家族の肖像~「親子の対話」その17

 

佐々木 眞

 
 

 

わたし、オダカズマサです。
こんにちは、オダカズマサさん。

カズマサさん印刷してください。
はい、分かりました。

カズマサさん、神奈川生まれだお。
神奈川のどこ?
横浜だお。
へええ、そうなんだ。

あっけらかんて、どういうこと?
しれっとしてることよ。

述べるって、言うことでしょ?
そうだよ。

ラッシュアワーはワイドドアでしょ?
そうだね。

カナメ君とノゾム君笑ってた?
うん、笑ってたよ。

ケーキって洋菓子のこと?
そうだよ。

ムカイオサム、にこにこしていた?
にこにこしてたよ。
ムカイオサム、笑ってた?
笑ってたよ。

お父さん、小田急の急行、世田谷代田止まらないのよ。
そうなんだ。
各駅停車だけですよ。
リョウちゃん、世田谷代田だお。
そうなんだ。

お父さん、にらんじゃだめ?
にらんでもいいよ。にらんでごらん。おや、耕君にらんだね。

コバヤシさん、あんず、あまずっぱいね。
はい、あまずっぱいですね。

お母さん、ぼくサトイモすきですお。
そう、じゃあ買ってきて食べましょ。

わからずやってなに?
いうことちっともきかないひとのことよ。耕君、わからずや?
じゃないですお。

禁じるってなに?
しちゃだめっていうことよ

みそ汁の英語は?
ミソシル、ミソスープだよ。
ぼく、みそ汁すきですお

侮辱ってなに?
バカにすることよ。

ことしお母さんジュンサイ買って。
はい、わかりました。

お父さん、ハスはジュンサイに似てるでしょ?
うん、似てるね。

 

 

 

夢は第2の人生である 第49回

西暦2016年師走蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

突然家の中に大きな蛇が入ってきたので、ゼンチャンもコウチャンもケンチャンも大騒ぎ。お母さんが大蛇の上に座布団をかぶせたので、私はその上から岩を落としてやろうと思ったが、念のために座布団の下をそっと覗いたら、それは大蛇ではなく人間の顔だった。12/1

某国との平和友好条約が締結され、その記念式典が開催された。私はその祝祭コンサートの演奏をする一員なのだが、最高に盛り上がったコーダの部分で、携帯の呼び出し音をうまく鳴らせるかどうか自信がなくて、ひどく緊張している。12/2

私の目の前で、前田嬢が、あほばかナベショーの横暴と徹底的に戦っている。じつに偉い。立派な女性だ。12/2

最近会社へ行っても、竜宝部長も今中課長もいない。事務の安永さんに聞いても「さあどうしたんでしょうねえ」と言うばかりなので、近所の居酒屋を探したら、朝から飲んだくれていた。12/3

兄貴が、おらっちのスケをこましたので、おらっちも、兄貴のハクイスケを、2回こまして、倍返ししてやった。12/7

私は、私に、致命的な毒液を注射しようとした、電通の営業の男を、投げ飛ばし、崖から突き落として、九死に一生を得た。12/8

久しぶりに海づりに行ったら、タイやヒラメがどんどん釣れるので、驚いていると、海から死んだ祖父が出てきて「わしは、じつはコヤナギルミという童話作家だったんだ」というたので、驚いた。12/9

幕府から選ばれた10名の男女は、下にも置かない厚いもてなしを受けたのだが、「1対の男女でも親しくなれば命はない」と厳命を受けたので、ひどく緊張を強いられていた。12/10

今中課長から「君は関連会社へ出向してくれ」といわれ、今の会社に飽き飽きしていた私は喜んで、まずは偵察にといそいそ出かけたのだが、そこでじつに不可思議な女と出くわした。12/10

コンサートが終わって、会場から出てくる群衆の中に、死んだはずの義母を見つけた。神宮プールを覗きこんでいるので、きっと私の死骸が浮いていないか心配しているのではないかと思って、私はおずおず「おかあさん」と声を掛けた。12/11

すると彼女は驚いた顔をして、「あらマコトさん、どうしてこんなところにいるの?私はミエコを探しに来たのよ」というので、「ミエコはここじゃなくて、逗子のプールで泳いでいるんですよ」と教えると「あらそうなの」と答えたその顔は、ずいぶん若かった。12/11

今年の世界図書館展は、アフリカで開かれたのだが、書籍の展示が天地さかさまになっているので、修正するのに半日掛かった。食堂へ行っても、食事も水さえないので、私はどうしてこんなところまでやって来たのか、と我が身を呪った。12/12

運転などやったことがない私は、女をスピードカーに乗せ、ひしと抱きしめたまま、山から野原へ、野原から街へ、街から海へ、ドドシシドッドと全速力で疾走したが、不思議なことに、誰にも出会わず、何物とも衝突しなかった。12/13

大混雑のレジで、私は誰かの財布を拾った。中に入っていた5千円札をこれ幸いとこっそり引き抜いて、それで勘定をすませようとしたら、担当のオヤジが「ちょっと待ってください」と言うので、小心者の私はびくっとした。12/13

新宿まで進出してきた中国軍を、わが連隊は奮戦して銀座8丁目まで押し返したので、彼らは、東京湾から撤退していった。12/14

「おいらはCMをウオッチするために、これまで民放ばかりみていたので、いましばらくはNHKだけみることにしているんだ」というと、テツちゃんが「こないだやっていた「たきやかな夜」というドラマみましたか?」と尋ねた。そんなの聞いたこともない。12/15

万能の人工知能アンドロイドをプレゼントされたので、私は、こいつをローマ時代の奴隷のようにこき使ってやろう、とひそかに考えた。12/18

私は破産してしまったので、来年3月まで、キンサンギンサンのために勤労奉仕をするように命じられた。12/19

私の膝に倒れ伏した芸者の松坂慶子が、「わたし、もうどうなってもいいの。今夜ここに泊めてください」と泣きながら訴えたのだが、うぶな私はどうしていいか分からず、うんともすんとも答えられなかった。かくして運命の決定的瞬間は過ぎ去った。12/20

行動計画表を見ると、午後2時に鎌倉ではなく相模原を出発することになっていたので、私は郷土防衛軍第8連隊を率いて、急遽相模原に向かった。12/21

「冬場は火事にならんように、火の用心をするんじゃよ」と、そのお爺さんは何度も警告していたのに、わたしたち子供会の落ち葉焚きが原因で、街は丸焼けになってしまった。12/24

セイさんと一緒に帰り支度をしていたら、赤ちゃんを連れた若い女性が、わたしたちになにやかにやと話しかけてくるので、「うざったいなあ」と思いつつも、なかなか可愛い顔をしているので、むげに振りきることもできず、いつまでもうだうだ関わっているわたくし。12/25

永代のデザイナーとショーを見物していたら、松平さんが「あなたずいぶん昔のスーツを着ているのね?」と揶揄するようにいうたので、「ええ、昭和10年代の古着です」と答えてしまった。本当は80年代のコムデギャルソン・オムの残骸だったのだが。12/28

隣の家との隙間に3.15平方メートルの土地を持っていたのだが、ついもののはずみで、「御主人に差し上げてもいいですよ」と言ってしまったことを、私は朝まで後悔していた。12/29

NYの美術館から10枚のスケッチの発注を受けた田中君が、あっというまに訳のわからない心象画を描き上げるのを、私は茫然と見つめていた。12/30

判決が下り、私は海に突き落としたばかりの武者人形を、たった一人で海底から地上に引き揚げなければならなくなった。12/30

橋本氏と別れた後、プラットホームで電車を待っていると、赤ちゃんを連れた若い女が、どこかへ連れて行って欲しい、とねだるので、映画を見たりお茶をしたりしていたが、ずいぶん遅くなって電車も終わってしまったので、ホテルに入って寝た。12/31

私が浅草公園から引っ張ってきた風来坊シェフの超お買い得弁当は、物凄い売れ行きである。100名様限定の「さわこの初恋弁当」などは、それこそあっと言う間に売り切れた。12/31

 

 

 

4月の歌

 

佐々木 眞

 
 

 

だいだい色の夕空の下、
ぼくらは、思いっきり、両手を伸ばして、羽ばたいた。

のぶいっちゃんが、いた。ひとはるちゃんが、いた。
みわちゃんが、いた。ぜんちゃんも、いた。

ブーン、ブーン、ブーン
ぼくらは、みんな、ヒコーキだった。

丹波の、綾部の、西本町だった。
春の空気は、冷たかった。

のぶいっちゃんが、歌った。
「だーるまさん、こーろんだ」

ひとはるちゃんが、歌った。
「ぼんさんが、へーこいた」

みわちゃんが、歌った。
「商売繁盛、笹持ってこい」

ぜんちゃんも、歌った。
「弁当忘れても、傘忘れるな」

みんな、みんな、幼かった。
みんな、みんな、夢を見ていた。

みんな、みんな、いいこだった。
みんな、みんな、いいこだった。

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第10回

第3章 ウナギストQの冒険~旅路の果て

 

佐々木 眞

 
 

 

そうやって波のまにまにアップアップしていると、いつの間にか犬吠崎の灯台が近付いてきたの。ケンちゃんも知っていると思うけど、坂東太郎の利根川は、この犬吠崎の手前、銚子で鹿島灘に流れ込んでる。

僕は波にもまれもまれている間に、前にもニシン、後にもニシンの大群にとりかこまれたて、どんどん海の浅いところへ、浅いところへとまるでオミコシでかつがれたように近付いてきて、気がついたら突然利根川の河口に入りこんでた。

本当はもっと南に下がって相模川から内陸部へ侵入する予定だったんだけど、もう全身くたくたに疲れ切ってるし、ひょっとしたらこれが相模川かもしれないし、ええい、ままよ、思い切ってさかのぼってみよう。、あとはなんとかなるだろう、と思って全力を振り絞って上流をめざしたってわけ。

うわお!なんという汚さ、なんとにごりににごったヘドの出るような水なんだ!
僕は長かった海水生活に慣れ親しんだ塩漬けの体が、一挙に淡水に触れたために全身を襲ってきた猛烈なめまいと悪寒と吐き気に必死に耐えながら、怒涛のように押し寄せてくる大河の壁を1センチまた1センチと押し返しながら、上流へ上流へとさかのぼっていったよ。

悪戦苦闘6時間、それでも水は少しづつきれいになってきたし、僕の体もようやく淡水に慣れてきたみたい。途中、悪臭ふんぷんで息もつけない霞ヶ浦に迷い込んで、酸欠で窒息しそうになったりみしたけれど、気を取り直して利根川の本流に戻り、埼玉県の南河原のあたりで南に流れ下がる武蔵水路にうまく乗り換えて荒川に移り、支流から支流を辿ってそこからなんとか多摩川へ移って、多摩川からさらに相模川へ移動できないか、と頑張ってみたんだけど、世の中そんなに甘くないや、結局元のもくあみ、ムチャクチャに汚い荒川に放水路にドドッと放り出されて着いたところが東京湾だった。

ハゼとボラとコノシロに聞いた話だけど、東京湾は年々ますます住みにくくなってるんだって。発ガン性や催奇性がきわめて高い有害化学物質のダイオキシン、そのダイオキシンの中でももっとも毒性の強い「2・3・7・8―TCDD」に汚染された魚がウヨウヨ泳いでいるってことを、ぜひ東京都のみなさんに伝えてほしい、ってメッセージを託されたんだけど、僕だって故郷由良川の仲間たちのことを思って気が気じゃなかった。

ダイオキシンによって0.0014pptの濃度で限りなく汚染された東京湾の海水をできるだけ口に入れないように、エラの奥深くためにためこんだ空気を大切に使いながら、4月27日の真夜中に、ベイブリッジを右手に見みながら浦賀水道を通り過ぎ、三浦半島をぐるっと回りこんで、ようやく潮のみれいな相模灘に出たときは、ほっとしたよ。

真夏を思わせる青空の下を、真面目な入道雲がムクムクと湧き起こるのを呆然と眺め、ああ、いずれ僕たちウナギも由良川の魚も遅かれ早かれ死んでしまうんだな、でも、有機物より無機物の方が寿命で長いのはなぜなんだろう、なんてアホなことをぼんやり考えながら、いつものようにお腹を天日で乾かしていたら、マンボウとヤリマンボウが仲良く波の上で昼寝しながら流れていくのに出会っちゃった。

あ、そうそう、ハナオコゼとイザリウオが大喧嘩して、ハリセンボンがあわてて止めに入っているのも面白かったったし、いちばん素敵なのは、なんといってもリュウグウノツカイとしばらく一緒に泳いだことかな……

苦しいことがあまり多すぎて、たまに楽しいことがあっても、すぐに忘れちゃう。
ケンちゃん、幸福はいつも急いで君の傍を通り過ぎるから、手をのばしてしっかりつかまえないと、一生そいつをとりのがしてしまうかもしれないよ。
エヘン、どう、ウナギストって哲学者でしょ。長い旅をしてるとついついいろんな物思いにふけってしまうのさ……

おっといけねえ、そうこうしてるうちに茅ヶ崎だ。
「サザンの桑田君が砂浜で勝手にシンドバッドしてるのが目印だ」とお父さんが教えてくれた、その茅ヶ崎と大磯の間を貫流している相模川に必死でとりついて、またもや逆行に次ぐ逆行、ようやく寒川町にある取水堰に辿りつき、直径2メートルもある太い真っ暗な水道管の中をうねうねうね15キロもうねったんだ。

よおし、これで最後の旅だと気力を振り絞ってようやく浄水場にもぐりこめたと思ったら、大量の塩素をどっさりあびて消毒されて、ほとんど死にかけたんだけど、ナニクソと頑張りぬいて浄水場の裏口からこっそり忍びこんで、送水ポンプと揚水ポンプをつづけざまにさかさまに、ウナギのぼって、ウナギ下り、送水管をつうじて排水池に入って一日中ゆっくり休んだあとは、鎌倉中の真っ暗な給水管の中をあっちこっち匍匐前進しながら、本日ただいまやっとのことでケンちゃんちの水道まで辿りついたってわけ。
ああくたびれた、くたびれた!

ウナギのQちゃんは、いっきに語り終えると、どっと長旅の疲れが出たようで、水盤の中でぐったりと横になりました。

その間にケンちゃんは、2階の勉強部屋から理科や社会の教科書や地図を持ちだして、Qちゃんの大冒険のあとを辿り、これはもしかして人間でいえばマルコ・ポーロやバスコ・ダ・ガマよりすごい大旅行じゃないだろうか。か細い一匹のウナギストにできることが立派な一人前の少年に出来ないわけはない。
よおし、命懸けの大ツアーを敢行したQちゃんに負けてたまるか。由良川の魚たちを救うために、ボギー、俺も男だ。ムク、お前は僕の愛犬だ。何でもしてやるよ! 何でもやってやるよ!と、固く固く心に誓ったのでした。

 

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♪パパパ~横浜の県民ホールでモーツァルトの「魔笛」を視聴して

音楽の慰め 第14回

 

佐々木 眞

 

 

西暦2017年の3月19日、私は横浜の県民ホールで、モーツァルト最晩年のオペラ「魔笛」を鑑賞しました。

王子パミーノと夜の女王の娘パミーナ、鳥刺しのパパゲーノとその恋人パパゲーナが、魔法の笛と愛の力で数々の試練を乗り越えて結ばれる「夢幻秘教劇」で、その最大の聴きものは夜の女王の2つのアリア、それからパパゲーノとパパゲーナによって歌われる「パパパの二重唱」です。

前者の超絶技法も凄いけれど、後者のまるでこの世のものとも思えない純真無垢な歌声を耳にすると、薄命の天才が夢見た人類の楽園が、いまそこに花開いているような気がして、いい演奏に出会うと思わず涙があふれ出るのです。

その日も私はひそかに「パパパ」を楽しみに、横浜の山下公園のすぐ傍の会場までやって来ました。

私にとって生涯忘れがたい感動的なチェリビダッケと読響の一期一会のコンサートは、この県民ホールで行われたのですが、あれからおよそ半世紀の歳月が流れたのだと思うと感無量でした。

さて当日の演出・装置・照明・衣装は勅使河原三郎という人でしたが、全体的にはこのオペラの本質をわきまえない小賢しい仕事ぶりでがっかり。終演後にブーが出たのは当然といえましょう。

照明・衣装・装置はさすがに小奇麗でしたが、ドラマの狂言回しに伊東利穂子というバレリーナを起用し、主要な歌手を差し置いてほぼ出ずっぱりでオペラのあらすじを説明させたり、音楽に合わせてやたらくねくれと踊らせたりするのは、いったいどういう了見なのでしょう。鑑賞の妨げになること夥しいものがありました。

かつて亡きニコラス・アーノンクールとクラウス・グートのコンビが、2006年のバイロイトの「フィガロの結婚」で舞台にケルビーノの分身ケルビムを登場させた時にも感じたことですが、「魔笛」の主人公は、あくまでもモーツァルトの音楽なのです。過ぎたるはなお及ばざるがごとし。下手に余計な演出をしないほうが観客の心に届くのです。

装置は天井から吊るされた大中小の金属製のリングが、舞台転換に合わせてさまざまに組み合わされるというスタイルでしたが、以前どこかのワーグナーの「ニーベリングの指輪」で見たような気がする既視感の強いもので、まあ可もなく不可もないというところでしょうか。

さて肝心の音楽ですが、初めて耳にした神奈川フィルのフルートの名演には唸らされました。以前同じこの舞台で演奏したオトマール・スイトナー指揮のベルリン国立オペラの室内楽なアンサンブルには及ばないものの、神奈川フィルは、N響のような官僚的なオーケストラと違って、やる気と適応力、そして管弦楽の高い技術と合奏能力を兼ね備えていたのはうれしい驚きでした。

問題は指揮者です。このオケの首席の川瀬賢太郎という1984年生まれの若手指揮者は、バロック時代の音楽、しかもオペラを、ロマン派の乗りで振っているようで面喰いました。
有名な「魔笛」の序曲を重苦しく響かせるのは構わないが、テンポがいかにも遅すぎるし、遅くしたからといって、クレンペラーのような秘儀的な壮重さが醸し出されていたわけでもない。第1幕全体がそんなペースですから、歌手はきっと歌いにくかったに違いありません。

ところが休憩をはさんだ2幕に入ると、なぜだかテンポが速くなりました。
もとより「疾走する悲しみ」と称される作曲家の音楽ですから、早いところで早くてもいっこうに構わないけれど、フリーメイソンの神聖な儀式の音楽を、まるでドボルザークのスラブ舞曲のすたすた坊主のように通り過ぎてもらっては困るのです。
現代詩と違って、古典音楽にはそれにふさわしい形式と表現方法があるということを、この人は誰からも教わらなかったのでしょう。

いま世界中のオーケストラが資金難に陥り、ギャラの高い中堅以上のベテランを敬遠して若手指揮者を抜擢しているのですが、同じ若手でも、ちゃんとした音楽的素養と伸びしろのある前途有為な人材を登用してもらいたい、と思ったことでした。

歌手については夜の女王を歌った高橋維選手が素晴らしかった。たった2曲でオペラ全体の出来栄えを左右する重要な役どころですが、立派に重責を果たしていました。
パミーナの幸田浩子は、やはり高音部で声を張り上げると斑があり、終始部で音程がふらつく癖がありますが、弁者&神官の小森輝彦という歌手よりは遥かにましでした。
ザラストラの清水那由太、タミーノの金山京介、パパゲーノの宮本益光、モノスタトスの青柳素晴、三人の侍女と童子は、二期会合唱団の面々ともども健闘していたと思います。

最近は主に東欧から二流三流の歌劇団がやって来て、かなり高額な料金で円をかっさらって行くけれど、あんなのに比べたらこちらのほうが遥かにレベルは高いと私はなんでも鑑定団いたした次第です。

とまあかなり辛口の感想になってしまいましたが、この「魔笛」の演奏はオペラの複雑な性格もあってなかなか難しい。私もこれまで国内外の公演を実演、録画録音を含めて数多く見たり聞いたりしてきましたが、これこそ最高というものにはまだお目にかかっていません。

強いて挙げればヴォルフガング・サバリッシュ指揮N響が1991年10月29日に上野の文化会館で公演した「魔笛」でしょうか。主要な歌手はクルト・モルなどの外国人、演出は江守徹、衣装はコシノ・ジュンコ、照明は吉井澄男などの日独共同制作でしたが。

私はサバリッシュもN響もあまり好きでもないし、高く評価もしていないのですが、この一期一会の名演、とりわけパパゲーノとパパゲーナの「パパパの二重唱」にはいたくいたく感動したことでした。

 

*「パパパの二重唱」
https://www.youtube.com/watch?v=FZkLDInGzEQ

*夜の女王のアリア「復讐の炎は」
https://www.youtube.com/watch?v=dpVV9jShEzU

 

 

 

夢は第2の人生である 第48回

西暦2016年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

私が乗った船が遭難して沈没しそうになったので、SOSを発信すると、「遭難マニュアルをよく読め」という返信があったので、読んでいるうちに、船は沈んでしまった。11/1

私は理科部長に部活の時間と場所を訊ねたのだが、教えてくれない。どうやら私は、部長に嫌われているようだ。11/1

僕らのパーティーは、豪華ホテルの一室で開かれていたが、隣の大広間では、集英社の大パーテイが同時に開催されており、ちらとそちらを見ると石井さんの姿もあったが、あの人たちは家族同伴でやって来ているようだった。11/1

町内でいつも面白い話をしている、おじいさんがいて、「わしの名前はシュニッツエルじゃ。誰かわしの話を記録しておいてくれないか。あとで1冊の本になれば、皆の衆が喜んで読んでくれるだろうからな」と語った。11/3

雛段の真ん中よりやや右側が、彼女の定位置で、ここで美しきヒロインは、くつろいで飲み食いしたり、客とおしゃべりしたり、調子に乗ると、その場でセクスしたりするのだが、だんだん疲れて嫌になって来ると、右端の個室に退くのである。11/4

久しぶりに会ったオオミチ君が、「会社のノルマで追い詰められているから、この中元セットを買ってくれ。1個1500円だ」というので、10セット買ったら、とても喜んでくれた。働くのって大変だ。11/7

男子学生たちはみなホモだったので、女子はみな老学生の私の部屋に押し寄せたが、いくらなだめすかしても、肝心の一物が物の訳に立たないので、頭に来て、全員立ち去ってしまった。11/8

おりしも、そのマンションでは、子供たちと大人の女性テームとの野球大会が開催されていた。11/9

買ったばかりの冷蔵庫からかなり離れたところで、その家の息子が、なにやら懸命に工事をしていた。窓際に佇んでいる彼女に近づこうとしたが、彼女が待っているのは、私ではないと分かったので、そのままにして別れてしまった。11/10

長い間隣国に占領されていた私たちは、ようやく解放された後も、彼らに対して屈折した感情を長く懐いていた。11/11

課長が出張先でレンタカーを借りて、ものすごいスピードでぶっ飛ばしたために、事故ってしまった。幸い怪我はなかったが、車は大破してしまった。クワバラ、クワバラ。11/12

疲労困憊した私は、もうすべてにおいて投げやりになって、国家機密事項を平文のウナ電で全世界に発信してやった。いい気味だった。11/15

夕方、会社から帰ろうとエレベーターを降りたら、ナベショーがお客さんに「すんまへん、こんな時間に来ていただきまして」と謝っていた。この男は、大物ぶっていつでもダブルブッキングしているから、こういうことになるんだ。11/16

その男は、いい女だと思うと、ダンスに誘ってチークダンスをするのだが、彼奴は踊りながら、膨らんだ局部をやたらとこすりつけるので、女たちは、嫌がってたちまち逃げ出してしまうのだった。11/16

砲撃を受けると、そのたびにコンクリートのフロアが崩れ落ちる。次の砲弾がどこに落ちるか分からないので、運を天に任せて、思い思いの場所に佇んでいると、目の前でドカンという音がして、私らは最上階から地下室まで猛烈な勢いで落下していった。11/17

ダリ展の隣で開催されている展覧会は、奇妙だった。会場はだだ広いのに、何ひとつ展示物も説明パネルがない。にもかかわらず、ダリ展より高い入場料を取られるので、みんな頭に来ているのだ。11/19

ちょっと油断していると、野良猫と野良犬と野良詩集が家じゅうに氾濫して、足の踏み場もない。そこで私は、我が家を犬猫詩集叩き売りショップにすることに決めた。11/19

我われの明日の計画を、カーテンの向こうで盗み聞きしている奴がいたので、妖刀村正をギラリと引き抜いて、グサリと突き刺すと、アベノシンタロウが朱に染まって斃れていた。ザマミロ、ふてい野郎だ。11/20

長い間行方不明になっていたクラタ氏が、突然この世に戻ってきたのだが、無気力そのものだし、眼はいつも死んだ魚のようだし、どうも様子が変だ。11/21

「恒例の社長年頭訓示によると、最近のわが社の業績は非常に好調らしい」、と海の底で立ち泳ぎしながら、時々あくびして、常務が教えてくれたが、本当にほんとだろうか。11/21

あるい夏の日に、黄色いワンピースを着た痩せた女がやって来て、挨拶抜きに「ポコペン」というたので、私はなにもいえずに、その場に立ち尽くしていた。

その翌日、ブーベリックという男がやって来て、やはり挨拶ぬきに「ポコペン」というのだったが、私が彼と一緒に村のあちこちを散歩していると、村人たちもいつしか「ポコペン」「ポコペン」と挨拶するようになってしまった。11/22

ある朝、関東平野を3.1で揺らしながら、地震は、「今度は6.0だぞ」と脅かすのだった。11/23

その男は、「私は、生涯で2度もサルガッソーの海で死にかけたことがある」と語った。11/25

原発事故による放射性物質で汚染されたというのに、この病院では、いつもと同じように安気に無警戒に業務を続けているのだが、それは病院長をはじめ首脳陣がどのように対応したらいいのか、てんで分からないからだった。11/27

小津監督が、新しい映画のエンデイングの音楽のために、大太鼓を買って来たのだが、実際に使ってみると、うまくいかなかったので、ヤオフクに出したが、誰も応募してこないいようだ。11/28

滔々と落下する千尽の滝壺を茫然と眺めていたら、隣に立っていた女が、私を背後から抱きかかえたまま、青い水底へ飛び込んだ。女は、大蛇のような両腿で、私の下半身をがっちりと締めあげ、両手を背中に回して身動きできないようにしてから、私の唇に舌を差し込んだ。11/29

私とセイさんが、どの席に座ればよいのかを巡って、その料亭の女将と若女将が喧嘩し始めたので、私らは、いつまでたっても座ることができなかった。11/30