今朝
スープは昆布だしにしました
ジャガイモと
青梗菜と干し椎茸とウインナと
昆布と荒塩と
胡麻油をすこし入れてみました
湯槽からでて
テーブルに平らな皿を置きました
白い皿をみていました
白い皿をみていました
皿の上の無いものをみていました
今朝
スープは昆布だしにしました
ジャガイモと
青梗菜と干し椎茸とウインナと
昆布と荒塩と
胡麻油をすこし入れてみました
湯槽からでて
テーブルに平らな皿を置きました
白い皿をみていました
白い皿をみていました
皿の上の無いものをみていました
何年か前に、五嶋みどりがバッハの無伴奏のCDを出した。ソナタの2番(BWV1003)1曲だけだったけれど、それまでバッハの録音がなかったので結構話題になった。その後、みどりは2012年に全国の教会や寺院で無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータを弾くツアーを行なったことを最近知った。いつかは全曲盤が出るかもしれないが、多分本人はそういうことにあまり積極的ではないのだろう。(実際、知名度に比べて彼女のディスコグラフィーはあまりにも寂しい。)
みどりの無伴奏はゆったりしている。何かを強く訴えるというのではなく、自分の中の音楽をできるだけ自然に音にして行きたいというような演奏だ。バッハの無伴奏と言えばシェリングを思い出すが、あのバッハ演奏の規範となるような隙のない演奏とはまったく違う印象を受ける。これはみどりに限ったことではなく、ヒラリー・ハーンや庄司紗矢香など、最近の女性のバッハの演奏は、ずいぶん風通しの良い自由なものになってきた。
そのうえ、五嶋みどりのバッハは、本人にそういう意図があるのかどうかはわからないけれども、聴く人を慰藉する音楽になっている。そしておそらくは彼女自身をも慰藉しているのではないかと思わせる演奏だ。鬱病や拒食症で苦しんだ時代があったようだが、あるいはそういうことも影響しているのかもしれない。
日本人はなぜか自国の演奏家に辛い。同じように国際的に活躍している者を比べたとき、根拠もなく日本人演奏家を低く見る。それなのに、海外で評価された者を高く買わないというおかしな風潮もある。しかし五嶋みどりはまぎれもなく現代世界最高のヴァイオリニストの一人である。
たとえば、みどり10代のときに録音された、パガニーニの「24のカプリース」全曲はいまでもこの作品の最高の録音だと思う。随所にみなぎる音楽性は比類がない。超絶技巧を要求される無伴奏曲だが、バッハの無伴奏に比べると、精神性や芸術的価値に劣るというのが定説だろう。しかし、五嶋みどりで聴く限りそういう印象はまったくない。冷たい刃物を思わせるような音の線。パールマンにはこういうところはない。ヴァイオリンの録音を聴いて背筋が寒くなったのは後にも先にもこのディスクだけだった。シェリングのバッハにも比肩しうる録音だと思っている。
いきあたる
景色にいきあたる
いきあたる
ものを
みてきた
景色にいきあたる
景色にたちどまる
いきあたる景色を残してきた
いきあたる景色を残してきた
ひかっていた
ひかって消えた
ひかって消えていった
ない景色をいきる
ない景色をいきる
湯槽に浸かってから
部屋の障子をあけました
満月の月が光っていました
それから牧陽一さんの
アイ・ウェイウェイ スタイルを読みました
牧さんの覚悟がありました
ひとびとの悲しみがありました
燕たちは昼間
テトラポットの上を旋回していました
今朝
海辺でことし初めての燕をみました
テトラポットのまわりを旋回して
虫を捕っていました
昼には街のアスファルトのうえに
磯ヒヨドリをみました
夕方
二羽のムクドリが窓辺で身繕いしました
導くものは
鳥のカタチをしているのだと
思いました
暖気がはこぶもの
低い音の輪唱で、地から湧く。
朱の洪水は、ななめに染まり
音符のように、点々とそれは、人から出た液なのだと
歌われる。
眼の針が、そのように蕾をひとつずつ
ぷしゅんぷしゅんと潰して
ぷしゅんぷしゅんが、伴奏となって
音楽は、面に張り付いている。
視界の前には、音の羽の川が山から降りてきて
右岸には、おだやかな低体温の宮がひろがり
左岸では、それを怒る、朱の花たちが
ただしい春情を喚いている。
はるにくのやくごとにふるあぶらじる
のようなテーマの混声は、もともとは綺麗なのだ
と、まず、ひとりめの高僧が説きはじめた
しんらん、どうげん、ほうねん、えいさい、にちれん
なんとかてんのう
●
滝をアラームで起こす。
滝は、立ち上がって、洗顔している。
垂直に感応したのか、
瀑布の成分は、したたかなあぶらじる
鹿などは、焼かれ喰われ
木は選別して伐られ、
残った、朱のそれ
それは、椿の
春情ではなく、椿情だった。
●
蒼ざめた艶書の、おもてには
ののしゅの
しゅののの
ゆの、緒と朱がまぎれて
あなたさまのちはななめのおもてにならびおとわのかわはそまります
と書かれている。
●
夜になると、ただ鹿鳴だけが
喘いでいる。
連作「音の羽」のうち
昨日は
飲まずに帰った
部屋に着いたら
電話が鳴った
さいきんどうよ
だいじょうぶかよ
荒井くんはいった
荒井くんは酔っていなかった
浅草にいい店をみつけたといった
今朝
目覚めて
冷蔵庫の牛乳を飲みました
表面が
揺れていました
今朝のスープには
生姜を入れました
生姜を入れたので
鰹だしと塩だけでいいのです
あとで思いだして
干し椎茸も入れました
かつて
助けませんでした
こころを病んだ友人を
助けることができませんでした
今朝も
スープを飲んで
湯槽に浸かりました
今朝
スープをつくりました
大きなモヤシと
にんじんとわかめとウインナと
鰹だしでつくりました
豆板醤をすこし入れました
それから
お風呂に入りました
ひとりのときは
何も言いません
わたし
湯槽に浸かってました
湯槽に浸かっていました
昨日は
モコと海をみていた
海辺を
モコと歩いた
カモメが飛んでいた
カモメは空に浮かんでいた
それから牧陽一さんの
「アイ・ウェイウェイ スタイル」を読んだ
スタイルではなかった
あるのは単独者の思考だった
そこに利休がいた