広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
咀嚼する速度がべらぼうに速いのか
あるいは
胃の腑におちたものを溶かす胃酸の酸度が
きわめて高いのか
よく食べよく代謝して妬ましいほど太らない
つれあいと暮らしていると
美味しいおいしいと言われるより早く
そう
またたく間に消えてゆく
食べ物の量におどろく
あっ あれっ
あると思っていたものが
あったところから消えている
いや
あると思っていたのが錯覚で
なかったのだろうか
と
おのれを疑ってしまうほど
きれいに
朝はひとより早くから身体をよく動かす仕事をし
空っぽの弁当箱と水筒提げて帰宅
おおお疲れさま はいっと晩ごはんをだせればいいのだが
どっこい私のスイッチが入るのが遅い
ゴールはまだだいぶ先
おおお腹すいてるよね
待たせてしまうというわけ
それでね
いわゆるつなぎ
格好よく言ってみるならおしのぎ
それがバナナだったり
ナッツだの黒豆だのカレールゥだの入っているパンだの
だったりするのだけれどね
いつだったか
その日も菓子鉢に盛ってあったバナナを見るなり
「僕はお猿さんじゃないよ」と
鼻白んでいるものだから
「飽きちゃう?」
と聞けば
「続くと飽きるよ」
と言うので
さようですかとしばらく
買わずにいたりもしたのだが
ある日なぜだか出くわしたレシピ
どうして行き着いたのだか
まったくもってわからない
ふだんなら晩ごはんメニューになりそうなものしか見ないのに
料理歴きわめて浅く胸張ってビギナーと手を挙げるこの私が
大それたものに挑戦しようなんて思うはずもない
けれどもしや
ただバナナ
いっぽんのバナナ
バナナを増やせないかと
検索してみたのだったか
(思考のみちすじは過ぎたしゅんかん
砂にしみて消え失せる)
なになに
フライパンでできる(レンジもオーブンもいらない)
オイルをひかない(そのぶんカロリー控えめヘルシーうれしい)
ブレンダーもミキサーもいらない(そうでなくては)
おおそうすると
うちにないのはなんと
ベーキングパウダー
だけではないか
ヨーグルトは豆乳のそれで代用しよう
発酵とか寝かせるなんて文字はどこにもない
イーストだのサワークリームだの並んでいない
いいなあこれ
しかも簡単
でも
本当かな
材料だけじゃない
流し込んで焼くための型だとかクッキングペーパーとか
クリームを絞る先っぽだとか
百均にも並んでいてけれど私がまだ手にしたことのない類いのものは
ひとつもいらない
おおなんてシンプル
なんて潔いレシピなのだ
かじった知識や生半可なあれこれの
裏をとって確かめてみる手間なんていらない
OKおーけー だいじょうぶ、と
特大の太鼓判がまんまんなかに押してある
安心というのはこういう匂いなのか
そうだやってみよう
ひとふさの葡萄ならぬ
ひとふさのバナナの最後のいっぽんを
剝いてしまえばいっしゅんに姿を消す
はかないこれを
ほんの少しえいっと
ちからをくわえ
増やしてみよう
本当に
本当に増えるかな
ビスケットを入れて叩くと増える
そんなポケットがあれば
と
まどみちおさんは書いたが
バナナバナナ
剝いてつぶしてまぜて焼いて
もちろん小麦粉もきな粉もね
ベーキングパウダーだって
入れるわけなのだけれど
バナナの皮剝いて
ごそっ
大きいほうのボウルに落とし込み
レシピ指定のフォークでつぶす
ああフォークって
突き刺すとかからめ取るばかりの
道具じゃなかったんだね
すべらず完膚なきまでにつぶせるよ
ぐっちゃりべっとべとのバナナがひろがる
そこへ豆乳ヨーグルトをしとっぼとっ
てんさい糖ざっざらっ
小さいほうのボウルをはかりにのせ
まずはきな粉
せっかくだから地元産の黒豆きな粉をね
次は小麦粉
っていう時は薄力粉なんだよね
つづいてベーキングパウダー生まれて初めての開封小袋の角を
うわっ
ほわっ微細な白がたちこめたちこめ
ボウルのふちを逃れるまいったな
そして塩少々ってぱらりかな
ふたつのボウルをそれぞれ
このくらいかなと納得するまで混ぜきったら
バナナの入った大きいほうへ傾け
すすっささあっ
なだれこませ
左手にフォーク右手に使い捨て手袋をば装着
粉をねねっとりバナナやら豆乳ヨーグルトやら
まっぜっごそごそっ
まっざったっのかなこれ
水分たりなめかな いやまあ
はじめてですからね
なんだか閃いて豆乳すこししととっ
もう一度ごそっぎゅぎゅっ
出しておいた
小ぶりのフライパンの中ほどへ
どさっ
うす茶色い粘質のそれを
どっちゃ ぺとっ
置く
こんなかんじかな
手袋のてのひらで平らにひろげ
厚さ三センチ
このくらいか
ふたをしてごくごく小さなそう
とろ火で十五分
タイマーに呼ばれてあければ
ふたの下にわあ茶色が濃くなってる
ふちがかたまったらって書いてあるな
かえして八分
あけるやジュッ
湯気をはじいて
おおなんだか おおいよいよ茶色い
ちょっとふくらみましたかいい匂い
バナナだぁきな粉だぁ
バナナバナナ
バナナ増えたかな
いっぽんの
バナナがにほんには
なっていないけれど
バナナ
剝かれたしゅんかん
さっと消える宿命のバナナの
いっぽんが
ひとさらの六切れの
パンになったよ
ごそっねとっとした
粘土工作みたいなそれは
焼けてずしっと茶色くしっかとした
噛み応え
むぐっんぐっと
噛みしめる口のなかいっぱいに
たちこめるのは紛れもない
バナナの匂い
すこし遅れて黒豆きな粉もほのか
表に
テールランプ
きしむ鍵の音
おかえりぃ おやつあるよぉ
「ただいまぁ なに? どうしたのこれ」
お疲れさま、できたて食べてみて
うごく口もと咀嚼の速度はちょっぴりゆっくりかな
「ん? なんだろ、あ、いいねこれ」
バナナだよ、あと、きな粉に豆乳ヨーグルト
いっぽんのバナナがね
「んー美味しい
たしかにバナナだね」
にっこりああよかった
待っててね晩ごはん
そしてこののち
バナナ大きめだから粉多めきな粉も多めでちょっとおおきくしよう
ゆであずき入れてみよう
バナナないけど畑のいちぢく
いやいや今度は地元の米粉
クルミ入れてみよう今度はアーモンドもと
おしのぎおやつの恐るおそるが
どうやってもだいじょうぶという確信に変わり
三度の食事ではないものの欠かせないそれとなって
くり返しくり返し混ぜては焼き刻んでは焼き
むっちり湿った焼き上がりを六つに切って
皿に盛り
ああこの匂い
けれどふりかえるとやっぱり
あっという間に
ふた切れ消え
つづいてまた
ひと切れ消えているのである
子どものころ
雲の上には死んだ人たちがいて
のんびり寝転んだりして
空を流れて行ったり
山にひっかかったり
大海原の上に出て行ったり
街の上では雨を降らしたり
そんなふうに
してるんだろうと
ほんとに
思っていた
信じていた
事故で死んだ人など
雲の上でも
血だらけでいるんだろうか?
そしたら
雲の上も血で汚れたり
してんじゃ
ない
のかな?
などと
ほんとに
思っていた
心配した
そんなふうに
思わなくなったころ
終わったのだ
ぼくの子ども時代は
11月29日
4日から始まるナベサンの展示ですが、全て注文を受けて春秋窯解釈による白の磁器の仕事として作っています。
コーヒーカップ5
湯呑5
飯茶碗5
スープカップ5
取皿5
うどん用丼11
刺し身などの醤油皿5
豆皿20
カレー皿10
四寸皿12
https://gallerynabesan.wordpress.com/exhibition/upd69-jiki/
コーヒーカップの見処は、型物の取手の餃子のパリパリみたいなのを残す石黒方式
湯呑みは李朝モクレン形
飯茶碗は夫婦喧嘩で投げても割れない伝統の厚み
スープカップはペルシャ系
皿は口縁を耳朶の手触りにしたヘモグロビン型
カレー皿は松屋の写し
うどん鉢は呉須巻を転用した単味の天目
奮ってご来場ください
日本沈没のリメイクには親米か親中の二者択一に持ち込ませるという明確な目標があるように思える
オリオンが東の空に沈没している
11月30日
タウン草津は高層居住過多人の星過多で落ちるちじょうは西部劇の商業区のようさ
長崎の夜はあまがさき 登戸の夜はホワイト
回復こそが敵であった
君付けで呼ばれて藤井風
あ、楠本君新聞配ってるもう60だけど
ホックニー・レベルやね
https://twitter.com/amks916/status/1465380921184423940?s=20
NFTやったれ
火事の実家野鹿カジノ火事の実家野鹿カジノ
Todo el ramen está inspirado por Jiro
Hay un tiempo para quedarse callado
僕も最初の勉強机はこれでした
https://twitter.com/ShinogiFruits/status/1465557015099428866?s=20
ミアハンセンラブ未来よこんにちはを一言で言うならリベラルと共に死ね
https://youtu.be/uA_xb05Ei14
https://youtu.be/dHWr1rCCgH0
12月2日
https://youtu.be/1ZHdUxFlNOA
JPOPが屋根に当たる
K-popが屋根に当たる
オミクロンpopが屋根に当たる
太郎次郎が屋根に当たる
Positivamente no morirán
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1466173896789348356?s=20
音の半分はアルヴィン
https://youtu.be/o5IEMwC3ylM
今咲いているツワブキはたいへん薬効があります
きみどりの区画が
ペンツールによって引かれ
杭は顳顬に
ガラスは浜に
空は汚れ
2つの虹のサークルの干渉
どんぐりは無差別に
石蕗は
コロナ下の情況は似たようなものでウズベキスタンでもまだ人と直接会うことは出来ません。
https://youtu.be/MiacxHf_tHc
12月3日
ミアハンセンラブ「未来よさようなら」は哲学の一文によって作り変えられた世界(夢の中でしか生きられないような現実)を提示したいと思っている。我々はマトリックスの中にいるのではない。ネットフリックスの中に揺蕩っているだけなのだ。
良心の働きによって猶予が生じ、生命力による度を越えた恢復がある。その回復こそが敵であり、それは増長を呼び込み、死ぬ元気さえ湧いて来るというわけだ。
Cuando yo era pequeñuelo, hablaba como pequeñuelo, pensaba como pequeñuelo, razonaba como pequeñuelo
チェーン店の街道を何回も行き来して
焼け出されたので泊めてあげている無宿のさくらちゃんをにゃんトークで翻訳し続けたら愛されたいとしか言ってなかった。ご主人はアル中でどこかへ連れて行かれてしまった。
偽ものは論旨よりも光で分かる
寒い青か油揚げの黄色
12月5日
西村が濁りに清酒を混ぜるのを「半ふりで」とheart&soul&mindの節に乗せて頼んでいたので起きてググったが勿論そんな用語は無かった
Asegurémonos de las cosas más importantes
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1467267044207108098?s=20
茶碗とは割るためにあるのだ、ということを薄田泣菫は故事を引いて説明する
執着を捨てるためにそれは必要だった、と
https://www.satokazzz.com/airzoshi/reader.php?action=aozora&id=3309
朝のBBC▶︎東アフリカ一帯で水がなくて家畜の7割が死んでいる▶︎キリンとかラクダとかの死骸が累々と続き▶︎完全にもう終わりだ▶︎という演出がなされていて▶︎本当にそうなので▶︎もう完全に終わりだなと思う
12月6日
刑務所の食事が売りの食堂で蕎麦粉を使ったという焼き菓子に内部のイラストと「そーだよ〜」と言う顔が付いていたが嫉妬や病気で今日も崩れた朝の顔差別を
マルッキズム 50%
まルッキズム 50%
はなまるッキズム
炭水化物夢
をボイコット
https://twitter.com/9ui113rm0/status/1448715387059716097?s=20
次回展示タイトルは
割る器
次次回展示タイトルは
土にエナメル
邦題土よさようなら
というのも考えましたが却下
最期は火砕流で自分焼かな
Cesen de amoldarse a este sistema de cosas más bien, transfórmense rehaciendo su mente
コスモス[κόσμος]
博多からどぎつい牡丹色のドラッグストアを全国展開するコスモスだが、コスモスκόσμοςの基本的な意味が「秩序」もしくは「配列」であることを知ってのことであろうか。秩序や均衡には美の概念が伴う。コスモスもそのような意味で美という考えを伝えているため,ギリシャ人はこの語を,特に婦人たちに関して「飾り」という意味でよく用いたのであった。化粧品を意味する英語のcosmeticもここから来ているのである。関連のある動詞コスメオーは、「整える」、「飾りつける」という意味があり、形容詞のコスミオスは「よく整えられた」もしくは「秩序正しい」ものを描写している。アテネに向かうチェーン店の街道を何回も行き来して、パウロはそうしたことを考えていた。
宇宙が秩序を表わしているためと思われるが、ギリシャの哲学者たちは時に、目に見える創造物全体を指すのにコスモスを用いた。しかし、彼らの間に考えの真の一致はなく、その語を天体だけに限定した者もいれば、宇宙全体を指して用いた者たちもいる。物質界の創造物全体を描写するコスモスの用法は一部の外典に出て来るが、それらはギリシャ哲学がユダヤ人の多くの分野に侵入しつつあった時期に書かれたものである。しかし、我々の中にはコスモス=宇宙などというプログレのジャケットのような趣味は見られない。
それでも、アレオパゴスのチェーン店だらけのモールに立ったパウロは、内なる苛立ちを覚えながらも、フィロストラトスが記録しているように、鬼滅以外にも知られていないガチャポンが数多く並んでいることに気付いていた。アテネが疫病に見舞われた時の話だが、エピメニデスは何頭もの羊を連れてアレオパゴスに行き、そこで羊たちを放し、僕たちにその跡を付けさせて、各羊が横たわった場所でその土地の知らない神に犠牲をささげるよう命じた。そのようにして災厄はとどめられたと言われている。街道沿いに、まだ知らないチェーン店があるのは、そのためであろう。そこらあたりから掴みの部分を作り、アラトスとクレアンテスの「そはわれらはまたその子孫なり」を引用して同じ土俵に立つようにしよう。そして、宇宙を意味する語としてコスモスを用いる思潮がギリシャ人の間で広まっているのであれば、そこからコスモスを戦略的に宇宙という意味で用いることにして、こう述べたのである。
“The God the (one) Ὁ θεὸς ὁ
having made the ποιήσας τὸν
world κόσμον(コスモン)
and all the (things) καὶ πάντα τὰ
in it, ἐν αὐτῷ,
this (One) of heaven οὗτος οὐρανοῦ
and of earth καὶ γῆς
existing Lord ὑ πάρχων κύριος
not in οὐκ ἐν
handmade χειροποιήτοις
divine habitations ναοῖς
is inhabiting κατοικεῖ”
「コスモスとその中の全ての物を造った神は、天と地の主ですから、人が造った神殿などには住まず、」
#poetry #rock musician
伊勢から
帰った
モコは
犬猫ホテルで待ってた
神は留守だった
きみは
鳥居のある
土産物屋のならびに佇ってた
貨幣を渡し
山嶽**を手にした
風呂を出て
鳥羽の朝の海を
見ていた
きみは言葉を持たない
きみと
言葉にならない声で
話した
話していた
そしてこの港町に
帰った
帰ってきた
モコを連れて浜辺を歩いた
モコと西の山を見上げてた
きみは吠えることがなかった
きみははにかんで笑っていた
* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”犬のためのだらだらとした前奏曲” より
** 山口誓子の句集「山嶽」(ふらんす堂刊)のこと
#poetry #no poetry,no life
高い吊り橋を渡るとき、板と板の間のすきまからずっと下の峡谷の底が見える。
すごく恐い。
開けたところから下を見るより、ずっと恐い。
ホームに電車がやってきて停まる。ホームと電車の間のすきまは真黒だ。
さっきまで陽に照らされていた線路が、急に恐ろしい深淵に変わってしまう。
その恐ろしい深淵に、私が追っかけた害虫が逃げ込んだ。
細すぎて懐中電灯の明かりも届かない、洗面台と床の間の真っ黒い空間は、這う虫の命を守るシェルターで、
道端の、ゴミだらけのほんのわずかなコンクリートのすきまからは、ここからもそこからも雑草が芽吹き、根をはり、花を咲かす。
時に生物を奈落の底へ落とし込むすきまは、命の魔法の泉でもある。
それより大きく、強いものが入りこめない、弱者の世界。
弱者に挽回のチャンスを与える、逆転の装置。
地元の京成立石駅周辺は、曲がりくねった細い路地が入り組んで、すきまだらけで、そのすきまには赤い顔の大人たちがひしめいて立ったまま酒を飲む。またあるすきまではまだ開いていないスナックの前で、猫好きのおばあさんが猫に餌をあげている。通りを歩いていると、どこかのすきまから、カラオケの音痴な歌声が聞こえてくる。
そのすきまには、彼らより大きく、強いものは入れない。
そのすきまの深淵が恐ろしくて、恐くて入れない人もいる。
すきまは、その形、サイズ、深さによって、一人一人に違う意味をもって存在する。
肉屋と、つぶれた花屋の間にすきまがある。細くて、黒くて、その先に何があるのかは見えない。
何が始まっているのか、何が企まれているのか、私には見えない。
重なり合う葉と葉のすきま、げんこつを握った時の指と指の間にできるすきま、
この世には、同一のものなど何一つなく、全てがいびつだ。
図面上ではフラットでも、モノとモノがくっつけば、すきまができる。
図面とモノの間にもすきまができる。
いびつな地球を、数字と定規で表そうとするときにも、すきまができる。
そしてある思いを、ある感覚を、言葉という記号で語ろうとするときにも、すきまができる。
あなたの言葉と、私の言葉の間のすきま。
体と言葉、こころと言葉の間のすきま。
そのすきまが「詩」。なのではないか。
そんな気がする。
だから詩は、弱く、小さいもののためにある。
弱く、小さいものを、闇に沈めたり、温かく包みこんだりする。
立石駅周辺、4.4ヘクタールもの一帯は更地になり、4棟の超高層ビルが建つらしい。
「土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新を図り、魅力ある駅前環境を形成するため」と、北口地区の計画書にある。
いくつものすきまが消滅し、虫も、ノラ猫も、酔っ払いもいなくなった4.4ヘクタールに建つ超高層ビルに住む人の孤独を考える。心のすきまを考える。
「合理的な」窓、「健全な」キッチン、機能的な居住空間と、そこに住む、いびつな生きものである「人」たちとの間にできるすきま。35階建ての壁に生じるぞっとするような暗い亀裂。そのすきまに、
まだ誰も見たことのない雑草が生えるだろうか。
誰も見たことのない虫が眠るだろうか。
誰も読んだことのない詩が生まれ
頑丈にロックされた防音窓のすきまから
まだ誰も歌ったことのない歌が、聞こえるだろうか。
そのとき区長は、「しくじった」と、自分の禿げた頭を叩くだろうか。