一条美由紀
海がある。海の行き着く先に違う国がある。
空がある。空を超えると未知の世界が広がっている。
でもここに居よう。
私はここに在る。
ここでできることは何かと考えよう。
そして最後は
透明な意識となって全てを忘れよう。
純粋無垢の醜さには我慢ならない
ガラスの椅子に座るその身体は美しい
剥がれていく肌の痛みは、他の誰かに委ねたままだ。
ここのところ猛暑が続いている。
7月の終わりまで長雨が続いていたことが嘘のようだ。
今日の浜松は気温が40°Cを超えたということだ。
日本の最高気温を記録したとTVのニュースで言っていた。
40°Cというのはヒトの体温よりも暑い。
外にでて日射しの下に長くいたら熱中症で死んでしまうだろう。
猛暑というのか酷暑というのか。
こんな夏を灼熱の地獄といったらもっと酷い場所に居られる方々からお叱りを受けるだろうか?
しかし2020年のこの夏のことは、たぶん忘れられないだろうとわたしには思える。
コロナウイルスが蔓延しているにも関わらず世界の指導者たちは経済を優先した政策を取っている。
日本も同様に感染者数が増加しているなかで「Go To トラベル」事業という政策に舵を切った。
アメリカもロシアもブラジルもインドも指導者の政策により灼熱の地獄に向かっている。
日本も政治の無策が続いている。
中国は香港国家安全維持法により地獄への道を選んだ。
中国は国内においても、チベット、香港においても、国家の安全を維持するためというよりも、
共産党独裁体制を維持するための法案を作り人々の生と生活の自由を取り締まろうとするだろう。
ここまでくると国家というものを動かしている指導者たちの動向が日々の中に見えてくる。
国家の政治というものがいかに偏ったものであるかが見えてくる。
その偏りに巣食っている者たちがいるのだろう。
国家という枠組みを考えなおす時ではないだろうか?
国家は本当に人々に利益をもたらしているのか?
むしろ国家はわざわざ世界の人々を分断させていないだろうか?
国家は暴走することをわたしたちは知っている。
国家の指導者たちの暴走をわたしたちは監視する必要があるだろう。
また国家を超えて人々が繋がるようなシステムをわたしたちは構想するべきではないか?
・
朝、ナガサキアゲハと会った。
女が出掛けるのを犬のモコと見送り、
モコを抱いて、
木蓮と南天と金木犀、あじさいに水をやり、
ヤブタビラコに水をやる。
ふと見上げると金木犀の枝に蔓を這わせて咲いたノウゼンカズラの花に赤い斑点がある黒揚羽が舞い降りてきたのだった。
ナガサキアゲハだった。
ナガサキアゲハが、
ふわふわと舞い降りてきてノウゼンカズラのオレンジ色の花にとまったのだった。
この灼熱の日にナガサキアゲハはノウゼンカズラのオレンジの花にふわふわと舞い降りてきたのだった。
その無垢に眩暈がした。
この灼熱の世界を見て、
この灼熱を引き受けて、
原初がもういちど世界を形成するのを見るようだった。
ナガサキアゲハと会った。
ほとんど言葉がありません。
作画解説 さとう三千魚
ここのところ、毎日、詩を書いている。
毎日、詩を書いて、浜風文庫にアップしている。
土曜日と、日曜日は、休んで、
月曜から金曜まで、毎日、詩をアップしている。
「浜辺にて」というわたしの詩集に収められた詩も2013年6月から約2年間ほぼ毎日書いて浜風文庫にアップした詩を纏めてもらった詩集だった。全部の詩ではなく550篇くらいの詩が掲載されていて、索引まであり、分厚く辞書のように立ち倒れない、自立できる詩集です。 * 1
今回は、写真家の広瀬勉とミュージシャンの工藤冬里が伴走者だ。
広瀬勉のブロック塀の写真と工藤冬里の詩も、毎日、アップしている。
いつまで続けるという約束もしないではじめた。 * 2
4月1日から土日以外の毎日、詩を書いて、浜風文庫に公開している。
毎回、詩を探索するということを行っている。
実は、わたしには、詩とは何なのか、わからないのだ。
書いてみないと詩はわからないのだ。
いままでの経験とこのいまの探索の先に詩は一瞬にひかるのを感じることができるものだ。
だから、様式も、形もない。
いままでの様式と形を崩した先に、やっと光るか、ひからないか。
そんな風に、毎日、詩のようなものを書いているわけです。
さて、
先日、
東京に行かなかった。
7月10日から桑原正彦の個展が六本木の小山登美夫ギャラリーではじまった。 * 3
初日に行くつもりだった。
それが東京のコロナ感染者数の急増で見合せてしまった。
誰からも止められているわけではないがわたしの判断で見合わせたのだ。
わたしがコロナに感染するのは仕方がないが、わたしが感染したら家族や近所や仕事関係者に迷惑をかかるからだ。
わたしの判断で行かなかった。
残念だった。
あれからもう一週間が経とうとしているが東京のコロナ感染数はさらに増加した。
今日は、過去最多、293人となった。(2020年7月18日現在) * 4
感染者は中国で2月にピークとなり、3月から欧米に拡大し、5月にアジア、アフリカ、中南米に拡大した。
日本の累計感染者数は24,318人、累計死者数985人(2020年7月18日現在)* 5
世界の累計感染者数は1,389,681人、累計死者数590,005人(2020年7月18日現在)* 5
アメリカは1日あたりの感染者数が一時2万人を下回ったが6月下旬から増加に転じ7月17日は過去最多の7万7000人/1日の感染者となっている。また、アメリカ、ブラジル、インド、ロシア、南アフリカの新規感染者の増加が続いている。
各国に離散したシリア難民や、南米やアフリカや南アジアなどの各国には医療が届かない人たちがいるだろう。
中国、韓国、台湾、ベトナムの累計増加数が横ばいとなっているのは対策によりほぼ新規感染が制御されているということだろうか。 * 5
わたしの調べられる情報の範囲で、各国の新型コロナウイルスへの対策により新規感染者数、新規死亡者数には大きな差異が出ていることが見えてくる。わたしたちは、中国、韓国、ベトナムなどのコロナ対策を学ぶ必要がある。
その日本が「Go To トラベル」キャンペーンを東京を除外して7月22日から実施するという。
税金1兆3,500億円を使うのだという。
除外される東京の人たちの税金も使われるのだろう。
呆れる。ほとんど、あきれる。
この国の政治家たちは経済優先のアメリカの政策に追従するのだろう。
その税金を奮闘している医療機関や医療者たち、医薬品の開発、医療機器開発に当てたらどうなのだろうかと、
思います。
・
もう、夕方になってしまいました。
ここのところ雨がつづいていて、雨は止んでも、西の山は雨雲に隠れています。
そこに西の山があるとわかっても山は雲に隠れています。
あきれて物も言えません。
呆れていても世の中は変わりません。
声にならない声を上げています。
毎日、詩を書いています。
作画解説 さとう三千魚
* 1 「浜辺にて」
http://www.rankasha.co.jp/book/bungei/index.html
* 2 「浜風文庫」
https://beachwind-lib.net
・広瀬勉のページ
https://beachwind-lib.net/?cat=18
・工藤冬里のページ
https://beachwind-lib.net/?cat=53
・さとう三千魚のページ
https://beachwind-lib.net/?cat=53
* 3 「桑原正彦 heavenly peach」
http://tomiokoyamagallery.com/exhibitions/kuwahara2020/
* 4 「東京都コロナウイルス感染症対策サイト」
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp
* 5 「朝日新聞 2020年7月18日朝刊」
* 6 「日本経済新聞社 チャートで見る世界の感染状況 新型コロナウイルス」
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-chart-list/
夕食を食べてから考えはじめて、
途中に寝て、
夜中に再開してボーッとして、また、朝になってしまった。
「2次補正 疑念残し成立」 * 1
「給付金事業委託「中抜き」」 * 1
「予備費10兆円「白紙委任」 * 1
「河井夫妻、100人に2600万円か」 * 1
「米警官 今度は黒人射殺」 * 1
「陸上イージス計画停止」「技術改修に時間・費用」 * 1
「河野防衛相「合理的でない」」 * 1
「北朝鮮、南北事務所を爆破」 * 1
最近、5日間ほどの朝刊一面の見出しです。
ここのところ、TVの国会中継をチラチラと見ていた。
この国の首相が、平気で、言い訳や、嘘とわかる嘘や、時間稼ぎの答弁をしている。
大臣や、官僚たちが指名され、忖度し、答弁している。
あきれてしまう。
すでにあきれてしまう。
政治家というのは「コトバ」の専門家だと思っていたが、国会中継を見ていると、改めて政治家は「コトバ」の専門家だと思えます。
「コトバ」の専門家は、「コトバ」の機能と効果をよく理解して、使用しているということでしょう。
「コトバ」の機能と効果をよく理解して、自分や自分たちの党派のメリットを最大に引き出すように使用しているということでしょう。
そこに求められるのは「コトバ」の真実ではなく、効果と結果だというわけだろう。
そんな「コトバ」、わたしは国会中継で、見たくも聞きたくもないのだった。
・
「空気を喰う」ということを思ったことがある。
一昨年だったか、
高円寺のコクテイル書房で、
広瀬勉の写真展「鎌倉詣」を見に行った時に思ったことだったか。
亡くなった女性作家や友人たちとの黒姫での写真や、
鎌倉の海辺の道路を渡ろうとする老いた田村隆一や、
旅館の一室で二人きりで撮っただろう浴衣の少女の写真や、
うなだれた黒猫、
広瀬勉の逃れ難く言い訳のきかない写真を見たときに、写真は「空気を喰う」ほかないのだと思ったのだった。
広瀬勉の写真を見て言葉を失った。
絶句した。
写真も、詩も、
この世の絶句に突き当たった時に、語りはじめられる言語なのだろう。
「空気を喰う」といえば、
詩人たち23人による「空気の日記」という連載詩がある。
「空気の日記」は、WEB誌「SPINNER」で2020年4月1日から開始された。
”新型コロナウイルスの感染拡大により、街の様子がすっかり変わりました。
多くの人々が、せいぜい悪性のかぜみたいなものだと思っていたのはほんのひと月前で、社会の空気の変化に驚いています。
未曾有の事態なので様々な出来事は記録されていきますが、こういう時こそ、人々の感情の変化の様子をしっかり留めておくべきではないかと思いました。
「空気の日記」は、詩人による輪番制のweb日記です。その日の出来事とその時の感情を簡潔に記していく、いわば「空気の叙事詩」。
2020年4月1日より、1年間のプロジェクトとしてスタートします。” * 2
と説明されています。
その連載の「空気の叙事詩」の中から、白井明大さんの空気の詩をひとつ引用させていただきます。
朝ね
暑い て起きて
熱測ってみたら三十七度もあって
きみが話してくれている
もういちど
水飲んでから測ったら三十六度五分だった
、て
二人が出かけていく
ほんの短い間に何が起きてるか
寝てるとふだん何も知らなくて
たまたま今日にかぎって耳にできたのは
暑い てぼくの耳も
いつもよりずいぶん早く
動きはじめたからなんだろう
南風が吹く
梅雨明けの白南風が
鉦を鳴らして夏を呼ぶ
カーチーベーが来るより早く
風も鉦も知らせない
息苦しさを
呼ぶ声のずっとしないままでいて * 2
詩の言葉は、家族のいる空間のなかで、絶句して、います。
絶句して、そして吃りながら、
詩の言葉は、言葉の身体を生きようとしているように見えます。
政治家たちの言葉から遠い場所にこの詩はわたしたちを連れて行こうとしているように見えます。
その遠い場所とはわたしたち自身のなかにあるでしょう。
わたしたち自身のなかに「空気」の詩はあるでしょう。
作画解説 さとう三千魚
* 1 「朝日新聞」2020年6月13日から6月17日より引用しました。
* 2 「WEB誌「SPINNER」「空気の日記」プロジェクトスタートの言葉より引用しました。
* 3 「WEB誌「SPINNER」「空気の日記」6月12日(金)白井明大さんの詩より引用しました。
「空気の日記」
https://spinner.fun/diary/