また旅だより 34

 

尾仲浩二

 
 

2007年9月1日 チワワ鉄道でクリール
6:30 1日に2本しかない列車に乗りクリールを目指す。途中駅でトウモロコシの皮に包まったチマキのようなものを買う。蒸したクスクスの中に甘辛い何かが入っていた。冷房が効きすぎて辛いのでデッキに出る。大きく揺れると怖いが、風が気持ちいい。草原には黄色い花が一面に咲きそこに馬や牛が、駅が近づくと西部劇のような街が現れる。12:30 クリール到着。まずはホテルを探し荷物を置いて街へ。レストランのメニューを見ても分からないのでビーフステーキとビール。街外れのテントで古着の長袖シャツを買う。

9月2日 クリール
レンタサイクルで草原を走る。気持ちよく撮っていたら急に犬に吠えられ、すると数匹の犬があちこちから走ってきて必死に自転車で逃げる。知らぬ間に手の甲を虫に刺されひどく腫れてしまった。夕方の街は馬に乗った集団やバギーカーやトラックで大音響の音楽を流しながらのパレードが続く。部屋のテレビは母屋のチャンネルと連動しているようで勝手に次々と番組が変わる。酒屋で買ったワインはサングリアでとても甘かった。

9月3日 クリールからポサダ
手持ちのメキシコドルが少なくなったので銀行へ行くがCD故障でカウンターには長い列、諦めて12:30 の列車に乗る。険しい渓谷を走るのだが、脱線し転落した車両が時々見える。昨日案内所で勧められたポサダ駅で下車するが、降りたのは現地民の少女ひとりと僕だけで少女はすぐに山へ入っていってしまった。無人駅にはなんの案内もないので、仕方なく宿を探しに歩き出すが山道が続くだけで、心細くなっていたところに馬を3頭引いた親父が現れた。宿を尋ねると馬に乗ってついてこいと初乗馬。小さな集落に着き、農家の庭に建てられたコテージに泊まることに。夕方から激しい雷雨、テレビもなく馬のいななきと犬の遠吠えだけが聞こえるこんな所で一夜を過ごすとは。

 
写真展情報

尾仲浩二写真展「馬とサボテン」

中野・ギャラリー街道
6月18日より27日 金曜、土曜、日曜のみ開催

 

 

 

 

鈴木志郎康 写真集「眉宇の半球」について

 

さとう三千魚

 
 

 
 

随分とそこにある。
何度か開いてみた。
何度も、開いてみてきた。

鈴木志郎康の写真集「眉宇の半球」を机の上に置いている。

志郎康さんの写真集「眉宇の半球」と、
志郎康さんの「徒歩新聞」合本と詩集「わたくしの幽霊」と「攻勢の姿勢」などなどは、わたしの机の上に置いてある。

志郎康さんと、
わたしが鈴木志郎康という詩人のことを馴れ馴れしく呼ぶのは志郎康さんはわたしの先生だと思っているからなのだ。しかし鈴木志郎康という詩人は「先生」と自身を呼ばれるのが嫌いなので、わたしは志郎康さんと呼ぶのだ。

わたしは志郎康さんから東中野にある新日本文学会の木造の建物の詩の教室で1979年頃に詩を教わったのだった。

その頃、
志郎康さんから「徒歩新聞」という冊子をいただいていた。
赤瀬川原平さんの絵が表紙にある小さな薄い冊子だった。
また、わたしが持っている志郎康さんの詩集「わたくしの幽霊」の扉には志郎康さんのサインがある。
はじめて志郎康さんの詩集を購入してサインを書いてもらったのではなかったろうか。

さとうみちお様
 一九八〇年七月九日
      鈴木志郎康

志郎康さんの写真集「眉宇の半球」が机の上に置いてある。
「眉宇の半球」は随分とわたしの机の上にありつづけた。

わたしは志郎康さんの「眉宇の半球」について書こうとしている。
このままこれらの志郎康さんの本はわたしの机の上で、わたし一人、開いて、見れれば良いではないかとも思ってしまうが、わたしは志郎康さんの本に出会い、開いて感じたことを書き留めようとしている。
志郎康さんに新しく出会い、志郎康さんを発見するためにわたしは言葉を書き留めようとしている。

写真集「眉宇の半球」は1995年12月1日に発行されている。
編集・発行者は津田基さん、発行所は株式会社モールと写真集の奥付に記されている。

1975年から1995年の間に魚眼レンズと呼ばれる180度の画角のレンズを使用しフィルムカメラで撮影されたモノクロの写真が纏められた写真集だ。
1975年から1995年というのは志郎康さんが40歳から60歳までの間、詩集「やわらかい闇の夢」を上梓した翌年から阪神・淡路大震災があった年までだ。志郎康さんの最初の妻の谷口悦子さんが1995年に亡くなっている。

表紙には志郎康さんの掌に包まれた八重桜の花の魚眼写真が使われている。
指が太いから志郎康さんの掌だとわかる。魚眼レンズの写真は円形に写され円の周りは黒くなるから写真部分が丸くトリミングされて表紙に配置されている。
巻末の写真メモには「1992年多摩美上野毛キャンパス。新入生ガイダンス合宿に出発する朝。」と記されている。
裏表紙には、これも志郎康さんの指だろう、紫陽花の花を太い指の手が摘もうとしている魚眼写真だ。
写真メモに「1993年自宅テラスで。」と記されている。

円周魚眼レンズの写真たちは世界が丸く切り取られている。
巻末にある志郎康さんの写真メモの一部を引用してみる。

「3 1995年8月文京区白鳥橋。」

「4 撮影年月不詳。日本橋浜町付近。幼い頃の記憶と結びつく。」

「5 1975年墨田区立花、中川の土手。1945年3月10日の戦災のとき、ここを母と祖母と逃げて走った。」

「9 1993年自宅付近。トンネルは何時も取りたくなる。」

「13 1975年亀戸天神で、麻理と草多1歳。」

「21 1975年頃、江東区木場で、麻理。」

「33 1992年8月江東区森下と白河に掛かる高橋。」

「42 1993年7月札幌市。」

「46 1990年8月新幹線車窓の眺め。」

「47 1990年8月新幹線車窓の眺め。」

「52 1990年広島市。」

「53 1991年8月霧ケ峰高原で、野々歩。」

「59 1992年5月阿賀野川河畔の津川で。川口晴美さん。「現代詩の会」グループ旅行。」

「62 年月場所不明。」

「79 1990年西多摩郡檜原村、払沢の滝。」

「88 1992年8月江東区白河の渡辺洋さん宅での家族像。気分のいい夕方。」

「94 1992年自宅仕事場で。自写像。」

「95 1993年頃、自宅仕事場での自写像。」

「96 1993年頃、自宅仕事場で。」

「97 1993年頃、自宅仕事場で。」

「98 1989年7時間半に及ぶ映画『風の積分』のフィルムの一部分のコマ。」

「100 1993年頃、自宅仕事場での自写像。」

「101 1995年8月 自宅仕事場での自写像。」

「102 年月場所不明。」

頁数と志郎康さんの写真メモだけでは、写真がないからイメージが浮かばないだろう。わたしには写真集「眉宇の半球」があり、そのページを開いて写真の景色を見ることができる。

「3 1995年8月文京区白鳥橋。」

白鳥橋は飯田橋から江戸川橋に向かった首都高5号池袋線が神田川に沿って左に大きく曲がるところだろう。
神田川に丸い橋脚が垂直に立ち、淀んだ川の上に首都高が覆い被さっている。
首都高は戦後、1959年に工事が着手され1964年東京オリンピック開催前にはかなりの部分が開通している。

地方の農民など労働者の都市への出稼ぎや移動を加速させ首都高は完成されていったのだろう。

「4 撮影年月不詳。日本橋浜町付近。幼い頃の記憶と結びつく。」

真ん中に電柱が真っ直ぐに天に伸びて空には電線が縦横に伸びていてその下の電柱の両脇に下町の木造日本家屋が犇めいて並んでいる。軒下には植木鉢が並んでいる。

「5 1975年墨田区立花、中川の土手。1945年3月10日の戦災のとき、ここを母と祖母と逃げて走った。」

1944年8月に山形の赤湯に学童疎開して栄養失調で脚気になり10月に東京の亀戸の家に戻り空襲にあったのだろう。3月の東京大空襲で焼け出されたという。写真には川に沿って土手が続き土手の向こうに日本家屋が低く連なっている。

「9 1993年自宅付近。トンネルは何時も取りたくなる。」

代々木上原のJRのガード下のトンネルか?
蒲鉾のようにトンネルがありトンネルの向こうに道路が二股に分かれていてその上の空が明るい。

「13 1975年亀戸天神で、麻理と草多1歳。」

若い麻理さんが草多さんを抱いて表情がやわらかい。草多さんが笑っている。

「21 1975年頃、江東区木場で、麻理。」

木造の商店か、「ちとせ」という看板が入口の上に掛かっている。その前に若い麻理さんが立っている。

「33 1992年8月江東区森下と白河に掛かる高橋。」

川の向こうに高層集合住宅が建っている。橋を男性が自転車で渡って行く。

「42 1993年7月札幌市。」

志郎康さんがホテルの部屋のベッドに服を着たまま横たわっている。
棚に置いたカメラでタイマーを使い撮ったのだろう。

「46 1990年8月新幹線車窓の眺め。」
「47 1990年8月新幹線車窓の眺め。」

ひとつは車窓から真っ直ぐに伸びた川と土手が撮されている。
もうひとつは車窓から撮されたトンネルの手前の鉄骨構造物と電線などが流れ去っている。

「52 1990年広島市。」

柵の向こうに原爆ドームがしらじらと佇んでいる。人がいない。

「53 1991年8月霧ケ峰高原で、野々歩。」

少年の野々歩さんが草むらで笑っている。山々が見える。

「59 1992年5月阿賀野川河畔の津川で。川口晴美さん。「現代詩の会」グループ旅行。」

若い川口晴美さんが河畔の岩の上に腰を下ろして微笑んでいる。背景に川が流れている。

「62 年月場所不明。」
「102 年月場所不明。」

この二つの写真メモは「年月場所不明。」とだけ記されている。
写真メモの意味をなさない。
62頁の方の写真には背の高い野の花が繁茂していてその花々の向こうに農家の納屋のようなもが見える。
102頁の方の写真には枯れた葦原が風に薙ぎ倒されたような光景が画面の全面に広がり葦原の向こうに林が見えている。

どちらも写真の光景は円形に切り取られている。

志郎康さんはこの写真集に「魚眼映像は気持ちいい」というタイトルのエッセイを寄せている。

「魚眼の写真が気に入っている。単純に撮っていて面白い。中心を通る直線以外はすべて歪んでしまうというのも面白いが、対象との間に絶対的な距離が生じてくるというところがいい。たいてい写真というのは、撮る人の対象へのこだわりが出てくるわけで、そこが面白いとされるところなのだが、魚眼はそれとは逆に対象に対する無関心が出てくるところとなる。魚眼レンズで撮ると、誰が撮っても同じになる。そこがいい、と、それ以上に素敵だという気分になれる。わたしがそこに現れないですむのが素敵なのだ。

以前、『極私的魚眼抜け』という魚眼映画を作ったが、その時は魚眼レンズが対象世界を「中心」と「周辺」に置きかえてしまうということに気がついたのだったが、今度は『風の積分』をやってみて、「空洞」を作れるということに気がついてワクワクさせられた。

・・・中略・・・

つまり、「わたしの作品」だなんていえない。対象はまるまる自然の変化なんだから、当たり前のことだ。それをどう映像にするかというところに、「わたし」があるといっても、カメラがオートで撮っているのだから、「わたし」が立ち会っていることもなく、不在は不在である。でも、わたしがやったんだから、やった主としている。わたしがやっていて、わたしがいない。これが最高に気持ちがいいっていうことだとわかった。」

と志郎康さんは書いている。

“魚眼レンズで撮ると、誰が撮っても同じになる。そこがいい、と、それ以上に素敵だという気分になれる。わたしがそこに現れないですむのが素敵なのだ。”

ということなのだ。

“わたしがそこに現れないですむのが素敵なのだ。”と書きながら、
しかし、魚眼レンズで志郎康さん自身を撮った写真が写真集の最後に続いている。

「94 1992年自宅仕事場で。自写像。」
「95 1993年頃、自宅仕事場での自写像。」
「96 1993年頃、自宅仕事場で。」
「97 1993年頃、自宅仕事場で。」
「100 1993年頃、自宅仕事場での自写像。」
「101 1995年8月 自宅仕事場での自写像。」

そこには志郎康さんが対象物のように素っ裸になって写し出されている。
にこりともしていない志郎康さんが写っている。

「街中を歩いても、テレビを見ても、言葉やらイメージやらが多くて非常に鬱陶しい。そういう関係に毒を盛って毒を制するような関係が、これらの写真と向かい合ったときに持てれば幸いである。」

そう、志郎康さんは写真集のあとがきに書いている。

この世界には人によって作られたイメージや言葉が溢れている。
それらのイメージや言葉は人を商品や貨幣や党派などに誘導するための効果が目指されたものだろう。
それらは人々を誘導するための嘘さえもを含んでいることだろう。

「そういう関係に毒を盛って毒を制するような関係」と志郎康さんは魚眼写真のことを言っている。

「毒を盛って毒を制するような関係」とは詩や写真で我を無にして新しい我に至るということだろう。それは”無我”ということだろうか?

“無我”とは世界との関係のことだろう。
志郎康さんはそのことを”極私”と言った。
志郎康さんの”極私”は詩や写真の働きによって自己を世界に開いて自由になるということだ。

その”極私”をわたしも生きてみたいと思っている。

 

 

 

夢素描 14

 

西島一洋

 
 

 

雨が降っている。

川の中だ。
浅い川だ。
川岸も川底も全てコンクリートだ。
川幅は広い。
暗渠もある。

濁ってはいない。
透き通っているが、臭い。
汚泥の匂いだ。
糞尿の匂いだ。
強い消毒薬の匂いも混じっている。

全身裸で横たわると、流されていく。

川底はスルスルとしている。
滑らかだが、藻ではなく、汚泥の沈殿物が、うっすらと覆っている。
沈殿物の中には、ドロドロになった便所紙もある。
表面は、細い髪の毛のようなものが、流れに沿って揺らいでいる。

半身は水面(みずも)より上に出ている。
時折、全身が沈み、
川底に当たり、クルクルと回転されながら流される。

すこーし傾斜が強いところに出ると、スピードが出る。
といっても、時速40キロメートルくらいだ。

流されていると、建物があるはずなのに、見る余裕が無い。
せいぜい川岸まで程しか視界に入らない。
流されることに必死だからだ。
ただ、建物に囲まれている気配は十分にある。
建物は、全てモノクロームで、凸凹(でこぼこ)したバロック建築だ。

人の気配は全く無い。
ずーっと一人っきりで流されている。
川の中にも、川岸も、それらを囲むように林立しているだろうと思われる建物の中にも。
人の気配は無いのだが、虫のような気配があるのが不思議だ。
ただ、生命体ではない。

動かない虫だ。
死んでいるのではない。
ただ動かないだけだ。

動いているのは、川と僕一人だけだ。
あとは、きちんと見えてはいないが、
気配としては、じっとしている、というのを感じる。
それらは動いていないのに、それらの気配だけは感じる。

川幅の広いところに出た。
突然、虫の気配も、建物の気配も無くなった

空間というか、天空というか、空というか、何も無いというか、そのような気配が生じてきた。
何もないのに、あるという気配ではない。
何も無いという、そのものの気配なのだ。
言葉的には矛盾しているが、無という有が感じられるのだ。

怖くは無い。

この辺りに来ると、川は二股に分かれている。
上流から下流に向けて二股になるというのは、不自然ではある。
しかも、二股になることによって、水量も増える。
流れの勢いも増す。
これも不自然だ。

血管で言うと、静脈でも動脈でも無い。
静脈は、山から、小さな川が、徐々に一つになって海に流れ込むという態だ。
動脈は、津波のように川が海から逆流して、陸の奥に行くに従って分散していくという態だ。
そのどちらでもないのだ。

雨も強くなってきたが、音が無い、静かだ。
しかし突き刺さるような雨の力だ。
豪雨を超えてはいる。
視界は薄暗いが景色はハッキリしている。

二股のどっちかを選ぶ余裕も無く、僕は左の方の流れにぐいと引き寄せられた。

雨はまだ降っている。
まだ降っている。
いつまでも降っているので、
雨に飽きてしまった。

もう少しで、橋の下をくぐる。
木造の橋である。
木は腐ってカスカスだ。
崩れる寸前の太鼓橋だ。

僕が行くまで崩れずに、
ずーっと待っていてくれる。

おそらく。

 

 

 

夢の世界<夢はひとつか>

 

木村和史

 
 

 

若いころは、よく夢を見ていた。夢の世界と現実の世界は、わたしの中でそれほどはっきりとは分断されていなくて、夢の余韻を引きずったまま、午前中の半分くらいを過ごすこともまれではなかったような気がする。夢の話を熱心にノートに記録していた時期もある。書きとめようとするとたいてい、夢の余韻は手をすり抜けてしまうのだったが。とにかく若かったわたしにとって夢は、わたしとともにあって、わたしそのもののように生きているなにものかだった。

それが、いつのころからか、ほとんど夢を見なくなった。今はもう70歳になったので、振り返って正確に思い出すことはできないのだが、きっかけは40歳のときの交通事故にあったことは間違いないような気がする。3か月入院して、退院してからもしばらくのあいだ松葉杖の世話になっていた。骨が飛び出したり、折れたり、割れたりしたところは徐々にそれなりの動きを取り戻していったけれども、原因がはっきりしないまま、脳が異常に疲れやすくなってしだいに鬱のような状態になっていき、慢性的な頭痛や不眠に悩まされるようになった。

入院しているときに、それまで見たことがないような怪物が夢の中によく出てきた。若い頃に、入院していた友人がやはり怪物の夢の話をしていたことがあったので、麻酔とか点滴とかの薬物が影響していたのではないかと思う。

怪物が出てくる夢は、退院したあとほとんど見なくなったのだが、代わりに、絶望的な状況に追いつめられ、絶望的な気持ちになって目が覚める夢を見ることが多くなった。

「わたしを囲んでいる山々がいつのまにか火山に変化していて、足元の地面も、いつ爆発しても不思議じゃない危険な状態になっている。どこにも逃げ道はない。まもなくわたしは噴火に飲み込まれ、わたしのすべてが終わってしまう」「コンクリートの堰の上にひとりぽつんと立っている。堰は洪水に囲まれていて、すでに足元まで水が迫り、水かさはどんどん増している。どこもかしこもそんな状態で、洪水に呑み込まれ、押し流されるのを黙って待っているしかない」「戦国の時代。もうすぐ戦さが始まろうとしていて、わたしはすでに戦いの装束に身を包んでいる。刀も手に握っている。しかしそれは絶対に勝ち目のない戦さで、必ず敗北することが分かっている。戦いに出たら、わたしは殺される。それでも、刀を放棄して逃げ出すとか、なんとか助かる道はないだろうかと考える気持ちにはならない。殺されることに向かって吸い込まれるように気持ちが集中していく」「わたしはかつて殺人を犯した人間で、長いあいだうまく逃げ延びて来たのだが、まもなく犯行が露見して逮捕される。そして死刑の判決が下される。死刑になるという絶望感よりも、わたしは殺人を犯した人間だったという事実に直面して、すべてが塗りつぶされたような気分になる。」

平穏な日常生活の中では、どんなに気持が落ち込んでも、救いの道がひとつもないという状況は多くないような気がする。自分で見つけることができなくても、誰かが救いの手を差し伸べてくれるかも知れない。ものの見方を少しでも変えることができれば、息がつける空間が開けることもあるだろう。何日か絶望して、気がついたら楽になっていた、ということもある。ところがわたしの悪夢は、すべてが閉ざされている。わたしの終わりがすぐ目の前に迫っていて、なすすべがない。ひたすら落下して、絶望するためだけの夢のようなのだ。

頭が疲れているときに絶望的な夢を見るということが、何年も後になって徐々に分かってきた。原因が分からなかった頭痛や鬱などの不調も、外れたままになっている肩の肩鎖関節のせいで、脳への血行が悪くなっていたせいらしいと気がついた。血行が悪い状態で集中して頭を使うと無理がかかるようなのだ。鎖骨に沿ってメスが入っているので頭痛になりやすいです、と医師にも言われていた。

事故から30年、70歳を過ぎてしまった今は、症状のそれなりのかわし方を身につけているつもりだが、骨が外れている状態は今も変わりなくて、絶望的な夢を見ることも無くなったわけではない。そのときは、ひたすら脳を休めるよう努める。絶不調だった40代のある日に、勉強はしない、のらりくらり生きる、治ったらまた勉強する、と決めてから、少しずつではあるが頭痛や鬱などの不安から離れていけたように感じている。

絶望的な夢を見ることはしだいに減っていったのだが、なぜか、普通の夢を見ることも少なくなった。毎日のように夢を見ていた頃と比べると、夢を見なくなったといってもいいくらいに減ってしまった。それでも、ふとしたはずみでという感じで、悪夢でも絶望的な夢でもない、普通の夢を見ることがある。

ところがその夢は、以前に見ていたわたしの夢のようではない。夢のなかでわたしが連れていかれる場所がことごとく、今まで見ていた夢のなかの風景と違っている。そこが実在するどこそこの街であったり、どこそこの駅であったりという認識はできるのだが、すっかり模様替えがされてしまっていて、実在する場所を想起させる手がかりがどこにも感じられない。今まで一度も来たことがない場所のようなのだ。しかもその風景は、夢を見るたびに変化するわけではなくて、繰り返し、変わってしまった同じ場所に連れていかれる。レールが切り替えられたみたいに、新しい夢の世界にしか行けなくなっている。今まで見ていた夢に、夢という特別な世界があったとすると、わたしの新しい夢もまた新しい夢の世界を持っていて、その夢の中でわたしは、今までの夢の中のようではないわたしを生きている。そして、新しい夢のなかのわたしは、わたし自身とぴったり重なっていないように感じられる。

生まれてからずっと見つづけてきたはずの夢の世界は、わたしの実際の人生からそう遠くへは離れられず、往来が許されているというか、そこでわたしはもう一度わたし自身を生きているといえるようななにものかだった。ところが新しい夢の世界はわたしとのつながりがどこか断ち切れていて、なじみのない景色のなかで、必ずしもわたしのすべてではないと感じられるわたしが生きている。おかしな言い方だが、夢のなかでわたしの本当の現実に戻っていけなくなってしまったのだ。
わたしは変わってしまった。体も精神状態も、怪我の回復とともに元に戻っていくものとばかり思い込んでいたわたしは、戻れないなにかを抱えてしまった。そうなってしまったことを受け入れられない無意識の気持ちがあって、退院してしばらく経ってからつきまとうようになった、それまで経験した覚えのない日常的な不安の陰のようなものも、そのあたりに原因があったのかも知れない。

事故から3年ほど経った頃だったと思う。血液の問題に詳しいある人に「親からもらった設計図はもう壊れています」と言われたことがある。

肉体の一部は壊れてしまって元には戻らないが、事故の痕跡はそれなりに修復されていく。傷跡や麻痺が残り、動きに違和感を感じたり、痛みが出るときもある。それでも、体はなんとか普通に使えるようになる。もう患者ではないし、松葉づえをついたり、脚を引きづったりという、修復工事中の看板はいつのまにか外される。でも、体の内部であらたに生じた変化は、その後もずっと続くことになる。

設計図が壊れているということは、壊れた設計図によって肉体が再生されているということだろうから、変化した肉体を受け入れて、変化したわたしを生きるしかないとその人は言いたかったのかも知れない。けれども、設計図が壊れているという言葉は、わたしの耳にそのまま素直には入ってこなかった。そのときのわたしは、壊れていない、元どおりのわたしとして生きようとする気持ちが強く、受け入れるべき現実を素通りさせていたのだと思う。

傷ついても、壊れても、わたしはわたし以外のなにものでもない。傷のない、壊れていないわたしが、わたしの中に変わることなく存在していて、回復は元のような肉体に戻っていく方向で進んでいく。そんなふうにどこかで信じていた。後遺症が残ります、年をとったらがたがたになります、と医師とリハビリの先生から言われていて、傷跡が消えないことも分かっていたのだが、不調の日々だったとはいえ40代のわたしは、立ち止まったり、うつむいて暗い気持ちになるにはまだ余力があり過ぎたようだ。わたしの肉体を、どうにかして以前のわたしの肉体に重ね合わそうとしていた。

わたしが変わってしまったことに気づこうとしない。以前のわたしがすでにひとつの幻想になっていることを理解せず、新しい自分を生きようともしていない。わたしがもう、以前のわたしではないということを、夢だけがちゃんと分かっていて、繰り返し教えてくれようとしていたのかも知れない。

人生はひとつながりにはつながっていない。どこかで切れる。一度ではなく、もしかしたら、気がつかないうちに何度も切れているのかも知れない。

それにしても、新しい夢の世界はいつまで経っても、どうしてわたしに馴染んでくれようとしないのだろうか。わたしにとって、わたしの人生はたったひとつで、わたしの夢の世界もたったひとつで、ふたつの世界はつかず離れず寄り添いながら、不思議な時間を織りなして来た。新しい夢の世界は、その流れに割り込んで来て、たったひとつのはずのわたしの人生から、たったひとつのはずだった夢の世界をどこかへ追いやってしまった。物心ついてからずっと寄り添っていた夢の世界を見失ってしまったわたしは、それほど先ではないわたしの最後の日がやってきたときに、わたしの人生を最初から最後まで歩き続けたと納得することができるのだろうか。

 

 

 

閉じこもってしまいたい でも/閉じこめられてしまえば/出たいと思う

中村登詩集『水剥ぎ』(魯人出版会 1982年)を読む

 

辻 和人

 
 

 

中村登(後年、古川ぼたると改称)の詩は、長い間私の関心の的であり続けている。私が大学に入って間もない頃、渋谷のぱろうるで第1詩集『水剥ぎ』を手に取り、即、購入したのだった。私は高校の時から現代詩に対する関心を抱き始めていたが、読んでいたのは既に実績のある年配の詩人の詩集ばかりで、若い詩人の作品はほとんだ読んだことがなかった。中村登(1951年生まれ)の詩を、私は「現代詩手帖」の広告で知ったのだったが、私(1964年生まれ)にとっては感覚的に共感するところが多く、店頭で立ち読みしてすぐ気に入ったのだった。以来、しばらくの間、枕元に置いて寝る前に必ずどれかの詩を読んでいた。更に、詩集『プラスチックハンガー』(1984年 一風堂)、『笑うカモノハシ』(1987年 さんが出版)を愛読し、彼が参加していた詩誌「ゴジラ」や「季刊パンティ」にも目を通した。まるで中村登のおっかけのようなものである。後に自分が詩作を始めてからも、彼の詩はいつも頭のどこかにひっかかっていた。彼ならどう書くだろう、と考えたりしていたのだ。「季刊パンティ」が終わった後、詩を余り書かなくなっていたが、2012年にさとう三千魚さんを通じてブログ「句楽詩」で詩作を再開したことを知り、嬉しく思った。
私は一度本人にお会いしたことがある。鈴木志郎康さんの講演の場で偶然一緒になった。穏やかな表情の快活な方という印象だった。お話ししたいことがあったが、用事があったので一言挨拶を交わしただけだった。その後、ネット上で少しやりとりをした。いつかゆっくりお話をしたいものだと思っていたが、2013年4月、急死されたと聞いて驚いた。脳出血とのことだった。もう新しい詩が読めないのかと思うと寂しい気持ちでいっぱいだが、残された作品を論じることはできる。

私は中村登の詩のどこがそんなに気に入っていたのか。彼の詩は、身の周りのことを書いた私詩的なものが多く、一般の目を引くドラマチックな題材などは一切扱わなかった。言葉の運びは巧みだったが、華麗な比喩を使うこともなければ抒情美でうっとりさせることもなかった。一見すると、ネクラな、ぱっとしない詩という印象を与えられる。
しかし、二十歳前の若者だった私は夢中になったのだった。読み込んでいくと、はらわたに浸み込むように、その真価がわかってくる。中村登の詩には、彼が生活の中で抱えた問題-金銭の問題とか人間関係の問題とか健康の問題とかいったテーマのはっきりした問題ではなく、もっともやもやした、個人的な問題-を正確に言葉にしようと苦闘する様が刻む込まれているのがわかってくるのである。

まず、冒頭に置かれた表題作「水剥ぎ」を全文引用してみよう。

 

空0水を一枚ずつ剥ぐ。
空0今宵の流れは何処へめぐるか。
空0乳白色に迫ってくる河は、
空0巨大な交尾に浮上する。
空0交尾に狂う河だ。
空0河が固い喉を裂いた。
空0ふるえを飲む。
空0泥を飲む。
空0関東ローム層のスカスカした暮らしの
空0腕がこわばる、
空0樹を飲む。
空0橋を飲む。
空0道路を飲む。
空0家を飲む。
空0自我へ渡る睡眠中枢を断ち、
空0喩に痩せた夢飲まず。
空0大陰唇押し広げ、
空0飲み下す舟の軸先が突き刺さる扁桃腺の浅瀬で、
空0否定項目が苛立ってくる。
空0ちくちくと畜生。
空0蓄膿する眼底に意味を流しては囚われるばかりだ。
空0青大将が鎌首もたげて顔色見てるな。
空0小水程の氾濫とみくびっていやがる。
空0煙立つ深夜の四畳半ギッと握り締め、
空0ずり足で河へ入る。
空0向う脛掬われ溺れそうだ。
空0家族を薙ぎ倒し、
空0記憶が胸元で濡れようと一瞥、
空0だが、明日は何処へちぎれるか解らぬ。
空0詩人奴が新しい喩を使う事件が不在だと嘆いている。
空0事件!
空0「何処にどんな気持ちのいい河があるんだ」

空0水剥ぎ、
空0交尾に狂う河を浮上させ、
空0幻想の瘡蓋剥ぐ。

 

荒れる河を前に昂揚した心情を歌い上げた、緊張感溢れる詩だ。畳みかけるような鋭角的なリズムが、凶暴化していく気分を描いている。「ふるえを飲む。/泥を飲む。」以下の「飲む」のリフレインが特に効いている。河は、様々なものを飲み込んでいくが、「自我へ渡る睡眠中枢を断ち、/喩に痩せた夢飲まず。」とあるので、自意識だけは飲んでくれない。逆に言えば、河が、自意識が裸で突っ立っている状態を作っているということだ。更にその後、「大陰唇押し広げ、/飲み下す舟の軸先が突き刺さる扁桃腺の浅瀬で、/否定項目が苛立ってくる。」とあり、性の営みも出てくるが、それは話者に豊かな官能をもたらすものではなく、むしろ苛立ちを掻き立てる。話者は「蓄膿する眼底に意味を流しては囚われるばかりだ」と物事に意味を求めるのを止め、「煙立つ深夜の四畳半ギッと握り締め、/ずり足で河へ入る。」と、たった一人で、荒れる自然の営みの中に入っていく。自分を支えてくれるはずの家族も「薙ぎ倒し」、過去も捨てる。自己表現の手段である詩でさえも、「詩人奴が新しい喩を使う事件が不在だと嘆いている。」と揶揄する。そして、「事件!/「何処にどんな気持ちのいい河があるんだ」と吠えるのである。
制度化されたものを一切拒否したい。が、事はそう簡単ではない。途中で「青大将が鎌首もたげて顔色見てるな。/小水程の氾濫とみくびっていやがる。」の2行がある。吠えながら、自分を縛ってくるものから逃れることはできない、と、心の底でわかっている。自由を希求するヒロイズムではなく、それが不可能なことの憂鬱が語られた作品なのだ。

鈴木志郎康はこの詩集の跋文の中で「詩集の頁をめくって行くうちに、ひとつの歩調を持って、水から離れて乾いて行くという経路を辿っているのである。『渇水』して乾いて行くのであるから、息苦しくなってしまうのだ」と述べている。では、序詩と言える表題作の後、どう「渇水」していくかを見てみよう。

詩集の始めの方は釣りのことを書いた詩が多い。中村登は子供の頃から河で釣りを楽しんでいたようだ。「切りつめズボン少年の夏は河口へ」は、少年時の作者と思われる人物が自転車を河口へ走らせるが、河口は赤潮に満ちていてお目当てのハゼは釣れず、また自転車に乗って引き返すという詩である。

 

空0飛白肩手ぬぐい貼り当て軒先に立つのを
空0ひしゃく振り祖父が
空0水打散らす
空0ボクら弟前に押し
空0コジキコジキ囃子
空0イッチャンニット黄歯頬かぶり笑い
空0コウチキローサンのバケツブリキに
空0味噌ムスビころげころげ
空0“稲が燃えるぞ アッハッハー
空白梨が燃えるぞ アッハッハー“

 

少年時代の作者は近所の人たちと親しくつきあっていたことがうかがえる。釣りはそれをすること自体楽しいが、社交の場としても機能していたようだ。同年代のイッチャン、大人のコウチキローサン、祖父も近所に住んでいる。そしてみんな一緒に釣りを楽しんでいた。中村登が少年時代を過ごした1960年代の埼玉の農村では、関係の密な地域共同体が生きていたのだろう。ゲームセンターもなく映画館もない、そんな中で、釣りは地域のみんなを結びつける貴重な娯楽だったのではないかと思われる。
釣りは潤いのある共同体を映し出す鏡のような存在だったが、中村登が成人する頃には様子が変わってくる

 

空0あぎとに突然
空0一条の水が突き刺さった
空0喉を引かれるままに
空0膜を破り見た
空0俺のような死体が
空0草のなかで
空0乾いた鱗が反りかえっていた
空白空白空白空白「魚族」より

 

空0青草を敷いて
空0闇に竿先を見つめる
空0失職の夜は
空0針ほどの目に暗くて
空0頼りたかった
空0河を渡る電車の窓光
空0旋回する飛行機の尾灯や建物の明りが
空0赤い腫れもののように
空0浮きあがる
空白空白空白空白「夜釣りの唄」より

 

釣りはみんなでわいわい楽しむものから一人でするものに変わっている。ここでの釣りは、「乾いた」自分を見つめる、孤独との対峙の場である。埼玉の農村も郊外の波が押し寄せてきたのだろうか。

 

空0逃げてゆく
空0逃げてゆこうとする魚が私を
空0引っ張る
空0たまらず竿を立てる
空0一日中釣りのことで毎日を過ごしたい
空白空白空白空白「釣魚迷(つりきちがい)」より

 

ここでの作者は、「切りつめズボン少年」だった頃とは全くの別人になっている。周囲との関係を絶って、逃げてゆくものをひとすら追いかける、という行為の中に自分を閉ざしているのである。

作者は結婚し、家族を持つが、そこでも安らぐことはできない。

 

空0娘が陽を溜めた
空0赤茶が
空0トウモロコシは泡の中
空0からんでる
空0私だけが浮き上がる
空0ドラム缶に転げる
空0200㎏に軋んだ
空0工場の爪は
空0髪にすすがれ
空0鮮やかになる隙間で
空0浴場
空0と限り掴む
空白空白空白空白「湯上りに娘の耳を」より

 

作者は風呂からあがって幼い娘に優しく向き合うが、工場での無機的な労働の記憶が消えず、自分が周囲から浮き上がっているように感じてしまう。

 

空0ムカデが妻を誘っていた
空0子供らが傍で関節を折っていた
空0男の子の手にハシが突き刺さっていた
空0女の子の胸にキキがララと笑っていた
空0妻は息を殺して這っていた
空0全足が喚起する苦しげな腹でムカデは
空0妻を包み込むように身をよじった
空白空白空白空白「妻の病」より

 

家の中にムカデが這い出て緊張が走る光景と妻との性行為がダブルイメージで描かれている。駆除すべき虫が、夫である自分に成り代わって、妻と交合する。最も親密なエロスの場からも爪はじきされた気分なのだ。或いは、夫であり父である自分が、家族によって駆除される存在のように感じられてしまうのか。

この状況は、テレビがまだ普及しきれていない時代のことを書いた「夜の荷台」という詩と好対照をなす。「(町の最初のテレビが八時になろうとしていた。昼のうち道路の砂利を新しくしていた父が慌てて夕飯を喰う)」という前ふりで始まるこの詩は、

 

空0頭の上にうなっている
空0時間ではなくいつも蠅が(トオサン百姓)
空0季節が首を吊ったまま(ボク子供のノブ)
空0目の裏に鮮やかな
空0呼び戻す胃で
空0上等兵が杓文字で殴る
空白空白(頬につくわずかな飯粒がうれしかっ
空白空白空0たってトウサンが言うのを聞いたし、菊と宝刀
空白空白空0があるとも、その腰)

 

父と子が一体となって町に一台しかないテレビにかぶりついている様子が描かれている。父は農作業の傍らに土木工事に従事し、家族を養っていたようだ。父は戦争の記憶が鮮烈であり、その記憶は戦争を舞台としたドラマを通じて子に継がれている。釣りと同じくテレビも皆で楽しむものだった。親子の間で記憶の断絶はない。
しかし、農業で食べられていた時代はどうやら父の代までで、作者が成人する頃には農業が衰退してしまったのだろう、作者は工場で働く他なくなる。

 

空0赤い顔料が渦巻く
空0言葉を熱く頭にめぐらす粒子が
空0こすれて発熱する
空0熱を溜める体に
空0顔料が流動する工場は
空0言葉が言葉をもっている言葉は連れて行く
空白空白空白空白「熱い継ぎ目」より

 

単調な作業の繰り返しの中で、人との接触を絶たれて行き場を失った言葉が、独り言のように頭の中で生まれては消えていく。労働疎外とは、こうした感覚が麻痺した状態を指すのであろう。

次に全文引用する「防爆構造」は、本詩集で最も完成度の高い作品と思われるが、当時の作者の切迫した心情を描いている。

 

空0工場の朝へ
空0足が溜る
空0吹き出す
空0口を
空0防爆に
空0モーターの
空0螺子込み垂れ籠み
空0きっちりと
空0火花を摘んである
空0時折り 爪が
空0蓋に咬まれつぶれる
空0死血が溜る
空0排卵の月は筋めく股
空0妻かって?
空0餅切り
空0くっつかないように
空0片栗粉まぶし
空0餡子も熱いうち金時と
空0塞いでしまう
空0伝説の四天王では詰まらない
空0容器をまちがえたか
空0詰め物がちがうか
空0凝ってくる
空0影に引かれて
空0蝙蝠
空0こんもり夜が
空0帰ってきた玄関で腰に
空0警棒が
空0たかっている
空0腐りものを探しているのだ
空0発酵寸前の
空0いい匂いがするのだ
空0チューブ巻きあげ
空0ハンバーグがにょっきり出たりするので
空0肛門開きのぞき込む
空0台帳のナカムラさんですか
空0と丁寧に念入りな箪笥抽斗押入鴨居
空0やがて
空0性交の数まで根堀り葉堀り長さ太さに穴の深さを
空0手帳する
空0それではアレもあるだろう
空0もちろんアレもあります
空0まだぬくといアレだぞ
空0ハイハイそうです
空0ぶっくりふくれる
空0子宮です

 

ねじめ正一はこの詩に対し、「防爆構造とは、一つ間違えば爆発する構造に他ならない。いや、もっと言えば爆発が不可避だからこそ防爆構造なのである」と述べている。まさにその通りだろう。勤務先で監視されながらふらふらになるまで酷使され疲弊した作者は、家に帰っても「監視されている」という感覚が消えない。夫婦の営みとその結果としての妻の妊娠は、普通なら潤いに満ちた愛を示すが、そうした最も親密な行為さえも「監視されている」という感覚を伴ってしまう。性行為は体を重ねて求めあう濃密な行為だが、唐突に出てくる「ハンバーグ」という言葉は、そこから愛する者同士のコミュニケーションという本質的な要素を抜き去って、行為の物理的な生々しさだけを強調する。「警棒」が家庭内に侵入し、行為から意味を除去し、即物的に記録していくのだ。その不快さに対し、我慢に我慢を重ねている、それが「防爆構造」なのである。
「防爆構造」を抱え込んだ意識は

 

空0私は思うこともなく煙草に火をつけていると
空0扉の把手の金属の内側に
空0閉じこもってしまいたい でも
空0閉じこめられてしまえば
空0出たいと思う
空白空白空白空白「便所に夕陽が射す」より

 

のように、自分が何をしたいのかわからない、ふらふらした「モノ」のような様態となる。このふらふらと行先の定まらない意識は、様々な奇怪な幻想を紡ぎ出すようになる。

 

空0あぶな坂の夕陽の辺りに
空0乳首が上下している
空0髪をすきにくるあなたは
空0南風に
空0ケガをしたのですか?カアサン
空0妻の股から今し方あなたの
空0首が降りて来ました
空0その首を吊り下げて
空0坂の中腹にさしかかると
空0飛んで刺しにくる 初めは
空0アルコールでスッと拭きました
 空白空白空白空白「私の声が聞こえますか」より

 

空0壁を剥ぐ
空0妻の股には傷口が深くえぐられ赤い内面に
空0血液がしたたる
空0倒れた妻を抱き血液をなめいとおしむ脳の
空0空地に土砂降りの雨が溢れ
空0沼をかきむしるその手に
空0缶カラッ、看板、破けた
空白空白空白空白「夜の空地」より

詩集の後半では、性的なモチーフから、非現実的で不気味なイメージを引き出す局面がたびたび出てくる。妻は魔女のように極端にモノ化されて表現される。こうした対象のモノ化は、生活に疲れ切って荒んだ作者自身の意識の表出であろう。

 

空0妻と子供らが帰ってこない
空0熱い夜は窓を開けて寝る
空0風のなかではぴらぴらと少しも
空0位置がはっきりしないそれが
空0家庭の本質、とつい絵の中のコウモリが
空0監獄の天窓めがけて飛び立つ夢を描く
空0夢が描けない俺は
空0未決の留置場で朝ごとにバスが来る
空0なんでも吐いてしまいな
空0と言われても
空0ただの酔っぱらいの俺に何が吐ける?
空白空白空白空白「風に眠る」より

 

妻が子供を連れて実家に帰ったのだろう。もしかしたら夫婦の間で何か揉め事があったのかもしれない。作者は深酒し、家庭というものについて改めて考えるが、答えを出せないまま吐き気に苦しむ。架けてある絵にはコウモリが描かれており、それは空想の中で、こともあろうに「監獄の天窓」に向かって飛ぶ。しかも作者は監獄に入るという、どん底ではあるが決然とした運命には行き着かず、「留置場」という中途半端な場所で生殺しに近い状態に置かれる。吐きたくても吐けない、という状況設定に作者の心境が窺える。

 

空0妻と行く先々の話を
空0今から話した
空0子供は六歳の雪江と三歳の秋則で私は妻より
空0二年遅れて死ぬ
空0死ぬ日から数えて
空0今はいつなのか
空白空白空白空白「大嵐のあった晩」より

 
 
この詩を書いた時中村登は30歳になっていないのだ。まだ若い作者がこんなことを思いつくのは、未来に希望を見い出せないからではないか。かけがえのない生きる時間というものも、一種の「モノ」として捉えている。土から引き剥がされ水から引き剥がされ、それでも一家の大黒柱として、家族を養うために過酷な労働に従事することをやめられない。その苦い認識が作者を人生の行き止まり地点に連れていくのだろう。

 

空0粗方の荷物は昼のうちになかに運び込んだ
空0傷つくのを気づかってくれた
空0大きなものは重い重いと言いながらも
空0置き場が見えていた
空0タンスとか冷蔵庫とか父とか母とかは
空0弟や義兄が手伝って家に帰った後夜になった
空白空白空白空白「引っ越した後で」より

 

「タンス」「冷蔵庫」と、「父」「母」が、「モノ」として同じ比重で扱われている。「切りつめズボン少年の夏は河口へ」で描かれた暖かな人間関係と何と異なることか。作者は、家族を、淡々とした筆致でもって、とことん突き放して描いている。心を故意に、虚ろで鈍感な状態にしているように見える。
その虚ろな心的状態は「漏水」という詩で端的に描かれる。

 

空0目が割れている 何処の
空0家庭の蛇口も深夜には
空0閉じられる
空0水圧があがる 見えないが
空0内部が磨滅しているのだろう 隙間から
空0水がもれている

空0私に隠して
空0感情の接点をむすんでいる
空0妻の背中で
空0漏れた水が流れ込む その底に
空0闇水が眠っている

 

「防爆構造」の緩みを、蛇口から水が漏れる場面に即し、外側から内側から、精密に描出していく。目に見えないところで、摩耗し、漏れていくものがある。それは確かに感じられる。しかし、何が摩耗し何が漏れるのか、作者自身にもはっきりと説明することができない。はっきり説明できないもどかしさと不安を、詩の言葉でなら克明に表現できる。中村登を詩に向かわしめる動機は、ここにある。

社会的な面で、中村登の詩を巡るポイントは二つあると思う。一つは都市化・郊外化の流れで、住民の関係が密な村落共同体が壊れていき、個人がバラバラな状態に向かっていったということ。釣りは、みんなでわいわい楽しむのが常であったが、それが孤独を見つめる行為と変化した。テレビも同様である。少年時代が幸福であっただけに、その変化はひとしお不自然なものに感じられたであろう。郊外化を推し進めたのは、高度成長の副作用と言える農業の衰退であり、若者は土を離れて工業に従事せざるを得ない状態となった。働く者の判断で仕事を進めることのできた農業と違い、工場では労働を徹底的に管理され、人間性を剥ぎ取られたような扱いを受ける。労働に対する疎外の感覚が生まれるということだ。
もう一つはジェンダーの問題である。中村登は20代で結婚し、父親となった。保守的な地域において、男性が家庭を持つということは、家の長として家族を養う責務を追うということになる。性的役割分担制は、しばしば女性の自由と権利を侵害するが、男性の場合でもそうである。どんなに辛くとも対面を保つために金を稼ぎ続けなければならない。都市化のために、自分の裁量で事を進められる自営的な仕事が立ち行かなくなり、資本によって雇用され稼ぐしかなくなった時、人間性を侵す残酷な扱いを甘受しなければならない。しかも、形の上で女性を支配する側として立つ男性の場合、その辛さを口に出すことは世間的に許されないのである。男性の過労死・自殺が多いのはそうした理由によることが多い。
その点で言えば、中村登の詩は、「女性詩」として括られていた同時代の詩との親和性が高いように思うのである。

 

空0あんたがもってきた時計のおかげであたしは
空0キャベツの千切りの速度が決められた
空0その気づくはずがなかった慣習という
空0単純な不幸のために
空0あたしはあんた好みに重くなっていく
空0寝ているあたしを隅においやり
空0家具と並べてながめ
空0なじめていない丸い部分を削りとる
空白空白空白空白白石公子「家庭」より

 

空0穴であると感じた
空0私は、自分を穴でしかないと感じた
空0そういうふうに私が抱く特権が
空0今のあなたには与えられているということか
空0ただし、穴には感情がない
空0私はどうでもよくなった
空白空白空白空白榊原淳子「飼い殺し2」より

 

この二人の詩人は、女性として受けた抑圧を、赤裸々にうたいあげている。心の抑鬱を、自らの性や身体の在り方に即して、読者に直接語りかけていくのだ。その語りの激しさに心を打たれないではいられない。常に個人の身体感覚を基点に言葉を繰り出す点において、中村登の詩は二人の女性の詩人の詩と酷似している。「女性詩」とは、女性が書いた詩のことなどではなく、女性の書き手が多いことはあったにしても、固有の性と身体から出発し常にそこを基調とする詩を指すのではないだろうか。であれば、中村登の詩も「女性詩」の範疇に入るように思うのである。
但し、白石公子、榊原淳子という二人の詩人がどちらも、被抑圧者として抑圧者を「告発する」という姿勢を露わにしているのに対し、中村登の方は姿勢がすっきりせず、もごもご内向している感じである。この「もごもご感」は、家父長として「抑圧する側」に立たされているために、「告発」という形を取れないために表れる。男性のジェンダーを語ることの困難がここにある。そして中村登は、このすっきりしないもごもごした様態を、詩の言葉でもってできる限り正確に伝えようと、苦闘していると言える。

「閉じこもってしまいたい でも/閉じこめられてしまえば/出たいと思う」という詩句には中村登の詩の特質が凝縮して表れている。こういう苦しさがあるのでこうしたい、と事態を打開する道を模索するのでなく、打開の道などないと諦観した上で、閉じこもったり出たり、ふらふらしている。その逡巡ぶりは一人の男性が生きて苦しんでいる時間の伸縮そのものであり、詩を読み始めたばかりの私はそこに惹かれて夢中になったのだった。

 

 

 

井手綾香の選曲によるメッセージ?

 

長尾高弘

 
 

去年(2020年)の春先に人に教わって井手綾香というシンガーソングライターのことを知った。私も00年代にはそれなりにJ-POPも聞いていて、当時まだ潰れていなかった地元のCDショップでMONGOL800の『Message』を買い(沖縄のインディーズのCDが横浜で買えたのだからいい時代だった)、BUMP OF CHICKENの「天体観測」の歌詞をとても気に入っていた(CDどこ行っちゃったんだろう?)。女性シンガーでは椎名林檎、鬼束ちひろ、CoccoのCDを買っていて、最終的にはCoccoに落ち着いた(最近になって、「練炭自殺する人は最初に椎名林檎を聴き、次にCoccoを聴いて、最後に鬼束ちひろの曲を聴いてから死ぬ」などと言われていたことを知って驚いた)。しかし、00年代終わり頃から翻訳仕事のBGMはすっかりクラシックに落ち着いてしまい(耳から歌詞が入ってくると仕事にならないのだ)、新しいJ-POPはテレビなどでたまたま耳にしたものしか知らなくなってしまった。安倍政権になった頃あたりから、テレビの歌番組はどんどん縮小され、出演者もジャニーズとAKB、坂道が半分以上を占めるようになったので、J-POPはごく一部しか耳に入らなくなっていたようだ。

で、井手綾香に話を戻すと、最初からすごいと思ったわけではなかった。CDを出しているビクターエンターテインメントによる公式ユーチューブチャンネル(https://www.youtube.com/channel/UCQ3rWvbZThf0ihnRnHP0oug)でPV(プロモーションビデオ)をいくつか見て、たしかに聞き覚えがある曲があることはわかったものの、そのときは特にそれ以上の興味はわかなかった。それからしばらくの間、井手綾香というアーティストのことはすっかり忘れていた。

そうこうするうちに新型コロナが世界的な大問題になり、日本でも緊急事態宣言が出されて、街からすっかり人が消えた。ライブスポットはコロナのクラスター発生源と見なされ、ミュージシャンには辛い日々が始まった。井手が3月に予定していた3人ライブも延期になったらしい。そのような時期に、最初に井手のことを教えてくれた人から、彼女が新しいホームページとユーチューブチャンネルを作ったという話を聞き、ちょっと覗きに行った。ライブ活動の場を失ったミュージシャンたちがインターネット経由で無観客のライブ演奏を聞かせる配信ライブというのを始めたことが話題になり始めた頃だ。ホームページによると、活動名をひらがな表記の「いであやか」から本名の「井手綾香」に変えたらしい。デビューしたときには「井手綾香」だったが、途中で「いであやか」になり、今回また戻ったということだそうだ。先ほどのユーチューブチャンネルが「いであやか」のチャンネルであるのに対し、新しい方は「井手綾香」のチャンネルである(https://www.youtube.com/channel/UCGbgXnr75_H-_24WTRaJxJw)。

開設したばかりだからなのだろう、見られる動画は数本しかなかった。どれも自作曲ではなく、内外の有名楽曲を歌い直すいわゆるカバーだった。しかし、その歌を聞いて本当にびっくりした。とてつもなくうまいのである。たとえば、宇多田ヒカルの「Automatic」が元の曲とはまったく別の曲のように聞こえる(https://www.youtube.com/watch?v=pvlVoEh0Lk4)。他の曲も、ユーチューブで検索すればオリジナルのアーティストの演奏が聞けるが、どれも自分の解釈で自分の曲にしていることがわかる。

そもそも、日本のポップスのボーカリストは、CDで聴いてよいと思っても、テレビの生放送などで歌っているところを聞くと、なんでこんなに音を外すんだろうと思わされることが多い。CDにしたり配信販売したりする音源の製作では、何度も録音して音が外れていないよい部分を絶妙な編集作業でつないでいって上手な演奏に仕立て上げるという話を聞く。歌が下手なことで有名だったが人気絶頂でセールスも好調なアイドルグループのCDでも、たしかにあまり音が外れているようには聞こえなかった。つまり、CD、配信、ラジオ、店で流れている有線放送などでは歌の上手下手があまりわからないのである。そういうところで人気をつかんだ歌い手だけがテレビに出てきて、音を外しても素知らぬ顔で歌を歌い、ファンも素知らぬ顔をして声援を送る。本当に歌のうまいアーティストには気の毒なシステムだ。

自分が音痴なものだから、外していないところでも外していると思っているようなところがあるのかもしれないが、アメリカのボーカリストがライブで歌っているところなどを見るとたいていは本当にうまいもので(外さないだけでなく、声にパンチがあり、説得力がある)、日本の市場全体のレベルの低さを感じてしまう。井手の歌は、アメリカの多くのボーカリストをはるかに越えると言えるかどうかまではわからないが、少なくとも日本の多くのボーカリストをはるかに凌駕するレベルだと感じた。ただ外さないというだけでなく、発声に無理がなく(無理な発声だと聴いている方も疲れてくるような気がする)、声に透明感があり(特に高音の裏声が美しい)、歌の感情に合わせて声の表情を変えてくる。だからこそ、独自の解釈と感じられるのだと思う。

そういうわけで、初めて知ってから3、4か月後、私のなかで井手綾香はまずシンガーとして気になる存在になった。なにしろ、音源として作られた音に絵を被せているPVよりも、自室で絵と音をぱっと同時に撮った動画の方が歌としてすっと入ってきたのだ。なかなかあることではない。ユーチューブ井手綾香チャンネルのカバー曲の動画は何度も繰り返し見た。最初のうちはひんぱんに更新されていたが、5月半ばで新しいカバー曲の動画はしばらく追加されなくなった。代わってインテリアアートの動画が2つ追加されたので、それらも見た。特に2本目は、絵を製作するところを早回しで見せているのだが、迷いなくすすっと進む鉛筆が見事な線を描いていくことに驚いた。ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%84%E3%81%8B)を見て、高校は芸術学科で絵を学んでいたことを知り、なるほどと思った。絵に舌を巻きはしたが、見たいのはやはり歌っている動画である。7月に1本追加されたが、またしばらく更新が止まった。

そうこうするうちに夏は過ぎていった。そして、9月に入ったところで新しい方のユーチューブチャンネルに新しい動画(https://www.youtube.com/watch?v=bhNb-b2F_Pg)が追加された。今度のものはカバーではなく、自室での自撮りでもない。バンドを従えた無観客配信ライブで音源になっていない自作曲を歌ったものである。タイトルは「チキン南蛮のうた」。井手の地元である宮崎のことを宮崎弁で軽く自虐しながら(知らなかったがチキン南蛮は宮崎名物らしい)、むしろ宮崎の人が喜びそうな内容の歌にしている。クスッという笑いはあるが、決してコミックソングではなく、ノリのよいポップな曲だ。曲の〆で井手がふらついて「こけるとこやった」と言うところまで入っているのだが、そのイントネーションはおそらく宮崎弁のものなのだろう。ひょっとすると、そのイントネーションが曲にも生かされてるのかもしれない。

驚いたのは、ビクターのユーチューブに入っている数々の曲とはテイストがまったく違っていたことだ。たいがいのアーティストにはその人のカラーというものがあって、同じような感じの曲を量産していく。カラーがまったくないのも個性がないということで問題なのかもしれないが、同じパターンではだんだん縮小再生産になってしまう。私には曲を作るというところがもう想像を絶する謎の作業なのだが、そういう私でも井手には普通のアーティストよりも作曲の引き出しがたくさんありそうだと思った。かくして、井手綾香はソングライターとしても気になる存在になった。

彼女が作った曲について知りたければ、やはりCDを買うということになる。ウィキペディアによると、フルアルバムは『atelier』(2012年)、『ワタシプラス』(2014年)、『A.I. ayaka ide』(2017年)の3枚があるらしい。大人買いではなく、古いものから2週間置きに1枚ずつ買ってじっくり聴くことにした。それも今まで買ったことのない初回限定DVD付きというやつである。最初のPVの印象が薄かったのに対し、ライブを見てこの人はすごいと思ったので、DVDにライブ映像が入っていることを期待したのである。『atelier』のDVDはすべてPVだったが(それまでに発売されたシングルやミニアルバムのために作られているものも含まれているらしく、アレンジが違う曲もあるということにはあとで気づいた)、『ワタシプラス』には『atelier』発売時の全国ツアーのライブ映像、『A.I. ayaka ide』には、PVのほかにピアノ(井手本人が弾いている)とチェロをバックに歌うアコースティックなスタジオライブが入っていた。井手の歌唱の魅力を存分に味わえる後者には特に満足した。その後、アマゾンでメジャーデビュー前の『Toy』というインディーズ盤も中古で入手できることがわかって買った。

これでばっちりだと思っていたところ、偶然スポティファイ(Spotify)というネットの音楽配信サービスがあることを知った。無料と有料の2種類の契約があり、無料サービスだとあれこれ制限があるが、CDや配信でメジャーレーベルから公式にリリースされた曲ならすべて、無料サービスでもフルコーラスで聞ける。このスポティファイで井手綾香といであやかのページを見ると、ミニアルバムやシングルに入っているのにフルアルバムには入っていない曲がけっこうあることがわかった。最初は無料サービスの制限のことをよく知らず、買ったCDで聞けるものを含めてPCアプリでいろいろな曲を聴きまくっていたら、あっという間に1か月間に自由に聴ける曲数の上限に達してPCでは何も聴けなくなった。それでもスマホのアプリではプレイリストに登録した曲を聞けるので、プレイリストを作り、ブルートゥースでスマホをカーオーディオにつないで聴いていた。ただし、無料サービスのスマホアプリでは曲順を指定できないので、聴きたい曲をすぐに聴くことはできない。そういう制約はあったが、リリースされた大半の曲は聴けるようになった。スポティファイにはなぜか最初のミニアルバムである『Portrait』(2011年)が入っていなかったので、しばらくしてそれを買ったらCDか配信でリリースされた曲は全部聞けるようになった。次のミニアルバム『Portfolio』(2011年)はスポティファイで聞けるけれどもそれも買った。

シンガーソングライターには、歌唱と作曲と作詞の3つの要素がある。もちろん、それらがひとつにまとまってシンガーソングライターのパフォーマンスになるわけだから、バラバラに切り離してあれこれあげつらうのは無粋というものかもしれない。しかし、今まで書いてきたように、私はまず井手の歌唱に引き込まれ、あれ、曲もいいぞと思うようになってきたところだった。CDを買うと歌詞カードが入っている。そこで、必然的に歌詞もちょっと見てみようかということになる。

私が普段接している現代詩は曲がつくことを想定していないが、歌詞は曲がつくことが前提となっており、その分制約があると考えられる。ポップミュージックには、おおよそAメロ、Bメロ、サビという3種類のメロディが入り、Aメロが起承転結の起でBメロが承、Bメロの最後に転を感じさせる小節が入って、サビで結というか、一番の思い(叙情の情の部分)をどんと打ち出すという形があるようだ。このAメロ、Bメロ、サビをだいたい2回は繰り返す。ただの繰り返しではなく、Aメロ、Bメロの繰り返し方を加減したり、順番を変えたり(たとえば、最初にサビを持ってくることもある)、一部を省略したりすることが多いが、その繰り返しの部分では、同じ歌詞を繰り返したり、少し変えたものにしたりすることが多い。字数は短歌や俳句などと比べれば自由だが、曲につける以上、曲がつかない自由詩と比べれば自由ではない。だいたい、ひとつの曲はせいぜい5、6分までなのだから、だらだらと長い歌詞を作るわけにはいかない。そういう意味で、歌詞には定型詩的な部分があるはずで、そのような部分が歌詞の作りや発想にも影響を与えていると思う。

さらに、曲を聴いて楽しむ側は、一般に歌詞の全貌には触れない。CMなどで曲が使われる場合、サビのそのまた一部ぐらいしか流れないわけで、歌詞の全体像などとてもわからない。ドラマの主題歌になればもう少し長く使われるが、2番以降の部分が省略されることが大半だ。テレビの音楽番組などでワンコーラス分、あるいはフルコーラスで聞ける場合でも、かならずよく聞き取れない部分が出てくる。むしろ、インパクトの強いワンフレーズを入れられるかどうかが勝負のような感じもする。しかし、カラオケで歌おうという人は(私はカラオケは大嫌いで、やむなく行ってもできる限り歌わずに済ませようとするけど)歌詞をなめるように読むはずであり、そうでなくてもCDには歌詞カードも付けるわけで、全体としての完成度もおざなりにはできないだろう。

一応素人なりにそのような考えの枠組みを準備して、曲を聴きながら歌詞を聞き取ろうとしたり、歌詞カードを読んだりしてみた。最初に買った『atelier』を聴いていると、曲の境界を越えて、夢を実現するために頑張るというメッセージが入ってくる。自分を曲げないという意思の強さや容易に自分の思い通りにはならない現実の厳しさを感じていることも伝わってくる。恋愛や失恋の曲は意外と少ない。かつて好んで聴いていた生きづらさを前面に出したアーティストたちとはまったく違うが、まっすぐな気持ちが伝わってきてよいと思った。

最初はそれだけで満足していた。失礼ながら、それ以上のものを期待していたわけではなかった。ところが、ある日『ワタシプラス』に入っている「青いバス」(https://www.uta-net.com/song/161777/)という曲を聴いていて、おやと思った。冒頭のAメロは「今日も」という言葉でいつもと同じということを強調している一方で、次のフレーズでは「珍しく優しい」といつもよりよい方に違うということを言っている。さてはいつもとは違う何か(たぶん、嫌なこと)があったなということをここで予告しているようだ。果たしてサビの後半で彼氏が出ていったという種明かしがある。そういえば、Bメロでは運転手の優しさに続いて、ちょっとよいこと(とてつもなくよいことではなく、ほんのちょっとよいこと)を強調していたなということが思い出され、サビの冒頭で「幸せだらけ」とちょっとやけっぱちな言い方をしていることも思い出される。強がりを言っているけれどもへこんでいることがよくわかる。それでもなんとか自分を保とうとしているところに好感が持てる。そして、この歌詞を乗せている曲が能天気というぐらいに明るいのだ(https://www.youtube.com/watch?v=KjmZFgpiFyQ)。

先ほど、歌詞の世界ではインパクトの強いワンフレーズが勝負になっているのではないかと言ったが、「青いバス」の歌詞に感じるのは作りのよさだ。小さな部品がうまく噛み合わさって全体として大きな効果を上げているように感じる。ただ、ぼんやり聞いていたら、そういう作りになっていることがわからないのがちょっと不利なのかなとも思う(実際、私はぼんやり聞いていたので、何度か聞くまでこの曲の歌詞の構造に気づかなかった)。

そのうち、そのような歌詞の作りのよさを感じる曲がほかにもあることに気づいた。たとえば、『atelier』に入っている「ひだり手」(https://www.uta-net.com/song/128721/)だ。これもうっかりしていて最初は「抱き締めて」、「キスをして」と言っている相手を恋人だと思っていたが、『ワタシプラス』のDVDに収められているライブでトロンボーン奏者でもある「アメリカのおじいさん」だということを知った(「ひだり手」のトロンボーンはこの祖父、井手の母の父であるビル・ワトラスが吹いており、PVでは井手がビルの肖像画を描いている。PVの一部はユーチューブいであやかチャンネルに入っている。https://www.youtube.com/watch?v=rDJK9yaVwaQ)。確かに歌詞をじっくり読めば、愛の形が恋人のものではなく、家族のものだということがわかる。

この曲の歌詞でまずうまいなと思ったのは、冒頭のAメロで「あの雨を降らせた 大きな雨雲は/遠い空に浮かんでる」と言っているところだ。ここで「雨」はすでに過去の話になっており、「遠い空」ということから無害で小さなものになっていることがわかる。危険はもう終わっているということで聞いている側としてはほっとするし、あとの部分で語られる「愛」が単なる約束ではなく、実際に注いでくれたものだということがはっきりする。その分、愛は確かで強く大きいものとして受け取られるのだ。歌詞は「何気ない言葉ひとつで/晴れてゆく 涙の粒/手のひらには愛が見える」と続いており、「雨」は涙の原因、または涙そのものを指す比喩だとわかる。祖父は何気ない言葉をかけ、手を差し出してくれた。その愛で苦しさから救われる。こうやって散文化して書くと味気ないが、歌詞は限られた数の言葉でこれだけの情報をしっかり伝えてくる。

1番のサビが終わると、2番のAメロ、「あの日私はまだ 背伸びした子供で…」が続く。1番で「遠い空」という空間的な距離があることを示したのに対し、今度は時間的な距離があることを示していて、さらに雨が遠ざかる。1番では「雨」は比喩として描かれていたが、2番では傘や濡れた肩の具体的な描写をしている。大きな祖父に守られている小さな孫娘のイメージがくっきりと見えてくる。しかし、1番で「雨」が比喩的なものとして扱われているので、この雨から孫娘を守る祖父のイメージは、愛のひとつの形として比喩的に受け取られる。1回雨から守ってくれたというだけではなく、さまざまな形で守ってくれたことが何度もあったという広がりが出てくるのだ。

片思いしている彼のいるところに出かけたけれども、何もなくひとりで帰ってくるという『ワタシプラス』の「ストール」(https://www.uta-net.com/song/161781/https://www.youtube.com/watch?v=mdHUS5H6Uh8)も作りがしっかりしていると思う。「君」のためにいろいろ揃えたけれどもストールが足りないという一見単純な歌詞だが(「ストールが足りない」の部分がサビになっていて強く押し出されてくるので、この作りが非常にはっきりわかる)、「ストール」がなければ首筋が寒いわけで、寒々とした気持ちだということが伝わってくるし、それは最後に出てくるように「君」が足りないということでもあるだろうが、自分には愛されるために必要な何かがどうにも足りないと感じているのではないかとも想像させられる。そして、「春の匂いはまだしない」などと言って、季節の上でもまだ恋愛に届いていないことを暗示している(「夜風は冷たい」とか「白い溜め息」といった言葉も冬を強調している)。たまたま冬にそういうことがあったと解釈するよりも、季節も動員して恋がうまくいかないことが強く伝わるように作り込んでいると解釈する方が自然だろう。

ネットに残っているメジャーデビューから数か月後のインタビュー(https://natalie.mu/music/pp/ideayaka/page/1)に面白い発言がある。歌詞を言葉の響きとして捉えていたので、初めて書いた歌詞はひどい内容だった、今(2011年現在)でも歌詞は苦戦しているというのだ。これについては、メジャーデビュー前のインディーズアルバム(と言っても、製造販売はメジャーデビュー時と同じビクターである)『Toy』の各曲の歌詞に手がかりがある。『Toy』には、ビートルズの「Let It Be」のカバーのほか、オリジナル曲として「愛をつなごう」、「まっすぐに」、「あのね」、「ありがとう」の4曲が収録されているが、これらはメジャーデビュー後のミニアルバム『Portrait』と『Portfolio』にも収録され(それぞれに2曲ずつという形で)、「あのね」と「愛をつなごう」はフルアルバムの『atelier』にも収録されている。これらのCDを買ってしばらくたってから気づいたのだが、吉田珠奈との合作とクレジットされている「ありがとう」以外の3曲の作詞者は井手綾香単独から井手綾香、MIZUEの共作になっている。

そして、どれも歌詞の内容が大幅に変わっている。「あのね」(https://www.uta-net.com/song/108172/)はストーリーが大きく変わった。オリジナルでは、1番(AメロふたつとBメロ、サビ)から2番のAメロ、Bメロ、サビ1までは主語が「ぼく」であり、おそらく男の子だと思われる。それに対し、2番のサビ2は主語が「私」であり、こちらは男の子の思いを聞いた女の子だと思われる。最後の〆の部分はふたりのうちのどちらとも取れるし、両方だとしてもよいのかもしれない。1番では仲直りしようとして苦しむ男の子の姿が描かれるが、2番では一転して「いつのまにか笑いあってい」る。リアルではある(現実の生活はそんなもんだろう)が、ここでちょっと話が白ける感じになるのは否めない。しかも、終わった話をまた蒸し返して「思い出となって」「隠れている」「あの日の思い」を打ち明け、互いに相手を「my best friend」と認め合うというのだから、ちょっと盛り上がりに欠ける(不和になる前には少なくとも淡い恋愛の予感ぐらいはあるが、ここで「my best friend」と言うことによって恋愛の芽は完全になくなっているように思う)。

改作後は、1番と2番の間に時間的距離はない。最初に出てきた手紙を書くに至った気持ちを縷縷述べている。主語は一切出てこないので、この思いの主が男の子か女の子かまったくわからないし、「手をつなぎたい」という部分もなくなっているので、相手が恋愛対象なのか単なる友だちなのかもわかりにくくなっている。不和の原因が書かれていないのは両作で同じだが、改作前の思いの主にはその原因がわかっているらしいのに対し、改作後は思いの主にも原因がわからず、その分困惑が強くなっている。また、その困惑の様子が「廊下に向かう君に/声かけることできずに」のように具体的に描かれているのではっきりとした印象が残る。そして、改作後の歌詞では、相手が許してくれるのかどうかわからないにもかかわらず、「どんな事があっても/君はMy Best Friend」と言い切って終わることにより、思いの主が困惑状態から1歩前に踏み出していることがはっきりし、高揚感がある。話を単純化し、描写を具体的にしている分、よくなっているし、最後の同じ「君はMy Best Friend」という歌詞が改作前とはまったく違う響きになって曲を締めている。

「愛をつなごう」(https://www.uta-net.com/song/116577/)は、1番の内容はほぼ同じままにしつつ、2番を大きく変えている。改作前の2番は「帰り道 離れていく youの背中を見て/ちょっと寂しいような oh ホッとするような」と始まることからもわかるように、1番から前進していない。しかも「本当の気持ち」を「言えてない」のだ。なのに改作後と同じように、「私」は「変われた」と言っている。それに対し、改作後の2番はひとりがふたりになって「モノトーンの世界を」「君と僕の色で」「塗ってみようよ」とさらに大きく前に踏み出す。美術科の高校に通う井手に合わせるかのように、絵の用語が入ってきたのも改作の特徴で、1番では「ひとりきりで」「未来」を「デッサンするように」「夢」を「描いてる」という内容になっている。「デッサン」のときはまだ「モノトーン」なのだ。

1番の内容はほぼ同じだと言ったが、表現は大きく変わっている。そもそも改作前の歌詞は、英語が多すぎる。「please do’t go行かないで」とか「I See分かってる」というのではまるで英単語帳のようだ。こういったものは取り除かれ、横文字はOhとyeahが散発的に入るだけになった。そして、日本語の歌詞では、まったく逆の言葉が使われている部分がある。「気づかれないように」が「いつか誰かに 気づかれたいのに」になり、「ぐちゃぐちゃな髪を直して」が「ぐちゃぐちゃな髪も気にしない」になっているのである。臆病な女の子がちょっと大胆でしっかりとした自我を持った子になっている。この改作も、歌詞を前向きで強いものに変えている。

先ほど引用したインタビューには、恋愛ものの歌詞は、自分にはあまり経験がないので、友人から聞いた話や他人の観察から作っているという箇所もある。あまり真に受けない方がよい発言かもしれないが、学校で教わる嘘ではない本当のことを書いた詩というのとはちょっと違って、歌詞は作りものだという意識が窺える(現代詩に関わる人間なら、みな評価するところだ。詩でも短歌、俳句でも歌詞でも作為なしで作れるわけがない)。「愛をつなごう」の改作の過程で歌詞をまったく反対の意味に変えていること(または変えることを受け入れていること)は、そういう意識とつながっているのではないかと思う。

このMIZUEという人が共作者としてどのように関わったのかはわからない。送られてきた歌詞にどんどん赤字を入れていったのか、それとも井手にヒントを与えて自分で答えを出させるようにしたのか。いずれにしても、井手が高校3年生だった2011年に出た2枚のミニアルバム、『Portrait』と『Portfolio』のオリジナル11曲は、井手が一躍注目されるきっかけとなった「雲の向こう」(413曲のなかからエスエス製薬ハイチオールCのCMに採用されて、この歌を歌っているのはどういう人なのかという問い合わせが殺到したという)を除き、全部MIZUEとの共作とクレジットされている。

2枚目のフルアルバムである『ワタシプラス』(2014年)でも、15曲中3曲にはMIZUEのクレジットがある。しかし、2012年、高校卒業とほぼ同時に発売された最初のフルアルバム『atelier』では、すでに13曲中10曲が井手単独の作詞となっており、共作3曲のうちの2曲は上記の「あのね」と「愛をつなごう」なので、わずか1年で作詞の方も独り立ちしたと考えてよいと思う。しかも、そのなかに先ほど取り上げた「ひだり手」も含まれている。2009年から2012年までのわずかな間に驚くほどの成長を遂げたと考えられる。先ほど、改作の特徴として単純化と具体的な描写を挙げたが、そういったテクニックもしっかりと身に着けているようだ。「ストール」は単純化のよい例だし、「青いバス」、「ひだり手」は具体的な描写のよい例である。さらに、「ストール」や「ひだり手」では、素材がただの素材としてそれだけの意味で閉じてしまうのではなく、自分に足りないものや自分を包み込んでくれる愛というもっと大きな意味を比喩的に表すようにまでなっている。

さて、「チキン南蛮のうた」を歌った8月末の配信ライブは、「週末のおと」(https://www.youtube.com/channel/UCn0xIgyGabsBYyVD5sA4_8w)という配信企画の第2回で、「チキン南蛮のうた」以外に「雲の向こう」、「さがしもの」、「飾らない愛」、キャロル・キングの「I feel the earth move」、「消えてなくなれ、夕暮れ」も歌っていた。配信ライブ自体は有料のイベントで、ユーチューブに無料で見られるダイジェストが掲載されているが(https://www.youtube.com/watch?v=YPdgMzrB0pI)、全曲が聴けるのはユーチューブ井手綾香チャンネルで公開されている「チキン南蛮のうた」だけで、ほかの曲はフルでは聴けない。聴けず仕舞いになってしまった。これは痛恨のミスできわめて残念なことだ。ユーチューブばかりチェックしていてはだめで、ツイッター(https://twitter.com/ide_ayaka)を見なければいけないということを学習した。

この学習のおかげで、10月始めの真空ホロウというユニットの無観客配信ライブにゲスト出演した動画(https://www.youtube.com/watch?v=InuRuEl7dtw)は、配信開始時には間に合わなかったもののしっかりチェックできた。これはユーチューブの真空ホロウチャンネルに掲載されているものなので、井手綾香チャンネルだけをチェックしているだけでは見逃すところだったのである。動画の冒頭でディズニー映画『アラジン』の「ホール・ニュー・ワールド」を歌っているが(ほかに3人のシンガーソングライターがゲスト出演しており、井出の出番はこれ以外では8分過ぎの全員で歌う曲しかない)、「おおぞら」という歌い出しのところで本当に空に飛び上がったかのような開放感がある。一時は毎朝かならず聴いていた。

そして、10月24、25日に「週末のおと」の第6、7回に出演することも知った。もっとも、これは第1回から第3回に出演したnikiie、井手綾香、立花綾香の3人が2回にまたがって出演するという形なので、それぞれが歌う曲数は少ない。そして、この第7回で「週末のおと」という企画は最終回ということだった。第2回のときに懲りているので、配信ライブのチケットを初めて買うことにした。歌舞伎は見に行くが、コンサートやライブに行ったことはほとんどないので、私にとっては何やら新鮮なことだった。と言っても、まず24日の分を見てから25日の分を買うかどうかを決めようというのだから優柔不断なことでもあった。24日は「ルーツのおと」と題し、影響を受けた他人の曲を歌う回(https://www.youtube.com/watch?v=yPTyGdBBnRY)で、悪くはなかったがもちろんそれだけでは物足りない。急いで25日のチケットも買った。

25日は「さいごのおと」でそれぞれが持ち歌を2曲ずつ歌った(https://www.youtube.com/watch?v=-lRDURKT8E0)。井手は『ワタシプラス』に入っている「消えてなくなれ、夕暮れ」(https://www.youtube.com/watch?v=FXucbDcWpPc)のほか、CDや配信の形ではリリースされておらず、ファンの間では幻の曲とされているらしい「マリーゴールド」を歌った。この曲はENEOSのオイルのCM曲として使われたものの、この日の井手が言ったところによると、CMで使われた部分しか録音されなかったという。今、「マリーゴールド」と言えば2018年リリースのあいみょんの曲が有名だが、これはそれとは別の井手が作詞作曲した曲で、CMは2014年に流されている。オイルとマリーゴールドがオレンジ色つながりになっているのはさすがだ。ただ、この日は声を張らない低音の部分がうまく出なかった感じに聞こえた。本人も納得がいかなかったのか、ユーチューブ井手綾香ページで公開されたのは「消えてなくなれ、夕暮れ」の方だった。「さいごのおと」は31日までアーカイブ(配信した内容そのものの記録。最初の配信のときはライブだったが、当然ながらアーカイブを見るときにはライブの録画を見ることになる)が残っていたので、毎日見た。

そして、「週末のおと」のアーカイブが消えてしまったのとほぼ同時に、「HEY! LOOK AT ME NOW!」(https://heylookatmenow.themedia.jp/)という新しい配信企画の第1回に井手がゲスト出演することが発表された(11月30日配信)。先ほど触れた真空ホロウの配信ライブにも参加していたみきなつみがホストで、ゲストとしてもうひとり果歩が出演するというものである。今度は迷わずチケットを買い、あとは11月30日を待つだけだと思っていたが、27日にユーチューブでライブ配信が行われたのを見損ねた。気づいたのは翌日だった。夜の7時頃に思いついて9時から始めたのだそうだ。もっとも、アーカイブ(https://www.youtube.com/watch?v=Ae8dOFipUlA)はあったので(本稿執筆時点も残っている)、生配信でチャットすることはできなかったが(まあ、間に合ってもそんなことはしなかっただろうけど。ちなみに、チャットの内容もアーカイブに残っている)何が配信されたのかはわかった。30日のライブの宣伝という意味合いがあったようで、実際にユーチューブでライブの存在を知ってチケットを買った人もいたようだ。チャットで「みきなつを助けてあげてくださいね」と言っていた人がいたが、たぶん「HEY! LOOK AT ME NOW!」の関係者なのだろう。2時間余りの配信の大半はおしゃべりだったが、アカペラで何曲か歌も歌ってくれた(たとえばhttps://www.youtube.com/watch?v=Ae8dOFipUlA&t=1422では「愛をつなごう」が聴ける)。でも、それは本番の1/6ぐらいの声なのだという。30日のライブでは30分で5曲ぐらい歌うということは明かし、すでに何を歌うかは決めてあるとも言ったが、何を歌うかは内緒だった。今は練習に励んでいるということで、30日のライブはユーチューブチャンネルの配信とは力の入れ方が全然違うようだということはわかった。

そして、30日。最初は果歩のライブ、引き続きみきと果歩のおしゃべりがあり、1時間近くたってから井手の出番が始まった。「おしゃべりが盛り上がってきたところですが、次の方の時間が来てしまいました~」というような感じだったが、しっとりとした「ステーション」(『A.I. ayaka ide』、 https://www.youtube.com/watch?v=Ae8dOFipUlA&t=3520s)が始まると、配信はすっかり井手の歌とピアノが支配する世界になった。あとは「琥珀花火」、「消えてなくなれ、夕暮れ」、「弱虫トラベラー」、「飾らない愛」が続いた。「琥珀花火」は音源になっていない曲でもっとも新しい。ほかの3曲はすべて『ワタシプラス』である。

このライブも期限付きでアーカイブを何度も見られるようになっていた。ほかのふたりには申し訳ないが、井手がひとりで歌った30分だけを何度も繰り返し聴いた。井手が曲の感情に合わせて歌い方を変えているということは前にも書いたが、どうしたものか私には悲しい曲を歌うときの声がとりわけきれいだと感じられる。音源になっているものでは、YUIの曲を13組がカバーしている『SHE LOVES YOU』(2012年)で井手が歌っている「Namidairo」などがそうだが、このライブでは断然「琥珀花火」(https://www.instagram.com/p/BzSwJf_gzMN/?utm_source=ig_web_copy_link)だった。この曲はCDや配信になっていないので歌詞サイトを見ても歌詞は載っていないが、「あの日の少女が描いた夢は打ち上げる花火のように咲いて絵空事散る花の行方を探してた」と歌っていたように聞こえた。この歌詞だけでも悲しい曲だが、井手が夢を実現するために頑張る、みんなも頑張ってという内容の曲をたびたび書いて歌っていたことを考えると、さらに悲しく感じる。それでまた、リンクしているインスタからもわかっていただけると思うが、透明感のある声が染み通ってくるのだ。一時は、井手の30分のなかでもこの曲だけを何度も繰り返し聴いていた。

しかし、そのうちに27日のユーチューブライブで5曲の選択に思い入れがあるような話しっぷりだったことが思い出され、「琥珀花火」だけでなくまた全体を聴くようになった。そこでようやくこの文章の本題にぶつかることになったのである。つまり、この5曲の選択には何か意味があるのではないかということだ。それも、この5曲を歌う順番に意味がある。ストーリーがあるのだ。

一見したところ、この5曲にはあまり共通性はない。「ステーション」と「消えてなくなれ、夕暮れ」は失恋の曲だが、「弱虫トラベラー」はライブのなかで進路に迷っていた妹さんを励ますために書いた曲だと紹介し(書いているうちに自分を鼓舞するような感じになったとも言っていたような気がする)、「飾らない愛」はお母さんを思って書いた曲だと紹介していた。実際、「飾らない愛」は、母と子の関係を描いたNHKドラマの主題曲になっていたはずだ。それでも、この4曲には「あなた」や「君」といった二人称が入っている(「琥珀花火」は歌詞を確かめられないが、二人称はなかったような気がする)。この4曲の二人称を恋人や家族ではなく「音楽」に置き換えると、全体がひとつのメッセージを形成しているような感じがしてくる。

「ステーション」(https://www.uta-net.com/song/227524/)は、「あなたの答えは分かっていたけれど」と言うのだから、本来は恋人にやり直そうと言ったけど断られたというような状況なのだろう。しかし、「あなた」が音楽だとすると、先ほどの「琥珀花火」の歌詞と似た状況になってくる。音楽を愛し、音楽のなかにどんどん入っていったのに跳ね返されたというような意味に取れる。そう思いながら聴いていると、「ベンチに残った小さな気配に胸が張り裂けそうよ」、「甘い記憶は 染み付いたまま」、「忘れないでね 愛した事を」といった歌詞が印象に残る。そして「琥珀花火」が続くわけだから確かに話が続いている。「琥珀花火」で歌われているのは、夢破れて故郷に帰ってくるという風景であり、さらに悲しい。なにしろ二人称がないので、音楽の出番さえないのだ。

次の「消えてなくなれ、夕暮れ」(https://www.uta-net.com/song/149481/)は、ビクターの販売サイト(https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A022673/VICL-36796.html)に行くと、「20歳を迎える井手綾香が、初めて描いた自身の失恋「消えてなくなれ、夕暮れ」」などと書いてあって驚いてしまうのだが(PVでも最後は海に向かってなんか叫んでいる)、実際の失恋を描いたのだとしても、感情に任せて書き飛ばしたのではなくよく考えて作られているように思う(そうでなければ、歌える曲の数が限られている配信ライブで毎回のように取り上げないのではないか)。かはたれ(彼は誰)どきとも言われる夕暮れを舞台背景としているので、私からはあなたが見えるけれどもあなたからは私は見えないという状況がとてもリアルに目に浮かぶ。別の女性と歩いている「あなた」を見つけてしまった場所が「交差点」だというのもうまくできていて、「あなた」とは出会ってもすぐに離れてしまうということを暗示しているように感じる。もちろん、片思いではないのだ。「抱きしめてくれた あなたの温もり」、「何度も呼びあったふざけた名前」、「肩幅大きなシャツの着心地」といった短いフレーズで決して浅い仲だったわけではないことをしっかりと暗示している。シャツなどの具体的なイメージが非常に効果的だ。そして、「あなた」への思いがどうしても消えないということを強調しつつ、「誰にも聞こえないさよなら」と自分の存在が消えてしまうような思いで締めくくる。ほかの女と歩いている男を見つけたところで修羅場を演じるのではなく、自分だけが身を引いてしまうというストーリーには、え、ホントにそれでいいの? と思わないでもないが、大きなお世話というものだろう。

で、5曲のストーリーにどうつながるのかと言えば、言うまでもなく、一番耳に残る「でもあなた(音楽)の事は 忘れられていないみたい」である。「週末のおと」第7回のパフォーマンス(https://www.youtube.com/watch?v=FXucbDcWpPc)では、ここでちょっと笑みがこぼれるのが印象的で、失礼ながら能で「嫉妬や恨みの篭る女の顔」とされている「般若の面」(ウィキペディア https://bit.ly/3soFzhh 参照)のことを思い出してしまう。「嫉妬や恨み」というよりはただ強い思い(音楽への?)を感じるだけだが、その思いの強さに圧倒されるのだ。

次の「弱虫トラベラー」(https://www.uta-net.com/song/161779/https://www.youtube.com/watch?v=Vt9h-9db1Zg)は、先ほども触れたように、ライブのなかで妹さんのために書いたというコメントがついていた曲だが、「軽すぎる足どりでは/足跡さえつけられない」、「私は、私/操りモノじゃない」、「バトンを繋ぐ気はない/真新しいレーンを行く」といった強いメッセージを含んだ歌詞が印象的だ。歌詞の話題に入るところで、多くの曲のメッセージがよいと言ったが、そのなかでもこの曲のメッセージは特によいし、J-POPの歌詞ではあまり聞かないメッセージのようにも思う。ほかのアーティストの歌詞にも、自分を貫きたいというメッセージがないわけではないが(むしろ、普通はそういう部分を持っているものだろう)、ここまでそういう思いの強さを感じさせるものは珍しいような気がする。借り物ではない本物の自分というものがあることを感じる。

5曲のストーリーとの関わりということでは、言うまでもなく、この曲でもっとも耳に残る「終わらない 終われない このまま」という部分だ。このフレーズは2回出てくるが、特に2度目は「離さない 譲れない夢 抱きしめたんだ/私は弱虫トラベラー/それでも 変われたんだよ/君(音楽)がいるから」と続く。まるで音楽への思いの強さを歌っているかのようだ。

最後は、ライブのなかでお母さんのために書いたと紹介した「飾らない愛」(https://www.uta-net.com/song/161774/https://www.youtube.com/watch?v=a2PIejZnCfQ)である。これは愛しているという歌ではなく、愛してもらっているという歌なので、このストーリーとは関係なさそうに見えるかもしれない。しかし、自分が音楽を愛していたというよりも、音楽が自分を愛してくれていたんだ、音楽はそれだけ大きいものなんだという発見によって、自分にとって音楽がいかに大切かを再認識したということがあってもおかしくないと思う。音楽が自分を愛してくれていると言っても、それは特権的な、自分だけがというようなものではないだろう。「飾らない愛で」「包」まれているという感じのものではないだろうか。そして「壊れない愛」でもあるのだ。音楽からは絶対に離れられないということをしっかりと自覚したという感じに聞き取れる。

これらはもともとがそのような目的で書かれている曲ではないので、こじつけが過ぎると言われればそうだと認めるしかない。井手はきっとこういうことを考えていたはずだと強く主張するつもりもない。そもそも、井手自身はライブ直前のユーチューブライブでも、直後のnikiieとのポッドキャスト (https://bit.ly/32oGLHc)でもそんなことは言っていないし、「HEY! LOOK AT ME NOW!」のライブレポート(https://spice.eplus.jp/articles/279559)にもそんなことは書かれていない。

ただ、そのポッドキャストによると、最近は生計を立てるために音楽だけではなくインテリアデザインの仕事もしているのだという。特に、2020年は新型コロナの影響もあったはずだが、インテリアの仕事で忙しかったらしい。そして、「このままだと音楽から離れ過ぎそうで怖い、受けてよかったと今でも思っている」、「ライブを通してもうちょっと音楽を頑張りたいなと思った。二度と私のことを見ないでってな感じだったら、アーカイブ速攻消してみたいな感じだったら、終わったあってなってたかもしれない」というような内容のことを言っている。選曲から感じ取れたストーリーは、この発言とだいたい符合しているのではないだろうか。そして、11月の配信ライブは音楽を続けるか止めるかぐらいの切羽詰まった気持ちでしていたらしいことがわかる。パフォーマンスから張り詰めた気持ちのようなものは確かに感じた。今までに聞いたどの演奏よりも心が揺さぶられるものだった。

選曲の解釈が井手の意図と合っているかどうかはどうでもよいことだ。受け取り方は聞く方の勝手である。ただ、こういう読み方ができるというのは面白いことだと思う。失恋が大切なものを失ったことの比喩にもなれるのだ。そのようなことが可能なのは、やはり曲の作りがしっかりしているからだろう。井手綾香の歌詞からは多くのことを教えてもらったような気がする。

 

(追記)
1月に書き始めたのに4月の終わり近くまでかかってしまった。もともとは11月の配信ライブで感じたことを書こうとしたものなので、そこまでで終わりとしたが、11月からはもう半年近くたつ。その後のことも少し書き加えておこう。

配信ライブ直前のユーチューブライブで公約した月1回のユーチューブへのアップロードは1月まで続いた。2月終わりにメジャーデビュー10周年記念のアコースティックセッション「Next Decade」の配信が発表されたので、すぐにチケットを買った。今度は井手自身の企画で、11月のような弾き語りではなく、ピアノとギターのサポートが付く。そして、すでに録画を済ませているということも公表された。配信1週間前の3月5日には、11月以来のユーチューブライブ(https://www.youtube.com/watch?v=y3GQajBOIx4)があった。インテリアの仕事がやはり大変らしく、2月のアップロードはこのユーチューブライブで代えさせてくれということだった。

10年前の3月11日は言うまでもなく東日本大震災が発生した日である。私の場合、家人が10日に北海道旅行に出かけたので、その夜はひとりで近所のステーキ屋さんに行ってカウンターで腹いっぱい飲み食いし、翌日は新宿の寄席にでも行こうかなと思っていたが、なんとなく諦めて横浜の仕事場で翻訳仕事をしていた。午後2時46分、東北地方ほどではないにしても、私としては生まれて50年で初めてという揺れに驚き、両手で仕事場の2本の本棚を上から押さえていた。その日が金曜日だったことは、なぜか鮮明に覚えている。

CDは、ランキングの集計で有利になるようにほぼかならず水曜日に発売される。井手のデビュー盤、ミニアルバムの『Portrait』は、そのときにはすでに大量にプレスされて倉庫に眠っていたのだろう。発売予定日だった3月16日は、3月11日のあとの最初の水曜日である。たぶん、発売日のお祝いムードはまったくなかっただろう。イベントどころではなかったはずだ。

井手のデビュー10周年記念のセッションは、11日を外して12日に配信された。いきなり11月と同じ「ステーション」、「消えてなくなれ、夕暮れ」が歌われる。メンバー紹介の短いMCのあと、3曲目として高梨沙羅が出演するクラレのCMのために書かれた「さがしもの」(2015年配信、https://www.uta-net.com/song/192073/)が歌われた。「この目で見たい たどり着きたい/ここではないどこかへ」とか「自分を信じて 風をあつめるわ」といった歌詞には、スキージャンプを意識した語彙が含まれているが、最後の「踏み出した心にそっと手を当てて明日へ」というフレーズともども、「Next Decade」、すなわち次の10年に向かっての決意表明のようにも聞こえる。

次に、H.E.R.の「Best Part」(https://www.google.com/search?q=H.E.R.+Best+part)、宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」(https://www.google.com/search?q=%E7%9C%9F%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%9B%A8)と2曲のカバーが続いた。どちらも初めて聞く曲だったが、例によってアーカイブ(16日まで残っていた)を何度も聴いて耳になじませた。「Best Part」は幸せを一身に表したような曲で高音の鳥のさえずりのような部分の美しさがなんとも心地よかったが、「真夏の通り雨」は一転してとても暗く悲しい曲だった。でも、この日一番印象に残ったのはこの曲で、歌詞もじっくり読んだ。明示されていないが、ここに出てくる「あなた」は間違いなく死んでおり、もう夢のなかでしか会えない。だから、「通り雨」なのに「ずっと止まない」し、雨が止まないのに「渇き」が「癒えない」。これは隅々まで本当にすごい歌詞で¶、ちょっとうまく歌ったぐらいでは曲に負けてしまうが、井手の歌唱はこの曲が発しているものをすべて表現していたと思う。

「さがしもの」から3曲続けて歌ったあとでまた短いMCが入った。2曲のアーティスト名と曲名を紹介してから、メジャーデビューして10年なのでこのライブをしているということを何やら申し訳なさそうに話した。その様子はやはり東日本大震災から10年でもあるということを意識してのものだったのではないかと思った。そして、「真夏の通り雨」は、震災と原発事故で亡くなった近親者を持つ人たちへの挨拶として歌われたような気がした。まあ、気がしただけである。ここでも井手本人がそういったことを言うことはなかった。

そして、最後の曲として本文でも触れた「雲の向こう」(https://www.youtube.com/watch?v=hCrTzoXeY7I)が歌われた。「真夏の通り雨」と比べればなんとも初々しい曲だが、「来年(あした)の今頃 どこで何してるかな?/わらってたって 泣いてたって 煌めいてほしい」とまるで10年後の今の井手自身に語りかけるような歌詞が含まれている(https://www.uta-net.com/song/108170/)。そして今の井手が10年後の井手に語りかけるという意味もあるだろう。10歳年上の宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」のように、生きてきた年輪を感じさせる井手綾香の曲を聴いてみたいものだ。

 

「勝てぬ戦に息切らし」の一つひとつの言葉の選択や「忘れちゃったら」の「ちゃったら」は絶妙だし、「揺れる若葉に手を伸ばし/あなたに思い馳せる時」のバリエーションとしてぬけぬけと「誰かに手を伸ばし/あなたに思い馳せる時」というフレーズを滑り込ませるところには息を飲む。生きながら心は死んでいるということをこれ以上しっかりと描くことはなかなかできるものではないだろう。

 

 

 

夢素描 13

 

西島一洋

 
 

銭湯の男達

 

おそらくは、子供の頃の記憶と混淆している。

銭湯には裸の男達が居た。

僕は湯船から上を見上げる。
天井は高く、中央に天窓の天空への窪みがある。
セミが飛び交っており、湯船にはザリガニも居る。

時折り、女湯との境にある小さな木の扉が開く。
もちろん僕たち子供は出入り自由だ。

湯船の縁に、片膝をくっと立てて座って居る小男は、長い間塑像のように微動だにしない。痩せてはいるが、骨格も筋肉もやけに美しい。指は細く長く、その指で膝をまあるく包み、片手で足を抱えている。

鏡にむかって顎を突き出している老人が居る。肌に艶は無く、よれよれで皺が寄っている。が、骨格はがっしりしている。骨も太い。筋肉は、もうしわけていどについていて、どちらかというと筋が目立つ。今、彼は髭を剃っているのだ。使い捨てのカミソリを拾って、それでゴリゴリやっている。よほどか丈夫な肌なのだろう。鏡の下に突き出したタイルの棚の上に拾ったカミソリを五本ほど並べ、とっかえひっかえ使っている。どれも大して切れないのだろう。

僕等は、湯船の中を潜ったり、湯船の内側のタイルを蹴ってスイーっと泳いだり、回転したり、足をバタつかせたり、まるで動物園のトドかアシカのように戯れている。誰も文句を言う人はいない。僕等も気を使って、湯船に浸かる人が登場したら、さっさと引き揚げる。そうだ、木の丸い桶…アレを二つ合掌させて、浮き輪がわりにもしていたなあ。湯船より大きな木船を浮かばせたこともある。二十人くらいは優に乗れる。船の上で踊っている奴もいる。

先の塑像のように動かなかった男が、湯船の縁からするりとタイルの床に滑り降りて、尻をベチャっとタイルにくっつけ、両脚を大きく開いて前屈運動を始めた。濡れた長い髪が、前屈するたびにタイルを叩く。

新たに、入り口の扉がスライドすると、デブと言ったら失礼かなあ、ともかく巨体の男が入って来た。その男は、そのまま湯船に直行し、ドブーン。湯船から大量の湯が溢れた。ざあーっと音を立てて、タイルの床は一瞬洪水となった。男は湯船の中でタプタプと浮いている。でかいが、大して重くないのだ。赤い顔をしてニコニコしている。禿げというか、ちょうどキューピーのような頭の毛だ。色も黄土色…、むしろオーレオリンかな、透明感がある。

服を着た若い女の人が一人ふわっと入って来た。女湯に男が入ることはたとえ服を着ていたとしても出来ないが、男湯には女の人の出入りは自由なのだ。まあそれが不思議なのだが。どうしてかなあ。ともかく、この女の人は、男湯にいる誰かの娘のようで、父親を探して右往左往しているが、見つからないようだ。服は着ているが、裸足だ。足が妙に生々しい。彼女は父親を見つけたのかどうか分からないが、大声をだしながら、湯船の湯面をパンパン叩いていた。何か黒い紐のようなものを引き摺っていた。

突然、湯煙が膨大に立ち上がり、周りが全く見えなくなった。しかし、明るい。湯煙というか、靄というか、霧というか、立ち込めている。ただ、妙に暖かい。もしかして、この靄が晴れて、無くなった時、誰もいないのではないか。また、人だけでなく、銭湯の空間も消えていて、でもただ光に溢れていて、存在という概念がハレーションを起こすのだ。と、ふいに、その恐怖感に襲われた。

靄は、ふっと無くなった。
視界がくっきりとなり、見渡した。

全て居た。
全てがあった。
銭湯はあったし、男達もやはり居た。
何事もなかったように。

 

 

 

あきれて物も言えない 23

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

処理水 海洋放出へ

 

毎月、19日は義母の月命日で墓参している。
女と車で霊園に向かい墓前に花を活け線香を立てる。

紫の煙が香る。

もう随分、たくさんのヒトたちを失った。
墓前では、もうちょっと待っていてね、もうすぐそっちに行くからね、と、祈る。

父も、母も、兄も、義兄も、義母も、友も、あのコも、詩人のあの人もあっちにいってしまった。

ともに生きた人たち、好きだった人たち、りっぱに生きていた人たちが骨になり煙となった。
しかし、わたしの中で彼らは生きていて、たまには会話する。

そして、今を生きている、遠い、家族たち、あのヒト、あの詩人、友たちの無事を祈っている。
ソファーで犬の首を撫でている。
もう、随分、釣りには行っていない。

小舟も売ってしまった。

 

さて、
2021年4月14日、新聞朝刊一面に「処理水 海洋放出へ」* の見出しを見た。

東京電力福島第一原発の処理水を海洋放出する処分方針を政府が決定したというのだ。
約一千基を超えるタンクに保管された原発汚染処理水、約125万トン、東京ドーム一杯分を海洋に放出するのだという。

確か、昨年の10月17日の朝日新聞の朝刊一面にも「処理水 海洋放出へ調整」と見出しがあった。
副題に「関係閣僚会議で月内にも決定」とあった。
それが、”月内”(2020年10月)には決定されずに、菅義偉総理が訪米しバイデン大統領と会談をする直前に決定された。
アメリカ大統領の承認を貰うためだろう。

海洋放出される原発汚染水は多核種除去装置(ALPS)で処理され、原発汚染物質はALPSで濾過され基準値以下まで下げられるが、ALPSで濾過できない放射性物質トリチウムは事故前の福島第一原発の放出の上限、年間22兆ベクレルを下回る水準にして30年以上をかけて放出するのだという。トリチウムの半減期は12.3年。トリチウムのベータ線は多様な海洋生物のDNAにダメージを与えるかもしれない。
海洋生物のDNAへのダメージは長い時間を掛けてわれわれやわれわれの子供たちに帰ってくるかもしれない。

処理水を海洋放出する前に、保管方法や処理方法の新たな開発、改善をこの国はできないのだろうか?

政府は「風評被害、適切に対応」* するという。
福島の漁民たちが震災、原発事故後に試験操業を開始し今年に終了させた10年の努力が無駄になるのだろうか。
海は世界に繋がっている。
大型の魚たちは世界の海を回遊している。
福島の漁民や日本各地の漁民、日本国民、近隣諸国や世界の人々はこの日本政府の決定に反発するだろう。

海に囲まれた島国の日本、
海の恵みを貰ってきたこの国の人々、
雨が、たくさん降り、雪もたくさん積もり、雨や雪は川となり、海に注ぐ日本という島国だ。
山々には豊かに樹木が繁り、雨が山々の養分を海に届けてきた。
何万年も続いた自然の豊かな循環なのだ。

戦後、原発は、政治家や官僚が作った「国策」によって、アメリカから移植されたものだろう。
わたしたちはTVで鉄腕アトムを観ながら育ったのだった。
安全なエネルギーと言われた原子力エネルギーがこれほどに日本国民を不幸にしてしまったことが残念でならない。
政治家と官僚に憤りをおぼえる。
敗戦後の政治の構図が、今、新たに明らかになっている。
原発も、防衛も、経済も、オリンピックも、コロナも、農民も、漁民も、サラリーマンも、人々は、この構図の中にあった。

魚は人と繋がっています。
魚たちはわたしたちと水で繋がっています。
魚たちはわたしたちの祖先であり、母であり父であり兄であり義兄であり義母であり友だちであり、わたしたち自身です。

トリチウムの半減期は12.3年だそうです。
どうか、海に、トリチウムを放出しないでください。
約一千基を超えるタンクに保管された原発汚染処理水のトリチウムは60年経てば半減を5回繰り返し現在の32分の1(3.125%)になるのです。

そこに小さな光が見えています。

 

この島国の日本から、この世界にとって取り返しのつかない事が起こりつつあるように思えます。
呆れてものも言えないが、言わないわけにはいかない。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 
 

* 朝日新聞 2021年4月14日朝刊より引用しました。

 

 

 

また旅だより 32

 

尾仲浩二

 
 

ひっそりと南へ行っていた。
人に会ったのは、去年の夏に東京から移住した友人と
数年前からバーをやっている古い知人だけ。
東京にいるよりもずっと誰とも話さなかった二週間。
天気も悪かったのですこしだけ日焼けして戻った。
さて、またしばらくじっとしている方がよさそうだ。

2021年4月 沖縄にて