今朝
浜辺の縁にモコとすわっていた
浜辺の縁から空と海をみていた
世界の終わりをみていた
終わりのなかに
はじまりの種子がつまっていた
波は音をたてて
くりかえし岸辺をあらっていた
はじまりは終わりからはじまった
はじまりは終わりからはじまっていた
今朝
浜辺の縁にモコとすわっていた
浜辺の縁から空と海をみていた
世界の終わりをみていた
終わりのなかに
はじまりの種子がつまっていた
波は音をたてて
くりかえし岸辺をあらっていた
はじまりは終わりからはじまった
はじまりは終わりからはじまっていた
今朝
浜辺をモコとあるいた
波打ち際にすわり
空をみていた
いままでに
たてたことがない
旗は立てたことがない
旗を
海にしずめたらどうか
すべての旗を海にしずめたらどうか
すべての国の旗を海にしずめたらどうか
旗を海底にしずめる
旗を海底にしずめる
加藤 閑
朽ちた枝
わたしの最初の個展は2007年4月。6年半以上前、四日市の山画廊で行なった。
魚住陽子の個人誌『花眼』の表紙にこの絵を描いたのが、思いもかけず八島正明先生に評価していただき、山画廊を紹介していただいた。女主人の満代さんは、どこの馬の骨とも知れないわたしの個展を開くのを承諾してくれた。その後もわたしが絵を描き続けていられるのは、このとき自分の絵をひとに見てもらうことができたという手応えによるところが大きい。山さんには、どんなに感謝しても感謝しきれない。
その山満代さんが昨日未明に亡くなった。わたしより4つも若いのに。
「朽ちた枝」を彼女にはじめて見せたとき、わたしは枝を流れた時間が描きたかったと言った。満代さんは、もっといろいろなかたちで時間を描けるといいですねと言った。
しかし、今となってはもう彼女との時間を持つことはできない。
今年4月に、この画廊では3度目となる個展をした。その最終日に三千魚さんから、ぼたるさんの訃報の電話をもらったのだった。
今年はその前に同級生が二人亡くなっている。
大事なひとが次から次へと向こう側に行ってしまう、そんな歳に自分もなったのだなと、思わずにいられない。
キャベツ
このところ、雑誌の仕事が続き、いきおい写真をモチーフにして絵を描いてしまうことが多い。このあいだ、なにか実際にある「モノ」を描いてみたいと強く思い、家にあったキャベツを描いてみた。何でもないものをごろんと描きたい…と口の中で言って、ぼたるさんの傑作「ごろん」が立ち上ってきた。
姥捨から
千曲川はうねってみえた
山々のむこうに
山の頂は白くひかっていた
ひとびとは
冬のはじめに年老いた母を捨てたのだという
ひとびとも
千曲川のうねるのをみただろう
山の頂の白くひかるのをみただろう
山の民だったのだと
そのヒトはいった
昨日は
姥捨から千曲川のまがってひかるのをみた
山のむこうに
白くひかる山の頂きをみた
ふるさとの姪から
白い雪に塗りこめられた風景も届いた
千曲の風のなかで千代さんは画布にひかりを集めていた
画布をいっぱいにする
世界をひかりでいっぱいにする
昨日の朝
浜辺の町でめざめて
昼間
人ごみのなかで働いていた
深夜
大きな川のながれる町に着いた
深夜のレストランでそのヒトは話した
そのヒトは
発見した語学とゴミ溶融焼却炉のことを話した
わたしはそのヒトに同意する
白く尖った髭に同意する
深夜に
ラ・モンテ・ヤングを聴いている
オーディオ装置に
スーパーウーファーを追加してよかった
ラ・モンテ・ヤングには
スーパーウーファーが必要だった
悲しみがこみあげる
悲しみがこみあげる
下部構造の無限に堪えるほかない
早朝の空港に姪を迎えにいきました
モノレールに乗って
海の傍をすべるようにいきました
姪たちと高層ビルにあるアートセンターで
チャーリーたちと会いました
頭の大きなチャーリーは
子どもたちの悲しみを抱えていました
小さな瞳が
光っていました
深夜の街を歩いた
ゆらゆらゆらゆら歩いていた
ゆらゆらゆらゆら消えていった
花束を胸に持った
少女の絵が部屋にかけてあります
桑原正彦の絵です
かつて女のヒトを好きになったことがあります
かつて女のヒトに花束をあげたことがあります
そのヒトの庭で
朝顔の花が咲こうとしていた
11月の空に
薄いピンク色の花をひらこうとしていた
花が咲くための力って何でしょうか
植物に思いはあるのですか
そのヒトはいった
花の思いが見たい
花の思いを見たい
わたしを朝顔に重ねている