言葉は…

 

長田典子

 

 

エドワードさん
人の距離は伸びたり縮んだりするのですね
場所や文化に限らず
扇状に広がる
時間や空間のなかで……
あなたの考えをなぞろうとして
語学学校の教室で
予告なしに人が自分の領域に侵入してきたとき
わたしは悲鳴を上げて飛び退いたのでした
それは
文化とか場所とかでなく
わたし自身に由来する距離でした

Edward. T. Hall is a famous anthropologist who thinks that different cultures have different outlooks on time, space, and personal relationships. 有名な人類学者エドワード T.ホールは、文化が異なると、時間、空間、人間関係に関する見解も異なってくると考える。※

NORIKO
子音に注意して
あなたのLはDに聞こえる
あなたのTHはDAに聞こえる
必要のないときにNが入る

ダ (the) words デム(them)selves ………
Edward T. HalDAYS a famous anDODOpoDogist who Dinks
ああ、みんなDになってしまうよ
逃げたい言葉が限りなく頭に浮かぶ
逃げるな追いかけろ
追いかけろ!
DAt diffeDENT cuDUNtures have difeDENDO ouDODUooks

日曜日は一日
発音の練習で終わった
永遠に完成できそうもない課題を
時間ぎりぎりまで練習して
深夜 録音して先生にメールで送った
納得できないまま

エドワードさん
うまく納得できないのです
そんなにも 人は
生まれた土地に縛られなければならないのでしょうか

別の深夜
走った
タクシーを探して
12月の氷点下 寒くて暗い路地は
クレバスのように決裂し
今にも滑落しそうな絶壁の淵で
泣いていた

Hi, NORIKO !
知ッテタ? アナタノ発音
イチバン酷イ クラス デ

ソーホーのタイ・レストランのパーティで
クラスメイトに開口一番にそう言われた
……あなただって、アクセントが強すぎる
わたしにはあなたの言葉がよくわからない……
そう言おうとして吞み込み
アドバイス DAリガトウ
と笑顔で言ってから別のテーブルに移った
いじわる、咄嗟に思った
別会計でメイン・ディッシュを二皿頼み
沈黙したまま一気に胃袋に収めてしまう

エドワードさん
片手をまっすぐ前に伸ばし
中指の先までの距離に他の誰かが入って来ると
わたしは悲鳴を上げてしまうのです
わたしはアジア人ですが
ヨーロッパ人でもありませんが
たとえば
共同で鍋を囲んで
同じスープの中を他人が口をつけたチョップスティックスがうろちょろする
たとえば半分に割られた竹筒を流れ下る同じ冷水の中のヌードルを
各自のチョップスティックスで摘みあげて口に入れる
そういうことはできないのです

タイ・レストランのパーティには
タイ人は一人も来なくて
いじわるなアジアの女子は
突然にわたしの距離内に侵入して来たのです
彼女はわたしにジェラシーを抱いている
そう思うことに
してしまった
隅のテーブルを囲み
トルコ人、韓国人、コロンビア人、台湾人などの男の子たちが
親しそうに喋っていて
そこだけオレンジ色の炎が灯っているようだった
みんな知っている顔だった
写真を撮ってと言うので写した
メールで送るからと告げて
真夜中の路地に飛び出した

小ぶりのクリスマスツリーにライトを灯して
明るいオレンジ色の点滅を見つめながら
つぶやく
Edward T. HalDAYS a famous anDODOpoDogist who Dinks
DAt diffeDENT cuDUNtures have difeDENDO ouDODUooks
部屋で
朝まで泣いていた
クレバスの絶壁を飛び越えるために
恐怖を飛び越えるために
逃げるな
追いかけろ!

Hi, NORIKO !
ブルックリン・ブリッジを渡っていたら
写真を送ったトルコ人とばったり会った
……急に帰国しなければならなくなった
……また、こっちに来られればいいね
ふたりの間にアクセントの強い言葉が往復し
会話はまるで穴埋め問題
ボスポラス海峡を跨ぐように
深く きつく
ハグをし
……また会おうね
と約束した
春の
オレンジ色の芥子の花を思い出した

Edward T. HalDAYS a famous anDODOpoDogist who Dinks
DAt diffeDENT cuDUNtures have difeDENDO ouDODUooks
追いかけろ!追いかけろ!
クレバスの絶壁を
ボスポラス海峡を
飛び越えろ!
つまり結局
感情の問題ってこと

追いかけることはしないよ
あなたにはあなたの将来があるのだし……
むかーし
そんな会話をしたことがあったなあ

エドワードさん
人の距離は伸びたり縮んだりするのですね
扇状に広がる時間や空間のなかで
言葉は
カラフルなお花畑のようなものではないでしょうか
そこをミツバチが飛んで
パッチワークをするみたいに
すき、とか きらい、とか
かなしい、とか うれしい、とか
感情を伝えてくれるのです

 

 

※語学学校ALI OF NYUで発音授業のテキストとして使われた資料より一部抜粋

 

 

 

エゴンに従う

 

爽生ハム

 

 

よじれた煉瓦を数え
水辺を越える/豊かなよごれ
向こう岸は今だ笑え
ふと眠って/目が開く
これから有れ/悔いのつなぎめ
うなぎを掴むように/煉瓦を積んだ
今朝/救われたモノです
臙脂色のよじれと眠っている
肘を鋭角に保ち/時間をかけ
両腕がダレるまで
牛豚鶏が出荷される
喋りすぎた舌/喉につめる
動物類は昔と変わらず
よごれてきた/特色のある牢屋
駆け込んだ寺のようなよじれ
渋谷新宿池袋と北上して
公衆は/母方の故郷を
いつも思っていた/寺で遊んだ
いつものように酔えない
何ヶ月ですか?/不安街に妊娠
鳴り響く/証言したまま
立場/行き先を伝えた
つもりでした/ねたみ
世界中の/かの事実は
女の咳払いと/男の含み笑いとで
戦地を決めていた
何か一つ深海に詩を贈ろう
巧妙な/よごれが
沈む/覗いた
眼鏡も海の深さを知っている
ここにきて未だ何も喋っていない
余白は秘境/はたからみれば
よごれ/相討ち
引き揚げられる君の手/暖かい
君の手/冷たい
さようなら
見逃した体験に肩を並べてる
君は楽しそう/犯してるみたい
夜這いでよじれを/回転する
君の体なぞるようだ/回転
蜂のよう/これはどこかで
すれ違った事がある

 

 

 

金木犀の香り

 

みわ はるか

 
 

その香りが金木犀だと知ったのは随分あとのことだ。

向かいのお姉さんの家の庭は常にきちんと剪定されていて、いい香りがするその植物はその庭の端にちょこんと植えられていた。
隅のほうにあったけれど存在感は抜群だった。
そんな香りのベールにつつまれてお姉さんは毎日決まった時間に大きな玄関から出勤していた。
黒く長い髪をひとつに束ね、赤い小さめの鞄を肩からさげていた。
洋服は職場で決められているのだろう。
白いブラウスの上にチェックのチョッキのようなものを着ていた。
紺色のスカートはひざ下まであり、それにあわせて黒いヒールを履いていた。
当時部活の練習で日に焼けた肌をしていた中学生のわたしにとって、憧れの存在でとてつもなくまぶしくうつった。
いつかわたしもあんなふうに颯爽と歩くオフィスレディにでもなるのかなと勝手に夢をふくらませていた。
こんなわたしにもニコニコした笑顔をむけ挨拶をしてくれた。
お姉さんに会うときはなぜか少しどきどきして恥ずかしかった。
特別親しく遊んでもらった記憶はないけれど、長女のわたしにとっては本当の姉ができたようで嬉しかった。

そんなお姉さんもいつもいつも明るかったわけではなかった。
少し伏し目がちで大きなため息をついて家から出てくることもあった。
きっと人に言えない辛いことや苦しいことがあったのだろう。
そんな日が続くとものすごく心配になったけれど、またあの笑顔ですれちがえたときは心底ほっとしした。
やっぱりお姉さんの笑っている時の姿が一番好きだった。

それから月日は流れた。
お姉さんはその家から居なくなった。
遠いところにお嫁にいってしまったらしい。
遠いところってどこだろう~、元気にやっているのだろうか~。
想像することしかわたしにはできなかった。
そして、少しずつお姉さんのことを忘れていった。

わたしも大事な高校受験や大学受験を経験し、少しずつ大人の階段をのぼっていた。
前はお肉を好んで食べていたけれど、今は有機野菜や消化にいい食べ物に興味をもつようになった。
夏は紫外線なんか気にせずさんさんとふりそそぐ太陽の下部活のテニスに精をだしていたけれど、今はいかにしみやしわを防ぐ化粧品を見つけられるか
に時間を使うようになった。
キャラクターがプリントされているTシャツよりも、少し品がある無地の洋服を好んで着るようになった。
お菓子はあまり食べなくなった。
マンガや恋愛もののドラマよりニュースを見るようになった。
多少のことではわたわたと怖がることがなくなった。
遠足の前日のようにうきうきやわくわくすることが減った。
いつもいつも明るい明日が来るわけではないということを悟った。
時間的制約がある限り限界というものがあることを知った。
色んなことが自分の知らないうちに確実に変わっていった。
私は少し大人になれたのだろうか。

お姉さんをまた見るようになったのはそんなふうにわたしが大人に近付いているときだった。
金木犀の香りに包まれてあの玄関から出入りする姿があった。
一人ではなかった。
お姉さんの腕で大事そうに抱かれた小さな小さな赤ちゃんも一緒だった。
白いふわふわの生地で包まれたその子は天使のような微笑みをお姉さんにむけていた。
それを見ているお姉さんの顔はそれ以上の笑顔だった。
守るべき存在ができたお姉さんは前よりもたくましく見えた。
日が陰ったころ、ベビーカーにその子を乗せゆっくりとゆっくりと歩いていた。
聞き取ることはできなかったが何か優しく話しかけながら。
その時、一つ間違いなく言えるのは、その瞬間確かにお姉さんは幸せだった。
そしてきっと今も幸福な人生を送っているに違いない。
そうであってほしい。

わたしも転勤を機に地元を離れてしまったが、金木犀を見ると思いだす。
金木犀のお姉さんのことを。

 

 

 

here ここ

 

今朝
モコと海にいった

風が
吹いてた

霧につつまれて

霧のなか
モコと歩いた

西の山も霧の中だったのさ

いま
部屋にもどって

斉藤徹さんのコントラバスを
聴いている

モンゴルの
四季の草原の歌だ

風を抱いて

生きて
きた

ヒトたちもいる