわくわくすることが減った。
いつもいつも明るい明日が来るわけではないということを悟った。
時間的制約がある限り限界というものがあることを知った。
色んなことが自分の知らないうちに確実に変わっていった。
私は少し大人になれたのだろうか。

お姉さんをまた見るようになったのはそんなふうにわたしが大人に近付いているときだった。
金木犀の香りに包まれてあの玄関から出入りする姿があった。
一人ではなかった。
お姉さんの腕で大事そうに抱かれた小さな小さな赤ちゃんも一緒だった。
白いふわふわの生地で包まれたその子は天使のような微笑みをお姉さんにむけていた。
それを見ているお姉さんの顔はそれ以上の笑顔だった。
守るべき存在ができたお姉さんは前よりもたくましく見えた。
日が陰ったころ、ベビーカーにその子を乗せゆっくりとゆっくりと歩いていた。
聞き取ることはできなかったが何か優しく話しかけながら。
その時、一つ間違いなく言えるのは、その瞬間確かにお姉さんは幸せだった。
そしてきっと今も幸福な人生を送っているに違いない。
そうであってほしい。

わたしも転勤を機に地元を離れてしまったが、金木犀を見ると思いだす。
金木犀のお姉さんのことを。

 

 

 

生きる

 

みわ はるか

 
 

沈んでいく太陽を1人でずっと、ずーっと見ていた。
まっすぐにのびた川が流れる河川敷の階段に座って。お尻が痛くなっても目をそらさずに西の空を見続けた。
山にかかった雲は夕日の光を吸い込んだように黄金に輝いていた。
美しいというのはこういうことを言うんだろうと思う。
この日、この時間、ここにいることができたわたしはラッキーだ。
1日の終わりをこうして終えることができたとき、今日は人間らしい生活がおくれたなと感じる。
1人ででも強く生きられたなと安堵する。

「その人」はとても明るい人だった。
たいていの物事はポジティブに捉える人だった。
そして入社したてのわたしを娘のように可愛がってくれた。
誰になんと言われようとも常にわたしの味方になってくれた。
少しめんどくさがりで、ずるいところもあったけれど、「女は愛嬌よ。」といって生きている人だった。
わたしは「その人」のことを心から信頼していたし、ずっとわたしのよき上司として一緒に働いていけるものだと思っていた。

私は元来、常に最悪の場合を想定してしまう癖がある。
どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・・・・。
もしも・・・・・・のあとに続く言葉はいつも否定的な内容になりがちだ。
こうやって意味もなく、当てもなく悩んでいるうちに1日はあっという間に終わっていく。
何もたいして解決しないまま。
無駄な時間だとは頭ではわかっていてもこの思考回路をストップさせることができなかった。
だから、「その人」は私に対して救世主だったのだ。
「なーんだそんなこと、気にしなくていいのに!」
「大丈夫大丈夫、もっと楽に考えて。たーいしたこじゃないから。」
「そんなことより新発売のあのチョコレート売店に買いに行こう。」
笑うと八重歯が見え隠れする口を大きく開けてそう悟してくれた。
話を聞いてもらうだけで楽になれた。
平易な言葉だったけれど、「その人」からかけてもらう言葉には魔法がかかったかのように人をリラックスさせる効果があった。
滝のように涙がでた次の日に笑って出社できたのも、「その人」が自分のことのように一緒に悩んでくれたから。

でももう「その人」はいない。
「その人」の「仕事辞めます」という宣告は急だった。
そして本当に次の日から「その人」は来なくなった。
ロッカーもデスクも「その人」のものは何一つ残っていなかった。
毎日コーヒーを飲むために使っていたマグカップだけが忘れられたように食洗器の中に取り残されていた。
辞めたのは家庭の事情だと、あとから上司に聞いた。
嘘か本当か確かなことはわからないけれど・・・・。

「その人」のいない次の日がやってくる。そのまた次の日もやってくる。
時間は規則正しく毎日を動かしている。
人もそれにのっとって動き出す。追いてかれないように。
強くたくましく生きていかなければならない。
「その人」はもういないのだから。

朝、東の空から昇ってくる太陽はわたしには眩しすぎる。
1日の始まりをつきつけられたようで朝日は苦手だ。
それでも、その光を背中に感じながらぐっと前に1歩ふみだす。
それができたら、次は反対の足をそれよりももう少しだけ前に運ぶ。
頑張りすぎずに頑張る。
なんて都合のいい言葉なんだろうと思うけれど、なんていい言葉なんだろうとも思う。
こうして「その人」のいない戦場に向かう。
ゆっくりと、でも着実に。
「その人」を心の支えにして。

 

 

 

幸福な時間

 

みわ はるか

 
 

給食をかきこむように口に運んで、時計を気にしながらいそいでトレイを片づけた水曜日の午後。
一番に到着したと思った図書室にはもう大勢の下級生の姿が。
いつもは均等に配置されている4人掛けの机は隅においやられ、椅子だけが同じ方向をむくように列をなしてきれいに並べられている。
その先にはちょっとしたカウンターがあり、みんなを少しだけ上からみおろせるようになっている。
これから始まる有志の保護者による「お話玉手箱」、本の読み聞かせの会をみんな心待ちにしている。
小学校6学年のほとんどが集うこの時間、図書室は満杯になる。

図書委員長のわたしははじめに簡単なあいさつをすませ、いつものポジション、一番後ろの壁にもたれかかる。
すぐ後ろの窓からはさわやかな風が舞い込んでくる。
不思議なのは普段そんなに図書室で見かけないような顔がたくさんあること。
毎週この時間だけは広い運動場がいつもより寂しく見える。
みんなが同じ方向を食い入るように見ている。
少しも聞き逃さないようにと耳を傾けている。
そんなみんなの頭を後ろから眺める自分。
感じることは違っても、同じ時間、同じ場所、同じものを共有する。
こんな時間が大好きだった。

トイレの中にも本をもちこんで長い間籠ることがあった。
一度読み始めると食事や睡眠の時間でさえも惜しいと感じた。
卒業文集の友達への一言の欄には「もっと外で遊んだほうがいい。」と書かれたのはいい思い出だ。
そのせいかどうかはもう覚えていないが中学生時代テニス部に所属している。
図書室にある本は全部読んでやると本気で思っていた。
自分の好きな作家の新刊が出続ける限り生きていく。
大袈裟かもしれないけれどそう心から強く誓ったのもあのときだ。
小説、エッセイ、詩、伝記、専門書・・・・・あらゆる分野の本に目を通した。
田舎の小さな町で育ったわたしにとって、色々な世界を見せてくれる図書室はまるで宝石箱のようだった。

成長して、ふと母校に立ち寄ることがある。
自然と足がむくのは決まって図書室だ。
そこには配置こそ変わっているが、ところせましと本がぎっしり並べられている。
少し黄ばんだページを見つけるとなぜだか妙に懐かしい気分になった。
あのとき読んだ本を、あのときの自分と同じくらいの年の子が手にとっていると思うと無性にうれしかった。
残念なのは当時あった「お話玉手箱」の時間がなくなってしまったこと。
いつか復活することを願っている。

雲ひとつない青空が広がるとある日。
こんな日でも無意識に本に手がのびる。
「こらっ、たまには外で体でも動かさないと!」
旧友の声がどこかから聞こえたきがした。

 

 

 

ファミレス

 

みわ はるか

 
 

「ファミレス」に来た。
一人で。
いつも来てから後悔するのに。
もう一人で来るのはやめようって思うのに。
忘れたころにまた足を運んでしまう。

略さずに書くと「ファミリーレストラン」。
日本語にすると、「家族で食事する場所」と言ったところだろうか。
食器と食器が触れ合う音とともに楽しそうに会話する家族の声が聞こえてくる。
家族が同じテーブルを囲み、各々好きなものを注文し、それを口に運ぶ。
そんなほほえましい姿を第三者である他人が怪しまれることなく垣間見ることができる。

気の強い母だった。
不器用な父だった。
小学生のとき参観日に両親の姿を見ることはなかった。
入学式と卒業式、ピースサインで二人の間に自分が収まっている写真は貴重だ。
学校から帰って一番に鍵穴に鍵をさすのは自分の仕事だった。
飼っていた牛みたいな模様の犬だけがしっぽを盛んにふって毎日出迎えてくれた。
家の中に入ってまずはじめにテレビをつけた。
電気ではなくて、テレビ。
自分に話しかけてくれているわけではないけれど音がするということに安心した。

耳をそばだてていた。
母の運転する車が家の敷地に入ってくる音を聞き逃さないように。
一目散に走った。
今日あったことを報告するために。
音読のテストですらすら最後まで読めたこと、給食に大嫌いなサバがでたけれどできる限り食べたこと、友達が新しい自転車を買ってもらってそれがものすごく羨ましいこと、来週の家庭科の調理実習には人参を家から持っていかなければならないこと。
話すことなんてたくさんあった。
どうでもいいことから本当に大事なことまで。
それでも全部伝えたかった。
自分のことは全部知っていてほしかった。
仕事から帰ってきた母はとても忙しそうだった。
留守電の確認、夕飯の準備、明日の天気予報の確認・・・。
人を寄せ付けない雰囲気がそこにはあった。
今、成人し仕事をするようになった自分にはそのときの母の気持ちや行動が理解できる。
仕事を遅くまでやり、帰ってからは家族のためにご飯やお風呂の準備、愚痴をはくこともなく毎日こなしてくれたことに感謝しかない。
しかし、当時それを理解するのには幼すぎた。
寂しかった・・・寂しかったのだと思う。

何かを確認するために、何かを取り戻すために自分はファミレスに行くのだと思う。
5、6人掛けの椅子にひ1人で長く居座るのは少し目立つけれど。
きっとまたファミレスに自分は行くのだと思う。

 

 

 

ある晴れた日の出会い

 

 

みわ はるか

 

 

もうあれから5年たつのかとカレンダーを見ながらふと思った。

5年前の今日、転勤により全くなじみのない町に一人で引っ越してきた。
住み始めたアパートには若夫婦とその子供からなる核家族が多く住んでいた。
その中の1つ、わたしの隣には当時小学校1年生だった少女が両親とともに生活していた。
わたしはその少女に心を救ってもらったことを今でもとても感謝している。

当時、わたしは仕事で何をやってもうまくいってなかった。
自分をさらけだして相談できる友人や同僚もおらず、途方に暮れ心を病んでいた。
生きる意味さえ見出せずにいた。
そんなとき、ふと窓を開けベランダに出て下を見ると、黄色い帽子に真新しいランドセルを背負ったその少女と目が合った。
屈託のない笑顔に、きらきらした目をわたしに向けてくれていた。
その顔からは、大袈裟かもしれないけれど、明日や未来に希望だけを見出しているかのように見えた。
残暑が残る8月下旬、その子の髪から滴り落ちる汗さえも美しい結晶のように感じた。
わたしの顔にも自然と笑みが表れ、もう少しだけがんばってみよう、そんな気がわいてきたのだ。

来年の春、彼女は中学生になる。