広瀬 勉
一年ほど前のことでしたか、三千魚さんから「
そこに
いない
むこうに
いる
その
むこうに
いる
光って
いた
たくさん
光っていた
そこに
いて
そこにいない
きみは
死者のむこうにいる
その死者たちのむこうにいる
きのう
浜辺で水面を撮ったよ
光っていた
光っていたよ
若い日
故郷から逃げ出してきた
週末に
海辺の街に帰る
こだまに乗って
帰る
途中いくつかトンネルをぬける
トンネルをぬけると
海辺の街とたいらな海が見える
ヒドリノトキハ
ナミダヲナガシ
そう手帳に書いていた
そうだね
週末に
海辺の街に帰る
萩原健次郎
水の催し
そこから羽化した、小さな蝿が
暗雲に混じって
ぶれている。
そういう視界に
生き物とそうでないものの
区別をつけて
あるいは、蝿たちが見ている
わたしという、一塊も、そうでないものと
別けられている。
無機の兆しが
景に満ちて
だれかに、なつかしく思われたいと
夏の坂道に、ある。
ぶうぶう、ぶうぶう、
ずっと遠くから鳴っている
それが、営みの末なのか端なのか
確かめようともしない。
川の両岸に
花の子が、空へ垂直に
よろこんで、立っているようで
紅も、白も不憫で
あまり見つめられない。
ちらちらと、生きているようで
さみしそうにもしていない
里の人に育てられた
茄子に、ビニールの覆いにも
黙礼をして、
ただ、背を押されるようにして
気を、降ろしていく。
荷のない午後に
逆さまに。
うずまいて
いた
ゆるい風が
うずまいていた
静かなヒトはうずまいていた
山も
海も
空も
雲も
うずまいていた
台風が
きて
過ぎていった
青空は
ひろがって
小鳥たちが囁いていた
小鳥がうずまいていた
小鳥はうずまいていた
今日
荒井くんと会った
吾妻橋の藪で蕎麦を食べた
鳥わさが美味だった
荒井くんは
ジーンズと柄物のシャツだった
スーツは持ってないだろう
荒井くん
ぼくはやっと
スーツが似合うようになったよ
吾妻橋には雨が降っていた
吾妻橋に雨が降っていた
おじさんは
麦わら帽子をかぶっていた
白いワイシャツを
着ていた
自作の浮きと仕掛けで
初夏の海浜公園で釣りをしていた
メジナを
たくさん釣っていた
おじさんはサラリーマンだったんだね
白いワイシャツで
釣りをしていた
メジナを釣っていた
佐藤時啓の写真展「光ー呼吸 そこにいる、そこにいない」を恵比寿の東京都写真美術館でみて衝撃を受けてから、もう二週間ほどが過ぎてしまった。
Presence or Absence
この欧文が、写真展の図録の表紙に「型押し」されて刻み込まれていた。
「存在、または不在」と読めばよいのだろうか?
「光ー呼吸 そこにいる、そこにいない」とタイトルされた佐藤時啓の写真作品群の衝撃とはなんだったのか、この二週間、考えていた。
確かに、会場では、いきなり圧倒的な存在を感じた。
その作品のなかの圧倒的な存在をコトバで語ることが難しかった。
それは何なのかを考えていた。
会場の入口と出口に原発と円形石柱群の写真があった。
それらが糸口だろうと思われた。
入口では原発と円形石柱群の間に「ブロッコリー」が立っていた。
出口では原発と円形石柱群の間に「マヨネーズ瓶」が立っていた。
原発にも円形石柱群にもブロッコリーにもマヨネーズ瓶にも光は生まれていた。
作家が長時間露光でフィルムに刻んだ光の痕跡が生まれていた。
林のなかのブナの根元にも光は生まれていた。
また、海岸のテトラポットのまわりに光は生まれていた。そして都市の建造物のなかにも光の線は生まれていた。
わたしはその時かつて西井一夫が「暗闇のレッスン」という本で書いていたボルタンスキーの作品のことを思っていたのかもしれない。
アウシュビッツで亡くなったヒトたちの顔写真にライトが当てられている作品たち。
その無名であり、無数であり、圧倒的に不在である彼ら。
わたしたちはブロッコリーやマヨネーズ瓶とともに現在にいる。
そして現在とはアウシュビッツや第二次世界大戦やヒロシマやナガサキ、ミナマタや東日本大震災、フクシマを体験した現在である。
佐藤時啓の写真に感じた衝撃とは古代から現在まで連なる圧倒的な不在なのだと思われてきた。そこに圧倒的な不在の記憶が刻まれているのだ。
その無名であり、無数であり、圧倒的に不在である彼らは光であり、わたしたちとともにあり、わたしたちを支えているのだ。
佐藤時啓の写真作品は、圧倒的に不在であるものたちに寄り添うことで、現在のわれわれを支えようとする作品であると思う。
めざめると
窓から
西日が射していた
窓のむこうに
西の山は立っていた
雨は
あがっていた
突破するものたち
突き抜けるものたち
ヒトビトの思いに
沈み
ひかりを突破する
ないひかりを突破する
ないひかりのなかを突き抜けていく