今朝
スープをつくりました
大きなモヤシと
にんじんとわかめとウインナと
鰹だしでつくりました
豆板醤をすこし入れました
それから
お風呂に入りました
ひとりのときは
何も言いません
わたし
湯槽に浸かってました
湯槽に浸かっていました
今朝
スープをつくりました
大きなモヤシと
にんじんとわかめとウインナと
鰹だしでつくりました
豆板醤をすこし入れました
それから
お風呂に入りました
ひとりのときは
何も言いません
わたし
湯槽に浸かってました
湯槽に浸かっていました
昨日は
モコと海をみていた
海辺を
モコと歩いた
カモメが飛んでいた
カモメは空に浮かんでいた
それから牧陽一さんの
「アイ・ウェイウェイ スタイル」を読んだ
スタイルではなかった
あるのは単独者の思考だった
そこに利休がいた
過ぎるものだ
一週間は
過ぎ去るものだろう
朝には
スープを作った
山芋と
青梗菜と干し椎茸とウインナと
鰹だしで
麦味噌と牛乳と入れた
過ぎ去るものだ
過ぎ去っていった
朝
スープを作った
空の上で
小さなダンスを踊った
きみをみていた
まぶたをつぶって
いた
電車の
なか
あなたは
まぶたをつぶっていた
闇をみていた
闇のなかに模様はあった
ひかりはまぶたの裏側を
流れた
闇のなか
花は散っただろう
波は揺れただろう
ヒトは去った
ヒトは去りひかりは溢れていた
もうひとつ敗北する。
畑に黒マルチを使うことを決めた。
そのことが敗北なのであるが、それを敗北だと、もし人に話したとしても、何言ってんの? と言われてしまう可能性がある。黒マルチを使う人たちは何の抵抗も持たずにヘーキでそれを使ってきた。それを使うことが何で敗北なんだ? どの点が敗北なんだ? と言われてしまったら、うまく返事ができない。いつもそうだ。うまく返事ができず、後で考えて、こう言うべきだったのかなどと思ったりする。たいていいつも後の祭りなのだ。
と、いきなり結論が出たが、ここまで、千曲川本流のそばで書いた。軽トラの助手席に脚を投げだし、ドアに背をもたせて、pomera で書いた。
さっきまで畑にいた。生ごみと土を混ぜる場所を今年から畑の隅に決めたので、生ごみを土と混ぜた。その後、黒マルチを1メートルほど枯れ草を混ぜた土の上にかぶせた。腹が減ったので、平和橋を渡り、姨捨に登る道の入り口に近い中華料理屋で五目あんかけ焼きそばを食べた。テレビが春の高校野球をやっていた。外の方が暖かいので、早めに外に出た。店の入り口の両脇に、店の奥さんが手をつけはじめた春のガーデニングが途中のままになっていた。やりかけていて開店の時間になってしまったのだろう。植えた花の株元が新しい水で濡れていた。
セブンイレブンでコーヒーと菓子を買い、千曲川の本流のわきまで土手を降りてきた。
起きたのは11時頃だったか。起きて、脱糞し、トイレのドアを閉め、家の中を何かの用で歩いたり、靴下をはいたりした。娘がテンパって、いやな声をたてて孫に命令したりしている。とにかく軽トラに乗るのだと思い、軽トラに乗ったら、気の向くままに畑まで運転して、手袋をした手で土をいじっていた。
じきに空腹、じきにあんかけ焼きそば、じきにコーヒーとお菓子を持って千曲川の川原。
川原はうららかである。軽トラの窓を開けておいても、今日は寒くない。雲雀の声はここ何年も聴いていない。雲雀がいなくなった。平和橋の上を車が走っているのが見える。車が走る音は聞こえない。ここに着いた時、軽トラのエンジンを止めたら、急に瀬音が聞こえた。瀬音だけになった。正面の飯縄山の上半分が平和橋に削られてしまって見えない。
セブンイレブンでコーヒーを買って、お金を払いながら、敗北のことを書こうかなと思ったのだった。何度もこれは敗北だとは思ったのだ。しかし、気が散って、敗北のことに意識がとどまらない。ちょっと書きかけて、すぐ違うことを書いてしまう。
そうだ。山道へ入ろうか。
さとうさんから「原稿は?」の連絡があったのだ。充電しようとして、iPhone を家のベッドの上に置いてきてしまったから読めないが、充電しようとしたときに、さとうさんから連絡が来ていることを iPhone の画面が表示したのだ。多分、フェイスブックで連絡をくれたのだ。ああそうか、月が変わったのだなと思った。
山道に入って、日当たりのあるところに軽トラを止めて、浜風文庫の原稿を書こうかなと思ったのだったが、行くなら大岡の方か。まだ大岡の方は何の花も咲いていないだろう。それでもいい。少しの日当たりがあれば、軽トラの中は快適だ、と思って、軽トラの荷台に割った薪を積んだままだということを思い出した。
薪を小屋に積み、荷を軽くしなければ、山道で余計なガソリンを使うだけだ。では、原稿を書く前に、山道に入る前に、小屋に薪を積む前に、帰宅する前に、食後の一休みを切り上げなければならない。その前に、これを書くのを中断しなければならない。
ちょっと川を見ることにする。おとといの雨でササニゴリに濁っている。鴨が流れに流されて遊んでいる。たばこを一本吸ってからエンジンをかけようか。誰に同意を求めているのか。自分か。
庭の隅に止めた軽トラの荷台から薪小屋の前まで薪を放り投げ終わるのに20分ほど。小屋の中に積み上げるのに同じくらい。小一時間で終わる。
軽トラに乗り、交差点に来るたびに、まっすぐ行くか曲がるか、曲がるならどっちに曲がるか、一瞬迷い、一瞬後、適当に突っ切ったり曲がったりして、結局、トッ坂を登った。トッ坂を登りきって下がったところにある製材所に車を駐め、昔セガをもらいに来た者だけど、今でももらえますかね、と訊いた。ああもちろんとの返事がもらえた。また今度来ますと言って、エンジンをかけた。
竹房に行ってみようかと思っていたが、途中軽井沢方面に曲がり、枝道に入り、チェーンソーを回して杉を切っていたおやじさんに、軽トラに乗ったまま窓を開けて話しかけた。雑木もらえないですかねと言うと、倒してあるのもすでに行き先があると言う。以前は、倒した雑木をそのまま林に放置して腐らせていることが多かった。県(?)が始めた森林税とかいうものが動き始めたせいか、里山も少し手入れがよくなってきた。薪ストーブが普及し始めたせいもあるのか、雑木の行き先がある。いいことだ。俺は千曲川のアカシアを切ればいいやと思う。おやじさんに別れ、また太い道に戻る。途中、また迷い、高野という村への道に入る。村を抜け、村の背後の丘を登ると、景色が開け、丘の上には畑が広がっていた。ため池の土手に軽トラを駐車。
高野の裏にはこんなに空が広がる場所があるのか。昔からこの地形で、畑になる前の広がりが野だったら、高野という村の名前はぴったり地形通りだが、地形と関係があるのかないのか。
急に眠くなる。我慢だ、我慢。
黒マルチを使うのは敗北だと書いたが、黒マルチの利点はある。いや、利点があるから人々は黒マルチを使っているのだ。
まず最初に気づいたのは、マルチを使うと土が乾かないから、種蒔きした後、動き出した芽が乾いて死んでしまうことが少ないことだった。水やりをしなくてもたいていは大丈夫だ。これはやってみるまで考えもしなかったことだった。やってみて、なるほどと思ったことだった。
土と混ぜた有機物が微生物に食われるプロセスは、マルチをかぶせるのとかぶせないのとでは違うはずだ。そもそも棲みつく微生物が違ってくるはずだと思う。風が直接土に当たらないから、気体となって空中に逃げる養分というものもほぼなくなる。養分が土から抜けにくくなるだけで、その後の発酵のプロセスも違ってくるはずだ。養分が雨水と一緒に土の中に沈むことも極端に少なくなるはずだ。マルチをしなければ抜けるはずのものが抜けないのだから、生き残る微生物の種類は違ってくる。
きわめて大ざっぱな分類をするなら、好気発酵よりも嫌気発酵に傾くだろう。作物の株元はマルチに穴があいているので、土の中と大気の底が完全に遮断されるわけではないが、マルチの下は圧倒的に嫌気発酵に適した条件になるはずだ。
好気発酵や嫌気発酵の好気とか嫌気とは、酸素の有無(多少)の違いを言うので、気体の有無や多少のことではない。「気」という語で空気の中の酸素を言っている不正確な近代日本語単語だ。こういう語はブンガクテキであってもらわない方がいい。
嫌気発酵が利点となるかどうかはわからないが、マルチのすぐ下まで地中から登ってくる水が、発酵を持続させ微生物の世代交代を促し続けることはまったくの利点となる。一番期待しているのは、地中から登った水がマルチ直下で水蒸気になろうとしてなれず、また土に戻される作用がもたらすものだ。地温が上がることと相俟って、土が変わるスピードはあがるはずだ。
春、空気が乾き土が乾く日が続くと種蒔きで失敗することが多かったが、その失敗率はぐんと減る。それはマルチをしてすぐにわかった。水やりの手間が省けることを考えると、マルチをする手間は惜しいものではない。その後は、作物を覆ってしまう草の発生を阻止できるのだから、手間をかけるだけの価値はある。
嫌気発酵に傾くことは推定できるだけで、実際のことはマルチの下だけで起こるから見えない。マルチを取り払っても見えない。微生物がやっていることは、人間の目に見えない。見ても見えない。間接的にわかるだけだ。
炭素循環農法というのをネットで調べたことがあったが、土の表層に近いところに有機物を混ぜ続けるというもので、基本は昔の普通の農法と変わりはない。炭素循環農法がはっきり言い切ったことは、5センチとかせいぜい10センチくらいのごく浅いところに有機物を混ぜ続けるということである。それまでの有機農法でこれを言い切ったものはない。
川口由一の農法は、有機物(草)を土の上に置き続けるというものだが、その祖型は福岡正信にある。福岡のものは、藁や麦藁を長いまま田んぼに撒くいうものだ。
炭素循環農法が福岡や川口を越えたところは、ごく浅いところに有機物を混ぜることによって、有機物と土の接触面を最大化したところにある。微生物が有機物を食いやすくしたのだ。
有機物を土に混ぜるなどということは、昔から人がやってきたことだ。昔の普通の農法である。だから、繰り返して言うが、炭素循環農法が独自に確立したことは、有機物を表層に近いところにだけ入れるというところにある。それだけは、他の有機農法が言葉にできなかったことだ。
炭素循環農法は手間がかかる。これはこの農法の欠点だ。
手間をかけないということを農の思想にまでした点では、福岡正信が今でも他を圧するチャンピオンのままだ。しかし、まずたいていの人が耐えることができないほど、福岡の思想は気が長い。大百姓の持つ広い田畑がその背後にある。だから、有機物と土(微生物)の接触面が極端に小さいような農法も、それでいいと考えることができたし、それで収穫量が確保できるまでやれた。
有機物がどれだけ乾きやすいかということで言えば、福岡、川口のやり方は乾きやすい。しかし、「自然がすることにゆだねる」という思想に、つまり自然の時間の速度に従うという古くからの農の思想に従順である。雨の多い日本の気候にも則っている。
炭素循環農法は、福岡や川口の方法ほどではないが、それでも土が乾きやすい。種蒔きや苗が幼い時期には不利である。その点を黒マルチは解決してしまう。
福岡には確信がある。麦一粒だって、人間が作るのではない、自然が作るのだという福岡の言葉には、確かなものがある。
だけど、どこからが自然でどこからが人為なのか。福岡が粘土団子にいろいろな作物の種を混ぜ、適当に草の中にそれを放り投げる様子は、YouTube で見ることができるが、一つの団子に何の種を混ぜるかを決めるのは福岡であり、草の中に立ち、どこに投げるかを決めるのも福岡である。人間の感覚、人間の思考がそれを決めるのだから、そこまでは人為以外のものではない。
福岡の言う「自然」も、川口の言う「自然」も、粘土団子を放った直後からのプロセスを決定するもののことである。要約すれば、川口も福岡も「人事を尽くして天命を待つ」と言っているだけだ。そして俺は、それに何の文句もない。
人事を尽くすプロセスにおいて、福岡の方が川口より遊んでいるという違いはある。福岡の大人ぶりは、人事を尽くすにも遊びながら尽くすところにある。川口は病気から有機農法に入り、福岡も病気が契機だった。福岡の病気は明日死ぬかもしれぬほどのもの、生死の境をさまようものであり、福岡は病気というよりも、むしろ「死から」、あの農法の方へ歩いて行ったのだろう。大百姓の出だということもあるが、死から始まった農法だというところに福岡独特の遊びやひょうきんがある。ゆったりしている。
高野で少し書いて、車を動かそうとして池の向こう側に人がいるのに気づいた。車で行き、この池は魚を釣っても怒られないかと訊く。村の中に漁業組合があり、組合で鯉を放流しているが、鮒くらいなら釣っていけないこともないと言う。ブラックバスもいますかと訊いたら、いるとのこと。
高野から軽井沢へ。軽井沢入り口で右折、小花見池へ。この池も向こう岸まで行ったことがないので車で行ってみる。林の中に道を開いてあるが、どれもすぐに行き止まりになる。別荘地として売りに出すのに付けただけの道だとわかった。
逆戻りし、信州新町の方へ降りる。町が近づくにつれ、暗くなってきた。腹が減ったので、ジンギスカンを食いに行くかと思っていたが、新町に着いて蕎麦屋の看板を見て蕎麦を食う。味はまあまあ。少しうまい。払うとき、金が足りなくて、近くのセブンイレブンまで金を降ろしに行ってくると言ったら、女の人が困ったような顔をした。初めての店なので、「何か置いていきますか」と言ったら、店の旦那さんが「大丈夫だ」と言った。食い逃げしそうではないと見てくれたのだ。ありがとう。歩いてセブンイレブンまで行き、歩いて店まで戻った。
新町から篠ノ井のコーヒー哲学まで、国道19号をノンストップ。帰り道が長く、山の中の道ばかりずいぶん走ったのだと思う。ここまではコーヒー哲学篠ノ井店、ここからも同店で。
店の電灯が暗く、バックライトのない pomera で書くのは少しつらい。客が他にいないので、電灯の明るい方のテーブルに移る。
黒マルチは農業用のポリエチレンが0.02ミリで一番薄い。(ポリマルチという言い方があるので、ポリエチレンだと思っていたが、ポリエステルじゃないよな? 自信がない。それぞれの違いもわからない。)
主に生ごみをごみとして行政に渡すための黒い袋もスーパーで売られていて、こちらは0.04ミリ厚。袋状だから、切らずに使えば、二枚重なった状態で土を覆うので一番丈夫。切り開けば、90センチ×160センチのシートになり、これ一枚分に種を蒔き、一日のひと仕事分にするのに具合が良い。家庭菜園をやり、黒マルチに抵抗がない人にはお薦めできる。
ビニールハウスのビニールやマルチのポリエチレン(?)を見て、しゃらくさいと思ったり、こざかしいと思ったりしてきたのだ。それで極度に貧弱な収穫量の有機(勇気)農法を続けてきたのだ。こざかしいと思ってきたものを使うのだから、これは敗北である。敗北は敗北としてはっきりさせなければならないが、どこまで敗北するのか。今でも農薬や化学肥料は使う気はない。
黒マルチを使うところまで敗北する。
この問題は、ごみ問題につながっている。
千曲市は汚れたプラスチックを燃やすごみとして出すようなでたらめな指示を住民に出している。100円寿司に置いてあるようなわさび入りの小さいプラスチックみたいなものから始まって、汚れたプラスチックになると最初からわかっており、燃やすごみとしてしか処理のやりようがないものの生産を国が野放しにしてあるのがおかしい。
家で、破れて使えなくなった長靴が可燃ごみ用の袋につっこんであるのを見て、いったい何やってんだと女房に文句を言ったら、使えなくなった長靴は汚れたプラスチック(可燃ごみ)に分類しないと、ごみ収集車が受け付けてくれないのだと女房が言った。おかしい。
そういうプラスチックや合成ゴムの処理法を禁じないと、ごみ処理場の近くの住民は処理後の気体を吸わなければならない。そこに子供も生まれてくる。
国に抗議することを決議しようとするような議員は、千曲市に一人だっていない。腰抜けのお上意識ばっかりだ。
そういう国なのだから、天皇家で国に文句を言えばいいと思う。この国の山河が汚れる、と。放射能もやめてくれと「請願」すればいいと思う。天皇家が「請い」「願う」からといって、誰も文句は言わないだろう。どうなんだろう、右翼の皆さん。
私が生まれた村は、今住んでいる村の隣村だが、そこに大型のごみ焼却溶融炉を建設する予定があると知り、自分で印刷したビラを一軒ずつ配って歩くようなことをしたことの元に、「汚れたプラスチックは燃えるごみ」などというでたらめがあったからだ。
これはまた原発の問題につながっている。ごみの溶融炉は、目に見えるほどの煙は出さない。煙突上部の見た目はきれいだ。福島第一原発みたいに、バクハツなんかしちまうと無惨なものだが、バクハツしなければ、いくら放射能を垂れ流しても、原発も見た目はきれいだ。美しくはないが、不気味ではあるが、見た目はきれいだ。
説明会に出れば、行政は安全だ安全だと繰り返す。裏で町や村の有力者に金をつかませる手法は、溶融炉建設も原発の炉の建設も同じだそうだ。
汚い。
柔らかいプラスチックを作るために原料の石油に何を混ぜるのか。固いプラスチックを作る場合はどうか。色はどんな物質によって着けてあるのか。プラスチックなどの合成化学製品の中には、うぞうむぞうの物質が含まれている。それが1000度を超えるような高温の炉の中でどんな化学変化を起こすのかなど、誰も解明することはできない。この化学変化の元になる物質が「うぞうむぞう」だからだ。何が何度のときにどの順番で炉に投げ込まれるかは「わからない」。厳密に考えれば、物質と物質の出会いとそれらの合成や変化は、つまり何が新たに生成するかは、まったく未知のことがらであるはずだ。それなのに、安全だ安全だと繰り返す行政の太い神経はまったくしゃらくさい。近代初期のしゃらくさセンスのままだ。
「わからない」というのが、ひとまずの唯一の正しい科学的な言い方だ。わからないのだ。誰にもまだわかっていないのだ。
原発の後処理が、廃棄物(放射能の固まり)を土の中に埋めるしかないくらいのことがわかっているだけだ。やめてくれ。やめろ。やめやがれ。
「これっぱかしのものを食うのに、こんな大量のプラスチックごみが出るのはおかしいぜ」と女房に最初に言ったのは、30歳頃のことではなかったか。スーパーができ、八百屋や魚屋がつぶれ、なんでもかんでもプラスチックやビニールに入って売られるようになった頃のことで、それからもう30年も経つ。そして、事態は悪くなっているばかりだという感じだ。出水の後の千曲川の川原に行くと、流されてきたプラスチックやビニールが散乱してひどいもんだ。あれも「汚れたプラスチック」なのか。千曲市を流れる千曲川の川原のプラスチックもビニールも散乱したままだ。溶融炉のことを安全だ安全だと言い続けてきた千曲市環境課は、あれだけのプラスチックやビニールや合成ゴムをみんな「溶融」するのかよ。能なしども。
そう思ってきたので、農業用の黒マルチを横目に見ては、しゃらくさいと思ってきたのだ。
単に栽培のことだけ考えれば、種に水をやることの手間が省けるし、春になっても地温がなかなか上がらない善光寺盆地の畑の地温をあげてくれるし、畝に草が生えて作物を覆ってしまうのを防いでくれるし、後は嫌気発酵がうまくいってくれれば文句のつけようがない資材だ。しかし、使った後の黒マルチを、行政や農協が業者に渡した後にどんな処理がされているのかは闇の中である。少なくとも私は何がどう処理されるのかまったく知らない。
歳に勝てない。
私は敗北する。
そして、敗北すると決めてから、使った後の黒マルチをどう使うかを本気で考え始めた。
薄いポリエチレンに泥や土が付くから使った後のマルチは重くなる。破れたポリエチレンのシートを新しいポリエチレンの袋に入れれば、重さが着いて風に飛ばされにくくなるのではないか。古くなったポリエチレンのシートを「重さとして使う」ことで何か不都合なことは出てくるだろうか。中に入れたものが袋から飛び出して散乱しないようにするにはどうすればいいんだろうか。
そんなことばかり考えているのである。
各種プラスチックや合成化学製品が、それぞれどう処理されているのか、空気や水を汚しているのかいないのか。そういうことがわからなければ、しろうととして、そんなことばかり考えるしかない。
便利なんだか不便なんだか。この文明はどこへ行っちまうんだか。闇に突入しているのか。
主義主張も糞もない。
川は本当に汚れた。
経団連。金の亡者ども。
おまえらこそ、放射能をたんとかぶれ。
なんで、東北の人たちがかぶらなければならない?
誘致に賛成した東北の亡者は別だが。
ひかりが
溢れていた
祖母の庭に
鶏頭と鳳仙花の花が咲いていた
好きなヒトがいたな
ひとりいたな
天国に
近かったのかな
そうでもなかったのかな
一度だけ
接吻をした
一度だけだったな
ひかりが溢れていた
今朝Facebookで
萩原健次郎さんの白木蓮の花をみました
Bart Peelさんの木蓮の花の下の
白い道をみました
秋本馨さんの辛夷の花と
狩野雅之さんの夕日に輝く樹木をみました
森川昇さんの光の桜と沼恵一さんのたいらな川面を
みました
わたしのなかで無い山がひかりました