村岡由梨
1.クルミのこと
2024年9月に鼻腔内悪性リンパ腫と診断された愛猫クルミ。
まるで蒸かしたてのあんまんみたいに、
温かくて甘い死を内包している猫だ。
2025年2月18日。16時30分頃、ふわふわと雪が舞った。
面倒見が良く、動物が大好きで仕方がないという担当の先生に、
クルミがあとどれくらい生きられるか、改めて聞いてみた。
去年放射線治療が終わって、
今年4月に抗がん剤治療も終わるといったタイミングだった。
3ヶ月〜半年で再発するでしょうと言われる。
治療費もかさんで
綺麗事では生きてゆけない現実に身体が震えたけれど、
クルミが一日でも元気に生きられるよう、
出来ることは何でもしようと、家族で決めた。
胃ろうをして、食べ方を忘れてしまったクルミに
野々歩さんが「こうやるんだよ」と煮干しを噛んでみせる。
開け放した窓からやわらかい風が吹いているのを
気持ちよさそうに全身で受け取るクルミ。
大好きな野々歩さんに抱っこされて、
上下する胸の運動に目を細めるクルミ。
「まだ6歳なのに」
私たちがクルミのことを思って泣いていると、
「どうしたの?」という顔で見てくる
いじらしいクルミ。
お気に入りのエビのおもちゃを咥えて、
一生懸命に歩くクルミ。
最近はトイレでおしっこやうんちをした時や、
お腹が空いた時、ミーミーと鳴いて教えてくれる。
私たちが家を空けている時、
ひとりでミーミー鳴いているところを想像すると、胸が詰まる。
クルミ クルミ クルミ
何て脆くて、小さくて、かわいいクルミ。
失いたくない。耐えられない。
それなのに、いつか『その日』はやってくる。
今度雪が降ったら、
小さな雪だるまを作って、一緒に写真を撮ろうね
そう約束をした。
数年経って、クルミのことを
泣かずに思い出すことが出来るようになってしまうんだろうか。
記憶が薄れてしまうのが、無性にこわい。
『時間』を、磔にして標本にして壊したい。
やがて溶けて無くなる雪のように、逃げるなよ。
2.月光
娘たちが蝶になる夢を見た。
懸命に飛んで家に辿り着いたのに、
それが娘たちだということに
私も野々歩さんも気が付かない。
あまりにも美しい蝶だったから、
あっという間に捕まえて
磔にして標本にして眺めて殺した。
不思議だね。
臍の緒を切った瞬間から
私たちは別々の人間になって
心も身体も離れていく一方なのに、
あなたたちの痛みや悲しみは
変わらず私の魂に突き刺さる。
紙で手を切ったように、キーンと痛む。
結婚する前、月光に染まった私の裸体を、
野々歩さんはきれいだと言った。
眠の絵の先生が
「消すのを前提に描いてはだめだ」
と言った。
「お父さんもお母さんも死んじゃってパパがかわいそうだ」
と火葬場で花が泣いていた。
幸せな記憶 悲しい記憶
書いた瞬間に過去となる
詩とは記憶の美しさだ
一筋の月の光だ
私も、野々歩さんも、眠も、花も
クルミも
今を生きている
今を、ただ懸命に生きていた



