恐怖の下痢

 

みわ はるか

 
 

定期的に通っている定食屋さんで、平日の夜わたしは初めて定食以外のものを注文した。
当然何かご飯ものを頼むだろうと思っていたと思われる肌が雪のように白い店員さんは少し驚いていた。
アップルパイとアイスティーを注文したのだ。
甘いものがそんなに得意ではないけれどあのときのアップルパイは世界一美味しく感じた。
食べられる、美味しく食べられる。
ただただ嬉しかった。
そう、1日前までわたしはポカリスエットしか飲めなかったのだ。
1週間下痢に悩まされていたからだ。
頬はこけ、みるみる体重は落ち、布団から起き上がれなかった。
固形物を食すのがこの世の終わりかと思うくらい怖かった。
結論:下痢は辛い。

熱発や関節痛もあったためしばらく職場を休んだ。
ほとんどの時間を布団の上で過ごしたのだが、気分転換に少し外に出てみた。
そうすると、普段だったら知ることのない音や光景ががたくさん見えてきた。
マンションの上の方から布団を布団たたきでたたいて干す音。
ミニチュアダックスフンドをゆっくりゆっくり散歩させる高齢の夫婦。
何が建つか分からないけれど、まっさらな土地の上で何やら物差しで長さを測り続けている人。
畑をきれいに耕して立派なスナップエンドウを育てている人。
近くにある川はわたしの状況なんか関係なく淀みなく流れていたし、窓から見える中学校からは12時を知らせる
鐘が遠慮なく鳴っていた。

夕方になるとぺちゃくちゃおしゃべりを楽しむ中学生の集団が至るところに見られた。
テニスラケットを背負っている子、剣道の竹刀を担いでいる子、習字道具をぶら下げている子。
みんなケラケラ笑いながら流れる川の上の橋を渡っていた。
一日がこうして終わっていくんだなと思った。
客観的に見る機会は少ない。
これはとても不思議な気持ちで貴重な時間だった。

下痢は本当に本当に辛かったけれど、なんだかな、いいこともあったな。
そんな今回は汚い話。

 

 

 

与謝野晶子になぞらえて、弟へ

 

みわ はるか

 
 

誰も使わなくなった机、ベッド、中身がごっそり抜かれた本棚。
がらんとした8畳ほどの部屋はがらんとしていた。
机の下には持って行き忘れただろうお気に入りだと言っていたボールペンが転がっていた。
ベッドの上には趣味のバイクのパンフレットが置かれたままだ。
窓を開けるとちょうど西日が眩しくて反射的に目を閉じた。
淡いオレンジ色の西空はなんだか余計に心を寂しくさせた。

2019年、3月、弟は4月からの就職のため家を出た。

8年前まだ高校2年生だったあなたから色んなものを奪ってしまって本当に申し訳ないと思ってる。
お詫びと言っても許してもらえないかもしれないけれど、大学進学やその後の悩みには心から対応したつもりです。

8年前、わたしの体調がものすごくすぐれなかったこと、その他もろもろの事情で弟とは別々で暮らすことにした。
弟から母親を奪ってしまった。
遠くではないけれどお弁当とか、話したいこととかきっとたくさんあったはずなのに。
わたしのわがままで一瞬で環境を変えてしまった。
本当にあの時はごめんね。
もっとよく考えるべきだったと後悔ばかりが張り付いている。
戻れるのなら本当に戻りたい。

体調が少しずつよくなったわたしは頻繁に実家に帰るようになった。
弟は外からは分からなかったけど、話すと色々鬱憤がたまっているようだった。
その時わたしは決めた。
弟が社会に貢献する年になるまでわたしは自分のことは考えないようにしよう、いつでも何かできるように身軽でいよう。
それが贖罪だと思った。

そのうちに弟は受験生になった。
数学や物理は教えることはできたけど、ごめん、古典や漢文はお手上げだった。
論理的に考えれば1つの答えにたどりつける類は好きだったけれど、難解な助詞や難しい漢字が次々と出てくる文章は苦手だった。
希望している大学をわたしは勝手に下見に行った。
その日は雪がしんしんと降っていてものすごく寒かった。
バスの窓から大学の門扉が見えたとき無事に到着したことにほっとした。
時計がついた高い塔はモダンでお洒落だった。
なんでだろう、その時計にむかって「無事に合格できますように」とお祈りした。
雪はいつのまにかやんでいた。

着なれないスーツを身にまとったあなたはその時計台の前にいた。
にこにことした朗らかな顔だった。
その横には「入学式」と書かれた色紙台が立てかけてあった。
希望に満ちた新しいスタートだった。
大学院まで進んだあなたにはたくさんの友人ができたと聞いた。
偉そうに言うわけではないけれど、学生時代の友人は生涯の友人になる。
ぜひ、これから先も大切にしてほしい。
同じ時間を同じ場所で過ごした人の間には分かり合えるものがあると思う。
辛い課題もたくさんあったと聞いた。
それは隣に一緒に頑張った友人がいたからではないですか?
きちんとこなしたあなたは本当に偉い。
新しい趣味もいつのまにか見つけていた。
全国各地を巡るキャンプ、骨折もしてしまったけれど風を切って走る心地よさを味わえるバイク(本当はやめてほしいけど)。
色んな事が経験できた6年間は貴重だったね。
自分のやりたいことができる会社に入れてよかったね。
また違う景色を見て色んな事を感じて考えて行動するといいと思うよ。
どうしても嫌になったら帰ってこればいいさ。

鬱陶しい姉だったと思う。
心配性のわたしは長々と色んな用件でメールをした。
「分かった」と返信が来るときはまだいいほうでたいてい既読スル—だった。
それでも事あるごとに送り続けたことはさすがに反省してる。
引っ越しの荷物を積めているとき「お姉ちゃんがいてくれてよかったわ。」とぼそっと言われたことは生涯忘れないと思う。
大切に心の中にしまっておこうと思う。

この4月からは過度に干渉するのは卒業します。
自分の人生を好きなように生きてくれ。
行きたい方向へ羽ばたいてくれ。
人生は有限で意外と短い。

卒業、本当におめでとう。

 

 

 

名古屋-京都-博多 旅行記録

 

みわ はるか

 
 

こんなにもたくさん笑ったのはいつぶりだろう。
保育園のころ、桃色のつばが広い帽子をみんなでかぶって、隣の子と手をつないで桜並木の下を歩いたときと同じ気持ちだったような気がする。
見るものが全て新鮮で、人が優しかった。
大事な人の大事な人が自分にとっても大切にしたいと思えた旅だった。

わたしの大切な友人と、友人の小さいころからの幼馴染に会いに名古屋から博多に行く予定を前々からたてていた。
ひょんなことから、その道中で友人の大学時代の神戸の友人と京都で落ち合うことになった。
この時点でわたしは2日間の旅行のうちに知らない人2人にあってご飯を食べなければいけなくなった。
それは新しい出会いで楽しみでもあったけど、少しだけ、ほんの少しだけ不安でもあった。
「2人ともいい人だよ~。大丈夫。」って言われたけど日が近づくにつれてどきどきしてきた。
その時のことを忘れないうちに、記憶が鮮明なうちにここに記録しておこうと思う。

その日は風は冷たかったけれど青い空が広がっていて気持ちのいい日だった。
京都駅、神戸の人と会う時が来た。
いきなり現れたその人はわたしが想像していた人とは違った。
そんなに背は高くなくて、でもわりと顔は端正で、折り畳み式の自転車を持っていた。
適当に挨拶だけすませて、ご飯を食べに行くことにした。
でもその日は休日の京都駅。
どこも駅中のお店は人ばかりで困ってしまった。
でもその人はいつのまにか京都駅近くのお店をあっという間に予約してくれて連れて行ってくれた。
京都駅からすぐ近くのお店で、あっさりしたものが食べたかったわたしの希望通りのお店だった。
移動しているとき空が見えた。
「空がきれいですね~。飛行機雲もある!」
ちょっと気を遣ってわたしが言ったのにその人は
「本当に!?あの辺雲ばっかりだけど大丈夫?」
もう笑うしかなかった。
変な人~、関西の人はこんな感じなのかなと思い始めたのは多分この時からだったと記憶している。
お店でご飯を食べ終わるとさっとその人は立ち上がってあっという間にお会計を済ませてくれた。
スマートだった。
「まけてもらって50円だったから楽勝だった!」
そんな風にして帰ってきたその人はいい笑顔だった。
改札で別れるとき友人同士は普通に握手をしていた。
わたしも握手をしたかった。
手を差し出してみた。
目を合わせてくれなかった。
ちょっとしたら目を合わさずに、わたしが差し出した右手に対して左手を出してきた。
不満気にわたしがもう一度右手を出したら、今度は少し照れたように目をしっかり合わせて右手を出してくれた。
温かい手だった。
「その持ってきた折り畳み自転車で京都から神戸まで帰るんですよね 笑??」とわたしが言うと
その人は「うるさいわっ 笑」と言い残して去って行った。
3人で京都駅の前で撮った写真は大切な大切な思い出になった。
何度も何度も見返している。
その人は変な人だったけどわたしは結構好きになった。

博多に着いた。
夜ご飯は2人目の知らない人、友人の幼馴染と水炊きを食べることになっていた。
また少し緊張してきた。
ホテルのロビーに現れたその人はわたしよりも小柄でとても人懐っこい笑顔をしていた。
初めて現れたわたしにとても親切にしてくれてずーっとにこにこしていた。
神戸の人とは全然タイプが違う人だった。
連れて行ってくれたお店の水炊きは本当に本当においしかった。
転勤で全国を周っているその人は色んな土地の話をしてくれた。
小さいころの話もたくさんしてくれた。
たらこも、水炊きも、あご出汁も大好きになった。
最後にわたしがどうしても行きたかった中州や天神の屋台へ連れて行ってくれた。
そこまでは少し距離があって歩かなければならなかった。
その途中スマホでわたしたちを撮ってくれることになったのだけれどガラケーを普段使っているその人は操作に苦労していた。
「なんか、自分の顔が写っちゃったよー!」
慌ててスマホを渡されると、そこにはその人のにこにこしたドアップの写真が記録されていた。
3人で大きな声で笑った。夜空に響くくらい笑った。
もちろんその写真は3人各々の携帯に保存されている。
天神の屋台は想像通りいい雰囲気でご飯もおいしかった。
3人で身を寄せ合ってずるずるすすったうどん、3人で分けっこして食べたアツアツの餃子、3人でグラスを突き合わせて飲んだお酒。
いい夜だった。
星がきれいだった。
その人の笑顔はもっときれいだった。

大人になると遠足に行く前の園児の気持ちになるようなことはほとんどない。
何かしら不安がつきまとう。
これからのことを考えると怖い。
でもこんないい時もあるんだなとこの日は思えた。
また会いたいなと思った。
またみんなで空を見たいと思った。

旅に連れ出してくれた大切な友人には心から感謝しています。
ありがとう。

 

 

 

 

みわ はるか

 
 

きれいなものを見た。
ものすごく久しぶりに美しいものを見た。

美容院の帰りに本屋に寄った。
以前より友人から薦められていた本を探すためだ。
わたしの要領が悪いのか、その本はなかなか見つからなかった。
書店員の人はみんな忙しそうに動き回っていたので話しかけるのが憚られたが尋ねることにした。
その少女は高校生くらいだろうか。
既定だと思われる白のブラウスに黒のパンツ、その上から緑色のエプロンをつけていた。
しゃがみこんで段ボールからたくさんの本を出し入れしていた。
黒い長いつやつやした髪をポニーテールできちんと束ねた後姿は清楚な印象だった。
「すいません、○○さんの本がどうしても見つからなくて。探してもらいたいのですが。」
わたしは遠慮がちに声をかけた。
すぐにくるっとわたしの方を振り返った少女はまっすぐにわたしの目を見て、
「はい、お探しいたします。少々お待ちいただけますか?」
はっきりとした口調で、嫌なそぶりも全く見せず快く引き受けてくれた。
その時見た彼女の瞳は本当に本当に美しかった。
こんな目をした人を最後に見たのはどれくらい前だろう。
思い出せなかった。
一生懸命な目だった。
わたしの力になろうとしてくれた心からの瞳だった。
黒くくりっとしていてきらきらしたどこか透き通るようなそんな印象だった。
立ち上がった彼女は思いのほか背が高くすたすたすたと歩きだした。
白のブラウスはきちんとアイロンがかけてあるのだろう。
清潔感があった。
さすが書店員さんである。
ものすごく早くその本は見つかった。
「お待たせしました。お探しの本はこの辺りになります。」
はにかんだ笑顔で案内してくれた。
笑うと人の目は欠けた月のようになるけれど、それはそれで可愛らしかった。
任務を終えた彼女はまたすたすたすたと仕事に戻って行った。
なんて気分のいい瞬間になったことだろう。
寒い雪の降る外出先から家に帰って、温かい紅茶を飲んだ時のような気分だった。

色んな瞳がある。
幸せな瞳、威圧感のある瞳、敵視している瞳、攻撃的な瞳、めんどくさそうな瞳、絶望している瞳。
目は口ほどに物を言うと言うけれど本当だなと感じる。

また彼女のような美しい瞳を持った人に出会いたいなと思う。
自分もそうなれるようになれたらなとも思う。

雪がちらちらと舞っていたそんな昼下がりの話。

 

 

 

ある事故を知って

 

みわ はるか

 
 

坂本九の歌がいいなぁと前から思っていました。
切なくて、前向きで、でもやっぱり悲しくて。
昭和の名曲だなぁとしみじみ思います。
40代で亡くなった理由をつい最近まで知りませんでした。
それがとても大きな事故で、語り継がれるべき話であるのにわたしは知りませんでした。
食い入るようにネットの記事を読み、何度もフライトレコーダーを動画で見ました。
それは、わたしにとって、ひとつひとつがものすごく衝撃的な内容でした。
どんな気持ちで揺れ動く機体の中で時を過ごしたのか。
どんな気持ちで機長はハンドルを握っていたのか。
最後、もうだめだと分かったとき何百人もの人たちは頭の中で何を思い描いたのだろうか。

事故を知った遺族の人たちもまたやりきれない気持ちでいっぱいになったのだと思います。
またすぐ会えると思っていた家族、友人、恋人。
ばいばーいと手を振って別れたばかりだった人ともう二度とは会えなくて。
それはわたしなんかが想像するよりももっともっと辛い感情のどん底に突き落とされた感じなのだと思います。

当時の機長の奥さんのインタビューがテレビで流れていました。
「生前より主人は申しておりました。
絶対に事故はしない。だけれども、もしおこってしまった時にはそれはどんな理由であろうともわたしの責任である。」
と。
それは、仕事に誇りを持った人だけが言える素敵な言葉だと思いました。

この事故に対しては、色んな立場の人が、色んな角度から意見を出しています。
わたしはこの事故の詳細を恥ずかしいことに最近知ったばかりで知らないことの方が多いです。
だから、今、そのことに関して書かれた本を読んでいます。
もっともっと知りたいのです。
日本人として知りたいのです。
そして、その時の人たちの感情を少しでもすくい取ることができたら、今生きている人間として少し認められるような気がするのです。

 

 

 

 

みわ はるか

 
 

鍋の具材をスーパーで見ていた。
ネギ、豆腐、しいたけ、えのき、つくね団子、ウインナー、もやし、お肉・・・・・・・。
ぐつぐつ煮たっている鍋の様子を想像する。
時々ピシャッとつゆが飛んだりする、
時間とともに出汁のいい香りがしてくる。
野菜はしんなりして、お肉の赤身は消える。
みんなが一つの鍋の中で、色んな色で輝いている。
それを友人みんなでのぞきこむ。
ただただ見つめる。
そんな時間が好きです。
そんな風に一緒に時を過ごせる友人は宝物です。
ずーっとこの時間が続けばいいのになと思う。
でもきっとそれは無理なんだろうなとぼーっと鍋の湯気にあたりながら感じる。
みんなそれぞれにライフステージがあって、優先順位が変わってくるから。
何から食べようかなんて考えてなくて、鍋の会が終わった後のことを考えている人がいるかもしれない。
来週末の予定を練っている人もいるかもしれない。
鍋のことだけを考えている人が一体どれくらいいるんだろう。
友人は大切だけれど、もっともっと大事なものがみんなの周りにはたくさんあるような気がする。
煮立ちすぎた鍋は味が濃縮して何度も咳き込んだ。
しめのご飯を投入した鍋はそんなにおいしくなかった。

 
私事ですが、最近調子があまりよくないようです。
短いですがこれだけしか書けません。
でもこれからもずっと書き続けたいと思っていますのでよろしくお願いいたします。

 

 

 

文学と日本酒と

 

みわ はるか

 
 

高校1年で初めて実施された校外模試で早々に志望校を書くようにと担任から指示があった。
その時のわたしは絶対にこれになりたいとか、この大学に行きたいとか全くなかったため困った。
ただおぼろけながら文学部に行けたらなとは思っていたので、近隣の大学の文学部を第一志望校に書いた。
なんとなくだけれど、哲学とか文学者とかの思想を学びたいと感じていたし、あわよくば大学にずっと残って研究できたらなと思っていた。
ちょうど担任は文学部卒だった。
その先生によると、文学部の卒業後の進み先は狭い範囲だそうだ。
昨今も新聞やテレビで取り上げられているけれどそうなのかもしれない。
研究者だってほんの一握りしかなれないし・・・・。
致命的だったのはわたしは世界史や日本史を好きにはなれなかった。
カタカナで並ぶ横文字や、複雑に列をなす漢字にも親しみをもてなかった。
国語の古文や漢文もチンプンカンプンだった。
今では全く畑違いの人生を送っている。
だけれども、文学部が決して無駄な学部だとは思わないし、わたしは素敵な学部だと信じている。
最近、ある記事でとても感銘を受けた文章があるのでここに残しておきたいと思う。

ある大学の文学部長の話。

文学部の学問が本領を発揮するのは人生の岐路にたったときではないか。
人生には様々な苦難が必ずやってくる。
恋人にふられたとき、仕事に行き詰ったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、
自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、
自らの死に直面したとき・・・・。
その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考えるてがかりをきっと与えてくれます。
しかも簡単な答えは与えてくれません。
ただ、これらの問題を考えている間は、その問題をを対象化し、客観的に捉えることができる。
それは、その問題から自由でいられるということでもあるのです。
これは、人間に与えられた究極の自由であるという言い方もできるのです。
人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。
その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であると思うのです。
人文学は人生の岐路に立ったときに真価を発揮するという。
特に人文系に対する風当たりが強い昨今、こんなにも力があるんだよということを伝えたい。
世の中に対し顔を上げて生きていってもらえたらと。
肉体的、精神的につらい状態にあるときに、考えることがつらさを和らげてくれるという実感は何度か経験しております。   ※

とてもわたしの心に響きました。
無駄なことはやっぱりないんだなと感じました。
素敵な文章だと思います。
 

 
さて、最近また少しずつ外でお酒を飲むようになりました。
今実は日本酒に興味があります。
全然詳しくないのですが、飲みやすくて、とっくりがかわいいのが気に入っています。
昔、おじいちゃんが熱燗を毎日家で飲んでいたことを思い出します。
ただ、残念ながら周りに日本酒が好きな人がいないのです。
誰かと楽しく飲めたら素敵だなと思います。
熱燗も冷酒もいいものですね。
おでんなんかにも合うのかな。
どうなんだろう。
まだまだ未知の世界です。

秋はどんどん深まっています。

 
 

※2012年 朝日新聞より引用

 

 

 

2018 夏の終わりを迎えて

 

みわ はるか

 
 

台風が容赦なくたくさんやってきた夏だった。
ものすごい勢力の風と大粒の雨を一度にふりまいていった。
ニュースによると、各地のいたるところで交通網は麻痺し、車は横転。
家を飛ばされた人や、浸水被害にあった人まで。
テレビの画面を通してみる世界は恐ろしいものだった。
日本は自然災害にわりと多く見舞われる地域だとはいわれているが、こうも頻繁に来られては疲労困憊である。
被害にあわれた方が一生懸命に前を向いて掃除や後片付けをしている姿には本当に心がうたれた。
もちろん他人事ではないのでそういう時に備えた対策をしなければと思う。
小学生だったころは台風や大雪が降った日なんかはなんだかどきどきわくわくしていた気がする。
非日常な光景に教室の窓から食い入るように見つめていた。
友達とこれはすごいねすごいねと言葉を交わすことで気持ちが変に高まっていた。
だがしかし、大人になった今そんなことは言ってられない。
風でもしガラスが割れたら、もし雨漏りしたら、考えても考えても嫌な光景ばかりよぎる。
雪の中いくら除雪がしてあるとはいえ車での運転はものすごく億劫だ。
天気予報で台風の接近や大雪情報が流れようものならうらめしくお天気お姉さんを見る日々だ。
ただ、防ぎきれるものでもないのでどこかあきらめている自分もいる。
日本全国の大人のみなさんはそんな感じなのかな??

9月半ばにに東京へ行った。
妹の所へ行った。
日本橋や人形町、資生堂パーラー、銀座SIXなど少し観光もしたけれど普通にスーパーとか近所の図書館へも行った。
東京の野菜は驚くほど高かった。
この夏は元々野菜が高値になっていたこととも関係あるのだろうけれどびっくりした。
普通に一緒にご飯を作って、食べて、ゴミをまとめてゴミ捨て場まで持って行った。
ただただ普通のことだけれど、わたしが知らない間に妹はたくましく一人で生きていた。
あの複雑な鉄道も乗りこなしていたし、ゴミの分別もきちんとしていたし、図書館で小難しそうな本も借りていた。
時間になったら起きて仕事に向かっていたし、昼休みの時間を利用して銀行にも足を運んでいた。
遠いところに住んでいるのでやっぱり心配だけれど、姉が思う以上に妹は強かった。
わたしが行きたかった観光地も嫌な顔せずに予定をたててくれて一緒に行ってくれた。
最後東京駅でお土産を選ぶときも優柔不断でなかなか決められないわたしに根気強く付き合ってくれた。
新幹線の時間が近づき改札まで送ってくれた。
その姿はやっぱりたくましかった。
わたしは安心して帰りの新幹線に乗ることができた。
この夏、妹と会えてよかったと思った。
数時間して地元の最寄駅に着いた。
田園風景と山々が広がっている。
ふぅ~と深呼吸した。
わたしは田舎の方がやっぱり好きだなと思った。
とぼとぼとキャリーケースを引きながら、夜風に当たりながら家までの道を歩いた。
その日の月は半月で深い輝きがあった。

10月がやってきた。
わたしが大好きなモンブランが出回る季節だ。
鈴虫の鳴き声も心地いい。
落ち葉をくしゃくしゃと靴で踏む音は面白い。
ベランダにつるしてあった銅製の風鈴を回収しながら秋の到来を楽しむ気持ちがわいてきた。

 

 

 

盆踊り大会

 

みわ はるか

 
 

「久しぶりに地元の盆踊り大会に行かない?花火もあるって!」
数年ぶりに幼馴染から来たメールだ。
「いいね。うん行くよ。確か変わってなければ役場からシャトルバスが出てるはずだからそれで行こう。」
わたしはすぐに返信した。
送信ボタンを押し終えると数年ぶりに会う彼女のことを考えた。
どんな人になっているだろう。
そして自分はどんな風に見られるのだろう。
色んなことを想像しながら、さて、自分は何を着ていこうかなとクローゼットの中の服を思い浮かべた。

8月15日はわたしの故郷の盆踊り大会が開かれる日だ。
雨が降ろうが風が吹こうが必ずこの日だ。
よっぽどのことのがない限り最後の花火まで強行突破される。
延期はない。
ドーム状の形をした舞台では遠方から招待した少し有名な人たちが踊ったり歌ったりする。
メイン会場の中央ではみんなが輪になっててぬぐいを持ちながら踊る。
屋台もたくさん出るけれどわたしの一番のお気に入りはきらきら光るブレスレットやイヤリングを売っていたお店。
それを身に着けると不思議と心はうきうきしてその日だけ特別なお姫様になったような気分だった。
その魔法は残念ながら次の日には消えてしまうのだけれど・・・。
もともとコテージが周りにはたくさんあったので遠方からの人もそこそこ来ていた。
湖が売りだったため山々に囲まれたそこはとても静かで落ち着いた場所だった。
打ち上げる花火が空だけでなく湖にも映って鏡のようになる瞬間、それは本当に美しかった。
今まで何ヵ所かで花火を見たことがあるけれど、今でも故郷の花火が一番きれいだと信じている。

急いで車を走らせて役場に着くともうその友人は到着していた。
栗色に染めたきれいな髪の毛に少しパーマをあてポニーテールでまとめていた。
白い無地のワンピースは彼女の肌の白さを際立たせていたしとてもよく似合っていた。
眼鏡屋さんのショーケースに入っているようなものすごくおしゃれな丸眼鏡には思わず「それ度は入ってるの?」と突っ込んでしまった。
「入ってる、入ってる!ボーナスで思い切って買ったんだ!」
聞いた値段に本当に驚いたけれど、ケラケラケラケラ笑う彼女は昔となにも変わっていなくてほっとした。
シャトルバスの中でも会場でも色んな話をした。
仕事のこと、両親のこと、兄弟のこと、友人のこと・・・・・・。
話す内容は子供のころとはまるで違ったけれど(当たり前なのかもしれないけれど・・・)彼女は前向きだった。
確か大人になって久しぶりに会ったのは共通の友人の葬儀だったと記憶している。
同級生を若くして亡くした、
一緒に校庭を駆け回ったやんちゃな子が今では2児の母になった、
上京して見上げると首が痛くなるほど上の方のビルの中で仕事をしている元生徒会長、
農家の長男として大根やにんにく、じゃがいも、白菜、人参と丁寧に丁寧に育てている人、
東京で少しは名の通るイラストレーターになった人(アニメの最後のエンディングでその子の名前を見つけた)、
一度は遠い土地に嫁いだけれど出戻った人。
わたしたちの間で時は過ぎた。
なんだか少しさみしかった。

無事に最後の花火まで滞りなく終わった。
昔見た花火と変わりなくきれいだった。
あの短くもなく長くもない時間がちょうどいい。
最後にうちわの抽選会がある。
これは事前に番号が書かれたうちわが各家に配られていて、会場でそれを見せると登録される。
最後にその登録された番号の中から抽選で数十人に景品が配られるといった仕組みだ。
今年は5等ティッシュボックス、4等洗剤、3等正方形の箱だったけれど中はよく分からなかった、2等扇風機、1等バーベキューセットであった。
1等が当たったらやっかいだなどうやって持って帰ろうと考えていたが当たるはずもなく杞憂に終わり、本当に欲しかった扇風機にもかすりもせず、
5等のティッシュボックスさえもらうことができなかった。
「まあ、こんなもんだよ~。」
ケラケラケラケラと洗剤の箱をかかえた彼女は笑っていた。
最後売れ残りを防ぐために1パック100円になった屋台のから揚げを買いに彼女は一目散に走って行った。
明日の昼ごはんのお弁当のおかずにするそうだ。
にこにこと戻ってきた彼女は満足そうだった。

帰りのシャトルバスを降りる直前彼女は言った
「少しゆっくりしようと思う。尾道から今治にサイクリングロードがあってさ一人で旅しようと思う。」
それは相談ではなく報告だった。
決意表明にもとれた。
彼女は近い未来にきっと実現するだろう。
無責任なことは言えないけれど応援している。
彼女なら大丈夫、なんだって大丈夫。
わたしが出会った中でも5本の指には入るスーパーポジティブな人だから。

 

 

 

待ち合わせ

 

みわ はるか

 
 

人と待ち合わせをしているとき、たいていはどちらかが先に着くのだけれど、相手がその人に気づいたときの表情が好きです。
ほっとしたような、嬉しいような、ほころんだ顔。
その人めがけて小走りになるそんな瞬間が好きです。
必死に遅れた言い訳をする姿は愛らしいです。

様々な待ち合わせ現場を見るのも好きです。
駅の改札でそわそわ待っている男の人のところには、たいてい可愛らしく着飾った、お化粧ばっちりの女の人が合流する。
喫茶店でおしぼりで手を拭きつつぼーっとしながら待っている年配の女性のところには、やっぱり同じくらいの年の気心知れたであろう年配の女性がどかどかやってくる。
中学生ともなると部活仲間だろうか、バス停にぞろぞろと集団で集まってきてがやがやと会話が止まらない。
会社の上司と部下なのか、待たせてしまった上司にわびながら急いで汗をふきながら頭を下げている現場も見た。
みんな誰かに会うという目的を持って待ち合わせ場所へ行く。
色んな待ち合わせがあって楽しい。

この人に会うから(たいていは異性になるのかもしれないけれど)、新しいワンピースを買おうとか、少し高いナイトクリームを使おうとか、きちんとマニュキアを爪に塗ろうとか・・・・・。
そういう人がいるのはきっと人生を豊かにしてくれるんだろうなと思う。
テストで100点を取りたいとか、この映画を劇場で見たいとか、これを食べたいとか・・・・・。
自分一人で達成できるものではなくて。
誰かがいて完結できるもの。
ただただ、自分のためだけではない人生が選択肢にはあるんだなと。

自分のためだけに生きることに疲れることが最近結構あるような気がします。
自分が思うのと同じように自分のことを思ってくれることはなかなか難しいです。
たくさんの藁の中からたった1本の針を見つけるくらい難しいです。

何のために生きているのか自問したときに、具体的な誰かのために自分は存在したいと言えるのであれば、それはとても美しいと思います。