michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

 

たいい りょう

 
 

長きたおやかな時を 
人は短いと感ずる
 
人は どのくらいの時を 
永遠と呼ぶのだろう

短き激しい時を
人は長いと感ずる

人は どのくらいの時を 
瞬間と呼ぶのだろう

時は 時計の中にあるのではなく  
人のこころのなかに 息づいている

今この時を生きる
そう生きる

 

 

 

いい人とかまともな人とか

 

ヒヨコブタ

 
 

精神科へコンビニのように通うことができる世の中にしたいと主治医はかつて思っていたと
そしてそんな世の中が近づいてきたといい
わたしはふとじぶんの人生をふりかえる
どうも疲れが抜けず緊張感にさいなまれて生きていた頃、それが希死念慮までになるのであれば
病院に連れて行くのが特に親というものではないか

けれども世の中でいい人、まともな人と見られてきたわたしの親族たちの大半も偏見にみちていた
きょうだいは今でもわたしを
変な病にかかっている人という
変な病だから付き合わないというのはどういうことか?
血も涙もないなと思う

じぶんだけが特別でじぶんは大丈夫という人はとても危うい
具合が良くなければ薬をのむのは一緒だろうに
彼らの思考がとても息苦しく追いかけられるように感じる

いい人やまともな人と呼ばれる人に
わたしはなりたくない
心がある人と呼ばれたい

 

 

 

海を見に行く

 

さとう三千魚

 
 

昼前に
銀行の

キャッシュコーナーで
現金を下ろした

それから
帰って

いくつか
浜風文庫を更新していた

辻さんの赤ちゃんの詩と
広瀬さんのブロック塀の写真を

公開した

午後に
海を

見に行く
クルマで行く

椅子を
すこし倒して

海を見てた
ポットのコーヒーを飲んだ

西の山がいた
灰色の空がいた

この空に
ドローンはいない

砲弾も
機銃掃射も

ない

ミサイルも飛んでこない

鳩たちが
いた

海は
昨日の雨で濁っていた

波立って
いた

午後の海を見て帰ってきた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life