一条美由紀
王冠の下に泉があった
民は隠れている
王は言った
「出でよ、我が前に!」
白漠とした宮殿には王の声だけが響いた
栄えるものは滅びる
地下に眠るものはやがて起きてくる
静かに静かに彼らはやってくる
我々の乗る電車はいつか停車する
ネコは暖かい
ネコは柔らかい
ネコはひだまり
そして私の猫は天国にいる
菅義偉(すがよしひで)総理大臣は16日、内閣発足から3カ月となることを受け、首相官邸で報道陣の取材に応じた。 *
Go Toトラベルを年末年始に全国一斉での停止を発表した14日夜に、自民党の二階俊博幹事長らと5人以上で会食をしていたことについて、「他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている」と話した。 *
ということです。
何も、
わたしたちは誤解できないです。
新型コロナウイルスの感染対策として政府が5人以上の会食や忘年会の自粛を求めている中で、菅さんが政府の要請に反して、7人と会食した、という事実を、わたしは、誤解できないです。
菅義偉総理大臣は、
わたしの田舎、秋田県の英雄です。
菅さんが総理大臣になってから思い出したのですが、
菅義偉さんは秋田県県南の秋ノ宮温泉郷の出身で湯沢高校の卒業生であります。
秋には見渡すかぎり黄金色の稲穂が田んぼにひろがる横手盆地、
その南の端っこの山と山に囲まれた秋ノ宮温泉郷が菅義偉さんの故郷です。
わたしの母が通っていた温泉で菅義偉さんのお母さんと知り合いになり親しくしていただいたと死んだ母から聞いたことがありました。
今年10月の終わりに葬儀で田舎に帰ったのですが、秋の宮の辺りでは菅新総理をお祝いするのぼり旗が立っていました。
また、秋田湯沢駅にはお祝いの横断幕が掛けられていました。
近所の道の駅では菅総理饅頭が売られていて、
県外産の祝菅総理土産用お菓子も売られていました。
菅さんは湯沢高校を卒業して「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京し、
板橋のダンボール工場で働き、2か月で工場を退職。それから約2年後に法政大学法学部政治学科に入学する。 **
在学中には実家から仕送りも受けつつ、警備員や新聞社、カレー屋のアルバイトで生活費と学費を稼いでいた。 **
1973年、法政大学法学部政治学科を卒業し、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社した。
1975年、政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉の秘書を紹介され、自由民主党で同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。 **
とウィキペディアには書かれています。
自分の若い体験と重なるところもあり、若かった菅さんの姿が見えるように思えます。
若い菅さんは秋田や東京の現実を見て、この世界を変えるのは「政治」しかないと思ったのだと思います。
わたしも秋田の田舎から出てきて、
満員電車やアルバイトや会社を体験して、貧富の差や、この世界の矛盾や嘘、を感じた者の一人でした。
菅さんは、政治家を志して国会議員の秘書になり、人脈の海の中を泳いで、泳いで、総理大臣まで登りつめたのだと思います。
大変なことだったと思います。秋田県の英雄だと思います。
どれほどの苦い苦い水を飲んだことでしょう。
その苦さが菅さんの表情に現れていると思います。
「他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている」と、
菅さんは記者会見で語ったのだそうです。
わたし、誤解はしませんでした。
ただその言葉の「真摯」や「反省」は真実なのか、どうか、と思いました。
わたしには、今年、10月に亡くなった山形県寒河江市出身の写真家、鬼海弘雄さんの顔が、思い浮かびました。
鬼海弘雄さんは菅さんと同じ法政大学の哲学科を出て写真家になり、コロナ禍の今年、2020年10月19日に亡くなりました。
嘘のない素晴らしい人だったと思っています。
トラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組員などの仕事をしながら浅草の人々の大切な写真を撮り残していってくれました。
鬼海弘雄さんの写真にはわたしたちの希望のひかりがあると思います。
12月15日の新聞の夕刊一面には「食も住まいも「明日どうなる・・・」」という見出しが立っています。 ***
東京池袋の路上生活者を支援するNPOの炊き出しの列に若者たちも多く並んでいるということです。
今、コロナ禍のなかで、弱い人たちに支援の手が届いていないのではないでしょうか?
「Go To トラベル」の予算は1兆1,248億円だそうです。
経営が厳しくなる中小の企業ではこれからリストラが進むのではないでしょうか?
そこでは弱者が真っ先に切られていくでしょう。
受け皿が必要なのです。
今のこの世界には弱者を受ける皿が必要なのです。
1兆1,248億円の予算があったら弱者たちを受ける皿を作り、その皿を運動体として活性化させる政策が必要なのです。
下からの運動体を作る政策が必要になっているのです。
まるで政治家のように語ってしまいました。
嘘を言うつもりはありません。
呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。
* 東京新聞WEB版 2020年12月16日の記事より引用させていただきました。
** ウィキペディア(Wikipedia)より引用させていただきました。
*** 朝日新聞 12月15日夕刊一面より引用させていただきました。
作画解説 さとう三千魚
2013年に上野の東京国立博物館で開催された展覧会、
「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」特別展のカタログだ。
2013年、
まだ寒い1月だったか2月だったか、
たしか仕事を休んで見にいったのだったか。
東日本大震災から2年が過ぎようとしている頃だった。
円空は長鉈(ながなた)一本で木っ端に仏像を彫ったのだという。
飛騨高山だけでなく、東北や北海道までも歩いて行き、仏法を説き、仏像を彫ったのだという。
全国各地で生涯、12万体もの仏像を彫ったのだという。
オン バサラ タラマ キリク
オン バサラ タラマ キリク
オン バサラ タラマ キリク
円空は真言を唱えながら長鉈を振るったのだという。 *
両面宿儺坐像
金剛力士仁王立像、
菩薩、
観音、
釈迦如来、
弁財天、
不動明王、烏天狗、
柿本人麿、
それぞれの像がどれもぼんやりと微笑んでいて、やさしい。
しかも、微笑んでいるだけで、語ろうとはしていないようだ。
百姓や町人や山人、漁夫、流浪の人たち、
それら地上の人たちの幸を祈っているのだろう。
当時でも、絵描や歌人、音楽家は、支配階級の庇護のもと生きていたのだろうが、
円空や円空仏はどうだっただろうか?
百姓や町人、山人、漁夫、流浪の人たちなど底辺の人たちに円空は大切にされたのではないだろうかと、
その木像のお顔を見ていると思える。
円空仏の(十一面観音菩薩立像など)お顔や体の全面に木の木目が縦に現れてあり、そこには地平に対する垂直の願いであるようにも思えてくる。
金剛力士仁王立像吽形は、円空が生きた立木に梯子を掛けて彫ったものとされ、木の枝の付け根が虚(うろ)となっていて、
その虚が背中側になっていて、凄まじい生の現れと思えてくる。
円空の釈迦如来も阿弥陀如来も薬師如来も、みんな目を瞑っている。
半眼と言うのだろうか。
十一面観音菩薩立像は少女のようだ。
胸元で手を合わせて目を瞑り木目のなかで祈っている。
他者の幸を祈るカタチなのだろうと思える。
今朝の朝刊を見ると、
コロナウィルスが再び猛威を振るっているという。
第三波なのか。
冬を迎えて、欧州やアメリカ、日本でも、感染者が増え、重症患者の増加に伴い医療現場が逼迫しつつあるのだという。
東日本大震災の時もそうだったが、
コロナの現在も円空仏たちは目を瞑り祈っているだろうと思えてくる。
コロナでわかったことがある。
コロナの分断と移動の禁止でわかったことがある。
ヒトは他のヒトと肌を触れて生きてきたということだ。
ヒトは他のヒトと肌を触れて、息を交換し、体液と血を交換し、生き延びてきたのだったろう。
それらの交換がコロナウィルスの侵攻で禁止されてしまった。
ヒトは、詩や音楽や舞踏やアートは、やがてそこ、交換の場所に帰っていくだろう。
木目のなかに静まり、目を瞑り、円空の木っ端の仏像とともにわたしたちはこの世の疫病の退散を願わずにいられない。
地平には、まだたくさんの生きたヒトたちが残されている。
呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。
*「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」特別展カタログ掲載 千光寺住職 大下大圓氏のテキスト「祈念 〜木っ端に込めた鎮魂と救済〜」を参照しました。
作画解説 さとう三千魚
もうすぐ朝になるのだろう。
Philip Glassの”Dead Things”というピアノ曲を聴いている。
なんども聴いている。
死んだ物たち、
という曲。
死んだ物たちを思うのは、生きているヒトだろう。
生きているヒトは死んだ物たちを思い、語りかけるだろう。
そこに”橋”がある。
昨日の昼には、
静岡市に開店したHiBARI BOOKS & COFFEEという新刊書店に行き、
おいしいコーヒーを飲んだ。
それからお店の奥で開催されている多々良栄里さんの写真展「文と詩」を見た。
多々良栄里さんの写真にはヒトがいた。
そこにはヒトがいた。
懐かしいヒトたちだった。
懐かしいヒトたちの前で言葉は慎まなければならない。
懐かしいヒトたちは、わたしたちの中にいるヒトたちだろう。
わたしたちの肉体の、血となり、肉となり骨となったヒトたちだろう。
多々良栄里さんの写真には懐かしいヒトたちがいた。
その懐かしいヒトたちはこちらを無言で見つめていた。
昨日の朝日新聞の朝刊一面に「処理水 海洋放出へ調整」と見出しがあった。 *
副題に「関係閣僚会議で月内にも決定」とあった。
福島第一原発で溶け落ちた核燃料を冷やした汚染水を多核種除去装置(ALPS)で処理した処理済み汚染水が福島第一原発の敷地内のタンクにすでに120万トン溜まっていて2022年には満杯になるのだという。
その汚染水をもう一度、多核種除去装置(ALPS)で処理し、トリチウム以外の放射性物質の濃度を法令の基準値以下まで下げ、トリチウムは海水で薄めて海洋に放出するのだという。
安倍総理の政策を継承すると宣言した菅新総理は政策をスピーディに決定するのだというが、
新総理の「福島第一原発 汚染水処理」政策のスピーディを世界は認めないだろう。
わたしたちは経済優先で進められた世界の近代化の行き止まりにきているいるように思える。
この秋にわたしは新幹線で福島を通り故郷に帰省してきた。
わたしたちの肉体の、血となり、肉となり、骨となったヒトたちや物たちが、叫び声をあげているのが聴こえる。
わたしたちの世界は人間だけのものではなく、たくさんの動物や植物、微生物の生きる世界なのだったはずだ。
たくさんの動物や植物、微生物や死んだ物たち死んだヒトたちでわたしたちの身体は日々に生成されているはずだ。
核廃棄物の問題もコロナの問題も温暖化の問題も、人間を原因とした問題なのだ。
経済優先でスピーディに決定される新政策は人間だけでなく世界の動物や植物、微生物にも影響を与えるだろう。
それらがやがて全て、われわれ自身の生存に帰結するのだろう。
“Dead Things”というピアノ曲を聴いている。
懐かしいヒトたちの声を、いま、もう一度、耳を澄まして聴く時間を持ちたい。
この世界にとって取り返しのつかない事がこの日本から起こりつつあるように思える。呆れてものも言えないが、言わないわけにはいかない。
* 2020年10月17日 朝日新聞 朝刊
作画解説 さとう三千魚