午後

 

萩原健次郎

 
 

 

ぼくはいつもぶらさがっているなにか、姿形が判然としないもの
を遠くから見つめている。眼の端に揺れている黒い塊。生き物な
のかそうでないのか。いや、実在していないものをそこにあるか
のように錯視して、気にしているのかもしれない。生きているも
のであれば、少しは身を動かすのだが、それは、ただ風を受けて
ぶらぶらしているだけなのだ。

近づいていく。惹かれているのでもない。黒い塊とぼくの引力と
か重力だとかの関心の間で、強いられて塊の真下まで歩いていく。

――なああんだ、
と思った瞬間に、ぼくは彼岸の人になっている。

ぼくの生などという代物は、だれかの対象なのであって、ぼくが
なにかを対象にしようなどと思うことはないのだ。

川岸を歩いて、すこし先になびいている桜の古木の下まで行き、
そこを通過していく。

無音。
――ぴーぴーぴー
鳴っている。

音があるのに、それもまた覚ることもなくぼくを通過していく。
鳥もまた、彼岸の生の懸命なのだろうから、ぼくの対象にはなら
ない。

すべての行いを不信に思ったとしても、もう埒外の懸命だろうが
と言いかけて誰にも語らない。

午後と決めた人はだれなのか。

真昼を過ぎたら、枯れていく。ぼくは対象として捨てられる。

――みんないっしょに

季節はずれの、狂院の盆踊り。
いつのまにか、終わっている。

 

空白空白空白空白*西東三鬼に
空白空白空白空白空白空白空狂院をめぐりて暗き盆踊  の句がある。

 

 

 

山崎方代に捧げる歌 01

 

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

 

ゴンチチの
ロミオとジュリエットを聴く

今夜も
聴く

どうなんだろう

恋人のために毒をのめるのか
短剣をさせるのか

このまえ
熱海の断崖の病院から青い海をみた

平らだった
あどけない俤を抱いてた

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その20

 

佐々木 眞

 
 

 

お父さん、山手線ぐるぐる回ってるね。
うん、回ってるよ。
内回り、外回りですお。
うん、そうだね。

お母さん、マンゾクってなあに?
良かったなあと思うことよ。
余はマンゾクじゃ。

お父さん、将棋は攻めるんでしょう?
なるほど、攻めるのかあ。

お母さん、さまようってなあに?
あっちへ行ったり、こっちへ行ったりすることよ。
さまよう、さまよう。

「アーメン」は、祈ることでしょう?
そうだね。

お父さん、勝浦旅行でお土産買ってきますよ。
そうですか。ありがとう。

「そんなもんうけとれねえ」、とシュウがいいました。
なにそれ?
「風のガーデン」だお。

お母さん、どうも、ってなに?
どうもありがとう、のことよ。
どうも、どうも。

お母さん、バージョンてなに?
いろんな版のことよ。

お父さん、おはよう!
おはよう、耕君。

お母さん、ご飯の支度をしてください。
ハイハイ。

ときめくって、なあに?
どきどきすることよ。

お母さん、今日キノコご飯にして。
わかりました。

あした図書館行って、ファミリーマート行きます。
わかったよ。

お父さん、虫歯の英語は?
ううううう

お父さん、高いは高橋の高?
そうだね。

ぼく、ウチワ好きですお。
そうなんだ。
ウチワ、暑い時あおぐものでしょ?
そうだよ。
ぼく、ウチワ好きですお。

お父さん、必死は?
一生懸命なことだよ

お父さん、ワサビは畑だよ。
そうだね、ワサビ畑でできるんだね。

お母さん、とおりゃんせって、通ってくださいのこと?
そうですよ、♪とうりゃんせ、とうりゃんせ、こーこはどこのほそみちじゃ。
とうりゃんせ、とうりゃんせ。

お母さん、スーパーヒーローってなに?
すごい中心人物のことよ。

ぼく、お母さんとお父さん、信じていますよ。絶対信じていますよ。
ほんと?
ケンも信じていますよ。

松島さん泣いていたよ。
うん、泣いてたよねえ。悲しかったんじゃない。

お父さん、落ち着くの英語は?
カームダウンかな。
落ち着く、落ち着く。

嫉妬はうらましがることでしょ?
うん、まあそうだね。

♪らららラララララ。森のくまさんだお。

いとしの耕君、いとしはどんな字?
愛だお。
あったりい!

お母さん、今後ってなに?
これからのことよ。

ぼく、国語大辞典好きですお。
そうなんだ。

お母さん、甲子園てなに?
野球場よ。
甲は申すにちょっと似てるよねえ。
そうねえ。
でもちょっと違うよねえ。
そうねえ。

無くなる電車、廃車でしょ?
うん、まあそうだね。

「家に鴨」でアヒルでしょ?
そうだね。

お父さん、回数券買った?
買ったよ。

連佛さん、録画した?
したよ。

ぼく、ハスとサトイモとクワイ好きですお。
お母さんもよ。耕君、おばあちゃんちのクワイ見ましたか?
ぼく、見たよ。

お母さん、やりたい放題ってなに?
好きなことばっかりやることよ。耕君やりたい放題なの?
違いますよお。

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 40

 

貨幣に外部はあるのか
自己利益に外部はあるか

ぐにゃぐにゃと揺れてた
白い液体を吐いた

世界は高速に回ってた

エバは林檎を齧り
柔らかい赤ちゃんを育てた

ロミオは毒を飲んだ
ジュリエットは短剣を刺した

断崖の病院から青くひろがる海を見た
平らだった

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 39

 

ロミオは毒を飲んだ
ジュリエットは短剣を刺した

脳は正常なのにエラーを起こすのだと医師はいった

ぐにゃぐにゃと揺れてた
白い液体を吐いた

世界は高速に回ってた
世界は

洗面所の
床に嘔吐した

断崖の病院から青くひろがる海を見た
平らだった

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 38

 

ゴンチチのロミオとジュリエットを聴いてた

ロミオは毒を飲んだ
ジュリエットは短剣を刺した

朝になった

このまえ
新幹線の熱海駅で倒れた

病院に運ばれた
脳は正常なのにエラーを起こすのだと医師はいった

断崖の病院から青くひろがる海を見た
平らだった

 

 

 

空っ梅雨

 

正山千夏

 
 

たれこめた灰色の雲たち
薄日が肩をあたためて
そこになかった体温を思い出させる
気だるい歌にも飽きた
ただひきずるように重い足取りが
わざと遠回りして
陽の当たる電車に乗ったのだった

暑苦しく吹き出す緑たち
それでも束の間の地上滞空時間
今日は地下には潜りたくない
シートに腰掛けてスマートフォンと心中していく人びと
エスカレーターに乗って欲望と心中していく私
終点で降りると
今日は歌いたくない駅なのだった

 

 

 

俺っち、ぽかーん。

 

鈴木志郎康

 
 

俺っち、
ぽかーん。
庭に紫陽花が咲いている。
ぽかーん、
ぽかーん。

二〇一七年六月二十六日
朝から、
テレビの前のベッドに、
横になって、
ぽかーん、
ぽかーん。
中学三年十四歳の
ブロ棋士
藤井聡太四段が、
前人未到の29連勝の記録を更新するかって、
こっちゃ、
こっちゃ。
俺っち、
ぽかーん。

夜の九時回って、
テレビの速報ってこっゃ。
藤井聡太四段が、
十一時間の対局の末
増田四段に勝ったってこっゃ、
29連勝達成ってこっゃ。
こっゃ、
こっゃ。
テレビ、
新聞、
大騒ぎっちゃ。
地元は地元で、
盛り上ってるってこっゃ
こっゃ、
こっゃ。
俺っち、
ぽかーん、
ぽかーん。

 

 

 

ふるさと

 

車窓から

景色の
流れるのをみて

帰った

ふるい友たちと会った
あどけない

俤が年老いた顔々に残っていた

みなで
歌をうたった

うさぎおいしかのやま
こぶなつりしかのかわ

景色が流れるのを見て帰った
景色が流れるのを見て帰った

景色が流れた
あどけない