改訂版・無銭飲食

 

今井義行

 
 

バスロータリーの まわりに たくさんある 唐揚げ屋さんの 或る1軒で 
わたしは 唐揚げ定食を 食べた
衣は パリッと していて 鶏肉は とても 柔らかく おいしい 唐揚げ定食だった

店を 出て しばらく 経ってから わたしは 気が ついた・・・
(あれっ?
わたしは お金を 払ったっけ?)

店員さんは 追いかけて こなかったし
わたしは きっと お金を 払ったんだろう なあ・・・

・・・・・・・・・・・・・・

それなのに わたしは 駅前で タクシーを 拾って 「小松川警察署まで 
お願いします」と ドライバーに 頼んで いたのだった
駅前には 交番が あるわけだし わたしは 軽く しらばっくれて しれっとして 
いれば よかった はずなのに なぜだ・・・?

・・・・・・・・・・・・・・

タクシーに 長いあいだ 乗っては みたものの どうしたことか 
わたしは 小松川警察署の 入り口に たどりついて しまっている ようだ
それは どうして なのだろうか?

そう か・・・ わたしは 平井の 或る 唐揚げ屋さんで 「無銭飲食」を したのでは なかった だろうか・・・

お金を払った 記憶も なければ 罪の意識も まったく 無い 
けれども わたしは タクシー乗り場で ドライバーに 「小松川警察署まで 
お願いします」と 言って いた ような 気が する・・・

── それとも 今朝は カボチャを 煮ていたのだった だろうか・・・?

わたしは 階段を 登って 曖昧模糊とした 状態で 小松川警察署の 
インターホンを 押している

「どうされましたか・・・?」と 返事が 返ってきた

「あの・・・ わたし 無銭飲食を して しまった ようなんです・・・」

「そうなのですか? では 中の 待合室に 入ってください・・・」

わたしが 待合室で 座っていると アルコール病棟で 一緒に 入院していた 全盲の 初老の おとこが 「やっていない! やっていない!」と さわいでいるのを 見た・・・ 万引きでも したか?

彼は 生活保護を 受けながら 1人で 暮らして いたのだった・・・

こんな ところで また 出遭ってしまう ことに なるなんて なあ・・・ 
それにしても キツイことは いろいろ あるだろうになあ・・・

いや・・・ もしかしたら 彼は 案外 しあわせに 暮らして いたのでは ないか・・・? それを 阻むものが ただ いるという だけなのでは ないかな?

(ただネ それが 警察官の しごと なんだろう けど ネ・・・)

わたしが 待合室に 座って いると 1人の 警察官が 近づいてきた 
「無銭飲食を したんだってね?」「はい そうらしいんです・・・ でも 本当に 
やったか どうか わからないん です・・・」

何人かの 警察官が 近づいて きた 「それは 悪い ことでは ないのか?」
「悪い ことだと 思います でも 本当に やったのか どうか 
どうしても わからないん です・・・」
「・・・痴呆かなあ? 帰りの 交通費は 持っているのか?」「持っていません」
「それじゃあ パトカーで 送って いくしか ないじゃないか あのね 
パトカーは タクシーじゃ ないんだ よ!」

── それとも 今朝は カボチャを 煮ていたのだった だろうか・・・?

パトカーに 乗って わたしは 窓のそとを ながめていた 
もう 日が くれかけてきている ようだ・・・

そうしたら わたしの 隣りに 座っていた わたしと同じ 
50歳台くらいの 警察官が わたしに 話しかけてきた
「わたしは ながいと 言います こういう ことって よく あるんです よ 
気落ちしないで しっかりと 暮らして いってください ね・・・」

(ああ こういう ひとも いるもの なんだなあ・・・)

翌朝 わたしが ベッドに 横たわって いると 携帯電話の 着信音が 鳴った

(・・・もしかして ながい さん?)

「こちら 小松川健康サポートセンターの
保健師の のざきと 申します いま お電話していても いいですか?」「はい」

小松川健康サポートセンターと いうのは 保健所の 出張所の ような ところだ・・・
わたしは 生活に 困窮していて そこに
何度か 訪ねて いった ような 記憶が ある・・・ けれども 
「これから 会議に はいりますから」と 言われて 
すぐに 門前払いを 食らって しまった ような 気がする・・・

── 或いは カボチャが 煮崩れないように こころを 砕いていたの だったか・・・? 

「小松川警察署から 連絡が あって あなたが 無銭飲食を したらしい との ことでした・・・ 詳しい お話を お聴きしたいので 明日にでも ご自宅に 伺いたいと 思いますが ご在宅されて いますか・・・?」「はい・・・」

(警察署が 動くと すぐに 行政が うごく もの なんだなあ・・・)

翌朝 ドアを ノックする 音がして 開けてみると 3人の 女性が 立っていた

「昨日 お電話を 差し上げた 小松川健康サポートセンターの 
のざきと 申しあげます」
「どうぞ お上がりください・・・」

わたしたちは ちいさな テーブルを はさんで 向かいあった ようだ

「早速ですが 唐揚げ屋さんで 無銭飲食を したのか していないのか 
わからなく なったそうで・・・?」
「はい・・・ そうなんです」
「よく そういうことは あるんですか?」

「いままでは 現実と そうでない側の 区別が わりあい はっきり ついていた 
ように 思うのですが・・・ 最近になって 現実と そうでない側が ないまぜに 
なってきて わけが わからなく なって しまうような ことが 増えてきた 
ような 気がするんです・・・」

── 或いは カボチャが 煮崩れないように こころを 砕いていたの だったか・・・? 

「そうなんですね・・・ もう ご心配なさらないでください これからは わたしたちがサポートして いきますから こちらに いるのが 訪問看護ステーションの 
ほうじょうさん こちらに いるのが ヘルパーさんを 派遣する 会社の よしださんです それぞれ 週に 2回 訪問させて いただく ことに なります 
よろしいですか・・・?」
「はい・・・ ありがとうございます」
「それでは この 書類に 署名と 印鑑を お願いします」

── それとも 今朝は カボチャを 煮ていたのだった だろうか・・・?

(これで わたしの 暮らしは すこしは らくに なって いくのかな・・・)と 
わたしは どことなく うれしく なって いるようだ・・・

── 或いは カボチャが 煮崩れないように こころを 砕いていたの 
だったろうか・・・? 

わたしは ちいさな テーブルを はなれて たちあがって いた ようだ

「どうされましたか・・・?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ちょっと 待っていて ください」
そうして わたしは 台所に 向かった ようだ・・・

(あれ・・・ ガスコンロに 火が ついていない あれ おおきな 鍋も
置かれていない・・・ いったい どうしたこと なのだろうか・・・?)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(わたしは いま どうして ここに いて
なにを して いるのだろうか・・・・・?)

・・・わたしは じぶんの こころの なかが もう どうにも
わからなく なって きて いる ようだ・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのとき・・・ 警察署の ながいさんの 声が はっきりと 
聞こえて きた!

「だいじょうぶ だよ!」

そうか わたしは きっと しあわせに なれる 
はずだ・・・!

 

 

 

朝顔

 

みわ はるか

 
 

小学校1年生の時、朝顔を育てた。
自分たちで土を配合し、種をまいた。
しばらくすると小さな芽が出て、そこからはものすごい勢いで弦が伸びていった。
紫、白、ピンク、それはどれも色鮮やかでわたしの目を楽しませてくれた。
ラッパの形のようなそれらは朝思いっきり咲くとシュルシュルとしぼんでいった。
次の日にはまた力いっぱい花弁を開きたくましかった。

その頃、私の家にもたくさんの朝顔が夏になると咲いた。
祖父が必ず真夏前に種をまき育てていたからだ。
育てたといっても、種さえまけば勝手に成長していた。
その次の年に種をまくのを忘れていても勝手に芽を出した。
おそらく、去年の種が落ちてそのまま夏を待っていてくれたのだろう。
広範囲に咲く朝顔はどれも生き生きしていた。
冬には椿の花が庭に咲いた。
力強く固い深い緑の葉に、深紅の椿は美しかった。
どんなに寒い冬でも、忘れずきちんと顔を出した。
他にも様々な木があった。
梅(昔は祖母と梅干をこれでもかというくらい作った)、枇杷、夏ミカン、ゆず、山椒、柿・・・・・・・。
どれも好きな時に収穫してムシャムシャ食べていた。
ゆず風呂も最高だった。
しぶ柿は祖母が干し柿にして食べやすいようにしてくれた。
時には獣に食べられてしまったけれどそんなに悔しい思いは抱かなかったように記憶している。

そんな祖母も祖父もわたしが社会人になる前に亡くなった。
朝顔は数年間は毎年いつものように芽を出し、きれいな花を咲かせてみんなを楽しませてくれた。
しかし、しばらくしてうんともすんとも芽がでなくなった。
種が底をついたのだと思う。
さらに、手入れが大変だからという理由で、様々な木々が伐採されていった。
電動ノコギリであっという間に崩れ落ち、もう昔のように愛でることも食べることもできなくなった。
自然と獣の姿も見なくなった。
唯一、山椒の木だけなぜか残されていた。
つい先日ちょうど山椒の収穫時期だったため、何枚か大事に採った。
小さく刻んで炊き込みご飯や魚の煮物に添えた。
子供の頃はそんなに好きではなかったけれど、大人になった今はそれは料理の絶妙な引き立て役になっていてとても美味しかった。

小学校の夏休みが始まる前、学校で育てた朝顔を鉢(プラスチック)ごと家に持ち帰らなければならなかった。
徒歩15分の道のりを、それを抱きかかえて帰るのは汗が噴き出るほど大変だった。
なんとか持ち帰り、家の朝顔たちの横に置くと、またそれは仲間が増えたようで嬉しそうに見えた。

季節の移り変わりを目や舌、感触で感じていた幼少期。
今ではほとんど木々や花々がなくなってしまったことは寂しい。
玄関に一輪挿しでも置こうかな。
ほんのちょっぴり昔のように季節を楽しめるような気がする。

 

 

 

飼育

 

塔島ひろみ

 
 

郵便局で用をすませ家畜を連れて帰路につく
たまった洗濯物がまつ 43号棟にむかい
首に括りつけた紐を引く
家畜は太って重く膝が悪い
家畜にあわせてゆっくり歩いた
旧棟解体後放置された空地のまん中を
ふれあい通りという名の道が通る
両側に旧棟があったときについた名だ
空地には雑草が咲き乱れ 小鳥たちの絶好の遊び場となっている
疲れたので少し休む
「今日もラーメンでいいね」とぼっそり言うと、家畜が笑った
ふいに思い立ち 紐を後ろに強く引く
家畜は首が締まり、苦しそうに咳をした
ここは私達が50年ほど住んだ16号棟のあった辺りだ
広大な地面の上に空は大きく
ずっと先に11階建ての新棟が見える
黄色い花がいっぱい咲いていた
スズメが棒杭の上に立ち 歌の練習をするように 大きく長く鳴いていた
投げ込まれたゴミをカラスがボリボリと食っていた
どこかに池があった気がする
池の場所をぼんやり探しながら
私は家畜のそばににじりより 
もう使い物にならなくなった尻を叩く
肩を抱く
家畜はイヤイヤをしてそっと逃れた

 

(5月某日、高砂で)

 

 

 

餉々戦記 (ことの始まり、あるいは前口上)

 

薦田愛

 
 

洗って剥いて刻んで煮て
にんじんあおくさい
かぼちゃかたい
じゃがいもの肌理
しいたけは石突きも捨てない
トマトを湯剥きする手順は省いて皮ごと
ほうろうの鍋の白を汚す橙いろ黄いろ
まな板が空くひまがない
二十二時
地下鉄を乗り継いで二十五分
デスクの前から家にはあっという間
でも
かき揚げ天ざる讃岐うどんや
新蕎麦に日本酒でいっぱい
なんて
寄り道のかわりに家ごはん
と言えるほどのものではないけれど
洗って剥いて刻んで煮て
ぐつぐつ
くぐつのように鬱屈する思いも放り込んで茹でたり
焦がしたりするかわりに
野菜室のすみに何かわすれていやしないか
かきわけかきわけ
ああ大根のきれはし 玉ねぎ四分の一 水菜半束
いやこれは明日のぶん
当年とってごじゅうろくのわたくし
自慢ではないが
リョウリと呼べそうなことを
ほぼ経験せずに歳を重ねた
二十代半ばに半年
(つくってくれていた親が体調をくずし
あわてて料理入門書を手に弁当ひとつに毎夜二時間)
まごまごまどわぬはずの四十代初めに半年
(涙が止まらなくなって出かけたカウンセリング先で
 まず夕食だけでもじぶんでつくりましょうと促され
 赤いパスタ白いパスタ
 赤いチャーハン白いチャーハンと
 呼んでいたあやしい一品のくりかえしを半年)
そしてこのたび
発端は
最高気温三十五度を下まわることのない八月某日
夜の炭水化物摂取はやっぱり
控えたほうがいいでしょうかと
十年かよう鍼灸の先生にふと問うや
元アスリート男前の女先生「そうね」とひと言
ゆえにその夜
唐突に洗ったり剥いたり刻んだり煮たりが
始まったのだった
そう
八月の終わり
ウェイトは一見問題なしだったけれど
みもこころもどことなく滞っていて

まっこうからリョウリといってキッチンに立つのが
面映ゆかった
ひとりっ子の生い立ちに加え
はたちで父をなくすと
あとは世話見のよすぎる母との暮らし
いちど結婚するも
諸般の事情というより周囲の懸念思惑によったろう
オヤツキケッコン
ひとり暮らしの長かった当時の夫のほうが
煮炊きの経験はゆたかだったうえ
箸のあげおろしにも講評をくわえずにはいられない母のまえでは
野菜を刻もうなどという気がうせるのは
あたりまえ

だからね

お米はとげるし味噌汁もつくれるが
そこに加えるなにひとつ
ないままに
ねえ
ごじゅうろくさい

だからね

じぶんだけのために
じぶんのたべたいものを
おもうままに煮たり焼いたり
地下鉄を乗り継いで二十五分
二十二時
ああ今夜は二十一時
この時間に帰ると
「早かったね」っていわれるんだ
母にね

カレー粉 焙煎玄米胚芽 昆布粉末
岩塩 かつお節粉末 そして水
野菜十種カレー煮のつづいたある日
豆腐や乾燥わかめに玉ねぎ椎茸を加えて
ぐつぐつ
昆布粉末を溶いちゃってね
湯豆腐ふうにしてぽん酢かけて食べた
そしてあの
伝説のメニューが生まれる
豆腐ステーキ
水切りもせずにね
木綿豆腐一丁をうすく二枚に削いで
両面あぶって
皿にのせ
しめじに玉ねぎ人参なすなんかを
塩こしょうして炒めたのをたっぷりトッピング
ぽん酢をざぶざぶかけてむしゃむしゃ
おお
二十一時
あるいは二十二時の
じぶんだけのための煮たり焼いたり
にたり
にんまり
ほころんでしまうくらい
いい
うんまいっとひとりごち
いやね毎日こしらえていた
野菜のカレー煮や湯豆腐ふうだって
けっこう美味しく食べていたんだが
いずれにせよ今夜のだって
リョウリと呼べるほどのものではあるまいが
それでもこれは
誰かに食べてもらってもいいのかな
いや
食べてもらうあてもないけれど

箸が止まる夜半
ことの始まり
これがはじまり