佐々木 眞
草
私が乗った船が遭難して沈没しそうになったので、SOSを発信すると、「遭難マニュアルをよく読め」という返信があったので、読んでいるうちに、船は沈んでしまった。11/1
私は理科部長に部活の時間と場所を訊ねたのだが、教えてくれない。どうやら私は、部長に嫌われているようだ。11/1
僕らのパーティーは、豪華ホテルの一室で開かれていたが、隣の大広間では、集英社の大パーテイが同時に開催されており、ちらとそちらを見ると石井さんの姿もあったが、あの人たちは家族同伴でやって来ているようだった。11/1
町内でいつも面白い話をしている、おじいさんがいて、「わしの名前はシュニッツエルじゃ。誰かわしの話を記録しておいてくれないか。あとで1冊の本になれば、皆の衆が喜んで読んでくれるだろうからな」と語った。11/3
雛段の真ん中よりやや右側が、彼女の定位置で、ここで美しきヒロインは、くつろいで飲み食いしたり、客とおしゃべりしたり、調子に乗ると、その場でセクスしたりするのだが、だんだん疲れて嫌になって来ると、右端の個室に退くのである。11/4
久しぶりに会ったオオミチ君が、「会社のノルマで追い詰められているから、この中元セットを買ってくれ。1個1500円だ」というので、10セット買ったら、とても喜んでくれた。働くのって大変だ。11/7
男子学生たちはみなホモだったので、女子はみな老学生の私の部屋に押し寄せたが、いくらなだめすかしても、肝心の一物が物の訳に立たないので、頭に来て、全員立ち去ってしまった。11/8
おりしも、そのマンションでは、子供たちと大人の女性テームとの野球大会が開催されていた。11/9
買ったばかりの冷蔵庫からかなり離れたところで、その家の息子が、なにやら懸命に工事をしていた。窓際に佇んでいる彼女に近づこうとしたが、彼女が待っているのは、私ではないと分かったので、そのままにして別れてしまった。11/10
長い間隣国に占領されていた私たちは、ようやく解放された後も、彼らに対して屈折した感情を長く懐いていた。11/11
課長が出張先でレンタカーを借りて、ものすごいスピードでぶっ飛ばしたために、事故ってしまった。幸い怪我はなかったが、車は大破してしまった。クワバラ、クワバラ。11/12
疲労困憊した私は、もうすべてにおいて投げやりになって、国家機密事項を平文のウナ電で全世界に発信してやった。いい気味だった。11/15
夕方、会社から帰ろうとエレベーターを降りたら、ナベショーがお客さんに「すんまへん、こんな時間に来ていただきまして」と謝っていた。この男は、大物ぶっていつでもダブルブッキングしているから、こういうことになるんだ。11/16
その男は、いい女だと思うと、ダンスに誘ってチークダンスをするのだが、彼奴は踊りながら、膨らんだ局部をやたらとこすりつけるので、女たちは、嫌がってたちまち逃げ出してしまうのだった。11/16
砲撃を受けると、そのたびにコンクリートのフロアが崩れ落ちる。次の砲弾がどこに落ちるか分からないので、運を天に任せて、思い思いの場所に佇んでいると、目の前でドカンという音がして、私らは最上階から地下室まで猛烈な勢いで落下していった。11/17
ダリ展の隣で開催されている展覧会は、奇妙だった。会場はだだ広いのに、何ひとつ展示物も説明パネルがない。にもかかわらず、ダリ展より高い入場料を取られるので、みんな頭に来ているのだ。11/19
ちょっと油断していると、野良猫と野良犬と野良詩集が家じゅうに氾濫して、足の踏み場もない。そこで私は、我が家を犬猫詩集叩き売りショップにすることに決めた。11/19
我われの明日の計画を、カーテンの向こうで盗み聞きしている奴がいたので、妖刀村正をギラリと引き抜いて、グサリと突き刺すと、アベノシンタロウが朱に染まって斃れていた。ザマミロ、ふてい野郎だ。11/20
長い間行方不明になっていたクラタ氏が、突然この世に戻ってきたのだが、無気力そのものだし、眼はいつも死んだ魚のようだし、どうも様子が変だ。11/21
「恒例の社長年頭訓示によると、最近のわが社の業績は非常に好調らしい」、と海の底で立ち泳ぎしながら、時々あくびして、常務が教えてくれたが、本当にほんとだろうか。11/21
あるい夏の日に、黄色いワンピースを着た痩せた女がやって来て、挨拶抜きに「ポコペン」というたので、私はなにもいえずに、その場に立ち尽くしていた。
その翌日、ブーベリックという男がやって来て、やはり挨拶ぬきに「ポコペン」というのだったが、私が彼と一緒に村のあちこちを散歩していると、村人たちもいつしか「ポコペン」「ポコペン」と挨拶するようになってしまった。11/22
ある朝、関東平野を3.1で揺らしながら、地震は、「今度は6.0だぞ」と脅かすのだった。11/23
その男は、「私は、生涯で2度もサルガッソーの海で死にかけたことがある」と語った。11/25
原発事故による放射性物質で汚染されたというのに、この病院では、いつもと同じように安気に無警戒に業務を続けているのだが、それは病院長をはじめ首脳陣がどのように対応したらいいのか、てんで分からないからだった。11/27
小津監督が、新しい映画のエンデイングの音楽のために、大太鼓を買って来たのだが、実際に使ってみると、うまくいかなかったので、ヤオフクに出したが、誰も応募してこないいようだ。11/28
滔々と落下する千尽の滝壺を茫然と眺めていたら、隣に立っていた女が、私を背後から抱きかかえたまま、青い水底へ飛び込んだ。女は、大蛇のような両腿で、私の下半身をがっちりと締めあげ、両手を背中に回して身動きできないようにしてから、私の唇に舌を差し込んだ。11/29
私とセイさんが、どの席に座ればよいのかを巡って、その料亭の女将と若女将が喧嘩し始めたので、私らは、いつまでたっても座ることができなかった。11/30
京浜東北線205系は平成26年までだよ。
それからどこかへ行っちゃったの?
インドネシアだお。
ひいでるってなに?
優れてるってことよ。
とにかくって、とりあえず、のことでしょう?
そうだよ。
盛り上げる、盛り上げる。盛り上げるってなに?
よーし、と頑張っていくことよ。
盛り上げていきましょう。
お母さん、強引てなに?
ちょっとタンマって言ったお?
誰が?
キンニクマンだお。
お母さん、叫ぶってなあに?
やっほー!
ぼくタイ子さんすきですよ。
タイコ?
イクラちゃんのお母さんですお。
お母さん、こなごなってなに?
小さくなってしまうことよ。
こなごな、こなごな。
申すと甲、漢字がちがうよねえ。
ほんとだ。
ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。
まえトイレットペーパー使いすぎって言われたよ、スギウラさんに。
大丈夫よ。
耕君もほんとうに苦労しながら生きてるのね。
そうだお。
ほんとうに我慢しながら生きてるのね。
そうだお、そうだお。
これからも頑張って生きていこうね。
はい、そうしますよ。
お父さん、武蔵野線、東京まで?
そうなの?
そうなんですお。
トキワ君なくなっちゃったよねえ。
病気だったの?
そうよ。
ぼくトキワ君ですお。
こんにちはトキワ君、あの世で元気にしていますか?
元気ですよ。
お母さん、それにしてもってなに?
そうねえ……
それにしても、それにしても。
お母さん、ぼく妙高高原好きだ。
耕君行ったの?
行きましたお。
どうだった?
良かったですお。
お母さん、修了証書もらいましたよ。
そうなの。
以下同文、以下同文。
お父さんに「ばか、キライ」っていわれたお。
wwwwww
ただいまって現在のことでしょう?
そうだよ。
お母さん、地震のとき武蔵野線とまったよね?
そうなの。
ぼく、武蔵野線好きだよ。
そう。
お父さん、宏さん、おじさん?
そうだよ。
お父さん、赤羽駅に自動改札ある?
あると思うよ。一緒に赤羽駅行きますか?
いやだお。
お父さん、京浜急行、赤でしょ?
そうだよ。
お父さん、十日市場、横浜線でしょ?
そうなの?
お父さん、再は再放送の再でしょ?
そうだよ。
お母さん、オトゾオさんはずっと生きてたでしょ?
ええ、生きていましたよ。
オトゾウさん、目を閉じたでしょ?
閉じましたか?
閉じたお。
お母さん、しりとりしよ。脳波。
ハ、ハ、花。
終点って電車の終りでしょ?
そうだよ。
お母さん、えみちゃん好きだよ。
お母さん、最低ってなに?
全然駄目なことよ。
最低、最低。
10分経過って10分たつことだよ。
そうだよ、耕君よくしってるね。
耕君の工賃は500円でしょ。月500円しか使っちゃいけないのよ。だから無駄遣いしないでください。
wwwwこれから気をつけますお。
バンザーイ、バンザーイ!
お母さん、ぼくいまバンザイしましたよ。
あら、そう。
健ちゃん、ファイトみた?
見たと思うよ
ふぁいと!
あなたは、潜水艦を見たことがありますか?
私は、時々それを見るのです。
はじめて実物を見たときは、ちょっと驚きましたが。
それは横須賀の岸本歯科へ行くとき。
JRの横須賀駅で降りて、すぐ左手のヴェルニー公園まで歩くと、
そいつはいつでも、ずんぐりむっくりとした怪異な姿を、浮かべているのです。
潜水艦は、今日も波穏やかな軍港に停泊していました。
珍しく大勢の人々が艦橋に乗って、なにやら作業をしていました。
今日明日にも、出港するのでしょう。どこへ行って、なにをするのか知らないが。
潜水艦を見るたびに、私はヨシナガさんを思い出します。
ヨシナガさんは、戦争中、潜水艦に乗っていたそうです。
「伊○○号」とかいう名前がついた、日本帝国海軍の潜水艦に。
誰でも思うことですが、潜水艦の中は、きっと狭くて暗かったことでしょう。
航海中は、酸素や電気や食料を浪費してはならないから、
乗組員は、腹を空かせた酸欠状態の金魚みたいに、息苦しかったに違いない。
そして、そんな息詰るような極限状態の中で、
ヨシナガさんは、戦った。
朝から晩まで、見えない敵と戦ったのです。
ヨシナガさんが、どうして海軍に入って潜水艦に乗るようになったのか、私は知らない。
どんな恐ろしい目に遭い、あるいは敵にそんな目に遭わせたかも、知りません。
でも彼は、恐らく死とすれすれの危険な目に、遭ったのではないでしょうか。
しかし、もし私がヨシナガさんだったら、
冷たい水の奥底で、人知れず死ぬことだけは避けたい、と思ったことでしょう。
せめてさんさんと降り注ぐ太陽の下で、新鮮な外気を吸いながら死んでいきたい、と願ったことでしょう。
さいわいなことに、ヨシナガさんは、死ななかった。
奇跡的に生き延びて、無事に内地に帰還したヨシモトさんは、基督者となった。
そして私の郷里の丹陽教会で、毎週日曜日の礼拝にご夫婦で出席されていました。
日曜日以外のヨシナガさんは、町の外れの醸造会社で働いていて、
当時私たち子供が夢中になって集めていた、「ヒガシマル」などの醤油瓶の
商標シールを、自由に採取させてくれました。
いつもかすかに微笑みながら、
「ほら、そこにもあるよ。取っていいよ」
と、優しい声で教えてくれるのでした。
だから私は、横須賀で黒塗りの潜水艦を見るたびに、ヨシナガさんを思い出す。
ヨシナガさん、あれからどうされただろうか?
もしかして、まだ生きておられるのかしら?
ああケンちゃん、僕はもうこれですべてジ・エンドだ。
由良川のウナギストたちには申し訳ないけど、僕は、性格が悪くて腹ペコちゃんりんゆであずきの深海魚たちの手にかかって、よってたかってオルフェオのように八つざきにされて短い一生を終えるんだ。
ああ、魚たちが僕に襲いかかって来た。
急いで急いで辞世の歌をうたわなくっちゃ。
ああ、早くしなくちゃ。
えいくそッ、この非常事態に、いっとう大切な時に何の文句も出てこないとは!
と嘆きつつも、僕は歌ったんだ。
ゆうべえびすで呼ばれて来たのは
鯛の吸い物ございの吸い物
一杯おすすで
スースースー
二杯おすすで
スースースー、
三杯めにさかながないとて
出雲の殿様お腹をたてて
ハテナ ハテナ
ハテ ハテ ハテナ……
するとその時、殺到するタラたちの前に、チョウチンアンコウが、夜目にも美しく輝くあのチョウトンを高々と掲げて、立ちふさがったの。
そして大声で叫んだんだよ。
「待て、このチビウナギをお前たちに独り占めさせておく俺さまだと思ったら、大間違いだぞ。こいつを喰いたきゃ、その前に俺さまを斃してからにしろ!」と。
そこへ、フジクジラとカラスザメも大勢の仲間と一緒に駆けつけ、アバンコウ、ワヌケフウリュウウオ、トリカジカ、それに例の悪漢3人組が入り乱れて、光と闇、蛍火と燐光、正義と邪悪、弱肉と強食、天使と悪魔、髑髏と般若、有鱗と無鱗、花と蝶とが丁々発止の大決戦!
深海魚同士の同志討ち、さらには共喰い騒ぎまでおッぱじまったのをいいことに、雲を霞み、夜を曙、波を帆かけの夜討ち朝駆け、艦長ネモの操縦するノーチラス号を遥かに凌ぐ最大巡航速度25ノットで、深度800メートルから、たちまち500メートル、300メートルまで、ぼく、一気に浮上したの。
そしてヒョーキン者のスナイトマキやキタホンブンブク、チャマガモドキ、クモリソデ、ウチダニチリンヒトデ、トゲヒゲガニ、エゾアイナメにアヤボラ君たちが元気に泳ぐ姿を見たときには、「やれやれこれで助かった」と思わずひと安心したんだ。
ここでケンちゃんは、
「田舎のおっさん
あぜ道通って
蛙をふんで
ギュ
Qちゃん、九死に一生だったんだね」
と、かるーく一発ジョークをかましたのですが、
Qちゃんは全然耳に入らないようで、夢中で話を続けます。
ねえケンちゃん、聞いて、聞いて。
ボク「もう怖いことは、こんりんざいごめんだ、ごめんだ」と泣き叫びながらも、さらにエンジンを全開して、水深わずか50メートルのところを、猛スピードで泳いでいたら、時計回りにぐるぐる回るあたたかな黒潮と、反時計回りでぐるぐる回るつめたい親潮とが入り混じっているところに出くわして、上を下へのぐるぐる巻きに状態になってしまったの。
アジ、サバ、スルメイカ、サンマ、ブリ、カツオ、キハダ、カジキマグロの大群が、おいしいプランクトンを求めて踊り狂う大海原。
ようやっとの思いで水面すれすれ、青空と青い潮のいりまじる境界線にぽっかり顔を突き出したところは、ちょうど鹿島灘の沖合およそ1.5キロの地点でした。
1980年に思潮社から出版された12冊目の詩集です。
ここには「家庭教訓劇怨恨猥雑篇」「完全無欠新聞とうふ屋版」「やわらかい闇の夢」「見えない隣人」「家族の日溜り」「日々涙滴」から抜粋された92の詩篇と2つの詩論、富岡多恵子氏の鋭い詩人論、清水哲男氏の誠実な解説がぎっしりと充満していて、最近少しずつ現代詩を勉強しはじめた私にとっては、大いに勉強になりました。
「家庭教訓劇怨恨猥雑篇」の「グングングン! 純粋処女魂、グングンちゃん!」や「完全無欠新聞とうふ屋版」の「爆裂するタイガー処女キイ子ちゃん」などは、それ以前の「プアプア詩」の前衛的パンクてんこもりの続編として、読めば読むほどに血沸き肉踊るような破壊的な喜びを覚えました。
でも、もう先輩の皆さんにとっては周知の事実なのでしょうが、
そんな詩人の作風は、3番目の「やわらかい闇の夢」で、突然その世界がうって変わります。
まあ、豹変ですね。
あのシュトルムウントドランクの日々は限りなく永遠に続いて、“戦後日本を代表する世界遺産”になるかと思われたのに、さらば真夏の太陽の黄金の輝きよ。それは余りにも短かった。
「ああ、なんて勿体ないことをしてしまったんだ!」
と、思わず私は叫んだほどでした。
そんな門外漢の私の歯軋りなどおいてけぼりにして、詩人は、さながら東洋のボードレールのように、
「もう秋だ。お嬢さん、おうちに帰りな。往来の言葉蹴り遊びはもう終わったぜ」
とでも言いたげに、ひそやかに別の歌を呟きはじめるのです。
深夜鏡の前で自分の裸体を見つめながら“裸の言葉、裸の心”という奴を探し求めるように、とうとつと独語しながら、いわゆるひとつの内省的な思索を繰り広げるようになるのです。
あたかもベートーヴェンの「第9」の合唱が入るところで、すっくと立ち上がったバリトンが、能天気なはやとちりの管弦楽をさえぎって、
「おお友よ、その調べではない。もっと別の歌をうたおうではないか」
と叫ぶように。
けれどもそれは、耳に心地よい歌ではありません。「狂気がバタバタしている」物音です。
新しい自分、新しい詩を求める詩人が、自分の心臓に向かって蛇入する血まみれの即物音。
まるで自分の胸に聴診器を当てながら、病根を探ろうとする医者のモノローグのような肺腑の言が、ここにはドクドク刻まれているようです。
さて、自ら求めて人為的な“冬の時代”に突入した詩人が、その後どのような紆余曲折を辿りつつ「化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。」の現在にまで至ったのか?
不勉強な私はてんで知らないのですが、いろいろ有為転変があったにもかかわらず、詩人の心底の底の底では、あのプアプアちゃんの純粋桃色小陰唇の幻影が、いまなおプアプアと浮遊しているのではなかろうかと睨んでいるのですが。
空白空白プアプアちゃんグングンちゃんとキイ子ちゃん3人揃って爆裂するや 蝶人
「どんど晴れ」のねーちゃん、比嘉愛未でしょ。
そうだったね。
お母さん、すまなかったってどういうこと?
ごめんなさい、のことよ。
すまなかった。すまなかった。
お父さん、ハクションは風邪でしょ。
そうだよ。
ねえお母さん、蓮佛さんと中井貴一、両方好きですよ。
そうなの。
耕君、インフルエンザなんだから、食器を片付けないでね。
分かりました。分かりました。
耕君のインフルエンザがお母さんにうつったら、どうなるの?
分かりませんよ。
お母さんも同じ病気になるのよ。
分かりました。分かりました。
小田急に湘南急行あったお。
へえ、どこからどこまで?
新宿から藤沢までだお。
へえ、いまでもあるの?
ないお。
守ってください。
はい、守ってあげますよ。
イナズミさんに「そんなときは話しちゃだめ」っていわれたの。
そうなんだ。
ぼは、ほにてんてん、ポはほに○でしょう?
そうだね。
つけっぱなしは、つけたままのことでしょ?
そうだよ。
黒木メイサ、柳沢さんとかでしょ?
なんだ、ドラマの話か。
お母さん、ぼく二酸化炭素好きなの。
へええ、驚いた。
おたっしゃで、ってなに?
元気でね、のことでしょう。
おたっしゃで、おたっしゃで。
きらめくってなに?
キラキラすることよ。
はいポーズ、ってなに?
いい格好することよ。
薬が効けば、直るでしょ?
はい、早く効きますよ。
お母さん、ぼく「国鉄最終章」好きだよ。
そう、良かったね。
お母さん、アルプスってなに?
高い山のことよ。
ぼく、「アルプス1万尺」好きだお。
(2人で歌う)♪小槍の上でアルペン踊りを踊りましょラララララ
しばし呆然とその場に佇んでいた私が気を取り直して「ね、清水君、で、このスピーカーいくらするの?」と尋ねると、「中古とはいってもまだ比較的新しいですから、ま新品の半額の五万円ですね」という返事が返ってきました。
今だってそうですが、70年代のはじめの五万円は相当な物入りです。
私は3日間悩みに悩んだすえに、この欲しくて欲しくてたまらなかったスピーカーを涙を呑んで諦めたのでした。
あの運命の夜から幾星霜、2017年の1月に入ったある寒い夜、何気なくヤフオクをチエックした私は、なんとあの曰くつきの名器KEF104abが競売に付されているのを見つけたのです。
横浜のリサイクルショップが出品していたそのスピーカーは、もちろん年代物の中古品です。70年代にクラシックファンから好評を博したKEF104abは、しばらくすると製造中止になり、今ではこういう形でしか入手できなくなったのです。
今や棺桶に片足をっ込んでいる後期老齢者の私に、突然あのスピーカーから迸り出る朗々たるチャイコスキーの弦の奔流、そして管弦楽に抗して連打されるティンパニーの猛虎のごとき咆哮が生々しく甦りました。
「よおし、この千載一遇の機会を逃してなるのものか」
私は万難を配して、この幻の逸品をものにするぞ、と決意しました。
しかし気になるのは財布の中身です。
リーマンを止め、フリーライターを止め、大学の教師を辞め、年金生活に入った私が自由にできる金額は、ほんのわずかなものです。
1000円から始まった競合入札が、どこまで高みにせり上がるのか。
私は毎晩ネットでその金額が上がるのを、はらはらどきどきしながら見詰めていました。
ラッキーなことにこの物件は、横浜保土ヶ谷区にあるその会社での「現物手渡し」が条件になっていました。
通例では全国から殺到する競合者と張り合わなければなりませんが、これだと恐らく横浜市内か神奈川県下に在住している人に限られてくるでしょう。
私は車を運転できないので、その会社まで電車で行き、横浜市のタクシー会社に予約して決められた日時に現地で待ち合わせ、トランクの中に2台のスピーカーを入れて自宅のある鎌倉に向かえば、八千円ほどの費用で賄えることが分かりました。
交通費込みで3万円ならなんとかいけるな、と私は踏みました。
そして、いよいよその決戦の夜がやってきました。
ライバルは6人くらいに絞られ、締め切り寸前の値段は、1万7000円と思いのほか低い。これなら楽勝と思い、私はあと締め切りまであと1分の段階で2万2000円を張り込み、「見事落札おめでとう!」の知らせを心待ちにしていたのです。
ところが、ところがです。なんと、なんと落札終了時間が過ぎた後で2万2500円をつけ、最後に笑った奴がいたのです。
2人のライバルがデッドヒートを繰り広げているのを知った出品者が、終了時間を延長して落札価格の引き上げを図ったに違いありません。
ああ、なんということだ!
ヤフオクで煮え湯を飲まされたことは、これまでも何度かありましたが、今月今夜の敗北はじつに手痛い。
かくて幻の銘器KEF104abで、ムラビンスキー&とレニングラードフィルハーモニー管弦楽団の交響曲第5番を半世紀ぶりに耳にして涙にむせぶ奇跡は、うたかたの夢まぼろしと消え去ったのでした。