こだまは
新横浜を過ぎて
多摩川を
渡った
多摩川が波紋を刻んでいた
流れて
いた
引き渡すものが
あるのか
何も残っていない
わたしには
引き渡す
言葉もない
無いコトバを
引き渡すよ
君に
多摩川が流れていて
無い橋を渡る
こだまは
新横浜を過ぎて
多摩川を
渡った
多摩川が波紋を刻んでいた
流れて
いた
引き渡すものが
あるのか
何も残っていない
わたしには
引き渡す
言葉もない
無いコトバを
引き渡すよ
君に
多摩川が流れていて
無い橋を渡る
佇つんだ
ろうね
いつか
佇つんだろ
朝
みわはるかさんの
詩を
読んだ
詩は
片足をだした
そして次の足をだして
歩いてく
それから詩は
駅のホームに佇つだろう
昨日
荒井くんに
ふざけろよ
といった
のか
特急はいくつかの駅を過ぎた
みた
ことがある
朝に
ひとり
ボート担いで
曳いて
海にでて
みた
ことがある
松林が
黒い塊だった
不二が浮かんでいた
三保だった
のかな
海にでれば
陸が
見えるだろ
そこは
懐かしいとこ
そこは
懐かしいところ
女たちがいる
川釣りの本を
読んでる
時間に
身をかさねて
いくえにも
かさねている
釣りも
絵も
踊りも
ことばも
そうだろう
時間に身をかさねて
いくども
かさねて
無い身体になる
井伏鱒二も
身をかさねている
こだまは
東京駅に着いたろう
夕方だった
音が
なかった
目覚めると
窓の
外に
青みがかった
空があり
むこうの
西の
山の
家々のなかに
灯りが点きはじめたのだったろう
故郷は
わたしにもある
母が
姉の家にいる
東鳥海山という山が
あり
天辺がたいらだった
骨というのを
見たことあるかい
ヒトの
死んだ骨をさ
見たこと
あるかい
死んで
焼かれて
ヒトは骨になるんだね
そこが
行き止まりでもなく
海に
まかれたり
山に
捨てられたり
犬に喰われたり
ヒトに
喰われたり
するんだろ
白い
骨はね
夕方
浜辺の車の
窓の
人性の美と品位とに対する内面的な深い感情性、
及び普遍的の根拠としてのこの感情性の上に、その全体の行為を関連づける心情の
持ち方と強さとは、厳粛であり、
窓の
外に
カントの
しろい尻をみた
綺麗だ
儚い
※イマヌエル・カント「美と崇高との感情性に関する観察」より一部引用しました。
どうだろう
つくる
のかな
どうだろう
どうかな
モコは今朝早く
吠えた
おしっこに
行きたかったんだ
窓を開けてやると
玉砂利のうえでにしゃがんだ
それから
モコと海を見にいった
むこうから
やってくるのを待ってる
そういう感じ
作るのではなく
浅草橋で
荒井くんと
飲んだ
昨日は
荒井くんの
誕生日だったのだろう
荒井くんは
母を見舞って
富山から帰ってきた
蛍烏賊の
沖漬けをくれた
それから
深夜に
薬師丸ひろ子を聴いた
すきよ でもね たぶん
きっと
そう歌っていた
昨日だった
か
一昨日か
河口まで走った
川の土手を
走った
そこには灰色の空と海が
ひろがっていた
河口に着いて
息を
していた
ヒトは別々の
息を
くりかえしてきたろう
さっき後ろで
モコの寝息がきこえた
驚いた
まるいモコがいた