加藤 閑
「カザルスホール・ライブ」で夙に有名なミエスチラフ・ホルショフスキには、その前の年1986年7月にプラド音楽祭で行なったライブ録音がある。このときホルショフスキは94歳だった。カザルスの伴奏者だった彼は、その後長きにわたって忘れられた存在だったが、1983年のオールドバラ音楽祭に出演したことによって、再評価の気運が高まった。カザルスホールのオープンに招聘され、かつて演奏をともにしたカザルスの名を冠したホールとあって、95歳の高齢にもかかわらず来日した。このとき(12月9日、11日の2日間)の演奏は音楽史に残る名演として語り継がれている。
ホルショフスキは1993年まで生きるが、1991年10月の演奏会が最後の舞台となった。オールドバラ音楽祭の1983年から8年の間に行なわれた演奏会の多くはライブ録音として発売されているし、ノンサッチレーベルに数枚のスタジオ録音を残している。ノンサッチがクラシックを出すのは珍しいが、そのCDはいずれも名演である。
プラド音楽祭のライブは、フランスのリランクス(LYRINX)というレーベルから出ている。収録曲は次の通り。
モーツァルト ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調K.332
ドビュッシー 子供の領分
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第15番ニ長調「田園」Op28
ショパン 即興曲Op.38(ママ)
ベートーヴェンの32曲のピアノ・ソナタのうちでわたしが現在もっとも気に入っている曲は、ここに収められている第15番のソナタだ。「田園」という表題がついているが、もちろん作曲家本人がつけたのではないし、交響曲第6番とも関係はない。この曲、ほかのベートーヴェンの曲にありがちな盛り上がりに大いに欠けている。聴き手の気持ちに関係なくぐいぐい引き付けるような強靭なところがない。それがとてもよい。「悲愴」や「熱情」だけがベートーヴェンではないのだ。
15番は、アラウの1980年代、晩年の録音がすばらしい。彼は20年ほど前の1960年代にもベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音しているが、そちらの15番とはまったく違う。肩の力が抜けていて、同型のリズムが一定の速度で流れていくようなこの曲にまことに合っている。このアラウの演奏を聴くと、バックハウスもグルダもちょっと考え違いをしているじゃないかと言いたくなってしまう。
しかし、このホルショフスキのプラド音楽祭の録音は別だ。80歳代半ばのアラウよりも10歳ほど上の年齢での演奏なのに、驚くほどみずみずしい。ホルショフスキの魔法のような音楽かもしれない。演奏時間は他の奏者に比べて決して遅くない。高齢になるとふつうは演奏時間は長くなるものだが、これはむしろ短い方だろう。それなのにちっとも速いとは感じない。音楽のことをよくわかった演奏家がゆったりと調べを奏でているという趣がある。聴いてみると随所でルバートをかけているのがわかるが、それがまったく嫌味ではなく、この音楽の最上の解釈はこうだと示されているような気持ちになる。
歳をとるというのはほんとうに難しいものだ。自分が年齢を重ねるに連れて、なおさらそれが実感としてわかるようになってくる。音楽家は歳をとるに連れて味わい深い滋味のある演奏をする人も少なくはないが、ホルショフスキはその中でも音楽演奏家として最良の歳のとり方をしたのではあるまいか。成熟というようなありきたりの言葉では説明できない、もっと複雑である意味神秘的な到達を見せた稀有の例と言える。
同じ盤に収められたモーツァルトもドビュッシーも名演。最後のショパンの即興曲は、第2番なので作品番号は36のはずだが、CDには38と表記されている。フランスやイタリアのCDにはときどきこういうことがある。