11 NOV 2025

 
 

さとう三千魚

 

工藤冬里の

ライブ
“過去過去の幸福”が終わった

先週の
月曜日

祝日だった
文化の日だった

街は大道芸人で溢れていた

一週間が過ぎた
一週間ぼんやりしてた

満観峰に登った
里山で珈琲を飲んだ

昨日

近所の
小川の傍を歩いた

白鷺が佇っていた
白い鯉が泳いでいた

風が草の葉裏を白くしていた

詩野さんが
ゲラを送ってくれた

女が電動自転車で
街に出かけていった

友だちと夕方まで話していたと言った

それから
エアロビに行ったのだと言った

地震の後で

 ドスンと一回だけ

 ありがとう
 それより熊が怖くて

 夜は
 開けられない

秋田の姉からラインで返信があった

これって
夢じゃないのか

過去過去の幸福じゃないのか

リュビモフのピアノで
サティのソクラテスを聴いている

リュビモフの顔は死んだ
義兄に似てる

いつまでも
聴いている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

ミスター・カルダモン

 

工藤冬里

 
 

あ、クマが食う、
あくまでも悪魔、
クマが食う原理、
平和に生きる権利、
信頼できるリーダー、
無理だ、高知県の統治権、
正当な政党、
マブダニはマブダチ、
マブチモーター、水中で子にキッス、
ドン横キッズ、
万博にわんぱくフリッパー、
第七ラッパーが真っ先に尋ねる安否、
カルダモンの賛否、
米なくて苦しむくまモン、
四つある部屋には名前があって、
guiltの哲学からanxietyの哲学へ、
anxiety の哲学からinsecurityの哲学へ、
insecurityの哲学からshameの哲学へ、
shameの哲学からguiltの哲学へ、
出来るのは部屋から部屋への移動
埋め込まれた良心が作動
カルダモンからクロモジ、
クロモジからヤマボウシ、
出来るのは部屋から部屋への移動
家を出ることは出来ない

 

 

 

#poetry #rock musician

丘を下る **

 

さとう三千魚

 
 

向こうの
池の

ほうから
ヴァイオリンの

音の
する

まるい池の
蓮の葉の浮いている

丘を下る
丘を下ってゆく

子どもたちの声が聴こえる

遠い声
遠い声が

ママ
ママ

と言っている

 

・・・

 

** この詩は、
2025年11月1日 土曜日に、長泉町 クレマチスの丘にて開催された「やさしい詩のつどい」出張版で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

クレマチスの丘 **

 

さとう三千魚

 
 

小高い
丘の上に

いる

お母さんと
ぼくと

いる

丘の上では風が吹いて

お母さんの
髪がゆれる

ぼくの髪もゆれる

丘の上で
お母さんのおにぎりが食べたい

 

・・・

 

** この詩は、
2025年11月1日 土曜日に、長泉町 クレマチスの丘にて開催された「やさしい詩のつどい」出張版で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

Pity is akin to love ※

 

工藤冬里

 
 

生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
生きているたあ死にたいてことさ
死にたいてのは生きてるてことさ

 
※ 夏目漱石「三四郎」
 

 

 

 

#poetry #rock musician

トレパク

 

工藤冬里

 
 

デストロイヤーのくせにデストロイされず
ビトレイヤーのくせにビトレイされずにいるあなた、
あなたはスカッとするショートムービーみたいに災いを受ける
あなたがデストロイし終えたらあなたはデストロイされ
あなたがビトレイし終えたらあなたはビトレイされる

デストロイし終えたらデストロイされるそうですトロいんです
ビトレイし終えたらビトレイされる見とれアシュトレイ行きじゃ

 

 

 

#poetry #rock musician

白と黒の **

 

さとう三千魚

 
 

遠くを見てた

本棚の
上にいた

座っていた
まるく澄んだ眼は

遠くを
見ていた

遠くにいる人がいる
遠くに行った人がいる

白と黒の
毛皮を着ていた

 

・・・

 

** この詩は、
2025年10月24日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第22回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

突如、ギュンッと

 

辻 和人

 
 

まあるい顔をニコニコさせてるコミヤミヤ
突如、ギュンッと
左足を勢いよく蹴り上げた
足の先にあるのは
やっぱりまあるいこかずとんのニコニコ顔
あーぶない、あぶない
慌てて2人を引き離す
蹴られそうになってもずっとニコニコ
顔を見合わせるようになってきたコミヤミヤとこかずとんだ
相手の体に触れるようになってきたコミヤミヤとこかずとんだ
指にも力がついてきて
相手の服をぎっと掴んで
引っ張る
引っ張れば
肘ガクン揺れて
体傾く
傾いてニコニコ
ずり這いずり這い
寝てる相手の上を
戦車みたいにずずずっ乗り越える
見下ろす顔ニコニコ、見上げる顔ニコニコ
あーぶない、あぶない
手加減ってのを知らないからな
並んで仰向けに寝て
鳴き交わす小鳥みたいな仲だったのに
今や相手に向かって、突如
ギュンッ
挨拶
顔と顔ニコニコどっきんこ
あーぶない、あぶないぞ
手加減知らない挨拶だ
蹴って蹴られて
ニコニコだ

 

 

 

根岸交通公園

 

廿楽順治

 
 

もうだいじょうぶ
(ここにはずっとなにもおこらない)

はねられて
空に埋められた子どもらを

(わたしはみた)

老いた信号機のもと
ひかりの色を思い出そうとしているが

あおも
きいろも

くらしているだけではみることはない

わらいながら
路は急に深くまがり

空は
子どもらの
とまった呼吸でもういっぱいだ

(それを轢いた)

そのことが公園なのだ

 

 

 

2025秋的俳六首

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

又,歲月填膺
見證了一種光輝
維多利亞灣

耳廓的寂靜
察覺野豬的喘息
被戮的低吟

秋風秋雨愁
腐敗着果欄內臟
賣春油麻地

安全詞瓦解
天使徘徊本雅明
愴然伴孤星

油麻地探戈
一首詩即將結束
為落日謝幕

2025年10月21日