尾仲浩二
そっと東京を抜け出して北の国へ行った。
テレビでは日本中が大雨で大変なことになって
東京での今日の感染者は二百人を超えたと言っている。
仕事だからしかたないと自分に言い聞かせても
ちいさな町でよそ者がカメラをさげてうろうろするのは気がひける。
駅前の温泉宿の窓を開け、時々走る列車の音を楽しみながら
ホタテクリームコロッケ、オーシャンサラダ、軟骨つくね、ひじき
それに赤ワインとスーパーの惣菜で早々と晩酌をはじめた。
2020年7月8日 北海道江部乙にて
『ペチャブル詩人』は2013年に出た詩集だ。志郎康さんは詩集『声の生地』(2009年)を出して以後、余り詩を書かなくなっていたように思う。私は、2012年の春頃、志郎康さんと今井義行さんに声をかけて、定期的に会って詩の話をしませんかと持ち掛けた。そしてしばらくの間、定期的に喫茶店などで会って、ただ詩について話をする時間を持った。そこで交わした会話は私の中で財産になっているが、志郎康さんにも刺激になったようで、それから猛然と詩を書き始め、『ペチャブル詩人』に結実し、更に3冊もの詩集を続けざまに刊行するに至った。その知的エネルギーに圧倒されるが、原動力の一つとして、詩で密なコミュニケーションを行ったことがあっただろうと思う。志郎康さんは足を悪くされていて、前述の詩のお喋り会にも杖をついて来られていたが、「コミュニケーション欲」は旺盛そのものだった。
そんな『ペチャブル詩人』は、散文性を大胆に取り入れた書き方という点では前作『声の生地』と同じだが、自分を一個のキャラとして読者に「見せていく」という色合いがぐっと濃くなっている。
空0今、というこの時、わたしは
空0姿勢として、
空0腰掛けている。
で始まる「位置として、やわらかな風」は、地下鉄に乗っていて、向かいに座っている若い女性と身体が入れ替わる連想を楽しむという詩。
空0彼女の姿勢を真似る。
空0頭をちょっと傾げて、
空0両脚を揃えてみる。
空0先の尖った靴を自分の爪先に感じてみる。
空0おかしい。
空0胸元をちょっと開いて、宝石の首飾りを感じてみる。
空0おかしい。
女性の姿をよく観察した上で、丁寧に順を追って空想を続ける。その後が面白い。
空0わたしと交代で、
空0わたしの身体に入れ替わった女性は驚いて、
空0困るだろうな。
空0怒るだろう。
空0突然、白髪の杖をついた老人にナッテシマッタンダッテ。
空0若い女から老人にナッチマッタンダヨ。
空0老人を押しつけられて怒るだろう。
他愛もない空想なのだが、その他愛なさを最後までしっかり描き切って、空想をしている人の生き生きとした状態をくっきり浮かび上がらせている。どうでもいいことを書き連ねているのに読み応えがあるのは、どうでもいいことを引き受けて、思考を続けて楽しんでいる人の姿がずっしりと感じられるからなのだ。生きているから脳髄が動いている。脳髄を動かして空想を楽しむことは、生きていることを楽しむことなのだ。
空0わたしは、
空0地下鉄千代田線の千駄木駅に向かって、
空0不忍通りの団子坂下辺りの地下を通過していた。
空0今、というこの時は春。
空0地上、上野の山は桜が満開の筈。
ここでこの詩は閉じられる。「わたし」は相変わらず地下鉄に乗っているので外の様子が見えるはずはないが、想像することはできる。作者は、丁度桜が満開の季節の上野の情景を想像している「わたし」の姿を読者に見せ、読者は暗い地下から明るい戸外に、一気に突き抜ける気分を味わう。全体として、作者が、「わたし」の時々で発生する思考を拾いあげ、その「わたし」が、空想の中で若い女性の跡を追ったりするという、手の込んだ構造になっている。
自分を「見せて」いくという手法はこの詩集の全編にわたって展開されるが、詩集のタイトルの基にもなっている「蒟蒻のペチャブルル」は特に鮮やかである。
空0コンニャクが
空0わたしの手から滑って、
空0台所のリノリュームの床に落ちた、
空0蒟蒻のペチャブルル。
空0ペチャブルル。
空0瞬間のごくごく小さな衝撃と振動。
空0ペチャブルル
空0夕方のペチャブルル。
コンニャクの煮物を作ろうとしたら手からコンニャクが滑って床に落ちた、という日常の些事がこの詩の発端である。ペチャブルルという擬態語がとぼけた感じで面白いが、この後詩は意外な方向に発展する。この出来事からひと月ほどたってのこと。
空0わたしこと一個の詩人。
空0この詩人は毎週水曜日一回整骨院に行って、
空0全身に磁気をかけ骨格矯正をしているのだ。
空0滴を落とした葉が震えるのを見る。
空0コンニャクが手元から落ちて震えた。
空0それが、言葉を思い立って、
空0この十日余りの筋肉のストーリー、
空0老朽が始まっているんですよ。
手元が狂ってコンニャクを床に落としたことを、筋肉の老化と考え、そこから考えを発展させていく。「老朽が始まっているんですよ」とは、読者に話しかける口調だ。話者はまるでテレビのレポーターのようだ。レポーターは事件のあらましを客観的に伝えるためにいるのではない。表情や口調、仕草によって適度な主観性を加えて、事件を喜怒哀楽の感情で包み、視聴者の共感を誘うためにいるのだ。この場合の「主観性」はレポーター個人のものになり過ぎてはならず、その上位にいる番組の制作意図に制御されるのが普通である。テレビの報道番組の場合、放映の対象には万人が何かしら注意を払うだろうと予期されるもの、つまり、経済ニュースであれ芸能ニュースであれ、一定の公共性を持つと判断されたものが厳選されている。知事選や日本シリーズの様子は大きく扱っても、個人商店の経営状態や小演劇の無名の俳優の演技に光を当てることはない。視聴率を稼がなければならないのだから当たり前のことだ。そして、スタッフはその公共性の中身を精査し、どうすれば読者からより大きいリアクションを引き出せるかに知恵を絞る。問題となるのは最大公約数の視聴者の反響であり、事件から個々の現実の身体を消し去って、公共の身体というべきイメージを作り上げていくのだ。『ペチャブル詩人』の詩は、そんなテレビの報道番組に一脈通じるような演出方法を使いながら、公共性とは真逆の事象を扱い、「極私的」としか言いようのない解釈を披露する。
空0晩秋の雨の夜の
空0わたしの脳内を巡る小さな衝撃と振動と筋肉のストーリー。
空0蒟蒻軟体を持つべき指の力の加減の無意識の衰退が問題。
空0摑んだコンニャクが手の中で揺れる、
空0オットットット、
空0そこで加減の衰退から生じた
空0ペチャブルル。
空0ペチャブルル。
うっかりコンニャクを落とした体験から「加減」という概念が省察され、その「衝撃と振動と筋肉」の因果の結果として、「ペチャブルル」という不思議な旋律が産み落とされる。その過程を、「わたし」は、言葉の独特な仕草により、語る姿とともにじっくり見せてくれているのである。そして、人生を「科学する」ように独特の理屈を緻密に積み上げていく。
空0実は、生きてるって、加減に次ぐ加減だよね。
空0加減が衝突を和らげる。
空0加減が振動を吸収する。
空0筋肉の集合体を支配する反射神経の反射速度が、
空0愛撫の優しさを生むってことさ。
空0加減が上手くできなかったなあ、
空0欲望の主体者として、
空0いつも力の入れ過ぎだった。
アイディアの奇抜さという点で際立つのは、「ウォー、で詩を書け」「キャーの演出」「他人事のキャーで済ます」「記憶切断のキャー」「その日、飲み込まれたキャー」の連作だろう。70歳を過ぎた分別ある人が、ウォーだのキャーだの、何だと思うだろう。これは、作者が多摩美術大学を退職した後に書かれたものなのだ。教育活動、詩作、映画製作、写真撮影と、多忙を極めていた志郎康さんが、定年退職を迎えて学生と触れ合うことがなくなり、足が悪くなったことで、出歩くことも映像を撮ることも難しくなってきた。急に一人でいる時間が増えてしまったのだ。ぽっかりと空いた孤独な時間。そこで志郎康さんはその空白に向かって、ただただ叫び声をあげるということをやってみる。
空0ウォー、
空0ウォー、
空0叫んで詩を書け、
空0大声で怒鳴れば、
空0頭は空っぽになる。
空空空0「ウォー、で詩を書け」
空0今、部屋にいて、
空0誰もいないのを見定めて、
空0思いっきり、
空0キャー、
空0と叫んでみる。
空空空0「キャーの演出」
こんな無為としか言いようのない行為が詩の対象になったことは今まで絶無だろう。何のの生産性もない単なる気晴らし。大学教授まで努めた芸術家が部屋の中で、ウォーだのキャーだの、声をあげているのである。その現実の姿を思い浮かべると、おかしくなってしまうではないか。しかし、叫ぶという行為はエネルギーを使う。読者は何等かの「力」を受け取る。無意味だが何もないわけではなく、エネルギーは発生しているのである。
「他人事のキャーで済ます」という詩では、このキャーという叫び声が発せられた周辺の事情を拾って話を膨らませるということをやっている。テレビニュースのカメラマンだった時、踏切での電車と自動車の衝突現場に足を運んだ際のこと。
空0男は生きてた。
空0潰れた車体に絡まって救出できない。
空0溶接のバーナーで潰れ折れ曲がった鉄を焼き切って、
空0痛みに呻く男は搬出された。
空0正にキャーの現場だった。
空0終始、そこに立ち合って、
空0ああ、その悲惨な男の身体を直に目にして撮影したが、
空0わたしは、
空0キャーとは言わなかった。
空0内心、ひどいな、とは思ったけど、
空0内心にキャーを納めたってこと。
内心思う、には「他人事のメカニズム」が働いているのであり、キャーは発生しない。ではどんな条件でキャーが発生するのか?
「記憶切断のキャー」は、部屋で一人、また大声でキャーと叫ぶことをやってみるシーンから始まる。
空0キャー。
空0キャー。
空0キャー。
空0わたしはわたしでなくなってくる。
わたしがわたしでなくなる。これがこの詩のテーマである。「わたし」は全身麻酔で股関節の骨を切り取って人工関節を埋めこむ手術をした時のことを思い出す。
空0全身麻酔。
空0それで、
空0人の顔が思い出せない。
空0読んだ本のことを忘れている。
空0わたしがわたしでなくなってくる。
どうもキャーは、この「わたしがわたしでなくなる」感覚が決め手のようだ。
空0麻酔がかけられてなければ、
空0本当は、
空0ギャー、だったよ。
空0今は、
空0意識的なキャー、で思い起こし、
空0改めて一人居の、
空0キャー、で済ます。
空0人工股関節を填め込まれたわたし。
激痛で絶叫するキャー(ギャー)にしても遊びで叫ぶキャーにしても、自分が普段の自分でなくなることに変わりない。「わたし」は手術によって記憶の一部を失った。そのことを悲しむのでなく、むしろ面白がっているようだ。
空0声に出せ。
空0キャー
空0キャー、だ
空0そこで記憶が切れた。
空0わたしはわたしでなくなった。
空0わたしはわたしでないわたしになった。
面白がっているということは、喜んでいたり楽しんでいたりすることでは、もちろん、ない。現実には、他人との接触が少なくなり体の自由も効かなくなってきて、喪失感に襲われているのだ。そのぽっかり空いた時間を生き抜くために、キャーが必要だったということ。喪失感をエネルギーに変換するための工夫がキャーだったということだ。
「その日、飲み込まれたキャー」で、「わたし」は歴史的な大惨事に遭遇する。東日本大震災である。
空0津波だ。
空0津波の映像に引き込まれる。
空0それを撮った人は丘の上にいて、
空0眼下を、
空0流れて行く家を人を撮り続けている。
空0大量の海水が押し寄せるのを撮り続けている、
空0叫ぶ人の声が入っている。
空0水が自動車も家も押し流して行く、
空0凄い力だ。
空0現場でキャーと叫ぶところ。
空0わたしは自分のキャーの叫びを飲み込む。
その場にいたら叫んでしまったかもしれない。が、テレビ映像を通じての間接的な体験故に、出かかった声を飲み込む余裕が辛うじてある。しかし、目は映像を見ることをやめられない。「わたし」は映像の中の想像を超える悲惨な情景を見続ける。翌日には新聞からも様々な情報を得、「津波てんでんこ」で生き延びた小学校の子供たちのことや、福島第一原発の事故のことなどを語り続ける。
空0そんなことで、それから、書いておこうと思って、
空0黙ってキャーをもう一度飲み込む。
空0重たい固まり。
「わたし」は震災発生から数か月たってこの詩を書き、更に1年後、2年後に書き直したことを告げ、「テレビの映像の記憶はかなり薄れてしまった」と締めくくる。キャーから遠くなった時点でこの詩を完成させているということだ。そのことをわざわざ詩の中に書き込むということは、キャーと叫ぶに値する事態、つまり「わたしがわたしでなくなる」ような事態は、その場にいるかいないかという即時性と同期していると同時に、実際に叫ばなくても「飲み込んだキャー」として存在し得ることを示している。これら一連の詩で、「わたし」が本気で思わずキャーと叫んだシーンはない。いわゆる思考実験なのである。誰もいない部屋で思考実験に興じる「わたし」の姿が透けて見える仕掛けになっているかと思う。
それでは「わたし」と社会をつなぐものと言えば何かと言えば、それは詩であろう。志郎康さんは数多くの詩や詩についての評論を書き、大きな賞も受賞した「有名詩人」である。
ところが、前述のように『ペチャブル詩人』を書き始めた頃はしばらく詩を書いていない状態だった。詩人として忘れられた状態ということである。そこで志郎康さんは初心に戻るというよりも詩を初めて書く気分に戻って詩を書いてみる。
空0シ、
空0シ、
空0シ、シ、シ、
空0シ、シ、シ
空0詩ですよ。
空0でもね、読み返すと、
空0これが詩とは思えない。
空空空0「これが詩とは思えない」
詩を「シ」という音に置き換えただけの詩。できあがった言葉の列を詩とは思えなくても、詩を書こうと思って言葉を連ねた「行為」の中には詩がある。そんなゼロ地点から出発して、志郎康さんは「詩人」という存在を客体視し分析してみる。
空0ワッ、ワッ、ワッ、
空0ワタワタワタ
空0ワ、タ、シ、
空0わたしは詩人です。
空0十七歳から詩を書いて六十年
空0「現代詩手帖」や「ユリイカ」に作品が掲載されて、
空0一九六三年から二〇〇九年までに、
空0二十四冊の詩集を出したんですね。
空0二〇一三年の今年も詩集を出します。
詩人としてのキャリアを綴る書き出しだが、現代詩という分野では、その道で評価されていていても、一般の人には知られていないことが多い。現代詩という分野自体がマイナーな存在だからである。
空0詩の表現の可能性を追いかけて、
空0面白がって、
空0沢山の詩を書いたんだけど、
空0一00万の人、一0万の人、いやいや一万の人、
空0そんな多くの人の心を動かす言葉を書いたことないものね。
空0読んでくれるの人は、
空0せいぜい二、三0人ぐらいかな。
空0要するにそれなりに名は知られていても有名じゃない。
「わたし」は詩人であることは「わたし自身が心の中で受け止めるしかないんだ」と考える。
空0子どもの頃、
空0地面に、
空0棒切れで、
空0円を描いて、
空0その中に立って、
空0ここはぼくの領分。
空0と宣言した。
空0楽しんでた。
空0そんな言葉の領分を作って来たんですね。
志郎康さんが発明した「極私」という言葉を、子供の頃の思い出とともに素朴なやり方で説明した部分だ。詩は、一個の生命体が、誰にも制限されず、個体の欲求のままにただただ言葉を楽しむことが原点。人を楽しませるとか、社会に影響に与えるとか、そういうことは二の次のはずである。しかし、詩人には詩人のコミュニティがある。それが「商業詩誌」という形を取って現れると、いかに一般読者からの注目が薄いと言っても、詩人たちの間にステイタスをもたらし、「極私」という姿勢をぐらつかせる。
空0「現代詩手帖2013」ですね。
空0分厚いね、440頁。
空0そう、はア。そこに、目次に、お、お、おまえのな、なな、
空0な、名前がないじゃん。おまえ、し、し、し、詩人。
空0詩人だろ、志郎康さん。
空0ありますよ。
空0ありますよ。
空0ド、ド、ド、
空0どこ、どこ、どこに。
空0ほら、パラパラーッと行って、368ページと416ページ。
空0詩書一覧と詩人住所録にありますよ。
「「現代詩手帖2013」を手にして」
詩人は詩を書く人のことで良いはずなのに、商業詩誌というものがあると、そこに名前が載っているかどうかが詩人の条件のような気分に陥ってしまう。詩を書いても詩誌に取り上げられなければ、その存在はなかったことのように思えてしまう。
多くの詩人がいても、
空0この年鑑に詩が収録されているのは、
空0その内の146名だけ。
空0146の詩が今年の代表作というわけ。
空0どんな具合で選ばれたか。
空0それを言っちゃいけない。
商業詩誌は、書きたい人が集って営まれる同人誌と違い、中央集権的な力が働く。どの詩を載せ、どの詩を載せないかは、出版社という企業の判断による。売らなければならないのだから全く当たり前のことで、いいとか悪いとかいう問題ではない。しかし、詩を世間にアピールする数少ないメディアである詩誌の扱いは、詩人の心理に大きな影響を及ぼす。表現の始まりは「極私」的なものだが、流通(や評価)という局面に入った途端、「極私」とは反対の方向に走っていく。志郎康さんはそうした現状を冷静に見つめ、ユーモアを交えながら表現と流通をじっくり切り分けていく。その切り分ける作業を、表情豊かな語りでじっくり読者に見せていく。そして、そうした「詩人の世間」に生きる一員としてこう付け加えるのを忘れない。
空0そして、わたしの名前は、
空0「現代詩手帖2023」あたりに行き着くまでには、
空0消えているってことに、なるんですね。
空0オ、オ、おまえの、ナナ、名前は消える。
空0サ、サ、サ、さび、さびし、さびしい。
空0寂しいね。
空0フーム。
余り寂しそうには見えないが(笑)、いくら詩を書くことが「極私」的な振る舞いだと理解しているからといって、親しんできた「詩人の世間」から離脱することには、人間として複雑な想いに囚われるだろう。そんな複雑な想いを、自己内対話の形で、楽しく披露するのがこの詩の面白さだ。
この、親しんできたものたちが遠くなっていくということに対する憂いを帯びたトーンは、ユーモラスな外見のどの詩の底にも流れているように思える。
「人生って、寂しいってことか」というそのものズバリのタイトルの詩は、成人式の振り替え休日の朝、テレビで成人式の様子を見ているうちに、若い頃のことを回想するシーンから
始まる。
空0あの頃は、
空0心は文学に傾き、
空0人を愛する心を育み始めていた、なんて
空0恰好良すぎないか。
空0実は、寂しがり屋が、
空0寂しい心を求めて互いに求め合ったというわけだろう。
空0この寂しいってこと、
空0二十歳から五十年余りを経た現在、
空0麻理が出かけてしまい、
空0家に一人になった時、
空0すっごく寂しくなるんだ。
二十歳の時分の孤独の感覚が、退職と身体の不具合とともに戻ってくる。
空0室内で、
空0独りで過ごす時間の中で、
空0また、寂しさに出会ったってことか。
青春時代には誰もが孤独感を抱えるとすると、ある意味、七十を過ぎた志郎康さんに「第二の青春」が訪れていることになるかもしれない。テレビに映る「第一の青春」の若者たちが感じているだろうものとは質が違うだろうが、寂しさを噛みしめるという点では同じであり、若年でも老年でも、人生の本質は変わらないということだ。
そんな孤独な時間は、「時間」自体についてじっくり考えを深めていくのに適している。
空0時間ってことを言葉で言ってみると、
空0持続と切れない切断って言える。
空0充ちていく持続が、
空0切れない切断に遭って、
空0空っぽになる。
空0空っぽの持続が、
空0切れない切断に遭って、
空0充ちていく持続が生まれる。
空0そしてまた、切れない持続で空っぽになる。
空空空0「時間の極私的な哲学」
何やらベルグソンの哲学のようだが、「空っぽ」というのがキーワードとなっている。生きている時間は「空っぽ」でできている。虚無的なようだがそうではない。
空0持続って、言うけど、
空0実感としては昼前新聞を読み終わったら昼ご飯で、
空0ちょっと仮眠でもう午後三時だって、
空0一日がたちまち終わって、
空0光陰矢の如し、って、
空0ありゃ、老人の述懐。
新聞を読むこともご飯を食べることも仮眠をとることも、生きているということ。人生は意味とか意義に縛られるものではない、むしろ「空っぽ」の持続によって自由が生まれ、自由が人生を持続させる、そんなことを言外に感じさせる。
空0和人さん、美弥子さん、
空0ご結婚、おめでとう。
空0これからはお二人で一緒に暮らすんですね。
空0わたしの体験では、
空0黙ってソファに二人で並んで座っているだけで、
空0何時間も過ごせますよ。
空0そういう時間っていいですね。
空0身体を許しあった二人だけに時間は止まります。
空0時間はどんどん流れて行きます。
空0部屋のドアを閉めればもう過去です。
空0靴を脱げばもう過去です。
空0でも、新婚の時だけ時間は止まるのです。
空0二人の時間が重なるからです。
空0二人の呼吸が重なることで、
空0時間が止まり、時間が堆積する。
空空空0「時間が止まる至福の瞬間 祝婚の詩」
この詩においては、流れ去る時間の例外が描かれる。人間は個体として自由に存在する、つまり時間は「空っぽ」なものとして流れる。が、新婚時のような、各々の個体が持つ自由への志向性がぴったり重なる時は、「空っぽ」を満たすもの(つまり互いへの愛情)が生まれ、時間は止まる。例外事項をきちんと言葉で規定していくところがいかにも志郎康さんらしい。実はこの詩は、私の結婚のお祝いとして、書いていただいたものである。現在では妻から家事の仕方などについて毎日あれこれ注意され、あたふたと過ごしている私だが、交際時から新婚時にかけては、一緒にいるだけという時間がひたすら楽しく、まさに時が止まっているように感じられた。
空0結婚すると空っぽの持続が充ちていく持続に変わる。
空0これからがその充ちていく持続を生きて下さい。
ここで重要なことは、「充ちていく持続」は二人の自由への意志の一致から生まれる人生の中でも稀な期間だが、人生の基調をなすものはあくまでも「空っぽの持続」だということだ。新婚時は性愛の新鮮さが「充ちていく持続」を生み、そうした瞬間は新婚時以外にも幾度か訪れる。しかし、愛する者同士であっても個体は個体であって、いつでも意志が一致するとは限らない。この詩は新婚の際の奇跡のような「充ちていく持続」を祝うという書き方をしているが、話者自身が引き受けているのは「空っぽの持続」の方なのだ。そしてこの「空っぽの持続」を意識することは自由の根源性を意識することであり、それが人間の尊厳の基調をなすものであると、私は考える。
『ペチャブル詩人』の詩はどれもユーモアに富み、語り手自身を面白おかしく見せる、という特質を持っている。言葉による「番組」という印象さえ残る。きちんと「取材」をし、アングルを工夫して「撮影」し、話術の巧みな「アナウンサー」を立てて問題の明快な分析をしてみせる。志郎康さんはテレビをよく見ているようだが、カメラマンだった経験が生きているのかもしれない。但し、ここで「報道」されるのは、テレビの電波に最も乗りにくい話題ばかりである。テレビ番組では、万人にとって何かしら意義のある報道をしようとし、視聴者を束ねようとする。志郎康さんは、同じようなしくみを使って、全く逆の光景を映し出す。電車に乗っている時の妄想だったり、誤って床に落としたコンニャクの感触だったり、部屋に一人でいる時のキャーの叫び声だったり。それらは余りにも個人的な体験であるが故に、個体の脳の固有な運動を明瞭に見せつけるものである。これらに接した読者は「万人」ではいられず、個体として反応し受け止めるしかなくなる。
『ペチャブル詩人』は孤独からくる翳りのある感情が底流にある。が、それを含めて「空っぽ」を生きることを明確に示し、肯定した。この後、3冊分もの大量の詩編を生み出すエネルギーは、この独創的な「空っぽ」の肯定から沸き出しているように思えるのである。
前回と前々回に、前書きの前書きの1と2を書いた。さて、ようやく前書きを書こう。
「夢記憶交感儀」については先に書いたが、この行為をする前遡ること半年くらいだと思うが、 元名古屋の裁判所で地階には元独房や元拷問室もあるがそこの三階の元食堂で二週間程「素描行為」を行なったことがある。明治の頃の古い煉瓦造りの建物である。
元食堂は、おそらく囚人のための部屋ではなく職員用だと思う。天井も高く広い。シャンデリアも吊るしてあり、まるで宮殿のようだ。僕は、ここに裸電球を一本吊るし、畳十畳分のゴザを敷き、小さなちゃぶ台の前に鎮座して藁半紙に鉛筆で素描行為「絵幻想解体作業/筆触について」を訪れた人と対話しながら続けた。部屋は薄暗い。
二、三人が僕の周りにいて、話しをしながら素描行為をしている時、ふと、今度の僕の展覧会は「夢記憶交感儀」で、何故それを行うかについて僕が話し始めた。
この時だった。突然、数十年分の夢を一気に全て鮮明に思い出したのだ。空間が歪み始めた。歪むという言葉は適切ではない。うまく説明できないが、空間認識及び時間認識が尋常では無くなった。目の前にあるものは確かに見えるが、全て存在感や位置感が尋常では無いのだ。言葉についても同じ様だった。突然失語症になったというというか、二言くらいまでは分かるが、その前後がどんどん欠落して行く。つまり、例えば「僕は、いま、絵を、描いています。」のうち「、」の区切りの前後が欠落して行くのだ。その場に居た人達に「今、僕はおかしい。」とだけ言い放って、部屋から外に出て、廊下で両手を拳で握り締め、「これではいけない。戻れ、戻れ」と力を込めて腕を振った。
三十分ほどだっただろうか、なんとかその状態を抜け出すことができた。しかし、同時にあれほど鮮明に思い出した数十年分の夢の記憶が全て思い出せない。ただ、思い出したということだけは間違いなく事実だ。そういう感覚だけは間違いなくある。
よく死ぬ前に、一生分全てを思い出すというが、これは間違いなく本当の事だろうと、この時体験的にそう思ったし、今でもそう思う。
記憶というのは、極めて抽象的なものとして体に残るのだろうと思う。だから、瞬時にして、数十年分を一気に思い出すことができるのだ。
ただそれらは、日常空間や日常時間の認識とは違う。インプットはされている。しかし、アウトプットするには、日常の空間時間認識に置き換え無ければいけない。そういう装置というか器官というか、それが無ければ、いくら思い出しても、言語化はできない。
夕食を食べてから考えはじめて、
途中に寝て、
夜中に再開してボーッとして、また、朝になってしまった。
「2次補正 疑念残し成立」 * 1
「給付金事業委託「中抜き」」 * 1
「予備費10兆円「白紙委任」 * 1
「河井夫妻、100人に2600万円か」 * 1
「米警官 今度は黒人射殺」 * 1
「陸上イージス計画停止」「技術改修に時間・費用」 * 1
「河野防衛相「合理的でない」」 * 1
「北朝鮮、南北事務所を爆破」 * 1
最近、5日間ほどの朝刊一面の見出しです。
ここのところ、TVの国会中継をチラチラと見ていた。
この国の首相が、平気で、言い訳や、嘘とわかる嘘や、時間稼ぎの答弁をしている。
大臣や、官僚たちが指名され、忖度し、答弁している。
あきれてしまう。
すでにあきれてしまう。
政治家というのは「コトバ」の専門家だと思っていたが、国会中継を見ていると、改めて政治家は「コトバ」の専門家だと思えます。
「コトバ」の専門家は、「コトバ」の機能と効果をよく理解して、使用しているということでしょう。
「コトバ」の機能と効果をよく理解して、自分や自分たちの党派のメリットを最大に引き出すように使用しているということでしょう。
そこに求められるのは「コトバ」の真実ではなく、効果と結果だというわけだろう。
そんな「コトバ」、わたしは国会中継で、見たくも聞きたくもないのだった。
・
「空気を喰う」ということを思ったことがある。
一昨年だったか、
高円寺のコクテイル書房で、
広瀬勉の写真展「鎌倉詣」を見に行った時に思ったことだったか。
亡くなった女性作家や友人たちとの黒姫での写真や、
鎌倉の海辺の道路を渡ろうとする老いた田村隆一や、
旅館の一室で二人きりで撮っただろう浴衣の少女の写真や、
うなだれた黒猫、
広瀬勉の逃れ難く言い訳のきかない写真を見たときに、写真は「空気を喰う」ほかないのだと思ったのだった。
広瀬勉の写真を見て言葉を失った。
絶句した。
写真も、詩も、
この世の絶句に突き当たった時に、語りはじめられる言語なのだろう。
「空気を喰う」といえば、
詩人たち23人による「空気の日記」という連載詩がある。
「空気の日記」は、WEB誌「SPINNER」で2020年4月1日から開始された。
”新型コロナウイルスの感染拡大により、街の様子がすっかり変わりました。
多くの人々が、せいぜい悪性のかぜみたいなものだと思っていたのはほんのひと月前で、社会の空気の変化に驚いています。
未曾有の事態なので様々な出来事は記録されていきますが、こういう時こそ、人々の感情の変化の様子をしっかり留めておくべきではないかと思いました。
「空気の日記」は、詩人による輪番制のweb日記です。その日の出来事とその時の感情を簡潔に記していく、いわば「空気の叙事詩」。
2020年4月1日より、1年間のプロジェクトとしてスタートします。” * 2
と説明されています。
その連載の「空気の叙事詩」の中から、白井明大さんの空気の詩をひとつ引用させていただきます。
朝ね
暑い て起きて
熱測ってみたら三十七度もあって
きみが話してくれている
もういちど
水飲んでから測ったら三十六度五分だった
、て
二人が出かけていく
ほんの短い間に何が起きてるか
寝てるとふだん何も知らなくて
たまたま今日にかぎって耳にできたのは
暑い てぼくの耳も
いつもよりずいぶん早く
動きはじめたからなんだろう
南風が吹く
梅雨明けの白南風が
鉦を鳴らして夏を呼ぶ
カーチーベーが来るより早く
風も鉦も知らせない
息苦しさを
呼ぶ声のずっとしないままでいて * 2
詩の言葉は、家族のいる空間のなかで、絶句して、います。
絶句して、そして吃りながら、
詩の言葉は、言葉の身体を生きようとしているように見えます。
政治家たちの言葉から遠い場所にこの詩はわたしたちを連れて行こうとしているように見えます。
その遠い場所とはわたしたち自身のなかにあるでしょう。
わたしたち自身のなかに「空気」の詩はあるでしょう。
作画解説 さとう三千魚
* 1 「朝日新聞」2020年6月13日から6月17日より引用しました。
* 2 「WEB誌「SPINNER」「空気の日記」プロジェクトスタートの言葉より引用しました。
* 3 「WEB誌「SPINNER」「空気の日記」6月12日(金)白井明大さんの詩より引用しました。
「空気の日記」
https://spinner.fun/diary/
久しぶりに新宿へ、思っていたより人が多い。
用事はすぐに済んだので長居は無用なのだが天気がいい。
ずっと家に籠っているので脚も弱っているに違いない。
なので地下鉄はやめて歩いて帰ることにした。
末広亭からゴールデン街。歌舞伎町を抜け大ガード。
ション横覗いて西新宿成子坂下。ここにはかつてギャラリー街道があった。
街道は30年くらい前に閉じたのだが、空家になったビルがずっと残っていた。
酔ってタクシーで前を通る度に確認して、ちょっとセンチになったりしていた。
そのビルが消えていた。いや区画ごとすべてなくなっていた。
早い夏空の下、なんだか浦島気分でしばらく眺めていた。
2020年6月6日 東京西新宿にて
注・「街道」は88年に始めた自主運営の写真ギャラリー
前回、夢記憶交感儀について少し書いた。具体的に行なった行為は前述の通りだが、何故この行為を行ったかについての理由を書いてみよう。
20年ほど前の頃に戻る。
最近よく夢を見る。夢を見たということだけは間違い無いのだが、どの様な夢だったか思い出すことが全くできない。夢日記でもつければと思っては見たが、何せ起きたらすぐに忘れている。ただ夢を見たという感覚の記憶だけが残っていて、いささか気になっていた。なんとかならないかなあと思い、夢記憶交感儀を思い立ったのが最初の理由である。
もう一つある。子供の頃に見た夢の記憶である。
小学校四年生、10歳の頃に、おなかをこわして二階で1人寝ていた。寝入りばな、その頃よくみる悪夢の予感というのがあった。寝入ったのは夕刻だったと思う。とてもおそろしい夢を見て深夜飛び起きた。その夢というのは、僕が何かしら失敗をして、それがもとで世界が消滅したという夢である。厳密にいうと存在という概念が消滅してしまったという夢である。飛び起きてすぐに前にあるカーテンを引きちぎった。カーテンもあるにはあるが、ないと同じことという夢だった。絶対無の夢だった。その子供の頃に見た夢について考えてみようというのももう一つの理由であった。
これで前書きの前書きを終わります。
次回、前書きを書きます。
夜が明けて朝になった。
また、
朝になった。
部屋の窓を開けると西の山が霞んで青く見える。
空は灰色で、雨になるのだろう。
燕が低く飛んでいる。
コロナや、
戦争や、
紛争や、事故や病気で、
自分が死んでも、
他人が死んでも、お日様は昇り朝になる。
ここのところ世界は新型コロナウィルスの感染で人々が死んでゆく。
人々は、ステイホームし、自粛している。
自粛するよう要請されているのだから、自粛というのだろうか? 疑問だ。
まあ、それでも、朝は来るのである。
燕が飛んでいる。
生きているからこそそのことを知る。
国会ではコロナの最中に「検察庁法改正案」が上程されている。
検察幹部を退く年齢に達しても政府の判断でそのポストにとどまれる特例を可能とするという法案だ。
安倍総理は検察にも忖度しなさいと言っているのであろう。
政府は大多数の国民のコンセンサスを得られないだろう法案を強行採決しようとしている。
すでに呆れてしまう。
元検事総長ら検察OBたちは、
「検察人事への政治権力の介入を正当化し、政治権力の意に沿わない動きを封じて、検察の力を削ごうとしている」* 1 と、意見書を法務省に提出したという。
政府に対して「火事場泥棒」という言葉も聞こえる。
わざわざこのうようなコロナによる緊急事態宣言が発令されている時に急いで通す法案では無いだろうとわたしも思います。
国民はコロナでそれどころでは無いが国会の審議に注目しているだろう。
さて「酔生夢死」である。
ここのところ辻潤の本を読んでいて、この言葉に出会った。
辻潤は明治19年に東京浅草橋に生まれ、
昭和19年に新宿上落合のアパートで室内でシラミにまみれて死亡しているのを発見された。
餓死して死んだ、思想家で、ダダイストです。
伊藤野枝を大杉栄に寝取られた男でもある。
「浮浪漫語」という文章で「酔生夢死」という言葉を使っている。
酔生夢死
「なにひとつ有意義なことをせずに無自覚のまま死んでいってしまう」という意味と、
「自由奔放に生きる」という意味があり、
辻潤は後者の言葉の実体を、望み、生きて、死んでいった人なのだろう。
「人間の姿の一人もいない広々とした野原を青空と太陽と白雲と山と林と草と樹と水となどにとりかこまれて悠々と歩いていると、それらの物象がいつの間にかことごとく自分である。」* 2
と、辻潤は「浮浪漫語」に書いている。
辻潤は空っぽのまま、最後の最後まで自由を求め、生き、死んでいったのであろう。
世界にコロナウィルスは広がっている。
第2波、第3波のウィルスの猛威が想定されるのだという。
部屋の窓を開けると山が霞んで青く見える。
空は灰色で、雨になるのだろう。
燕たちは低く高く曲線を曳いて飛んでいる。
南方から大風が近づいているのだということだ。
作画解説 さとう三千魚
* 1 「朝日新聞」2020年5月16日朝刊より引用しました。
* 2 「辻潤全集 第1巻」「浮浪漫語」より引用しました。
寝て見る夢である。
20年くらい前かなあ、「夢記憶交感儀」というのを名古屋市民ギャラリーで二週間ぐらい開いたことがある。
10センチ角の木材と晒し木綿で、畳二畳程の小屋を作り、ギャラリー内に設置した。床面は10ミリ厚ベニア板で、ギャラリー床面より30センチくらい浮いている。晒し木綿で囲ってある。
中には裸電球を一本吊るした。そして小さなちゃぶ台、座布団はおそらく無かったと思うが、ベニア板の上にはござを敷いた。僕はそこに鎮座した。ギャラリー内のあかりは無く、まあ外から見れば大きな行燈といった言った態、朝から夕刻までの二週間。外には、古いブラウン管モニター6台に、メッセージを文字で「どうぞ中にお入りください。あなたが見た夢についてお話し下さい。」もっと丁寧に書いたと思う。僕は入ってきた人に煎茶を出した。
で、こうも言った。「お話しは全て録音したいです。カセットテープに。そしてこのカセットテープは、この会期の後、コンクリート詰めにします。80年後にこの交感儀に参列(参加)した皆んなと一緒に、聴きましょう。」
この時すでに僕は50歳を過ぎていたと思う。つまり、生きていれば130歳。あながち不可能ということも無いが、おそらく死んでいる。見ず知らずの人も、晒しをビヨーンとひらげて小屋の中に入って来る。年齢は様々だ。一番の若年が10歳、上は90歳。10歳なら80年後でも90歳だから、幾分かのリアリティはある。
小屋は前述どおり、2畳くらい、ちゃぶ台を置いて、周りに5人も座れば満員だ。時間も無制限だから、1日にそう何人も入れるわけではない。記憶では1日12時間✖️二週間やったと思う。
不思議なことに、夢の話となると、赤裸々にかなり際どい事も、知らない人同士でとうとうと話す。これは意外だった。
とここまで書いたらもう7時半だ。毎日の労働のために、そろそろ寝なければならない。二時起きなので。前書きの前書きのさらにその半分にもいたらないが、もう寝よう。一切の推敲も無く。
つづく。
おやすみなさい。
夜が明けて朝になった。
今日も、
朝が来た。
カミナリが鳴っている。
こんな朝早く鳴っている。
ピカッと光って、
ドドーンと驚くほど近くに落ちたような音だ。
犬のモコも目を覚ますだろうと隣の部屋のわたしは心配です。
モコはカミナリや花火の音が怖くて怖くて、
ブルブルと震えるのです。
今日は、嵐になるのだということです。
世界でもコロナが吹き荒れている。
新型コロナウイルスの感染者が世界で、200万人を超えたと朝刊の記事にあった。
日本では感染者数が8,000人を超えたのだという。
パンデミックというのですか。
パンデミック(英: pandemic)の語源は、
ギリシア語のpandēmos (pan-「全て」+ dēmos「人々」)だという。 * 1
感染症が世界中に流行することをパンデミック、世界流行というのだという。
日本や世界中で医療関係者が、
このウイルスに感染した人々を救うために尽力している。
日本では、4月16日、全国に緊急事態宣言の対象が拡大された。
この国の首相が指示し466億円かけて各戸に2枚の配布が決まった布製マスクが、届きはじめた。
マスクが小さいではないかという問い合わせがあるようなのだが。
アメリカの金髪の大統領は、
世界保健機構(WHO)が「中国寄り」だとしてWHOへの拠出金支払いの停止を表明したという。
いまやアジアやアフリカや世界の新興国にも感染症が拡がり、
世界中が大変な時に、アメリカの大統領は自国のために世界を分断しようというのだろうか?
新型コロナウイルスに対応する医薬品や医療機器の開発や製造は先進国が行っている。
それらを各国と共有できなかったらどうなるのか?
自国第一主義は世界に混乱を生むように思える。
食料やマスクや医薬品や医療機器の輸出規制など、これからの政策が心配だ。
また、今、日本では種苗法改正法案が国会に上程されている。
外国の巨大資本に種子が独占されるのではないかという危惧が日本の農業現場にあるようだ。
カミナリの音はもう聴こえなくなった。
雨音が聴こえる。
窓ガラスに雨粒が音を立ててぶつかり流れている。
窓の向こう、
西の山が雨に煙っていて頂上が見えない。
ここのところわたしは自宅でモコと三密状態です。
外出から戻ったら必ず手を石鹸でよく洗います。
犬のモコにコロナを感染(うつ)したらかわいそうだからです。
帰宅したら飛びついてくるモコをそのままに、
手を洗ってから、
モコを抱きしめます。
それからソファーに行くとモコはわたしの膝の上から大きな瞳で見つめ返します。
しばらくそうしていると、
モコは安心して眠ってしまいます。
モコも、もうだいぶ年を取りましたからね。
モコを見ているとテミちゃんを思いだします。
テミちゃんはいとこのお姉さんでした。
小学生の一年か二年の頃に遊びに行くとテミちゃんのふんわりとした話し方に子どものわたしは魅了されたのでした。
テミちゃんは顔つきも体つきも白くぽっちゃりとしていて、
絵が上手で、
とてもゆっくりふんわり静かに話すお姉さんでした。
あ〜こんなにゆっくりふんわり話して、いいんだ・・・。
そう、子どものわたしが思ったことを今でも憶えています。
それからそのことを大切に思ってきました。
いまでも思っています。
わたしが青年になり大人になり社会に出てみたら、
そのゆっくりふんわりを大切とする人はほとんどいない事に気付きました。
世の中は、とにかく早く処理することが大事なんだなあ!とショックでした。
勉強も仕事もそうでした。
ゆっくりふんわりなんかまったく大切にされていませんでした。
わたしは、
二十歳を過ぎて、
東中野にある木造の建物の中の詩の教室に通い始めました。
そこには鈴木志郎康という詩人がいました。
その詩人は私たちの詩をひとつひとつみんなの意見を聞いた後に講評してくれるのでした。
青年のわたしは、やっと素敵な大人に会えたと思いました。
その詩人が「徒歩新聞」という冊子をたまにくれました。
表紙は赤瀬川原平という人がイラストを描いていて、
舗装されていない野原の道路のようなところを下駄と靴だけが歩いているようなイラストでした。人がいないのです。
表紙を開くと扉に、毎号、同じような歩行についての言葉が並んでいました。
“トボトボと歩いている。散歩するという気分でもなく、歩いていると、気もそぞろになって、躓いてしまうということがある。躓いてしまったときの、あの心理というのは、これは面白いものだ。・・・・” * 2
わたしはやっとテミちゃんに似た大人を見つけたのでした。
それからその詩人の詩の真似をはじめました。
そして、それから、ずっと詩を書いてきました。
いやいや、少し、休んだりしながら、トボトボと詩を書いてきました。
今回の新型コロナウイルスの流行が終わって、生き残っていたら、
また、ずっと詩を書いていきたいと思っています。
テミちゃんはどうしているのかな。
もう、おばさんで、孫がいて、おばあさんかもしれないな。
世の中、呆れて物も言えないことだらけです。
わたしのところにはまだ二枚の布製マスクが届いていません。
でも、この世の中には、
わたしの知らない”ゆっくりふんわりした人”が、たくさんいるのだと思います。
作画解説 さとう三千魚
* 1 「ウィキペディア」より引用しました。
* 2 「徒歩新聞」20号より引用しました。