朝顔

 

みわ はるか

 
 

小学校1年生の時、朝顔を育てた。
自分たちで土を配合し、種をまいた。
しばらくすると小さな芽が出て、そこからはものすごい勢いで弦が伸びていった。
紫、白、ピンク、それはどれも色鮮やかでわたしの目を楽しませてくれた。
ラッパの形のようなそれらは朝思いっきり咲くとシュルシュルとしぼんでいった。
次の日にはまた力いっぱい花弁を開きたくましかった。

その頃、私の家にもたくさんの朝顔が夏になると咲いた。
祖父が必ず真夏前に種をまき育てていたからだ。
育てたといっても、種さえまけば勝手に成長していた。
その次の年に種をまくのを忘れていても勝手に芽を出した。
おそらく、去年の種が落ちてそのまま夏を待っていてくれたのだろう。
広範囲に咲く朝顔はどれも生き生きしていた。
冬には椿の花が庭に咲いた。
力強く固い深い緑の葉に、深紅の椿は美しかった。
どんなに寒い冬でも、忘れずきちんと顔を出した。
他にも様々な木があった。
梅(昔は祖母と梅干をこれでもかというくらい作った)、枇杷、夏ミカン、ゆず、山椒、柿・・・・・・・。
どれも好きな時に収穫してムシャムシャ食べていた。
ゆず風呂も最高だった。
しぶ柿は祖母が干し柿にして食べやすいようにしてくれた。
時には獣に食べられてしまったけれどそんなに悔しい思いは抱かなかったように記憶している。

そんな祖母も祖父もわたしが社会人になる前に亡くなった。
朝顔は数年間は毎年いつものように芽を出し、きれいな花を咲かせてみんなを楽しませてくれた。
しかし、しばらくしてうんともすんとも芽がでなくなった。
種が底をついたのだと思う。
さらに、手入れが大変だからという理由で、様々な木々が伐採されていった。
電動ノコギリであっという間に崩れ落ち、もう昔のように愛でることも食べることもできなくなった。
自然と獣の姿も見なくなった。
唯一、山椒の木だけなぜか残されていた。
つい先日ちょうど山椒の収穫時期だったため、何枚か大事に採った。
小さく刻んで炊き込みご飯や魚の煮物に添えた。
子供の頃はそんなに好きではなかったけれど、大人になった今はそれは料理の絶妙な引き立て役になっていてとても美味しかった。

小学校の夏休みが始まる前、学校で育てた朝顔を鉢(プラスチック)ごと家に持ち帰らなければならなかった。
徒歩15分の道のりを、それを抱きかかえて帰るのは汗が噴き出るほど大変だった。
なんとか持ち帰り、家の朝顔たちの横に置くと、またそれは仲間が増えたようで嬉しそうに見えた。

季節の移り変わりを目や舌、感触で感じていた幼少期。
今ではほとんど木々や花々がなくなってしまったことは寂しい。
玄関に一輪挿しでも置こうかな。
ほんのちょっぴり昔のように季節を楽しめるような気がする。