工藤冬里
カオリナイトではないので
背骨はなく
土塀の芯の竹もない
摘んでもバルゴンの背鰭も餃子の羽根もできない
粘土でさえないのだ
私たちは何を摘んでいるのだろう
皆九十近い老婆なのだ
蛞蝓のようにローム層は立ち上がらない
https://youtu.be/M2EDPuVV43M?feature=shared
#poetry #rock musician
カオリナイトではないので
背骨はなく
土塀の芯の竹もない
摘んでもバルゴンの背鰭も餃子の羽根もできない
粘土でさえないのだ
私たちは何を摘んでいるのだろう
皆九十近い老婆なのだ
蛞蝓のようにローム層は立ち上がらない
https://youtu.be/M2EDPuVV43M?feature=shared
#poetry #rock musician
昨日は
なにをしてたのか
SNSにあげた画像をみないとわからない
朝には
志郎康さんの訳した
ボブ・マーリーの詩を読んでいたのか
海浜公園に行き
突堤をしばらく見ていたのか
それから
マリーナ横に行き
釣り人たちを見ていた
サッパがたくさん釣れていた
サッパは
この辺りのことばで
コノシロとかコハダのことだろう
ちいさな銀色の魚で
外道なんだ
常連の釣り人たちは
黒鯛やヘダイを狙っている
夜には
zoomでユアンドアイの会だった
辻さんから
最後の二行は抒情にいっちゃてるんじゃないですか
そう言われたかな
情を抒べてたのか
今朝も
小川の傍を歩いた
風が強く吹いていた
土手の水仙の花が激しく揺れていた
夕方からは
ZAZEN BOYS を繰り返し聴いてた *
“KIMOCHI”
という曲だった
伝えたい
伝えたい
伝えたい
伝えたい
そう繰り返していた
伝えたいが
心がみつからないのだろう
* ZAZEN BOYS は、日本のロックバンドです.
#poetry #no poetry,no life
詩を書かなかった
クルマで
小坂の
市民農園に行き
農園をみて
満観峰の登山口まで行き
すこし山道を歩いた
それから
マリーナ横で
釣り人たちを見ていた
風は止んでいて
青い水の中を小魚の群れが泳いでいた
こはだの群れなのだという
爺さんと来た男の子がサビキでこはだを釣った
うれしそうだった
その一瞬が
詩に思えてくる
その一瞬をことばで生きたい
帰って
伊豆のbookendに送る本を選んでいた *
自分の本と
読み終えた本と
積んであった本を
ダンボール箱に入れた
こんなに本はたくさんあるのに
いつか手渡すことができるだろうか
胸に沈んだ声を
じぶんと
あの人たちに
いつか
手渡すことができるだろうか
* bookendとは伊豆稲取にオープンしたお茶と本のフリースペースです。
#poetry #no poetry,no life
目が白い穴のようにひかり
ふたつのメダルは皿のように海を分け
いないこどもをいたわることさえしたのだ
ああなんでとうめいな黒い羽根がないんだろう
ガザの美容室で
味蕾は十万種を夢見る
うまくいかない時ほど
しわあせになってほしいと思われているのだ、と••
透明度を自分で選び
画面上を滑る指先で
AI動物動画のような未来が稚拙に描かれ
物も時間も作られた捩れだと逆に知れる
ヘロインがライフでワイフなのと同じだ
脂肪肝を切り分けるナイフ
敵(カタキ)で同志のペイン
敵(カタキ)で同志のワイン
ラジカルミキの敵(カタキ)で同志
敵(カタキ)で同志の
いつだって、最後まで
#poetry #rock musician
僕はさびしいって
んっんっんっ
ぼくは寂しいって
んっんっ
繰り返す人
高田馬場で降りるまで
繰り返し繰り返し
僕はさびしいって
外回りして内回り
外と内を逆に
乗せてみる
(変わんねえな)
ラーメン屋の旗が色を失って
はためいてはためいて
訴えるでも
言い表すでもなく
いろんな人の前で
ぼくは寂しいって
んっんっ
まぁそういうことだよ
ささくれ顔で流す
まとも坂を下ると
虚ろ音に出くわす
「死んだ方がまし」と言われ
病院に行けよで
鏡、砕けた朝
でした
あんたぁ、歯がきれいやね
湯船で向かいにすわったおばあさんにほめられる。
最初は「はだきれいね」といわれたとおもってへらへらした。
おたがいに素っ裸なので、目にうつるのはからだのこと
九州の湯はあつい。
銭湯ではめがねをはずすので
ほとんどみえない目でそのひとをぼんやりながめる。
つるん、そんな音。
90年をいきた魂が
からだにあわせてしずかにたちあがる。
あたまを洗いおえてふりかえると
おばあさんはお風呂場を杖をついてあるいていた。
まんまるの背中
そのみっつの足でたより、たつ、ままのからだをあぁきれいだな、
とわたしはおもう。
おばあさんたちが湯船にあつまってする話はおいしいうどん屋さん。
閉店したおでんやさん。
旅立った知り合い。
ここにいつもいる丸顔のひとの話。
あのひと、最近どうしてるかしら。
そしてきっとべつの日は、
べつのだれかがこの場所でおなじ話をしている。
お風呂を出ると、
90歳のおばあさんの髪をべつのおばあさんが
ドライヤーでかわかしている。
あ、ここにも手がみっつ。
昨日
詩を書かなかった
先週か
子どもたちの
豆撒きの
応援に来てほしいと連絡があった
豆撒きから帰って
詩を書けばいいのに
書かなかった
最近
夜は書かない
朝か
昼に
ひかりはある
それが
詩になるかわからない
今朝も
女にサラダを作って持たせた
野菜は大切だよ
腸が喜ぶよ
いつもそう言っている
女がクルマで出かけるのを見送って
今朝も
小川の傍を歩いた
小川の中の
白鷺を見てこちらも佇む
そこにいた
小川の中に佇っていた
いつまでも佇っていた
#poetry #no poetry,no life
できる限りのことをした後に
立っているならばそれは
ゆうれいではなくそれは
照らされた型紙ではなくそれは
情に絆されたフォーク野郎ではなくそれは
痛い思いをするかもしれないがそれは
足りないものを買い揃え
ほねを組み立てりったいを作る
まひするほど動けなくても
組み上げるちからは良いもので
曇ったメガネで手を伸ばす
変色するすべてを拒否して立つ
骨にはヘビの毒が流れている
唇の裏からそれは迸る
鼓膜の裏までその気は繋がっている
住み続けることの困難を打ち明け
鼓膜の外の圧を感じながら
立つ
目を瞑ると立姿は切り抜かれる
蝕まれた立姿をオンコロジストが収集して
浮世絵のグラデーションのクリアファイルに挟んでいる
一週間寝ていたのに
助けを求めることができると知れただけで
助けは求めなかった
#poetry #rock musician
サヨナラ
風が吹いています
窓は
しめきっているのに レースのカーテンがゆれます
ひかりが
さしています
ひかりは 銀色の窓ワクをあたためています
ふちが
ひかります
サーモンピンクの壁は たいらにひかります
サーモンピンクの壁はとてもたいらにひかります
晴れた日曜日
部屋のなかをゆっくりとさんぽします
キミは タタミのうえをはだしで歩きます
キミは草の模様のイスのうえでひかる指の先に 息をふきかけます
(ぼくは)
サヨナラ いいます
朝、
カーテンの
( )消えてゆくものばかりが見えます
ぼくは
キミのカタイ唇をすいます
キリキリキリキリ 抱きしめます キリキリキリキリ抱きしめます
部屋のまんなかの
黄色のテーブルがまるくひかります
サーモンピンクの壁が たいらにひかります
とてもたいらにひかります
とてもたいらにひかります
草の模様のイスのなかで キミはサラサラ 崩れてゆきます
サラサラ 崩れてゆきます
カーテンが ゆれます
楽園から
風が吹いています
楽園が カタカタカタカタ鳴っています
* この詩は、
1988年7月1日発行の「現代詩 La Mer ラ・メール」第21号に掲載された詩です。
2025年1月26日(日) の静岡県詩人会の集いで詩人の橋本由紀子さんから、わたしの参加していた詩誌ゴジラとともコピーを頂戴しました。
失念していました。
わたしのどの詩集にも載っていない詩でした。
いまは失った遠い知人にあったような印象をもちました。
La Mer は、海のことですね。
#poetry #no poetry,no life
猫のいる本屋にいる
冬の夜に
そのひと
ねずみの絵本をもってくる *
猫のいる本屋で
ひとびと
ねずみの歌をうたう
猫は
本棚に飛びのる
ここではねずみの声を聴かない
・・・
* “ねずみの絵本”とは、レオ・レオニ「フレデリック」(訳 谷川俊太郎)のこと。
** この詩は、
2025年1月24日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第13回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。
「やさしい詩のつどい」一周年の日でした。
この日はK山さん、猫ままさん、O崎さん、O村さん、O村さん奥さまという強力なメンバーに集っていただきました。
#poetry #no poetry,no life