うさぎ

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 12     tomoharu 様へ

さとう三千魚

 

 

ひとり

たたずむ
のかな

佇んで
いたな

きみは
ピンクの

グラジオラス
なんだね

なにを
思い出して

いたのか

うさぎ
瞳が黒かった

 

 

memo.

2022年7月3日(日)、静岡市の水曜文庫という書店で行ったひとりイベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩! 第二回 」で作った詩です。

お客さまにお名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、捧げました。

タイトル ”うさぎ”
花の名前 ”グラジオラス(紅、またはピンクの)”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

かの鳥は塔の岪(へつり)に住む

 

一条美由紀

 
 


彼女は正義の味方だった
鉄腕アトムは彼女の仮の姿だった
少女の時はなぜ世間は窮屈で偏見に満ちているのかと思っていた
大人になり、いろんなこととうまく距離を持つことを覚え、
母になり悩みながらも子供に多くの愛情が自分から生まれてくることに驚いた
その中でも彼女は正義の味方だった
時に間違いも犯したが、いつも正しいと思うことを目指した
今彼女は少し背中が丸くなり、膝は歩くたびに痛む
アトムだった女は、もう正義の味方ではなく、自分自身の味方となった

 


生(せい)のあるものだけが知っているフィクション
Yesの意味は無限にあり、どれを選んでも正解である

 


変形自在な価値観が世界を覆い、
自分の目と感覚の自信が壊れてしまう。
迷い児となり助けを求めても、
流れをやめない喧騒に溶けて行く

 

 

 

緑と青

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 11     mitsuru 様へ

さとう三千魚

 

 

赤だったり

ピンク
だったり

黄色だったり
した

きみは
咲いていた

ならんで
揺れていた

緑と
青の

わたしは
場所にいた

 

 

memo.

2022年7月3日(日)、静岡市の水曜文庫という書店で行ったひとりイベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩! 第二回 」で作った詩です。

お客さまにお名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、捧げました。

タイトル ”緑と青”
花の名前 ”チューリップ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

透明なアクリル板

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! 10     saki 様へ

さとう三千魚

 

 

からっぽ

いうのかしら

透明な
アクリルと

いうの
かしら

そこに
白く

咲いていたよ

リョウブの花

咲いていた
揺れていた

 

 

memo.

2022年7月3日(日)、静岡市の水曜文庫という書店で行ったひとりイベント、
「 無一物野郎の詩、乃至 無詩! 第二回 」で作った詩です。

お客さまにお名前とタイトル、好きな花の名前を伺い、その場で詩を体現しプリント、押印し、捧げました。

タイトル ”透明なアクリル板”
花の名前 ”リョウブ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

Tango de las madres locas
狂った母親たちのタンゴ

 

工藤冬里

 
 

https://youtu.be/Kl43ObkSgS0

https://twitter.com/twisuspendead/status/1543419493644652544?s=21&t=JjknLd53yvjsdcrDgbhXZA

適度の心配、適度に自分を愛すること、それらはためになることがある。(だから)心配しすぎないようにして、説明のつかない平和を味わい、基準を下げろと言ってくる器(ヤカラ)を無視し、軍事用語で見張る。
将来は(今のように)平和を追い求める必要はなくなる。乱すものはすべて自己愛から来ている。平和は気の持ちようだということだ。私たちは(毎日)夜に死んで、(それによって)(やっと)生きているのではないか。(それなのに)死ねない夜があると、気の狂った母親たちのタンゴが、長調と短調を点滅させる。(そのようにして)平和は正しさと結びついていることが知れる。(フラメンコの)タンゴ、(フラメンコの)ルンバ、死ねなかった夜たちの、異なった現実を翻訳してみる。

凄い地形ね

Todos los jueves del año
A las once de la mañana
Junto a la Plaza de Mayo
Con lluvia frío o calor
Te esperaré vida mía
Frente a la Casa Rosada
La espina de tu mirada
Clavada en mi corazón.

Me dicen que no te fuiste, mi bien
Que te desaparecieron
Que te vieron en la cuneta
Cantando “El Yira” de Carlos Gardel
Que de pronto te esfumaste
Que te borraron del mapa
Que ni siquiera naciste
Que medio loca mamá te inventó.

Con Malvinas o sin Malvinas
Grito tu nombre por las esquinas,
Mientras que los generales
Se dan al Tango
Por los portales.
Tango de las madres locas
Coplas de amor y silencio
Con vida se los llevaron
Y con vida los queremos.
Con Malvinas o sin Malvinas
¿Dónde está Pedro? ¿Dónde está Lidia?
Con Malvinas o sin Malvinas
Grito tu nombre por las esquinas.

Cada vez que dicen : “Patria”
Pienso en el pueblo y me pongo a temblar
En las miserias que vienen
Y en los fantasmas de la soledad
¿Petronila qué te hicieron?
¡Qué mala cara tenéis!
– La que me dejó Videla
– A mí Galtieri ya ves…

Con Malvinas o sin Malvinas…

 

参考までに。昨日広島でフラメンコのピアノの仕事でこの曲を弾いたのですが、固有名詞が沢山出てくるので何の歌が調べたら、フォークランド紛争の時に息子を失くしたアルゼンチンの母親たちの歌なのでした。彼女たちは毎週木曜日にデモをしていて、まだ続いているそうです。キーが短調と長調を行き来する不思議な「タンゴ」ですが、フラメンコのタンゴは4拍子ではありますが現行のアルゼンチンタンゴとは違い、恐らくは発生時のタンゴに近いもので、リズムの切れを曖昧にして、わざと社会との距離を取っているように聞こえます。

 

 

 

#poetry #rock musician