まゆだま

 

長田典子

 

 

でっぱったり ひっこんだりの
ひふのひょうめんを
すきまなく
うめあわせ
くっつけます
おたがいのせなかにうでをまわし
きつくきつくだきあったまま
ねむります
ひとばんじゅう

あなたのはいたいきを
わたしがすって
わたしがはいたいきを
あなたがすって
だきしめたり
だきしめられたり

あったかいねぇ
きもちいいねぇ

だきしめたり
だきしめられたり
めをとじて
あなたの
つめたくて かたい
ひたいに
くちびるをおしつけます

ぷるんとふとい
あなたのもものあいだに
わたしのほそいももをくぐらせて
ぷるんとふとい
あなたのもものうえに
わたしのほそいももを
まきつけます
あなたのふくらはぎに
わたしのふくらはぎを
からめます
あなたのあしうらはざらざらしている

あったかいねぇ
きもちいいねぇ

あなたのいきは
ふきそくに
とじたり ひらいたり するから
ときどき
そおっと
あなたの とんがった
けんこうこつを
さすります
はねに なってしまわないように と
いのります

ひとばんじゅう
だきしめられたり
だきしめたり
くちづけしたり
くちづけされたり

あったかいねぇ
きもちいいねぇ

よるのやみのなかで
とけあいます
あったかな
まゆだまに
なります

ときどき そおっと
あなたの とんがった
けんこうこつを
さすります
はねに なってしまわないように と
いのります

 

 

 

おりがみ

 

長田典子

 

 

ほしはひとりで光っています
ほしはひとりで光っています

このはずくが ばたばたとんでいきます
よるのそらを
やまおり
たにおり
もりのすみっこを
さんかくおり
さんかくおり

このはずくのゆびは ほそくてながい
やまおり
たにおり
さんかくおり
よるの
ぐんじょうのおりがみが
だんだんだんだん あたたかくなっていきます

このはずくは いきをはきます
うすくそおっと
おりがみにふきかけます
やまおり
たにおり
さんかくおり
ぐんじょうのよるのおりがみに
もりのにおいがただよいます

やまおり
たにおり
さんかくおり
さんかくおり

くすだまができました

あたたかくて
みどりのはっぱのにおいがします

ほしはひとりで光っています
ほしはひとりで光っています

ほしは
ほそくてながいこのはずくのゆびさきが
だいすきです
みどりのはっぱのにおいが
だいすきです

このはずくのゆびのぬくもりは
ときどき
ひやっと
ほしのちゅうしんを
またたかせます

 

 

 

ズーム・アウト、ズーム・イン、そしてチェリー味のコカ・コーラ

 

長田典子

 
 

ポテトチップス、ブルームーンビール、ピザ、
ぐうたら、
朝方までかかる
宿題のための仮眠は必要なく
ぐうたら
コメディドラマ、ニュース、インターネット、ぐうたら
ミクシィ、フェイスブック、
ぐうたら、
2011年3月10日
ここに来て2か月
明日から初めての春休みが始まる夕方、
コメディドラマ、ニュース、インターネット、ミクシィ、フェイスブック
インターネットふたたび、無料配信ドラマふたたび、
ポテトチップス、ブルームーンビール、ピザ、サラダ、チェリー味のコカ・コーラ、
思考と行動がぐうたら伸びてぐうたら絡まり
こちらは2011年3月11日の午前2時近く
チェリー味のコカ・コーラふたたび、
ヤフージャパンふたたび、
こんがらがったネットを伸ばし伸ばしニホンと繋がる
え、地震?
一時間前に起きた地震を知らせる赤い文字、
ヨコハマは震度5強、
配信映像、クリック、
キャスターがヘルメットをかぶって叫んでいる
「落ち着いて行動してください!身の安全を確保してください!」
東京で火災、家屋倒壊、千葉で火災、埼玉で火災、天井落下、けが人多数
津波、沿岸部に到達、被害まだわからず、銚子港では船が沖に向かう
チキュウの裏側の出来事
映像から目が離せなくなる気持ちがズーム・インしていく
意識がズーム・アウトしたまま
分裂する
遠いんだよ、ニホン、遠いんだよ、ヨコハマ、センダイ、トーホク、
意識はズーム・アウトしたまま
チキュウの裏側、
うわぁああああっ!
マイクのそばで発せられる悲鳴のようなニホン語、
とつぜん、近い、ニホン語に呼びさまされて
アメーバーのように掌を広げて家屋やビニルハウスを破壊していく
(たぶん数えきれないたくさんの人たちを巻き込んで………)
津波、ツナミ、TSUNAMI!
信じがたい光景が繰り広げられ画面から目を離せない
ズーム・イン、
アメーバーのように掌を広げて家屋やビニルハウスを破壊して進む
(数えきれないたくさんの人たちを巻き込んで………)
津波、ツナミ、TSUNAMI !
ズーム・アウト、上空から
どうしてこんなに冷静なのかわたし!
こちらは3月11日の午前2時過ぎ
ニホン語のほうが詳細なことまで確実にわかるからと
インターネットの画面を付けっ放しにして数時間見続けた
怖かった
眠ったのか眠らなかったのかよくわからないけどたぶんぐっすり眠った
明け方
テレビを付けるとABCテレビのニュース速報では
さらにズームアウトされた広範囲の映像が流れていた
黒煙と炎を、家屋やビルの瓦礫を、抱き込みながらTSUNSMIは
広い土地を覆い尽くして進んでいく
(数えきれないたくさんのたくさんの人たちを巻き込みながら………)
うわぁああああああっ!怖いっ………!
ズームアウト、上空から、
分裂したもうひとつの意識がむしろ画面と一体になってしまう、上空から、
なんでこんなに冷静なんだわたし!
リアリティ、
リアリティ、ってなんなんだ!
ニホンで
ツインタワーに飛行機が突っ込むのを見ていたあのときテレビで
ビルに突っ込む飛行機と黒い噴煙に圧倒されてビルの中にいる
数えきれない人たちに思いが及ぶまで時間がかかった
映像の中のツインタワーだった
翌日の英字新聞でスーツを着たたくさんの人たちがビルの側面を
モノのように落下していく写真を見た見てしまった
うわぁああああああ!
悲鳴をあげた
ビルと飛行機と黒い噴煙に圧倒されるばかりだった自分を恥じた
リアリティ、
リアリティ、ってなんなんだ!
久しぶりの
勉強しなくていい休日で猫に餌をやる
昨日の残りのピザとコーヒーでいつも通りの朝食を摂る
ランドリーが空いているうちにと朝から洗濯機を3台独占
乾燥機2台をフル回転させているうちに一日が過ぎてしまう
死者の数はさらに増えていくだろうとぼんやり思いながら
猫のトイレと部屋の掃除をする
夜
テレビをつける
日本語放送のチャンネルが今日から無料で一か月見られることを知る
ABCニュース
有名なアンカーのキャスターが被災地入りしている
食糧や物資を前に整然と無言で並ぶ人々をバックに立ち
ここの人々はこれほどまでの甚大な災害においてもどうしてこんなに礼儀正しいのかと
目に涙を浮かべて語っている
その上から目線に鼻じろむ
映像が変わりさらに報告が続く立っている場所はどう見てもトーキョーのどこか
ABCニュース速報
原発爆発!メルトダウン!
一刻もはやく子ども逃がせ!
フクシマに大量のコンクリートを送れ!原発を石棺にしろ!
科学者が繰り返しシャウトする
地震、火災、家屋倒壊、津波、地震、余震、死者多数
誰かはやくはやく助けに行って!
死者の数はますます増えていくだろう
恐怖で涙がぽろぽろ流れてくる怒りがからだの底から突き上げてくる
朝、新聞を買いに行く
ニューヨークタイムズの一面にはフクシマ原発の衛星写真、
さらに冷静になる、遠くから見る自分の視線に驚く、上空から、
外国の新聞の一面に掲載されるニホンの災害、事故、
母国は遠く、チキュウの裏側、
意気消沈する、母国は近い、
ニホン語放送
ベントがどうのこうのメルトダウンとは誰も言わない
地震、火災、家屋倒壊、津波、地震、余震、死者多数
ドミノ倒しのように被害が広がっていく
ヘリから撮影された屋上のSOS、降られる白旗、
ズーム・アウト、上空から、
誰かはやくはやく助けに行って!
ズームアウト、上空から、
リアリティってなんなんだ!
母国は遠い、母国は近い、
意気消沈する
からだの力が抜けていく涙がぽろぽろ流れてくる
いつものようにベーグルや果物や水を買いに出かけるついでに
お気に入りのバナナリパブリックやGAPでウィンドウショッピング
傷物のトレンチコートが100ドルで売られているのを見つけて買ってしまう
裏地は白に水色のストライプの布がとってもキュートな
“This is really beautiful.” (これ、ほんとに素敵ですよね)と
店員さんが言いながら袋に詰める横顔を見て大いに満足する
アパートに帰って鏡の前でさっそく着てみる
テレビをつけて
ABCニュースと日本語放送を交互に見る
母国は遠い、母国は近い、怖い、
からだの力が抜けていく涙がぽろぽろ流れてくる

泣きはらした目で支度をし
クラスメイトとバスでハーレムを横切ってクロイスター美術館に出掛ける
会うなり100ドルで買ったトレンチコートの自慢をする
バスのなかでは他愛もないおしゃべり泣きはらした目で
カンコク人のクラスメイトは家族は大丈夫だったかと聞いたけど
みんなトーキョーのあたりだから心配ないと言ってそれっきり
地震の話はしないまま
ヨーロッパ中世の修道院を移築した石造りの建物を散策する
一角獣狩りのタペストリーを鑑賞する
一角獣が丸い囲いのなかでおとなしくしている別のタペストリーを鑑賞する
このタペストリーをずっと前から見てみたかったの、と笑顔で話す
磔にされたキリスト像が胸に突き刺さる
15世紀の祭壇画の前で祈るどこかそらぞらしいと自分を疑う
遠い、チキュウの裏側、
いくつもの回廊をゆっくりと歩き
ハドソン川をバックに写真を撮ってもらう
買ったばかりのトレンチコートがとてもうれしい
グランドセントラル駅のオイスターバーで食事をする
シメイビール、カリフォルニアの牡蠣、ロブスター、に舌鼓をうつ
原発3号機爆発!
黒煙が空に太く勢いよく立ち昇る鮮明なABCニュースの映像
ニホン語放送の画像はうすぼんやりしていて
いったいどうなってるんだニホンは!
ドミノ倒しのように
地震、火災、家屋倒壊、津波、地震、余震、死者多数、死者多数、
(死者多数ってなに、……ひとり、ひとり、のたくさんの命なのに
多数なんて言わないで……突き放さないで………束ねないで………)
一刻もはやく子ども逃がせ!
フクシマにコンクリートを送れ!原発を石棺にしろ!
今日も科学者が繰り返しシャウトしているというのに

近くのスタンドまで走ってニューヨークタイムズを買う
一面にメルトダウンという文字が躍る、ニホン語放送では冷却水の説明
メールで放射能汚染が心配だと書いたら
海外ではオーバーに間違った報道がされているんだってね、という妹の返事に
全身の力が抜けていく
わたしがアメリカのメディアに洗脳されていると言う
リアリティってなんなんだ!リアリティってなんなんだ!
Yahoo USAを検索して写真だけでも見て、と返信する
夫と電話連絡がつくフクシマの山間部にいたが無事だったとのこと
放射能が心配だと伝えるがいつもの根拠ない「大丈夫だ」で電話は終わる
チキュウの裏側の出来事
ニホン語放送とABC放送を交互に見る
気が滅入る
トーキョーの友だちはトイレに座っていて船酔いみたいになったと言っていた

スタンドでニューヨークタイムズを買おうとする
一面にはうっすらと雪が降り積もる砂浜にたくさんの棺が
冷え冷えと並んでいる大きな写真が目に入り
買うのをやめる
ABCニュース、
有名なアンカーのキャスターが被災地の報告をする
立っている場所はどう見てもトーキョーのどこか
同じだよ、
わたしもこんなに嘘くさい
遠い、ヨコハマ、遠い、トーキョー、センダイ、トーホク
ズーム・アウト、わたし、上空から、わたし、ズームイン、
ぐうたら、ぐうたら、ズーム・イン、ズーム・アウト、
地震、火災、家屋倒壊、津波、地震、余震、死者多数、死者多数、死者多数
(ひとり、ひとりの命があって、ひとり、ひとり、には
それ、ぞれに、家族がいて、それ、ぞれの、友だちがいて………)
ぐうたら、
ズーム・イン、ズーム・アウト、死者多数、死者多数、死者多数、
(ひとり、ひとりの命があって、ひとり、ひとり、には
それ、ぞれに、家族がいて、それ、ぞれの、友だちがいて………)
涙がぽろぽろ流れてくる
怒りがからだの底から突き上げてくる
ぐうたら、涙、ぐうたら、怒り、ぐうたら
全身の力が抜けていく
そんなふうにして
2011年3月11日から10日間の春休みは過ぎていき
月曜日からいつものように学校が始まった
映画のCGみたいだったね、と興奮気味に言い合うクラスメイトたち
わたしもそうだった
911のときニホンで、3月11日の震災はニューヨークで、
その映像をテレビで見たとき
映画のCGみたいだと思った
リアリティって、いったいなんなんだ!
午前中の授業は何も頭に入ってこなかったからだに力が入らない
くたん、と人形のように足を投げ出し座っているだけだった
午後のマーク先生の授業で
近況報告だけのはずが近況報告だったから
わたしは一時間中喋り続けてしまった
からだの底から突き上げてくる怒りを、恐怖を、
ニホンのメディアとアメリカのメディアの報道の食い違いについて
ニホンの地震について、TSUNAMIについて、
町ごと海に沈んでしまったこと、町ごと流されてしまったこと、
たくさんの、ひとり、ひとり、が、とつぜんの波に呑まれて消えてしまったこと、
それから、
ニホンの政府が安全だと原発を推進してきたいきさつについて、
コントロールできない原発事故の危険性について、人間や環境への影響について
すべての理不尽さ、について、
たくさん、たくさん、喋り続けた
眉間に皺を寄せて喋り続けてしまって喋るのが止まらなくなってしまって
マーク先生はわたしの話を遮らずに最後まで聞いていた
午前中、映画のCGみたいだったね、と無邪気に喋っていたクラスメイトたちも
黙りこんで下を向いていた
2011年3月11日に始まった春休みはそんなふうにして終わり
いつものように授業は始まった

その日のマーク先生の宿題は 
“If I could change one thing in the world, I would…”
(もし世界で一つだけ変えられることがあるなら、わたしは・・・)だった

2日後、わたしは次のような作文を書いて提出した

 

“If I could change one thing in the world, I would…”
If I could change one thing in the world, I would get each government of many countries to destroy many nuclear power plants which were built in the world.

There was the big tragedy by the strong earthquake and big tsunami, and the Fukushima nuclear power plants were damaged in Japan, as was broadcast in all the countries of the world in March. And, even now, radioactivity is gushing out into the air and sea. The land and water in Japan were affected by radioactive fallout. People worry that radioactivity can have an influence on the body.
People can’t control natural disasters as a tsunami or earthquake. But nuclear power plants were built by human beings, and what is worse, human beings don’t know how to fix them when they are broken.

Several years ago, I watched the report of the Chernobyl on TV in Japan. The report said the effect by radioactivity appeared in the babies of pregnant women, as well as in children and people who had worked there. The baby of a pregnant woman couldn’t grow up in her body. Many children were invaded by thyroid carcinoma. Many people developed cancer, perhaps leukemia. And some men who had worked there to clear the nuclear power plant disaster developed brain problems and they had handicaps involving their hands, legs, and their memories. The report said the radioactivity arrived in a person’s brain after invaded by many kinds of illness. The worst thing is human beings’ genes are hurt by radiation. It means our posterity will be ill or something bad will happen in their future.

We enjoy the blessing of electricity now. But I don’t want the accident caused by nuclear power plants to repeat again. If we need electricity, we should make use of wind power generation of a solar battery or hydroelectric power. We should make the effort to live within limited electricity. But I don’t know whether or not it’ll be possible. I hope it’ll be possible with our various ideas.

So I hope that nuclear plants will be eradicated in the world.

 

(この世界でひとつだけ変えることができたら、わたしは・・・

もし、わたしがこの世界でひとつだけ変えることができたら、わたしは、多くの国に建てられている原子力発電所をそれぞれの政府に壊させるだろう。

この3月に世界中の国々で報道があったように、日本では、巨大地震、津波、そしてフクシマ原発事故により大きな悲劇が起きた。そして、今もなお、放射能は空中や海に噴出している。日本の土地や水は放射性降灰物によって汚染され、人々は放射能による人体への影響を心配している。

人々は津波や地震のような自然災害はコントロールできない。しかし原子力発電所は人類によって建てられ、さらに悪いことに、人類はそれらが壊れたときに、どう修理したらいいのかを知らない。

数年前、わたしは、日本でチェルノブイリの報告をテレビで見た。胎児、子どもたち、また原子力発電所で働いていた人々への影響について報告されていた。ある妊婦の胎児は、彼女の体内で成長できなかった。多くの子どもたちが甲状腺癌に侵された。多くの人々が白血病のような癌になった。事故後、そこで処理をしていた数人の男性は、脳に問題を抱えるようになり、記憶や手足に障害をもったと報告されていた。放射能は、多くの種類の病気を引き起こし、人の脳にまで到達するということだった。最も悪いことは、人の遺伝子が破壊されることだ。それは、わたしたちの子孫に、将来何かしら悪いことが起こることを意味する。

わたしたちは、現在、電気の恩恵に預かっている。しかし、わたしは、原発事故は二度と起きて欲しくない。もし、わたしたちが、電気が必要なら、太陽電池による風力発電や水力発電を利用するべきだ。わたしたちは、限られた電力のなかで生活する努力をするべきである。しかし、それが可能かどうかは、わからない。わたしたちの様々なアイディアを生かしてそれを可能にできたらと思う。

わたしは原発が世界から完全に無くなるのを望む)

ああ、
わたしは、
何を語っても、書いても、虚しくなってしまって
からだの力が抜けてしまうのだ

同じだよ
わたしも
こんなに
嘘くさい
そらぞらしい

雪の降る砂浜に延々と並べられた白い棺の写真が頭から離れない
土砂に埋もれてもなお背中を丸めて赤ん坊を抱いたままの母親の写真が頭から離れない

3月なのに
ニューヨークも雪が降っています
暖房の効きすぎる部屋でわたしは半袖です

今日も
チェリー味のコカ・コーラを飲みました

たとえば、
葬儀に参列したとき
きゅうに、ぷうっ、と吹き出したくなる
あの感じ

同じだよ
わたしも
こんなに
嘘くさく
そらぞらしい

 

 

 

笑う羊

 

長田典子

 
 

熱波のなかを
漂うように歩く

日付変更線を越えたのは
ずっと前のことなのに
うまく足を地面に着地できなくて
手も足のようにつかわなければと思いながら
森のように大きな公園につきあたる

高層ビルに囲まれた
四角いセントラルパーク
そこは むかし 羊のいた牧草地だったという
羊のかわりにヒトがたくさんいて
海辺でもないのに水着になって
芝生の上に寝転がり 肌を焼いていた
影のないヒトたち
わたしは過去から迷い込んだ
一匹の羊なのかもしれない

南中する太陽の下で
チキュウ、チキュウ、と
青いガイドブックを指さして
にやにやしながら囁きあうヒトがいた
知ってるんだ
チキュウ、ってニホン語
可笑しくなって 
バアハハハ!
笑ってしまった 羊のくせに
わたしはチキュウではありませんよ
しかもこれは20年も前に買ったのを再利用しています
ワタシハ羊ナノデス
牧草地をぴょーんぴょーん跳ねる
羊ナノデス

真夏の昼下がり
客の出払ったホテルの
宙空に吊り下げられた中庭に迷い込む
ぴょーんぴょーん
ぴょーんぴょーん
ビルの壁で囲まれた
ゼリー状の無重力地帯
気狂いじみた暑さが
身体に粘り付いてくる

きついカクテルをたてつづけに注文して
喉を潤す
羊のくせに
溺れる
ベッドみたいに大きなソファの上で
羊のくせに
羊だから
ガラス張りの天井は
床だったのかもしれず
いつのまにか
チキュウ、を 手放す
羊のくせに
ウールを脱ぎ捨て
水着になろう

わたしを助け出さないでください
わたしを連れ出さないでください

この街は
たくさんの時間が同時にあって
捲られる書物のペエジのよう
風が吹くたびに
閉じたり開いたりしている
だから

ぴょーんぴょーん
ぴょーんぴょーん

わたしはペエジを竪琴にして
漂っていたい

ぴょーんぴょーん
ぴょーんぴょーん

笑う羊として

だから

 

 

空白※この作品は「ひょうたん」45号に発表した「宙空にて」を再度大きく改稿した。
空白※チキュウ…『地球の歩き方』シリーズ(ダイヤモンド・ビッグ社刊)のこと

 

 

 

Dear Hiroshige

 

長田典子

 

 

星座の描かれた大天井の下
大理石のコンコースを通り抜ける
円形の新聞スタンド、高級カード屋やおもちゃ屋を
気分転換に歩くのが毎日の日課
今日は珍しく
地下のフードコートで長居する
健康のため
野菜ジュースにビタミンCと高麗人参をトッピングしてもらい
まず~い濃厚ジュースを飲みながら
単語カードをめくっても
なんだかちっとも覚えられないのはいつものことで
諦めて外に出ると
とつぜんの
どしゃぶり
雨水が直線になって
降り注ぐ

あらがえない
急転直下
折り畳み傘は間に合わず
靴の中まで水があふれだす

真夏の夕方は
どしゃぶりになる日が多いから
ビーチサンダルで出歩くのがいちばんだけど
罅割れ凹凸の激しいコンクリートの道は
都市の断末魔そのもので
足裏が酷く疲れるから
潰れかけた運動靴を履いていた

若い頃
クーラーの効かない真夏のニホンの校舎で
汗だくになって働いていたときがあった
手ぬぐいを首から下げ
わらじを履いて廊下を歩いていたら
「なかなかいいですなぁ」と
校長先生に褒められた
柔らかい藁は足裏に心地よく
両方の素足はのびのびと汗をかいていたな
わらじは1か月くらいで擦り切れ
潰れて履けなくなってしまったけど
あの気持ちいい感触は忘れない

ビジネスマンも
ホームレスも
並んで
ビルの軒先に立ち
いつやむともしれぬどしゃぶりを
ゆったりとながめているのをしりめに
急ぐ急いでしまうのはなぜか

あ、ひろしげ、さん  ※1

かさなる
高層ビル
ではなく
かさなり
しなる
竹林
広重の
庄野街道を
駕籠が走る
こんちくしょうめ
ふってきやがったぜ
旅籠まであと半里でせぇ
急がねぇとくれむつでぇ
江戸の時代
庄野宿
白雨  ※2
あり
駕籠が走る

走る
無数のホースから放水されたような
撃ちつける雨のなかを
走る
揺れるカフェのオーニング
セカンドアベニューの角の緑の下で
ひと休みしましょうや
べらぼうめ!
靴の中まで
こうびっちょりじゃたまんねぇ
アパートまでひとっぱしりさぁ

Dear Hiroshige
21世紀のニューヨークは
時計の針が捩じ切れて
ふたたび200年も昔に戻っているようだよ
街にあふれる
飽食大ネズミたちは雨が降るたびに
どどどど地下を大移動
どのアパートも南京虫が大発生し
ゴミ置き場にはマットレスが無造作に積み上げられている
夜になるとアパートの壁の中をネズミの家族が走り回る
排水口から顔を出す

Dear Hiroshige
江戸の時代は
もっと
静かで
もっと
清潔
だった
のではないかしら

撃ちつける雨は
腐った臭いや鉄の臭いを発ち上げ
濃厚な
まず~い空気を吸うのも夏の日課さぁ
ビル風が巻き上がり
あらがえば
傘の骨はすぐにばらばらになってしまう
のに
わたし
走る
白く霞む大通りを
傘もささずに
びしょ濡れになりながら
ニホン人だねぇ
あとひとっぱしりでぇ

Dear Hiroshige
いやさ
広重さん
この街で
あなたに会えるとは
あいえんきえんはみょうなものです
なんて
どこかで聞いたような聞かなかったような言葉が
とつぜん
頭に浮かぶ
エイ単語はちっとも覚えられないのにね

先週
ラバーソールの厚底サンダルを
78ドルで買った靴屋の前を通りかかると
ショーウインドウの隅の
擦り切れた星条旗の模様に魅かれる
長靴が18ドルなんて安い
この模様も可愛くて
ひとめぼれする
迷わず買う

あいえんきえんはみょうなものです

明日からは
晴れていても
これで出かけることにする
擦り切れた
星条旗を
履いていく

 

 

※1. ひろしげ…歌川広重・江戸時代の浮世絵師。
※2. 白雨………歌川広重「東海道五十三次」庄野宿内を描いた版画のタイトルより引用。

 

 

 

蛙の卵管、もしくはたくさんの目について……

 

長田典子

 
 

frog’s fallopian tubes(蛙の卵管)
フェイスブックに
唐突にポストされた言葉を掬い取る
初めてのエイ語の詩は
タイトルから始まった

You know? Frog’s eggs are eyes.
(知ってる?蛙の卵は目)

Eggs are always looking at you in the water.
(卵はいつも水の中からあなたを見てる)

そうだった
幼い頃
田圃の隅に
とぐろを巻く透明な卵塊をよく見た
無数の黒い目を見かけるたびに
ものすごく恐ろしかった

エイ語に四苦八苦して
内容は単純そのもの
卵から孵った蛙の兄弟たちがみな水から出ていき
自分は干からびて空に行く
やがて空で兄弟たちと再会し
春に再びfrog’s fallopian tubeから生まれ出るというお話
循環するお話

きょう
Creative Writingの授業で
マーク先生は
とてもよい詩だ、と褒めた後で
実はまったくわからないのだ
輪廻転生ということが……
キリスト教では
死は完全に終わってしまうことだから
穏やかに微笑みながら言った

I understand you but I believe reincarnation because I’m affected by Buddhism.

(わかります。でも、わたしは仏教の影響を受けており生まれ変わりを信じています)
Really? 自分に問い返す

ギンザの
マンションの一室で
占い師から前世の話を聞いたのだった
若い人のようにてきぱき仕事ができなくなって
屈辱感にまみれていた
朝まで眠れない夜が続き
その女性に会いに行ったのだった

You know? At last the water vanished away…vanished away……

(知ってる?とうとう水は無くなった…無くなってしまった……)
You know? I also vanished away.
(知ってる?わたしも無くなってしまった)

最後はニューヨークで学校の先生をしていました
突然、アパートの窓から
つまらなそうに窓の外を見る女性の姿が頭に浮かんだ
ニューヨークに行った方がいいですよ
たくさんの友達に会えます

前世って
本当にあったら楽しい
信じてみたい
自分はアメリカにいた
ニューヨークで生きていた
そう思うと愉快になって気分が明るんだ

ニューヨークに行く計画に

「よくできました」のスタンプをもらった気分だった
その夜は朝までぐっすり眠った

Really? 自分に問い返す

You know? I also vanished away.
(知ってる?わたしも無くなってしまった)
But I became free. Yes. I’m free.)
(でも自由になった わたしは自由だ)

マーク先生はよく言う
自分はエジプト人とポーランド人とアメリカ人の
血が混じってると
誇らしげに

田圃で蛙の卵塊を見かけるたびに走って家に帰った
あの頃
急な坂道を登って山の上の町に行き
そこをさらに横切って東に歩いて
教会のある幼稚園に通った
礼拝の日は入口で神父様の前でひざまづき
パンを口に入れてもらったのだ

マーク先生
I’m sure you notice it.
(あなたは気が付いている)

100キロ以上はある巨体をジャンプさせながら
物語や英単語の説明をするマーク先生
とても尊敬しています
エジプト人とポーランド人とアメリカ人の血が混じっているあなたも
たくさんの目については知っていると思います

By the way, why did you choose “frog’s tube”?

(ところで、なぜあなたは「蛙の卵管」を選んだのですか)
I found the word on the Internet by chance and had inspiration.
(インターネットでこの言葉を偶然に見つけてひらめいたんです)

宇宙はたくさんの捻じれ絡まった蛙の卵塊みたいなものではないでしょうか
I think the universe is a lot of frogspawn which is twisted, entangled.

教会の幼稚園の床にひざまづいて
わたしは毎朝毎昼毎夕祈りました胸で十字を切りました
「天にましますわれらの父よみなのとうとまれんことを
みくにのきたらんことを……アーメン」
幼稚園に行かない朝は
お仏壇にお線香をあげて拝みました
「きょうも一日よろしくお願いします」

This world is composed of a lot of chaos.

(この世はたくさんのカオスで構成されています)
That’s why I imaged frogspawn from its fallopian tube.
(それで、蛙の卵管から卵塊をイメージしました)

That’s a Chinese dessert ingredient!
(それはチュウゴクのデザートの食材だよ)

教室中にどっと笑いが起こった
チュウゴク人もフランス人もカンコク人もイタリア人もニホン人も
みんな笑った
教室が渦になった

You know?
We are moving in the water together.
We are laughing with each other
We begin to swim laughing, laughing, laughing….

(知ってる?
わたしたちは一緒に水の中に出て行った
わたしたちはお互いに笑い合っている
私たちは泳ぎ始める笑いながら笑いながら笑いながら……)

Let’s go to China town tomorrow!
(明日はチャイナタウンに行こう)
frog’s fallopian tubesを食べるのだ

わたしは
たくさんの目も
いっしょに
食べてしまおうと思っています

 

 

 

花狂い 花鎮め

 

長田典子

 

 

花鎮め
花鎮め

ねぇ、ソヨン
人は
いくつになっても変わることができるのではないかしら

もう4月も下旬になりました
とつぜん雪が降る日もあるけど
ニューヨークはずいぶん暖かくなりました

ブルックリンのボタニカルガーデンのサクラは
染井吉野よりずっと濃いピンク色
ニホン贔屓のアメリカ人たちは
てらてらした合成繊維の着物もどきにサンダルやブーツで闊歩する
鬘をかぶり白塗りご高齢の舞妓さんはポックリまで履いて蛇の目傘

花狂い
花狂い

カンコク人の彼女
今頃どうしているだろう
去年の春は一緒にワシントンDCに旅行に行ったのに
わたしは きょう
ひとりでサクラを観に来ています

花狂い 花狂い
鎮まぬ 鎮まぬ

初めて出来た外国人の友だちだったのに
お互いに「ベストフレンド」って言い合っていたのに
寒くなったら
南の方に旅行しようねって約束していたのに
冬休み
急に連絡がとれなくなって心配していたら
彼女は中国人のボーイフレンドたちと
フロリダに行っていた
わたしに黙って

花鎮め
花鎮め

彼女とは初めてのクラスが同じだった
背が高くて痩せていて色白
上品に整った顔立ちで
ニューヨークの生活にはすでに慣れているようだった
みんなよりは年上だけど
わたしよりずっと年下だとわかっていた
わたしと友達になりたがっているとすぐに気がついた

「たまにはハングアウトしようよ」彼女が誘ってくれたとき
「ハングアウトってなに?」わたしは辞書をあわてて引いたのだった

彼女はカンコク風の居酒屋にわたしを連れて行き
母国の家庭料理をいろいろ注文してくれた
「ひと月でも先に生まれた人にはオンニ(お姉さん)って呼ばなければならないの。ニューヨークに来てもカンコク人はわたしに気を遣うから疲れてしまう」
「ニホン人は仕事以外で会った人とは平等に付き合うのよ。だから、わたしには気を遣わないでね」

わたしたちは
電子辞書を使いながら
吶、吶、と
喋り合った
たぶんわたしが同じくらいの年齢だと思っていたのだろう
彼女がわたしの年齢を聞いたとき
「あなたよりもずっと上」とだけ言ったら
彼女は顔を一瞬くもらせたのを
わたしは見逃さなかった

夕方 6時頃になると
どちらからともなく電話をし合った
その日の出来事の感想を話しては
噂話や愚痴をこぼし合って外国暮らしのストレスを発散し合った
5番街のアバクロンビー&フィッチに行って
可愛いスカートやTシャツを買った
ソーホーやリトルイタリーでランチした
互いの部屋に呼び合ってパーティをした
美術館に行った
映画を観に行った
ジャズバーに行った
おいしいステーキ屋に行った
おしゃれなホテルのバーでカクテルを飲んだ
冗談を言い合っては
Crazy! I’ll kill you! って笑った

ブルックリンの詩の朗読会は夜9時から始まったのに
彼女はニューヨークの闇の危険と闘いながら聞きに来てくれた
カウンターでバーボンを傾けながら
あなたを誇りに思うわ、と笑った
誕生日の朝に
「NORIKO、おめでとう!」と
イチゴのデコレーションケーキを教室に持ってきて
一時間目の授業の半分はわたしの誕生祝いになったっけ
前の晩に注文して早朝に店に寄ってから登校してきたのだ
満員電車に揺られながら教室まで……
わたしも彼女を誇りに思ったっけ

花鎮め
花鎮め

ニューヨークでの初めての冬休みは寒くて長くて
太陽がすぐに沈んでしまって
ひどい寂寥感に襲われた
やっと電話が繋がったとき
「心配してたんだよ!」叫ぶように言うと
「フロリダに旅行に行ってたの」と弾んだ声で彼女は言った
「急に決まってしまったからNORIKOは誘いにくかった」とすまなそうだった
「なんで誘ってくれなかったの!」
わたしは込み上げた怒りをぶちまけた
お互いに泣きながら言い合った内容は
今はもう思い出せない
Crazy! もI’ll kill you!も出なくて……

ずっと
行き違っていたのだ
いっぱい いっぱい 行き違っていたのだ

花狂い
花狂い

レストランで食事をして支払うとき
ニホン風にその場で割り勘にするか
カンコク風に交互に支払いをするか
毎回もめていた

「部屋に帰ると宿題がやれないの」と彼女が言えば
「自分の部屋はスタディルームだと考えたほうがいいよ」と真剣に忠告した
「ニューヨークの生活も楽しみたいのよ」彼女は困ったように言った
彼女は宿題をやってこないことがよくあったし
よく遅刻はするしスマホを1年で3つも失くすし
ラスベガスのカジノで1000ドルもすってしまったと言うし
わたしはいつも彼女にハラハラさせられた
親に出してもらっているお金だから
そんなに簡単に遣えるのだと思ったけど
口には出さなかった

鎮まぬ
鎮まぬ

宿題をやらなくても
期末テストでは互角の点をとる彼女がまぶしかった
ニューヨークで恋をしたいと目を輝かせる彼女がうらやましかった
わたしは恋なんて気持ちすっかりどこかに忘れてしまっているのに
ティーンエイジャーが着る洋服をかっこよく着こなす彼女は
いつも美しかった

「ごめん、この前は言い過ぎた」と謝ったとき
「こっちこそ、ごめんね。気にしてないよ」って言ってくれたけど
その後はわたしを避けるようになり
電話もなくなり
ニューヨークに春が来る前に
カンコクに帰ってしまった

ずっと
行き違っていたのだ
いっぱい いっぱい 行き違っていたのだ

彼女はとても情が濃かった
彼女はどこかニホンの昭和の女のようで
晩生で純粋で恥ずかしがり屋なのに
ひどく気まぐれだから
わたしをいらいらさせた

彼女にとって
わたしは
やっぱりオンニ(姉)だったのかもしれない
わたしにとって
彼女は
やっぱりヨドンセン(妹)だったのだろうか……?
寂し過ぎた冬休み
わたしは彼女に怒りをぶちまけてしまってはいけなかったのかもしれない
彼女はわたしに恐怖さえ抱いたのかもしれない………

花鎮め
花鎮め

ねぇ、ソヨン
人は
いくつになっても変わることができるのではないかしら

芝生の上で
ニンジャやサムライのコスプレをした一団が
ニホンのアニメを真似たポーズを繰り返している
舞うように ゆっくりと

ブルックリン
ボタニカルガーデンのサクラ祭りは
似ているけど
どこにもないニホンが
繰り広げられている

舞うように ゆっくりと
ひとり
アニメのキャラクターの間を縫って
あるく

サクラ

くら
青いピクニックシートを敷いてお弁当を食べるアメリカの人々が
とおい
そこに
いるのに
とおい

ソヨン、
たぶん わたし
うっとうしかったんだね
たぶん わたしたちは近づき過ぎた

ジャパニーズガーデンを過ぎると
広場に出る
見たこともない色や形の
無数のチューリップが
青空を仰いで開いている

カンコクもニホンも
もうすぐ
夏が始まる頃でしょう

また
彼女に会いたい
また

会いたい

ソヨン、
わたしはまだしばらくニューヨークで勉強を続けます
見たこともないわたしになろうと思います

まだいないわたし
誰も知らない何かに
なろうと
思います

舞うように ゆっくりと

夏よ
来い

 

 

 

クライスラー・バスタブ・トーキョー

 

長田典子

 

 


わたしは窓を開け
きょう初めての世界を見る
クライスラービルの先端が空を突き刺している

それから
昨夜の
バスタブの底に付いた
黒い靴跡を思い出す
外出中
顔も知らない男が
狭いバスタブの中を歩き回って
バカでかい黒い靴跡を付けてから
部屋を出て行った

トーキョーの夜は
ぼんぼりの灯のように
タワーがオレンジ色に燃えていたな
トーキョーの男は

帰宅してすぐ
バスルームに入ると
バスタブの底に30センチ以上はあろうかと思うほどの
大きな靴跡がいくつも付着していた
鍵はかかっていた
不動産屋に電話をすると
上の階で水回りのトラブルが発生し
わたしの部屋の水回りもチェックしたのだとか
油を含んだ黒い靴跡は
タワシで擦っても擦っても消えず
右手の爪が先に削れて割れた

台所で
お茶碗を落として
割ってしまいました

割れた
壊れた

ベッドカバーの上に靴を履いたまま
平気で寝そべる人に言いました
ニホンでは
ベッドは完璧に清潔でなければなりません
だから
わたしたちは夜に入浴します
まずバスタブにからだを浸して皮膚をふやかします
バスタブの横の専用の洗い場で
垢を入念に洗い落とします
ベッドには
完璧に清潔なからだになって滑り込まねばならないのです
ベッドは
完璧に清潔でなければならないのです

部屋のなかを土足で歩き回る人に言いました
それは
信じがたいほど不潔な行為です
その靴は外のあらゆる汚いものを踏んだ靴裏をもっています
部屋のなかでは靴を脱ぐべきです
床はとても清潔であり
裸足で歩いても足裏が汚れることはありません
部屋のなかは外とは別の世界です
床は完璧に清潔でなければなりません

人たちは
大変よい勉強になりましたと
お礼を言いました

トーキョーの夜は
ぼんぼりの灯のように
タワーがオレンジ色に燃えていたな
トーキョーの男は
足下12700キロ先の
遠い夜で
どの星を見ているのだろう

黒い大きな靴跡は
削り落としても削り落としても
翌日にはまた新しい靴跡がいくつも付けられ
結局
見知らぬ男は
バスタブを一週間歩き続け
黒い靴跡を残し続けた

何かが食い違っている

4日目を過ぎるころ
わたしは
黒い靴跡を
平気で裸足で踏んで
シャワーを浴びるようになりました

シャワーの把手を握るわたしの手は
男の性器を想いました
トーキョーだった
トーキョーの男だった
ふたりでバスタブに浸かり
からだを見せ合って
触り合って
笑い合った
おさなごの
ように

クライスラービルの先端が空を突き刺している

バスタブはからだを綺麗に洗う場所です
トイレは汚物を処理する場所です
その相反する二つの行為を
同じひとつの部屋で行うことは考えられません
わたしはそのことも敢えて付け足しました

人たちは
とてもよい勉強になりましたと
お礼を言いました


わたしは窓を開け
きょう初めての世界を見る
クライスラービルの先端が空を突き刺している
三角屋根の鱗模様に朝陽が反射して
金色に輝いている

クライスラービルの先端は
巨大なクロカジキが跳ねて
海に飛び込む寸前そのものだと思いつく
潮の匂いがする朝陽を浴びて
わたしの肌が納得しました
垢を落とす行為と汚物を排出する行為は同じことだ
ゆえにこれは合理的な部屋割りであると

ふたりで
お揃いのお茶碗を買いました
お揃いのお箸を買いました
ここはわたしたちのおうちだと
納得し合いました

割れた
壊れた
バラバラ、に
なった

その痕跡は
きっぱり片づけておしまいなさい、と
わたしはきつく男に言いました

ばか、きちがい、ぱらのいあ、と
男はわたしに言いました

何かが食い違っていた

あなたは 正しいです
わたしは 正しいです

何かが食い違っている

休日
ハドソン川がよく見える
古い美術館へ行ったことがある
はじめに
囚われた一角獣のタペストリーを見た
それから
惨殺された一角獣のタペストリーを見た

一角獣は獰猛な生き物であり
聖女だけには従順だと知って
鼻で笑ってしまう
誰にでも等しく獰猛であれ!

トーキョーの夜
男は
わたしは
おさなごの
ようでした

わたしたちは
夜に
いっしょに
入浴しました

あのときは

ひとしく
いっしょ
でした

 

 

 

足取りカルク

 

長田典子

 

 

とつぜん
火が噴いた

股間から
ささーっ、と
なにかが流れ出てきた
驚いて確かめると
血液だった
小学生のときのこと
学校から帰って
ほっ、と
椅子に座ったあの瞬間

あの、
衝撃、
のように

帰宅すると
もうぜんと
パソコンを立ち上げる
その日の学習内容をまとめる
宿題の作文を書くジャーナルを書くサマリーを書く
気が付くと明け方になっている
3、4時間眠る
教室へは誰よりも先に到着し着席する
まずは気持ちを落ち着けるところから始める
(そんなことは生まれて初めて)

気が付く
長い間やりたかったのは
このことだったのだと
英語が話されるその場所で英語を勉強したかったのだと

2011年10月5日
スティーブ・ジョブズ氏の死亡を知った夜
偶然 YOU TUBEで
2005年のスタンフォード大学卒業式でのスピーチを聴いた
ここに来てから10か月が過ぎようとしていた
ジョブズ氏のコトバのいくつかに
これ以上ないほど共感し合点した
からだじゅうを
血が駆け巡り
顔が熱くなった
鼻の穴から血が噴き出しそうになった

Don’t be trapped by dogma, which is living with the results of other people’s thinking.
(ドグマの罠にはまるな、ドグマとは他の人間の思考の結果を生きることだから)

55歳を過ぎて
ようやっと
ここまで来ることができた

And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become.
(そして、最も重要なことはあなたの心と直感に従う勇気を持つことだ。それらは、どういうわけか、あなたが本当になりたいものを知っている)

長い間
切望していた
そのことが今
現実になっている

Stay hungry, Stay foolish.
(ハングリーであれ、ばかものであれ)

ハングリーであり続けたつもりだったけど
ばかものになるほどではなかった
いままでは
人の期待に応えるようにして生きてきた

ばかものになれ
ばかものになれ
ばかものであれ

始まった
始まっている
ようやく
わたしはわたしを始めているのだ

その晩は
熱い炎のような塊を
胸に抱いて
眠った

夢の中で
大きな黒い山を登っていた
山頂の
黄色く煌々と光るものを目指して
いっしんに
曲がりくねる
白く細い道を登っていた
足取りカルク
こころ躍らせながら


マンハッタンの
朝の空気はぴんと乾燥している
チーズやベーグルの焼け焦げるにおいがする
高層ビルの先に広がる青空は
ビルの隙間をストローにして
からだの奥底に留まっていた重い重い枷、
のようなものを
きゅるきゅる吸い上げてくれる
ニューヨーカーが足早なのは
泥棒よけが始まりらしいけど
からだの重みを青空に吸収されて
日々
わたしは軽くなる
月面歩行よろしく
ぴょんぴょこ
軽く カルク かるく
透き通り
景色に
溶け込んでいく

ばかものであれ
ばかものであれ

自分の生き方をしていけ
自分だけの生き方をしろ

足取りカルク
こころ躍らせながら

 

 

※文中の英文はすべてスティーブ・ジョブズ氏のスピーチより引用

 

 

 

闇が傷になって目を開く

 

長田典子

 

 

平日の午後
アッパーイーストのデパートに買い物に出かけた帰り
59丁目の地下鉄ホームで電車を待っていた
買ったばかりのシーツの入った重たい紙袋を下げて
ぼんやり立っていた
とつぜん早口のアナウンスが流れ
連続殺人犯が地下鉄を乗り継いで逃走中だと告げる
ちょうど滑り込んできた電車に
他の乗客とともに乗り込む
ばったり犯人に出くわしたら運が悪いだけ

わたしたちは わたしは
いつ血まみれになって殺されても不思議ではないのに
何事も起きていないかのように
電車に揺られていた

電車は
追いかけているのか
追いかけられているのか
殺人犯を 殺人犯に
わたしたちは わたしは

殺るぞぉ! 殺ってやるぞぉ!! と夜遅くになって父が
一升瓶を振り上げて ふたりだけしかいない母屋の廊下を追いかけてきたのは
大人になってからのことだった
父に代わって社長だった母も亡くなり
もう赤字続きの商売を閉じてほしいと懇願したときのこと
逃げ場を失い咄嗟に
警察に電話するから!と叫んだら
父は ふいに肩を落とし
一升瓶を脇に置いて
茶の間でテレビを見始めた
なによりも体裁を重んじる人なのだ

グランドセントラル駅で下車すると
いつものように 改札口で
ピストルを脇に挿した警察官が所持品の検査をしていた
コンコースでは
迷彩服の兵士たちが随所に立ち
無表情で銃を構えていた
いつものように

アパートに帰り
備え付けのベッドに買ったばかりの赤いシーツをかけながら
TVをつけてNY1のニュースを見ると
タイムズスクエア駅の構内で犯人が捕まったと報じられていた
わたしの部屋から歩いて10分のところ
遠くで起こった血まみれの連続殺人事件は自宅近くまでやってきていた
シーツの皺を手で伸ばしながらわたしは
わたしの血まみれの思い出を
広げていた

小学生だった朝
妹が犬のように縄で縛られて池の中に座らされていた
血のように涙を流して泣いていた
夏休みの宿題をまだ終えていないお仕置きだと
父は縄の端を持ちながら
池の淵に立って
笑っていた
わたしはどうしたらいいのかわからなくて
茫然として見ていた
あのとき
もしわたしが銃を持っていたら
銃を
持っていたら
父を撃っただろうかわたしは
無表情でわたしは
撃ったのだろうか………

2週間前の早朝
打ち上げ花火のような音で目が覚めた
2時間後のニュースで発砲音だったと知った
アパートのすぐそばで殺人事件が起きたのだ
居合わせた大柄のゲイの男が興奮気味にカメラに向かって喋っていた
近くのファーマシーの化粧品売り場でよく見かける人だった
それでも日常は続き
事件のことはすぐに忘れて
学校に出かけた

夜中に
父の怒鳴り声がした
からだを叩きつけるような鈍い音が2階まで聞こえ
ぎゃぁあああ!!殺されるうっ!!という
母の叫び声が何度も響いていた
あのときも
わたしは小学生だった
走って行って母を助けるべきだったのにわたしは
人形のように身を固くして
息を潜め布団を被って隠れていたのだわたしは
翌朝 台所に立つ母の背中におそるおそる
だいじょうぶ?って聞くと
振り向いた母の顔は痣だらけのお岩さんのようで
ボクシングでボコボコにされて鼻血の噴き出した選手のようだった
離婚したいと言ったら
箒の柄でからだじゅうを何度も殴られたと
力なく言った
ブラウスの袖口から出ていた腕も痣だらけで
ところどころミミズのように腫れあがっていた
あのとき
もしわたしが銃を持っていたら
銃を持っていたら
父を撃っただろうかわたしは
無表情でわたしは
撃ったのだろうか………

撃たなかった
かもしれないのだ
父を わたしは
自分の命を守るためだけにわたしは
先に弱い者を撃ったのかもしれないのだわたしは
わたしはわたしはわたしは………

通っている語学学校は
歴史的な建造物のウルワースビルの一角にあり
そこで勉強してるなんて なんだか鼻が高いのだ
ただし華麗な装飾が施されたエントランスを通り越した脇に
学生専用の入り口はある
中は現代そのもの
水色の絨毯が基調の教室は清潔で明るい
どの教室もガラス張りのドアから中の様子が見えるようになっている
プレゼンテーションで母国の歴史的な一場面を発表するとき
中国人の国費留学生は南京大虐殺を取り上げた
数々の残虐な映像がスクリーンに映し出され
わたしは たったひとりそこにいるニホン人として
前を見ることができずに 居場所を失い
休み時間に
ひとりのニホン人として謝りたいと伝えるのが精一杯だった
宗教や習慣の行き違い
出身国がからむ国際関係から
一触即発の事態は
教室のなかでも起こりうる日々

新しい赤いシーツの皺を
伸ばし
伸ばしながら
広げる広がってしまう
わたしの
血まみれの思い出………

就職した総合商社を8か月で辞めて
貯金をもとに公務員試験の勉強を始めたころ
父は失望のあまり しつこく罵った
よー 知ってんかぁ おめぇみてぇなのをよぉ 人生の落伍者ってゆーんだ
この人生の落伍者!
失敗したら次は何を言われるのかが怖ろしくて
プレッシャーで体重が38キロになっていた
あんた人のこと言えんのかっ、家族ほおって長い間どこ行ってたんだ!
震えながら全身で口ごたえすると
さらに逆上して髪の毛を鷲掴んできた
親に向かって生意気な口ききやがって
ばかやろー 出てけ! このやろー
いい気になりやがって
きたねぇ顔みせんな このブスっ!
おめぇみてぇなバカ見たこたねぇや!!
あのときも
壁に後頭部を何度も打ちつけられた
腕や肩に父の指の跡が痣になっていくつも残った
父の手に
抜けたわたしの髪の毛がどさっと絡み付いていた
後頭部が赤く腫れて血が出てきた
試験に受かったら次は
この家からいちばん遠い場所に行ってやると思っていた
父は父で
代々受け継がれた土地を失うばかりで
体裁を繕うこともできなくなって地獄を見ていたのかもしれないが
わたしはわたしで
自分を生きている価値のない人間だと思わずにはいられなくて
ほんとうは 毎日
死にたいと思っていた思い続けてきた
枕元に父の工具箱から盗み出した大きなスパナを置いて眠っていたのは
むしろ殺して欲しかったのかもしれない………

ついこのまえ
ウサマ・ビン・ラディンが暗殺されたというニュースが
全米に速報で流れアメリカ人を歓喜させたが
人が殺されて歓喜するという思考がわたしにはわからない
タイムズスクエアに近いアパートには
夜中までUSA!USA!という群衆の歓声が聞こえ続け
外国人のわたしは深い恐怖に陥った

地球の裏側の
老人施設で父が赤ん坊のように
ぼんやりと昼食を与えられている時間に
わたしはベッドにもぐりこむ
枕元には
もう武器は置かない
置いてはいない
のだけれど

わたしがもし銃を持っていたら
わたしはどっちを撃つだろう
自分よりも強い者か
自分よりも弱い者か

闇が傷になって目を開く