濃紺のセーターの闇はね、濃かったっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

みなさんはそれぞれ、
異なった日々を過ごしているんだよね。
俺っちはこの冬、
セーターを着て過ごしているっちゃ。

今日はね。
濃紺のセーターを着たってわけっちゃ。
左の厚ぼったい袖に左手を通し、
右の厚ぼったい袖に右手を通し、
もこもこの毛編みの中に、
頭を潜らせたっちゃ。
グウーン、
潜り抜けた一瞬の闇は、
濃かったっちゃ。
赤いセーターとは違うのよ。
濃い闇だっちゃ。
顔を出したら、
いつもの俺っちの部屋だったが、
眺めがちょっとだけ
違っていたっちゃ。
違っていたっちゃ。
ズンズン、
グウーン、
グウーン。

この違いはなんじぁね。
ああ、普段はそれが見えないっちゃ。
そうして一瞬一日と年を重ねちゃった。
ズンズン、
グウーン、
グウーン。

 

 

 

赤いセーターを着て詩を書いちゃったよ。

 

鈴木志郎康

 

 

セーターを着るたびに、
一瞬の闇を潜り抜けるっちゃ。
顔を出すと、
そこは
相変わらずの、
俺っちの部屋。
赤いセーターの裾を下ろすと、
セーターの中の闇に包まれて、
からだが温もったね。
テーブルの上のiPadに向かって、
詩を書くね、
詩が書けるよ。
赤いセーターを着て詩を書くっちゃ。
嬉しいっちゃ。
ラ、ラ、ラ、
ラン、ラ、ラン。
家の狭い庭に
北風が吹き込んでくるっちゃ。
ここんところ、
そんな毎日だっちゃ。

 

 

 

重い思い その六

 

鈴木志郎康

 
 

重い
思い。

重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来るっちゃ。

明け方、お腹が空いて、
ベッドで、
ガサガサ、
ガサガサガって、
紙袋をまさぐって
芋かんぴを
口に入れてると、
美味しい。
と、
隣のベッドで、
麻理が、
「うるせい」って、
目を覚ましてしまったっちゃ、
「ほんと、うるせい存在ね。
でも無くてはならない存在なのよね」
って、言うだけんどもよ、
夜明けの薄明かりの中で、
存在って、
いつかは無くなるときが来るもんじぁって、
思ったっちゃ。
うーん、
富士山の存在とか、
天皇の存在とか、
どうしようもねえなぁ。
かなわねえなぁ。
無くなんねぇよ。
俺っちは、
にっぽんに生まれちまってさ、
にほん語を話し、
にほん語で詩を書く、
にっぽんじんなんじぁね。
そこで、
「霊峰なる富士山の存在は永遠なりぃー。」
「千代に八千代にぃー」
って声が迫って来るっちゃ。
永遠かぁ、
永遠ね。
俺っちは、
自分、
存在って言えっちゃ、
やがてはいなくなるんじぁね。
俺っちは消失するまで、
この一個の身体を生き抜くぞぉ。
と言って、
九十まで生きられるか。
ギーッギエンギエン、
ギーギーギエンギエン、
プーポイ、
プーポイポー。

芋かんぴポリポリって、
書き始めたら、
富士山が出てきちゃってさ、
変な詩になっちゃったね。

まあまあ、
俺っちは、
尽きる命の一個の身体よ。
百までは無理でも、
この一個の身体を生き抜くぞぉ。
麻理も長生きしてね。

八十も過ぎれば、
同世代の知人が、
もう何人もいなくなってる。
寂しいね。
これも、
重い
思い。

俺っちは一個の身体を生き抜くぞぉって、
極私的人生ってわけかい。
またそれかよって、
言わないでよ。

今日はうんこが三回出たよ、
麻子仁丸の効き目かな。

一月二十八日の室内温度が十八度、
アマリリスの蕾が花被の中で成長してる。

テーブルの上にある芋かんぴに、
つい手が出てしまい詩を書きながらポリポリ、美味いなあ。

アンドロイド研究家はテレビの中で言った。
人間らしさの存在感を出す細部を実現するのが難しい。

人間らしさの存在感だってさ。
誰でも人には存在感があるのさ、それは人が生きてるってこと。

人の振る舞いってのが見えなくなっちまった。
もう十年もしょっちゅう会ってる奴がいないのが寂しい。

「ユリイカ」2月号読んでひとつ覚えたバイラルコミュニケーション、
ピコ太郎のPPAP現象はこれの爆発だったんだね。

俺っちって、目が覚めてるあいだは意識して、
いま何時、いま何時って、時計を見たりテレビを見たり。

夕飯で餃子六個とミニトマトハンバーグ四個食っちゃった。
味噌汁も大麦入りの麦芽ごはんも美味しかったね。

ここらで、
軽い言葉で、
思いも軽く、
楽しんで、
タッタッラッタァ、
タラッタッタァ、
トットットッ、
トットットッ、
トットットッ、
トッ。

おっと、危ない、
転ばないでね。
二本の杖をしっかり、
突いてね。

 

 

 

重い思い その五

 

鈴木志郎康

 
 

重い
思い。

重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来るっちゃ。

世界の重みか、
それとも
俺っちの一人ってことの重みか。

世界はつるーんと軽いっちゃ。
俺っちに取っちゃ、
テレビの画面は
すぐ忘れる。
新聞の活字は
すぐ忘れる。
つるるーん、
軽い、
軽い
世界は軽いっちゃ。

ここんところ、毎日
朝早くから夜まで、
テレビ、シンブン、
シンブン、テレビ。
テレビの画面の中の
口を尖らせて話してる
アメリカ次期大統領のドナルド・トランプさん。
アメリカファーストを唱えながらも、
破廉恥情報をロシアに握られてても(注1)、
世界中をかき回してるけんどよ。
ツルー、ツルーリって、
俺っちにゃ、軽いっちゃ。
アベノミクスで
早口で国民を煙に巻いて
やたら外国の大統領を訪ね飛び回ってる
日本の総理大臣の安倍晋三さんも、
ツルー、ツルーリ、
軽いっちゃ。
都民ファーストの東京大改革を唱えて、
人気を煽り、
新党結成で気をもたせて
都議会選挙で自民に勝とうとしてるが、
豊洲市場地下水に基準値79倍の有害物質が検出されて(注2)、
困惑してる
都知事の小池百合子さんも
ツルー、ツルーリ、
軽いっちゃ。
それぞれ道で会っても知らん顔ってこと。
俺っちには関係ないじゃん。
彼らに、
捕まっちゃ、かなわない。
逃げろ。
捕まえられたらたらろくなことはないっちゃ。
俺っちは自由と人権に甘えて生きてるっちゃ。
彼ら奴らが軽いってのが、
怪しいよね。
重く重くのしかかってくるっちゃ。
これがつるーんとした歴史かいな。
世界の軽みがずしーんと重いっちゃ。
軽みが重いのね。
これがやっとってとこっちゃ。

テレビの中で
軽く盛り上がってる
芸人さんたちは、
いやいや、
軽みを盛り上げるって
重い重いっちゃ。

自動車事故で人を殺してしまった
七十過ぎの爺さんも、
重いなあ。
また、アクセルとブレーキの踏み間違えや。

で、
ここまで生きて来た
俺っちの人生って、何じゃい、
その重みって、何じゃい。
八十年も生きて来ちゃったってね。
時間の重みってことかいな。
年齢を鼻に掛けるな。
ふん、
長く生きて来たからって、
何じゃい。
そばに麻理がいるから、
まあいいけど、
空っぽっちゃ。
その空っぽが重みっちゃ。
空っぽがいいんじゃ。
(衆議院議員の小泉進次郎さんが
「人生100年時代」の
社会保障改革案ってのを
提言したってさ。
ツルー、ツルー、ツルーリン。)注3

重い
思い。

重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来るっちゃ。

ああ、あっ。
つまらん詩を書いちゃったなあ。
読んでくださった方々に
申し訳ない。

重い
思い。
な。

反戦自衛隊員が
小銃を脇に置いて、
おむすびを頬張ってるっちゃ。
って、俺っちの空想。

便秘が
ひどくってさあ、
便秘薬の
マシンガン
じゃなかった
麻子仁丸で
何とか
ウンコ出してるっちゃ。
ワッハッハッ、
ハハハ、
ハハハ、
ハハハ。

 

空白空白空白空白空(注1、2)朝日新聞2017年1月15日朝刊
空白空白空白空白空(注3 )朝日新聞2017年1月17日朝刊

 

 

 

重い思い その四

 
 

鈴木志郎康

 
 

重い
思い。

重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来る。

今、この部屋に、
俺っちと麻理とふたり
ベッドを並べて寝てるっちゃ。
共に病気を抱えてね。
「ふたりのどっちが、
先に、
死ぬんだろうね」って、
眠る前に話したっちゃ。
俺っちが残っちまったら、
悲しくて寂しくて、
いやだね。
俺っちが、
先に死んだら、
麻理、どうする。
麻理がこの部屋で
ひとりで、生きてる。
その姿は、
ああ、
ああ、
交流の場の「うえはらんど」から
戻っても、
いるはずの俺っちはいない。
「ああ、疲れた」って、
麻理は
ベッドに潜り込んしまう。
リアル過ぎるよね。

俺っち、口を大きく開けて
息をめいっぱいに吸って
お腹に力を入れて、
オォオォオォー
って、叫んじゃった。

重い
思いっちゃ。
な、
な、
な。

 

 

 

重い思い その三

 

鈴木志郎康

 
 

重い
思い。

重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来る。

ドラムカン
あれれ、
空のドラムカン。
空のドラムカンが横積みにうず高く積み上げられてる。
空のドラムカンが転がらされてる。
ドラムカンが転がらされてる。
あれれ。

ごとごろん
ごとごろん、ごとごとごろん。

重い思いっちゃ。

 

 

 

重い思い その二

 

鈴木志郎康

 

重い思いが、
俺っちの
心に、
覆い被さって来るちゃ。

ベッドに寝そべって、
テレビのワイドショーで
小池劇場を追っかけて、
三つ目の飴を口に入れると、
麻理から
「太るわよぉ」
って言われて、
口をもぐもぐちゃ。

そこでよ、
重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来るちゃ。

もう詩なんか、
書かなくても、
いいんじゃないかいね。
いやいや、
まだまだ書きますちゃ。
詩を書く以外に、
嬉しいことが
ないっちゃ。
まだまだ詩を書きますちゃ。

年金が支給される身で、
腰が痛くて、
ベッドに、
横になって、
テレビの、
ニュースシヨウを、
ずっと、
見てる。
テレビの中に
時間が進んでるちゃ。

豊洲市場の地下空間が発覚した。
盛り土されなかった地下空間、
女知事は、
それを決めた責任者たちを、
処分しちまったょ。

この秋は、
テレビの中の
小池劇場追っかけだったね。
俺っちの
心に
重い思いが
覆い被さって来るちゃ。
ちゃ。
ちゃ。

二◯一六年の
十二月三十一日も
もう数時間で終わるちゃ。
ちゃ。

 

 

 

俺っち束ねられちぁかなわねえ。

 

鈴木志郎康

 

 

束ねられるっていやだねえ。
俺っち、
高齢な身体障害者よ。
役に立たねえって、
十把一絡げにされちゃ、
かなわねえ。
役立たずの
日本国民って束ねられると、
おお嫌だ。
役に立つ日本国民が
束になってかかって行く、
なんて、
俺っちは御免だぜ。
何んにしたって、
高齢者って、
身体障害者って、
人間を束ねるってのがいやなんだ。
人を束ねて見ちゃいけねって思ったね。
束ねると、
レッテルを貼り付けて、
役にたたねえとか、
敵とか味方とか、
決めつけちゃう。
そいつが良くねえんだ。
高齢者って束ねられたって、
障害者って束ねられたって、
国民って束ねられたって、
役に立とうが立つまいが、
ひとりはひとりよ。
ひとりは弱いって、
弱くて結構よ。
俺っちの人生は全うしなきゃね。
てもね、
闘って勝つには、
束になって向かって行かなきゃなんねってね。
おお嫌だ。
国民って束ねられたら、
たまらないね。
一丸になれってきたら、
糞喰らえ、
アワワ、アワワ、
アワアワンズッテーン。

 

 

 

糞詰まりから脱却できて青空や

 

鈴木志郎康

 

 

俺っち、
腰を痛めちまってさあ、
寝返りするにも、
アイタタ、
起き上がるには、
上半身横にすると、
腰に力が入って、
アイタタ、アイタタ、
電撃の痛みが背中から
全身に走るっちぁ。
そこで、
息を詰めて、
両手で支えを掴んで、
エイ、やあー
イテテテ、イテテテ、
ベッドから立って、
二本杖で身体を支えるっちゃ。
そしてトイレに行くが、
腰が痛くて踏ん張れないから、
糞が出ないっちゃ。
それで糞がたまっちまって、
どうにもこうにも糞が出ない。
糞詰まりってこっちぁ。
先週の土曜に、
とうとう電話して、
訪問看護師さんに来てもらって、
固くなっちまった糞を掻き出してもらったっちゃ。
俺っちは横になってるから、
彼女の手元は見えなかったけど、
白いゴム手袋をした手の指が肛門から差し込まれ、
指の先が固い糞の固まりに届いたっちゃ、
おお、届いた、
俺っち、感じまったっちゃ。
「息張ってください」
の声に、
俺っちは息張ったが、
くそ、糞が出ないっちぁ。
固くなっちまって、
出ないっちぁ。
ふっふう、ふうう、ふう。
「浣腸を入れて、座薬で溶かしましょう」
って言う声で、
浣腸が注入され座薬が挿入され、
数分待って、「さあ、息張ってください」
の掛け声で、
俺っち、下腹に力を入れたっちゃ。
指が挿入されて、
糞をたぐって、
糞の固まりを指先でつかまえて、
ようやくのことで、
詰まった糞が掻き出されたっちゃ。
ふっふう、ふうう、ふう。
気持ちが晴れたっちゃ。
腰はイテテでも、
青空や。
看護師さん、ありがとうっちゃ。
ありがとうっちゃ。

八十年生きてて、
糞詰まりを掻き出してもらったっちゃ、
初めての経験だっちぁ。
俺っち、
こんな詩を書いちまったぜ。
シャラリン、ボン。