家族の肖像~親子の対話 その56

 

佐々木 眞

 
 

 

お父さん、薬の英語は?
メディシンだよ。

お父さん、鎌倉の信号、怖いんですお。
そうか、怖いんだ。困ったね。

お母さん、新逗子駅、葉山逗子に変わったよね?
そうね、変わったわね。

逗子の信号もツツツツって鳴りますお。
え、そうなの?鎌倉だけじゃないの?
ツツツツツって鳴りますお。
おんなじ音なの?
そうですお。

お母さん、えこひいきって、なに?
その人だけ特別に可愛がることよ。

お母さん、ひょうきんて、なに?
オレたちひょうきん族よ。

様々って?
色々よ。

コウ君、その恰好おかしいわよ。
リコちゃんに嫌われる?
嫌われるわよ。
そうお。

コウ君、今日はどこ行くの?
セイユー行きますお。
他は?
セイユーだけですお。

お父さん、コウ君が一番好き!
ありがとうございました。

お父さん、欠席の英語は?
アブセントだよ。

コウ君、今日は父の日だよ。お父さんに、なんていうの?
ありがとう。
コウ君、ありがとう。

お母さん、薬剤師て、なに?
病気の人のお薬を考えてあげるひとよ。
エイ子さん、薬剤師さん?
そうだよ。
石原さとみとおんなじ?
そうね。テレビのね。

お父さんに「後から片づけなさい」っていわれたお。
コウ君、あれは偽のお父さんだったから、忘れていいよ。

お父さん、大丈夫ですか?
大丈夫だよ。

 

 

 

「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第93回

 

佐々木 眞

 
 

 

西暦2012年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

公社の男女の社員がまるで仕事をするように生真面目に乱交している姿を、私は唖然として見つめていた。6/1 

青山トンネルを出ると、星条旗通りだった。夜の底がお星様だらけになった。「ササキさあん!」という呼び声に霊園の方を見ると、ハーレーダヴィットソンに跨って黒革のジャンプスーツを纏った若い女が、赤信号の交差点で対向車に激突し、空中で1回転して、白く柔らかな頬を、鋪道に叩きつけられる姿が見えた。6/2

「もしもあなたが先に亡くなって、もしも私が90歳までも長生きしたら、私は1階のあなたの南向きの書斎のお部屋に、南北の方向にベッドを置いて、毎晩ゆったりと眠ることにするわ」と、彼女が言うので、「いいよ、君の好きなようにしなさい」と、私は答えた。6/3

その外資系ブランドでは、本社と支社との関係が急速に悪化して、支社長は、「今後一切本社の指令を無視せよ」と全員に通達を出したのよ。6/4

D社の企画担当にワタナベという独裁者が就任したので、居たたまれなくなった私は、志願して地下の清掃工場で寝起きするようになったのだが、お陰で私は、ここに並べられている汚れたユニフォームを、一瞬で青い背広に変身させる魔術を習得することができたのさ。6/5

イケダノブオは、ツモリチサトの洋服や雑貨が気に入ったようで、大きく両手を広げて、所謂ひとつのラック買いと称される大人買いを始めたのだが、もしかするとイケダ選手は、むかしツモリ選手のアシスタントをしていたのではなかったか?6/6

「そうか、田舎土産に川魚が欲しいんか。しばらくそこらで待っとれよ」、と叫ぶと、おらっちは、マシラのように深い深い谷底の川に飛び込み、名物の落ち鮎を、両手に握りしめて戻ってきた。6/7

会社が倒産すると分かったと同時に、私がデスクの上に置いていたブルーレイプレーヤーは、誰かによって持ち去られ、その行方は、杳として知れなかった。6/8

横須賀から乗ったペンキ塗りたての船が、どうやら底に穴が開いていたようで、出発3時間後にどんどん沈み始めたので、さてどうしたものか、と腕組みをしているわたし。6/9

この地方の人は、なぜか全員上手なおふらんす語でしゃべっているようだ。私に向かってシッポを振りながら近づいてきたゴールデン・レトリバーに「どこへ行くの?」と尋ねたら、「コンセールへ」と答えたので驚いた。6/10

無茶苦茶に大きなエレベーターに乗って法務室へ入ると、モトムラ氏が大審問官のように居丈高な口調で、「One 40,Oh240を持ってきてくれ」と命じるので、余は「それが何であるかも知らないので出来ない」と断った。6/11

いつものように、飛ぶ教室の絨毯に乗って、サトウさんちへ行き、サトウさんとモコを乗せて、日本海と太平洋と大西洋を越えて巴里へ行ったら、ピカソ美術館が、久しぶりに営業しているというので、今度は飛ぶ教室バスに乗って出かけた。6/12

せっかく異色の新人たちを登用して人気番組に成り上がったのに、それに満足して高慢と自惚れの無眼回路に嵌まり込んだこいつらは、プロデユーサーの私が、いくら次のステップに駆け上るように促しても、一向に目を覚まさない。6/13

思い出多き家なれども、このたびの大震災で、あっという間に倒壊してしまったので、おらっちは、後ろを振り返ることなく、スタスタと歩み去ったのであった。6/14

つまらんロックコンサートが終わって、5人で歩いていたら、拳くらいの大きさの5人の小人が、両手に刀とピストルを持って、「金を出せ」とうるさく付きまとい始めたので、1人1殺で踏み殺してやったずら。6/15

会社がとっくの昔に倒産してしまったというのに、キムラ氏をはじめ、元野球部のメンバーは、まだ残っている食堂に毎日手弁当でやってきて、朝から晩まで、練習することもなく、ただいたずらに通い詰めていた。6/16

他にすることもないので、毎日私の会社にやってきて、デスクワークに夢中で取り組んでいた私が、ふと目をやると、大通りに面したビルの窓の外に、長男のコウ君が、まるで動物園のチンパンジーのようにぶら下って遊んでいるので、吃驚仰天したよ。6/17

31,30,29,28,27,26,25,24,23,22,21,20,19,18,17,16,15,14,13,12,11,10,9,8,7,6,5,4,3,2,1  6/18

マンハッタンの超高層ビルの谷底から、パンツを穿かずに這い上がって窓を拭く青年がいたが、てっぺんに到着していざ拭こうとした途端に、頭をどつかれて叩き落されてしまうのだが、それでもそのノーパン青年は、またしても脚立に乗って、上へ上へと高層ビルを這いあがってくるのだが、またしてもドタマを叩かれ 6/19

おらっちとサカイ君が、レリアンの広告タイアッップの不始末をどうもみ消そうか、とひそひそ話し合っていると、マエ課長が聞き耳を立て始めたので、これはヤバイ、とアオキ嬢をこっそり呼び寄せ、おらっちはとんずらしたのよ。6/20

大学の同級生のニシムラ君とメールを遣り取りしていたら、「君のメールには女の匂いがしないね」と言われたので、念のためにパソコンに鼻を摺り寄せておらっちが書いたメールの匂いを嗅いでみたが、なんの匂いもしなかったずら。6/21

今度のタカハシゲンイチローの講演会では、どんな本にサインしてもらおうかと思って、本箱の中を探したが、ただの1冊も無かったのだった。6/22

昔テレビの料理番組で見たヤキブタセットというのが美味そうだったので、作ってみようと思ったが、材料もレシピもないので、頭の中で想像するだけにした。6/22

おらっちは、「自分で作ったワクチンを、自分で注射したんや」、と自慢そうに喋ったので、どうやら町内から村八分になったようだ。6/23

この教会の執事をしている長老は、街をぶらついている放浪児の私をつかまえて、早くまともな仕事を探して独立するように促すのだが、いううことを聴かない私は、いつまでもそこらをほっつき歩いているのだった。6/24

小さな村の村長になった私だったが、何もしないうちに任期が終わり、すみやかに村人から忘れ去られていった。6/25

ニシムラ君から「君のメールからは女の匂いがしないね」と言われて以来、何でもかんでも匂いを嗅ぐようになってしまった。以来わが国の首相や閣僚が喋っているTVに近寄ると物凄い口臭がするし、プーさんやプーチンが喋っているTVを嗅ぐと、死臭がするようになったずら。6/26

中華街で中国人に雇われて中華料理を作っている私は、シェフからホウヤレホーのクマガイモリイチを持ってこいと命じられたが、てんで意味不明なので、ずっと考え込んでいるばかりだ。6/27

時々売り場には「透明ブランドのキリル」というのが登場するのだが、なんせ服も売り子もデザイナーも姿を見せないので、始末に負えない。6/28

夏の舗道を、女と歩いている。若くて美しい女は、バレリーナが着るチュチュというのか、超ミニのドレスを着ているが、その薄紫色が素敵なので、思わず目がくらくらするのら。6/29

 

 

 

家族の肖像~親子の対話 その55

 

佐々木 眞

 
 

 

お父さん、咲くの英語は?
ブルームだよ。

お母さん、ばんごはん、お赤飯にしてください。
なんでお赤飯? まいいか。分かりましたあ。

お母さん、ボク「みんなの歌」好きですお。
お母さんもよ。

お母さん、きょうサケごはんとコーンスープにしてね。
分かりました。

お父さん、今日2つとも録画してくださいね。
分かりましたあ。バッチリだよ。

夢中って、なに?
とってもイッショウケンメイなことよ。

これ以上って、なあに?
それよりもっと、だよ。

大賛成ってなに?
すごくいいね、ってことよ。

お父さん、信号鳴っちゃったんですお。
信号嫌いなの?
信号、苦手なんですお。
そうなんだ。

お父さん、大好きですお。
お父さんも!

お父さん、きのう2つとも録画してくれた?
バッチリ録画しましたよ。
ロクガ、ロクガ、ロクガ。

ぼく、タタタタというのが怖いの。
そうなんだ。困ったね。

ぼく、お父さんにチュウイされたお。

笑ったら、連佛さんは?
「コウさん、アホ笑いしないでね」っていうよ。

ぼく、お父さんに、チュウイされたお。

ぼくは、コンドウマサオミ、好きになったよ。
そうなんだ。

将棋はドンジャラみたいに?
まあそうだね。
ショウギ、ショウギ、ショウギね。

ぼく「日本びっくり新記録」好きですお。
なにそれ?
テレビでやってましたお、むかし。
そうなんだ。

お母さん、この歌好きだお。
正平さんの「こころ旅」の音楽ね。

高速道路、お金を払えばいいんでしょう?
そうだね。

 

 

 

嗚呼、わいらあ、どないしたら良かったんかいのお?

 

佐々木 眞

 
 

ある朝ふと目を覚まして「古楽のたのしみ」という音楽番組を聴いていたら、ランベール・ド・ボーリュ―:作曲の「ああ、どうすれば良いのか」*という曲を流していた。
初めて聴く曲を、初老のバリトンが唄っていた。
ああ、どうすればよかったのか? 
ああ、どうすればよかったのか?

その翌日の木曜日にテレビを見ていたら、夏井いつき先生が、画面から首を突き出して
「あなたは才能無しの凡人です!」と決めつけるので、私はガックリと項垂れた。
ああ、どうすればよかったのか? 
ああ、どうすればよかったのか?

またその翌日の金曜日に、ドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいたら、サンクト・ペテルブルクのやっちゃ場を歩いていた聖植松ラスコーリニコフが、私に向かって「この世の中には殺されても仕方のない、あんたみたいな凡人と、そんな凡人どもを殺す権利のある非凡人のおらっちしか、いないんだじょー」と叫ぶので、私はまたしてもガックリと項垂れた。

すると、血の上の救世主教会の横丁から飛び出してきたムイシュキン公爵が、「だいじょうぶ、僕は生まれながらの病気で馬鹿だけど、それでも一生懸命生きているんだ。おたくのコウ君もそうでしょう。それなりに健康で普通の人なら、なおさら一生懸命に生きなきゃ」という。
ああそれなのに、おらっちのこのざまは、いったいどうしたことだ。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

デルタ型に続いてラムダ型なる新型コロナ・ウイルスの最新型の変異株が現れて、世界中で大繁殖している。
本日の感染者は全世界で2億860万9830名、死者は438万2461名。我が国でも118万7058名の感染者と1万5497名の死者が出ている。**
昨夜スカがなんかスカスカ宣言していたが、この勢いは、もはや誰にも止められないだろう。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

東京五輪でキツネどもが「おまんた音頭」を歌い、タヌキどもが「猫じゃ猫じゃ」を踊り狂う前に、イスラエルや中国並み、とは言わないまでも、せめて先進国の真ん中の国並みにワクチンを接種してさえいれば、こんな亡国の憂き目をみることにはならなかっただろうに。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

私は、これまで2回も獰猛な雀蜂に刺され、アナフィラキシーのショックで死ぬほど苦しい酷い目に遭っている。***
今から一昔前、2度目に朝夷奈峠で刺された時には、愛犬ムクと一緒だった。
「ムクムク、早くおうちに戻って、愛するミエコさんを連れて来ておくれ!」
と頼んだが、こいつめ、地に伏した私の顔を、ペロペロ嘗めるだけだった。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

やっと辿りついた麓の病院では、「今度刺されたら命は保証できませんよ」と脅かされて、以来、野道では肌身離さず「エピペン」****
を携える身となったが、今度のコロナ騒動で「先生、ワクチンを接種してもいいですか?」と訊ねたら、「これまで900人以上死んでますからねえ、どっちも怖いけど、あなたはまあ止めといた方が安全でしょう」という返事でした。*****
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

雨がザンザン降りの四つ辻に、真っ赤なリンゴが、ひとつ落ちていました。
ああ、ここは自由と民主がふたつながらに抹殺されてしまった死都香港。
その林檎を拾いあげて、民族衣装ロンジーの袖でそっと拭いている美しい初老の女性は、たしかアウンサンスーチー。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

哀しいね、嗚呼、哀しいね。
しかし、しかし、おらっちは何にも出来ずに、こんな出来そこないの詩を、右翼と国家主義者たちが指導する滅びの国で書いているだけさ。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

くそおう、むしゃくしゃしやがる。
いつも私にだけ狂ったように吠える犬がいるので、「今日こそはぶっ殺したろ!」と思って、玄関を飛び出したが、その日に限ってどこにもいない。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

するてえと、左の横から音もなく走ってきた軽自動車に、あっと言う間もなく撥ねられて、空中で1回転して、救急車で緊急外来に担ぎ込まれた。
不幸中の幸いで、頭に異常こそ出なかったけれど、全身打撲、打ち身、擦り傷、腱板損傷、その他その他で、いわゆるひとつの死に損ない、さ。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

おまけに交通事故の衝撃で、顔面神経麻痺になってしまったので、二目と見られぬひょっとこ顔になったうえ、悲しいことに、お得意の口笛が吹けなくなってしまったよ。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

リハビリは1日2回合計100回! 
下顎を動かさずに、唇を左右に動かせ、なんてできないよ。
左右の小鼻を、ふくらましては、また小さくする、なんてできないよ。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

強烈にひんまがって、二目と見られぬひょっとこ顔になったうえ、お得意の口笛が吹けなくなってしまったおらっちを、毎朝毎晩温かな手を当てて治してくれたのは、妻のミエコさん。
いくら感謝しても足りないよ。
ああ、ありがとうミエコさん
ああ、ありがとうミエコさん

それなのに、ああそれなのに、おらっちは、彼女を青い綺麗な海に連れていく約束すら、まだ果たしていないのだ。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

最近幽冥境を異にした人たち。山内静夫、大島康徳、寺内タケシ、原信夫、李麗仙、中山ラビ、江田五月、伊藤京子、中嶋弘子、サトウ・サンペイ、その他その他。
年があらたまり、月が替わっても、そんなこととは関係なしに、どんどん人が死んでいく。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

あの「ワンサカ娘」を作曲して世に出た小林亜星選手も、死んぢまった。
「ワンサカ娘」で一世を風靡し、30年に亘っておらっちの家計を支えてくれたアパレルメーカーも、中国のメーカーに買収された挙げ句に、潰れっちまった。
レナウン丸は、亜星氏と「ワンサカ娘」を歌いながら、歴史の波間に消えていったのだ。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

昔々そんな原宿の会社に毎日通っていて、ある朝にわか雨で青いドレスを濡らしている、2課所属の可愛い女の子がいた。私は傘に彼女を入れてやろうと思い思いしながら、とうとうそれができなかった。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

千駄ヶ谷の外苑中学の前にはイチョウ並木があって、そのイチョウ並木には、時々凶悪なハシブトカラスが潜んでいて、なぜだかいつも私を狙って急降下して、後頭部をゴンゴン激しく突つくのだった。
嗚呼それが、2021年の今日の転落に繋がる70年代のはじまりだった。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

ロシアではオブローモフ、日本では三年寝太郎がいることは知っていたが、最近の中国では「寝そべり族」が現れたそうだ。
超なまけものリーマンだった私は、ある日「ナマケモノ」というブランド名の24時間着の畢生の企画書を真面目に書いたが、なぜだか没になったことを思い出した。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

あーた、コロナ禍の老人には、家でテレビを見るか、本を読むしかやることがないずら。
そんなある日、お金の余裕がまったくなく、ステージ4のガンと戦っている妹の話をしていたら、突然涙が止まらなくなってしまった。
驚いている妻に「こんな話の途中で泣く予定はまったくなかったのだが」と弁解めいたことを言うてはみたのだが。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

今年も梅雨がやってきた。
雨や曇りの日には、洗濯物が乾いたかどうかを尋ねて、一日に40本も妻に電話してくる自閉症の長男、コウ君。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

金曜日の午後、そのコウ君が大和市の施設から帰ってきた。
洗濯物を自分で洗おうとするので、「こらあ、いい加減にしろお! 洗濯はお前じゃなくて、洗濯機がやるんだあ!」と怒鳴ってしまった。
普段は可愛い可愛いとネコかわいがりしていたくせに。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

すると、絵描きの次男がいう。
「お父さん、しっかり長生きしてくれなきゃ困るよ。お父さん、もっと背筋を伸ばして、格好良くしてもらわないと困るよ」
ああ、こいつが噂の80-50問題かあ。分かっとる、分かっとるけどもなあ。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

画家は貧乏暇なしだから、妻やおらっちの年金が無くなれば、自分の年金払いも破綻するに違いない。
民草が、草を喰らい、濁水を呑んで払い続ける税金を、この国の劣悪な指導者たちが、おのれの私利私欲のために、あっと言う間に蕩尽するのだ。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

夏になった。
コロナ大感染と大雨とリハビリと家の修理が、4大パンデミックに大同団結して、いっぺんに押し寄せてきた。
毎食後11種類の薬を飲むと、一日中ぐったりする。
アフガニスタンでは、米軍のいささか早すぎた撤退で、なんとまあタリバンが復権して、「餡味噌タリバンタリリバナあ!」と歌っているそうだ。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

去年は空前の大豊作で、庭にいっぱいの果実をつけた夏ミカン。
ところがこの春、突然葉っぱの色が変わって、夏場には急速に元気をなくしてしまった。
もしや交通事故で死にかけた私の、身代わりになってくれたのではないでしょうか?
全身茶色い枝になった冷たい木を励ますように、あるいは悼むように、一頭のナミアゲハが飛び回る。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

馬齢を重ね続けた私は、この秋喜寿を迎えるようだ。
もう歳も歳だし、いつコロナの感染死や天変地異に遭うか分からないし、げんにこの4月23日には交通事故で死にかけたから、死んでしまうのは仕方がない。
けれどもしばらく前から手掛けている、おらっちの最初で最後の全詩集が、まだ世に出ない。
あれは私の遺書だ。もしもこれが出る前に死んぢまったら、おらっちどうしよう。
ああ、どうすればよかったのか?
ああ、どうすればよかったのか?

嗚呼、わいらあ、どないしたら良かったんかいのお?

 
 

 *「ああ、どうすれば良いのか」 ランベール・ド・ボーリュ―:作曲 (合唱)ル・ポ
エム・アルモニーク、(指揮)ヴァンサン・デュメストル

 **2021年8月19日朝日新聞朝刊掲載の「米ジョンズ・ホプキンス大の累計」による。

 ***「アナフィラキシー」 アレルゲンなどが体内に入ることによって、複数の臓器や全身にアレルギー症状が表れ、命に危険が生じ得る過敏な反応が出ることをアナフィラキシーといい、その中でも血圧低下や意識レベルの低下、失神など、生命の危険を伴う重症の場合をアナフィラキシー・ショックと呼ぶ。

 ****「エピペン」は、アナフィラキシー補助治療剤の商標名。食物や蜂毒による異常が生じた場合、医者にかかるまでの緊急対応として、太腿にエイヤっと突き刺して使用する。

 *****2021年8月4日、厚生労働省は新型コロナ・ワクチン接種後に死亡した事例は7月30日までに919例に上ったと発表した。

 

 

 

ダムに沈んだ古里を奪還する詩の力
長田典子詩集「ふづくら幻影」を読んで

 

佐々木 眞

 
 

 

2019年の衝撃の意欲作「ニューヨーク・ディグ・ダグ」に間をおかずに登場した本作は、とりあえずは、作者の失われた古里の思い出と、幼き日への郷愁の物語である。

 

私たちの郷里は、この半世紀の間の社会変化の大波のおかげで、地理上は同じ緯度経度にあっても、いずこもすっかり姿かたちを変えてしまった。 

 

「あとがき」に拠れば、作者が生まれ、27世帯の人々と共に身を寄せ合うようにして暮していた神奈川県相模原市(旧津久井郡不津倉)の旧居は、1965年に完成した城山ダムによって湖の底に沈んでしまったという。

 

作者の家は、ダムの底に沈んだ。ことわざにある通りに、「桑田変じて海」となってしまったのである。

 

そして作者が、ダムに沈んだ懐かしい故郷の家族や、四季折々の山川草木の美しさや、幼き日の遊び仲間たちに思いを致すとき、それがいつの間にか、歌になる。詩になる。

 

その故郷喪失の歌は、もちろん「盲目の泉」に指輪を落としたメリザンドの歌のように悲しい旋律で歌われてはいるのだが、よーく耳を傾けてみると、ただ物哀しいだけではない。

 

みずうみの中に閉じ込められた宝石のような怜瓏、スノードームの中で万華鏡のように繰り広げられる精霊や天使たちの愉快な踊りまでもが、耳の奥の方で、微かに鳴り響いているような気がするのである。

 

私は、作者はこの詩集の中で、ひとたびは喪失した古里を限りなく優しく抱きしめ、卓抜な記憶と想像の力、とりわけオノマトペの推力を駆動し、古今東西の童話や童謡を自在に踏まえながら、その古里に似てはいるものの、もう少し新鮮な変異を遂げた、「ユニバーサルな心の故郷」を、もういちど零から再創造しようという稀有の試みに挑んでいるのではないかと、ふと思った。

 

おわりに些事ながら、最近私の息子が「津久井やまゆり園」と障害者問題を考える個展を開催していて、その中にその近縁の相模川を描いた大きな油彩画があったので、その偶然に驚きながら本書を読ませていただいたことを付記しておきたい。

 

 

 

「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第92回

 

佐々木 眞

 
 

 

西暦2012年皐月蝶人酔生夢死幾百夜

 

その老人にはさんざん感染防止の注射をしたのだが、どこのワクチンをどれだけ注射しても効きめがないので、しばらく放置していたら急激に健康を取り戻した。5/1

あの家は無人のはずだが夜になると電気がつく。この頃誰かが住み着いているようだ。5/2

冷たい川に足を踏み入れたら、足の裏に何匹もの小さい鮎が潜り込んで、私の足を擽っては逃げ出していくのであった。5/3

子供たちの読み聞かせ塾で、日本国憲法をテキストに使っていると、どことなく良い子になるそうだ。5/4

歯医者の私が頼んだのは歯医者ラーメンだったが、もしかするとハイチラーメンだったかもしれない。5/5

私は早稲田駅から地下鉄に乗ってどんどんどんどん乗り進んだが、いったいどこへ行きたいのかは自分でも分からないのだった。5/6

私の体内に2つの怪しい影が発見されたので、2人の主治医がこれは癌だとかいや単なるオデキだとかいうて論争しているので、その間に私は病院を抜け出した。5/7

東京駅の大広間で私に向かってワンワン吼えながら飛びつく犬がいるので驚いてよく見れば2002年に昇天したはずの我が家の愛犬ムクではないか。5/8

私が設計した車の外装についてカラリストが毎回へんちくりんな「流行色」を押し付けるので、頭にきて自分でペンキを塗ることにした。5/9

あの憎たらしい奴がおらっちを車で追い詰め、撥ねたのでおらっちのメガネがフッ飛んだ。5/10

超時代的な愛子さんの恐るべき下着コレクションを見せつけられた連中は、唖然として見入っていた。5/11

明日病院でどういう風に右手が痛むか、どういうふうにMRI検査やリハビリを頼むか、その練習をしているうちに朝になったようだ。5/12

私その1は激痛に耐えながら右手を動かしていたが、私その2がその1の肩を叩いたので、あまりの痛さにうめき声をあげた。5/13

巨大で真っ白な2頭のチャウチャウにすっかり気にいられて、おらっちは、嬉しいような悲しいような気持で、彼らの面倒をみていた。5/14

ここはアフリカか、それともインドなのか? 大地に横たわっていると、周りでいろいろな鳥が鳴き、獣や大蛇が動いている気配がする。5/15

閉店寸前の真っ暗なデパートの奥の方で、誰かが誰かと争っているような不穏な声がする。5/16

パソコンで妻のウイルス接種の予約をとろうとして何回も何回モアクセスするのだが、その都度「予約できませんでした」という返事が帰って来るので、またしてもパソコンで妻のウイルス接種の予約をとろうとして何回も何回モアクセスするのだが、その都度「予約できませんでした」という返事が帰って来るので5/17

同和円と同心円の違いについて親しく教授のレクチャーを受けていたのに、いざそれらが実際に虚空に姿を現すとどれがどれだかさっぱり分からなくなってしまい、いったいオレは何をしてきたのだと中原中也のように呟くおらっちなのであった。5/18

私は自由が丘に下宿していたが、毎晩駅前の食堂で比較的高価なかつ丼を食べることが固定観念になってしまい、他のもっと安い食堂で蕎麦やラーメンを食べるという選択肢があることすら知らなかった。5/19

すると周りにいた男たちが、この女はまったくの変態だと口々に罵り始めたので、私は割って入り、そもそも変態とは何ぞやと問いかけるとみな論争を避けてちりじりになってしまった。5/20

オレは電話で起こされた。家に電通と博報堂の連中が来ているという。我が家にはモローイ部分があるかから、そこに跨って至急修理せんけりゃならんそうだが、その嘘ほんまかいな。5/21

東京駅の駅員事務所の傍で制服に身を包んだ元D社社長のミズノ氏を見かけた。静岡県で隠棲しているはずなのに、こんな所でなにを? 今更第2の人世という年でもないのに、と謎は深まるばかりだ。5/22

久しぶりに昔の恋人に再会したので懐かしく、どことも知れない町はずれをさまよい歩くのだが、どことなく実在感が希薄なので、本当に彼女なのかと首をかしげている。5/23

せっかくリモートを誓ったのだが、どうしても3密、4密、5密、6密状態に戻ってしまうので、それが人間の本性なだとようやく気付いた訳よ。5/24

老いたる両親を東京のあちこちに案内し、ふと気づけば2人ともいないので、懸命に探したらなんと横須賀線の始発電車に乗って発車を待っていたので、さすがだてに年は取っていないなあと妙に感心した。5/25

私たち元同級生は、いまなお太陽の如く光り輝く彼女のためならどこどこまでも付き合うぜという固い決意を互いに披歴しあいながら地獄の底へ降りて行ったのであった。5/26

その僻地の僻映画館では私が観たいと熱望していたさる名画を上映するというので、朝から期待して待っていたら、上映の担当者が泥酔してフィルムをかけられないといので、激怒して宿に戻ったら、映画館主が恐縮して映写機とスクリーンを持って訪ねてくれたので感激しましたね。5/27

久しぶりに郷里に帰省したら噂を聞きつけた新旧の友達が次々に来訪してくれて、元電通でいまあはその傘下の下請け会社で営業をしているときくワタナベ君が訪ねてくれたので、驚いているところだ。5/28

ヘビ捕り娘のおじいちゃんとおばあちゃんと仲良くなりました。3人は次々に現れる大中小、赤青緑のいろんな蛇の首を後ろ側からエイヤっと捕まえてはおらっちのほうへ投げて寄越すので、たまったものではありませんでした。まる。5/29

晩年のモザールは思いついたらどんどん適当な楽章をこさえて、それがある程度溜まるとセレナードにしたりピアノ協奏曲にしたりしていた、余が適当な川柳が溜まると泥詩抄に転送していたように。530

私は交通事故の後遺症で右腕が痛むので、病院のリハビリに通っていたが、いつも右腕を大根のようにぶら下げていたので、医師たちから白い目で見られていた。5/30

その公園の深い池から吹き上げる臭素が人々の鼻に異常な影響を与え、彼らをして原因不明の殺人事件を惹き起す要因になっているようだ。5/31

 

 

「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第91回

 

佐々木 眞

 
 

 

西暦2021年卯月蝶人酔生夢死幾百夜

 

町内会長がやって来て、「4月から国の税率が変わったので、服の売り方も変わり、服の売り方の変化を国の税率に反映する」と言うのだが、我々あきんどには、何のことやらさっぱり分からなかった。4/1

いつの間にやらわが家に有毒核物質が累積していたので、気がつけば老いたる父母が死んでしまっていた。4/2

私は半世紀前から辻に立ち、黄昏て沈みゆくこの国の悲愴な末路を、声を大にして「悔い改めよ!」と預言してきたが、誰も耳を傾けようとはしなかった。4/3

おらっちは、突然大金持ちになったので、auの携帯とHМVのCDを全部買い占めて、とりあえず北京へ飛んだ。4/4

売れない文をしにカンキュウモンダイ原子ロ物象にしたらカンバイ。4/5

太刀洗、三郎ノ滝を過ぎて小さな泉を覗くと、オタマジャクシが泳いでいた。そこから朝夷奈峠を登っていくと、春型の小さなモンキアゲハやカラスアゲハが岩肌の水を吸っていた。熊野神社の参道では、大きな赤い花弁を沢山つけたシャクヤクの木が「ようこそ」と迎えてくれた。4/6

頼まれてやった訳ではないが、パンストのPRの仕事が大当たりしたので、スポンサーから喜んでもらえるか、と思っていたところ、意外にも苦情が来た。その商品は、とっくの昔に製造中止にしているといううのであるがあ。4/7

王様の私が、洞窟の中に入ると、民草たちは、いちおう私に敬意を表するかのように一番突き当たりの広間に通してくれたのだが、ふと気がつくと、私の物々しい武装は完全に解除されているのだった。4/8

レースの2順目に差し掛かると、ファンとボランティア奴が、よってたかって余の走行を妨害し始めたので、予はついに、持参したライフル銃を、彼奴等の上空で暴発させた。4/9

「火の丸の割れ目に潜りこむんだあ!」と、オオツキさんが叫んだ。4/10

うちはビール屋だが、いつもの配達員が月期半ばで辞めたので、残りは他の販売員にやってもらうことにした。4/11

もう30日以上、巴里のこのモグラの巣のような地下の迷路の突き当たりの部屋に住んでいたので、きっとみんなが心配していると思って、私は3時間以上もかけて地上に出たのよ。4/12

私はその男を見事に説得して、職場復帰させたうえ、たまたま飛び込んできた黄金色の巨大なセセリチョウを捕まえたのだ。もしかすると新種かもしれない、と思うだに胸が弾んだ。4/13

T大の学長に就任したМ氏は、毎日学食で一皿500円のカレーライスを食べて、生活費を切り詰め、少しでも無職の息子に金を残そうとしていた。4/14

その作品は見るからにうす汚なく、なぜかといえば、薄汚い悪童たちしか出てこないからなのだが、どういう風の吹き回しか、カンヌでグランプリを獲得してしまった。4/15

「新人は隠し芸を披露せよ」と部長が命じたが、そんなことは出来ない私は、彼奴をピストルで撃ち殺してやったら、皆からおおうけだった。4/16

私は500人を収容できる大教室で、ハンドマイクを握り締め、谷崎の「陰翳礼讃」について汗水たらして語り続けたが、誰一人耳を傾ける者はいなかった、とさ。4/17

その館では、腐食女子が出演を待っていたが、トーマス・ハイウエイの丘では、アリストテレスが、政治学について滔々と論じていた。4/18

偶然前の会社で、同僚だったAに会ったので、キッチャ店で長々と話しこんでいたら、彼はまだ私の昔の恋人と付き合っていて、彼女はまだ私に未練があるそうなので、なかなか簡単にキッチャ店を出られなくなってしまった。4/19

「海亀」と呼ばれている超小型艇で、単身肉弾攻撃する子供たちの最期の悲鳴が、この岬の先端からは時々聞えた。4/20

半世紀以上にわたって、毎晩博文館の「10年連用日記」にモンブランの万年筆で孜孜として綴ってきた私の日記を、久し振りに読み返してみたが、なめくじがのたうち回ったようなインキの跡が残っているだけで、まったくの意味不明であった。4/21

事前調査も研究もしないで、「取材」と称して人に会いに行くダメジャーナリストに、私は「せめてこれだけは持って行けよ」と言うて、メモ帳とちびた鉛筆を渡してやったのよ。4/22

世界で1,2を争う腕前の2人のビスポーク・テーラーの戦いは、熾烈かつ華麗なもので、世界中の顧客がその見物に押し掛けた。4/23

救急車の中では、妻が私の右手を握ってくれたが、その手が異様なくらい冷たいので、きっと気が動転して具合が悪いるのだろう、と思って「大丈夫?」と声を掛けようと思ったが、声がでないよ。4/24

今回の選挙に出るA氏は、市の社会福祉活動の重要な一翼を担う人物で、その姿は、まるで大型ブルトーザーが、邪魔ものどもを薙ぎ倒して前進するさまを思わせた。4/25

この国の映画は、みな長尺ばかりなので、試写会もおおかた前後の2回に分けて開催されているのだが、どの映画をどこまで見たか分からなくなってしまうので、えらく評判が悪いずら。4/26

「私がかつて人間だった時」という題名の詩を書こうと、朝まで粘っていたが、どうにもこうにもうまくいかなかった。構想は出来ていても、その内部をどう埋めていくのかについてのアイデアが、てんでなかったようなのだ。4/27

牢屋に入れられた死刑囚から頼まれて、ワーグナーの「指輪」のフルスコアを差しいれたのだが、それで彼の生涯の最後をいささかなりとも黄昏色に彩れるとしたら、以て瞑すべきだと思った。4/28

今までいろんな国の写真だと思って、大切にとっておいたのだが、それらの大半が、おふらんすの写真であると判明したので、私は急遽、独逸やベルギーやイタリアに出張して、撮影せざるを得なくなった。4/30