The Remains of the Day

 

狩野雅之

 
 


20240116-_DSC8103-6
Nikon D810, Nikon AF-S NIKKOR 24-120mm F4G ED VR

 

Description

 

日中の気温は10℃あたりまで上がるのだが
やがてそれも氷点下へと変わる。

真正面から強風も吹き付けるこの丘で
夕暮の波涛と向き合う。

標高1700メートルの北八ヶ岳中腹。

The evening is the best part of the day.

 
Masayuki Kano
 

 

 

白髪の人

 

工藤冬里

 

そんな世界の終わりも
LINEのスタンプで知らされるのだろうか
ひとりのままでいるのはよくない
名前を付けている間に気付いた
そのスタンプをまだ使っている
躑躅が奥に嵌め込まれ
瞳は暗く引っ込む
浅いつながりが分からないので
靱帯のない内臓は揺れている
立ち位置が分からないのに
白髪がぼおっと立っている
癌がこちらを向いている
文革のように水溜まりに輪が出来ている
いけない いけない
母音を端折っては
その名前をまだ使っている
評判が含まれている子音の靱帯
白髪の変色する悲劇
オイルのない気管の故障の音に射抜かれ
三つの石鹸の置かれた
外部にはみ出した構造
透明な幅広の草
綿花を飾って
顔を抱き締めた
ポエーシスは閉じている
窓のない外
宍色(肌色言い換え)やピンクに蜘蛛の巣は合う
フロントガラスを伝う雨
内部は開かれ外部は閉じている
きっと体に来る
詩どころではない
遠ざかる軽トラに雨が触れる
ハンドルのように三つに分かれている
コンクリの電柱は真直ぐに立っている
白や青の車は往来している
躑躅は奥まっている
裏のない躑躅が奥まっている
切られた幹から細い枝が出ているのを
絵と勘違いしている
介助のおばさんの声がする
雨は

(びゃあびゃあ)降っている
雨は激しく焼杉の壁を打つ
縫いぐるみは綿で出来ている
屑入れはない
SUZUKIのロゴがスワスティカのように見える
池はそのままであってはいけない
川は間違っている
場所が分からなくなる
雨が降っているのは分かる
白髪は立っている

 

 

 

#poetry #rock musician

日曜日

 

廿楽順治

 
 

なにもかもが過ぎてしまった
越えたものは多い

(子どもなんかいなくてよかった)

そのひとを亜麻布につつんで
引き取り
丘にむかって
われわれにおおいかぶされ

(と言ってはみたものの)

この亜麻布はなににひとしいのか
ひとしさの
包み方がわからない
「生きたひとをなぜ死人のなかに
たずねているのか」

日曜がきたので仕事はやすんだ
(わたし)というのは
丘の過去形です

ひとしさのうえにいて
ずっとはたらかない

 

 

 

さたん

 

道 ケージ

 
 

明治新政府の本質は江戸幕府と変わらず、内実は、 (個の尊重を旨とする) 近代なるものとは程遠かった。「五榜の掲示」では切支丹宗門禁制を布告。地方ではそのような中央政府を忖度し、キリシタンの摘発が始まる。長崎県五島列島では明治元年から上五島、下五島の各地で潜伏キリシタンに対し苛烈な弾圧が行われた。明治元年(一八六八年)、五島列島久賀島では潜伏キリシタン約二百人を捕縛。わずか六坪(十二畳)ほどの牢屋に乳飲み児から老人まで二百人が押し込められ、改宗を迫られ石抱きや水責めなどの拷問を受けた。この極小の糞尿まみれの牢で、四十二人が獄死(出牢後の死亡三名)。「牢屋の窄 殉教事件」(明治元年)である。

 

ささささ さささ
しのびより
外海<そとめ>
しず集落から

すーっ(姿なく)、すーっ(風?)
隣にさたん(意識なしに)
ジワンノ、ジワンナ
知らぬ名の
死後の石は重い

知らんのか
「さあね、そういうものゆえ」
さむい

足がつかない
さよなら
サンタマリア
ゼススは救わない

「生き血ば吸うげな」
咎める理由はよく知らぬ
さいていな奴

サルビアの花
こわごわ蜜を吸う
相槌にさたん
作り笑いにさたん

「踏み潰され
 煎餅のごつ平とうなったげな
 蠅たかり黒ゴマばまぶしたごたる」
 そげんね
 サタン嗟嘆

「広い狭いはわが胸にあるぞやなあ
 パライゾの寺にぞ参ろうやなあ
 あーしばた山 しばた山なあ
 涙の先にはなあ…」

生活にさたん
さたん飼いならし
誰が何するかわからんめぇも
血の聖牌にぎる

太古丸フェリーは
滑るように進む
島は明るい
さたん、笑う

 


    以下の著書等を参照した。一部引用もしている。

    1.世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」パンフレット
    2.森 禮子『五島崩れ』(主婦の友社、一九八〇)
    3.津山 千恵『日本キリシタン迫害史』(三一書房、一九九五年)

 

 

 

4月のカルテット~西暦2024年卯月の歌

 

佐々木 眞

 
 

Ⅰ 相寄る魂

 
天秤座から蠍座に入ろうとする青白い月を見ながら、
しろうさぎのおばさんが、いいました。

「コウ君、私の誕生日を知ってる?
2月29日は、4年に一度の私の誕生日なのよ」

すると、すかさず、暗算の得意なコウ君が、コウ答えました。

「しろうさぎのおばさん、今年でやっと21歳だから、超若いね。」

んで、今年84歳になるおばさんは、仕方なく苦笑いしていますと、
いつの間にか近寄ってきた、柔らかい肌をしたロクロ首が、こう呟いたのでした。

「アタシの妹は、最近シモーヌ・シニョレに似てきたけど、アタシなんか、いつまで経っても、花も恥じらうスリムな25歳なのよ」*

 
*「ロシュフォールの恋人たち」で共演した仏蘭西の大女優カトリーヌ・ドヌーヴ(1943.10.22)の姉フランソワーズ・ドルレアック(1942.3.21―1967)は、1967年6月26日、ニース空港に向かう車を、自分で運転している際の交通事故で、首を切断し命終。

 

Ⅱ 同志少女よ、誰を撃つ

 
春だった。
ある晴れた日の、朝だった。

チボー家の人々は、誰も徴兵されなかったのに、オレっち、ジャックだけが徴発された。
どうだ、カッコいいだろう?

で、まさか戦争が始まるとは、夢にも思ってもいなかったのに、それが突然始まったときには、驚いた。

オレは、動員されて戦場に赴いた。
稠密に張り巡らされた塹壕の中で、
まるで芋虫のように、ゴロゴロ蠢いていた。

テキは、豊富な物量に物を言わせて機関銃でガンガン撃って来るが、
こっちは弾丸不足なので、
三八銃で、パチパチ撃ち返すのみだ。

仕方がないから、オレは一計を案じて、
オリベッティのタイプライターを、機関銃のように塹壕の上に持ち上げ、
広辞苑のように部厚くてまっ白な本の上に、
ダダダダダと、戦いの文句を撃ち込んだ。

テキが、機関銃でガンガン撃って来ると、
こっちは、オリベッテイでダダダダダと撃ち返す。

ガンガンガンガンガンガン ダダダダダダダダダダダダダダダ
ガンガン ダダダ ガンガン ダダダ カンダタ ガンガン

どうだ、これが戦争だ。
これが凄絶な撃ち合いじゃ。

すると、
塹壕の上に据えた書きかけの白い詩集を、
食草のカンアオイと間違えたギフチョウがとまろうとしているのを見つけたので、
オレは、つと身を乗り出して、その黒と黄色の羽に触ろうと、腕を伸ばした。

途端に、ダンと一発。
続いてダンと、もう一発の銃声が、
鳴り響いた。

噂の女スナイパーが、オレの両眼を、見事に撃ち抜いたのだった。

 

Ⅲ のでのでゾンビ

 
桜が満開の庭に、布団を干そうとしていたら、
突然マイケル・ジャクソンの動画に出てくるゾンビ踊りをしながら、
初老の男女数名が、光る庭に入ってきた。

その中の2名は、
縁側を跨いで、青畳の8畳間に侵入しようとしているので、
「なんだお前らは! 勝手に我が家に入るな!!」

と叫んだら、慌てて黄色いチューリップが鈴なりの、光る庭に逃げ出し、
いそいそと、ゾンビ踊りの仲間に加わったので、

希死念慮、
2階に通じる階段を調べてみたら、
そこにも、男か女かは分からぬ風体のゾンビが、
瞳孔を開いたまま、呆然と座っているので、

パシリを一撃お見舞いすると、ようやく目に光が蘇ったので、
「お前たちは、なんでこんなことをするのだ?」
と、訳を聞くと、驚くべきことを口走った。

なんでも彼ら、すなわち「のでのでゾンビ」らは、
かつて700年前の鎌倉時代に、この家が建っている所に住んでいた
オオエ・ヒロモトの従者たち、だというのである。

ここ鎌倉十二所に、鎌倉幕府の官房長官みたいな権力者である、オオエ・ヒロモトの屋敷があったことは、知る人ぞ知る史実なので、

希死念慮、
そのことは、近所に立っている鎌倉大正青年団が建立した石碑にも、
しかと刻まれている。

ので。

 

Ⅳ どんどん 

 
歩いて行こうよ、どんどん。
どこかで知らない蝶が、飛んでいるかも知れないじゃないか。

語り合おうよ、どんどん。
へえー、こんな人だったんだと、びっくりするかも知れないじゃないか。

愛し合おうよ、どんどん。
殺し合うより、よっぽど仕合わせでいいじゃないか。

子どもをつくろうよ、どんどん。
今度はどんな子ができるか、この目で見たいじゃないか。

歌おうよ、どんどん。
気分が変わって、楽しいじゃないか。

踊ろうよ、どんどん。
ひょっとして、素敵なひとに会えるかも知れないじゃないか。

作品をつくろうよ、どんどん。
次に出来上がるのが、最高傑作かも知れないじゃないか。

生きていこうよ、どんどん。
これから世の中、何が起こるか分からないからね。

死んでいこうよ、どんどん。
あとから、若くてイキのいいのが、どんどんやって来るからね。

 

 

 

卵のひと

 

原田淳子

 
 

 

そのひとは
五月の風に葉を揺らして
仔犬のような足音で
あの部屋に来た

混ざりあう時間
ことばの波
わたしたちは泳いだ

殻のなかには
いのちが萌えていた
うた/詩 が溢れていた

脆い夢が
熱く
孵化する
そのとき、
わたしたちは
世界に
はみ出して
よれて
もたれて
沁みて
笑い
弾けて
生きる
卵のひと

.

編集者 小林英治さんを偲んで