「生きざま」という言葉

 

駿河昌樹

 
 

   粗野で下卑たものが、
   高貴で優雅なものに俗世の生きかたを教える世の中が、
   やがて訪れるのだろうか…

          ロード・ダンセイニ『魔法使いの弟子』 *

 
 

人の生きかたのことを
この頃
テレビなどで「生きざま」と言っているのを聞く
平気でそう言っている

ちょっと
違うのではないか?
と思う

辞書などを見ると
「生きざま」に
さほど問題のある意味があるわけでもないことが
多い

大辞林には
「生きていくにあたってのありさま」
「生き方のようす」などとある
ずいぶん
ニュートラルである

デジタル大辞泉には
「『死に様』からの連想でできた語とされる」
とされ
「その人が生きていく態度・ありさま。生き方」
とある
「死に様」からの連想
という
ちょっと凄いことが出てきているが
意味自体は
ニュートラルに説いている

明鏡国語辞典には
「特徴ある人生観や人間性などで
 他を圧倒する、強烈な生き方」
とあり
やはり
「『死にざま』の類推から生まれた語」とも
注意書きがある
「他を圧倒する、強烈な生き方」
と説明していて
ふつうの人に使うのは
どうかね?
と考える根拠を
ちょこっと
示している

広辞苑(第六版)の場合には
〈「死に様」の類推から生まれた語〉と
注意書きされてから
「自分の過ごして来たぶざまな生き方。
 転じて、人の生き方」
とある

これだよ
これ
このニュアンス

世代や年齢によるのだろうか?
中年を越えた耳には
どうも
広辞苑の説くようなニュアンスで使われていたのを
多く見聞きしてきた気がする

「オレの生きざまを見てくれ!」
「あいつの生きざまを決して忘れねえぞ!」
などというセリフが
荒くれ者たちを描いた映画やドラマには
いくらもあったような気がする

まともな生き方からは
ずいぶん外れたりもしているが
すごく頑張って生きてきた
並大抵ではない生き方をしてきた
そんな場合に
自分自身で言うか
深い絆のある仲間に対して言うか
そんな場合の言葉が
「生きざま」だったような気がする

なるほど
なにかしらの取り柄があったり
才能があったり
有名だったりはしても
人畜無害な
ふつうにテレビにゲストとして呼べるような人には
「生きざま」という言葉は
かつてなら
使わなかったし
使えなかったような気がする

だいたい
「生きざま」の「ざ」という濁音が
汚いでしょ?

そんなことも
すっかり
感じとられなくなってしまったのかなァ

『魔法使いの弟子』で
ロード・ダンセイニが嘆いたごとく…

「粗野で下卑たものが、
 高貴で優雅なものに俗世の生きかたを教える世の中が、
 やがて訪れるのだろうか…」*

 
 

* Lord Dunsany(Edward John Moreton Drax Plunkett, 18th Baron of Dunsany)

The Charwoman’s Shadow (1926)

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

さまざまな願い事がそこでは叶う
寂しさや悲しみが癒される
家にいたくない 学校や会社に行きたくない人の 逃げ場ともなる
お腹も心も満たされる
今日も大勢の人で賑わうハンバーガー屋に
笑い声が充満する
油の匂いが充満する
肉を焼く匂いが充満する

神社は道を一本隔てた向かいにあった
川を背に構える暗い社殿 その前にわたしは 夏も冬も朝も夜も直立し
両腕で巨大なしめ縄を掲げ持つ
空中高くにどっしりと座すしめ縄はこの神社の顔で 悪魔を払う意味がある
町を守るために
この好きでもない町を守るために
わたしは今日も北風に打たれながら直立する
ハンバーガー屋にお株を取られ 神さまは暇で しめ縄はたいてい眠っていた
平和な町
神より偉いハンバーガー屋から 悲鳴に似た子どもの笑い声が響いてくる
しめ縄より強いハンバーガー屋から 真っ赤なバイクがサンタを乗せてミサイルのように発進する
身構えるが こっちには来ない どうせ来ない
誰も来ない
冬空に高々と聳える悪魔の看板
北風が強い
寒い、寒い、と車から出た人がハンバーガー屋に次々駆け込む
寒い、寒い、とさびしくて お腹がすいた神さまも すき間だらけの社殿から出て店に駆け込む
追いかける北風 その鼻先でドアが閉まる
杭に犬がつながれていた
社殿の正面で 私は巨大なしめ縄を掲げている
鉄の腕で 空高く 重量挙げのように掲げている
それは 悪魔を町に入れないために
北風が来た
行き場を失った北風が ハンバーガー屋の赤と緑と黄色で塗られた屋根を飛び越え 勢いを増して 神社に来た
風と一緒にカモメの一群が飛んできて 神社の裏の川の方へと飛び去っていく
ギャーギャーと汚い声で鳴いている
境内の砂が巻き上がり 立ちつくす私の 腿を汚す
北風は悲しい顔をしていた
犬が外につながれていた
肉を焼くにおいが漂ってきた
風に乗って肉が焼けるおいしそうな匂いが漂ってきた

近くで火事があった
北風が 建てつけの悪い窓のすき間から入り火をあおり 
あっという間に小さな工場が全焼した
神さまはハンバーガー屋の3階の窓から
火を 燃えて行く工場を 他の客や店員といっしょに眺めていた
肉が焼けるにおいが漂ってきた
風が来た
両足に力を入れたが
その風は疲れて 弱く 小さく 消え入りそうで 
しめ縄も気づかないまま私の股をそうっと抜け
神社の軒下に入り込んだ
小さな虫や なまけものや ネコや 捨てられた陶器の破片が
風を迎えた
風は優しい顔になった
うらやましくてならなかった

 
 

(奥戸2丁目 神社前で)

 

 

 

電車の中で眠る

 

工藤冬里

 
 

夜になると石灰化する頚骨が鳴り始める
羽に埋もれ寒さの下を潜ろうとする
指の付け根のように谷は山に食い込む
藤色とライトグリーンは永絶には似合わない筈だ
賢い人も愚かな人も、人の記憶にいつまでも残ることはない
月日がたつと誰もが忘れ去られる
住んでいた場所でも忘れ去られる
電車の中で眠る
森の中ではない
先回りの死者として電車の中で眠る
内回りも外回りもなく泥になっている
深爪のように

 

 

 

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