夢素描 01

 

西島一洋

 

前書きの前書き

 
 

寝て見る夢である。

20年くらい前かなあ、「夢記憶交感儀」というのを名古屋市民ギャラリーで二週間ぐらい開いたことがある。

10センチ角の木材と晒し木綿で、畳二畳程の小屋を作り、ギャラリー内に設置した。床面は10ミリ厚ベニア板で、ギャラリー床面より30センチくらい浮いている。晒し木綿で囲ってある。

中には裸電球を一本吊るした。そして小さなちゃぶ台、座布団はおそらく無かったと思うが、ベニア板の上にはござを敷いた。僕はそこに鎮座した。ギャラリー内のあかりは無く、まあ外から見れば大きな行燈といった言った態、朝から夕刻までの二週間。外には、古いブラウン管モニター6台に、メッセージを文字で「どうぞ中にお入りください。あなたが見た夢についてお話し下さい。」もっと丁寧に書いたと思う。僕は入ってきた人に煎茶を出した。
で、こうも言った。「お話しは全て録音したいです。カセットテープに。そしてこのカセットテープは、この会期の後、コンクリート詰めにします。80年後にこの交感儀に参列(参加)した皆んなと一緒に、聴きましょう。」
この時すでに僕は50歳を過ぎていたと思う。つまり、生きていれば130歳。あながち不可能ということも無いが、おそらく死んでいる。見ず知らずの人も、晒しをビヨーンとひらげて小屋の中に入って来る。年齢は様々だ。一番の若年が10歳、上は90歳。10歳なら80年後でも90歳だから、幾分かのリアリティはある。
小屋は前述どおり、2畳くらい、ちゃぶ台を置いて、周りに5人も座れば満員だ。時間も無制限だから、1日にそう何人も入れるわけではない。記憶では1日12時間✖️二週間やったと思う。
不思議なことに、夢の話となると、赤裸々にかなり際どい事も、知らない人同士でとうとうと話す。これは意外だった。

とここまで書いたらもう7時半だ。毎日の労働のために、そろそろ寝なければならない。二時起きなので。前書きの前書きのさらにその半分にもいたらないが、もう寝よう。一切の推敲も無く。

 

つづく。

おやすみなさい。

 

 

 

あきれて物も言えない 11

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

カミナリの音が聴こえる

 

夜が明けて朝になった。

今日も、
朝が来た。

カミナリが鳴っている。

こんな朝早く鳴っている。

ピカッと光って、
ドドーンと驚くほど近くに落ちたような音だ。

犬のモコも目を覚ますだろうと隣の部屋のわたしは心配です。
モコはカミナリや花火の音が怖くて怖くて、
ブルブルと震えるのです。

今日は、嵐になるのだということです。

世界でもコロナが吹き荒れている。
新型コロナウイルスの感染者が世界で、200万人を超えたと朝刊の記事にあった。
日本では感染者数が8,000人を超えたのだという。

パンデミックというのですか。

パンデミック(英: pandemic)の語源は、
ギリシア語のpandēmos (pan-「全て」+ dēmos「人々」)だという。 * 1

感染症が世界中に流行することをパンデミック、世界流行というのだという。

日本や世界中で医療関係者が、
このウイルスに感染した人々を救うために尽力している。

日本では、4月16日、全国に緊急事態宣言の対象が拡大された。
この国の首相が指示し466億円かけて各戸に2枚の配布が決まった布製マスクが、届きはじめた。
マスクが小さいではないかという問い合わせがあるようなのだが。

アメリカの金髪の大統領は、
世界保健機構(WHO)が「中国寄り」だとしてWHOへの拠出金支払いの停止を表明したという。

いまやアジアやアフリカや世界の新興国にも感染症が拡がり、
世界中が大変な時に、アメリカの大統領は自国のために世界を分断しようというのだろうか?

新型コロナウイルスに対応する医薬品や医療機器の開発や製造は先進国が行っている。
それらを各国と共有できなかったらどうなるのか?
自国第一主義は世界に混乱を生むように思える。

食料やマスクや医薬品や医療機器の輸出規制など、これからの政策が心配だ。
また、今、日本では種苗法改正法案が国会に上程されている。
外国の巨大資本に種子が独占されるのではないかという危惧が日本の農業現場にあるようだ。

カミナリの音はもう聴こえなくなった。
雨音が聴こえる。

窓ガラスに雨粒が音を立ててぶつかり流れている。

窓の向こう、
西の山が雨に煙っていて頂上が見えない。

ここのところわたしは自宅でモコと三密状態です。

外出から戻ったら必ず手を石鹸でよく洗います。
犬のモコにコロナを感染(うつ)したらかわいそうだからです。

帰宅したら飛びついてくるモコをそのままに、
手を洗ってから、
モコを抱きしめます。

それからソファーに行くとモコはわたしの膝の上から大きな瞳で見つめ返します。

しばらくそうしていると、
モコは安心して眠ってしまいます。
モコも、もうだいぶ年を取りましたからね。

モコを見ているとテミちゃんを思いだします。

テミちゃんはいとこのお姉さんでした。
小学生の一年か二年の頃に遊びに行くとテミちゃんのふんわりとした話し方に子どものわたしは魅了されたのでした。
テミちゃんは顔つきも体つきも白くぽっちゃりとしていて、
絵が上手で、
とてもゆっくりふんわり静かに話すお姉さんでした。

あ〜こんなにゆっくりふんわり話して、いいんだ・・・。

そう、子どものわたしが思ったことを今でも憶えています。
それからそのことを大切に思ってきました。
いまでも思っています。

わたしが青年になり大人になり社会に出てみたら、
そのゆっくりふんわりを大切とする人はほとんどいない事に気付きました。
世の中は、とにかく早く処理することが大事なんだなあ!とショックでした。
勉強も仕事もそうでした。
ゆっくりふんわりなんかまったく大切にされていませんでした。

わたしは、
二十歳を過ぎて、
東中野にある木造の建物の中の詩の教室に通い始めました。

そこには鈴木志郎康という詩人がいました。
その詩人は私たちの詩をひとつひとつみんなの意見を聞いた後に講評してくれるのでした。
青年のわたしは、やっと素敵な大人に会えたと思いました。

その詩人が「徒歩新聞」という冊子をたまにくれました。
表紙は赤瀬川原平という人がイラストを描いていて、
舗装されていない野原の道路のようなところを下駄と靴だけが歩いているようなイラストでした。人がいないのです。
表紙を開くと扉に、毎号、同じような歩行についての言葉が並んでいました。

“トボトボと歩いている。散歩するという気分でもなく、歩いていると、気もそぞろになって、躓いてしまうということがある。躓いてしまったときの、あの心理というのは、これは面白いものだ。・・・・” * 2

わたしはやっとテミちゃんに似た大人を見つけたのでした。

それからその詩人の詩の真似をはじめました。
そして、それから、ずっと詩を書いてきました。
いやいや、少し、休んだりしながら、トボトボと詩を書いてきました。

今回の新型コロナウイルスの流行が終わって、生き残っていたら、
また、ずっと詩を書いていきたいと思っています。

テミちゃんはどうしているのかな。
もう、おばさんで、孫がいて、おばあさんかもしれないな。

世の中、呆れて物も言えないことだらけです。
わたしのところにはまだ二枚の布製マスクが届いていません。

でも、この世の中には、
わたしの知らない”ゆっくりふんわりした人”が、たくさんいるのだと思います。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

* 1 「ウィキペディア」より引用しました。
* 2 「徒歩新聞」20号より引用しました。

 

 

 

また旅だより 20

 

尾仲浩二

 
 

どこにも行けないことをうだうだ書いてもつまらないので昔の話。
35年ほど前に住んでいたボロ家の近所のちいさな食堂がまだあった。
ここのちっとも辛くない麻婆豆腐は刻んだタマネギがたくさんで美味しい。
だから僕が作る麻婆豆腐はいまでもタマネギがたくさん。でも痺れるほど辛い。
9年前の話。

2020年4月14日 東京中野にて

 

 

 

 

「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第81回

 

佐々木 眞

 
 

 

2019年12月

 

某大メーカーの疑惑の大幹部が、突然この丘にやって来たので、特ダネ記者の私はとっさにカメラのシャッターを切ろうとしたのだが、液晶画面が真っ黒で、切ろうにも切れなかった。12/1

スラッガーのヒロシさんを擁する私らのチームは、宿敵の松竹ロビンスと対戦したのだが、0対38の大差で敗れてしまった。12/2

最新式の設備が備わったその最新型車両には、車輪に鋭い刃が装備されていたので、線路の両側から飛びついてくる気違い老人どもを薙ぎ倒しながら、血飛沫をあげて前進することができた。12/3

敵に襲撃されて長い間病院に入っているオヤブンの見舞いに行ったら、案の定、敵の親分の暗殺決死隊のメンバーにされちまった。12/3

私が長年にわたって敬慕しつつ仕えていた鶴姫様が、実は無類の色情狂で、私以外の男と見境なく番っていたことを知って、私は大きな衝撃を受けた。12/4

長い間開いたこともなかった押し入れを開けると、見たことも無い藤色の装丁の分厚い書物が並んでいるので、何気なく右手に持った水差しで水をかけたら、妙な物音がした。それで驚いてもっとたくさんの水をかけたら、ドスンという大きな物音がした。12/5

部屋の中に転がり込んできたのは、年齢は不明であるが、紅いおべべを着た背の高い痩せた若い女性である。一番の特徴は、三日月の様な長い長いその顔で、しかも真ん中の鼻の辺りが凹んでいて、とても美人とは言えない。

私と母と妹の前で、べたっと座り込んだその謎の女は、私らの問いかけに、自分は物心がついてからずーとこの押し入れの奥で生活してきたこと、食べ物は夜遅く台所で漁ったことなどを答えたが、自分の正体については口を噤んだ。

じっと彼女の顔を眺めていた私は、その花王石鹸のマークの様な横顔が、母と瓜二つであることに気付いたが、母も妹も私も、そのことについては、何も言わなかった。12/5

我が家の家宝を雪隠に落としてしまったので、便器の下を大捜索していると、庭の中にナミアゲハとミヤマカラスアゲハが舞い込んできた。ナミアゲハは並みだが、ミヤマカラスはカラスアゲハより貴重なので、ケン君がこいつを捕まえようと駆けずり回っているがナミアゲハしか捕まらない。12/6

ふと見ると、美しい2頭の巨大なアフリカ象が、我が家の生垣を踏みつぶしながら侵入してきたので、吃驚仰天した私は、「ケン君、ケン君、象に気を付けなさい。踏み殺されちゃうよ!」と叫ぶのだが、彼はミヤマカラスアゲハに夢中で気がつかないのだ。12/6

私は村でたったひとつの「なんでもありの窓口」で、郵便切手を買ったり、書物を送ったりしていたが、その合間に知人に勧められて投資した株が高騰したので、長い人世で初めて巨万の富を手中に収めることになった。12/8

わいらあ大阪の芸人やけど、東京のテレビ局に行ったら妙な髪形にされてしもうたんで、その仕返しに、大阪にやって来た東京の芸人はんの髪形を懇意にしている髪結いはんに頼んで、滅茶苦茶にしてもらいましたんや。12/9

久しぶりにツウちゃんに会ったので、「君の弟さんは元気ですか?」と訊ねたら、急に眉をひそめて小さい声で「自殺しちゃったの。子供たちはまだ幼いのに」というたので、絶句した。12/10

妻と原宿駅までやって来たのだが、私は自転車だったので、木陰に停めている間に、細君は改札口から入っていったので、焦った私も突入した時に、ブルジョワのざーます夫人とぶつかってしまった。12/11

夫人は、その衝撃で「スイカが運賃を二重引きしてしまった」というて私に文句をいうので、懸命に謝っている間も、電車はどんどん進んで行き、四ツ谷駅で一緒に降りると、駅前で夫人の旦那が、借金取りに「10億円返せ」と迫られていた。

旦那は、「殺生な、10億なんてあるわけないやろ!」と喚き散らしていたが、夫人はいつのまにか傍に置いてあったモザール遺愛のフォルテピアノを指差して、「これなら10億以上の値打ちがあるわ。もってけ泥棒!」と叫んだので、万事めでたく解決黒頭巾。12/11

大洪水に襲われた国道を濁流が覆い、その水面を浮き沈みしながら、朝夷奈峠の中腹に安置されているはずの、丹波道人が寄進した慰霊碑が流されていくのが見えた。12/12

南軍は、水中戦で圧倒的な優位に立っていたのに、どういう訳だか、その利点を生かさず、ボケーとしていたために、北軍の反撃を許して、存亡の淵に立たされてしまった。12/13

こないだの地震の調査をしていたら、またしても物凄い地震に直撃されたので、巨大ナマズのタタリを懼れた私らは、もう一切の調査研究を放棄してしまった。12/14

イケダノブオの部屋の隣は、ナカノ君の狭い3畳間だったが、透明な強化ガラスを挟んだ向こうでは、大勢の子どもたちが、法被姿で勢ぞろいしていて、楽しそうに、歌ったり、踊ったりしていた。12/14

王宮の運転手の私は、王妃から上等の上着をもらったのだが、それを持ち帰ろうとすると警備員に盗人の嫌疑を受けそうなので、いつまで経っても帰宅できないでいる。12/15

「どうですか天の川さん、7月16日に神様と決闘するそうだけど、勝ち目はありそうですか?」と訊ねたが、天の川は返事をしなかった。12/15

月の光で「ロリータ」を読んでいると、見知らぬ女が部屋に入ってきて、私の膝の上に乗っかった。12/16

彼女は色香で落とすエンタメが超得意。「なんというてもと口先三寸で大儲けできますからねえ」というて、部屋の隅にある札束をあごでしゃくったが、あれって本物なのだろうか。12/17

理想の授業とは教師ではなくむしろ学生が主体になって行うべきだという説を試してみようと実地で試験してみたが、てんでうまくいかなかった。何か介在者が必要だと分かって来た。12/18

論争するときには、常の己の味方と宿敵を同伴しながら行うべしというお達しが出たので、Aさんは夫人と情婦を、Bさんは大江健三郎と石原慎太郎を連れて国会や裁判所へ行った。12/18

こんなに楽チンな仕事でいい給料をもらいながら趣味の絵も描けるし、おまけに最愛のロリータちゃんも傍におかせてくれるなんて、最高の会社だなあ、と私は思った。12/19

心中で願ったことがすぐに実現してしまう能力を天から授かった私は、世界一の悪人と日本一の悪人を亡き者にして下さいと祈ったところ、直ちにそれが現実のものとなり、夕刊のトップ記事になったのをみて衝撃を受け、自らの無化を願った。12/19

久し振りに駅に行ってプラットフォームに立って電車を待っていた。ようやく電車がやって来たが、それは「第一乗り」「第二乗り」「空飛ぶ人」の3種に分かれていてどれに乗ったらいいか分からなかったので、家に戻った。12/20

高い山の天辺から深い谷底を覗きこむと、白い百合の花がたくさん咲いていた。12/21

とにかく大家から毎日家賃を払えと催促されるので大変。月末になるとエレベーターにのっかって各フロアを大掃除するのだが、大家は支払いがよくて覚えめでたい店子には、自動掃除機を貸し出してやるのだった。12/22

私は営業の仕事を初めて担当したが、これほど難しいものとは知らなかった。得体のしれないクライアントの担当者とゴルフやテニスや競馬の話になったが、てんでついていけないので、ビジネスどころの話ではなかった。12/23

自由に器を作って構わないとうのでコーヒー茶碗を仕上げてそれなりに満足していたのだが、イケダノブオが作って呉れたやつはさすがにデザイナーらしい見事な味わいがあったので、脱帽した。12/24

昨日大阪支店に出張したのだが、レリアンの広告掲載誌が届いていないと文句を言われたので、それは困ったどうしようと思ったのだが、どうせ夢の中だからなんとかなるだろうとたかを括っているうちに、なんとかなってしまった。12/25

コバヤシ医師の海外でのボランテイア活動が多忙なので、彼はサントリーホールの招待券をその都度安倍蚤糞の大企業&金持ち優遇政策の犠牲になっているルンペンプロレタリアートの子女に譲っていた。12/26

2日間に亘って開催されたホーム運営対抗試合だったが、私らはようやく2日目に見事なチームワークで大勝利を収めたが、「ワンチーム」なる流行語だけは口にしなかった。12/27

私は大火山の大噴火を俯瞰しながら、絵を描いているのだが、燃えたぎる炎ととろけ出る溶岩の彩色がうまく行かないので、ヘリはいらだたしくホバリングを続けている。12/28

核戦争の脅威を避けて地下通路を逃げ回っていたら、東大安田講堂の地下食堂でマエダ氏のご両親と隣り合わせたので、「昔仕事にあぶれていた時代には、息子さんに大変お世話になりました」とお礼を言うことができた。12/29

格安の宇宙旅行に出かけた。学生と同じ部屋をシェアしていたのだが、巨大な名刺が飛んできて、2人の間に突き刺さったので驚いた。12/30

大阪支店から出張してきたオノダさんに、部下のオカダ君がしきりにちょっかいを出すので注意したのだが、なんのこたあない、彼らはすでにお互いに言い交わした仲で、それを知らないのは、私だけだったあ。12/30

私らは洗濯機、掃除機、給湯器、冷暖房機等、あらゆる家庭用機器のニーズに対応する万能型発動機の開発に成功し、既存のメーカーの顔色なからしめた。12/31

 

2020年1月

 

アオイケ夫婦と一緒に中国の田舎の山を登っているのだが、山が乗っているプレートが違うので、アオイケ夫妻は猛烈なスピードで山頂めがけて上昇していったのであった。1/1

イケダノブオは、森ん中のおばあさんのろうけつ染めを映像に収め、「これから私の最後の時をおめにかけましょう」というのであった。1/2

裏ぶれた素人オケに「第9交響曲」演奏の依頼があり、それを済ませて駅構内に入ると、エキコンをやっていたので、思わず私が歌い始めると、隣のオッサンから「お客さん、主旋律を勝手に歌ってもらっては困る」と文句をいわれた。1/3

公凶放送も、民放も、現地中継を放棄した後も、私らミニ地域放送局だけは、その虐殺映像を流し続けた。1/4

往年の大女優でもある有名デザイナーのアシスタントをしている私だが、彼女が超不得意なメンズのフォーマルウエアのデザインで四苦八苦しているのを見るのは、どうにも耐えがたい。1/5

退職軍人のチャーナイ氏に請われてジャングル映画に出ることになった。「正面を向いて立ってください」というので、言われたとおりにしていると、目の前に大蛇がぶら下がってきたので、慌てて逃げ出した。1/6

医務室へ行くと、2人の女子社員が、制服を着たまま布団の中で身悶えしているので、「大丈夫?」と声をかけると、彼らは、ちょっと身動きしてから、姿勢を変えた。1/6

これまで大事にしてきた天然物の魚と本水が、一瞬の不注意から濁水にまみれてパアになってしまったので、私はイケダノブオの誘いで熱海に赴いて、もういちどやり直すことにした。1/7

沖縄の綺麗な海で泳ごうと、遠路遥々飛んできたら、海水浴場は、もっと遠路から遥々飛んできた世界中の観光客で一杯だった。1/8

困ったことに完全AI制のわが社では、夕方の6時になって「さて残業しようか、それとも帰ろうか」と迷っている社員に対しても、さっさとご飯と味噌汁の簡単な夜食を供してしまうのである。1/9

環境問題の死命を制する大問題の投票に、無残に敗れ去ったこの男は、かてて加えて、広大な自宅が、失火で一夜にして燃え尽きてしまったので、絶望して世を去った。1/10

正月に夢を見たが、それは正月に夢を見ているという夢で、夢の中では餅つきが出てきた。1/11

この節は、中央線の快速も各停も、しょっちゅう爆破されるので危険だ。都心へ向かうなら、地下鉄なら比較的安全だというのだが、それだって当てにならない。1/12

わが社の花形デザイナーが、フリーランスになって飛び出すという噂を聞いた私は、それなら、自分がその跡目を襲ってやろう、と密かに決意した。1/12

私はいろんな大学を受ける人たちのために、夜中じゅうライトアップしてあげていたが、それがどんな役に立つのか、考えたことはなかった。1/13

「セイコウしても、セイエキが出ないんだね」と医者がいうたので、「しかり。さながら渓谷の空音の如し」と答えたら、「それはどういう意味ですか」と医者が訊ねたが、私にも分からなかった。1/14

山陰線の夜行で帰省したら、知り合いの女が、「彼女は鮨屋の娘なんやけど、大阪で企画と営業を両方上手にやっとるんやて」と教えてくれた。1/14

報道統制が酷くなってきたので、心ある報道者たちは、密かに裏チャンネルを作って真夜中にゲリラ放送をするようになった。「#内緒内緒のあのねのね」で検索すると、あの公凶放送ですらも物凄い安倍蚤糞の巨悪暴露放送を敢行している。1/15

おらっちは、暮らしに窮した隣家の要請に応えて、隣接地を次々に買収していったので、いつのまにか当地でも指折りの大地主に成り上がっていた。1/16

「決して開けてはならない」と言われた瓶の蓋を開いた途端、やはりアラジンが飛び出してきたので、私は「違う、違う、そうじゃない。お前じゃないんだ」と叫んだが、もう遅かった。1/17

おじいちゃんは、ガラガラの山陰線の上り列車の3等席で、揺本に振った「クハ」、「モハ」といった列車の略称記号を皺だらけの左指で示しながら、幼い私に、金春流の素謡の初歩を教えてくれた。1/18

2階で寝ていると、2人の女が布団に入ったり、出たりするので、寝られないから、「お前たちは誰だ?」と訊ねたら、「元ダンサーです」と答えるので、「じゃあ、今は何なんだ?」と聞いたが答えは無かった。1/19

ヴィヴァルディ大全集のCDの中に、1枚だけ尺八の演奏が紛れ込んでいたが、これが果してヴェルディの曲なのかどうか分からない。もしそうなら、世紀の大発見だ。1/20

会議では「日本からアジアへ、そして世界へ」というような言い方は、かつての帝国主義時代の外国侵略や植民地支配を想起されるので、やめたほうがいいだろうというような発言があったが、他の誰も何も言わなかった。1/20

五輪音楽代表決定戦で、ある選手が投げられてきた幼虫の塊を空振りしたという理由で敗退したが、これは見当違いも甚だしい。音楽と野球はジャンルが全然異なるのだから。1/21

編集部でうろうろしていたら、ある人物を紹介された。「どういうお仕事ですか?」とたずねたら、「表紙専門デザイナーです」という返事だったので、そおゆう職種もあるのかと驚いた。1/22

パスポートも航空券もないのに、空港にぶらりとやって来た私だったが、滑走路の隅っこに停まっている小型機に忍び込んで眠っているうちに、私は海上を飛行していた。1/23

それにしても、飛行機の長旅にもめげず、よくも遥々極東の島国まで歌いにやってくるものだと、オペラ指揮者の私は、西欧の歌姫たちに敬意を抱かざるを得なかった。1/25

私は一晩中不要スーツの補修にあたっていた。朝が来ると、それが廃棄される運命にあると知りつつ。1/26

我が家のfaxは出版社と接続されているので、編集部に出入りするfaxは、同時に我が家のfaxにも入ってくるのである。「それがどうした?」と聞かれても困るが。1/27

玄関に2人の客あり。1人はタナカコーキ、もう1人は近所の奥さん。前者は海外留学の打ち合わせだろうが、後者の用件は、聞いてみないと分からない。1/28

ビルの角で携帯が入ったポシェットを拾ったので、警察に届け、自分の名前を書いていると、その前の欄に私と同じ会社の同僚のヨシダ嬢の名前があったので、偶然とはいえ、少し驚いた。1/28

出張が終わって自宅に帰ろうとしたら、その途中で、なんかのはずみで、大川に鞄が飛び込んでぶくぶく沈んでいく。さあ大変だ。どうしよう。重要書類が、みなずぶ濡れになってしまうではないか。1/29

ぼくらは惑星探検隊。いよいよ新惑星に着陸するのだが、誰が行くのか指令がない。ヒグマが「オレ行きます」と勝手に乗り込もうとするので、「ちょっと待て!」と、おらっちは止めた。1/30

私たち医学部の新入生に対して、癌検査が行われたが、独りだけ該当者がいて、気の毒にも、治療終了まで自宅待機になってしまった。1/31

 

 

 

あきれて物も言えない 10

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 

虹をみている

 

3月16日はわたしの母の命日だった。
わたしの母、絹は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気と10年ほど闘い、死んでいった。

ALSは手足、喉、舌、呼吸器などの筋肉が痩せて力がなくなり自分では動かせなくなる病気だった。
10万人に一人から二人という難病であり、
だんだんと全身の筋肉が痩せていき、自分で歩けなくなり喋れなくなり寝たきりになり、食べれなくなり呼吸ができなくなった。

それで姉の家の母の部屋は病院の病室のように介護用ベッドがあり、
人工呼吸器機があり吸引機器があり母の足には脈拍と血中酸素濃度を測るセンサーが取り付けられていて、
そのセンサーの音が間断なく鳴っていた。その音が母が生きている証だった。
食事は胃ろうといってお腹に穴を開けて胃に直接、流動栄養食やお茶を流し込んだ。
東日本の震災以後は人工呼吸器の電源確保ということが課題となった。
当時、自宅でALS患者を介護することは珍しかったようで見学にみえる医療・介護関係者の方もいた。

母との会話は当初はメモで行っていたが、手も指も動かなくなり、質問に瞼の開閉で答えるということをしていた。
最後には自分で眼も開けられなくなった。
わたしが帰省した時には母の瞼を指で開いてあげるとそこには母の眼球があり、わたしをみていた。
眼が泣いていた。笑っていた。

自分の身体のどこも動かせなくなった母が人工呼吸器で肺を上下させていた。
わたしの姉は働きながら母のベッドの脇に布団を敷いて夜中に何度も起きて喉から痰の吸引をしていた。
姉は最後まで自宅で母を介護した。
また長年の介護スタッフの皆さんはまるで母の家族のようになっていた。
母はだんだんと痩せて萎んでいったが、ピカピカの綺麗な顔と身体をしていた。

今朝の新聞の一面に、「やまゆり園事件 責任能力認定」という見出しがでていた。
相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で重度障害者19人を殺害し、職員2人を含む26人に重軽傷を負わせた植村聖という30歳の男の判決の記事だった。

死刑だという。

「判決は、被告が園で働く中で、激しい行動をとる障害者と接したことや、同僚が障害者を人間として扱っていないと感じたことから、重度障害者は家族や周囲を不幸にすると考えるようになったと指摘。過激な言動を重ねる海外の政治家を知り、「重度障害者を殺害すれば不幸が減る」「障害者に使われていた金が他に使えるようになり世界平和につながる」と考えたと動機を認定した。」 *

と新聞の一面には書かれている。

また、37面の詳細記事には、
「たしかに法廷では差別意識につながる断片的な事実が明かされた。小学校で「障害者はいらない」と作文に書き、大学では「子どもが障害者なら育てられない」と話した。やまゆり園では「障害者が人として扱われていない」と感じ、やがて「障害者は不幸を作る」と思うようになった。」 *
と、被告の差別意識について書かれている。

新聞には亡くなった19人のエピソードが法廷で読み上げられた供述調書、心情意見陳述から引用されていた。

「美帆さん(19歳、女性)音楽が好きで「いきものがかり」の曲などノリノリで踊った=母」 *

「甲Bさん(40歳、女性)家では大好きなコーヒーを飲むと、お気に入りのソファに座った=母」 *

「甲Cさん(26歳、女性)見聞きしながら、ひと針ひと針一生懸命作った刺繍も上手だった=母」 *

「甲Dさん(70歳、女性)園に着くとニコニコと私の手を取り、「散歩に連れて行って」と伝えた=兄」 *

「甲Eさん(60歳、女性)食パンが大好き。園ではスプーンを自分で使えるようになった=弟」 *

「甲Fさん(65歳、女性)買い物が好きで、お菓子や色鮮やかなレースやフリルのある服が好き=妹」 *

「甲Gさん(46歳、女性)職員にマニュキアを塗ってもらって、うれしそうに爪を差し出して見せた=母」 *

「甲Hさん(65歳、女性)電車やバスに乗る時は、高齢の人に席を譲る、心が純粋で優しい子=母、弟」 *

「甲Iさん(35歳、女性)手を握り話かけたり、散歩に連れて行ったりすると、笑顔で喜んだ=父」 *

「甲Jさん(35歳、女性)水をおいしそうに飲んだ。母が食事をさせるとくしゃくしゃに笑ったりした=弟」 *

「甲Kさん(41歳、男性)洗濯物を干していると、頼んでいないのに物干しざおを準備してくれた=母」 *

「甲Lさん(43歳、男性)相模湖駅前の食堂で一人で食べきれない量を注文し、全部食べて笑っていた=母」 *

「甲Mさん(66歳、男性)ラジオのチューニングが好きで、きれいな音になるとうれしそうにした=兄」 *

「甲Nさん(66歳、男性)面会に行くと、自分で車のドアを開けて乗り込み、笑顔を見せた=姉」 *

「甲Oさん(55歳、男性)家族の誕生日にはカレンダーの日付を指しておめでとうと表現した=妹」 *

「甲Pさん(65歳、男性)動物が大好きで、動物の絵本を持っていくとすごく喜んだ=兄」 *

「甲Qさん(49歳、男性)成人の時、本人の希望通りパンチパーマにスーツで写真を撮り、笑顔を見せた=母」 *

「甲Rさん(67歳、男性)「兄ちゃん帰るから、また来るからな」と言うと、右手をあげ「おう」と挨拶した=兄」 *

「甲Sさん(43歳、男性)車に乗るのが好きで毎年、家族で長野にドライブへ行った=母」 *

ここには亡くなった19人の被害者と家族との個別の経験と想いが述べられている。
施設では彼らはどのように扱われていたのだろうか?
わからない。
植松被告の”想い”は、重度障害者と家族との個別の経験と想いに届かなかったのだったろう。

障害者施設のことをわたしは詳しくは知らないが、
何度か義母を病院に入院させた経験から総合病院のことは少し知っている。
病院の5階のフロアーの全てのベッドに老人たちがいた。
わたしは毎日、義母の病室に見舞ったが、他の老人たちに見舞いにくる家族はとても少なかった。
老人たちも家族に迷惑をかけたくないと思っているのか静かにしていたのだったろう、なかには泣き叫ぶ老人もいて、その声に義母はおびえた。
病院の医師や看護師たちの仕事は過酷にも思えた、医師たちはいつ家に帰っているのだろうと思えた。
看護師たちは少ない人数で効率的に作業をすることを求められているようだった。
そこには決められたことをマニュアルに沿って施すという”作業”が見られた。
おそらく過酷な作業環境の中で患者である老人たちと人間的に接するという機会は制限されるだろう。

義母を病院に入院させておくのが可哀想に思え担当医に余命を聞いて退院させてもらったが、
自宅に老人たちを迎えられない事情を持った家族が大半なのだと思えた。
病院が姥捨山のようだったとは言わない。
なかには子供たちや孫たちを連れて見舞いにくる家族もいたのだ。

 

まど・みちおに「虹」という詩がある。

 

虹 **

 

ーーーー白秋先生を想う

お目を 病まれて
おひとり、
お目を つむって
いなさる。

心の とおくに
虹など、
いちんち 眺めて
いなさる。

虹が 出てます
先生、
障子の むこうで
呼ぶ子に、

見てるのだよ と
おひとり、
やさしく 笑って
いなさる。

 

まど・みちおの詩を読む時、
そこには、まど・みちおと白秋先生の個別の生があり、
個別の生を超えて、まど・みちおの想いが白秋先生の虹に届いているように思える。

そこに詩が生まれている。

 
あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

* 朝日新聞 2020年3月17日朝刊からの引用
** 岩波文庫「まど・みちお詩集」からの引用

 

 

 

また旅だより 19

 

尾仲浩二

 
 

ほんとうならこの便りはニューヨークから送るはずだった。
だけれどコロナ騒動の煽りで東京で暗室に入っている。
まだこんな事が起るなんて誰も思ってもいなかった昨年10月の中国の写真をプリントしている。
この写真を中国の人たちに見せる日が早く来るといい。

2019年3月14日 東京中野にて 

 

*****
 
写真展情報
1月18日より4月5日まで
奈良市写真美術館にて個展「Faraway Boat」
http://www.irietaikichi.jp/

 

 

 

 

あきれて物も言えない 09

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

マスク外して海をみていた

 

「新型肺炎 国内感染が広がる」という見出しが新聞の一面に大きく出ていた。
ここのところテレビも新聞も中国から世界に拡散する新型コロナウイルスの感染被害について報じている。
ついに日本でも感染者は338人(2月16日現在)という、テレビで専門家はすでに数千の規模で日本でも感染者がいるだろうとコメントしていた。
中国では感染者が6万8,500人となり死者数がすでに1,665人だという。毎日100人以上が死んで行く。

最近では外出の際にはマスクをするようにしていた。
感染するのが怖いし他人に染すのも嫌だ。

ところでウイルスの直径は0.1マイクロメートルで、
1マイクロメートルは0.001ミリメートル、
マスクの網目は10マイクロメートル、
マスクの網目はウイルスの100倍も大きいのだから、おそらく、あまり、予防効果は無いだろうなと思いながら他人を怖がらせないためにマスクをしているようなところも自分にはあるのかな。

それで、日本ではマスクが品薄なのだという。

横浜港に停泊中の大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗員3,700人には感染が広がり、285人がすでに感染していて日々感染がひろがっているのだという。
それでアメリカは自国民、約380人をチャーター機で退避させるのだという。
アメリカや各国のメディアは「(日本政府の検疫は)感染を止めるものではなく、船内で感染を広げているという証拠が山ほどある」と専門家のコメントを紹介し日本を批判しているのだと新聞には書かれていた。

新型肺炎だけではなく、
中東やアフリカの紛争、難民、温暖化、気候変動、森林火災、環境汚染、経済の不安定化、などなど、
世界には問題が山積している。
全て、人間の問題だ。
地球という宇宙にとっては人間がもっとも危険な害毒であるのだろう。
そろそろ人間というリスクをどのように回避するのかを考えはじめているのだろうか。

そんなことを思いながら雨の日曜日、浜辺に出かけていった。

海浜公園には人影がなかった。
マリーナの隣の堤防で何人か釣りをしていた。

西の山が雨に霞んでいた。
水平線が横に伸びていた。
マスク外して海をみていた。
今朝の朝日俳壇の俳句を思いだしていた。

 

旅人の如くマスク探しけり *

 

さいたま市の齊藤紀子さんという方の句だった。

われわれはマスクを持たない旅人でありましょう。
明日さえも今日さえもわからない小さな旅人でありましょう。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

* 朝日新聞 2020年2月16日「朝日俳壇」からの引用

 

 

 

また旅だより 18

 

尾仲浩二

 
 

年が明けて韓国へ行ったり、いくつかの写真展が始まったり、還暦になったりと慌ただしかったが、2月に入って久しぶりにのんびり。
仕事で誰かと会う約束も遠くへ行く予定もない。
昼に近所の八百屋を覗いたり、まだ明るいうちに銭湯に行ったり、ファミレスで午後からワインを飲んでみたり、猫を撫でながら配信で古い映画を観たり。
なにもしていないように見えるかもしれないけれど、ちゃんと写真集の発送したり、なにやら考えたりもしているし、たまにはこんな時間が大切なのだ、などと誰に言い訳をしているのか。確定申告もやったし。 

2020年2月14日 東京中野にて

 

*****
 
写真展情報
1月18日より4月5日まで
奈良市写真美術館にて個展「Faraway Boat」
http://www.irietaikichi.jp/

 

 

 

 

人とそのお椀 extra

 

山岡さ希子

 
 

 

この作品には番号はない。額装された1枚。

数字とその感情について。

「描いた人」、「所有する人」という「2」がここにある。作品のシリーズは、当初28枚シリーズで描かれた。それは、お遍路などで数えられている7の4倍として。だが、それは1997年のことで、1997年の展示の際に、失ったり、破れたりしたので、今は22枚。実物としては存在しないコンセプトとしての28、は残る。
2018年、所有する人は、その中から11枚を選んだ。そして、その次の月から、所有する人のwebsiteで、ひと月に1枚ずつ絵が紹介され、そこに、絵を描いた人の110文字の文章が載せられることとなった。

しばらくして、作品を飾るために、1つの額を制作しようということになった。描いた人は、手元に残ったそのシリーズの中から1枚を選び、額装した。描いた人は、その1枚を、所有する人へのサプライズギフトにしようと考えた。仕上がって、それは所有する人に送られた。所有する人は喜んだ。そしてその1枚は、所有する人の元で、めでたく12枚目になるのだと、描いた人は思っていた。ところが、所有する人は、額装は希望していたが、その1枚には戸惑っていた。

そして、所有者は、それは12枚目ではないと言う。12枚目、という考えは存在せず、11で完結だと。11枚の絵に11の文を組み合わせるという、所有する人のコンセプトがあったのだ。そのことに、描いた人は気がついていなかった。それで、もう1枚、調子良く送ってしまった。
宙ぶらりんになった1枚の絵。所有場所は移ったけれど、その作品のコンセプトは、描いた人のもとに差し戻された。

そして、そもそもの28枚の絵には、文を付けるというコンセプトはなかったのだから、描いた人の手元に残った10枚の絵がそうであるように、このextraにも、文はいらない。つまり、論理的には、絵と文の紹介は11回で終わって良い、ということになる。

だが、描いた人は、この絵が不憫に思えた。絵が、「描いた人」「所有する人」両者の目論見のズレの「板挟み」とは、ジョークと言えばジョーク。絵は、額の中で、ガラスと板の間にぴちっと挟まっている。しかし、意外に、嬉しそうにしている。

代案として、「絵」とその文は、なんにしろ、紹介はするということになった。そんな経緯で、この、これまでの字数110の決まりを捨てた、体裁のない、だらりとした悪文が、ぶらりと、ずるりと書かれたというわけだ。詩人に送るには、全く相応しくない。

せめて、手足を伸ばして、くつろぐ。

 

 

 

長田典子詩集『ニューヨーク・ディグ・ダグ』(思潮社)について

 

辻 和人

 

 

長田典子さんの最新詩集『ニューヨーク・ディグ・ダグ』は、ニューヨークに2年間語学留学した体験をドキュメンタリー形式で書いたものだ。長田さんは小学校の先生をしていたが、50代半ばに退職して一発奮起し、長い間の夢を実現させた。帰国後、この一世一代の体験が自身の人生にどのような意味を持つかについて懸命に考え、詩の言葉によって結晶させたのが本書である。

 

空0高層ビルに囲まれた
空0四角いセントラルパーク
空0そこは むかし 羊のいた牧草地だったという
空0羊のかわりにヒトがたくさんいて
空0海辺でもないのに水着になって
空0芝生の上に寝転がり 肌を焼いていた
空0影のないヒトたち
空0わたしは過去から迷い込んだ
空0一匹の羊なのか

 

渡米してすぐ、セントラルパークを訪れた日を描いた「笑う羊」。最初は日本では見慣れない光景を珍しく感じていただけだったが、観光に来たのでない長田さんは、この風景のただ中に飛び込み、新しい環境に溶け込もうとして、大胆に想像力を膨らませる。

 

空0ワタシは羊ナノデス
空0ぴょーん ぴょーん
空0飛び跳ねる
空0羊なのです
空0<中略>
空0わたしを助け出さないでください
空0わたしを連れ出さないでください

 

小学校の先生として、厳しい規律を身に染み込ませ、子供たちに教える立場であった彼女は、一転して自由の身になった。気力の漲った、飛び跳ねたくなるような爽快そのものの気分。生まれ変わったような解放感が伝わってくる。そしてこの、伝えたいことを細かいところまできちんと説明して伝えていくという姿勢は最後まで貫かれる。

長田さんは、次の詩「Take a Walk on the Wild Side」で留学を決意するに至った深層の理由を説明する。これから200ページにわたって延々と紡がれる留学の記録は、単なる異国への訪問記ではなく、人生を進展させるための重要なステップの記録なのだ。まじめな人の冒険にはそれなりの理由がなければならない。順を追って読者に対する説明責任を果たそうとするところがいかにも元教師らしい。
早朝、昨夜ラジオで流れていた歌の「Doo, do, doo」という掛け声と「Take a Walk on the Wild Side(危ない方の道を歩け)」という歌詞を思い出したことをきっかけに、作者は幼い頃の酷い体験に浸り込む。

 

空0「お父さんは、いません」
空0玄関先で早朝から訪れる借金取りに言うのがわたしの役目だった
空0父は逃げて行方不明
空0次々と商売を始めては失敗に次ぐ失敗
空0恋人の家に隠れているらしかったが
空0夜中になるとまた借金取りが来て
空0家のドアを怒声を上げて叩き続けていたっけ

 

長田さんの父親は事業に失敗し家族に負担をかけていたのだった。「Doo, do, doo」は、借金取りがドアを叩く音に重なる。しかし、ここでひねくれなかったのが長田さんのすごいところだ。父の二の舞を踏むまいと、勉強して教師になり、安定した生活を築くことができた。

 

空0手堅い仕事は世間的には立派だった
空0手堅い仕事は満身創痍であった
空0手堅い仕事は大変に屈辱的だった
空0手堅い仕事は四冊の自作詩集と建売住宅を与えた
空0手堅い仕事はそこで終わりにして
空0わたしは異国で暮らし始めた
空0永遠に遂げられなかった愛を成就させるために

 

どうやらこの語学留学は英語を取得することが第一目的ではないようなのだ。もっと根源的な目的、即ち、奔放な父親の失敗を見て、こうはなるまいとまじめ一筋に過酷な仕事に長い間打ち込んだ挙句、自分を本来あるべき自由な姿に戻すためなのだ。外国語の取得を口実に未知の世界に飛び出すこと。本来の長田さんは、新事業に挑んで敗れたお父さんのように、冒険をする性質の人だったのだ。まさに「Take a Walk on the Wild Side」そのものだ。

 

空0ああ お父さん
空0わたしも ここで
空0もう一つの命を始めます

 

故郷から遠く離れたニューヨークで、ようやく父親との「和解」を果たすことができたというわけだ。

そしてそれからは勉強、勉強。中年期に達してからの語学学習には困難が伴ったようだが、努力家の長田さんは持ち前のガッツで着実に実力をつけていく。そして休日、久々にのんびり過ごしていたところ、思いがけないニュースを耳にする。

 

空0え、地震? トーホク?
空0一時間前に起きた地震を知らせる赤い文字、
空0配信映像、クリック、
空0キャスターがヘルメットをかぶって叫んでいる
空0「落ち着いて行動してください!身の安全を確保してください!」

 

東日本大震災である。長田さんはあの大惨事をニューヨークで知ったのだった。この「ズーム・アウト、ズーム・イン そしてチェリー味のコカ・コーラ」は、詩集の中のハイライトとも言うべき、長大で手の込んだものとなる。インターネットを介して映像を食い入るように見続ける長田さんは、この世のものとも思えないような悲惨な光景にショックを受けながら、その災禍が自分の身にふりかかっていないことから、次のような感慨を覚える。

 

空0ズームアウト、上空から、
空0分裂したもうひとつの意識がむしろ画面と一体になってしまう、上空から、
空0なんでこんなに冷静なんだわたし!
空0リアリティ、
空0リアリティ、ってなんなんだ!

 

現場にいないのだから、冷静なのは実は当たり前なのだ。これが別の国で起こったことであればどんなに悲惨であってもそれは「ニュース」であり、冷静であることも自分で納得できただろう。しかし、長田さんは災害が起こった日本を故国とする人である。そのため現場に立ち会えなかった者特有の罪障感、つまり一種の意識の倒錯が訪れる。そして長田さんは咄嗟に、今いるニューヨークでかつて起こった惨事、あの9.11事件を思い起こす。

 

空0ニホンで
空0ツインタワーに飛行機が突っ込むのを見ていたあのときテレビで
空0ビルに突っ込む飛行機と黒い噴煙に圧倒されてビルの中にいる
空0数えきれない人たちに思いが及ぶまで時間がかかった
空0映像の中のツインタワーだった

 

メディアが発達した現在、我々は大災害を、まず映像を見ることで体験するのが普通だ。そして、映像の中で多くの人が苦しんでいるのにもかかわらず、自分が掠り傷一つ負っていないことに違和感を覚えてしまうのだ。長田さんが日本にいたならば、たとえ被害に遭わなかったとしても、東日本大震災を自分の問題として受け止めることができただろう。周りに被害者を悼み、救済について考え、日本の将来を憂える、共感してくれる知人がたくさんいるからだ。しかし、ここはニューヨークだ。共感の輪の中にいない長田さんは、かつてニューヨークで起こった悲劇を、今日本で起こったばかりの悲劇と、「テレビの映像を見た」という体験の共通項で衝動的に結びつけてしまう。
いかにショックを受けていると言っても、日常生活を送らないわけにはいかない。猫に餌をやったり、洗濯したり。そして長田さんは原発についてのアメリカでの報道と日本での報道の違いを気にしたりしながら、次のようなことも書く。

 

空0いつものようにベーグルや水や果物を買いに出掛けるついでに
空0お気に入りのバナナリパブリックやGAPでのウィンドウショッピング
空0傷物のトレンチコートが百ドルで売られているのを見つけて買ってしまう
空0裏地は白に水色のストライプの布がとってもキュートな
空0“This is really beautiful” (これ、ほんとに素敵ですよね)
空0店員さんが言いながら袋に詰める横顔を見て大いに満足する
空0<中略>
空0朝 ニューヨーク三月十三日
空0泣きはらした目で支度をし
空0クラスメイトとバスでハーレムを横切ってクロイスターズ美術館に出掛ける
空0会うなり百ドルで買ったトレンチコートの自慢をする

 

実はこうした何気ない日常の描写がこの作品のうま味を作っているのだ。泣くほど衝撃を受けているのに、同時にのんびりと生活を楽しんでしまう、人間の二面性を、長田さんは細やかなタッチできびきびと描いている。オイスターバーの料理に舌鼓を打って帰宅すると、フクシマ第一原発が爆発したことを知る。

 

空0有名なニュースアンカーが被災地の報告をする
空0立っている場所はどう見てもトーキョーのどこか
空0同じだよ、
空0わたしもこんなに嘘くさい
空0遠い、ヨコハマ、遠い、トーキョー、センダイ、トーホク!
空0ズーム・アウト、わたし、上空から、わたし、ズーム・イン、
空0ぐうたら、ぐうたら、ズーム・イン、ズーム・アウト、
空0地震、火災、家屋倒壊、津波、余震、死者多数、死者多数、原発爆発!、原発爆発!!

 

いろいろな感情が錯綜し、混乱した長田さんは自分を「嘘くさい」と感じるようになり、落ち着きを失ってしまう。翌日の「午後のマイク先生の授業」では、何と皆の前で一時間も一人で地震や原発についての考えを喋ってしまうのだ。

 

空0眉間に皺を寄せて喋り続けてしまって喋るのが止まらなくなってしまって
空0マーク先生はわたしの話を遮らずに最後まで聞いていた
空0午前中、映画のCGみたいだったね、と無邪気に喋っていたクラスメイトたちも
空0黙り込んで下を向いていた

 

このクラスはすごく良いクラスだと思う。一人の生徒の心の痛みを皆で受け止めようとしてくれるのだから。言いたいことのある人が喋り、周りは真剣に聞いて理解する。言葉の教育とはこうあるべきではないだろうか。マイク先生は「もし、世界で一つだけ変えられることがあるなら、わたしは……」というテーマで作文の宿題を出し、長田さんは一週間後に原発事故について書いたエッセイを提出する。そのエッセイは英語の原文と日本語の訳文の両方でまるまる詩の中に引用される。長くなるので引用は避けるが、高揚した気分が伝わってくる熱い文章である。そして詩は、「たとえば/葬儀に参列したとき/きゅうに、ぷうっと吹き出したくなる/あの感じ」を想起しながら

 

空0同じだよ
空0わたしも
空0こんなに
空0嘘くさい
空0そらぞらしい

 

と締めくくられる。この詩全体は、海外に身を置いて東日本大震災のニュースに接した日本人の意識を生々しく書き留めた、非常に貴重な記録となるだろう。ここには、矛盾する行動と心理の混淆が、場面に即して精確に描かれている。現実というものはこうしたものなのだろう。「嘘くさい」のリフレインは、逆に作者の率直さの表れである。この「率直」をできるだけ落とさず、余さずに読者に説明するというのが、この本詩集のスタイルだ。

長田さんは語学学校の学生であり、そこには様々な地域から訪れた学生がいる。当然、文化の違いに敏感にならざるを得ない。「蛙の卵管、もしくはたくさんの眼について」は自作の英文の詩の引用から始まる。蛙の卵の一つが「僕」という話者として語るというもの。兄弟たちは成長してオタマジャクシになり、水から出ていくが、「僕」は卵のまま水の中に留まっていつしか干からびてしまう、そして「空に浮かぶ眼」となり、いつしか空で兄弟たちと再会し、また蛙の卵管に入っていく、という内容である。これもマーク先生の教室に提出されたものだ。

 

空0きょう
空0creative writingの授業で
空0マーク先生は
空0とてもよい詩だ、と褒めた後で
空0実はまったくわからないのだ
空0輪廻転生ということが……
空0キリスト教では
空0死は完全に終わってしまうことだから
空0穏やかに微笑みながら言った

 

このマーク先生という人は「自分はエジプト人とポーランド人の/血が混じっていると/誇らしげに」話すキリスト教徒ということだが、日本人の男女から生まれ、つきあう人々も皆日本人という環境で育った長田さんも実は教会に通っていたのだった。

 

空0田圃で蛙の卵塊を見かけるたびに
空0怖くなって走って家に帰ったあの頃
空0河岸段丘の底の小さな集落から
空0斜面に沿った急な坂道を登って
空0山の上の町に行き
空0そこをさらに横切って西に歩き
空0教会のある幼稚園に通った
空0礼拝の日は入口で神父様の前でひざまづき
空0パンを口に入れてもらったのだ

 

更に次のような告白をする。

 

空0幼い頃
空0いつも誰かに監視されているように感じていたんだ
空0小さな集落や教会のある町はわたしを縛りつけるたくさんの眼だった
空0強い結束が絡み合った大きな家族のようだった

 

同じキリスト教の経験でも随分違う。マイク先生の場合、異なる習慣を持つ多民族が共生する環境の中で、キリスト教が皆を束ねる軸の役割を果たしていたのではないだろうか。長田さんの場合は、互いを見張るような関係の密な村落の中で、教会はたまたまそこにあったものの一つでしかなかった。何しろ「幼稚園に行かない朝は/お仏壇にお線香をあげて拝みました」というのだから。

 

空0ずっと人の眼が怖かった
空0いや、自分の眼だ
空0人の眼は自分の眼だ
空0とてつもなく捻じれたコンプレックスの闇だ

 

長田さんは蛙の卵の詩を書くことによって、「眼」と対決しようとしていたのだった。しかし、ニューヨークには「わたしを見るたくさんの眼はどこにもない」。

 

空0Oh My God! Frog’s fallopian tubes are Chinese dessert ingredients!
空0(なぁんだ! それはチュウゴクのデザートの食材だよ!)

 

こんな声があがり、教室は爆笑の渦に包まれる。外からの「眼」によって相対化された蛙の卵は、凝り固まった自意識を解きほぐす。長田さんはふっきれた気分になり、明日はチャイナタウンで蛙の卵を食べようと決意するのだ。

ニューヨークでの生活も長くなってくるとちょっとした冒険もしたくなる。「DAYS/スパイス」は、「メキシコ料理店でホモセクシュアルやゲイやトランスジェンダーの人たちが/集まるパーティがあるから行かない?」とメキシコ系の女友達に誘われた時のことを書いた詩。長田さんは、メキシコ料理を食べてみたいという単純な思いから店に足を運ぶ。聞かされた通り、皆「とてもいい人たち」で、「どの人も穏やかな笑顔でずっと前から知り合いだったみたいに話しかけてくれた」。おいしい料理を堪能し、女友達に誘われて二階のダンスホールに行く。

 

空0階段を上がり終わったら急にアップテンポの曲が始まり
空0もともとダンサーの彼女はカクテルを頼むのもそこそこに
空0めまぐるしく交差する赤や黄色や青や白のライトの下で
空0ここぞとばかりに気持ちよさそうに全身を躍動させて踊り始め
空0わたしはあっという間に彼女を見失った

 

「料理を食べる」という目的を果たし、頼りにする知り合いを見失った長田さんは宙に浮いた存在になってしまう。店の隅っこでカクテルを飲んでいた長田さんだが、ここで「アクシデント」が起こる。

 

空0音楽が急にスローになり肩幅が広くて胸の厚い男の腕に肘を引っぱられた
空0ちらっと見えた大柄の男の横顔は浅黒いメキシコ系だった
空0顔を見たのはそのときだけだった
空0手をとって一緒に踊ろうというしぐさをしたかと思うと
空0すでにわたしの身体は男の分厚い胸や太い腕に抱きすくめられ
空0マリオネットのように男と一緒に踊っていた
空0赤や黄色や青や白の線状のライトも音楽のテンポに合わせてスローな動きになっていた
空0悪い気分ではなかったボタンの留められていない男の上着が
空0大きな翼のようにわたしの細い身体をくるみむしろすっかり安堵していた
空0留学生活はまるで薄氷の上を歩くみたいに冷や汗の連続だから
空0スパイシーな体臭さえも心地良くわたしの鼻を満足させた

 

映画のような豊かで細密な描写に魅せられる。ここで注目すべきは「顔を見たのはそのときだけだった」という一行だ。ダンスに誘われた長田さんは相手を個人としては認識していない。酒に酔い空気に酔い、その流れで、「異国の男」に酔ったのだ。

 

空0わたしは指先に弛んだ男の贅肉を見つけてちょっとだけ摘んでみた衝動的に
空0いつのまにか目を閉じていたはじめから目は閉じていたのかもしれない
空0それから男はわたしの唇に唇を押しあててきた
空0すごく柔らかい唇だった厚くて少し湿った唇はわたしの唇のうえを蠕動し
空0何年も前からわたしたちは恋人同士だったかのように自然に口づけをしながら
空0男の大きな懐に自分の身体をまかせていた
空0両方の掌を男の肌にぴったりあてたたまま
空0男がそっとわたしの口の中に舌をすべり込ませてきても自然に受け入れた
空0男はわたしの舌をも尊重かのするような人格のある舌をゆっくりと動かし舌と舌は
空0うっとりと絡み合いつづけ時がたつことなんかすっかり忘れていた
空0男はそれ以上のことはしなかったしわたしもそれだけでよかった

 

堅実な元教師で勤勉な学生である長田さんの隠れていた一面がくっきりと浮かび上がる。もし長田さんが日本にいたなら絶対にこのような行動はとらなかっただろう。誰しもなりふりかまわず官能に身を任せてみたいと思う時はある。が、若い頃はともかくある年齢を迎え社会的な地位ができると、歳相応・地位相応の振る舞いをするようになる。それを、分別がついた、と世間では言うのである。長田さんは、束縛の強い村から束縛の強い学校へと、「分をわきまえる」ことを強いられる生活を送ってきた。愛する男性との生活も「結婚」という枠の中で営まれてきた。まじめに、堅実に、悪く言えば小心者として、半生を送ってきた長田さんは、ここで一個の生命体としての欲求に身を任せることをしてみたのだ。

 

空0店を出てタクシーに乗るころには
空0わたしは男のこともメキシコ料理の味もすっかり忘れていた
空0柔らかく蠕動する唇と人格をもったような舌の動きだけは覚えていた

 

男のことは忘れたけれど「舌の動き」だけは覚えている―そのはずである。舌は、相手の男の部位であることを超えて、長田さんが自身の心と身体の自由を感じる、生きている律動そのものだったのだから。

この詩集は、留学生活の様々な局面を、具体的に描写することで成り立っている。いつ、どこで、誰が、何をした、ということが小説のようにきちんと明示的に書かれている。作者の内面を暗示的な方法で描くことを軸とした現代詩の多くとは、対称的な書法であると言って良いだろう。暗喩を中心とした書法では、読者が「何となく類推できること」から遠くへは行けない。だが、この小説的な、明示的な書法であれば、複雑な状況をその状況に即して幾らでも細かく描くことができる。散文的な手法を取り入れてはいるが、本作はあくまで詩であって小説ではない。表現の軸は、その時々の心の震えを言葉の律動として際立たせることにあり、そこから決してブレることはない。詩の表現の幅をぐーんと広げる、新しい書き方であると言えよう。
そして長田さんは散文性を大胆に取り入れた書法で、その時その時の自分を、ある時は外からある時は内から、しっかり眺め、その像を読者にしっかり伝えようとしている。まるで教室で30名程の人を相手に発表を行うかのように。一番後の席の人にも届くようにはっきりした発音で、じっくり丁寧に順序立てて、自分の一世一代の体験の意味をわかってもらおうとしている。
そこに長田さんの生来のきまじめな性格が明確に表れる。それは、強いられたのでない、内側から湧き出るきまじめさなのだ。