重い思い その四

 
 

鈴木志郎康

 
 

重い
思い。

重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来る。

今、この部屋に、
俺っちと麻理とふたり
ベッドを並べて寝てるっちゃ。
共に病気を抱えてね。
「ふたりのどっちが、
先に、
死ぬんだろうね」って、
眠る前に話したっちゃ。
俺っちが残っちまったら、
悲しくて寂しくて、
いやだね。
俺っちが、
先に死んだら、
麻理、どうする。
麻理がこの部屋で
ひとりで、生きてる。
その姿は、
ああ、
ああ、
交流の場の「うえはらんど」から
戻っても、
いるはずの俺っちはいない。
「ああ、疲れた」って、
麻理は
ベッドに潜り込んしまう。
リアル過ぎるよね。

俺っち、口を大きく開けて
息をめいっぱいに吸って
お腹に力を入れて、
オォオォオォー
って、叫んじゃった。

重い
思いっちゃ。
な、
な、
な。

 

 

 

ムラビンスキーのチャイコフスキー交響曲第5番

音楽の慰め 第12回

 
 

佐々木 眞

 
 

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昔むかし、今から半世紀近く前のこと、東京は原宿の千駄ヶ谷小学校の近所にあった会社で、私はリーマン生活を送っていました。
会社の小路を隔てた向かいには「ヴィラ・ビアンカ」という名の7階建てのモダンなマンションがありました。

ここは日本で最初のデザイナーズ・マンションといわれ、かつては今は亡きイラストレーターの安西水丸選手が住んでいたそうです。地下1階には中華料理屋があって、しばらくすると、そこが桑原茂一選手が経営する、かの有名なライヴハウス「ピテカトロプス」に代わるのですが、今日はその話ではなく、1階にあった中古オーディオ屋さんのお噺です。

確か「オーディオ・ユニオン」という名前のそのお店には、かなり高額の中古品のアンプやプレーヤーやスピーカーが並んでいて、当時オーデイオに夢中になっていた私は、会社の昼休みや放課後にちょくちょく顔を出し、すぐに仲良くなったお店の主任のシミズ選手に頼んで、毎日のように試聴させてもらっていたのでした。

私は、つとに名高い米国の名スピーカー「JBLの4343」、そして流行作家の五味康祐選手が絶讃していた英国製の最高級スピーカー、「タンノイ・オートグラフ」の妙なる美音に耳を傾け、「ああ安月給の自分が、こんな高嶺の花を手に入れる日が、いつか来るだろうか、いや絶対に訪れないだろう」と思いつつも、連日の「オーディオ・ユニオン」詣を欠かしませんでした。

ある日の夕方のこと、私は大学時代の同級生の門君と、このお店で待ち合わせをしました。門君は、某大学のオケのハイドンの交響曲の演奏会で、「チェロを弾きながらうたた寝していた」という伝説のある人で、私はそんな偉大な豪傑から、クラシック音楽の手引を受けたのでした。

さてくだんの門君がやって来たので、一緒に店内を物色しながら歩いていると、シミズ選手が「ササキさん、いい出物がありますよ。騙されたと思って、ちょっと聞いてみませんか」と言葉巧みに誘います。
「これから新宿の厚生年金会館でゲンナジ・ロジェストベンスキー指揮のモスクワ放送交響楽団のコンサートがあるから、ちょっとだけだよ」というと、すぐさまシミズ選手が、物置から割合小ぶりの英国製スピーカーを取り出してきました。もちろん中古品です。

「ご存じかもしれませんが、これが「KEF104ab」というイギリスのBBC放送局お墨付きのモニタースピーカーです。曲は何にしますか。なんでもいいですか。お急ぎでしょうから第4楽章だけおかけしましょうね」
といって、テクニクス製のプレーヤーに乗せたレコードが、ムラビンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団が演奏するチャイコフスキーの交響曲第5番でした。

これは1960年にウイーンに楽旅に出た彼らが、1960年 9月14, 15日にウィーンのムジークフェラインで収録したものですが、さすが毎年ニューイヤーコンサートが行われている名ホールでの録音だけあって、時代を感じさせない鮮明さで定評があったのです。

そして肝心の演奏はといえば、この曲を偏愛して何度も何度も録音を重ねた全盛時代のムラビンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団が、燃えに燃えた、空前絶後の怒涛の名演奏を繰り広げている名盤中の名盤なのです。

そんなことは、門君も私もよーく分かっているのですが、驚くべきはその貴重な音源をものの見事に劇的に音化している、この、見た目は貧相な2本のスピーカーです。
低音もブンブン唸っているが、殊に中高音の鳴りっぷりが素晴らしい。ムラビンスキーと当時のソ連ナンバーワンのレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団と名機「KEF104ab」が、完全に三位一体となって、歌いに歌いまくっている。

有名な「運命の動機」が高らかに奏され、ホルンとトランペットが豪快に応答しながら終曲に殺到するコーダでは、文字通り、血沸き肉が踊る思いで、演奏が終ると、私と門君は、思わず「ブラボー!」を何度も叫んで「KEF104ab」選手に向かって盛大な拍手を贈っていました。

それまでのどんな生演奏でも味わったことのない感動、そしてこの直後、新宿厚生年金会館でゲンナジ・ロジェストベンスキー指揮のモスクワ放送交響楽団が聞かせてくれた、チャイコフスキーの交響曲第4番のこけおどしの阿呆莫迦演奏を遥かに凌ぐ真率な感動を、この英国製の「地味にスゴイ!」中古スピーカーは、生まれて初めて私に体験させてくれたのでした。

 

 

空白空白空白空白空白空白空白空白空空白空白空白空白空白空白空白空白空大興奮のまま、来月に続く

 

 

 

ひとつ

 

長田典子

 
 

この
むねのあつみ
このかたはば
このたいおん
この匂いじゃないとだめなの

この左かたの下あたり
この左むねの上あたり
このばしょじゃないとだめなの

このばしょは
わたしの顔をうずめるためにあるの

せっくす
するとか
せっくす
しないと

じゃなくて

こころです

こころって
きもちです

あいしてる
きもちをかさねあわせます

この
むねのあつみ
このかたはば
このたいおん
この匂いじゃないとだめなの
あなたの左かたの下あたり
あなたの左むねの上あたり
わたしのばしょに
顔をうずめます

あなたは
りょうほうのうでで
わたしのせなかを
だきしめます
だきしめあいます
つよく
つよく
つよく
あいしてる

ひとつです

 

 

 

空の一行

 

萩原健次郎

 
 

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あかがね、錆びている。湿った扇状地に、伏したあなた
のベルトの金具なのかなあと手ですくったらぼろぼろと
砕けて、粒状になって池塘に溶けた。砂糖のようでもあ
り、発酵させた飲料のようでもあり、白濁して、元の金
属の面影もない。元の身の、あなたの欠片のどの部分も
判別できない。怒った貌、嘆いた口元、諦めた胴、手の
ひらで招く仕草、唄う胸。書記の手。手から面に傷つけ
られた痕跡、文字、単語、何かを訴えている信号。愛玩
していた道具、いつもそばにいた動物。

書棚に並べられた誰かの全集の、途切れている巻が少し
ずつはっきりしてきて、その途切れにこの扇状地を歩き、
ぶつぶつと呟きながら、詩行を硬直させてただ凍らせた
だけだった。朝は零下の、その凍えた空気のまま、氷室
となった山の芯の底深く、蟻の巣状の道をひたすら遭難
しているだけだった。書簡集、小品一、小品二、俳句、
日記。それらは、紙であったことはなく、ただ、服を腰
にとどめるための器具として、ぼろぼろに粒となるあか
がねだった。

肌の思い出という巻があったはずだと、もう他界してか
らあなたはどこかの隠れ場所で回想している。金属の刃
で指先の面を裂いたこととか、知っている人の知ってい
る肌が、他人の指で撫でられたときに幽かに漏れてくる
音だとか。そういう記述であったようだと、像をさがそ
うとするが、像はどの点でも線でも結ばれず、ただの音
楽となって宙に消えていく。他界をしたら蒸発してしま
うのかなあなどと、それは暢気に考えていた。臨終の瞬
間に、あらゆる点も線も消えていく。肌の音も。

生きてもいない人の遭難している様子を眺めている人な
んていないだろうと思っていたら、どうやらいるようだ。
朝の鳥に化けている。群れとなって朝、山の池の巣に帰
る、その中の一羽の、その鳥の眼の中の、水晶玉。正し
くは、映っているだけなのだが、自動的に記録されてい
る。わたしの、かつてあったベルトのあかがねの、水に
溶ける寸前の、感嘆は、見えないだろう。だから無防備
な、鳥の眼の水晶体を攻撃する。朝陽のハレーション、
ぷしゅん。かすかなぷしゅんが、鳥の群れに網をかける。

この一帯の、湿潤した、あきらめの扇状は、かつて肌を
合わせた人の胸のひろがりだった。わたしはね。わたし
は今は、ぼろぼろのあかがねの粒だけど、わたしのね、
肉は、まだ湿潤していないよと、抜けた巻に文字を記し
て棚に戻した。音の羽の川は、水と土の境をあいまいに
して、肌の記憶をぴったりに重ねた。ふたりのひとがた
ではなく、ひとつのひとがたとなって、池塘は滅ばない
でいつも鳥の道標を奏でていた。どこまでが、抜けた巻
の詩行であったかは、もうわからない。

 
空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白連作「音の羽」のうち

 

 

 

夢は第2の人生である 第46回

西暦2016年長月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

佐々木 眞

 
 

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私は司会者から「たかがゴミだが最後にひと泡ふかせるゴミ」という注釈つきで紹介された。見ると壇上にゴミのぬいぐるみが置いてあったので、それを頭からかぶって「主とは一人称単数なり」という短詩を朗読した。9/1

自分で言うのもなんだが、その頃の私は写真家としての絶頂期で、どんな被写体であろうが、レンズを向けるやいなや、前人未到空前絶後の物凄い映像が撮れるのであった。9/2

友人の軽井沢の別荘でくつろいでいたら、突然安倍蚤糞のお気に入りで、AKBを売り出して大儲けしている作詞家がやって来て、挨拶もせずにニタニタ笑うので、けたくそ悪くなって引き揚げた。9/4

宮廷から招かれた昼食会は、なぜだか当世風のバイキング方式だったが、盛装した老人たちは、遥か遠方に三々五々配置された食卓の上の食べ物を、皿に取ることができず、大層困惑していた。9/5

丑三つ時に、猛烈に左の奥歯が痛くなった。これはもう我慢が出来ない。朝になったら岸本歯科に電話して、すぐに治療してもらおうと思ったのだが、朝になると軽快しているので、あの夢は本当だったのか、それとも嘘だったのか、奥歯を触りながら考えているところ。9/6

今から何十年も前、この山奥の駅で、大勢のサーカス団の人々が死んだという。9/7

「その美形を抱きに来たんだろう。早く見番に行って指名しろよ」と廻りの連中はしきりにそそのかすのだが、私は、なぜかその女が怖いので、ためらっている。9/8

社長が「今季のテーマはビッグシルエットだ」と命じているのに、最末端の新入りの彼女だけは、ミニばかりデザインしていたので、とうとう馘首されてしまった。9/11

いくら呼んでも、恋の呼び出しに応えられなかった。9/12

この節は、できるだけ寡黙に徹して、馬脚を現さないように努めるのに精いっぱいだった。9/12

中韓両国との外交折衝を担当する私は、虫歯と難交渉で疲労困憊したので、急遽帰国して横須賀の岸本歯科に立ち寄り、その後小田原の元老に経過を報告しにいった。9/13

昼食の時間になったので一膳飯屋に入ると、1階は超満員なので、2階へ行こうと階段を登ろうとしたが、そこもおしくら饅頭の状態である。ここで妻と待ち合わせをしている私は、はたと困った。9/14

帰宅する途中で、パーティがあることに気付いた。出版社が年2回開催していて、豪華な食いものやお土産がついてくるので、会場のホテルに行こうと思ったが、その近くのコンサートホールで、死んだはずのパバロッティが1曲歌うというので、私の心は揺れた。9/15

「伊勢丹は80年代に戻っています」という広告コピーが出来たので、早速真木準に見せようと思ったが、彼はもう泉下の人となっているので、私は誰に相談していいのか分からなかった。9/16

私は、長州藩の侍だった。いま池田屋に戻れば、新撰組に殺されてしまう。行かなければ、命は助かる。はてさてどうしたものか、といつまでも東大路の道端に佇んでいた。9/16

細長いビルで開催された日本美術展の作品を、階上から順番に見物し終えると、もうどこへも行きたくなかったので、私は1階の展示スペースの真ん中で昼食をとった。9/17

散歩に行くと、日本人と日本人、日本人と外国人、外国人と外国人というさまざまな組み合わせではあったが、みなあられもないすがたで、道端で無我夢中で番っていた。9/18

私が景品として貰った2千万円を贈ると、彼女は「有難うございます。これでようやっとお家を作ることができます」というて、深々とお辞儀をした。9/19

仲間と観光地を歩いているうちに、私だけが遅れてしまったので、追い付こうと懸命に歩いているうちに、道がまくれ上がるようにしてどんどん立ち上がり、急勾配の坂道から壁になってしまったので、私は途方に暮れた。9/19

なんとかいう有名なグルメの達人の甘味チエックが、ぺろりと入った。私はいよいよ食べられてしまうのか。9/20

私は、ブレーメンで何も買わなかったことを悔やんだ。夜な夜な悔んだが、どうしようもなかった。9/20

そのレストランの3階から、勢いよく2階のベランダに滑り降りたのだが、私はまるで仰向けになった海亀のようにもがいていたら、電通の古川選手たちが嘲笑った。9/21

樋口さんちの隣の小路を降りてゆくと、深い谷間になって、そこを森林鉄道が走っていた。あれは確か九州へ行くはずだと思って、さらに谷間をどんどん下って行くのだが、いつまで経っても辿りつかない。9/21

中央公論社の営業の田中君は、私を無理矢理バスに乗せたのだが、生憎超満員だったので身動きできない。こんな状態で到底3時間も我慢できないのでバスから降りると、田中君は「困ります。社長に怒られるのでなんとか乗って下さい」と訴えるのだった。9/22

河の中にWが手招きしているので、見ると、AとBと女がいた。「どうした、早く上がってこいよ」というと、Wは首を振る。私は、Wは女の前ではいつもとがらせているので、そこから身動きできなのだろう、と想像した。9/24

そこで私は、もうWにそれ以上呼びかけるのをやめてしまったが、急激に体力を失ってしまったWは、下流の方へどんどん流されていった。9/24

東京支店では、型どおりのしんねりむっつり型の展示だったが、大阪支店では、私は空飛ぶマネキンに変身させられ、部屋から部屋へとムササビのように飛びまわり、最後は韃靼人のように踊らされた。9/25

ショーのおまけつきの展示会が終って、帰ろうとしたら、高木さんが、手招きするのでついていくと、中島君の部屋が大改造され、2人のモデルが遊んでいた。これでは東京に帰れそうもない。9/25

息子と歯医者へ行ったが、2人とも予約がないので断られてしまったので、泣く泣くお手手をつないで引き返したのだが、いつの間にか息子は行方不明になってしまった。9/26

一度もゴミ出しをしなかった隣の人が、久しぶりに運び出したのだが、その分量たるやあまりにも物凄くて、ゴミ置き場はたちまち見えなくなってしまった。9/28

ホテルで美人コンテストが開催され、A嬢がグランプリに選ばれた。私は個人的にB嬢がすさわしいのではないかと思っていたので、異議を唱えようとしたが、時既に遅く、夕方皆でてんぷらを食べて別れた。9/29

不気味な死神に追われて、女が私に助けを求めてきたので、匿ってやったが、死神が「早く始末してしまえ」となおも迫ってくるので、私も困り果てたが、家に帰ってみると、女は巨大なイカやタコを全身に巻き付けて、息を引き取っていた。9/30

 

 

 

重い思い その三

 

鈴木志郎康

 
 

重い
思い。

重い思いが、
俺っちの
心に
覆い被さって来る。

ドラムカン
あれれ、
空のドラムカン。
空のドラムカンが横積みにうず高く積み上げられてる。
空のドラムカンが転がらされてる。
ドラムカンが転がらされてる。
あれれ。

ごとごろん
ごとごろん、ごとごとごろん。

重い思いっちゃ。