昨日
神田で飲んだ
帰りは
銀座線で
銀座で
降りずに
渋谷で東横線に
乗り換え
新丸子を
過ぎて
日吉だったか菊名か
それで新丸子まで
戻って
夜道を
歩いて帰った
いつもドアを叩く者をまってる
昨日
新宿駅で緑色の電車を見た
昨日
神田で飲んだ
帰りは
銀座線で
銀座で
降りずに
渋谷で東横線に
乗り換え
新丸子を
過ぎて
日吉だったか菊名か
それで新丸子まで
戻って
夜道を
歩いて帰った
いつもドアを叩く者をまってる
昨日
新宿駅で緑色の電車を見た
「お父さん、ハスは水の中でしょ?」
「そうだよ」
「お父さん、無理の英語は?」
「インポシブルかな」
「無理、無理、無理するなよ」
「お母さん、盲腸ってなに?」
「腸の仲間よ」
「盲腸、痛いといやですねえ」
「耕君、盲腸痛いの?」
「痛くないお」
「お父さん、直るって復旧のことでしょ?」
「そう、復旧は直るってことだよ」
「復旧、復旧」
武田鉄也が「学校へ帰ろう」っていったお。金八先生のドラマだお。
そうなんだ。
お母さん「なるほど」ってなに?
「そうかあ、分かった」ってことよ。
なるほど、なるほど。
「お父さん、正直の英語はなに?」
「オネストだよ」
「オネスト、オネスト、正直にいわないとだめだよね」
「そうだよ」
「正直、正直、正直」
「お母さん、メッセージてなに?」
「なにかを伝えることよ」
「伝える、伝える」
「お父さん、所により一時雨ってなに?」
「もしかしたら雨が降るってことだよ」
「お父さん、晴れたら青空でしょ?」
「そうですよ」
「お母さん、なんで仲良くするの?」
「喧嘩はいやだから、でしょ?」
「そうだよ」
「お母さん、ショボクレルってなに?」
「ガックリすること」
「ガックリ、ガックリ」
「お父さん、さきほどの英語は?」
「サムタイムアゴーかな」
「さきほど、さきほど」
「お母さん、さけぶってなに?」
「ヤッホオー!」
「そ、そうですよ。そうですよ」
「お父さん、なにしてる、の英語は?」
「ワットアーユードウイング、だよ」
「なにしてるう、なにしてるう、なにしてるう」
「お母さん、じょうと、ってなあに?」
「じょうと? 譲渡か。譲り渡すことよ」
「横浜線205系、インドネシアに譲渡しました」
「へー、そうなんだ」
「ダブルシャープは、シャープが2つだよ」
「えっ、そうなの?」
「2つ半音さげる」
お父さん、公衆電話の英語は?
「パブリックテレフォンだよ」
「公衆電話、公衆電話」
「お母さん、アドバイスってなに?」
「こうしたらいい、って教えてあげることよ」
「アドバイス、アドバイス、アドバイス」
「お母さん、おもてなしってなに?」
「人に親切にしてあげることよ」
「おもてなし、おもてなし」
「お父さん、さびしいの英語は?」
「ロンリーだよ」
「お父さん、淋しいは、さんずいに木が2つですよ」
「ああ、そうだね」
「淋しい、淋しい」
あなたの不明に比べたら、わたしの不明など
たいしたことはない。
鳥の鳴く方向、あるいは蛙の鳴く方向を聴きさだめて
わたしの、もぞもぞした声をさがせばいい。
わたしなど、粒で、点で、穴の、
さらにはその底なのだから
はじめから不明を欲して、
急な傾斜を下へ下へと降りて行ったの、
鳥も蛙も、綺麗な気を吐いている。
草木を見つめてみれば、清浄さがくっきりと見える。
青空と、水流の地の間に
どれだけ呆けた透明さをたもつことができるか。
透けていればいいというわけではない。
暴かれ続けろと、言われるままにそうすれば
あなたは術の人になる。
暴かれ、叩かれ、地にめりこんで、土粒だらけの
濁りの身こそ、旋律に奉仕すればそれはそれで
加点もされる。
川の左右の岸には、花火の火が散ったように
不明者の点が、色をつけて等しく並んでいる。
青空側から見れば、群れだが、
笑う花弁のように、みなじっとしている。
生きたいなら
――生きてるよ、と言えばいい。
生きたいなら
――めりこんで枯れて澱んでいるよ、と。
人のごとくに。
――もう、描かれているよ。
空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空(連作「暗譜の谷」のうち)
昨日は
目覚めて
広瀬さんの写真と
それから
詩をひとつ書いて
浜風に載せた
午後には
版画美術館に出かけた
そこに
千尋さんはいた
クロード・メランもいた
聖顔と
聖アンナ
ウィリアム・ブレイクの「神曲」もいた
そこで
振動していた
昨日は
朝
浜風に
写真と詩を
載せて仕事に
出かけて行った
昼は食べずに
夕方に
ビールを飲んだのだったか
つまみに大きい豆
空豆か
空豆をつまんだ
さやが空に向かって
伸びるので
空豆なんだ
そうだ
美味しかったな
鮮やかな緑色だった