広瀬 勉
高円寺南。
ねむってた
新幹線は
小田原を過ぎたろう
テロップのニュースには
この国の首相の言葉が流れていた
痛恨の極みだ
激しい憤りを覚える
罪を償わせる
言葉の専門家だ
政治家は
憎悪を誘導する
先頭に立っているかい
そのヒトは先頭なのかい
肉厚の緑のちぢれが
おいしそう菜の花がひらきすぎている
伊豆急河津駅改札前さいしょの信号渡ると
ホーム下の花壇はにぎやか
午前十一時二十分二月二十四日の
海に近い川沿いの町はさむい
染井吉野や大島桜が
眠りからさめる前に
いちりん
ほころびるや誘われるようにひらきはじめ
ひと月の余りも咲くのだときいた
河津桜その生まれたところ
南へ
海へ向けて
ついとさしのべられた半島の町へ
花の
とりわけ桜の好きな母を誘って
四月になると母は忙しい
上野不忍池隅田公園増上寺谷中墓地
目黒川は人が多すぎて撮りにくいのよ
両大師は御車返しもあるからやっぱり穴場だね
寛永寺のお坊さんが書いてる
上野の桜のガイドブックをすみずみまで眺め
歩いてたずねて
腕のしびれるほど長く
仰いで撮って
大島桜や染井吉野、駿河台匂が
カレンダーを飾ったあと
八重が呼ばれ
なまめかしいくちびる
蜜をこぼす
新宿御苑ときどき隼町国立劇場前
関山、御衣黄、それに普賢象
うちかさなる紅、白、黄緑いろのフリルの
かれんをたしかめ
かかとを浮かして
ああ、とためいきこぼしながらきっと
撮り続けたむすうのなかから厳選三枚添付したメールが届く
忙しいけど
あとどんなにがんばっても二十回くらしか見られないものね
添えられたことば
ふるえている花びらのあいだを
ずしんと落ちた
だったら
だったら
名前だけきいたことのあるあの桜を見に行ってみようか
立春からいくにちすると満面の笑みになるのか
そのしらない花しらない桜を見に行こうと
誘ってみようか
肉厚の葉の菜の花の傍ら水仙が
すっくり伸びていた
つんとつめたい空気をまとって
にんげんは
母も私も
伊豆急を観光バスのステップを下りるひとも
いくえにも重ね着して
肩をすくめている
菜の花にデジカメ向けている場合ではなかった
堤に上がると
川幅いっぱいのさんらん光の粉を透かして
ふくらむ紅
房の重みに
揺れる梢をこちらへさし向けて
桜が
河津桜が彼方へ
重ね着してふくらむひととひとの重なり合う先へ先へと
うち重なり並んでいるのだった
ならんでいた
(たんねんに描き込まれたペン画のような
くろぐろとあたたかな交錯
さし向けられる梢と梢の)
原木ってあるけど
この先に
まだちょっと歩くみたい
どうする?
甘酒すする休憩所で風を逃れる
歩くっていっても大したことないでしょ
ずっと平らな道だし
ずっと桜を見上げて
歩いて行くのなら歩けるよ
行ってみよう
そうだね、時には
二万歩だって歩いてしまうあなただもの
桜の下を歩くのなら行ける
でも
水を向ければ断ることがほとんどないのは
いわないけれどやりたいことが
ぎゅっとつまっているのかな
きゃしゃな身体のなかに
あ、桜のペンダント
あの時のしてきてくれたんだ
そりゃそうだよ
こんな時しなくていつするの
喜寿の記念、銀のつや消し
桜の枝に花をつぼみをあしらったトップ
飾ることをしない母への
ささやかを形にしたアクセサリ
初めての桜を見に行くからと取り出す
その時指はおどったろうか
地図で少しの距離は
歩くとやや遠い
甘酒の熱はどこかへさらわれ
川面を縁取る木々はまだ頑ななつぼみ
上流だもの、温度が違うんだ
立ち止まりふりかえり
重なり合うひととひとのなか
デジカメを向ける母を探しながら
原木への曲がり角は次の橋のところ
並ぶ屋台を背に花房重そうな一本に向かえば
さざなみだつ川面
二月二十四日午後二時
はるの入口
きょうの花びらは日の光に
かろうじて
とけのこっている
新しい 家族になろうとする人は手に 皺がよっていて、
家族づくりは自由で傲慢で、ハレンチな設計をした 遊歩道のようだった。
遊歩道に凡ゆる妻と夫を招きいれ、不信がっても、
思いこみでしかなく 私達は祝福する のみでしかありえない あからさまな他人様。
インディアンを差別するのも、そう 思いこまれるのも、自由で
十字架のシルエットに背比べを挑み、鋭角な肩パッドへと 私は、成長していくのであった。
左胸と左腕の 空洞に預けた赤ン坊がタバコのように煙りとなり、
ゴシックではない やつれ顔に痰が絡むが、思いこみに過ぎなかった。
差別を口にした口に異臭が漂うのは 思った経過に過ぎなかった。
私や私達、あそこに消えていった、新しい家族 になろうとする人は、
古めかしい物から離れた分、
切り口の境目は整形した鼻のように くっきりと目立つ。
切り口は いつしか、赤ン坊を抱いた空洞のように、深く浅はかに刺激を受けて誕生していた。
目に見えてもいいが、目に見えないように あてがわれている、
まわりくどい誕生。誕生の目が外部に晒されて、目を虚ろに届けあった。確かな微笑みに安堵したことは忘れない。
誕生の後ろに滅亡がどう? とかのSFではない。滅亡の需要に対して誕生の供給で 遊歩道は続いていく。
勝手に 決めます ごめん。
どこか、からの帰り道で見つけた灯りが定説なら、闇夜は 手を繋いで歩くほど私達や私は発光するのであった。
新しい家族になろうとする人は戻ってこれる。よろける体に、手が受け止めようと反応した。
あの、感度を摂取することに敏感になろうと、私は努力する。切り口は塞ぐようにして撫でる。撫でた手から摂取して傲慢になるのだし。