昨夜は
荒井くんが
浅草橋の西口やきとんで
待っていてくれた
わたしの誕生を
祝ってくれた
産まれたとき
泣き叫んだろう
憶えていない
ヒトに生まれた
虫だったかもしれないし
鳥だったかもしれない
ヒトはいつか垂直に叫ぶだろう
昨夜は
荒井くんが
浅草橋の西口やきとんで
待っていてくれた
わたしの誕生を
祝ってくれた
産まれたとき
泣き叫んだろう
憶えていない
ヒトに生まれた
虫だったかもしれないし
鳥だったかもしれない
ヒトはいつか垂直に叫ぶだろう
部屋は光に満ちている。
大きな鏡と白いキャンバスを前に、
あたしは絵筆をもって止まっている。
鏡には
何も写っていない。
十九歳の夏。
あたしは首のない自我像を描いていた。
細く切りひらかれた瞳は、
わずかな光を含むとすぐに閉じてしまうので、
光に満ちているはずの白いアトリエを、
あたしは、暗がりの、深度の浅い、
見渡しの悪い空間と認識した。
トルソーがいい、とあたしは思った。
人を描くなら、トルソーがいい。
鏡はいらない。
そして、頭部は描かない。
あたしの瞳から見えたものだけが物質なのだ、と。
あたしは、自らを見下ろしてみる。
絶壁のように、垂直に、下方へとひろがるカラダ。
床に投げだされた足、
それが、十九歳の〈私〉だった。
神田珈琲園で
サンドイッチと
ブレンドを頼んだ
今夜は
二階がいっぱいで
一階にいる
川崎の河原で
カッターで刺されて
死んだ少年のことを思った
その死もネットで
検索した
いまスマホでこの詩を書いている
カッターで
詩を刻みたい
午後に
うえはらんど3丁目15番地に
伺った
坂のうえだったはずが
通り過ぎていた
記憶の地図はあやふやで
今と一致しない
坂をのぼり
坂を下りて辿りつく
志郎康さんと麻理さんと
友人たちの
笑顔があった
空に帰して笑って
いた
地図はない