診察室

 

村岡由梨

 
 

これは夢なのか、現実なのか。
わからないまま、ぼんやりとした不安の中で生きている。

ここ数年、私は警察に追われている。
私が、自宅の近くに住む資産家の高齢女性を殺して、
広い庭の片隅に遺体を埋めたというのだ。
まだある。
私が、面識のない小学校3年生の男の子を殺して、
学校の近くの遊歩道に穴を掘って遺体を埋めたのだという。

警察に捕まっても、「私は殺していません」とは言えないだろう。
なぜなら、私自身、確かに彼らを殺したような気がするからだ。

毎週水曜日、15:30発の小田急線小田原行きに乗る。

入ってすぐ右の優先席に、
胸の大きさを強調したミニスカートの女が座っていた。
脚は虫食いだらけ、下品な女だった。
私は、この女を乱暴に犯すことを想像した。
私の股間から鋭利なナイフが生えてきて、
女の陰部は血だらけになった。
絶頂に達した瞬間、女は不要な単なるモノになり、
エクスタシーと嫌悪と憎悪のグチャグチャの中で私は
醜く歪んだ女の顔を、原型をとどめないくらい何度も殴った。

空いている座席に座ると、斜め右に
タピオカをすすっている若い女がいた。
タピオカをすすりながら、片手で携帯電話をいじっている。
その女は、出っ歯で口がきちんと閉まらないようで、
前歯の隙間からタピオカが見え隠れしていた。
クチャクチャ クチャクチャ
私は耳を塞いで悲鳴をあげた。
そして女の顔をズタズタに切り裂いて、自分の耳を引きちぎった。

女が憎い。
けれど、私も女なのだ。
母親なのだ。
女の顔を何度も殴った時、2人の娘の顔が浮かんだ。
女の顔をズタズタに切り裂いた時、2人の娘の顔が浮かんだ。
この世で一番清潔な存在。傷つけたくない存在。
「人の痛みがわかる人間になりなさい」
そう言って、2人を育ててきた。
胸の大きい女にも、タピオカの女にも、
きっと母親がいるだろう。
女が憎い。
それでも娘たちを傷つけたくない。絶対に傷つけたくない。
そんな思いで、私は真っ二つに切り裂かれる。混乱する。

毎週水曜日16:30から診察が始まる。

先生とはもう10年以上の付き合いになる。
60代男性、中肉中背、
温和な顔にメガネをかけていて、
歩く姿勢がとても良い。
人間味溢れる、とても優しい先生だ。

「一週間、どうだったかな」
と、まず先生が聞いて、話が始まる。
家族のこと、義両親の介護のこと、
作品制作のこと、仕事のことなど
時には泣きながら、とりとめのない話をする。
「ここには善も悪もないから」と先生が言い、
殺す、殺される、死ぬ、死なせるなどの
不穏な言葉が診察室を飛び交う。

「これ以上怒りや憎しみに支配されたくない」
「結局は私が消えればいいんだと思う」と私が言い、
先生にたしなめられるのが、いつものパターンだ。
先生には何でも話すし、
先生も私に関して大抵のことは知っている。
私は、先生が好きだ。

カウンセリングの終了時間間際になると、
私は急激に不安定になる。
ドア一枚を隔てた外の世界はこわいことでいっぱいだから。
「○○がこわい人をいっぱい連れて復讐しに来るかもしれない」
と怖がる私を、先生はいつも「大丈夫」と言って背中を押してくれる。

診察室を出て間も無く名前を呼ばれて、
受付の女から、処方箋と領収書を渡される。
「3850円です」
一番苦しい瞬間だ。
当たり前だけれど、お金の問題なんだ。
医者と患者の関係なんだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
結局、先生や受付の女は「あっち側」の人間で、
私は「こっち側」の人間なのか、と
否応無しに思い知らされる。

そう言えば、先生は私のことをよく知っているけれど、
私は先生のことを、ほとんど知らない。
どんな食べ物が好きなのか。
何色が好きなのか。
動物は好きか。
どんな音楽を聴くのか。

良くない家庭環境で育って、精神を病んで
なんてありきたりなストーリー
私は大丈夫。
大した問題じゃない。
絶対に大丈夫。
そう自分に言い聞かせて
偽善者の皮を被って、
自分を必死に取り繕って生きてきたけれど、
マトモな人のふりをするのは
もう、無理かもしれない。

死刑判決を受けて、
独居房にいる孤独なあなたを今すぐ連れ出して
狂おしいほど交わりたい。一つになりたい。
そして、あなたが他の人にしたように、
私をメッタ刺しにして、殺して欲しい。

この詩は、午前2時過ぎにあなたとわたし宛てに書いた
歪なラブソングだ。

 

 

 

家族写真

 

村岡由梨

 
 

家族写真を燃やしてしまった。
まだ若い父と母と、幼かった姉と私と弟が笑っている。
真ん中に座る幼い私の顔に十字の切れ目を入れて火を付けたら、
一瞬十字架の様な閃光がピカっと光って
瞬く間に私の顔は溶けて無くなり、
火が燃え広がって、消えてしまった。

私たちは、消えてしまった。
私たちは、壊れてしまった。

家族写真を燃やしたことで、
母を悲しませてしまった。
今はもう会えない姉も、きっと悲しむだろう。
弟はどうだろうか。
精神を病み、大量服薬を繰り返した私を、軽蔑していた父。
私の母ではない女性たちとの生活に安らぎを見出した父。
腹違いの弟たち妹たちの方が優秀だ、と言って自慢する父。
父も悲しむだろうか。いや、悲しまないか。いや、悲しむか。

この詩を読んで、母はまた悲しむだろう。
言葉は時に残酷で、人を深く傷つける。人の人生を狂わせる。
人はなぜ、生きようとする時、
自分以外の他の誰かを傷つけずにはいられないのだろう。
父も母も姉も私も弟も
ただ生きていただけなのに。
ただ生きているだけなのに。

私は生まれた時から親不孝者で、
親からたくさんのものを与えられてきたけれど、
自分が親に何か与えたかといえば、何もない。
何もないのが、情けない。
この先、私の娘たちが「親」の私を憎むことがあるかもしれない。
往々にして子どもから憎まれる「親」という分際に
自分が成り下がってしまったのが、情けない。

ああ
また母を悲しませる言葉を書いてしまった。

父や母や姉や弟といた世界はファンタジーだったんだろうか。
私は今、二人の娘という
血があり、骨があり、肉がある
究極的に現実的な存在を得て、
夢から醒めつつあるのかもしれない。
曖昧だった喜びや悲しみや怒りが、真実のものとなって
人生における大きな「気づき」のようなものを手に入れたのかもしれない。
それは多分、幸せなこと。

なのに、なぜこんなに胸が苦しいんだろう。
写真に火を付けた時、
これで何かを乗り越えられるんじゃないかと
何の根拠もなく考えていたけれど、
残ったのは焦げくさくて黒い燃えかすだけ。

本当は苦しくて悲しくて仕方がなかった。
結局、誰も幸せにすることが出来なかったから。
誰かを幸せにするだなんて、自惚れもいいところ。
でも、本当は消してしまいたくなかった。
壊してしまいたくなかった。

かけがえのない「家族」だった頃の、私たちの記憶。
私は大切なものを、燃やしてしまった。
二度失ってしまった。
私たちはあの時笑っていたのに。
本当にごめんなさい。

 

 

 

乱視の世界

 

村岡由梨

 
 

眼鏡を外してクリスマスのイルミネーションを見た君は、
何層にもダブる光を見て、「きれい」と言って笑っていた。
視力の良い私と、乱視の君。
同じ世界に生きているのに、
まるで違う景色を見ているんだね。
私は私で、君は君。
もっと知りたい、わかりたいんだ。
君が生きる乱視の世界の美しさを。

もうすぐ新しい年が始まるというのに、
世界が終わる夢を見た。
ヒトは全員殺されて、
ネコは丸ごと皮を剥がされた。
剥がれた皮に顔を近付けたら
あたたかいお日さまの匂いがした。

巨大な津波のように大きくうねる世界から、
「人殺し」と罵られ
追われた私は、
薄暗い台所の、流しの下の、戸棚の中に隠れていた。
「世界」と「私」は安作りの薄いトビラ1枚で分断されて、
自分の心臓の音だけが聞こえていた。
放っておいても、遅かれ早かれ
私は死んで焼かれて灰になってしまうのに。
涙をいっぱい溜めて、憎しみと怒りに満ち満ちた君の両眼。
いつになったら許されるのだろうか。
いつになったら逃れられるのだろうか。

歯を磨いていて、少し開いた前歯の暗闇から
「サンタクロースなんか、いない」なんて言葉、聞きたくない。
希望を捨てて絶望に生きるなんて、つまらない。
どうせ生きるのなら、
借りものの言葉なんかじゃなく、
自分自身の歌声で精一杯抵抗して。

私は私で、君じゃない。
君は君で、私じゃない。
けれど、私たちはひとつの世界で生きている。
時には眼鏡を外して、私に貸して。
もっと知りたい、わかりたいんだ。
君が生きる乱視の世界の美しさを。

 

 

 

太陽が震えていた

 

村岡由梨

 
 

長い間、暗闇の中で君を探し続けている。
君はいつも私を苦しめる。困らせる。
それでも、私の頭の中は君ばっか。

これまでの君、これからの君のことで
いつも頭がいっぱい。

自転車に乗って家路を急ぐ時でも、
夕飯が済んで洗い物をしている時でも、
片時も君のことを忘れることはない。

「この世界には星の数ほど表現者がいて
才能のある人などゴマンといるのに、
私が作品を作り続けている意味は何だろう?」

君を掲げて立ち尽くす私の前を、
急ぎ足で通り過ぎていく人たちの無関心に
切れ味の悪いカッターナイフでキーキーと心を切り刻まれる。
行き過ぎた自尊心なんて、いっそ捨ててしまえば良いのにね。

その上、私が作品を作っても、娘たちのお腹が満たされることはない。
「自己満足」「高尚な趣味」と周囲の人たちに揶揄されて、
いちいち傷つきながらも
自分の好きなものを好き勝手に作っている。
そう、それならいいじゃん。
だけど、心が揺れる。もがいている。
無意味に意味を探し続けている。

 
寒い冬の日、娘の花が、公園のフェンスにもたれて ひとり
友達を待っている。
待ち続けている。
まだ来ない
まだ来ない
そのうち日が暮れて、家に帰る。

花が、風呂場でシャワーをつけたまま
うずくまって、むせび泣いている。
「本当の友達がほしい」と言って、泣いている。
たまらなくなった私は、
どうしたの、と言って
風呂場のガラス戸を開けようとする。
けれど、花は扉を強く押し返して拒絶する。
「みんな嫌い」「ママの偽善者」
花の圧倒的な孤独感を前にして、
言葉は余りにも無力だった。

 
きっと、花も私も叫びたいのだ。
「私は、ここに、いるんだ」って。

 
去年の冬、家族で世田谷美術館へ行った帰り道、
とっぷり日が暮れた木立の隙間で
儚い太陽の光が
まるで夜が来るのをこわがっているように
震えて沈んでいくのを見た。
この光をどうしても忘れてはいけないような気がして、
スマホのカメラで撮影した。

 
もしかしたら、私が求めているのは、
意味でも答えでもなく、「光」なのかもしれない。

 
偏屈で頑固で怖かった老婆が
病室で臨終の際、賛美歌を歌うのを見た。
老婆は光に包まれて亡くなった。
花のピアノの発表会で中年の女性が懸命に歌うのを見た。
芸術は誰にでも開かれていることを知った。
幼い花が公園で落ち葉を浴びて遊んでいる動画をスマホで見た。
もうこの日に戻ることは出来ない。
無邪気に遊ぶ花が愛おしくて、画面が涙で霞んだ。
そこには金色の光が溢れていた。

幸せな記憶の中だけで生きたいよ。
暗闇の中でひとり死にたくない。
自分の子どもたちにも
自分の子どもたち以外の子どもたちにも、
あたたかで、優しくて、寛容な光に包まれた一生を過ごしてほしい。

思い返せば、私が幸せだった時、いつもそこには光があった。
幸せだったことを忘れたくないから、
私は作り続けるのか。

「ママの作品は残酷だけど、きれいだよ」

私のスマホの中で、
今もまだ、これから先もきっと
あの日の太陽が震えている。

 

 

 

塔の上のおじいさん

 

村岡由梨

 
 

家族で小さな小さな会社を経営している。
訪問介護の会社だ。
昨年母から代表の立場を引き継いだものの、
「代表」とは名ばかりで
実態は経理全般と事務担当だ。
私がこの世で一番関わりたくないもの「お金」の責任者。
もちろんヘルパー業務もする。

このところ日が落ちるのが早くて、辺りはもう真っ暗だった。
冷たい風を裂くように自転車を走らせて、
その日、私は母の現場仕事に同行していた。
初めて行く御宅だった。

着いたのは、まるでおばけやしきのような古いアパート。
母にくっついて、
向かって右側の古くて狭い階段をカンカン昇っていく。
恐る恐る手すりの隙間から向こう側の景色を見たら、
街がべっこう飴みたいに てらてら光っていた。

母が部屋のインターフォンを押すと
ドアが開いて、おじいさんが床を這って出て来た。

不思議な部屋だった。
家具も照明器具も見当たらない。
ガランとした部屋が、月光に青白く照らされていた。
床は腐っているのか、湿って傾いていた。

殺風景な部屋に、古いケージが一つあって、
中には赤茶色の鶏が一羽と
スズメのような鳥が一羽。
傍に、肌色の温かい卵が一つ落ちていた。

母は、その卵を拾って台所へ行くと
コンコンと割って、黄身と白身に分けた。
黄身が入った殻と、真っ白なショートケーキをお皿に載せて、
おじいさんの傍にそっと置いた。
おじいさんは布団も敷かずに、
まっすぐ横になっていた。

私は床にゴロンと寝転がった。
すると、母も私の隣に横になって
二人で夜空を眺めた。
流れ星が五つ。
私が「きれいだね」と言うと、
北海道生まれの母は
「私の小さな頃はこんなもんじゃないわよ」
と言った。

帰り道、ふと自分の手のひらを見たら、
おじいさんのうんこがベッタリ付いていた。
母の手のひらにも付いていた。
私たちは、おじいさんのうんこを
お互いにベタベタ付け合いながら
声をあげて笑った。

「ただいま!」
家に帰ると、娘たちが
ディズニープリンセスの顔パネルを作って遊んでいた。

「すごい御宅だったよ。
塔の上のラプンツェルみたいなお家だった!
今から詩に書くから! そしたら読んでね、野々歩さん」
 

そう言ったところで、目が覚めた。
 

母と寝転んで流れ星を見たことが一気に遠ざかって
急に悲しみと寂しさが込み上げてきた。
 

受験生のねむの期末テストが近いこと、
少し眠るから、1時間経ったら起こしてね
と言われたことを思い出した。寝過ごしてしまった。
ねむの憂鬱と切羽詰まった気持ちを思うと
遣る瀬ない気持ちになった。
中学校にほとんど行かず、
高校も3日で辞めた私のアドバイスなんて
クソの役にも立たないのだ。

「内申点に響く」「人生に関わる」って言って
狭い世界は子どもたちを追い詰めるけれど

そんな必死にならないで
太陽が優しい時 一緒に原っぱに寝転がって
うんと伸びをして
好きな絵を描いて過ごす
そんな風に生きていくわけにはいかないのかな。
そんな生き方を許容出来る世界ではないのかな。
やっぱり「お金」を稼がないと、生きていけないのかな。

考え込む私の横で、
猫が大きなあくびを一つして
丸くなって眠っていた。

 

 

 

お誕生日おめでとうの詩

 

村岡由梨

 
 

私たちが出会った頃のこと
どれくらい覚えていますか。

あの頃、野々歩さんはヘアワックスで髪を逆立てていて、
今みたいにメガネじゃなくてコンタクトをつけてたよね。

イメージフォーラムの16mm講座で一緒の班になって、
どういう作品を撮るかの話し合いの時
私の隣の席に、ぶっきらぼうな表情で座ってた野々歩さん。
なぜか私は胸がドキドキして、
ゆでダコみたいに顔が真っ赤になってたよ。

多摩川の河川敷での撮影が終わって、編集作業の日。
珍しく野々歩さんは洗いたての髪にメガネをかけてて、
なぜかまた私は胸がドキドキして、
ゆでダコみたいに顔が真っ赤になりました。

助手の徳本さんが、
一生懸命に編集作業に取り組む私たちを見て
「野々歩君と村岡さん、仲良いね」
ってからかったの覚えてる?
野々歩さんは
「僕らお互いのファンですから」
って、さらっと言いのけた。
その時の私の頭の中を想像出来る?
ゆでダコどころの話じゃないよ!
頭がグラグラ沸騰して、
パーンと音を立てて爆発しそうだった!

その年のクリスマスの夜は、

二人で東大の校舎に忍び込んで
初めて手を繋いで歩いたね。

お正月には、初日の出を見ようと
建設中のマンションの屋上に忍び込んで、
自分の眼の高さに鳥が飛んでいるのを見て、
「私も飛べるかな」
って柵を飛び越えようとした私を、
「落ちたら痛いから、やめなよ」
と言って止めた野々歩さん。
何でも複雑に深刻に考えがちな私にとって、
「落ちたら痛い」っていうシンプルな言葉は
ものすごく衝撃的だった。

私たちはそうやって、
互いに無いものを補いあって求め合って、
ここまで歩いてきたんだね。

やっとの思いで完成させた処女作を
イメージフォーラムの映写室で泣きながら観ていた私。
そんな私を優しく気遣ってくれた野々歩さん。
河口湖の花火大会を観に行った時、
湖畔の土産物屋の二階で
私に浴衣を着付けてくれた野々歩さん。
雪の降る夜、大きなお腹を抱えて立ち尽くす私を
家に連れて帰って温かいお風呂に入れてくれた野々歩さん。
鬱がひどくて何も出来ない私の髪を洗ってくれる野々歩さん。

「村岡さん」から「由梨さん」、
「由梨さん」から「由梨」、
「由梨」から「ゆりっぺ」。
呼び名が変わる度にすごく嬉しかったこと、
おばあさんになっても忘れないよ。

1980年10月22日に、野々歩さんは
池ノ上の、お庭にウサギさんがいる産院で生まれて、
1981年10月22日に、私は
渋谷の日赤で生まれた。
その後、野々歩さんは渋谷で育って、
私は池ノ上で育った。
もしかしたら、イメージフォーラムで出会う前から
私たち街ですれ違ってたかもね
と、二人で笑う。

必然とか偶然とか、簡単な言葉で済ませたくない。
愛しています、とか
ありきたりな言葉では表現しきれないよ。
もっと良い詩が書きたいよ。
喉のつっかえがすうっと取れるような詩を。

シワシワのガタガタのグッチャグチャな
おじいさんおばあさんになっても
一緒にいよう。
「死が二人を分かつまで」って何?
死んでも一緒のお墓だよ!

お誕生日おめでとう!
野々歩さんと私。

 

 

 

小鳥を殺す夢

 

村岡由梨

 
 

夕暮れ時、白いカーテンが涼しい風に揺れている。
階下から娘たちの澄んだ歌声が聞こえてくる。

そんな時、私は、近くに住む母のことを考える。
今頃、リビングのソファに、ひとりぼっちで、
疲れた体を横たえているんだろうか。

「二人のフリーダ」みたいに、
母の心臓と私の心臓が一つに繋がって
母の孤独が私の体内にドクンドクンと流れ込んでくるようで
苦しくなる。
ドクンドクン
ドクンドクン
お母さん、
お母さんの心臓もいつか止まってしまうの?
私より先に死なないで。
それがだめなら、
せめて、お母さんの心臓が止まってしまう時、
私をそばにいさせて下さい。

そして、「あなたの人生は決して間違えていなかった」
と伝えたいのです。

 

思えば、母が私に何かを強制することはほとんど無かった。
けれど、私が見るのは小鳥の死骸でいっぱいの鳥カゴの夢。
小鳥を自分の手から大空に放すのではなく、
水に沈めて殺す夢。

19歳の誕生日に母が小鳥のヒナを2羽買ってくれた。
私は2羽をとてもかわいがり、よく世話をした。
私は2羽のことが大好きだったし、
2羽も私のことが大好きだった。

それから暫くして
1羽が病気になり、あっという間に衰弱していった。
そしてある朝、今まで聞いたことのないような鳴き声をあげて、
鳥カゴの金網に足を引っ掛け
グロテスクに体をねじって
助けを乞うような眼をして
私の方を向いたまま死んでしまった。
私は小さな亡骸を抱いて、
日が暮れるまで泣いていた。
夕方、帰宅した母は、「体が腐っちゃうでしょう!」と怒って、
半ば強引に私から亡骸を取り上げ、庭に埋めてしまった。
そうしなければ、私は亡骸が腐るまでそれを手放さなかっただろう。

鳥は私にとって、自由の象徴だった。
一日に何回か鳥カゴから出してやると、
自由に飛べる喜びに全身を震わせ部屋中を飛び回った。

けれど、一生の大半を鳥カゴの中で過ごした2羽は、
本当に幸せだったんだろうか。

いつの日か、小鳥を殺す夢を見なくなる日は来るんだろうか。

これまでの人生の大半を鳥カゴの中で過ごしてきた私は
これからどう生きて死んでいくんだろう。

 

私に自由を強制しないで。
私に不自由を強制しないで。

誰かに「自由について」の詩を書けと言われたら、
きっと私は白紙のまま突き返す。

例えそれが理にかなっていなくても、
いつも私を駆り立てるのは、
名状しがたい、
言葉になる以前の原始的な衝動なのだから。

 

 

 

学校に行きたくない

 

村岡由梨

 
 

花火大会の夜、蒸し返すように気だるい人混みの中で、
やっぱりわたしは一人ぼっちだった。
ここにいるのに、ここにいない。
誰もわたしに気が付かない。

人の流れに逆らって
何度も人にぶつかりながら、
次から次へ目に飛び込んでくるのは
顔 顏 顔
男に媚びるような化粧をした女たち。
女を舐め回すような目で見る男たち。
みんな不気味で同じ顔、みんなセックスで頭がいっぱい。

そんなこと思ってるわたしが一番卑しい人間だと思うけど。

軽薄な音楽が流れるとともに、
心臓をえぐるような爆発音の花火が打ちあがって、
桟敷の人々は大きな歓声をあげた。
わたしは、ある戦争体験者の
「焼夷弾を思い出すから、花火は嫌い」という言葉を思い出していた。
その言葉を思い出しながら、
「今、花火が暴発したら、こいつら全員燃えるのかな」
と考えていた。

自分はつくづく不謹慎で邪悪な人間だと思う。

先生に何十回目かの呼び出しを食らって、
職員室の横の小さな部屋のいつもの椅子に座る、空っぽなわたし。
ただ一点を見つめて、かたく口をつぐんだまま。
わたしが学校以外の場所でも徐々に精神が蝕まれて、
邪悪な欲望に侵食されつつあって、
本当のところ、何に苦しんで何に絶望しているのかなんて、
言ってもわかるはずがない。
黙ってうつむいたまま、一点を見つめるわたしを見て、
先生は諦めたようにため息をついた。
いつもの光景だった。

下水のような不快な臭いを漂わせて、
不登校で授業をほとんど受けていないから、勉強もさっぱりわからない。
友達が何が面白くて笑っているのか、全くわからない。

それでもある日、わたしが初めて「声」を出したことがあった。
同じ部活の部員たちに嗤われて「爆発」して、
言葉にならない言葉でわめきながら、
彼女らを学校中追いかけ回したのだ。
次の日から、一切のクラスメートがわたしを避けるようになった。
保護者の間で「あの子は危ないから付き合うな」と連絡が回ったからだ、
と知ったのは、それから暫くしてからだった。

特別な人間になりたいわけじゃない。
いや、特別な存在になりたいのか?
自分が取るに足らない人間なんだって
こんなにも思い知らされているのに。

言ってもわからない。
言ってもわかるはずがない。
わたしが中学校の屋上の柵を越えて飛び降りようとする絶望を
親もきょうだいも先生も友達も、
わかるはずがない。

「狭い世界に閉じこもるな、もっと大きな世界に目を向けろ。」
「君より大変な思いをしている人は、世界にいっぱいいるんだ。」
「みんな孤独を抱えてる」
「もっと他者に優しい眼差しを」
わかってる。わかってるけど、
今のわたしが欲しいのは、そんな真理や言葉じゃないんです。

わたしが欲しいのは、わたしだけの神様。
神様は、踏み絵を踏んだわたしに向かって、こう言うんです。
「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。」(✳︎)

だけど、それは本の中の話で、
実際はそんな神様なんてきっといない。

長い夜が明けて、また絶望的な朝がやってくる。

だから、明日も
わたしは学校に行きたくない。

 
 

(✳︎)遠藤周作「沈黙」より

 

 

 

クレプトマニア

 

村岡由梨

 
 

不潔で醜い男たちと交わる夢を見る。
その男たちが私自身だと気付いたのは、
小学校高学年の頃だっただろうか。

あなたと永遠の別れになる前に、
ひとつ告白をさせて下さい。
私は嘘つきな子供でした。
盗んだのは1回だけ、と言ったけれど、
実際は365回でした。

何度も何度も盗んで、
何度も何度も食べました。
そのうち、おでこにたくさんのニキビが出来て
これが神様から与えられた罪の刻印なんだなと思いました。

やがて、その日がやってきて、
私は丸裸で店の奥に連れて行かれました。
涙で視界がぼやけて、
何も見えず、何も聞こえず、息も出来ずに、
暗い水の底を歩いているような時間が
永遠に続くような気がしました。

帰ってきたあなたは、私を麺打ち棒でメッタ打ちにして
それから、泣きながら私の体をきつく抱きしめました。
それ以降、私はパタリと盗みをやめました。

けれど私の外形は醜いまま。
醜い私を愛してくれる人など、いるわけもなく
私は私を愛するしかなかった。
肉体的に交わることによって。

お母さん助けて。
顔がかゆい。かゆくてたまらない。
いっそ顔中をかきむしって、
髪の毛を一本残らず引きちぎってしまいたい。

お母さん、お姉ちゃん、弟、お父さん。友達。
たくさんの人達を傷つけながら生きてきた。
私の生活は今、
たくさんの人達の不幸の上に成り立っている。

「お前たちは育ちが悪い」
「由梨はヤク中」

お父さん、誇れるような人間でなくて、ごめんなさい。

お父さん、私のことが嫌いですか?
私は、私のことが嫌いです。

中学3年生の娘が言いました。
「『嫌い』っていう言葉は人を傷つけるためにある言葉だから、
簡単に口に出してはいけないよ」

でも、私は、私のことが嫌いです。

小学6年生の娘が言いました。
「私が私のお友達になれたらいいのに」

私が、私のお友達になれたらいいのに。
私が、私のお友達になれたらいいのに。

 
 

この詩を一気に書き上げて、
「切れない刃物でメッタ刺しにされているような気分。」
と夫から言葉をもらい、
決して誰かを傷つけるわけではなかったと
中途半端な言い訳をして、
決して虚構を演じているわけではないけれど、
私の中に詩という真実があるのか、
詩の中に私は生きているのか。

「ママさん ママさん」
そう言って、ねむは
はにかみながら私を抱きしめる。
「人ってハグすると、ストレスが3分の1になるらしいよ」
そう言って、はなが
ガバっと覆いかぶさってくる。
幼い頃の大きな渦に飲み込まれたまま
いつしか私は
抱きしめるだけではなく、
抱きしめられる立場に、また、なっていた。

私たち三人は、きつく抱きしめ合って大きな塊になったまま、
その瞬間、
間違いなく詩の中に生きていた。
詩の中に生きていた。

 

 

 

絡み合う二人

 

村岡由梨

 
 

不安そうに沈みゆく太陽は、
私の両眼に溜まった涙のせいで、かすかに
震えているように見えた。
美しかった。

少女から女性へ

太陽が沈んで
真っ暗闇の中で泣く私の髪に
そっと触れて優しく撫でてくれたのは、娘だった。

ふたり並んで歩いていて、
娘の手が、私の手にそっと触れる。
どちらともなく、二人の指がゆっくりと絡まっていく。
私の「口」がかすかに痙攣する。

娘の豊かな胸のふくらみが、私を不安にさせる。

娘は母乳で育った。
私は母乳の出が多く、
あっという間に乳房はパンパンに腫れて
石のように固くなって、熱を帯びた。
娘は乳首に吸い付いて、一心不乱に乳を飲んだ。

青空を身に纏った私は、
立方体型の透明な便器に座って
性の聖たる娘を抱いて、授乳している。
娘が乳を吸うたびに
便器に「口」から穢れた血が滴り落ちて、
やがて吐き気をもよおすようなエクスタシーに達し
刹那「口」はピクピクと収縮し痙攣した。
無邪気な眼でどこかを見つめる娘を抱いたまま、
私は私を嫌悪した/憎悪した。

小さくて無垢な娘は、お腹がいっぱいになり、
安心したように眠りに落ちていった。

あなたは悪くない。
あなたは悪くない。
ごめんね。
ごめんね。
穢れているのは、あなたではなく、私なのだから。

娘が飲みきれなかった母乳が、ポタポタと滴り落ちてきた。
性の俗たる自分では触れることすら出来ない穢れた乳頭から、
白濁した涙がポタポタと落ちていた。

一緒に歩いていて、
娘の手が、私の手に触れる。
感触を確かめるように、
ゆっくり手の甲に手のひらをすべらせて、
やがてどちらともなく二人の指が絡まっていく。
私の「口」はかすかに痙攣する

けれど
私の不安を知ってか知らずか、
娘は、沈みゆく太陽を見て私が泣く理由を、誰よりもよくわかっている。

冬が来て、しもやけになった娘の足指にクリームを塗る。
小さな頃から変わらない、肉付きの良い足指一本一本に丹念に塗り込む。
そんなことくらいで、
娘は私に、母として生きる喜びを感じさせてくれる。

美しい人。
かけがえのない人。

母と娘。女と女。不穏で不可思議な私たち。