昨日
四谷の駅で
壁を見た
壁には
水の沁みて
流れた
跡があった
お茶の水の駅では
クレーン車が佇っていた
アマリリスの
花が
萎れているのを
facebookで見た
ありのままを見よといった
地上には
人々がいた
雨が降っていた
昨日
四谷の駅で
壁を見た
壁には
水の沁みて
流れた
跡があった
お茶の水の駅では
クレーン車が佇っていた
アマリリスの
花が
萎れているのを
facebookで見た
ありのままを見よといった
地上には
人々がいた
雨が降っていた
本を
ひらいた
ぺらりと
ひらいた
でんきの本も
ぺらりとひらきたいと言った
でんきのカメラで
きみの笑顔を
モコの寝顔も
水のなかの他者の記憶も
瘤鯛の夢も
でんきのカメラで撮る
原子力発電所と
ブロッコリーも
風が強い
風が強かった
海辺を
あるいた
漁港で巨大な船をみた
舳先が丸く突き出ていて
瘤鯛のようだ
たくさんの魚を捕り
積み込むのだろう
それから
海辺のプールで泳いだ
魚になって
ゆっくりと泳ぐ
もぐる
水に
親和する
水の中に入ってゆく
遠い
他者の記憶だ
おめでとう
ぼたるさん
あなたの誕生日を
facebookから教えられた
誕生日をしらなかった
今朝
浜辺で
コッペパンをちぎって
カモメにあげた
この世の空を飛んでいた
まっすぐに見ていた
ぼたるさん
ことばもそこにいく
そこへいく
沼津をでて
富士を
過ぎた
ホームライナーは
明日は英語のレッスンがある
じつは根石さんを
落胆させた
逆戻りを自分に禁じてください
そこがゆるいと
300年から500年かかります
そう
いわれている
ヒトを
落胆させて
落胆している
山下徹さんから「ふたりだけの時間(2014年6月11日〜7月19日)」という冊子をいただいてから、
この小さな冊子を鞄にいれて持ち歩いていた。
なぜか、持ち歩いていた。
この小さな冊子のなかの言葉たちは痛く感じられた。
そして、なんどか、読み返していた。
はじめに、という扉のことばがある。
この物語の主な登場人物はふたりです。
ボク この物語の作者(通称、とんちゃん)
えっちゃん ボクのワイフの通称
えっちゃんはお医者さんからガンと告知されて1ヶ月余りで永眠するのですが、この物語は作者、つまり、ボクは、迫り来る死を前にした、ふたりだけの時間を書きました。
つまり、この小さな冊子は山下徹さんのワイフであるえっちゃんと山下徹さんの2014年6月11日から7月19日までの記録なのだ。
6月14日(土)
午後3時過ぎ、我が家の2階にボクの昔のエレキバンド仲間のUが置いていった電気ピアノでえっちゃんがベートーベンの「喜びの歌」を弾いている。ボクはドアを開け、彼女の前に立った。ボクラは夢中になって抱きしめあった、ボクは、まるでケダモノが咆哮するように泣き叫んでいた。
6月20日(金)
どうしても東京へ行くという。もう身体も弱ってきているし、腹水も出て苦しいはずなのに、絶対に行くよ、えっちゃんはボクをねめつけてひかない。確かに渋谷のMがん研究所のM先生のセカンドオピニオンの予約をしているし、彼女は東京生まれ東京育ちだから、死を覚悟して故郷に帰りたいだろう。ふたたび関西まで帰れなくても、東京の方がいい病院があるだろうし、もうボクはえっちゃんの心だけにどこまでもひきずられていこう、だから、えっちゃん、ふたりいっしょに、あした東京へいこう・・・・・・
6月24日(火)、6月25日(水)は、比較的おだやかな日々をすごせたと、ボクは思う。「おだやか」とはいっても、おたがいにガンについて沈黙する、これまでボクらはガンについて幾度話し合ったことだろう、死の沈黙の上に成立する「おだやか」だったろう。
おそらく愛は、瞬間ではなかったろう。時間によって生成・発展するものだったろう、あるいは時間の中で、厳しい試練にあい、消滅してゆく・・・・・・ボクラに関していえば、43年間かけて、愛は成長し、日々深くなって、おそらくいまがその頂点なのだろう、この水を打ったような静かな沈黙の中で、ほんのそこまで近づいた死を前にして。
6月26日(木)になって、オキシコンチン5mg、オキノーム散2.5mgでは、痛みを緩和できなくなってきたのか。オキノーム散を飲む頻度が増えている彼女の姿をみるのだった。
ここに記録された言葉はなんだろう。
なぜ、これらの言葉が痛いほどに切実にわたしに届くのか?
詩やエッセイや小説などの言葉による作品性のことを考えているのではない。言葉の本来性について考えさせられているのだ。
山下徹さんは扉の言葉で、この物語の主な登場人物はふたりであり、ふたりだけの時間を書きました、と書いている。
だが、ここにあるのは記録だろう、日記だろう。それを山下徹さんは物語なのだといっている。物語は他者にむかって語られるだろう。
ここにある「ふたりだけの時間」という記録は他者に向けて開かれた物語の扉なのだと山下徹さんは語りかけているのだろうか?
ここにある言葉の切実さは「えっちゃん」を支える言葉たちなのだ。そして「えっちゃん」を支えるということが「ボク」を支えているのだ。
そして、その言葉たちを山下徹さんは「物語」として他者に開らこうとしているのだと思えた。
ここに言葉のもつ本来性を見る思いがしたのだ。
7月3日(木)。ボクの祈りがかなえられた日。きのうのように一日を過ごし、夕方には車椅子でジャックと。7月4日(金)もボクの祈りがえっちゃんに届いた日。アイスクリーム少量。アンリ・シャルパンティエのクッキーひとかけら、病院の売店のシャーベット、アイスコーヒー3分の1くらい。夕方。おとついのように、きのうのように、ジャックと面会。
7月8日(火)
毎日、ベットのへりにボクと並んで座り、アイスコーヒーを飲み、氷をかじり、レモンシャーベットを食べている。後は少量の果物など。天使のようにやせてきた。腹水は7〜8ℓとなっているらしい。白血球の値が高い、からだはガンと闘っているのか?ボクラは病室であいかわらず楽しい生活を送っている、えっちゃんにキスしていい?ときくと、いいと答えてくれる。
7月15日(火)
午前5時から、
こおりを食べる
水をのむ 歯をみがく 水をのむ
レモンシャーベット
こおり
左胸の下あたりが苦しいという
看護士さんにモルヒネをいれてもらう
いま何時ときく 5時
いま何時ときく 5時5分
髪をとかす
6時過ぎ
芦屋ロールのクリームの部分を
3回 小さじで
はちみつ
こおり
両手がこきざみに震えて
握力が弱くなって
いま何時 6時半
夕方 6時過ぎ
こおり レモンシャーベット
プリン ゼリー 芦屋ロールの
クリームをさじで少しずつ食べる
サクランボ1個
ボクの
天使
眠る。
ここに書かれている言葉はもともとは「ふたりだけの時間」として書かれた記録だろう。しかし奇跡的に詩のコトバになりえていると思う。
これらの奇跡的なコトバに喚起されて、わたしの古い記憶がよみがえる。
こどものころの記憶だ。
初夏の午前だろうか、
目の前に田圃がひろがり緑のなかに稲の葉先が一面、風で揺れていた。
軒下の日陰の敷石の上に小石を積みかさねていた。
子猫か、蝉か、だれかの墓をつくっていた。
雄物川の水の中にもぐり水面をみあげていた。
水面には太陽が光り輝いていた。
まだ、言葉を覚えるまえの記憶もあるだろう。
言葉は伝達のためだけにあるのではないだろう。
詩の言葉も伝達には適さない言葉だろう。
しかし、詩のコトバは、古い記憶や自然などヒトを支えるものと親和性を持っていると思える。それは永遠だろう。しかも一瞬の永遠だろう。
一瞬の大切なものを忘れてはいけない。
詩のコトバは死に臨むひとりのヒトを支えることもあるだろう。
いのちは
愛しあうための
空地
山下徹さんは7月19日(土)の最後の日記にそのように書いています。
※文中の引用は全て、別冊「芦屋芸術」「ふたりだけの時間」より引用させていただきました。
今日
四ツ谷駅の草叢を
見た
水道橋の
水面
それから
お茶の水の病院を
ホームから見上げた
思い浮かぶのは
佇つヒトたちだけだ
佇って
いた
佇つヒトたちがいた
見えないだろう
走る人には
草叢や水面や
病院は
見えないだろう
今朝
道に落ちてた
スカーフは
透けるような
桃色の
女のヒトの
首に巻かれていたのだろう
まるまって
汚れていた
だれも拾わない
橋を渡るとき
霧の向こうに川崎のビル群が浮かんでいた
煙突から白い煙が上がるのを
電車から見ていた
きのう
ばあさんは
河に
いって
洗いました
じいさんは山に柴刈りにいきました
わたしも
洗いました
ことばも
きみも
空色の空も
花も
洗いました
それから
空の下で
ご飯を食べました
スープをかけて食べました
おいしかったな
ビリー・ホリディが
さっきまで
歌ってた
珈琲園で
いま
テナーサックスが
鳴ってる
やさしく
撫でるようだ
後ろの席で
ふたりの女の子が
はなしてる
いいねえ
可愛いい
そういっている
この世への切符を無くした
コップを見てる