彗星パルティ―タ

 

今井義行

 

 

詩を書いているとき わたしはおおきな鷲になり
樹々にとまり 街々をわたり 見つめました
ああ、あれが愛知県の半田市だ 暁子の棲む知多半島のなかばにある海の街

暁子はTOYOTAの関連工場で部品を検品しているが
多忙すぎて湘南海岸に棲むママにはあまり連絡しない

オペラグラスでながめた空のなかにはオレンジの月があったはずだが
わたしはわたしで 月光のなかに銀河空港を造り
そこに─── ひそやかな憩いの場を描いた

CDプレーヤーに嘗て買ったアルトサックスの音盤をセットしてみた

『彗星パルティ―タ』 それは わたしが詳しくない
ジャズの故・阿部薫氏の遺したアルバムのタイトルである
阿部氏のフリーは鼠花火のようにどこへ飛ぶのかわからず
彼は「詩なんて、遅すぎる」と罵りました
そうかしら? 彼は はやくに死んだけれど
わたしは ながく生きて 詩を書きたいなあ・・・・・・・・・

≪嗚呼、こどもにあえぬ アル中おんな ミユキが ないているよお≫

夜間診療の帰り道 ひとで溢れた繁華街でめがねをはずすと
すべての街燈が打ち上げ花火に思えたものでした
なにかの 祝祭かしら・・・・・
そうして パパの形見の懐中時計を間近に引き寄せて
深夜の総武線に乗ったりしました

わたしは パパがきらいだった
よちよちあるきのころから わたしに
≪この世に出してもらえたことをありがたくおもえ≫
と 刷り込み その一方で
とても 小心者であった あの男が

パパの辞世のことばは
「家族っていいなあ/生まれてこなければよかった」
という 相反するものだった
けれど わたしは
ときには パパが 東海道線に興味をしめした
ちいさなわたしに気づいて
湘南電車沿線につれていってくれたことや
わたしが 電車に「さようなら」といったこと
わたしと いもうとの暁子に
「にほんとせかいのむかしばなしとしんわ」を
よみきかせてくれたことなどを薄く憶いだしたりもした

明け方から早朝に移る真夏の空に流線のような彗星パルティ―タ
が明滅している あれは何のフリー

わたしは湯のみで白湯を呑みからだを浮き雲にかえた───
そのように ちいさな風穴があけられて
コミック雑誌の巻末のカラーページを見ていたら
水木しげる氏の 絵画エッセイのようなものが載っていた
最初の1ページ 作者であろう「わたし」が
妻とともに 調布の野川に散歩でもいこう
ということになり 「ああ、カワセミがいる
それにしてもみんな高そうなカメラで撮っているんだナ」と呟いた

3・4ページ・・・・
見開きいっぱいに 野川の全景が描かれている
わたしは 調布に住んだことがあったけれど
これほどに うつくしい完璧な真夏の樹々を見たことはなかった

スマホ 高級デジカメ 絵筆
Googleの社員は自分の足で世界中を歩きまわっているらしい
まあるい EARTH RING それは
地上戦と 電子戦のいきかう戦場なんだな いまもなお

木曜日の午後、院長ミーティングに初めて参加した日
それは双方向性のフリーミーティングだということだったので
わたしは 自己紹介をかねてこのような話をしてみた
「わたしは病気で会社を辞め その後は退職金と精神障害者年金を切り崩して
暮らしているのですが 詩を書くこととは生きること
そして───
ことばに対して官能的、に接していくということで
わたしのしごととは詩人です わたしは、死ぬまで詩人です」
そう喋ったあと誰からも質問はなかったので患者にとって詩ってそういうものかと思った
そして こころやからだが疲れるので 茣蓙でごろごろしていたら
臨床心理士の倉澤さんが「あの、今井さん ちょっといいですか」と尋ねてきた
「詩人ていうものは いつから詩人になるんですか
わたしは詩が好きで中学生の頃からずっと詩を読んだり書いたりしていたんです
詩人になりたいと願っても どこからが始点かわからなくて
結局 臨床心理士になりました」
倉澤さんのまなざしはめがねごしにきらきらとかがやいている

≪嗚呼、こどもにあえぬ アル中おんな ミユキが ないているよお≫

「倉澤さん、詩人は詩人になろうと願ったときに詩人になるのだと思うんですよ」
「わたし 中学校の国語の授業で『夕焼け』という詩に感動したんですが
国語の教師が この詩は作り話なんだよといったもので驚愕したんです」
その詩は 国民の多くに愛されている あれだった

夕焼け 吉野弘

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて—–。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。

(そつなくかいて、ゆるされるのは、『世間知ラズ』の、谷川さんのみじゃないか・・・・・・?)

「どの詩も 全部が全部作り話じゃないと思いますよ
きっかけになるできごとがあって そこに詩人の想像力が加わって
そうして虚構としてひろがっていって成り立つんだと思いますが」
「今度 わたしが書いた詩を読んでくれますか わたしは詩人になりたいんです」
「倉澤さんはまだ若いし いまからでもぜんぜん遅くないですよー
臨床心理士として 毎日多くの患者さんと接しているわけですから
わたしからみたら詩の題材の宝庫でうらやましいくらいなんですけど───」

古いフランスパンのように表面がぽろぽろ剥がれる上履きで
わたしはクリニックのなかのリハビリルームを歩いた

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

わたしは パパがきらいだった
よちよちあるきのころから わたしに
≪この世に出してもらえたことをありがたくおもえ≫
と 刷り込み その一方で
とても 小心者であった あの男が

パパの辞世のことばは
「家族っていいなあ/生まれてこなければよかった」
という 相反するものだった

1987年から2015年まで わたしはずっと詩だけを書いてきました
小説ではだめだった 音楽にも映画にも飽きてきた

そのなかで 思わず かいた わたしの詩は
最終的には 虚構の いいえ
実から虚 実への織物 個人史のつもりです

いいえ 個人史、 なのです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

詩・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なのですよ
この次には無責任に
横須賀に生まれてみたい

親は無く
友は無く

カレンダーは無く

路は無く
壁は無く

駅は無く

光は無く
闇は無く

噂は有る

そのような街で一生を棒に振るの

予め
目標なんて
一粒も無い
予め
甲斐なんて
一滴も無い
予め
外等見ない

そのような街で一生を棒に振るの

横須賀に生まれてみたいね

朝は無く
夜は無く

トレーラーは無く

風は無く
雲は無く

鳥は無く
蝶は無く

泥は有る

空は無く
石は無く
砂は無く
・・・・・・・

そんな街に

阿部薫氏の「詩なんて、遅すぎる」とは29歳の口から出た皮肉だったでしょう
アルトサックスはソプラノサックスより彼の体感に合っただけだったのだと思う

明け方から早朝に移る真夏の空に流線のような彗星パルティ―タ
が明滅していた あれは何のフリー

後日わたしがまた茣蓙でごろごろしていたら
倉澤さんが「あの、今井さん ちょっといいですか」とまた尋ねてきた
「これ、わたしが高校生の頃に書いた詩なんですけど・・・・・」
すこし黄ばんだプリント用紙に記されていたのはこのような詩

雨の日に火曜日になったわたし
Kの詩篇 No.9

冷たくなっていた白米のひとつぶが割れて
そこから間歇泉の雨がふきだす
火曜日に変ったわたしは暖かく濡れながら
空を仰いでいる

時にはばらばらに成りかけた心を合わせて
あたらしいひとつぶになりたいと
木目調のドアのレバーを回して進むと

木目調の木目の緩やかな流れに添うように
緩やかな砂利道が在ったのだ
緩やかな砂利道に添うように
もうすぐ咲きそうな白木蓮の蕾が直立し

服役していた訳でもないのに安堵をして
野原に座る 火曜日に変ったわたし
こどもおとなのようにわたしは爪を噛んで
要らなくなった爪の薄皮を剥がす
そのときに また──

緑地から間歇泉の雨がふきだす
火曜日に変ったわたしは暖かく濡れながら
空を仰いでいる

しあわせになりたいと想ったことはない
(傲慢なのだろうか、わたしは・・・・)
というのは 周りに嘆くひとが多過ぎた
最低限に暮らせていければそれでいいと

ただ 火曜日に変ったわたしは嬉しいのだ
この場所では どんな友に逢えるのだろう
月曜日に変った友 水曜日に変った友・・・・
木曜日に変った友 金曜日に変った友・・・・
土曜日に変った友 日曜日に変った友・・・・

それぞれにかわすことばの体温を知りたい
火曜日に変ったわたしは高熱なのだろうか
いまのところ わたしのこころは涼やかで
周りの光景のほうが眩しく高温のようだが

(倉澤さん、どこから それを まなんできました?)

あなたの詩は、彼方へ届くか
わたしの詩は、彼方へ届くか

≪嗚呼、こどもにあえぬ アル中おんな ミユキが ないているよお≫

「こういうの毎日 書き溜めていたんですが」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「わたしは きれいな嘘がすきだったんでしょうか
それから こういう詩もです」

器械体操
Kの詩篇 No.12

機械体操ではなく器械体操なのだったと
錦絵の秋に想いだした
暮れ方になればライトアップされた床で
一枚の葉が舞い続ける
廻りながら捩れながら
一枚の葉は処女だった
機械体操なら装置なのでスイッチが要る
器械体操なら品位なので陶然と成るのみ
痴態とはならない一葉
機械体操ではなく器械体操なのだったと
沙羅の秋に想いだして
機械体操ではなく器械体操なのだった・・・

(倉澤さん、どこから それを まなんできました?)

「わたしは きれいな嘘がすきだったんでしょうか」

「わたしは きれいな嘘がすきだったんでしょうか」
そんな倉澤さんの問いには こたえず
わたしは 薬局に寄り 早い夕飯を
駅ビルの 安いイタリアンレストランでとり
それから まっすぐにアパートに帰って
横たわっていたら 夕暮れは夜に変わり
早い夜は 深い夜へと 変わっていった
わたしは 睡眠薬を飲み ベッドですとんと眠りに落ちて
あっというまに夢を通りぬけながら・・・・・
夢のなかでも詩を書いていて空を仰いだ
明け方から早朝に移る真夏の空に流線のような彗星パルティ―タ
が明滅していた あれは何のフリー

詩人って、なんだろう
『わたしの「詩人」の定義は、(今井さんの場合 限定かもね) 詩のかみさまと契約を結んでいるひと、です。かみさまに「自分を捧げるから、どうぞ詩の言葉を書かせてください」と祈って、その祈りが受け入れられた人。』 
そのような お手紙を サトミさんから いただきました
とても うれしかったけれど わたしってなにものなのだろう

≪嗚呼、こどもにあえぬ アル中おんな ミユキが ないているよお≫

 

 

 

BE MY BABY (BE MY LITTLE BABY)

 

今井義行

 

 

太陽は見ていた───わたしは 夢の夢の夢で
こおりやの縁に腰をかけ練乳のしるをぽたぽたと垂らしていた
とてもまばゆい その日には
喪服の似合うおんなが露地をとおりすぎていって
喪服のしたには 赤ん坊をはぐくむ
しろい乳首が とがっているだろうとおもった

(だれの火葬があったのかしら)

わたしは52歳になりました いてもたってもいられない精液はすずらん
姿見のない部屋には手鏡を買って帰った

「帰省しなくていい あたしの
しごとは もうおわっているの」

BE MY BABY (BE MY LITTLE BABY)
わたしのかあちゃんはわたしのあかちゃん

のぞいた手鏡のなかに・・・・・・こづくえをひらいて
あさぬのに いのりの品目のさらだ
を ならべた ひじきは黑い
のぞいた手鏡のなかに 亀戸天神のおふだ

亀戸天神さま 亀戸天神さま 亀戸天神さま
のぞいた手鏡のなかに、おれだけのはまぐり

BE MY BABY (BE MY LITTLE BABY)
わたしのかあちゃんはわたしのあかちゃん

何もしらない赤ちゃん 東京発の東海道線
透きとおるようなすなはま はだしになってはしりたくて
そうおもったら もうはだしでした

波に打ちあげられた貝殻ひろい BE MY BABY
ほねやかわなどすくいあげては BE MY BABY

わたしのかあちゃんは わたしのあかちゃん
こころおきなく わたしにだかれてほしいのだ
よだれたらしてほしいのだ じゃあじゃあー
ないてほしいのだ 初めて会ったわたしの頬へ

破れてしまった睾丸のような狂おしい太陽は
見ていた───わたし の

BE MY BABY (BE MY LITTLE BABY)
BE MY BABY (BE MY LITTLE BABY)

亀戸天神さま 亀戸天神さま 亀戸天神さま
のぞいた手鏡のなかに、おれだけのはまぐり

シャララララ シャララララ・・・・・・
うみかぜにそってあるいていたとき
波に打ちあげられた濃いあおのおんなの肩ひもは、ことだま

 

 

 

リバー

 

今井義行

 

 

水上バスステーションのある街で思い出す
スポイトから ひとみへ ブルーグレイを
ぽとり垂らすと
ともだちが わたしのなかにはいってくる
そのように
水上バスステーションのある街で思い出す

ヒップホップ世代のO-ba
キャップのつばを後ろに向けて唇のうえに僅かな鬚、裸足にサンダル
初めて会った日には
みんなのいるミーティングルームで
振戦(しんせん)───アルコールの離脱症状から訪れる震え、滑舌の悪さ
が酷かった

神の創りしラジオ*

「ビギン・ザ・ビギン」のながれる畳

リハビリテーションが やすみの日に
音楽を聴いていたら音階がうねるので
わたしは めまいに苛まれてしまった

きっと此処は河のうえのおおきな木橋
風が吹く度に四方に大きく揺れるのだ

音楽の低音が ゆさゆさと揺れている
ところが心はとても爽やかだったのだ
その日の渦 音楽は響きつづけている

神の創りしラジオ
神の創りしラジオ
作業療法士が「あなたの良いと思うところは何ですか」
と 問うたとき

O-baは ボソッといったのだ
「カンチ」
「カンチ それってどういう字ですか?」
するとO-baはホワイトボードの前までいって
「感知」と書いた
「俺、小学生のころから
みずいろのえのぐで空をかいてみなさいとか
いわれるの
ヘンだとおもってたんですよね・・・・・
みずにいろなんてないもの」

神の創りしラジオ
(夏河に 水上バスの 遺すきぬいと)

ウエストコーストの地は若者のあいだで光陰
にさらされながら
みずは いまでは凪いでいるようだ───

筋肉はかなり衰えていたのに 太陽ってば
わたしを外へ引っ張り出したことがあった

箱根湯本の温泉郷へと向かう
路線の 幾つかの駅の名前
螢田 風祭 そこでは何かが
舞っているような思いがした

田園都市線に乗った土曜日は
鷺沼 を飛翔しながら
車内の路線図を眺めたりした

眼鏡を外すように
「  」(かっこ)を外すと
空白が残る とうめいなみず

うすむらさきがすきなのでうすむらさきを
さがしていた日
街のともしびがくれてきて作業所の帰り道
まだうすむらさきをさがしていたわたしがいた
手には油脂がついていた
わたしはうすむらさきがすきなのに
黄や青がまじっていて純正品はすくない
『きょうは、もうお帰りよ・・・・・』
アパートにかえりつくと
郵便受けに 一冊の詩の同人誌をみつけた

(このなかに うすむらさきは ないかしら)

アル中って、厚生労働省からは病気として認められているけど
実際は 大麻 覚醒剤中毒と同じように侮蔑されているのね・・・・
自業自得、ってわけ
それで みんな「真夏の美(び)―るの季節を乗りきらなくちゃって
大騒ぎになっているのさ

(夏河に 水上バスの 遺すきぬいと)

迷彩色のボールがひとつ
空気が充填されて
ぱんぱんだ こいつを
地球儀に見立ててみよう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地球儀で毬をつく
ぽおん、ぽおんと毬をつく

ざらざらの地の上で

あんたがたどこさ・・・・

地球儀で毬をつく
ぽおん、ぽおんと毬をつく

ボールの空気が抜けて
くる 凹みもできる

いろいろな国に
擦過傷ができる
わたしは時々それを眺める

あんたがたどこさ・・・・

傷だらけの「毬」

大陸も大洋も傷だらけ
止血が間に合わない

地球儀で毬をつく
ぽおん、ぽおんと毬をつく

あんたがたどこさ・・・・

カマンベールチーズを齧った
まわりの白黴の食感好きで

あかときいろの錠剤のんだ

午後に卓球のレクリエーションがあった日
窓のそとは しとしと雨だったけど
ダブルスのゲームは 白熱したね───

O-baは随分みんなになじむようになって
すげースマッシュきめて
片目をつぶって 親指たてたね

(死にいたるところに 雨足の あさがお)

リハビリテーションが やすみの日に
音楽を聴いていたら音階がうねるので
わたしは めまいに苛まれてしまった

きっと此処は河のうえのおおきな木橋
風が吹く度に四方に大きく揺れるのだ

音楽の低音が ゆさゆさと揺れている
ところが心はとても爽やかだったのだ
その日の渦 音楽は響きつづけている

O-baは
「あなたがいちばんしあわせをかんじるときは?」
と 作業療法士にふたたび聞かれたとき
こう いったね

「嫁と 息子の優透(ゆうすけ)と 俺と
三人で 川の字になって だまって ぼーっと 昼寝してるとき」
彼は ぼそっと そういったね
三人で 川の字になって だまって ぼーっと 昼寝してるとき

水上バスステーションのある街で思い出す
スポイトから ひとみへ ブルーグレイを
ぽとり垂らすと
ともだちが わたしのなかにはいってくる

荒川河川敷の ひろい、ひたすら ひろい みずのいろ
荒川河川敷の ひろい、ひたすら ひろい みずのいろ

十年位まえに ロスの空港で
おんなは I LOVE YOU といい おとこは I LIKE YOU といった
それもまた しろいひとつの百合なのだと 急に思いだし

荒川河川敷のしろいクローバーのいっぱいにひろがる
水上バスステーションのちいさなしろいベンチに
O-baと優透くんとお嫁さんが「川」の字にならんで
すわっているのがすーっと見えたのさ・・・・・

会ったことのないよちよち歩きの優透くんは夏の風にすけている

誕生日に贈ってもらった 薄いピンクのデジカメで
(鬚をそり忘れているような わたしを慈しんでくれるなんて)
散歩のおりには 花や木の実や雨あがりの水滴 ほかにもいっぱい写真を撮ろう
写真から あたらしい音が聞こえてくることがあるのです

神の創りしラジオ
神の創りしラジオ

772-111という数が秋葉原の電柱に咲いているのを見つけて
しあわせな気もちがしたの 今度写真に撮ってみたいな
そして わたしのほうから一人一人に話しかけてゆくの

朝な夕な
東雲(しののめ)は東京湾に臨んでいる
わたしは
そこへ行ったことがないけれど

雲なのに海
お互いを映しあっているかのよう

朝な夕な
東雲(しののめ)は東京湾に臨んでいる
わたしは
そこへ行ったことがないけれど

そのことばがわたしの中に街を描いている──・・・・

東京湾へゆったりとながれこんでいるはずの荒川の水が
隅田川のほうへ隅田川のほうへとなみなみと遡っていて、
それは いったい なぜだろうか

隅田川のほうへ隅田川のほうへとなみなみと遡っていて、
それは いったい なぜだろうか
ああ、
とても ふしぎだなあ───
ああ、
とても ふしぎだなあ───

 

 

 

神の創りしラジオ*
BeachBoys結成50周年記念にリリースされた歌
www.youtube.com/watch?v=F5FatuHDcM0

 

 

赤と黒のボールペンドローイング

 

今井義行

 

 

神田の川面のとがった金属線のゆくえに
和泉橋は架かっている 中古カメラ店はもう開いている
靖国通りを右折して、
「おはようございまあす」と迎える
白衣を引き摺る石黒ダノン
作業療法士というより歳のわかい探偵のようだ
なぜわたしが彼女を石黒ダノンと呼ぶかといえば
朝8:30にわたしが必ず食べる
発酵乳プチダノンと重なるからだ

この五月に入所したばかりだという

太陽の燃えがらを思いうかべながら
きせつのかわりめに着る服にはいつもまようんだ
──と わたしは・・・・
リハビリルームの賑わいの中で
苦笑して それから少し微笑ってみた

都合の良い丘からは相手の内面など読めはしない

大きな大きなボールを両腕に挟んで膨らんで膨らんでいくイメージ、
それから吸って吸って吸って吐いて、はあ───

かつて入院してベッドで血中の毒素を抜く
初期点滴治療を受けたとき
わたしは「詩人としての精神まで解毒されてたまるか」
とあらがったものだった
けれど いまはそういうところからは解かれている
≪一日は遠い
むかしのことのようだ≫という
さとう三千魚さんの詩句にうなずきながら

詩は たましいのミルフィーユのようですね
と思う

よく晴れた午後。
ゆるやかに蛇行する旧中川の河川敷に沿ってのんびりと歩いていった日曜日があった
そこでは名も知らぬ魚がぴしゃんと跳ねたり
名も知らぬ小さな薄紫の花がひっそり咲いたりしていた
鉄橋をくぐるとき
水面に鷺が立っていてこつこつと藻草をつついていた
吸って吸って吸って吐いて、はあ───
深い呼吸や筋肉をぐっと伸ばすことが楽しみになった

作業療法士を子どもあつかいしちゃあいけないな
と顧みて 子どもについてふと考える
子ども 子ども 子ども 子どもたち・・・・

子どもたちは 無論 天使たちではなかった
子どもたちは 人類の 素人たちだった
まだ はじまったばっかりの
何もかもが 途中の生物であるから
ときどきに 図らずして
宇宙の奥が ぎらっと顔をのぞかせるような
色彩の嵐を 広告の裏に描きなぐったり
身体に入ったばかりの ことばを
霧吹きのように 吐きだして
部屋中を 新鮮なことばの森林に変える
森林浴のなかへ差し込む 夏陽のかがやき

子どもたちは 多分 新星などではなかった

年齢を重ねると 拙いなりに学習をして

図らずして 人間のプロになってしまう
そんな喜びと悲しみを自覚できてるか
わたしたちは 生きてあることの慣れと
競走しなければ こころなど伝わらない

昼休みリハビリルームのテーブルでわたしは詩を書いた

「赤と黒のボールペンドローイング」

壁に飾られた大きな額の中に
きっちりとした横長の長方形があって
そこに・・・・・どしゃぶりの黑い針金が降りしきっている
その図柄は 参加者のアッキオが
数回の入院と度重なる自殺思念を経て
手先がたどり着いた「ボールペンドローイング」なのだという
極細のボールペンの切っ先で垂直に下ろされた
フリーラインは緻密に描き重ねられていて
その姿は至近距離で見ると真黒な霧の塊にしか感じ取れないのだが
数mほど離れた自分の座席から眺めてみると
真黒な霧の塊の間から深紅のあかい柱が等間隔に浮かび上がってきて
わたしは そのとき深紅の格子窓の向こうに広がる黑い庭に
臨んでいるような心地になったのだった───
何度かしか隣り合わせたことのない
アッキオの「赤と黒のボールペンドローイング」
わたしは格子窓の向こうの黑い庭を一緒に歩きながら
アッキオともっと話してみたいなと思った

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしには 地面を見ながら
歩く 癖があるのです
哀しいわけではないけれど
姿勢が 俯き気味なのでした

地面には地面の話し声がする
硝子の欠片や蟻の姿が
よく見えて うれしい

オールド・ブラック・ジョーが聞こえる
(フォスターはminorityに共振したひとなんだ)

あ、この小石は光っているから
家に持って返ろう

散歩をしているとき地面に
八つ手の影が はっきり見えた

八つ手のグレイの影は
ひとつひとつの
指の先を大きく開いて
手を振り続けていた

わたしの靴底は 八つ手の影と
楽しく話しているみたいだった

アッキオのA4の古いノートには書きかけたことばの断片や
草むらのようなスケッチがめぐらされていた

指紋もあちらこちらに付いていた・・・・・

歌わなくなってしまったひとたちを知っている
歌わなくなってしまったおんなはひとみで歌う
なぜ歌わなくなってしまったのかはききません

音楽が奏でられると ひとみは
うれしそうに 時にさびしそうに運動している

まつげはどうしてあるのだろう
おんなは泣かない もしもの受け皿か

でも まつげとまつげのあいだには
こまやかな すきまがあるから
泣いたとしても すきまから零れます
名を知らぬ紙のはなびらの端が
花のように折れています───

下町では沢山のインドのひとと
行きかう機会もときにはあった
彼等は日本語で
逞しく生きてる 笑いながら

インドのひとと 近い空間に
居合わせるおりに
気づくことがある
インドのひとのからだの香りは
燻った シナモンの香りなのだ

老若男女問わず シナモンだ

水無月の香木──六月の薫香
それは 古代から続いている
スピリチュアルな癒しの香り
なのだろうか・・・・・

終礼の時間に司会の席で石黒ダノンが
満面の笑みで
「お酒って、とても偉大なものですね!」といった
断酒のリハビリルームでなぜそういうことばが出てくるか
参加者にも不思議すぎるし
おそらく本人にも分かっていないのではないか
でも天真爛漫すぎるのでそれはそれでいいのか
それにしても・・・・・
作業療法士というより歳のわかい探偵のようだな

「今井さん、また月曜日にね」
そういって、
66歳のアッキオは二階の階段をおりていった

 

 

 

ことばのつぶ

 

今井義行

 

 

ことばのつぶだちについて考えている
炊き立てのお米のようなつぶだち・・・・

炊飯器のふたをあけて覗き込んでみる
米のつぶが 湯気のなかに立っている

よく見るとひとつぶひとつぶ形が違い
それらの接触が「味」を生むのだろう

こころのなかで 砂粒がふぶいている
わたしは紅い砂丘を ただよっている

目が痛い 砂粒が睫毛に絡まってくる
そんなときこそ 目を強くひらくのだ

何が見えるか見えるものが見えるのだ
炊き立てのお米のようなつぶだち・・・・

わたしは それらを網膜に焼きつけて
机上のPCの画面に 記録をしていく

ことばのつぶだちについて考えている
炊き立てのお米のようなつぶだち・・・・

炊飯器のふたをあけて覗き込んでみる
米のつぶが 湯気のなかに立っている

よく見るとひとつぶひとつぶ形が違い
それらの接触が「味」を生むのだろう

それらの接触はわたしの米の研ぎ方だ
そのときにわたしは 左側の腕を使う
炊き立てのお米のようなつぶだち・・・・

わたしは それらを網膜に焼きつけて
机上のPCの画面に 記録をしていく

ことばのつぶだちについて考えている
炊き立てのお米のようなつぶだち・・・・

わたしは砂塵になど吹飛ばされないぞ
充血した目でことばのつぶだちを愛す

 

 

 

放蕩息子

今井義行

 

母と子の間には”絆 ”というものがあって━━━

つる草のように全方位に伸びている

くっきりと健やかに伸びているものもあれば

うねうね・・・と伸びているものもある

どういう絡み方をするにつれ良し悪しの問題ではなく

ねじれ具合のようすがどんな形状──オブジェになっているか

「ごみは可燃物と不燃物を必ず分別して 下記の曜日の朝に出してください」 ”絆 ”を引きはがして

決済が下るとき なにかが華かは分からない

どちらがより相手を咲かせようとしたか

●◆▼★Σ§ΗΦ「●◆」「●§」「●α」」「●Σ」・・・

けれど いつも頭に●がついて見守られている

図鑑によるとわたしは「放蕩息子」の相なのだそうだ

母親にとって 子どもはいつまでもあのときの子ども

勝手に物件を契約して 狭い場所で詩を書こうとする

わたしを「放蕩息子」として否定したがっているかのように

好きかってしているから仕方ないけれどね

おかあさん・・・あなたは全知全能でないことも

「こんなはずでは」とも既に判って知っているのでしょう?

それでも 放蕩息子は「●◆」「●§」「●α」」「●Σ」・・・

いつも頭に●がついて見守られている

・・・・・・・・・・・・・・・・・

図鑑によるとわたしは「放蕩息子」の相なのだそう

どんな放蕩かといえば「静かで狭い場所で詩作三昧すること」

これは 損か得かのスケールでは測れるものではないな