佐々木 眞
なにがなんとしてなんとやらあ
あっ、右を向いた。
勝手でしょ。
南無阿弥陀。南無阿弥陀ああ。あっ、餌。
わたしの食糧。生きようと思えば生きられるけれど、もう往って還ってくるのに疲れたから、虫、食糧、いらねえ。
わたし、あきらめた。虫、喰ってもねえ。
見てる?写真撮ろうってか。はいはい。あなたの眼中にわたしがいて、わたしの眼中にあなたがいて、四角く削ごうなんて、卑怯だねえ。あんた。
わたしもねえ、世界、採集してんだよ。
虫、おおむね虫、食糧図鑑をつくろうかと考えていたこともあるね。
若い時分にね。虫、まんまると削いで、脳のアルバムにぺたぺた貼り付ける。
わたしにも脳はあらあな。南無阿弥陀ああと言うぐらいなんだから。
あんたの脳にはさあ、どんなもの貼ってるんかなあ。
食糧?虫じゃないわなあ。人かなあ、恋人?米?
そうかあ、草みたいなもんだ。肉?鳥も食べるんだ。
カラスは食べないのか。そうか。ヒツジもイノシシも食べるのか。
変なものは、食べるんだ。タニシもクリも、カキもか。
それは、わたしも好物だなあ。
飽きないのかねえ、わたしをそこからじっと見ていて。
わたしもう気はないよ。気は捨てたよ。
足あるよ。ぴょんぴょんぴょこぴょこ。もう往かねえ、どこにも。
恋もしない。虫、いらねえ。唄、好きだよ。
かあかあ、かあかあ、かっかっかっ。
時雨心地って知ってるか。
わたしだって、いつも喜んで唄っているわけじゃない。
おんなじ、かあかあでも、
「とってもさみしねくてねえ」、「女々しくて女々しくて」、
地に沁みこみたいときだってあるさ。
それも、ちょっとした抵抗で、「沁みたい沁みたい」って泣いている。
消えるやろ。
沁みたら、消滅。
あなたの眼中から、わたしは、ただの気配の陣地になって、かすかな記憶からも消えていく。スイッチ押してそれで、すぅーっと無くなる。
勝手でしょ。
あなたは、
わたしは、
この世は、
徒行。
秋晴れの午後、久しぶりに生の音楽に耳を傾けました。
逗子文化プラザなぎさホールで、女声合唱団「ぶどうの会」コンサートを聴いたのです。
じつは私はコーラスというのは苦手でして、高校生や中学生がコンクールで演奏するのをたまにラジオで聴くくらいですが、この日登壇したのは19人のいわゆる後期高齢者のおばんさんばかり。
創立20周年とはいえ「ぶどうの会」はアマチュアのメンバーなのでいったいどうなるのかと心配していたのですが、案ずるより産むがやすし、さながら少女のように純な歌声が流れてきたので、驚くやら安心するやらでした。
プログラムの前半は、はたちよしこ作詞・吉岡弘之作曲「レモンの車輪」、木下牧子作曲の5曲の合唱曲集、中盤は上田眞樹編曲も「日本抒情歌」、後半はみなづきみのり作詞北川昇作曲の組曲「やさしさとさびしさの天使」でしたが、指揮者の杉山範雄、ピアノの石原朋子さんの好サポートもあって、お腹いっぱいのご馳走を頂戴したような気分になりました。
近代から現代曲までさまざまな曲が演奏されましたが、やはり昔から耳に馴染んだ「朧月夜」、「荒城の月」、「夏は来ぬ」、「赤とんぼ」などの日本の歌が心に響きました。
ただしこれらの名曲をあまり調子の乗ってモダンに編曲すると、せっかくの古朴な樂想を傷つけてしまうことがあるので、若い編曲家は気をつけてもらいたいものです。
それにしても、休憩をはさんでおよそ2時間を見事に歌い通した出演者には、拍手喝采を贈りたい。しかも全収益金が沖縄久米島に設立された福島の子供たちの保養施設の活動に寄付されるとあらば、なおさらのことです。
福島より沖縄に来た子らのため十九の老女声張り歌う 蝶人
大広間の天井にへばりつくようにして、この異様な光景のいちぶしじゅうをのぞきこんでいたケンちゃんは、びっくりしました。
突然自分の名前が持ち出され、しまいにはケンちゃんコールまで由良川一帯にとどろきわたってしまったんですもの……
しかし、これでどんなに由良川の魚たちが困っているのか、なぜケンちゃんの到着を待ちわびているのかがよくのみこめてきました。
のみこめたのはいいのですが、ケンちゃんはだんだん途方に暮れてきました。
自分はどうやったらこのピンチを救うことができるんだろう?
あんなに魚たちから期待されているのに、由良川のギャングどもを向こうに回して、12歳の少年がたったひとりで何ができるというのでしょう?
ケンちゃんは考えれば考えるほどますます不安に駆られてきました。
数千、数万の魚たちが酔っ払ったように由良川音頭を合唱している大広間をそっと離れて、ケンちゃんはまるで誰かから呼び止められるのを恐れながら逃げ出すようにして、由良川の本流めざしておおきく複式呼吸をしながら、ゆっくりゆっくり泳いでゆきました。
少し頭を冷やしながら、じっくり考えてみようと思いましたが、哀しいことにいくら腹式呼吸を繰り返しても、いくらひとかきひとかきゆっくり泳いでも、頭の中には何のアイデアのひとかけらさえも浮かんでこないのです。
その時でした。
――おや、あれは何だろう?
ケンちゃんの前方およそ5メートルほどのところから、なにやら白く光る2本の棒がこちらに向かってきます。白く、先端が湾曲した、なにか骨のようなもの……。
左右とも2.0の自慢の視力で透かしてじっと見つめると、それはなんと牛の角でした。
角だけではありません。肉がそげ、きれいに白骨化した大きな牛の頭骸骨が、見えない虚ろな眼で、じっとケンちゃんを睨んでいるようでした。
次の瞬間、その眼はギロリと動きました。
ギロリ、ギロリ、ギロリ……それは、牛の眼ではありません。
牛よりももっと小さく、しかし、もっと不気味で狡猾そうな2つの眼が、ホルスタインの眼窩の奥から、じっとケンちゃんを睨みつけているのです。
ギロリ、ギロリ、ギロリ……、黒く悪賢そうな小さな眼は、2つ、4つ、6つ、8つ、……もっともっと光っています。
暗い水の中で、何十、何百の暗い眼たちが黒い縞模様を右に左に反転させながら、次々に白いしゃれこうべの下へと消えてゆくのです。
このホルスタイン種の乳牛は、おそらく先日の台風の時、上流の上林村あたりから、生きたままモウモウと鳴きながら、ここまで流されてきたのでしょう。
ケンちゃんは、さらに牛の死骸のほうへと近づいてゆきました。そしてそのすさまじい光景を見た途端、アッと叫び、叫んだ口の中から侵入した泥混じりの水を思いっきり飲んでしまいました。
真っ暗な由良川の河底に横たわるホルスタインの死骸を、何十、何百匹ものカムルチーたちが、するどいギザギザの尖った歯をきらきら光らせながら、夢中になって食らいついているではありませんか。
全長40センチから、大きい奴は1メートル以上もある青ずんだ黒い色をした川の盗賊カムルチーは、背びれと臀ビレをゆらゆらグルメの快楽にうち震わせながら、狂ったようにホルスタインの雌牛のやわらかな臓物に突撃しては、獲物をナイフのように鋭い歯で斬りとり、そのたびに微小な肉片と鮮血が濁った水を赤々と染めてゆきます。
―――カムルチーだ! ライギョだ! こいつら、由良川のギャングたちだ!
次号へつづく
ベッドでテレビ見てて、
あくびしちゃった。
眠くなって、
眠っちゃった、
眠っちゃった。
で、それで
眠っちゃった、
という言葉が
想い浮かんだんだね。
テレビでやってたのは、
座間の九人殺害事件容疑者白石隆浩容疑者のことばっか、
自殺願望のある女たちを部屋に誘い込んで殺したってことばっか、
初来日のイバンカ・トランプ大統領補佐官のことばっか、
薄いブルーのコートで羽田空港に降り立ったってばっか、
あくびが出て、
眠っちゃった、
という言葉になって、
ここに、
書き留めたってわけ。
いやぁ、
久しぶりの詩を
書いたってわけ。
バリバリと パンを食べる音が解体工事のように響いている
血液検査を終えた人は、結果を待つ間この地下室でパンを食べる
丸テーブルに座って、向き合って食べる
中身のたまごがこぼれないよう、両手でしっかりとパンを押さえる
下を向いて歯の少ない口を思い切り開け、パンを噛む
噛みきることの困難さに、ますます首は下向きになり、うなだれた状態でパンを手に(口に)入れ、噛む間のこの頭をつんざく機銃掃射に恍惚となって目を上げると
向かいでは息子がとうに食べ終わり 静かにスマホをいじっている
その人はこれから、緩和ケア外来に行くのである
息子と老人との間には、何一つ会話がなく、
息子は途中で呼び出しベルを落としたりしたけど、会話はなく、
老人はこれでもか、これでもか、と、ひたすらに、ひたむきに、食べていた
ふすまがはずれ、階段が落ち、山百合と、虫に食われたズボンがぶら下がり、
それを引きちぎり、足で踏みしだき、
枕が出てくる
この枕には穴が開いていて、起きる度に小豆が外にこぼれている
それも今、食べる
息子はスマホの操作を終えて、私が家を壊すのをじっと見ていた
(2017年10月30日 ドトール東大病院店内で)