michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

photo 写真

そこに

いない

むこうに
いる

その
むこうに

いる

光って
いた

たくさん
光っていた

そこに
いて

そこにいない

きみは
死者のむこうにいる

その死者たちのむこうにいる

きのう
浜辺で水面を撮ったよ

光っていた
光っていたよ

 

 

 

return 帰る

若い日
故郷から逃げ出してきた

週末に
海辺の街に帰る

こだまに乗って
帰る

途中いくつかトンネルをぬける

トンネルをぬけると
海辺の街とたいらな海が見える

ヒドリノトキハ
ナミダヲナガシ

そう手帳に書いていた
そうだね

週末に
海辺の街に帰る

 

 

 

@140710  音の羽

 

萩原健次郎

 

写真 14-07-05 16 26 41

 

水の催し
そこから羽化した、小さな蝿が
暗雲に混じって
ぶれている。
そういう視界に
生き物とそうでないものの
区別をつけて
あるいは、蝿たちが見ている
わたしという、一塊も、そうでないものと
別けられている。

無機の兆しが
景に満ちて
だれかに、なつかしく思われたいと
夏の坂道に、ある。

ぶうぶう、ぶうぶう、
ずっと遠くから鳴っている
それが、営みの末なのか端なのか
確かめようともしない。

川の両岸に
花の子が、空へ垂直に
よろこんで、立っているようで
紅も、白も不憫で
あまり見つめられない。

ちらちらと、生きているようで
さみしそうにもしていない

里の人に育てられた
茄子に、ビニールの覆いにも
黙礼をして、
ただ、背を押されるようにして
気を、降ろしていく。

荷のない午後に
逆さまに。

 

 

 

suit スーツ

今日
荒井くんと会った

吾妻橋の藪で蕎麦を食べた
鳥わさが美味だった

荒井くんは
ジーンズと柄物のシャツだった

スーツは持ってないだろう

荒井くん

ぼくはやっと
スーツが似合うようになったよ

吾妻橋には雨が降っていた
吾妻橋に雨が降っていた

 

 

 

shirt ワイシャツ

おじさんは
麦わら帽子をかぶっていた

白いワイシャツを
着ていた

自作の浮きと仕掛けで
初夏の海浜公園で釣りをしていた

メジナを
たくさん釣っていた

おじさんはサラリーマンだったんだね

白いワイシャツで
釣りをしていた

メジナを釣っていた

 

 

 

佐藤時啓 写真展「光ー呼吸 そこにいる、そこにいない」について

 

写真 2014-07-07 4 21 55

 

 

佐藤時啓の写真展「光ー呼吸 そこにいる、そこにいない」を恵比寿の東京都写真美術館でみて衝撃を受けてから、もう二週間ほどが過ぎてしまった。

 

Presence or Absence

 

この欧文が、写真展の図録の表紙に「型押し」されて刻み込まれていた。

「存在、または不在」と読めばよいのだろうか?

「光ー呼吸 そこにいる、そこにいない」とタイトルされた佐藤時啓の写真作品群の衝撃とはなんだったのか、この二週間、考えていた。

確かに、会場では、いきなり圧倒的な存在を感じた。
その作品のなかの圧倒的な存在をコトバで語ることが難しかった。

それは何なのかを考えていた。

会場の入口と出口に原発と円形石柱群の写真があった。
それらが糸口だろうと思われた。

入口では原発と円形石柱群の間に「ブロッコリー」が立っていた。
出口では原発と円形石柱群の間に「マヨネーズ瓶」が立っていた。

原発にも円形石柱群にもブロッコリーにもマヨネーズ瓶にも光は生まれていた。
作家が長時間露光でフィルムに刻んだ光の痕跡が生まれていた。

林のなかのブナの根元にも光は生まれていた。
また、海岸のテトラポットのまわりに光は生まれていた。そして都市の建造物のなかにも光の線は生まれていた。

わたしはその時かつて西井一夫が「暗闇のレッスン」という本で書いていたボルタンスキーの作品のことを思っていたのかもしれない。

アウシュビッツで亡くなったヒトたちの顔写真にライトが当てられている作品たち。

その無名であり、無数であり、圧倒的に不在である彼ら。

わたしたちはブロッコリーやマヨネーズ瓶とともに現在にいる。
そして現在とはアウシュビッツや第二次世界大戦やヒロシマやナガサキ、ミナマタや東日本大震災、フクシマを体験した現在である。

佐藤時啓の写真に感じた衝撃とは古代から現在まで連なる圧倒的な不在なのだと思われてきた。そこに圧倒的な不在の記憶が刻まれているのだ。

その無名であり、無数であり、圧倒的に不在である彼らは光であり、わたしたちとともにあり、わたしたちを支えているのだ。

佐藤時啓の写真作品は、圧倒的に不在であるものたちに寄り添うことで、現在のわれわれを支えようとする作品であると思う。

 

 

 

enter 入る

めざめると

窓から
西日が射していた

窓のむこうに
西の山は立っていた

雨は
あがっていた

突破するものたち
突き抜けるものたち

ヒトビトの思いに
沈み

ひかりを突破する

ないひかりを突破する
ないひかりのなかを突き抜けていく