柔らかい重さ

 

辻 和人

 
 

ぐにゃり
柔らかい
重さ
誕生から一夜明けて
「お父さん、じゃあ抱っこしてみて下さいね」って
手渡された
ぐにゃ、おっとっと
「あ、さっき言いましたけど
赤ちゃん、まだ首がすわってないんです。
頭が大きい割に首は細くてしっかりしてないので
首と頭を押さえないと神経痛めちゃうんですよ。
抱っこする時いつもいつも首のこと第一に考えて下さい」
保育ベッドから取り出されたこかずとん
真っ白なおくるみの中で目を閉じたまま
ぐにゃりとしてる
その中でも一番ぐにゃるトコ
ここ大事
大事なトコ左手でがっしり押さえ直して
「よーしよし、いい子だな」小声で呼びかけると
赤い身をちょいとひねったこかずとん
ぐにゃ、ぐにゃり
細い首が微かに傾いで
返事してくれる
柔らかさと重さが溶けあった
こかずとんの返事だ
重さが柔らかい
細くて大事
いつも大事

 

 

 

息してた

 

辻 和人

 
 

運ばれてきた
2台のワゴンのプラスチックごし
バクバクッ
真っ赤な手足を火のように投げ出して暴れる者
白い布に包まれたままヒクヒク微動している者
こかずとんだ
コミヤミヤだ
昨日妻ミヤミヤから帝王切開の日程が早まって明日になった、と電話があった
コロナ禍だから立ち会えない
但し双子の赤ちゃんには新生児保育室に運ぶ途中の廊下で会える
そわそわ待機していたぼく、かずとん
呼び出されて
ばったり、その瞬間
バクバクッ
嬉しい、とかない
かわいい、とかない
生命体だ
しわくちゃに
白い皮脂震わせて
息してる
見つめて心臓バクバクッ痛くなる
「写真撮っていいですか」「ちょっとならいいですよ」
透明プラスチックに光が乱反射
不格好な写真が撮れた
「ではエレベーター来ましたのでまた後ほど」
慌ただしく運ばれていき
バクバクッ
バクバクッ
痛いッ
ぼくも息してるじゃないか
ぼくとぼくから分離した小さな者たち
薄暗い廊下でばったり邂逅した計3体
揃いも揃って
息してた

 

 

 

まだ言えないけれどこれから起こること

 

辻 和人

 
 

3月に入った
表に出ろ
まだ言えないけれどこれから大きなことが起こる
3月は一年で一番好きな月でね
まだちょっと寒い空気、その中に
ほんのり暖かい芽
表に出ると
わかる
家の駐車場の脇に小さな花壇がある
ホース引っ張り出して元栓ひねって
ジャーッ
水、出た
まる裸のヤマアジサイ
冬の間に乾ききって
カッサカッサ
でも枝の先っちょちょっぴり緑色っぽい
剪定バサミが
バッサバッサ
切断した、その先っちょに
小指の半分くらいの緑っぽい紡錘形
膨らもう膨らもう、として
膨らみきらない膨らみきらない、まま
ちゅっちゅっ
よく見るとちっちゃい角みたいなの2つ突き出てる
いつか
割れるぞ
開くぞ
飛び出すぞ
ジャーッジャーッ
水、やる
乾ききった肌が無表情のまま飲んでる
これでいい
表に出ろ
かわいい花咲かせるなんか
後でいい
表に出ろよ
まだ言えないけれど
これから大きなことが起こる
ジャーッジャーッ
ぼくを揺るがす
これから起きること
おっと靴ちょっと濡らしちゃった
ちょっと冷たいな
平気、平気
ほんのり暖かくてほんのり緑っぽい芽
そのうち表に出てくる
出て来いよ

 

 

 

時効のお話

 

辻 和人

 
 

時効、時効
物事には時効ってものがある
山林に死体遺棄の極悪人だって
ン十年たてば
罪が消えるわけじゃないけど放免だ
これからするお話は
2015年春
他人のお家のかなりかなーりプライベートなこと
だけどもういいよね
ぼくのケータイに今でも登録が生きてる
今井登志子さん
「この電話番号は現在では使われておりません」
時効、時効

ぼくの長年の友人、詩人の今井義行さんがですね
鬱病をきっかけにアルコール依存症になっちゃったんですよ
専門の病院に入院して一旦は良くなったんだけど鬱が再発
衝動的に大量飲酒
ピーポーピーポー運ばれちゃって
あ、第一発見者ぼくなんですけど、それ置いといて
運び込まれた救急外来、精神疾患には対応できなくてさ
元の病院に再入院
ところが今井さん、そこでの扱いが気に入らず
着の身着のまま脱走!
病院に戻るように何度も説得したんだけど
イヤ、ヤダ、ダメ
さて、今井さんには80過ぎになるお母様がいらっしゃいまして
今井登志子さん
亡くなってしまいましたが当時藤沢に住んでおられました
足腰が不自由、東京に出て来られない
息子何とかして、と会社帰りのぼくにSOS

話長くなりそうなので御茶の水で降りて
ケータイ耳に当てながら神田明神の周りをグルグル
「……すごくいい子だったのに。
しっかり会社に勤めて貯金もして
時々お金も送ってくれたのにねえ。
盆と正月はいつも帰ってきてくれておいしいもの一緒に食べてねえ。
それがあんなになっちゃって。
病院に戻るよう説得しようとしたら突き飛ばされちゃってねえ。
腰を強く打って痛くて痛くて
あんな乱暴なことする子じゃなかったんですよ。
ホント馬鹿息子ですよ。
馬鹿息子。
情けないねえ。
難しい詩なんか書いてねえ。
あんなの誰にもわかりゃしないですよ。
誰にも読めやしないですよ。
詩人気取りの馬鹿息子。
わたしゃ生きているのがイヤになってきましたよ」

ムッカムッカムッカ
言わせておけばいい気になりやがって
ぼくの大事な詩人の友だちを馬鹿息子扱いしやがって
隨神門の前にしゃきっと立つ
右は豊磐間戸神(とよいまわどしん)、左は櫛磐間戸神(くしいわまどしん)
弓背負い刀差した御姿から吹いてくる御風
ふぅーっと深く吸い込んで
はぁーっと大きく吐き出して
「馬鹿息子、馬鹿息子って
お母さん、あのね
義行さん、馬鹿じゃないですよ。
詩人気取りじゃなくて詩人ですよ。
詩を書くってそれはそれは大変なんですよ。
命賭けて書くんですよ。
体張って書くんですよ。
お母さん
萩原朔太郎って詩人知ってますか?
 青空のもとに竹が生え、
 竹、竹、竹が生え。」
「へ?、すいません、読んだことありません」
「うー、じゃあ、宮沢賢治はご存じですよね?
 けふのうちに
 とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
 みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
 (あめゆじゅ とてちて けんじゃ)」
 「『永訣の朝』でしょ、知ってます。
 悲しいけど凛として良い詩ですよね。
 方言のところが特に印象に残ります」
 「そうでしょう、そうでしょう。
 亡くなる妹さんへの想いが溢れた絶唱です。
高村光太郎の『智恵子抄』はどうですか?
 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切つても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。」
「ああ、好きですよ。
 阿多多羅山の空、さぞかし青くてきれいだったんだろうと思いました」
「そうでしょう、そうでしょう。
故郷を離れた奥さんの気持ちを思いやる姿が感動的です。
ところで、義行さんはですね。
こういった詩に勝るとも劣らないような詩をいっぱい書いているんですよ」
「ひっ、あの子がですか? そんなわけないでしょう」
「そんなわけあるんですよ。
いいですか、義行さんは毎日詩を書いているんですよ。
ベッドでうんうん唸ってても書いているんですよ。
お風呂にかれこれ3週間入ってなくても書いてるんですよ。
ヒゲボーボーで目ショボショボでも書いてるんですよ。
すごい作品ばかりですよ。
いつか教科書に載りますよ。
大学入試にも出題されるかもしれません。
『この時の作者の気持を答えよ』みたいな設問がされて
模範解答に対して義行さん自身が『それ違うよ』なんて言ったりして。
ともかくともかく
義行さんは朔太郎にも賢治にも光太郎にも負けないすごい詩人なんですよ。
いずれ世間で、義行、だけで通じるかもしれないんですよ。
朔太郎、賢治、光太郎、義行、ですよ。
そんな人を息子に持って誇りに思って欲しいんですよ。
馬鹿息子なんてとんでもないですよ」

一気にまくし立ててスッキリ
背後では
右の豊磐間戸神様も左の櫛磐間戸神様も「よしよし、よく言った」
ぶんぶん、頷いてる頷いてる

お母様目をシロクロ
「あれまあ、そういうもんなんですかねえ。
私にはさっぱりわからないんですけどねえ。
あの子なりに頑張ってたんですかねえ。
もっと褒めてやらなきゃいけなかったんですかねえ。
とにかくツジさん、義行をお願いします。
病院に戻るよう説得して下さいな」

2時間ぶっ通し
後でお母様は電話代の請求書を見てまた目をシロクロさせたとか

今井さんは別の専門病院に行くことになり
そこですばらしい先生と出会い
まあまあの状態を維持するに至っています
薬の副作用でヨッタヨッタ歩きになっちゃったけど
福祉作業所に通って
詩も書いてます
キワドイ表現もあるけど言葉に力があります
朔太郎、賢治、光太郎
そして義行ここにあり
そうそう
こないだ「ステーキの志摩」で一緒に食事しました
今井さんが住んでる平井にある評判のステーキ屋さんです
ぼくはビッグサイズ150g、今井さんはジャンボサイズ250g
ぺろっと完食
おいしかったー
ノンアルビールも飲んで
「うん、こりゃ詩になるかな?」「詩になるよ」
アルコール飲めないからノンアルでガンガンいこう、なんて詩
朔太郎も賢治も光太郎も書いてません
新作が楽しみです

その後今井さんちにあがらせてもらったら
机に「今井登志子さん、お誕生日おめでとうございます」の色紙が!
デイサービスの方が作って下さったんだそうです
メガネかけた優しそうな強そうな笑顔
あ、この人と2時間もお話したんだ
電話代使わせてしまってすみません
お母さん
義行さん、元気にしてますよ
詩も書き続けていますよ
ケータイの登録、消そうと思ってたけどやっぱこのままにしとこう
「この電話番号は現在では使われておりません」
時効、時効
以上、他人のお家のかなりかなーりプライベートな
時効のお話でした

 

 

 

「自分だけのもの」を大切にする

今井義行エッセイ「私的な詩論を試みる」を読む

 

辻 和人

 
 

昨年10月に「浜風文庫」に発表された今井義行さんのエッセイ「私的な詩論を試みる」は、私にとってすこぶる刺激的な読み物だった。

→リンク先はこちら
https://beachwind-lib.net/?p=31458

これは今井さんが詩についての考えをまとめた初めての文章だという。私は今井さんと、1980年代の後半に鈴木志郎康さんが講師をつとめる詩の市民講座で知り合った。今井さんの方が私より入るのが少し早かった。そこには川口晴美さんや北爪満喜さんといった、現在でも活躍中の詩人も受講していて、ハイレベルな講義が繰り広げられていた。但し、レベルに合わせて丁寧な指導がなされ、初心者だから居づらいということは一切なかったし、どんな作品も受け止めてもらえた。私は安心して八方破れな作品を好き放題に書いて提出することができたのである。今井さんは、最初はポップソングの歌詞のようなリリカルな調子の詩を書いていた。表面は甘かったが、その底には重い自我が存在しているのが感じられ、「この人はいつか化けるぞ」と思っていた。予想通り、今井さんはある時から斬新なアイディアを詰め込んだ完成度の高い詩を次々と発表するようになり、注目を集めるようになっていった。私は今井さんと「卵座」や「Syllable」といった同人誌で一緒に活動するようになり、現在でも親交を保っている。さとう三千魚さんの「浜風文庫」に、ともにこうして詩や文章を掲載させてもらってもいる。私は詩歴を同じくする今井義行という詩人に対し、強い共感を持っている。また私と今井さんは、互いの詩を読み合って意見の交換をするだけでなく、食事をしたりSNSや電話で雑談し合ったりする、友人同士でもある。
近い関係にある今井義行さんだが、詩に関する考えの全体像を披露してもらったことはなかった。この「私的な詩論を試みる」を読み、「ああ、今井さんという人は詩人としてこういう人だったんだ」と初めて理解したのだった。詩の言葉は人の生き方と密接に関わっている。その結びつきが細かく詳しく書かれている。自身の身に即して率直に綴っているが故に、詩の普遍的な問題に食い込んでいると感じられたのだった。

それでは、今井さんの論考について私が思ったことを、章ごとに綴っていくことにしよう。

「1 始まり」では、本格的に詩に取り組む以前のことが書かれている。今井さんはたまたま買った本で現代詩の言葉のかっこ良さを知ったものの、難しさに参ってしまって、その後積極的に読むということはしなかったようだ。「言葉のかっこ良さ」が胸に刻まれたことは重要なところだ。今井さんは『罪と罰』などの名作小説には興味を持たなかった。ストーリーを読み解くより言葉自体を感覚的に味わう方が好きで、それが詩を書くことにつながっていったのかなと思う。私自身は、現代詩は中学の終わり頃から少しずつ読み始めて、高校の時にはかなりの数の作品を読んでいた。現代音楽も結構聴いていたし、まあ現代アートのオタクだったと言える。私は自分が好きなものには敏感で、同年代の連中がロックや漫画に熱中しているのと同じような感じで現代詩を読んでいた。周囲の中で自分だけが知っているということに軽薄な優越感を抱いていたこともある。今井さんは私のようなオタク気質ではなかったようだ。大学の法学部に入ったが法律は好きでなく、児童文学サークルに入ったが子供が好きでなかったという。今井さんが入った大学は日本有数の難関校である。少年時代の今井さんは頭が良く優秀だったが、趣味よりも一般的な勉強を優先したのだろう。進みたい道の自己決定をすることを避けていた今井さんは、現在、お世話になっている福祉の世界の重要性を知り、若い頃に福祉の勉強をしたら良かったと書いている。私はこうした気づきがあること自体、とてもすばらしいことだと思っている。

「2 『詩作』への入り口」では、詩を書き始めるに至る経緯が書かれている。就職したがそこでも「自分だけのもの」を見出せず、前述の詩の市民講座のパンフレットをたまたま手に取って即受講を決めたそうだ。さて、世の中には「自分だけのもの」をさして重視しない人がいる。ある程度のお金と健康と社交性があれば、世間のシステムに乗っかってそれなりに楽しく過ごすことができる。しかし、自意識が発達した人なら、システムの枠を超えて自分だけの領域を作りたいという欲求をごく自然に抱く。その際、山登りやボランティア活動ではなく、詩作という芸術表現に向かったということは、今井さんが自身の心と対話したい気持ちがあったということだ。詩作というものは、真剣であれば、どんな初心者であっても趣味では終わらない。詩を一編書いたら、詩はその人にとって絶対的な価値を持つものとなる。今井さんにはその覚悟があったのだろう。

「3 現代詩人『鈴木志郎康』氏と創作仲間との出会い」では詩作を始めた頃のことが書かれている。この講座では、まず受講生による合評、次に講師である志郎康さんの講評、が行われる。今井さんは初めての詩作を行った感想を「ビリビリと、わたしの頭の先から足の先まで、電流のようなものが、激しく突き抜けたのである」と述べている。ここで今井さんは生まれて初めて「自分だけのもの」に出会ったのだろう。そして、「毎週『現代詩講座』が終了した後も、みんなで、喫茶店に移動して、その日提出された詩作品について、長い時間、感想を述べ合って、その時間も、とても熱気が籠もっていた」とも書いている。「自分だけのもの」は、合評や講評を通じて、「自分だけのものが他人に伝わる」喜ぶをももたらした。それは更に、喫茶店での二次会を通じて、人と交流する喜びをもたらした。代替の利かない唯一無二の「自分」が、言葉の上で、その読解の上で、人との語らいの上で、躍動することの喜びだ。この喜びは私も味わった。仲間がいるということはすばらしい。「自分だけのもの」は、自分の中で終わらず、豊穣なコミュニケーションを促すということだ。

「4 『詩壇』というものについて」は、今井さんが関わってきた詩の業界について書かれている。今井さんは、商業詩誌を中心として、詩人たちが会社の組織の中でのように、年功序列で位置しているように感じる、と書いている。詩集を作ったが、詩の出版社の大手である思潮社が発行する雑誌『現代詩手帖』での評価が気になったということだ。今井さんはその思潮社から第3詩集を出し、大きな賞の候補になったが受賞を逃した。今井さんは、選考委員長が壇上から受賞詩人に目配せしたのを見て、受賞するためには有名詩人と何らかのコネがなくてはならない、と感じたそうだ。この部分に関し、今井さんは誤解をしていると思う。まずそもそも賞というものは、詩以外のどんな賞でも、賞を受ける側の都合でなく、賞を与える側の都合で存在するものだ。これは全く当たり前のことで、良い悪いの問題ではない。業界を盛り上げたり地域の振興を図ったり自社ブランドを認知させたいといった、主催者側の都合があるのだ。そのためには選出にそれなりの根拠が示せなければならない。コネのようなものが透けて見えるようでは賞の権威は失墜してしまう。
私は、選考委員をつとめた詩人は一生懸命に審査を行っていると思う。その結果、自分と作風が近い人を選んでしまうことがあるのだ。実作者が選考委員になればそういうことは避けられない。私が選考委員をつとめたとして、自分の好みを大きく外れたものを選ぶのは難しい。公正に徹した挙句、自分に近い知り合いの詩人の作品を選ぶことはあるだろうし、その場合、壇上からその人に会釈くらいはするだろう。
ここで詩の業界の作り方を考えてみると、まず現代詩を日々の娯楽として読む人は多くない。従って、詩の出版社が顧客と考えるのは、詩を読む一般の人よりも詩人として認められたい人たちだろう。自社で自費出版をしてくれれば経営は安定する。経営判断として全く健全なことであり、私が経営者だとしてもそうする。誰にでも承認欲求というものはあり、それは詩人でも同じである。詩人として認知されたいという気持ちを満たしてあげるために、誌面を使って詩集の書評や広告を手配したり、雑誌の企画のアンケートの回答者に指名したりする。それが創作の励みになれば良いのである。書いた詩を仲間と読み合った後、より広い範囲で認められたいと願うのは、まあ自然なことだからだ。一般読者は余り詩を読まないから、詩の業界は読者ベースでなく書き手ベースで動いていく。大衆的な人気を得ることでなく、詩を書く人間のコミュニティの中での位置が問題になる。コミュニティが商業詩誌を中心に作られると、そこで評価を得た詩人が権威を持つことになり、賞の選考委員に選ばれることになる。結果として彼らの好みが受賞作の傾向に反映されることになるわけだ。
今井さんは、受賞する詩が「言葉による『オブジェ』」のようだと書いているが、それならそれでいいではないか。受賞は「ある人たちがある判断を下した」結果以外ではないし、それはそれで尊重すべきなのだ。受賞すれば素直に喜べば良いし、落ちたところで他人が下した評価に過ぎないと思えばどうってことはない。詩で最も大切なのは「自分だけのもの」のはずである。本末転倒になるのは馬鹿馬鹿しいことだ。

「5 現代詩講座での『鈴木志郎康』氏による詩の書き方についての指導の行われ方とその後のわたしの現代詩に関わる足跡」では、現代詩講座における鈴木志郎康さんの指導とその後の今井さんの詩の活動について書かれている。
今井さんは志郎康さんの指導をシンプルに「一体、どういう事を言いたがっているのか」と「どのような工夫が必要なのか」の2点にまとめている。まさにその通りだった。「一体、どういう事を言いたがっているのか」は、「自分だけのものを書き手としてどのように自覚しているのか」に、「どのような工夫が必要なのか」は「自分だけのものを他人と共有するにはどうすれば良いか」に、それぞれ言い換えることができるのではないか。今井さんと一緒に受講した私は、志郎康さんの指導の基本は、その人が詩を書くことによってどれだけ「自分だけのもの」を大切にできるか、ということだと理解している。志郎康さんは、詩に製品のような収まりの良さを決して求めなかった。その人が、まさに生きているという感覚を言葉に投入して自己実現を図れるか、を常に問題にした。しばしば見受けられたのは、志郎康さんとの対話によって、八方破れな提出作品がヤスリをかけられて洗練されていくのではなく、それなりに完成度の高かった作品のギザギザが強調されて、八方破れで野趣溢れるものに変貌していくことだった。作品のギザギザの部分、即ち「変わったところ」「おかしなところ」は、その人がその人である所以の部分である。それを自覚させて、とことん先鋭化させようと指導していくのだ。「泣き出してしまう受講者もいた」程の志郎康さんの厳しさは、その人の「自分だけのもの」に対し志郎康さんが当人以上に敏感だったことによる。「自分だけのもの」を追求していると、私たちの言葉の常識から外れることになり、つまり「非常識」を目指すことになり、怖くなってしまう。ここで並々ならぬ精神力が必要なのだ。私がなされた指導で印象に残っていることは、「間接的に書け」ということだった。言いたいことを詩の外にいる作者として書くのでなく、詩の中にいる発話者の口を通して表現せよということ。作者の言いたいことを作者の日常を引きずった意識のまま書くのでなく、作品内の登場人物になりきって書けということだ。日常のしがらみを断ち切ったところに「自分だけのもの」がある。その「自分だけのもの」である世界で見たことを、自分以外の人にも伝わるように、なるべく落とさないように書けとも言われた。その提言は今でも詩を書く度に思い出す。

「6 『現代詩』が盛んに読まれていた時代があったと言う」では、60年代頃の、現代詩が今より読まれていたとされる時代について書かれている。今井さんはそのことを知り合いの元コピーライターの方に言われたという。60年代-70年代前半辺りは、前衛的な芸術、現代詩やアングラ演劇、暗黒舞踏やフリージャズ等が、大衆にそれなりの認知をされていたということは私も聞いたことがある。その頃政治闘争が盛んであり、反体制という姿勢がそれなりの支持をされていて、既存の制度に反抗しようという気運が高まっており、文化面にも反映されたと考えて良いだろうか。この既存の制度に反抗するというスタイル自体が制度化されることにより、反抗というコンセプトが意味を失ってしまい、前衛芸術は衰退していったと言えるだろう。そして今井さんが言うように「現代詩を読む人たちよりも、現代詩を書く人たちの方が多い」状況になっていった。私はこのことはある意味当たり前であって、既存の制度に共同で反抗するという気運が失われたことで、詩本来の「自分だけのものを追求する」という面がぐっと前に出てくるようになり、忙しく毎日を過ごさなくてはならない大衆は他人の内面に本来さほど関心がないことから、詩への興味も薄れてしまったのだと思う。逆に詩人たちはオタク化して興味が専門化され、ますます大衆の理解から遠ざかるようになっていった。前衛芸術が盛り下がっていた80年代に詩を書きたいと思った今井さんが「1個人の、何らかの生活上の出来事から発生する気持ち=素朴な表現意欲を出発点」としたことは、ごく当然のことだと考える。

「7 『詩人』を名乗る事と現代詩の『賞』について」は、4章に引き続き、詩の制度的な問題について書かれている。今井さんは、詩集の出版や詩壇での評価と関係なく、詩を書いていれば詩人と名乗れる、と書いている。至極もっともな意見だ。芸術表現は、生きる権利や生きる自由とともにあり、故に万人のものであって、評価とか業績とかいったこととは無縁のはずである。吉岡実は「詩は万人のものという考えかたがありますが」という問いに対し、「反対です。詩は特定の人のものだ」と答えたが、これは誤った考えだと思う。今井さんは「詩を書く才能」は「詩をどうしても書いてみたい、という動機」に繋がっていくとし、「持って生まれた資質」より上位に置いている。スポーツ選手であれば生来の資質はかなりモノを言うだろう。だが、詩は特殊技能ではない。動機があれば誰でも書くことができ、詩人になれる。繰り返すが、詩は生きる権利とともにあるからだ。言葉の世界で強く生きたいと願って詩を書けば、言葉の運びは拙くても何かしらは伝わるだろう。
こうした個人の詩への欲望に、「『詩の賞』を受賞して、詩人として『それなりの、自分のポジション』を獲得していきたい」というステイタスへの野心が対比される。今井さんは詩の賞の選考委員が「中堅詩人」と「ベテラン詩人」によって占められ、詩の真価とは離れたところで賞が決定されていると感じているようだが、私は前述のように、中には政治的に動いている人もいるかもしれないが、大概の選考委員は公正を心がけて選考していると思う。但し、選考委員の顔ぶれが一定で、毎年同じような傾向の作品が受賞するということはあるかもしれない。実は私も、詩集『ガバッと起きた』を出版した時、幾つかの賞に応募してみるということをしてみた。今までやったことのなかったことだが、このマンガのようなテイストの詩集がどの程度受け入れられるのか試してみたかったのだが、受賞はおろか、候補にもならなかった。私はこの結果に満足した。委員の方々には読んでくれてありがとう、の一言しかない。そして私としては今まで同様「自分だけのもの」を追求していくだけである。「上昇志向=有名詩人になる、という考えを持つ事は、別に非難されるような事ではなく、そのような志向に向かって努力をしている詩人たちを非難するわけではない」と今井さんは書いているが、試験に対する傾向と対策のような意識が生まれ、「自分だけのもの」の追求が疎かになることはあるかもしれないなあとは思う。上昇するなら、自分の内的衝動をずうずうしく押し出すやり方で頑張って欲しい。

「8 わたしから見た現代詩に見られる書法の特徴についてと詩が発表される『媒体』について」は商業詩誌に掲載される詩の傾向と、詩が発表される場について書かれている。
今井さんは現代詩を、書いた人の姿の反映のされ方という視点で5つのタイプに分けて分析する。この分け方はとても独創的で、今井さんの詩に対する見方がよく出ている。「1 作者と詩の中の話者が一致しているか、限りなく距離が近い詩」「2 主に『直喩』から造形化されていて、その中に『人の姿』が見える詩」「3 主に『暗喩』から造形化されているが、その中に『人の姿』が見える詩」「4 主に『暗喩』から造形化されているが、その中に『人の姿』があまり見えない詩」「5 作者と作品中の話者が分離していて、詩の中の話者が作者の想像力によって、自在に動き回れる詩」の5つである。今井さんは書いた人の姿が言葉の中に見えるかどうかを重視している。その人がどういう固有の現実に触れたのか、言葉の中からその痕跡が窺われる詩を良いとしている。ナマの現実が言葉の中の現実にどう飛躍を遂げるのか、飛躍の仕方はいろいろあるにしても、基となるナマの現実が文字通り生々しく他人に伝えられる、そこに表現の本質を見出している。今井さんは「4」が商業詩誌によく見られる詩であるとした上で、「形式を重んじて、作者の意識を投影しようとする意識はあるのかもしれないが、それが、充分にあるいは殆ど投影されずに、詩が形骸化されてしまう危うさを持っている」とやや批判的である。私は、表現が他者に対して開かれたものであるという意識が薄いために、こういうことが起こるのかなと思う。紙媒体の世界では詩壇を軸とする中央集権的な意識が生まれやすい。喩の使い方や意味の飛躍の作り方に一定のモードが生まれ、そのスタイルを使いこなすことが現代詩人として認められる暗黙の条件となる。その枠の中で斬新と呼ばれていても、今を生きている人々にメッセージを伝えていくという点が弱いと、詩人の独白で終わってしまいがちになる。この章では私がツイッターで呟いた「(求められるのは)『現代詩』ではなく『現代の詩』ではないか」という言葉が引用されているが、これは、単なる独白では同時代を生きる人間にインパクトを与えることができないのではないかとの危惧からきたものだ。
今井さんは紙媒体でなくインターネットでの発表の方に希望を持っている。インターネットはボーダーレスであり、未知の読者にランダムに働きかける力を持っている。詩誌や賞における「選ぶ/選ばれる」関係の外にいるので、特定の人間に評価を独占されることがない。
行数の制限がないので長い詩も書ける。お金もかからない。SNSに投稿すれば、シェアしてもらえたり、コメント欄で感想をもらえたりする。もちろんいいことづくめではない。いいね!の数を気にして神経質になったり、誹謗中傷のコメントがきて落ち込んだりすることはあるだろう。それでもコミュニケーションの幅の広さは紙媒体とは比較にならない。今井さんは「作者の手を離れた詩について、参加者、読者同士の間で、その詩について語り合える喜びが次々に生まれていくようになっていくのではないか」とその可能性について肯定的に語っている。インターネットの普及によって、詩もコミュニケーションの一形態なのだという単純な事実が明確に浮かび上がったきたことは特筆すべきことではないかと思う。今井さんは、紙媒体の詩誌とネット詩誌が交流をしてより広い詩人たちの交流ができあがると良いと書いている。これには私も全面的に同意する。紙媒体の詩誌にはしっかりした編集がある。ここはネット詩誌が比較的弱い部分である。紙媒体の詩誌が行う様々な企画は詩に様々な角度から光を当ててその魅力を引き出していく。詩を読み書きしたい人にとって有益な情報や論考の宝庫である。その価値を認めないわけにはいかないだろう。また商業詩誌は様々な評価を行って業界を盛り上げようとする。これは当たり前の話であり、そこから学ぶべきことも多い。それを絶対視するのは良くないが、無視するのもつまらないものだ。テレビ番組でもtwitterやyoutubeの情報に触れることが多くなってきた。紙とネットが交流して互いを補え合えれば、面白い文化が生まれるだろうと思う。

さて、今井さんのエッセイで私なりに気になった点について書いてみたが、今井さんの考えの基本は「自分だけのものを大切にする」ということに尽きる。どの話題に触れていても必ずここに戻ってくる。次に「自分だけのものを他人と共有する」が来る。表現というものは、「表」に「現」していくもの、人に伝えていくものであり、決して独り言ではない。芸術は爆発であって誰にもわからなくていい、みたいな考えは根本のところで間違っているのである。人間は共生する動物であり、伝えたいものがあるから爆発するのである。その爆発の仕方によっては、人にうまく伝わらないことがある。伝え方が悪いか、その人に受け止める準備ができていないか、ということだが、双方に伝えたい意志・受け止めたい意志があれば、何かしら残るものはあるだろう。今井さんの詩に対する考えの基本は共感できることが多い。今井さんとはこれからも詩人として、友人として、つきあっていきたいと改めて思ったのだった。

 

 

 

ないないない

 

辻 和人

 
 

お皿がない
お茶碗がない
花瓶がない
本厚木にある母の店「花甕(はなかめ)」
ぼくが小学6年の頃から始めた陶磁器の店だ
こないだ来た時はまだそこそこ品物あったのに
ガラララーン
漆器とか置いてごまかしてる
創業45年
ずっと一人で仕切ってた
遂に閉店かあ
「お母さん、売れちゃったねえ、棚スカスカだね」

「いやあ、9月に年内で閉店ですって看板出したら
お客さん、来るわ来るわ。
コロナで閑古鳥だったのに
いきなり売上げ3倍以上よ。
慌てて倉庫に寝かせてたもの引っ張り出したんだけど
日用品は全部売れちゃって。
みんな惜しんでくれてありがたかったわぁ。
昨日は10年ぶりに千葉から足を運んで下さった方がいて
有田焼の刺身皿の良いのを買って下さってねえ。
話し込んでいたら涙ぐまれてしまってねえ。
でも、こればっかりは仕方ないよねえ。
お母さんもうトシだしお父さんも病気がちだし
どこかでケリをつけないとねえ。
でも、昔からのお客さんと毎日お話できて楽しいわぁ」

80過ぎた母が興奮気味
有田焼なんて不要不急のものだから
普段つい足が遠くなってしまうけど
店がなくなると聞くと俄然気になる
欲しいものあったはず
買いに行かなくちゃ
しばらく顔見てない
店主のおばあちゃんに会いに行かなくちゃ
連日大賑わい
あ、お一人様ご来店
「いやあ、この間買ったブトウの絵のパスタ皿家でとっても評判いいんですよ」
60過ぎくらいの上品な女の人だ
「そうでしょそうでしょ。
有田も洋食に合う器に力入れていてお洒落なデザインのがいっぱいあるんですよ」
「息子が結婚したら引き出物にいいかななんて思ったんですけど
その時は花甕さんもうないんだって、寂しいですねえ」
お皿がない
お茶碗がない
花瓶がない
のに
お喋りはある
笑顔はある
貰い物だけどどうぞのお饅頭はある
ぼくには目もくれず
何にも買わず
お茶飲んで饅頭食べて
はい、お帰りになりました

外まで出てお見送り
ちょっと曲がってきた立ち姿、それは
経営者そのもの

月並みな言い方だけど
つくづくこの店は母のお城なんだなあ
高校出たきり結婚して
内職しながらぼくたち育てて
家建てて、あ、お金足りない
どっかのスーパーにでも勤めれば気が楽なものを
佐賀出身だしやってみたかった焼き物の店を開くって大決断
店舗の作り方もわからない
仕入れの仕方もわからない
帳簿のつけ方もわからない
のに
さっさと物件を見つけ
さっさと品物を注文し
さっさとレジを打ち
時はバブルへ
高額のお皿や花瓶が次から次へと売れまくって
父の給料プゥーッと追い抜いた
のに
海外旅行もせず服も買わずレストランにも行かず
店閉めるのは元旦と仕入れ旅行の日のみ




風邪ひいて高熱が出ても

倉庫に毛布敷いてぐてっとしながら仕事、って父から聞いたんだ
ぐてっ
経営者、経営者
これぞ経営者の
寝姿

おっと他のメンバーも到着
父、姉、妹、甥っ子に姪っ子
実は今日はちょっと早めの母のお疲れ様会なんだよ
ちょっくら花屋に取りに行ってくるか
さっき赤バラ買い占めちゃった
花屋では他のお花も混ぜましょうかと言われたけど断固拒否
そしたらチーフらしき人が出てきて
お祝い事ですか、と聞かれたから
母が店を閉めるのでその慰労です、って答えたら
「わかりました、倉庫にあるもの全部出してきます、30分でお作りします」
書店街から店まで気恥ずかしい気恥ずかしいと運んで
今ドキなかなか見ない赤バラのでっかい花束
やりますかね
杖ついた父がよろよろ母に近づいて
はい、チーズ!
希代の経営者に
花束贈呈
じゃあ、今度はみんな一緒に
父、姉、妹、甥っ子に姪っ子
お皿がない
お茶碗がない
花瓶がない
ガラララーンな陳列台を前に
経営者にっこり
はい、チーズ!
「ありがとう、ありがとうね。
45年頑張ってきてホントに良かったと思うわぁ」
白くなった頭を何度も下げる
遠巻きにしていたお客さんも思わず拍手
お疲れ様、お疲れ様でしたぁ

打合せ通り次のプログラムといきますか
「それじゃお母さん、前に知らせた通り、
これからウチで慰労の食事会やるから。
いいトコのお寿司とってあるよ。
今日はこの辺でお店おしまいにしてね」
と姉が促したら
「ああ、悪いんだけどね。
今日はやっぱり一日お店にいることにしたから。
だってお客さんみえるでしょ?
せっかく来て下さったのにお店閉まってたらがっかりなさるでしょ?
ね、お寿司はみんなでわいわい食べて下さいな。
お母さん、もうひと踏ん張りするから」
ええーっ

お皿がない
お茶碗がない
花瓶がない
されど
高級品ならまだ残ってる
唐草模様に大胆な曲線を描き加えた鉢7万7000円とか
中東っぽい鮮やかな色の孔雀が描かれた大皿33万円とか
ものすごく早い時期から注目して買い付けた
後に文化勲章を受けるに至った青木龍山作の漆黒の花瓶「非売品」とか
45年はまだ終わらない
ないないない
終わらない
全くね
経営者って奴
終わらないわぁ

 

 

 

顔に棲む

 

辻 和人

 
 

自分の体
って感じしない
目ン玉
ゴリッ
鼻から額
ボッツンツン
触ってみると
ゴーワゴワ
10日前に発した顔の帯状疱疹
一時は
瞼腫れて目開かなくなり
鼻に大きな大きな沼でき
髪の毛の中にまで赤くポツポツでき
見事に左半身のみ、
ウィルス君は
左の神経に律儀に沿って走りに走った
痛みに頭が割れに割れた
特効薬飲んで1週間会社休んだ
ふぅーっ、症状軽くなってきたけど

いつものように目薬さして軟膏塗って
寝る前に鏡の前に立つ
まだ潜んでるかな
まだ隙窺ってるかな
こわごーわ触ると
ムズムズウズウズ
痛いと痒いが
半々
クッソー
ココんトコだけぼくじゃない
占拠されてんだ
えぃあー
いっそ、ウィルス君と合体してやるかっ

玉っにょ
目ンっにょ
赤い筋が幾つもん走るんにょにょ
矢いっぱい降ってきて
黒目からは追い出されにょっけど
くるっくるーり
彷徨い彷徨い
ふんふん、茶目に抜ければ大安心丈夫
にょにょっ
まあるいぬくいくるっりーん
ぷかぷか浮かんでるんにょ

鼻に湧いたんにゃにゃ
ぬめっと沼
鼻の左半分を占拠したんだったにゃが
槍に追い立てられ追い立てられん
枯れたん枯れたんけど
にゃにゃっ
楕円形にまだぬめってん
濁り水潜って
ぷかーと息を吐きだせばん
ぬめぬめっと気持ちいいん
気持ちいいんにゃ

隠れてんにゅ
頭の毛っけの草深いトコ
駆けて駆けて足跡つけてん
ポツポツポツポツ
足跡つければ赤黒く盛り上がるにゅ
足跡つければ剣が押し寄せてくるんけど
にゅにゅっ
もっと奥地へもっと奥地へ
茂みポツポツ掻き分け隠れてん
赤黒く盛り上がるん
盛り上がるんにゅ

してきたぞ
自分の体って感じ、してきたぞ
痛いと痒い
ゴリッ、ボッツンツン、ゴーワゴワ
怖くない
合体してしまえばこっちのもの
仲良くしてしまえばこっちのもの
何たって
このムズムズウズウズ
このぼくが発信してるんだからね
ウィルス君を追い詰めるぼくもいれば
ウィルス君と一緒に
ぼくから逃げるぼくもいる
追いかけて、ぼく
逃げて、ぼく
鏡覗けば覗く程
どっちも
一緒にね、顔にね
棲んでる

 

 

 

「詩」から
「詩じゃない詩」へ

中村登の未刊詩篇を読む

 

辻 和人

 
 

これまで中村登の3つの詩集を論じてきた。第1詩集『水剥ぎ』(1982年)は暗喩を多用して生活していくことの苦しさを訴え、第2詩集『プラスチックハンガー』(1985年)では換喩的表現に転じて言葉の遊戯的な面白さを追求し、第3詩集『笑うカモノハシ』(1987年)では散文性を取り入れた書法で抽象的な論理を展開した。短期間のうちに作風がくるくる変化を遂げている。これは、彼が書法について自問自答を繰り返していたことと、同時代の多様な詩の動向を注意深く見張っていたことを示していると思う。但し、その底にあったのは常に生命というものの在り方への関心だった。生命は、喜びと苦痛を味わう感受性を持ち、いつか失われる脆さを内包している。その捉え難い実態を、自身の身体を起点としながら、言葉でどこまで描き出せるか、中村登は詩人として試行錯誤を重ねていたように感じる。

中村登が出版した詩集は上記の3冊であるが、その後も詩作を続けていた。奥村真、根石吉久と組んだ同人誌『季刊パンティ』を、私は創刊号から18号まで持っている。これは中村登本人から送ってもらったものだ。創刊号は1989年8月、18号は1994年6月の刊行である(その後も続いたかどうかはわからない)。私にとっては、この『季刊パンティ』に掲載された詩の数々が、3冊の詩集以上に刺激的であり、正直言って驚きそのものだった。『笑うカモノハシ』は、尻切れトンボの結末が多い規格外の構成ではあるが、一応はきちんと物語が展開された詩集である。しかし、『季刊パンティ』に発表された詩の中には、構成も何もないような、生の断片がただただ殴り書きされたような作品が見受けられる。これをどうやって「詩作品」と位置付けたのか。3冊の詩集の出来から見て、中村登が詩史に疎くないことは明らかである。詩の可能性を広げていった挙句、「詩じゃない」領域に足を踏み入れてしまった、としか言いようがない。だが、これらを「散文」と呼ぶこともためらわれる。散文には散文の厳しさというものがあり、それなりの文意の起承転結が求められるからだ。詩でもなければ散文でもない、しかし、書いたその人の息遣いは濃厚にうかがわれる、そんな不思議な「行分け文」に、私は魅了されたのだ。
それでは具体的に作品を取り上げてみよう。

 

空0日差しを浴びて
空0匂い立った地面の
空0新鮮
空0手頃な広さの顔つきが
空0手玉にとれそうなその気持ち
空0残るこちらの目と口と胃袋
空0ついでにタネまき
空0キュウリのタネまき
空0地面のなかのタネ
空0あれはもうタネとは言えないのではないか
空0女体のなかに入った精子、あれはもう精子じゃない別の生き物
 
空0発芽したのは45粒のうちの11粒
空0のこる34粒はタネじゃなかった、なんだったろう
空0秋にたべるつもりの涼しいキュウリなんだけど
空0キュウリの筏汁ってしってるかい
空0擂鉢に焼き胡麻すっていい匂いがしてきたらなま味噌いれて胡麻味噌
空0砂糖はほんのひとつまみ、キュウリのうすぎりを胡麻味噌と和えて
空0できたキュウリもみを水でといて出来上がり、コツは擂鉢のなかで
空0キュウリも一緒にすりこぎ棒でこねること シソの葉をつまんできて
空0すりこんでもいい匂い
空0やってみな美味いよ
空0夏の炊きたてのゴハンに筏汁たっぷりかけて
空0ふがふがかきこむのたまんない」
空0犬とかわんない生き方してるわけで
空0鼻で喰うわけ

空白空白空白空白「匂い涼しい」より

 

中村登は会社勤めの傍ら、細々と農業も続けていた。この詩は自ら種をまいて育て収穫したキュウリを、汁にしてご飯にかけて食べる様を描いている。田舎料理のおいしさが伝わってきてお腹が空いてきそうになる。が、これが「詩」として書かれ、発表されているということに気づくと、途端に不安な気持ちになるだろう。ラフな口調で、比喩らしい比喩も見当たらず、一行の時数が長いことが多い。種はまかれると同時に種ではなくなり、自立した生物に進化しようとする(精子も女性の膣内に射精されると同時にヒトという生物になろうとする)。生殖というところにルーツを持つその生々しい在りようが、鮮烈な味と香りを生み、食欲を刺激することになるのである。種-性-食という3つの概念の交代と混ざり合いの具合が、散文を行で分けたようなこの作品を辛うじて詩にしているのだ。

「匂い涼しい」はまだ詩的な象徴性を備えているが、「冬の追記」になると、見た目はリズミカルで「匂い涼しい」よりは詩らしいが、内容を見ていくと詩特有の象徴性を欠いていることに戸惑いを感じる程だ。全行引用しよう。

 

空0きょうは2月17日
空0突風が吹いている
空0このところ日の出がずいぶん東に移って
空0まばゆい朝だ
空0まばゆい光のように咲く
空0水仙が好きだが
空0まだ蕾だ

空0また季節が移って
空0沈丁花が匂う頃には
空0今度は
空0心が移って
空0沈丁花が好きになる
空0去年は6月14日に
空0百合が咲いている、と書いている

空0目前のものは
空0激しく風に煽られているのに
空0青空に浮かんだ
空0白雲は少しも動かない
空0なんだか
空0老年にいる両親に
空0きっとめぐってくる
空0死についてどんなふうに思っているか
空0聞いてみたいが
空0口幅ったくもあり聞かずに過ぎた
空0きのうからのこの風も
空0明日には止むだろう
空0死ぬまでに
空0ほんとうのことをいくつ知ることができるかと思う
空0知ったところでなんだというのかと思う
空0突風に煽られ
空0すずめらは飛んで
空0餌をさがしている
空0風にあらがって
空0身をひるがえして楽しんでいるように見える
空0そんなこともたちまち忘れてしまう
空0間もなく
空0春だ

 

冬の終わり頃、季節の移り変わりを感じながら、両親の死を思い、目の前の雀を思い、想ったことを忘れて、また季節を感じる。この詩にはいわゆる「さわり」とか「つかみ」といったものが全くない。その場にいて、感じたこと・思ったこと・見たことを、そのまま記述しているだけだ。『水剥ぎ』の中村登だったら死というテーマに重みを持たせ、暗喩を多用して凄みのある詩に仕立てただろう。『笑うカモノハシ』の中村登だったら、季節の移り変わりから時間の不可逆性を抽出し、その中で生きる者たちの儚さを鳥瞰する詩にしただろう。しかし、この詩における中村登は描写に意味を持たせることをせず、事態を収拾することをしない。言葉がある観念に凝縮しそうになると「知ったところでなんだというのかと思う」と、その流れを断ち切り、次の展開に向かう。ここでは語りの現場性・即時性が全てである。散文が成立する条件であるストーリーの起承転結を拒否することで「散文でない言葉」を志向し、それによって逆説的に「詩」を作り出しているのだ。この詩で描かれていることは、話者が「2月17日」に生きて存在して何某かのことを感受していることだけである。しかし、話者が生々しく立ち尽くしている姿だけは伝わってくる。

死は以前から中村登の関心事だったが、観念としての死ではなく物理的な死、つまり対象がはっきりした現実の死を問題にすることが多くなってくる。「コッコさんノンタンそれから」は飼っていたニワトリと猫の死を描いた詩である。

 

空0ボクはみんなが起きてこないうちに
空0コッコさんを埋めた
空0スモモの木の下に
空0コッコさんの穴は小さな穴で済んだ
 
空0ノンタンの穴が
空0思ったより大きくなってしまったのは
空0死後のノンタンが
空0寒い思いをしなくていいようにと
空0ヨーコさんが
空0着ていたチャンチャンコを着せてやったから

 

家族がショックを受けないようにこっそり墓穴を掘る中村登、死後の生活を考えて自分の着物を着せてやる妻のヨーコさん。生き物を思いやる気持ちに打たれる行為だが、中村登は感情を声高に歌いあげることはしない。中村家は動物好きで、他に「ユキのために飼ったウサギのプラム/ボクがつれてきたイヌのサクラ/サクラの生んだイヌのチビがいる」。

 

空0そしてチビ
空0最後にプラム
空0その度にボクは死の穴を掘るだろう
空0その度にボクはともに生きたものの
空0その穴の大きさを知るだろう

 

愛する動物たちの死は、死骸の穴掘りという行為に直接結ばれる。その間に説明を挟むことはない。穴を掘る行為だけが、掘られた穴の大きさだけが、悼む気持を表している。中村登はここで詩を書こうとしていない。気の利いた比喩を廃し、事実を淡々と並べるだけ。その並べる手つきの中に発生したのが、詩だった、そんな風に見える。

このやり方で顕著なのは具体的な「日付」の記述である。『季刊パンティ』に発表した中村登の詩は、後になる程日付が出てくるものが多くなってくる。『流々転々』は

 

空0きょうは3月8日
空0日曜日だから朝早く起きて
空0犬の散歩
空0思ったより寒くて
空0満開の梅の花もうら悲しく見えたよ
空0オレも寒いのは苦手なんだ

 

と独り言のように始まり、

 

空0いろんな朝があるけど
空0会社に行かなくてもいい朝は
空0みんな新しくて
空0みんないとおしいよ
空0高いところでたくましいカラスが
空0なんだかしきりにわめいているぜ
空0やつらはきっと 
空0ニンゲンのくらしとうまが合うんだろうな
空0そう思う

空0さあ もう書けることがなくなった
空0サヨナラダ

 

で終わる。テーマに求心性がまるでなく、ほとんど日録のようである。しかし、これは日録ではない。日録であれば「カラス」の暮らしについての考えを巡らしたりしない。その場で思いついたことをさっと流して書いているように見えるが、核になるのは思いつきの中身ではなく、とりとめのない想念の淀みに嵌っている話者の姿なのだ。詩の後半に、

 

空0オーイ、フジワラシゲキよ
空0ヤカベチョウスケよ
空0この詩を読んでくれているかい
空0もし、読んでくれているのならふたりがいま疑問に思っている
空0そのとおりにこれは二人が考えているような詩ではないよ
空0それに実はオレ、詩なんてわからないのさ

 

というフレーズが出てくる。「フジワラシゲキ」「ヤカベチョウスケ」は中村登の詩の仲間だろう。2人はこの詩に何かしらの求心的なテーマが隠されていて、それがどのような比喩によって暗示されているかを読み取ろうとする。詩を読む時は誰でもそうするだろう。しかし、中村登は言葉の裏を読むという、詩の通常の読み方を否定する。何かの観念を象徴させるという言葉の使い方を廃し、そこに「オレ」がいるという具体的な事実だけを浮かび上がらせようとしている。「詩なんてわからないのさ」は斜に構えた言い方ではなく、作者の本音に違いない。「詩作品」という形を取ることによって、ナマの現実が何かの「象徴」にされていくことに、疑問を叩きつけているのだ。

この先の中村登の詩は、心をそそる言葉の「さわり」や「つかみ」といったものを徹底的に排除した、「非詩」的なものに変貌していく。「詩じゃない詩」になっていくのである。それに伴い、日付そのものが詩のタイトルになっていく。

 

空0あの花の性格のまずさが
空0サツマイモにもあって
空0彼にしても
空0生きていくってことは
空0ヒマワリ以上に大変なこと
空0雨にぬれて
空0風にふるえている
空0彼の葉っぱがなんだかみょうにうつくしい

空白空白空白空白「6月21日(日)きょうも雨」より

 

空0ひとつの現実
空0そこには
空0生きている人間の数だけの現実
空0そのとき
空0現実とは境界

空0皮膚は個体を形成する
空0境界である
空0といえるが
空0その境界がじつは
空0むすうの穴なのだ

空白空白空白空白「6月28日(月)晴れ」全行

 

空0きのうの
空0駅までつづく道があり
空0水たまりがあった

空0(畑のネギはわずかに伸びたかもしれない)

空白空白空白空白「9月18日(土)快晴」全行

 

日常の風景であったり、抽象的な思考だったりとまちまちだが、それらは徹底して「断片」として投げ出されている。発展を拒否した「断片」として提示することに、中村登は異様な執着を示している。「断片」を発展させて深みのあるストーリーを作るのでなく、「断片」そのものの深さを端的に追求している。現実は、統一的な意味概念ではなく、「ただそこにあるもの」なのである。それを意識的に行っている。「詩がわからない」ではなく、これまでの「詩というもの」の概念に挑戦していると言えるだろう。ナマの現実を捕まえるためには「詩」らしい体裁など知ったことじゃない、ということ。

 

空0朝、チビを連れて母を見舞う
空0あれほど苦しんでいた母の容態は
空0急速に回復に向かい
空0眠っていた

空0辻和人さんから
空0お願いしていた詩の原稿が届く
空0ハガキが同封されていて
空0「作品を成立させる言葉」と書いてあった
空0でもオレの書くものはとても「作品」とはいいがたい

空0昼過ぎに雨は止んで
空0テニス仲間のサトーさんから電話があった
空0「明日晴れたらテニスをしませんか」
空0「もちろんやりましょう」
空0サトーさんとは気が合うと思った
空0気の合うひとと
空0気の合わないひととがいて
空0思い出してみれば
空0出会いの印象だった
 
空0声の感じに含まれた気温と湿度
空0顔の表情に含まれた季節
空0喋り方に含まれた風向
 
空02月に生まれたオレを
空0冬の天気が
空0萎縮させる

空白空白空白空白「1月16日(土)雨」全行

 

母親の見舞い、作品の感想、テニス仲間からの電話、気が合う合わないということについての考察、が例によってぱらぱらと記述される。第2連で辻のコメントの一部が挿入されているが、これは私が中村登に、詩という作品を成立させる言葉についてどう思うかを問うものだった。この頃の中村登の詩は、暗示的表現を封じ、構成された「詩」を否定し、代わりに断片としての現実を突きつけるという点で、極めて先鋭的な問題意識を備えている。現代詩は長らく磨き上げた暗示的表現を最大の武器としてきた。飛躍の大きい「わかりにくい比喩」を通して、社会や日常に潜む闇を暴くというものである。一見意味はわかりにくいが、その底にある心理主義的な図式が横たわっていることは自明であり、読み慣れてくれば外見の複雑さにかかわらず、どうということはなくなってくる。何らかの意味の図式を象徴的に描いているということさえわかれば良いのである。中村登は現代詩がほとんど自明のように備えている意味の図式に疑問の目を向け、図式に還元されないナマの現実の断片を断片のままに提示しようとしたのだろう。同時代の誰も試みたことのないそのラディカルさに惹かれずにはいられなかったが、同時に疑問も抱かざるを得なかった。詩を「作品」として発表するということは、基本的に読む人=他者とコミュニケーションを結ぼうとすることである。しかし、メッセージ性を持たないこれらの詩は言葉の内部で完結しており、悪く言えば自閉してしまっている。敢えて自閉した言葉を見せることによって、他者とどういう関係を結ぼうとしているのか、それが見えてこない気がしたわけである。 それに対し「オレの書くものはとても「作品」とはいいがたい」と流すように応じつつ、3・4連目では「人と気が合う・合わない」を問題にする。中村登を追いかけて読むような人、つまり「気の合う人」なら、そこから浮かび上がる人となりを頼りに、この即物的な記述からナマの現場の空気を感じ取ることができる。しかし、そうでない人なら、素通りしてしまうかもしれない。

そもそも「表現」と「作品」は矛盾を隠し持っている。表現はその人が固有の現実と触れ合って内発的な衝動を覚えるところから始まるが、作品は他者に開かれた器としてあるものである。内側に秘められたものを他者に向けて開く時、表現者は出発点となる固有の現実をいったん手放さなくてはならない。そうしないといつまでたっても表現は他者に開かれない。ナマの現実を作品内の現実として再創造することで初めて表現は他者のものになる。そして現代詩は主に暗喩を使って、現実から現実への変換を行ってきたと言えるだろう。そのやり方は効率的だが、元にあったナマの現実の「ナマさ」を削ぎ落すことにもなる。中村登は固有の現実をとことん相手にする道を選び、試行錯誤の結果、できあがったのが日付をタイトルにする一連の「詩じゃない詩」だった。言葉をぎりぎりまでナマの現実に近づけるために「作品」を捨てる。文字通り捨て身の詩法であり、意味が辿りやすい平易な語り口でありながら、読者を拒否する寸前の際どい所まで踏み込んだ詩だと言えるだろう。

以上述べたことは、実は中村登も意識していたようである。というのは、その後、日付をタイトルに持ちながらも、今までとは違って小説的な展開を取り入れた詩を書いているからである。

 

空0男は泣いていた
空0深夜のタクシーのなかで
 
空0泣く男には夜の闇を越えた
空0理解を越えた
空0心の闇が広がっていた

空0闇のなかでも
空0そこにいる少女の姿は痛いほどよく見えた
空0見ているのは記憶に過ぎないのか
空0見えるのにいま
空0見えない
空0触れることができるのにいま
空0触れえない
空0いま悔やみきれない

空0名を呼べば
空0呼ぶ声を聞分け
空0その腕のなかに抱かれた幼かった少女を
空0思い出す
空0思い出す思いに
空0成長したいま
空0誤りがあったとは思えない
空0そんなハズはない
空0ない道を生きはじめてしまった
 
空0しまった
空0応える声を
空0しまいこんでしまった
空0少女は泣く男の娘なのだ

空0いまは見える少女の姿が救いなのだが
空0心の奥底深く迷いこんでしまって見えない
空0いまは触れることのできない少女の体温が救いなのだが
空0触れえない
空0無念が車内の薄闇をふるわせ

空0涙にふるえる
空0コートを引っ被った男に応える言葉がなかった

空白空白空白空白「2月4日(金)深夜の帰宅だった」全行

 

心に闇を抱えた男が深夜のタクシーの中で泣く。男の救いとなるものは朧気に見える幼い少女の像だが、それは彼の娘だった。娘のことをあえて少女と呼び、自分のことを男と呼ぶことによって、現実の位相をずらし、外から覗いた仮構の空間に作り変える。その冷めた視線で、娘を素直に娘と呼べない、父親になりきれない、大人になりきれない自分の寂しさを暗に浮かび上がらせているのだ。この詩は、ナマの現実と虚構の中で生まれる現実の乖離に悩み続けた中村登が出した一つの回答であり、彼が始めた「詩じゃない詩」の進化と言うこべきではないかと思う。

『季刊パンティ』への参加後、私の知っている限り、中村登はしばらく詩を発表しなくなったようだ。理由はわからない。ただ、2012年に加藤閑、さとう三千魚とともにウェブ同人誌『句楽詩区」を開始する。その際に筆名は本名の中村登から古川ぼたるに変えている(但し、本稿では中村登を使ってきておりそれを続行する)。中村登は俳句も書き始めており、俳号として古川ぼたるを名乗ったのかと思える。

 

*「古川ぼたる詩・句集」として鈴木志郎康の手でまとめられている。
http://www.haizara.net/~shirouyasu/hurukawa/hurukawabotaru.html

 

この期間に書かれた作品、つまり中村登の最晩年の作品はまた大きな変化を遂げていた。テーマは季節・自然・家族など自分の周辺のことが多く、その点では以前と余り変わらない。しかし、今までになくストレートな筆致で素直に抒情を述べている。凝った暗喩や換喩表現を使った初期の詩や、物語を喩として扱った『笑うカモノハシ』の詩、喩を拒否して現実を断片として扱った『季刊パンティ』の詩、のような尖った外見の詩とは異なり、穏やかで暖かみのある抒情詩に変貌している。散文性が高い点では「詩じゃない詩」は継承しているが、現実を一個のオブジェとみなすかのような、他者の共感を敢えて拒むような姿勢は失せている。「大雪が降った」を全行引用する。

 

空02013年1月14日は月曜日でも休日だった
空0昼前から思いがけない大雪が降って
空0雪の深さは足首まで埋まりそうだった
空0午後になっても降り続けてたが
空0畑作業用のゴム長靴を履いて
空0家のそばを流れる古利根川伝いに歩いた
空0吹雪く川原はきれいだった
空0降り続ける雪で
空0昨日までの見慣れた景色が一変していた
空0白い景色は目的もなく立入るのを拒んでいるのに
空0開かれるのを待っている
空0大勢の死者や未知の人たちが書いた
空0閉ざされた文字が整然と立ち尽くしている
空0沈黙のなかに入って行く時のように
空0内臓がずり落ちそうで
空0自分をなんとか
空0閉じ込めようとしている
空0私は幼児のようだ

空0あの角まで行ってみよう
空0あの角まで行く途中に
空0大きな胡桃の木が生えている
空0大きな木に呼ばれるように
空0そばに行って
空0その先の角を右に折れて家に帰るつもりで歩いた
空0歩きながら今日の大雪を記録しようとカメラに収めた
空0画像には年月日時刻が入るようにセットして
空0写した景色を日付のなかに閉じ込めておくと
空0あの胡桃の種子のように
空0新しく芽生える日がくると思って

空0雪を被った胡桃の木は
空0遠くから見ると
空0たっぷりと髪の毛を蓄えた生き物のようだし
空0近づくにつれて
空0苦しんでいる
空0人の姿のようだ
空0土のなかに頭をうずめて
空0空のたくさんの手足は疲れて硬直している
空0それで
空0何を求めているのだろう
空0こんな日にも
空0土のなかの頭部と地上の胴体とは
空0私が立っている地面を境界にして
空0少しずつ少しずつ何を地下に求め
空0少しずつ少しずつ何を上空に求め
空0春には新芽を膨らませ
空0初夏には鉛筆ほどの長さの緑色の花をつける
空0光合成をしているのだという
空0根本は周囲1メートルほどの太さになっている
空0一度噛んだ果肉は渋く殻は固い
空0忘れられない果肉
空0果肉の数だけ忘れられないことが多くなる
空0人ではない胡桃の木は数十年
空0季節の実を結んでいる

空0雪は10センチ以上積もっても降り続けた
空0ストーブを焚いている部屋に帰ってきて
空0胡桃の実の固い殻のなかから
空0なかにしまわれた記憶を取り出すように
空0カメラからPCにデータを送る
空0撮って来た画像を再生し
空0帰りを待っていた女房にも見せた
空0彼女とは40年近く一緒に住んでいるが
空0こんな降り方をした大雪を
空0ここに住んで見るのは初めてのような気がする
空0吹雪く川原の
空0雪をまとった胡桃の木は
空0日付もうまく入っていて
空0彼女もきれいだと言ってくれたので
空0うれしかった
空0あの日
空0長女の生まれた日も
空0雪の降る日だった
空0その子は予定日より十日ほど早く破水したので
空0大きな川のほとりにある病院に向かって
空0明け方の雪の中
空0転ばないように
空0二人とぼとぼ歩いていったのだった
空0雪の日の赤ちゃんは逆子で生まれた
空0女の子だったので
空0雪江と名づけたのだった

 

雪が降った日に外を歩いて、そこで目にしたもの一つ一つを大切に慈しんでいる。その慈しみの様子を、実況中継するように逐一生々しく伝えていく。「雪を被った胡桃の木は/遠くから見ると/たっぷりと髪の毛を蓄えた生き物のようだし/近づくにつれて/苦しんでいる/人の姿のようだ」は話者がその距離を確かに歩いたことの息遣いを伝え、対象を捉える心が刻々変化していることを伝える。「こんな日にも/土のなかの頭部と地上の胴体とは
私が立っている地面を境界にして/少しずつ少しずつ何を地下に求め/少しずつ少しずつ何を上空に求め/春には新芽を膨らませ/その初夏には鉛筆ほどの長さの緑色の花をつける」はその土地で暮らす者特有の鋭敏な感覚で微細な自然を感じ取り、そこから生活者特有の哲学を汲み出していく。その一連のことが、「断片」ではなく「流れ」として詩の言葉で記録されているのだ。読者は詩を読むのでなく体験するのだ。何と豊かな体験だろう。詩の終わり頃には、妻の出産にまつわる思い出が描かれる。その日も大雪だった。予定より速く破水した妻をケアしながら病院まで歩き、生まれた女の子に雪にちなんで「雪江」と名づける。雪を通じて現在と過去が結ばれるわけだが、娘の誕生を愛おしく思い出す行為もまた、自然の営みの中にあるものとして、把握されていることに注意したい。

中村登が初期から一貫して関心を持っていたことは、命の在りようだった。命や身体についての記述は、自分・家族・知人・動物・植物と、どの詩にも必ずと言っていい程現れる。生まれて、飲食し、性交して、死ぬ。中村登は自分もこのサイクルの中に在ることを常に強く意識している。自分を精神的な存在とはせず、身体ある存在として扱うことに拘った。詩のスタイルは変化していったが、核にあるのは生命への関心であり、そこがブレることはなかった。生きているということは、身体とともに在るということであり、時間もまた身体という概念とともに在る。中村登は詩もまた身体ともにあるものと考え、命や身体のリアリティを丸ごと実感できるような言葉の在り方を模索していたと思われる。
以上が4回にわたる、私の中村登の詩に対する論考であるが、拙論を通して中村登という詩人に興味を持っていただけたら、これ以上嬉しいことはない。

 

 

 

かずとんあるある

 

辻 和人

 
 

9年目ともなれば
家の中には
あるある、が
あるある

夕ご飯の後
食器を洗い終わったら
背後
ぬっと立ってた
結婚9年目のミヤミヤ
「かずとん、洗い終わってスポンジの水切らないよね。
お風呂掃除の時もそうだよ。
いっつもあたしが気づいて絞ってるの。
スポンジの水切らないのって
かずとんあるあるの1つだよね。
かずとんあるある
かずとんあるある」

9年目の重みがこもった声だ
「あー、悪かった、悪かった。
すぐきれいにするからさ。
今度から気をつけるよ」
9年目のミヤミヤは
黙って
ぷいっ
2階に上がってしまった、よ

で、ですね
お風呂入る前にメールチェックしたら
おや、ミヤミヤからだ
「かずとんあるある、以下よろしく。
○スポンジの水気を切らない(細菌が繁殖する)
○マヨネーズやドレッシングの瓶は少しでも残っていると捨てられない(これらは構造上1滴も残さず使い切るのは無理なので、結果としていつまでも捨てられない)
○洋服は切れるまで買い替えない(ヨレヨレとか流行遅れという理由で買い換えることはない)(今の服は丈夫なので言われなければおじいちゃんになるまで着る)
○習慣になるまでは100回以上言わねばならないが、習慣になったものを辞めさせるのも100回以上言わなければならない。
○自分の分担の家事は真面目にこなすが、そこまで清潔好きという訳でないので、詰めが甘い。また、どうしてそう言われたか・家事の原理まで考えていないので、応用が利かない。
○炒めものには玉ねぎを多用。酢を少量加えるのがポイントとか。
○お財布は古いレシートや使わないポイントカードが一般で風水的にも良くないとよく注意されている。
○カバンに読むのかわからない本やバラけたホチキスの針など入っていて重く、毎日整理しろと注意されている」

胸、ドッキドッキ
これは問題
9年目の大問題だ
1つ1つ吟味してみましょう

スポンジ問題
食器洗い終わって、次、次
テーブル拭かなきゃっ
食器洗って→スポンジ絞って→テーブル拭いて
あっ、中間項が弱いか
ぎゅっとじゃなかったか
弱い中間項から細菌が繁殖し続けてたってわけか
絞ってることは絞ってるんだよぉ?

底にちょびっと残ってる問題
構造なんだよねぇ
最後まで使わないともったいないでしょ
まだ底に幾らか残ってる
まだちょびっと、まだちょびっと
永遠に減らないけどさ
ぼくのせいじゃないよ、構造のせいでしょ

洋服買い替えない問題
ほつれたって擦り切れたって
まだ着れるじゃん
流行遅れでも
気にしなきゃいいじゃん
20代で買った青いシャツ
襟に汗の染みついたまま
70代になっても元気に着るぞぉ、お店とかにも入っちゃうぞぉ

100回以上問題
1回でも100回でも
ぶっちゃけそんなに変わんないだよね
覚えてればやるよ
覚えてなければそもそもできないよ

詰めが甘い問題
家事の原理
かずとんには難しいよ
理解できれてればやるよ
理解できてなければそもそもできないよ

玉ねぎ問題
玉ねぎ好きだもん
ついでにお酢も大好き

古いレシート問題
ああ、これね
これは確かに良くないね
うんうん、良くない
けどさぁ
捨てるって作業、意外につらいんだよなぁ
捨てるって否定することでしょ?
否定って基本つらいでしょ?

カバンに読むのかわからない本問題
読んでることは読んでるんだよ
ちょっと読んでは
他に面白そうな本があれば
それも読む
その繰り返しの波がたまらなく快いんだけど
読み終わらない本たちが代わる代わるカバンの中で
起きたり眠ったりしてる様子が
たまらなくかわいいんだけど
あ、ホッチキスは片づけた、ごめんなさい

かずとんはさ
ただハイハイッて表面的に実行するだけで
あたしの言うことを
「心」で聞いてないって
言われたことあった
反省したさ
でもミヤミヤの思想はかずとんには深遠すぎるのさ
かずとんがやっと1歩進むうちに
ミヤミヤは100歩先に進んでしまう
「カズトさん、カズトさん」と呼ばれていたのが
ある時、「かずとん」に変わって、その瞬間から
あるあるとの共存が始まった
さ、これからお風呂沸かすけど
その前に洗面台きれいにしておこう
昨夜言われたもんな
洗面台いつもあたしがきれいにしてるのにかずとん気づかないって
ちゃんと気づいてますよ
「心」で聞いてますよ
でも明日もできるかはわからないですよ
かずとんあるある
9年目を走れ、走れ、走れ!

 

 

 

不確かさを確かめる

中村登詩集『笑うカモノハシ』(さんが出版 1987年)を読む

 

辻 和人

 
 

 

第3詩集となる『笑うカモノハシ』は前の2冊に比べてぐっと言葉の運びに飛躍が少なくなり、意味が辿りやすいものになっている。同時に論理の筋道や構成がずっと複雑になっている。比喩を使って物事を象徴的に示すのではなく、時空をじっくり造形することで詩が展開されていく。『水剥ぎ』の頃には、一見解き難く見える暗喩が現実の一場面一場面を鋭く名指していた。3年後の『プラスチックハンガー』では非現実的なイメージを遊戯的に軽やかに展開する中、ふとした瞬間に生身の現実の吐露に立ち戻るという仕方で、虚構と現実の間を越境する面白さを打ち出す書き方だった。『笑うカモノハシ』では、物語を散文的な言葉遣いでかっちり展開させ、その物語を、思惟する作者の姿の比喩として使っている。
ここで中村登の生活の変化というものを考えてみたい。鈴木志郎康がまとめたウェブページ「古川ぼたる詩・句集」によると、中村登は1951年に生まれ、和光大学を卒業後、大学の仲間と印刷所を始めたそうである。1974年に結婚し、1979年に東洋インキ製造株式会社に入社とある。和光大学は当時左翼運動の盛んな大学だったので、中村登もその影響を受けたかもしれない。普通の就職を避けて起業したがうまくいかず失業。結婚し子供ができ、若くして一家の大黒柱になった中村登は結局、就職することになる。『水剥ぎ』における過激な暗喩は、不安定な生活への激しい不安が直接反映されていると考えられる。性にまつわる詩が多いのも若さ故ということであろう。『プラスチックハンガー』の詩は、会社勤めに慣れ、子供たちはまだ幼いながらも手がかからなくなってきて、心に余裕ができた頃に書かれている。言葉の運びに遊びが多くなっているのはそうした心境のせいもあるだろう。そして『笑うカモノハシ』では、30代半ばに差し掛かり、ぼんやり見えてきた老いや死について想いを巡らせ、世の中を俯瞰して見ようとする態度が見られる。まだ十分若いが青年期を過ぎ、自分を取り巻くものについて客観的に考えてみようという感じだろうか。こうしてみると、中村登が環境や生理的な変化に即応し、作風を変化させていることがわかる。

思考の詩と言っても、詩的な修飾によって思索を綴っていくのではなく、「笑うかも」とトボけながら、その時々の思考の姿を肉感的に描いていくのである。
まずは冒頭の詩「あとがきはこんなかっこいいことを書いてみたかった」を全行書き写してみよう。

 

空0現実とは気分
空0
空0波動の連続体であるという
空0大胆な仮説が
空0自分の欲望
空0から
空0見えた世界を呼びとどめる

空0呼びとどめ
空0どちらに行けば極楽
空0でしょう
空0どちらさまも天国どちらさまも地獄世界は
空0あなたの思った通りになる
空0思った通り
空0風のように、鳥のように、花のように、苦しみにも
空0千の色彩、千の
空0顔がある

空0千の色彩、千の顔が
空0「いたかったかい」
空0馬鹿げた質問だが
空0わたしには他に
空0話しようがなかった。

(『日本語のカタログ』『メジャーとしての日本文化』『メメント・モリ』映画『路(みち)』のパンフレット『ジョン・レノン対火星人』より全て引用)

 

()の注釈から、全体が複数のテキストからのコラージュで成り立っていることがわかる。他の中村登作品には見られない「かっこいい」言葉が並んでおり、そしてそのことをタイトルで示している。言葉についての言葉、つまり「メタ詩」だが、照れながらも彼の関心事を率直に語っているようである。現実は「気分/の/波動の連続体」、主体のその時々の気分が現実を決定する、天国も地獄も気分次第、現象は千変万化するがそれも主体の気分を反映したもので、それ以上は話しようがない、大意としてはこんな感じだろうか。ここで中村登は、万物は常に流転するといった哲学を語っているのでなく、自分という存在の頼りなさ、不確かさについて語っている。世界に触れるのは自身の感覚と身体を介してしかできない、それは自分という存在の頼りなさや不確かさを実感することと同じ……。この感慨は「扉の把手の金属の内側に/閉じこもってしまいたい でも/閉じこめられてしまえば/出たいと思う」(「便所に夕陽が射す」より)と書いた『水剥ぎ』の頃から登場していたが、この詩集では「不確かさを確かめる」ことをメインテーマに据えている。

「自重」は互いに関連のない4つのシーンを集めた詩である。その4連目。

 

空0声を聞いて
空0声の刺激に
空0鼓動をかくし
空0ドアにかくれてトイレで
空0手淫、
空0勃起しはじめるものの
空0わけのわからなさ、男根というものが
空0わけのわからないものになって三年経ち四過ぎ
空0なにもかも
空0なにも知らないというままで
空0わたしは
空0この男のなかから
空0消えうせることになってしまうのか

 

トイレに籠って自慰をする、普通の男性の生理的な行動と言えるだろうが、そんな自分の行為を作者は「わけのわからないもの」と位置づけている。子作りを終え、微かに性欲の衰えも自覚されている。自慰行為をするといっても以前ほど行為に没頭できなくなり、妙にシラけた気分になってしまう。30代にもなればそういう覚えは珍しくないし、普通は仕方のないこととして流してしまう。が、中村登はそれを注視し、自分を「この男」に置き換え、更にそこから消え失せる想像をする手間をかける。何らかの結論が出たわけではなく、非生産的極まりない想像だ。しかし、「不確かさを確かめる」ことに憑かれた中村登はそれをやらないわけにはいかない。

不確かなもの、曖昧なもの、あやふやなもの、を追求するという点で徹底しているのが「夢のあとさき」である。

 

空0さっきまで草か木になるんじゃないかって
空0思っていたと中村がいうと
空0へェーいいわね花になるなんて思えたのは
空0十七八の娘の頃だけだったわ
空0という森原さんが
空0この間たまたま清水さんと
空0向い合わせになってね
空0清水さんはねこう頭の上に
空0いっぱい骨があるんですって

 

詩人同士と思われる仲間たちとワイワイお喋りするところから始まる。どうやら話題は死んだらどうなるか(!)という物騒なもの。しかし、話のノリは軽い。こんな調子でだらだらと会話が続いた後、会合が終わり、話者は妻と待ち合わせの場所に行こうとして道に迷ってしまう。

 

空0池袋では出口がいつもわからなくなる
空0待ち合わせたスポーツ館の方へ行く出口がどれなのか
空0わからなくなっていつもちがう方へ出て
空0いちど出てからこっちじゃないかと探して
空0引き返してから反対側へ出てでないと行けない
空0カミさんと池袋に行ったことがないから
空0カミさんと池袋に行く中村は
空0きっと
空0なじられる

 

詩の後半はこのようにまただらだらと、待ち合わせの場所に辿り着けない(結局電話をして迎えに来てもらう)愚痴のようなものを綴る。この「だらだら」は意図的なものであり、口調としては弛緩しても詩の言葉としては緊張感がある。だらだらした時間も確実に生きている時間の一部であり、後から見ればだらだらしているが、直面したその時その時は抜き差しならぬ現実そのものである。中村登はそうした時間の質感の不思議さを、自分の身に即して書き留めようとしている。

「胸が雲を」は家族の間に流れる空気の機微を描いている。個であり群でもある、という当たり前と言えば当たり前の関係を、わざと突き放し、「不思議なもの」として眺めている。

 

空0ボクとカミさんはそれぞれ
空0立ったり座ったり横に曲がったりして
空0たまに止まっていると
空0ここがどこなのか見失うことができる
空0自分が誰なのか見失うことができる
空0常々独身に戻って
空0気ままに人生をやりなおしたいと思っている
空0ボクが
空0「別れようか?」
空0「あなたがそうしたいと思ってんならわたしはいつだってOKよ」
空0いとも簡単に答える
空0そんな簡単に別れて後悔しないのか?
空0もっと深刻に理由(わけ)を探したらどうだ!
空0「どうして別れたいの?」
空0「だってあなたが先に別れようか? っていったんじゃあない」

 

互いに信頼し合っているからこその微笑ましい会話だが、夫婦と言えども個と個なのだから、どちらかが強く望めば別れることは実際に可能なのだ。冗談であっても口に出してしまうと複雑な想いが残る。そこに、「もっていたオモチャを/遊び相手にくれてしまった/子供」が戻って来る。子供がいると家族という形が安定して見えることは見えるが、

 

空0オモチャをなくしてしまったボクたち三人の子供の胸の中
空0自転するものがある

 

父親と母親と子供ではなく、子供と子供と子供がいる、と言い換える。別々に生まれ、別々に死ぬ、頼りない個が集まっているだけなのだ。三人とも、「ここ」とか「誰」とかを「見失うことができる」のである。中村登の築いた家庭は強い愛情の絆で結ばれているが、それでも個である限り、物理的にいつか離れ離れになることを免れることはできない。

そして「チンダル現象」は、物理としての現実を俯瞰した視点で問題にした詩である。

 

空0子供たちがチンダル現象だ、といっている。

空0宇宙の写真をみたことがある、とてつもない宇宙の、その写真のなかでは、太陽さえも、

空0チリかホコリのようなものだ、った。

空0窓から射しこんできた光の、なか、微小な粒子が、ゆらいで、舞い、うっとりと、光の河

空0が、にごっている、あの天体の写真のよう。

 

チンダル現象とは、光が粒子にぶつかって散らばった時に見える光の通路のことで、木漏れ日などがそうだ。この詩は一行ごとに空行が挿入されており、チンダル現象の光の進路を摸しているように見える。世界の成り立たせる原理について、以前の詩には見られなかったような抽象的な思索を繰り広げていくが、それで終わらず、自身の存在について想いを巡らせていく。詩の中ほどに「生物が、海から、あがってきた」ことを「無残な記憶」とした上で次のような見解を述べるのだ。

 

空0それは、わたしたちが、このネコや、このヒトである、そのことが、すでに、
空0そのことで、力の抑圧なのだった。

 

本来水の中にいるのが自然だったのかもしれない生物にとって、陸にあがって生活するということ自体が抑圧ということ。これは作者の実感からきたものだろう。平穏な毎日の中に何かしらの抑圧を感じる。社会のせい、人間関係のせい、という以前に、自分の力では如何ともし難いもっと根源的な原因があるのではないか。詩の最終行は「チリか、ホコリにすぎない、微小な球体の表面では、信じ、なければ、開かれない、無数の扉が虚構のことに、思えてくる」と、測り難い自然の営みへの畏れが語られる。

「水の中」でも、世界の理についての見解が披露される。

 

「 子供にせがまれてつかまえたその川の子魚を飼っている。水槽に入れて、エサをやった後はしばらく眺めている。と、魚と目が合ってしまう。魚は川の中にいればひとの顔を正面から見ることなんてことはないだろうにと思ったその時、魚がぼくとは全く違う別の世界の生き物であることに、あらためて気がついた。魚は水中の生き物だ。そしてぼくは水中では生きていけない生き物だ。 」

 

魚の目から見た自分の姿。本来ならあり得ないはずの出会いの形。中村登はここで自分という存在を自然界の秩序の中で相対化してみせる。水槽で魚を飼うという、自然の秩序を乱す行為によって逆に秩序の形が見え、そこから自分の存在の特異性が見えてくるのである。
俯瞰した視点で自分の存在とは何かを問えば、一個の生命体であるというところに行き着くが、生命体には寿命があり、その儚さが意識に上らざるを得ない。

「水浴」は、子供が生まれたばかりの子猫を拾ってきたことの顛末を、句読点を抜いた散文体で描いた詩。子猫は弱っていたがスポイトで与えた牛乳を次第に吸うようになっていく。

 

「 よしよしとしばらく腹のふくらみをなでよしよしと頭をなでていると抱いている手にしっとりと暖かいものが流れ出し次にはポロッと米粒くらいの黄色いウンコをするのでぬれタオルで尻をふいてやり目のあたりをたぶん親猫が舌でそうするだろうように指でさすってやっていると予定していた海水浴に行く日も近づいてきているしこのままネコの子を置いて出かけるわけにもいかないしもう行かないものと決めている七日目の晩右目が半分ほど開き左目がわずかに割れたように開き牛乳をあたため用意している間中も抱いている手のひらをなめ 」

 

子猫が死の淵から生還していく様子が細かな描写でもって描かれる。最後は「湯ぶねに水を張り行水よろしく水を浴び体重計にそっと頭を下げて下腹をわしづかんであと三キロ三キロと股間を見おろすむこうからとっ、とっ、とっ、とっ、とっ、とくるものに目のまえがくらむ」と、子猫が元気になった様子を示す。楽しみにしていた海水浴をあきらめ子猫の介護に尽くす家族の暖かさに胸を打たれるが、より印象的なのは、生き物が死と隣接していることを念頭に置いた作者の描写の仕方だろう。目の前の生き物が死んでしまうかもしれないというびくびくした気持ち。子猫が元気になって良かったという事実よりも、生は死を内包している、その観念を浮かび上がらせるために、せっせと細かな描写を積み重ねているように見える。

生命の在り方への関心が個体差という点に向かうこともあれば、

 

空0うちにもどって
空0娘、一九七四年二月十二日生。
空0その娘の母、一九四九年二月四日生。
空0十二才の足と
空0三十七才の足と
空0見くらべて
空0十二才の足の方が大きくて平べったい
空0歩いた道のちがいが
空0足に出ていて
空0三十七才のは
空0ころがってた石ころ
空0つかんだままの
空0甲が張ってて小さくて
空白空白空白空白(「やり残しの夏休み自由課題」より)

 

生命の連関について、神秘的なスケールで考えてみたりもする。

空0きのうまでは見ていて見ることがなかった
空0ないところに咲いた花が
空0死んだ祖先の魂ではないのか
空白空白空白空白(「花の先」より)

空0樹木のような意識は、個体を通って、個体を離れてもなおつながっているような
空0意識は、目には見えないけれども、ある日、花が咲いたように、思いもよらないところに、
空0パッと開かれるのを、どこかに感じているから、花に呼ばれるように花見をしにいく。
空白空白空白空白(「花の眺め」より)

 

これらの詩は、自分という個体がこの世のどのような秩序の中で位置づけられているかについて想いを巡らすものである。そして、そうしたテーマを自分の頭の中の出来事として完結させるのでなく、身近な人とのつきあいを通して展開した作品もある。

 

「 トーストでなくてふつうのパン、ウインナ、目玉焼、トマト、三杯砂糖を入れた紅茶を三杯、それだけを食べて、頭をとかす、ウンチをする、それから八時半頃、歩いて野田さんは出社する、朝はセカセカするのがキライだから、まわりはほとんど商店街だ、 」
空白空白空白空白(「八百年」より)

 

野田さんは会社の同僚のようだ。出社から退社までの様子を、事実だけを列挙し、感情を廃したとりつくしまのない調子で淡々と描写していくが、最後の2行で見事に「詩」にする。

 

「 月ようから金ようまで、野田さんは、こうして、もう、八百年は経ってしまっている感じがする、八百年か、と野田さんは言った。 」
空白空白空白空白(「八百年」より)

 

家と仕事場を往復する単調な毎日を、「八百年」という言葉が、非日常的な響きのするものに変えていく。実際は「八百年」というのは雑談の中で冗談のつもりで出た言葉なのだろう。しかし、句読点のない、読点だけでフレーズを切る無機的なリズムの中では、「八百年」は平凡な毎日がそのまま虚無に通じていくかのようだ。

 

「 陽射しが、すこし、弱くなって、Tシャツ、ビーチサンダル、で、すごせる、野田さんは、朝、おそくおきて、奥さんの、尚子さんが、家のことをすませたら、林試の森に、出かける、オニギリ十二、三個、麦茶、オモチャで、出かける、オニギリはだから、玉子くらいの大きさで、林試の森は、目黒と品川の境、近くに、フランク永井の邸宅があったり、 」
空白空白空白空白(「ピクニック」より)

 

「八百年」と同様の調子で始まるこの詩だが、中ほどから印象的な展開が始まる。

 

「 太陽の光が、差しこんで、チリにあたって、濃くなって、ちょうど、写真のなかの、星雲のようで、野田さんは、無数の、チリの、チリのひとつの、うえに、なにかの、はずみで、ピクニックに来てしまった、朝の、光の、波打際で、光を追い越させている、と、尚子さんも、秋一郎くんも、生きている写真だ、あっというまに、なつかしくなって、 」
空白空白空白空白(「ピクニック」より)

 

陽が差し込んだのをきっかけに、家族の楽しいイベントが一転して物理現象に還元され、更に神秘体験のような状態に入ってそのままエスカレートしていく。

 

「 木立の緑が、光って、カメラ、野田さんは、もう、自分が、カメラになってしまって、いる、光が、濃くなって、そこが、じんじん、じんじん、チリのようなものを、吸い込んで、吹き出して、ものすごいスピードで、止まっている。 」
空白空白空白空白(「ピクニック」より)

「ものすごいスピード」で「止まる」とはどういうことか。今「生きている」のに「写真」で「なつかしくなる」とはどういうことか。普通、人は、ピクニックをする時は日常生活の論理で考え行動し、宇宙の原理について考える時は、日常を脇に置いた、科学的ないし哲学的な構えを取る。それらをつなげては考えない。だが、ピクニックも宇宙の現象の一つであることに間違いない。中村登は「詩の領域」を設定し、平穏な日常の風景が神秘体験と化す離れ業をやってのけるのである。

「密猟レポート」は、こうした超越的なアイディアを、ナンセンスなストーリーを通して綴った詩である。

 

空0今夜、Nさんらとクルマで
空0東北自動車道をとばし、
空0野鳥を密猟しに山に入ります。
空0夜を高速で飛ばすのは
空0まったく神秘な気分です。
空0ひかりのふぶくなか
空0なつかしい地面をただようのです。

 

ふざけた口調で、ホラ話であることを読者に明らかにする。このまま間の延びた調子で密猟の様子で語っていくが、後半、話は不意に脱線する。

 

空0先日のわたしは
空0酒を飲みながら
空0友人の家の水槽に
空0変なことを口ばしっていました。
空0ゆらゆらと水槽で泳いでいる
空0金魚を見ているうち
空0ふっと
空0太陽もウジ虫も
空0区別がつかなくなっていました。

 

そして突然、次のような取ってつけたようなエンディングを迎える。

 

空0わたしたち4人は銃をもっていなかったため
空0熊にやられて死んでしまいました
空0わたしたち4人が死んでも自分たちがここに
空0ほんとうは何をしにきたのかわかりませんでした。
空0わたしたち4人が死んでも自分たちが
空0この地上にほんとうは何をしにきたのかわかりませんでした。

 

仲間と鳥の密猟に行き、ふと意識が飛んで別のことを考え、最後は熊に食べられて死んでしまい、その死について自問するが答えが見つからない……。ナンセンスなホラ話の形を取っているが、この詩は人の一生を戯画化したものだろう。例えば地球を通りがかった宇宙人から見れば、地球人の一生などこんな感じなのではないだろうか。何のために生きているかは遂にわからないが、自分を取り巻く世界の不思議について問わずにはいられない。忙しい暮らしの合間にふっとできた、ユルフワな哲学の時間のイメージ化である。

中村登と一緒に同人誌をやっていたこともある同年代の詩人さとう三千魚にも、類似した傾向の作品がある。

 

空0で、
空0朝には
空0女とワタシの寝息が室内にひろがっています。
空0朝の光が、
空0室内いっぱい寝息とともに吐き出された女とワタシの、感情の粒子
空0に、斜めにぶつかり、キラキラ、光っています、室内いっぱいひろ
空0がった女の、感情の粒子とワタシの感情の粒子もまた、ぶつかり、
空0朝の空間に光っています。
空白空白空白空白(「ラップ」より)

 

平凡な日常の一コマをあくまで日常的な軽い口調で、宇宙の中で起こる物理現象に還元する、そしてその測り知れなさに戦慄する。中村登と共通する部分を持っていると言える。しかし、さとう三千魚の詩の言葉がその測り知れなさに向かって高く飛翔していくのに対し、中村登の詩は地べたに降りていく。さとう三千魚の詩においては、「女」や「ワタシ」は人間としての実体を離れ、高度に記号化されて「粒子」として昇華される。だが中村登の詩は、どんなに抽象的な方向に頭が向いていても、最後は身体を介した、ざらざらした暮らしの手触りに戻っていくのである。妻も、子も、猫も、同僚も、記号化され尽くされることはなく、個別の生き物として存在する。広大な宇宙の隅っこにしがみついている、温もりある生き物としての不透明感を維持しているのである。その核にいるのはもちろん中村登自身であり、自らの矮小さへの自覚が、世界の不確かさを確かめようとする態度に顕れているのである。

詩集の末尾に置かれた「にぎやかな性器」は、不確かな世界の中で共生し、命を紡いでいく生きとし生けるものへの賛歌である。中村登自身ももちろんその一員だ。それでは、全行を引用して本稿を閉じることにしよう。

 

空0にぎやかな鳥の鳴き声
空0にぎやかな蚊のむれ
空0にぎやかな葉むら
空0にぎやかな性器

空0なぜわたしはにぎやかな鳥の鳴き声なのか知らない
空0なぜわたしはにぎやかな蚊のむれなのか知らない
空0なぜわたしはにぎやかな葉むらなのか知らない
空0なぜわたしはにぎやかな性器なのか知らない

空0鳥はなぜ知らないわたしがにぎやかである
空0蚊はなぜ知らないわたしがにぎやかである
空0葉むらはなぜ知らないわたしがにぎやかである
空0性器はなぜ知らないわたしがにぎやかである

空0ふあっきれいにぎやかな鳥の鳴き声
空0ふあっきれいにぎやかな蚊のむれ
空0ふあっきれいにぎやかな葉むら
空0ふあっきれいにぎやかな性器

空0鳥のにぎやかな鳴き声の性器はまたうつくしい
空0蚊のにぎやかなむれる性器はまたうつくしい
空0葉むらのにぎやかなむれる性器はまたうつくしい
空0にぎやかな性器はまたうつくしい